しかし朝日新聞やNHKなど日本を代表する大手メディアが報道する在日韓国・朝鮮人の姿を見ると、彼等が日本人の倫理道徳から言って、マトモな人間と思えないのです。
但しこの「マスゴミ報道」は、在日韓国・朝鮮人を非難する報道ではありません。 そもそも日本の大手メディアは在日韓国・朝鮮人を非難するような報道は殆どしません。 わたしは札幌在住なのでネットを始めるまで産経新聞は読んだ事がありませんでした。
むしろ以下のように在日韓国人を礼賛する報道で、違和感と不快感が募っていったのです。

貧乏と差別の少年時代 張本勲「喝!」の背景
TBS系テレビの「サンデー・モーニング」で、たまに一緒になるが、番組の中で会釈するだけで話したことはなかった。張本勲はスポーツのコーナーが終わると帰ってしまうからである。私がホストを務める『俳句界』の対談に出てもらって、はじめて味のある話を聞くことができた。掲載は2011年1月号である。
● 小心者で臆病、不安だから努力する
まず、「えっ」と思ったのは次の話だった。
「スポーツ選手で、豪気・豪快・強気の人が大成功した例は少ないです。やはり臆病で繊細で神経質な人のほうが成功する。イチロー、落合博満、長嶋茂雄、王貞治、金田正一も、みんなそういうタイプ。豪快に見えているだけで、陰では毎日こつこつ練習しています。豪気な人は、すぐできてしまう素質と力があるから『そんなもんすぐできるよ』と安心するし油断するきらいがあるんですよ」
言われてみれば「なるほど」だが、「成長が止まるんですね」と私が合の手を入れると、張本は、「自ら止めてしまうんです。ところが我々みたいに小心者で臆病なやつは、不安だから毎日やる。その積み重ねが結局力になったんだろうと思いますね」と続けた。
張本によれば、野球選手で一番大事なことは「自分を疑う」ことで、たとえ、その日に4打数4安打だったとしても、たまたまだと思って、常に自分を疑わなければならない。
だから張本は子どもと一緒に寝たことがなかった。毎日300本の素振りをノルマにして、午前3時か4時にパッと起きてバットを振っていたからである。引退するまで、子どもとは別の部屋だった。
4月19日の「サンデー・モーニング」で張本がサッカーJ2横浜FCのキング・カズに、「もう、お辞めなさい」と引退勧告したことが話題になったが、張本自身を含む一流選手の努力の凄絶さを知った上でのそれだということを忘れてはならないだろう。
● 差別が貧乏を生み、貧乏が差別を激化させる
私との対談で張本は、石川啄木の「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」を挙げ、一生忘れられない短歌だと言った。中学生のころに読んで、目頭が熱くなったという。
張本は母親の寝た姿を見たことがない。
「私はおふくろが40歳のときの子どもでして、おやじと朝鮮半島から日本に渡って来た後に生まれました。4歳の終わりに、焚き火で右手にやけどをして、不自由になりましてね。私の右手は、全部内側に曲がっているんですよ。その後すぐ、おやじが亡くなり、おふくろは日本語も知らない中、子ども4人抱えて生きていくことになった。よく生きられたと思います。兄貴に話を聞くと、最初は親戚を何軒か回ってお金を工面し、トタン屋根の6畳1間を借りて、その家の前でミカン箱を積み重ねてホルモン焼きを大工さんとか職人さんに出したそうですよ。隣の人がやっていたのを見て、見よう見まねで」
張本の母、朴順分のことを書いた八木晃介の『差別のなかの女性』(三一新書)という本がある。それによれば、彼女は密造酒のドブロク等を仕入れるため、毎日、広島の闇市へ出かけた。バスが走っていたが、その乗車賃を倹約するため、片道40分ほどの距離を歩いた。汚れが目立たないように着ているネズミ色のチマチョゴリ姿でである。ある雪の日、近所の土手で張本が遊んでいると、向こうの方から歩いてくる母の姿が見えた。母をオモニというが、張本はそのころ、オンメェと呼んでいた。
「僕は走って迎えに行ったんです。両手にカゴを持ちましてね。オンメェが、雪の日なのに手袋もせず、靴下もはいとらんのですよ。ただ、黒い長いマフラーを巻いているだけ。頭は雪でまっ白いんです。重たいやろ、オンメェ、それももったろ、とおふくろの手にさわったとき、その手がものすごく冷たかったんです。この冷たさは絶対に忘れんですね。ああ、こんなに冷たいのに寒くないのか、とあの時言った言葉が脳裏に焼きついていますよ。悲しいとかなんとかいうんじゃなくてね」
差別が貧乏を生み、貧乏が差別を激化させる。張本は怒りを抑制しつつ、語る。
「おふくろが受けた差別、それはもう想像を絶するもんだったと思いますよ。まず、言葉が喋れない。闇市へ行っても、ずいぶんだまされていたはずですよ。言葉は不自由だし、学問がないから足し算や割り算もうまくいかない。計算するといっても、自分のもってるお金と品物を見比べて、感覚だけで商いするんですからね。それにチマチョゴリを着ているしね……」
浪華商業時代も差別はつきまとったが、東映フライヤーズから巨人に移って、はじめて故郷の広島でプレーをした1976年4月16日夜のそれも苛烈だった。張本がこう振り返る。
「練習のときから野次がひどかったんです。“チョーセン人帰れ! ”“強制送還させるぞ! ”“キムチ! ”“ニンニク! ”なんて、あまりにもひどい野次に、おふくろは卒倒しそうになったんです。聞くに堪えなくて、兄貴は野次っている連中に頼んだそうです。“やめてくれ、あんまりひどいじゃないか”と。連中、野球トトカルチョをやっていたそうで、兄貴に“金くれるんやったら、野次るのやめたってもええで”と言うたんやそうです」
賭けをやっていて、どうでも広島カープに勝ってもらわなければならなかったのだろう。
そのころ、帰化問題も起こった。張本と同じように在日二世でありながら日本に帰化した有名選手と張本は衝突し、いろいろ足も引っ張られて、張本も帰化を考える。母に相談すると、母は悲しそうな顔をして黙ったままだった。それで拒絶の強さを知って、張本も帰化せずを貫こうと決意する。
「帰化した人に対して、帰化しない僕らは逆にあたたかい眼で見てやらねばならないと思うんですよ。帰化したい人は、自分の出身を隠したがっているわけで、やはり、僕たちは、隠したい人の隠したいことを、隠してやらねばならない。帰化せざるを得ない、その人の立場もあるのだから。帰化したからといってすぐに“裏切り者”というのは、はっきり言って次元が低いと思いますよ。僕の気持ちはいまはっきりしています。いま僕が帰化しないのは、その必要がないからです。必要なときには帰化するかもしれない。自分の子どもには、僕が子どもだったときのような思いを味あわせたくない、これは僕の本当の気持ちですよ」
1976年春、韓国の社会団体「新しい芽の会」は「立派な母」に張本の母、朴順分を選んだ。
「日本で34年前に夫と死別しながら、4人の子供を立派に育て、特に韓国人としての誇りをもつようにし、また、張本選手の日本への帰化を勧めるあらゆる誘惑を退けた」がその理由である。
佐高 信

>1976年春、韓国の社会団体「新しい芽の会」は「立派な母」に張本の母、朴順分を選んだ。
張本選手の母親が苦労して子供を育てのはわかります。
しかしこの記事を読んでいると、彼女は「密造どぶろく」を販売する事を生業にしていたのです。
これは犯罪です。
この密造どぶろくは、1940~50年代に在日韓国・朝鮮人が広く行っていた犯罪です。
だから2014年8月15日民潭新聞に以下のような記事が掲載されました。

<光復節特集>命をつないだドブロク(濁酒)造り…
69年前の今日、8・15をむかえた同胞は、日本の地でも「ウリヌン ヘバンテッター!
(私たちは解放された)」と村々で叫び合った。 土地を奪われ、徴用や徴兵に従うしかなかった苦しみからようやく解かれたのだ。しかし、それはまた、日本での働き場を失うことをも意味した。
そこで、くず拾いや物品の買出し・売り出し、濁酒(=マッコルリ)づくりをして食いつなぐことになる。
同胞たちからは濁酒の記憶がよく現れ、断片的には語り継がれている。
また、敗戦直後は日本各地で連日のように濁酒をめぐる事件があり、新聞記事になっている。
報道では、おそろしい「密造」事件として語られ、同胞が犯罪集団であるかのようなイメージをつくっている。
そこでは先に述べたような、朝鮮人が失業状態に置かれており、 生活の困窮をしのぐためになされた面が抜け落ちているのだ。日本にいた同胞の8割は帰国を希望していた。だが、すでに土地と生活基盤を失い、政治も落ち着く気配がないために、 帰りたくとも帰れなかった。
よって、なんとか日本で生きる道を探ったのだ。 とくに、1947年におきた神奈川県川崎市における濁酒取締りと税務署員の死亡後に、同胞への摘発がすすめられていく。
この日、仕事を終えた税務署員が、帰り道で数名に囲まれて「税務署員か」と問いつめられた。
「そうだ」と答えると暴行を受け、それが致命傷となって3日後に死亡した。
大蔵省当局はこの事件を、「不逞の報復」として危険視した(「酒類密造摘発に関する態勢確定の件」)。
その後、強制送還をも視野に入れて、在日同胞を対象とした「密造」の取締りが開始された。
横須賀(神奈川県)では同胞女性約30人が警察署に押しかけ、「警察に生活権をおびやかされた」と、
署長に会わせなければ野宿でもするとすわりこんだ。
大阪では子どもたちがトラックの前に寝転んで検挙隊の進行を阻止し、女性のヘアー・ピンさえも武器にしてタイヤをパンクさせたのだ。
つまり一部の活動家や男性だけではなく、性別や年齢や学歴をも超えた同胞が主体となって広範になされたのが「濁酒闘争」である。 「ヤミ」をめぐっては1946年、椎熊三郎議員は、朝鮮人・台湾人が「あたかも戦勝国民のごとき態度をなし、 (略)その特殊な立場によって警察力の及ばざる点のあるを利用し、闇取引をなし日本の闇取引の根源は正に今日この不逞なる朝鮮人などが中心となっている」と発言した。
しかし実際には、露店商で検挙されるのは同胞より日本人の方が多かった。そして1949年には、吉田茂からマッカーサー宛てに、日本にいる朝鮮人全員の強制送還さえ提案されていた。
違反をせねば生きていけなかった当時、同胞たちは生活保障もないままバッシングにあい、生きる途が切り縮められていった。 各地の同胞集住地で取締りにあったとき、多くの同胞が必死に抵抗した。
それは、たんに犯罪や違反の事件群なのではなく、 民衆たちが自らの生活と権利をかけて闘った「濁酒闘争」というべき軌跡である。
これからも1世が生き抜いてきた営為と歴史を掘り起こし、解きほぐされていない偏見や痛ましい過去を克服していきたい。 それは、3世以降の私たち自身がどのような背景をもって生まれ、どのような人生を切り開いていくべきかを探究することにもなるだろう。(2014.8.15 民団新聞)
http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=19329

神奈川税務署員殉職事件に関わる記事です。 これについては保守速報さんの所で詳しく解説されています。
日本人の感覚からすれば、貧困故犯罪や違法行為をする人でも、それを反省している人には同情はします。
しかしそれを臆面もなく自慢して、挙句に果てに民族団体が公式に「立派な母」として顕彰したとなると唖然とするしかありません。
そして尊法精神の欠如、犯罪に対する反省の欠如、良心の欠如は、一部の特殊な人間だけの問題ではなく、在日韓国人全体の基本精神であると考えるしかありません。
だって在日韓国人を代表する団体である民潭が、新聞でこの行為を「生活闘争」として顕彰して、殺人さへ恥じていない事をワザワザ自分達の新聞に掲載しているのですから。
こうして在日韓国人の民族団体が、日本で法を破る人間を公然と礼賛するのであれば、それだけで在日韓国人は十分反日本・反社会的な人々であると考えるしかありません。

張本選手はしきりに「差別された」と言うのですが、残念だけれど日本では犯罪を生業にする人間と対等に付き合う人は、自身も同様の職業犯罪者ぐらいです。
韓国ではどうか知りませんが、日本では正業に生きる普通の市民は、職業犯罪者とは関わりを持ちたがりません。 また犯罪者でないにしても、法を破る事を全く恥じないような人間とは関わりたくありません。
法は尊重すると言う日本人の道徳に反しますし、またそういう人間と関わって犯罪に巻き込まれても困るからです。
法を尊重しない人間との関わりを避ける事を「差別」と言われても困るのです。 これを差別と言われたら、暴力団規制法も差別法案と言う事になります。

さらに細かい事ですが、彼等が差別を語る場合の、論理性の欠如です。
記事によれば張本選手の母親は「言葉が喋れない。」そうです。 それではなぜ張本選手への「あまりにもひどい野次に、おふくろは卒倒しそうになったんです。」となるのでしょうか?
日本語がわからなければ、誰に対する野次かもわからないでしょうに。
また韓国人によれば、日本は「植民地政策で朝鮮人から言葉を奪った」はずです。 だったら何で張本選手の母親は日本語ができないのでしょうか?

ちなみに差別には関係ありませんが、これなんかも違和感があります。
>だから張本は子どもと一緒に寝たことがなかった。
子供用の寝室を用意できる財力がある父親ならごく普通の話じゃないですか?
彼等の話にはこの手の口から出ませがポンポン出てくるのです。
辻褄の合わない、意味不明の話を次々と積み重ねて、結局「自分はいかに苦労しかか、差別に苦しんだか、不当に扱われたか」と言い立てるのです。
勿論そういう話をする人間は日本人にもいます。 しかし日本人でそういう人って、大体敗残者なのです。 例えば生活保護費削減に反対している生活保護受給者などその典型です。
でも在日韓国人の場合は、張本選手のような成功者の中の成功者と言える人でも、また高学歴者でも平気でこのような話をするのです。
外国人でも日本で生まれ育ち、しかも日本社会で成功した程の人であれば、日本社会のルールは理解できるはずでは?と思います。
実際、同じ特別永住者でも台湾人などこんな事は言いません。 だから彼等は戦前から尊敬されていたのです。
ところが韓国人・朝鮮人は社会的地位にも学歴にも関係なく、このような言動を続けるのです。
こういうのを見ていると、これは結局在日韓国人の文化と言うよりも、遺伝ではないかとさへ思ってしまいます。

そしてワタシはこういう記事を見る度に、これを書いて掲載している人達の感覚を疑います。
「差別はイケナイ」「差別は許さない」と言うなら、こうして違法行為や犯罪を反省しない、反省しないどころか堂々と自慢するような在日韓国人を何で繰り返し繰り返し掲載するのでしょうか?
在日韓国人が嫌われたのは、正にこうした犯罪性なのです。
しかしこの記事はその犯罪性を証明しているではありませんか?
ところがこの手の記事はこの犯罪性を全く問題にせずに、唯手放しで彼等の犯罪理論に同調するのです。

人間は悪い事をしている人間を見れば腹が立ちます。 そして嫌悪を感じます。
しかしその悪い奴が反省したり、或いは叱られたり懲らしめられたりするのを見れば、それなにり納得してその人間への嫌悪は緩和されるのです。
でも悪い事をしている人間が全く反省せず、文字通り盗人猛々しい態度を取り続けるだけでなく、それを全く問題にしないばかりか、ひたすら同調するような話ばかり聞かされたら、嫌悪は倍増するではありませんか?

だからこうした記事を書いている人間は、結局我々とは根源的に倫理観が違ってて、法を破る事も犯罪も全く悪いとは思っていない、或いは日本と日本社会に対して限りない憎悪と悪意を持っているとしか思えません。
そして自分だけが悪意を持っているだけではなく、一般社会もそれに同調してくれるはずと信じているのでしょう。
日本に対する悪意こそが絶対正義と信じて疑わないのでしょう。
だからこんな余計なことまで書くのです。
>「日本で34年前に夫と死別しながら、4人の子供を立派に育て、特に韓国人としての誇りをもつようにし、また、張本選手の日本への帰化を勧めるあらゆる誘惑を退けた」がその理由である。
帰国の意思もないのに、帰化を拒否し続けるのが誇りと言う外国人に対して好意を持つ国はあるのでしょうか?