3000万人??
90年代に朝日新聞が戦後補償を騒ぎ始めた頃は、確か2000万人でしたが・・・・・。 一方中共は中国の死者だけで3500万人と言っています。
ちなみに終戦直後、蒋介石は200万強と言っていました。
それが3500万人まで増えるって、中国人の死者は死後大繁殖するのでしょうか?
勿論戦争での死者の集計が難しいのはわかります。 しかし同じ第二次世界大戦でのソ連の死者は軍民合わせて2000万人、これは終戦直後から現在まで変わっていません。
だったら何で中国とアジアの死者だけが、こんな風にドンドン増殖するのでしょうか?

しかしアジアで増殖するのは死者だけではありません。
慰安婦の数もそうです。
朝日新聞が慰安婦強制連行を捏造すると、中央大学教授の吉見 義明が直ぐに慰安婦20万人説を出しました。 しかし秦郁彦氏が2万人説を出して、吉見の20万人はヨタだとわかりました。
しかし韓国は未だに朝鮮人慰安婦だけで20万人説に執着しています。
それどころか中国は30万人説を出してくるのです。
南京大虐殺の死者も同様です。 最初30万人説が出ていて、日本でこれが否定されると、中国は70万人説などトンデモない数を挙げるようになりました。

北朝鮮も負けていません。
朝鮮人労働者の強制連行が話題になると、韓国は240万人つまり終戦時日本にいた朝鮮人を全部強制連行と言ったのですが、北朝鮮はなんと840万人が強制連行されたと言い出したのです。
840万人??
当時の朝鮮半島全土の人口は2500万人ですから、その3分の1です。 つまり成人男性全部と言う事になります。
これでは朝鮮半島に成人男性は一人もいなくなるので、北朝鮮は朝鮮学校で教えているトンデモ独立運動史を書き換えなければなりますまい。

日本人の感覚では、こんな馬鹿馬鹿しい数を出してしまうと、もう「わたしの言うことはホラでございます。 皆さん本気にしないで下さい。」と言っているようなモノです。
しかし特亜の数感覚は違うのです。
数は大きければ大きい程良いのです。
数の正確さなど最初から問題にはしていないのです。
だから慰安婦20万人説が否定されると、30万人説で対抗するのです。
強制連行労働者を韓国が240万人説を出したら、北朝鮮は「だったらオレは840万人だ。 参ったか!!」と言うわけです。

こういう荒唐無稽な数感覚は、実は特亜だけではありません。 実は世界中にありました。
近代以前の話ですが・・・・・。
例えばチンギス・ハーンの遠征で、中東の多くの都市が陥落しました。 その頃の中東の年代記には、サマルカンドでの死者は100万人、ブラハでも100万人とか凄い数が描かれているのです。
しかしこれは幾らなんでもインチキです。
そもそも13世紀に人口100人の都市など存在しなかったのです。 ブラハやサマルカンドがいかに繁栄したと言っても、100万人なんてあり得ないのです。

当時の年代記作者達は、死者100万人と書いた事で、何か利益を得るとか、或いは反モンゴルのプロパガンダをしようとしていたのでしょうか?
もう古い事ですからわかりません。
しかし近代以前の人々にとって、目算で簡単に数えれない数は、本来の数としての意味はなく、「物凄い」「大変な」などと言う言葉の代わりぐらい意味しかなかったのです。
だからサマルカンドが陥落して、「物凄く沢山」の死者が出たら、「100万人の死者が出た」と書いちゃうのです。

人間が正確な数を重んずるようになったのは、近代からです。
例えばフランス革命の少し前、ラボアジエ等当時の世界一流の科学者達が、集まってパリの人口を推定しようとしました。
しかし当時数十万いたパリの人口を、人間一人一人を数える事で算出するのは不可能でした。
だからだからパリの税関を通る物資の量など、算出可能なデータを元に、推定しようと言う努力をしました。
この頃から知的な人々にとっては全ての数が、数として正確な意味を持つようになるのです。

そしてこのような努力を積み重ねる事によって、国の総人口、GDPなどのような、単なる目算では絶対にわからないような、膨大な「数」が正確に算出できるようになったのです。
しかし中国も韓国も北朝鮮も、こうした近代的な数感覚は持っていません。
だから戦争被害など、自分の主張を声高に言う場合は、声の大きさに合わせて数も増やしてしまいます。
彼等は相変わらず、白髪三千丈の世界にいるのです。

秋浦歌
白髮三千丈
縁愁似箇長
不知明鏡裏
何處得秋霜
秋浦の歌
白髪三千丈、
愁いに縁りて箇くのごとく長し。
知らず明鏡の裏(うち)、
何れの處にか秋霜を得たる。

白髪三千丈は、李白の詩の一節から来ています。
しかし幾らなんでも李白の白髪が三千丈、1丈=3.333mですから、3000丈10㎞もあったわけではないし、李白がホラ吹き男爵みたいなホラ吹きだったわけでもないのです。
この時代「三千」と言うのは只漠然と大きな数と言う程度の意味で、白髪の長さよりも李白の憂いの深さを表す言葉でしかないのです。

李白は8世紀の人です。 この時代なら、ヨーロッパでも日本でも数感覚は似たようなモノです。
日本や欧米との違いは、現在の日本や欧米はもうこんな数感覚は捨てたけれど、中国も韓国も北朝鮮も李白の時代そのままの数感覚で生きている事です。
そして中国や韓国や北朝鮮の言う戦争被害者の数や、慰安婦の数を信じる日本のサヨクも同様なのです。 また欧米のサヨクも同様です。

例えば先日「日本の歴史家を支持する声明(全文)」を出したアメリカの187人のレイシストなどのその典型です。
彼等は日本に対して慰安婦の問題について「でき得る限り偏見なき清算」を迫るのですが、しかし清算を迫るならちゃんとした勘定書きを持ってくるべきではありませんか?
慰安婦の数の確定さへできずに、自分達が「最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも」なんてお粗末なことを言っているのに、どうやって清算すれば良いのでしょうか?
つまり彼等は数の意味も、また「清算」にとっての数の重要性も理解できないのです。

ちなみにアウシュビッツの犠牲者についての個人賠償は、
アウシュビッツに収容された日数 × ドイツの18歳の未熟練労働者の日給
と言う計算で支払われました。 収容者の名前と収容日数が特定できるから、こうした賠償が可能なのです。
それはこの賠償が、終戦直後資料や証人が確実に残っている段階から始まったからでもあります。
これが近代国家の数感覚でしょう?

被害者の数もわからない、証拠もないのに「清算しろ」と言うのは、近代人の発想ではないのです。
アメリカ人でも古代や中世の知性しか持てない人間が沢山いるのです。
しかもそれが大学教授だったりする!!
でもアメリカ人は数学苦手だし、それに今でも進化論や地動説に反対している人間が沢山いる国だから、これも仕方ありません。

まして国家そのものが近代国家とは程遠いのが特亜です。
だから彼等は気楽に3000万人とか3500万人とか、トンデモな数字を挙げます。
そしてその数字がコロコロ変わっても全然気にしません。
人口2500万人の朝鮮半島から、840万人が・・・・いや240万人が短期間に奴隷狩りのように狩らたらどんな騒ぎになるか?
人口2500万人の朝鮮半島から若い女性ばかり20万人が拉致されたのに、彼女等の両親40万と、兄弟姉妹、祖父母その他親戚一同数百万はなぜ戦後何十年も沈黙していたのか?
彼等の頭のでは数字と現実は結びつかないのです。
彼等にとって数字は「凄い」「大変な」などの装飾語としての意味しかないのだから、そういう話に突っ込む事自体が理解不能なのです。

こういう数感覚の人間が、GDPなど経済統計を取っているのが中国です。 こんな数感覚なら経済統計の数字が、幾ら現実と遊離していても、違和感も罪悪感も持つわけはありません。
彼等は、つまり中国や韓国や北朝鮮や日本のサヨクは、皆古代或いは中世に生きる人々なのです。
古代や中世の人々は、数感覚がお粗末だったので、数理的にまた論理的にものを考えるのは、非常に苦手でした。
代わりにまた感覚的・感情的・情緒的にものを考えました。
そして権威を盲信しました。
論理や数理を理解できず、感情や情緒だけに振り回される人間と、話し合うのは大変です。
彼等の情緒や感情に共感しないかぎり、納得する事はないからです。

現在ワタシ達は21世紀に生きています。 しかし残念ながら、現実の時空が21世紀でも、精神の時空は8世紀とか13世紀に生きている人達が、この世に沢山いるのです。
21世紀人として生きたければ、相応の覚悟をして彼等から自分の知性を守るしかありません。