2015-01-24 15:15

イスラム世界雑感

 ワタシは以前ペシャワール会の会員でした。 ペシャワール会はパキスタンのトライバルエリアからアフガニスタンの隣接エリアを中心に医療奉仕活動をする団体です。

 それでその会報には、その地域の事情がいろいろ書かれていました。

 その中でイスラム教について大変興味深いエピソードが二つありました。

 
 ある日、ペシャワールにある会の病院で、一人の患者が死にました。
 すると病院のスタッフ達が医院長(ペシャワール会会長)に「あの患者は本当に貧しいので、家族は葬式代も出せないだろう。 何とか病院の費用で葬式ができるようにしてやって欲しい。」と、要求しました。
 
 ペシャワール会の病院では、富裕な患者は有料ですが、貧しい患者は無料で医療を施しています。 しかし幾らなんでも葬式代まで出せません。
 医院長はこの要求を拒否しました。

 すると病院スタッフ達は自分達で募金をして、この患者の葬式代を賄ってやりました。 
 こうした貧しい人々を助ける為にお金を出す事はイスラム教ではザカート(喜捨)と言い、信者に課せられた義務です。 
 
 ところがその一人一人のザカートの金額が、彼等の給与からすると随分な額なので、医院長は驚いたそうです。

 この地域の人達は貧しさゆえもありますが、お金には結構汚くて、給与の支払い等についてもいつも揉めるのです。 その度に医院長が強権的に対応して従わせる事で、何とかこれを解決しています。 その強権専横振りは、日本でやったら大問題になるレベルですが、これができないと現地での病院運営なんか不可能な世界のようです。

 ところがそういうお金への執着が大変強い人達が、このような場合は何の強制性もなくとも、多額募金に応じると言う事で、医院長はイスラム教におけるザカートの意味を考えさせられたと言います。


 パキスタンのトライバルエリアもアフガニスタンも多民族社会です。 人種も言語も違う幾つもの民族が、山襞の間にそれぞれの集落を作って暮らし、その間を遊牧民族が通り過ぎるような世界です。

 この民族間でトラブルが起きた時は、武力闘争になる場合も珍しくありません。
 
 こういうトラブルを解決するときは、部族の族長同志が集まって話し合いをして、最後に和解した場合は、その和解に関する契約の履行をコーランに対して誓います。
 この誓約を破る事は、イスラム教徒としては絶対に許されないので、一旦成立した誓約は殆どきちんと守られるようです。

 この地域の幾多の民族に共通する唯一の価値が、イスラム教なのです。 民族間のトラブルがあった時は、イスラム教の教義に基づいて善悪成否を判断するしかないのです。

 
 アフガニスタンはもうこの数十年来戦争状態です。
 パキスタンの辺境も法の支配や、まして社会福祉など到底期待できる地域ではありません。

 塩野七生さんは「ローマ人の物語」で、ローマ人の功績として法の支配と言う概念を確立したことを挙げていました。
 その中で塩野さんは、「人間社会を犯罪や暴力から守る為には、哲学と宗教と法律のいずれかによるしかない。 しかし哲学はそれを理解する知性のない人間には無力である。 宗教はそれを信仰しない人間には意味がない。 けれども法は全ての人間に有効である。」と書いていました。

 ワタシもそれは全くその通りだと思います。
 しかし法は公正な司法が保障されないと、何の意味もないのです。
 
 アフガニスタンやパキスタン辺境では、到底公正な司法など期待できません。 このような社会では人倫の保障は宗教に頼るしかないではありませんか?

 アフガニスタンやトライバルエリア程ではないにせよ、現在のイスラム諸国は残念ながら公正な司法が十分に機能していない国が多いです。 そして貧困に苦しむ国も多く社会福祉どころではありません。

 こうした国で生まれ育った人々にとっての宗教の意味は、西欧先進国や日本人にとっては想像もつかない程重要なのでしょう。

 だからこうした国々の人々が、社会で何か問題が起きれば、まず信仰によっての解決を目指すのは当然でしょう。
 
 そしてこうした国から西欧社会に移民した人々が、いきなり「法の支配」に適応できないのも当然ではないかと思います。
 それまで生まれ育った社会とのギャップが大きすぎるので、幾ら説明されても「法の支配」なんかには納得できないと思います。

 「イスラム教の上に法を置く」と言うのは、彼等にとっては「人倫の基本を捨てよ」と言うのと同じでしょう。


 そもそも人間の適応力には限界があるのです。
 だから同じヨーロッパ内とか、同程度の先進国からならともかく、あまりにも違った社会から来た人が、そこに適応すると言うのは、大変苦しく辛い事ではないでしょうか?

 そして「法の支配」が理解できず、更にそれ以外でも社会への適応に苦労した人達が、益々イスラム教にすがり急進化するのは当然の成り行きかも知れません。

 けれどもそれを安易に多文化共存とか人種差別反対とか言う形で誤魔化して、適応できない人を適応するように努力させる代わりに、適応できない事を認めてそのまま放置する事は、益々事態を悪くするだけでしょう。
 
 だって本当の意味で移民先の社会ルールを理解できない人達、社会に適応できない人達が、その社会で成功できるわけはないからです。 

 現在ヨーロッパで起きているイスラム移民の問題は、こうした欺瞞と偽善の結末でしょう。


 それでも勿論、全てのイスラム教徒が、移民先に適応できないわけでも、その適応の努力を放棄しているわけでもありません。

 今回のISISの日本人人質事件に関して、東京や富山のイスラム教徒達は、ISISに抗議をして人質解放を訴え、また人質解放の為に祈りました。

 日本のイスラム教徒には、イスラム教に入信した日本人も、またイスラム圏から来た外国人もいます。

 富山のモスクのお祈りのニュースでは、明らかにパキスタンかパングラディッシュから来たと思われる容姿人が、たどたどしい日本語でISISへの抗議と人質解放への期待を話ていました。

 こういうのを見るとチョッと感動します。
 そして少なくとも彼等の方が、在日コリアンなどよりも遥かにちゃんと日本社会に溶け込む意思と能力があるのではないかと思います。

 だって在日コリアンが北朝鮮の日本人拉致を明確に非難するのを見たことがありませんから。 それどころか李信恵さんのように「拉致被害者全員奪還とは名ばかりのヘイトスピーチ活動だと思ってますが、大丈夫ですか。」などと言う人がいる程です。

 だからイスラム教徒やイスラム圏の人々には、冷静に現状を見ながら対応し続けるしかないと思います。
  1. 指定なし
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コメント

なるほどですね~


>ワタシは以前ペシャワール会の会員でした。 ペシャワール会はパキスタンのトライバルエリアからアフガニスタンの隣接エリアを中心に医療奉仕活動をする団体です。

以前も上記ご案内と思いましたが...。この度の事件で改めて❝ㇳライバルエリア❞を検索してみました。
へ~。一般直訳では確かに部族地域。でも例のゴールデン・クレセントで有名なパキスタンの辺境地域を指す固有名詞でもあるのですね...。知りませんでしたぁ~。黄金の三角地帯ったら、世界一位の芥子栽培地域ですよね。仰る通り公正な司法など期待できません。なるほどですね~...。

それにしても、左巻きメディア。同じ境遇の湯川遥菜さんに関しては、無視に近いほど取り上げませんね~。複雑なんですね??(棒)
  1. 2015-01-24 22:15
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  3. ひげオヤジ #-
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「差別」とは何か?

 人権派というのは「差別」を絶対悪にして、差別に対する糾弾を行っていますが、問題なのは「差別」を画する基準が非常に曖昧で恣意的なものであるということです。曖昧で恣意的な基準で糾弾対象の市民を確定できるのでは、それこそ中世魔女狩りと何が異なるのか分からないです。
 そもそも、自由主義社会において認められるのは法の下の平等でしかありえません。そこで認められるのは、恣意的で不合理な基準で人を別異の取り扱いをしないというだけのことです。ところで、結果平等のために国家権力が個人の自由に介入できるとなるとどうなるか。「結果」といっても何をさすのかが不明瞭です。収入のことか、それとも名声・権力・身長・体重? 思想信条や宗教だってひとつの結果に違いないでしょう。それらから国家権力が平等にしなければならないカテゴリーを選別しなければなりませんが、それ自体が為政者の暴走の原因になります。

 というか、人権ファシストって実際にカテゴリーを恣意的に選別していますよね。いわゆる「弱者」というのがそれにあたるわけですが、人権ファシストは誰を「弱者」とするか恣意的に、具体的には自分たちの利害に沿って決めています。
 例えば、在日朝鮮人は「弱者」にあたるから、それに対する不利益はすべて差別にしますが、隣の中華ファシストのチベット人・ウイグル人への極悪非道には無視を決め込みますしその主張は封じようとします。
 女性や若者といった経済的に劣位になりがちなカテゴリーに属する人であっても、自分たちの主張に賛同しなければ排撃の対象になります。フェミナチ女で某東大教授の弟子のラッキー某は、安倍内閣の女性閣僚に対して「妖怪」だの「おじさん」だのと平気でのたまったことがありますね。

 人権ファシストにとって、自分達の利益にならない人間の利益には価値はないし権利を認めるつもりはさらさらないのです。そういう発想が恐怖の独裁体制を生み出すのです。
  1. 2015-01-24 23:06
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  3. 凍え馬 #-
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砂漠で生まれた宗教

 イスラム教とは、砂漠地帯の過酷な環境で生き抜くための知恵なのかも知れませんね。日本でも山間部の豪雪地帯では、乏しい食料しかない中で間引きや長男以外は結婚をさせなかったり残酷なことがありました。それでも屋根の吹き替えや田植えなどでは、村人総出でやるなど互いに支え合ったのは知恵ですよね。
 欧州のイスラムの移民が、「法の支配」と「イスラムの戒律」の間でもがき乍ら適応しようとして、互いにその溝は埋められなかったということでしょうか?どうしてそんな無理なことをしようとしたのか?「地獄への道は、善意で舗装されている。」という真実に、なぜ気が付かないのでしょうか?肩が凝らないやり方を探せばいいのに、と日本人は考えます。
 しかし、よもぎねこさん「ローマ人の物語」を読まれたのとは凄いです。私は、高校の図書室で読もうとして数ページで挫折しました。難しくて、難しくて。悔しいので塩野さんのエッセイを少し読みましたが、硬派で男前だと思いました。
  1. 2015-01-24 23:11
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  3. 都民です。 #-
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豚 肉 禁 止
http://www.ahmadiyya-islam.org/jp/otoyawasesaki/goaisatsu/musli/por/
キリスト教徒はなぜ豚肉を食べても良いのか?
http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20090503/1241324121
日本「なんでキリスト教徒は、豚肉を食べても良いの?」【海外反応】
http://www.gekiyaku.com/archives/43016880.html

ユダヤ教の流れをくむキリスト教は本来は豚肉を食べるのは禁じられていたが、ヨーロッパ白人の古代からの食習慣である豚肉を食するということを強大な権限を持ったキリスト教でも変えることが出来なかったという事でしょう。

中国武術の専門誌であった福昌堂の「武術」に回族(中国でイスラム教を信仰する民族、イスラム教に改宗した漢族も含む)の武術家がパーティーで乾杯なんてやっている記事を見て「おいおい、イスラム教徒は飲酒禁止じゃなかったのかよ。」と思いました。

宗教の規定といっても結構ご都合主義で変えられているものです。
  1. 2015-01-25 04:51
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  3. taigen #-
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Re: なるほどですね~

> >ワタシは以前ペシャワール会の会員でした。 ペシャワール会はパキスタンのトライバルエリアからアフガニスタンの隣接エリアを中心に医療奉仕活動をする団体です。
>
> 以前も上記ご案内と思いましたが...。この度の事件で改めて❝ㇳライバルエリア❞を検索してみました。
> へ~。一般直訳では確かに部族地域。でも例のゴールデン・クレセントで有名なパキスタンの辺境地域を指す固有名詞でもあるのですね...。知りませんでしたぁ~。黄金の三角地帯ったら、世界一位の芥子栽培地域ですよね。仰る通り公正な司法など期待できません。なるほどですね~...。

 本当は司法以前に、パキスタン政府の行政が全く及ばない地域なのです。 だから福祉も教育もない代わり、徴税も行われていません。 
 そもそも役所とか官庁にあたるものも無いようです。
 乾燥寒冷の山岳地帯で、外部から入る人も殆どいません。

 こんなところで司法が機能するわけもないのです。

 ちなみに消しは昔から栽培されていたそうです。 こんなところですから医療など殆どありません。 そういう所で芥子は唯一の薬として鎮痛その他に使われていました。

 でも実際に痛みのある人が鎮痛剤としてアヘンを使う場合は、殆どアヘン中毒にはならないそうです。
 
> それにしても、左巻きメディア。同じ境遇の湯川遥菜さんに関しては、無視に近いほど取り上げませんね~。複雑なんですね??(棒)

 酷いですね。 連中の恣意的人権感覚剥き出しですね。
  1. 2015-01-25 12:31
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  3. よもぎねこ #-
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Re: 「差別」とは何か?

>  人権派というのは「差別」を絶対悪にして、差別に対する糾弾を行っていますが、問題なのは「差別」を画する基準が非常に曖昧で恣意的なものであるということです。曖昧で恣意的な基準で糾弾対象の市民を確定できるのでは、それこそ中世魔女狩りと何が異なるのか分からないです。

 そうなのです。 ワタシもこれ凄く疑問でした。
 それで「差別の定義」を何度も、法務省や人権擁護局などに電話で聞いたのですが、全然マトモに答えないのです。

 そういう状態で差別禁止だけを騒ぎ続けたら、特定の団体の恣意的な糾弾による魔女狩りに行きつくしかないのです。

>  そもそも、自由主義社会において認められるのは法の下の平等でしかありえません。そこで認められるのは、恣意的で不合理な基準で人を別異の取り扱いをしないというだけのことです。ところで、結果平等のために国家権力が個人の自由に介入できるとなるとどうなるか。「結果」といっても何をさすのかが不明瞭です。収入のことか、それとも名声・権力・身長・体重? 思想信条や宗教だってひとつの結果に違いないでしょう。それらから国家権力が平等にしなければならないカテゴリーを選別しなければなりませんが、それ自体が為政者の暴走の原因になります。

 そうです。

 差別禁止が騒がれるようになったのは、70年代アメリカの黒人の公民権運動が発端だと思います。
 確かに人種を理由に公民権を制限すると言うのは、明らかに法の下の平等に反します。

 だからこの公民権運動は正当なモノでした。
 
 ところがこの後「差別絶対悪」が定着して、それを「法」や公的機関だけでなく、個人のプライベートライフにまで強制すると言う状態になっているのです。

 これはオカシイでしょう。

>  というか、人権ファシストって実際にカテゴリーを恣意的に選別していますよね。いわゆる「弱者」というのがそれにあたるわけですが、人権ファシストは誰を「弱者」とするか恣意的に、具体的には自分たちの利害に沿って決めています。
>  例えば、在日朝鮮人は「弱者」にあたるから、それに対する不利益はすべて差別にしますが、隣の中華ファシストのチベット人・ウイグル人への極悪非道には無視を決め込みますしその主張は封じようとします。
>  女性や若者といった経済的に劣位になりがちなカテゴリーに属する人であっても、自分たちの主張に賛同しなければ排撃の対象になります。フェミナチ女で某東大教授の弟子のラッキー某は、安倍内閣の女性閣僚に対して「妖怪」だの「おじさん」だのと平気でのたまったことがありますね。
>
>  人権ファシストにとって、自分達の利益にならない人間の利益には価値はないし権利を認めるつもりはさらさらないのです。そういう発想が恐怖の独裁体制を生み出すのです。

 そうなのです。
 「差別絶対悪」を喚く人達は、自分達で恣意的に特定の集団だけを「差別される側」に認定して、その「差別される側」の権利を振り回して、自分達の利権を拡張しようとしているのです。

 そして一旦差別される側に認定された集団への批判を「差別」「レイシズム」と喚いて一切封殺しようとするのです。

 例えばアイヌ利権を告発した札幌市議会議員金子やすゆき氏への誹謗中傷などがその典型です。

 こういう状況は「人権ファシズム」とかしか言えません。
  1. 2015-01-25 12:53
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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Re: 砂漠で生まれた宗教

>  イスラム教とは、砂漠地帯の過酷な環境で生き抜くための知恵なのかも知れませんね。日本でも山間部の豪雪地帯では、乏しい食料しかない中で間引きや長男以外は結婚をさせなかったり残酷なことがありました。それでも屋根の吹き替えや田植えなどでは、村人総出でやるなど互いに支え合ったのは知恵ですよね。

 イスラム教は元来都市の商人の宗教でした。
 だからイスラム歴は一年350日で、ドンドン季節がずれていくとか、ラマダンとか、農業など自然を相手にするには大変都合の悪い、非常に人工的な戒律が沢山あるのです。

 でもそれが都市を離れてアフガニスタンの山奥まで広がった事で、元来の教理からも外れた習慣が、「イスラム」の教えとして守られています。

 その意味ではイスラム教徒同志でも、教理の解釈の違いは大きくて、これも問題になっているんですよね。

>  欧州のイスラムの移民が、「法の支配」と「イスラムの戒律」の間でもがき乍ら適応しようとして、互いにその溝は埋められなかったということでしょうか?どうしてそんな無理なことをしようとしたのか?「地獄への道は、善意で舗装されている。」という真実に、なぜ気が付かないのでしょうか?肩が凝らないやり方を探せばいいのに、と日本人は考えます。

 これは日本の自称リベラリスト達の在日コリアンへの対応と同じでしょう。 本来人種差別をしない平等な扱いと言うなら、コリアンでもイスラム教徒でも日本人でも、違法行為は違法行為としてちゃんと取り締まるべきなのです。

 でも自称リベラリスト達は違います。 彼等は勝手に特定の集団を「弱者」に認定して、弱者への法の執行を邪魔するのです。 
 そしてお涙頂戴カワイソウキャンペーンをやって、政治圧力を掛けるのです。

 典型がノリコ・カルデロン騒動です。 悪質な違法行為をしている夫婦を、子供を盾にその違法行為を正当化させるような事をするのです。
 
 ワタシは彼等がこういう事をするのは、彼等は実は善意なんかなくて、彼等の反国家主義の為だと思っています。
 でもこのカワイソウキャンペーンに乗せられるお馬鹿さんの善意が、地獄の道を舗装するのです。

>  しかし、よもぎねこさん「ローマ人の物語」を読まれたのとは凄いです。私は、高校の図書室で読もうとして数ページで挫折しました。難しくて、難しくて。悔しいので塩野さんのエッセイを少し読みましたが、硬派で男前だと思いました。

 ワタシは高校生時代、塩野さんのデビュー当時からのファンです。 塩野さんのデビュー当時の本「チェーザレ・ボルジア 優雅なる冷酷」などとても面白いですよ。
  1. 2015-01-25 13:14
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  3. よもぎねこ #-
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Re: タイトルなし

> 豚 肉 禁 止
> http://www.ahmadiyya-islam.org/jp/otoyawasesaki/goaisatsu/musli/por/
> キリスト教徒はなぜ豚肉を食べても良いのか?
> http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20090503/1241324121
> 日本「なんでキリスト教徒は、豚肉を食べても良いの?」【海外反応】
> http://www.gekiyaku.com/archives/43016880.html
>
> ユダヤ教の流れをくむキリスト教は本来は豚肉を食べるのは禁じられていたが、ヨーロッパ白人の古代からの食習慣である豚肉を食するということを強大な権限を持ったキリスト教でも変えることが出来なかったという事でしょう。
>
> 中国武術の専門誌であった福昌堂の「武術」に回族(中国でイスラム教を信仰する民族、イスラム教に改宗した漢族も含む)の武術家がパーティーで乾杯なんてやっている記事を見て「おいおい、イスラム教徒は飲酒禁止じゃなかったのかよ。」と思いました。
>
> 宗教の規定といっても結構ご都合主義で変えられているものです。

 ワタシもイスラム教徒と飲んだ事があります。 その人はマレーシア出身の方でしたが「イスラム教徒はお酒はダメじゃないの?」と聞くと「私は悪いイスラム教徒」と言っていました。 でも豚肉は食べませんでした。

 人によって地域によって信仰のレベルも随分違うのでしょうね。 そして基本的にはこういう事はご都合主義で決まるんでしょう。

 日本人だって公式には仏教徒ですから、肉食は禁止ですが、今は法事でも肉も刺身も出ますからね。
  1. 2015-01-25 13:18
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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あああ

  1. 2015-01-25 14:19
  2. URL
  3. Cherry Blossoms #-
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再投稿 何か引っかかりました

≪「湯川遥菜さんに関しては、無視に近いほど取り上げませんね≫

 朝鮮日報の記事をお読みください。
 
きっと隠しておきたいことがあるのでしょう。

なぜか、投稿できません
  1. 2015-01-25 14:27
  2. URL
  3. Cherry Blossoms #-
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Re: 再投稿 何か引っかかりました

> ≪「湯川遥菜さんに関しては、無視に近いほど取り上げませんね≫
>
>  朝鮮日報の記事をお読みください。
>  
> きっと隠しておきたいことがあるのでしょう。
>
> なぜか、投稿できません

 済みません。 時々こういうトラブルが起きます。 ワタシが自分で書いたコメントへの返事も迷惑コメントになって投稿できない時があります。

 「不適当な表現があります」とか言う表示が出た時には、そのままにして「投稿できなかった」とコメントしてください。

 迷惑コメントに入っている場合があります。 その場合はこちらでコメント欄に戻せますから。

 なるほど湯川さんはミリタリーショップの経営をしていたそうですから、ミリオタだったのでしょうね。
 それにしてもマスゴミの対応が清々しまでにあからさまな差がありますね。
  1. 2015-01-25 21:46
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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ムスリムにとっての信仰と法

これはおそらく一般近代人とは全く違った感覚があるのではないでしょうか。
近代人にとって法とは人間の行為の外形的な規制をするものであり内面を担当する宗教とは間違いなく一線を画します。

ところがムスリムにとっては信仰が法を規定してるというもののようです。イスラム聖職者なんて言いますがやってることは、弁護士プラスよろず物事相談所じゃねえかと思うことがあります。近代社会において一番類似する職業はおそらく弁護士でしょう。

これはある意味当然で信仰がすなわち生活という世界では信仰上の法すなわちイスラム法が人の行為を内面外面ともに規定してしまうから、何かわからぬことがあれば専門家に相談するしか無いということになるわけです。

しかもその法とは千年以上前に最後の預言者が残してくれたものです。今の人間じゃどうしていかわからぬのが当たり前でしょう。だから彼らの世界では当然のことなんでしょう。砂漠だとかなんだかわからぬ環境で商売や取引だかをしてる世界でお互いが同じ信仰を持ち同じような法体系に従って生きてるというのはおそろしく安心ができたのじゃあないでしょうか。

少なくとも法体系を同一にしてそれを縛ればよかったローマとは違っています。世の中がそれだけ面倒になったのでしょう。しかし、西欧近代社会は信仰を完全に内面にのみ押し込めました。信仰上の争い事で人が死にすぎたからでしょう。その上で改めて法の支配となるわけです。

おそらく西欧人にとってムスリムの最もわからぬのはこの信仰の支配です。宗教というものは間違いなく進化します。今の多くのムスリムにとってテロは唾棄すべき行為でありイスラムの教えに反すると言うんはおそらく正しいのでしょう。

でも法解釈は結局嘘を合理化する方法に過ぎません。ISISにしてもアルカイダにしても何かの理由であのようなことを始めたはずです。それが信仰上の問題であり基地外聖職者が彼らの行為を是としたことがあったに違いないのです。

程度の激しい基地外がのさばれば程度の低いのは忘れられますがイランあたりだってこの内容は殆ど変わらないんじゃないでしょうか。そもそも信仰上の問題を聖職者の解釈に掛けた瞬間に教義の分裂が始まります。それを何とか乗り越えた社会が近代でしょう。

だからムスリムが西欧で信仰の自由を主張してはいけないのです。彼等はそう言って法の支配に従わないのです。このあたりのことがどうも皆分かっていないのではないのかということです。

だから頭の良いムスリムはその辺りを柔軟に無視するのです。本来は食い物はハラルでなければいけないのですがそれがない場合はどうするか、聞いてみたことがあります。アラーは慈悲深いお方であるからその場合は許されるらしい。酒はどうなんだといえば間違いはだれにでもあるらしい…ある人がイスラム教は特定の地域での属地的な宗教だ、と言ってましたが分かるような気がします。

そういう世界の馬鹿な住人との付き合いをどうするか、これはおそらくニダーさんやアルさんも同じでしょうが内面上のことは自分の世界だけでやってくれ、少なくとも外には見せないでくれ、外面上の行為についてはその社会の規範に従え、それが嫌ならその社会では旅行者以上の存在にはなるな
。としか言えない気がします。

だから嫌なら帰れ、としか言いようが無いのです。
これをヘイトといえばヘイトでしょう。でもこれは社会の成り立ちが違うのです。この場合余程の合理性がないならば多数派に慕うのが当然でしょう。

この理屈がわからぬ。もしくは分かっているが無視する、経済上の利益は信仰上のそれよりも強いのだ、小生はそれを疑いません。だからこのことはもっと早めに歯止めをかけておかねばいけなかったのです。
  1. 2015-01-26 01:23
  2. URL
  3. kazk #cPv2SIBE
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イスラム国を国として解釈している人がいるが、彼らは単にテロ集団もしくはカルト集団としてみた方が理解できるのではないか?
小沢一郎も後方支援と人道支援を勘違い(または分かっていて安倍政権を貶めるため)でバカなことを言っているようだ。
  1. 2015-01-26 12:33
  2. URL
  3. 臨床検査技師 #-
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Re: タイトルなし

> イスラム国を国として解釈している人がいるが、彼らは単にテロ集団もしくはカルト集団としてみた方が理解できるのではないか?
> 小沢一郎も後方支援と人道支援を勘違い(または分かっていて安倍政権を貶めるため)でバカなことを言っているようだ。

 その通りです。 イスラム「国」を名乗っていますが、国の実態はありません。
 小沢一郎はもうオシマイですね。 自分の政治生命に執着するあまり、その政治生命をドンドン失っていきます。
  1. 2015-01-26 13:40
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
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Re: ムスリムにとっての信仰と法

> これはおそらく一般近代人とは全く違った感覚があるのではないでしょうか。
> 近代人にとって法とは人間の行為の外形的な規制をするものであり内面を担当する宗教とは間違いなく一線を画します。
>
> ところがムスリムにとっては信仰が法を規定してるというもののようです。イスラム聖職者なんて言いますがやってることは、弁護士プラスよろず物事相談所じゃねえかと思うことがあります。近代社会において一番類似する職業はおそらく弁護士でしょう。

 仰る通りでしょうね。
 
 現在イスラエルでは、民事は宗教裁判所が担当するそうです。
 ユダヤ教徒は勿論、イスラム教徒やキリスト教徒も、離婚その他の民事は、それぞれの宗教の戒律に従って処理するしかないので、各宗教ごとの宗教裁判所が担当するのだそうです。

 そしてそれが一番徹底しているのは、おそらくイスラム教で、仰るようにイスラムの聖職者と言うのは、イスラム教の規定でも、唯一般人よりはイスラム教の教理や戒律に詳しい人なので、それを皆に教えると言う立場です。

 だから神の代理人であるローマ法王や全ての信者の父であると言う神父などとは全然違うのです。

> これはある意味当然で信仰がすなわち生活という世界では信仰上の法すなわちイスラム法が人の行為を内面外面ともに規定してしまうから、何かわからぬことがあれば専門家に相談するしか無いということになるわけです。
>
> しかもその法とは千年以上前に最後の預言者が残してくれたものです。今の人間じゃどうしていかわからぬのが当たり前でしょう。だから彼らの世界では当然のことなんでしょう。砂漠だとかなんだかわからぬ環境で商売や取引だかをしてる世界でお互いが同じ信仰を持ち同じような法体系に従って生きてるというのはおそろしく安心ができたのじゃあないでしょうか。
>
> 少なくとも法体系を同一にしてそれを縛ればよかったローマとは違っています。世の中がそれだけ面倒になったのでしょう。しかし、西欧近代社会は信仰を完全に内面にのみ押し込めました。信仰上の争い事で人が死にすぎたからでしょう。その上で改めて法の支配となるわけです。
>
> おそらく西欧人にとってムスリムの最もわからぬのはこの信仰の支配です。宗教というものは間違いなく進化します。今の多くのムスリムにとってテロは唾棄すべき行為でありイスラムの教えに反すると言うんはおそらく正しいのでしょう。
>
> でも法解釈は結局嘘を合理化する方法に過ぎません。ISISにしてもアルカイダにしても何かの理由であのようなことを始めたはずです。それが信仰上の問題であり基地外聖職者が彼らの行為を是としたことがあったに違いないのです。
>
> 程度の激しい基地外がのさばれば程度の低いのは忘れられますがイランあたりだってこの内容は殆ど変わらないんじゃないでしょうか。そもそも信仰上の問題を聖職者の解釈に掛けた瞬間に教義の分裂が始まります。それを何とか乗り越えた社会が近代でしょう。
>
> だからムスリムが西欧で信仰の自由を主張してはいけないのです。彼等はそう言って法の支配に従わないのです。このあたりのことがどうも皆分かっていないのではないのかということです。
>
> だから頭の良いムスリムはその辺りを柔軟に無視するのです。本来は食い物はハラルでなければいけないのですがそれがない場合はどうするか、聞いてみたことがあります。アラーは慈悲深いお方であるからその場合は許されるらしい。酒はどうなんだといえば間違いはだれにでもあるらしい…ある人がイスラム教は特定の地域での属地的な宗教だ、と言ってましたが分かるような気がします。

 そうですね、ローマ法は人が作った法に人が従うので、常に修正可能なのですが、イスラム法は神から与えられたモノなので修正不可能です。

 だから現実の生活では、常にその解釈が問題になります。

 実はキリスト教でも中世やルネサンス頃までは、神の支配を理想とする人達が、それを実現しようとして武力を行使したことが何度もありました。
 
 でも神の支配は全部失敗しました。

 当然です。 神の支配と言っても、それは自分の意思が神の意思と勝手に思い込んでいる聖職者の支配でしかないからです。

 この辺りが共産党政権なんかと同じなんですよね。 失敗するわけです。
 当然イスラム原理主義政権も失敗するでしょう。

 しかし司法の機能しない社会では、それでも人倫の確保をイスラム教に頼るしかないのです。 ここが先進国との致命的な文化ギャップでしょう。

> そういう世界の馬鹿な住人との付き合いをどうするか、これはおそらくニダーさんやアルさんも同じでしょうが内面上のことは自分の世界だけでやってくれ、少なくとも外には見せないでくれ、外面上の行為についてはその社会の規範に従え、それが嫌ならその社会では旅行者以上の存在にはなるな
> 。としか言えない気がします。

 仰る通りです。 しかし一番困るのはニダーさんもそうですが、イスラム教徒も自分の内面上の世界と、現実の世界を区別できない事です。

 ニダーさん達は自分の正義を法の上に置くし、イスラム教徒は信仰を法の上に置くのです。
 そして自分の正義や信仰に社会が従うべきと信じています。

 こういう人達を抱え込んでは、どうしようもないのです。
 多文化共存とか言いますが、実は彼等こそは他の文化と全然共存する意思がないのです。

> だから嫌なら帰れ、としか言いようが無いのです。
> これをヘイトといえばヘイトでしょう。でもこれは社会の成り立ちが違うのです。この場合余程の合理性がないならば多数派に慕うのが当然でしょう。
>
> この理屈がわからぬ。もしくは分かっているが無視する、経済上の利益は信仰上のそれよりも強いのだ、小生はそれを疑いません。だからこのことはもっと早めに歯止めをかけておかねばいけなかったのです。

 そうです。
 自分達の正義や信仰を日本の法や秩序の上に置くなら、日本人との共存はできません。

 だから帰って貰うしかないのです。
 
 そこをシッカリ理解して貰うようにするしかありません。

 しかし賢い人なら内心はともかく日本では日本の法や秩序に従わない人間は成功できない、逆に法や秩序に従っていれば、それ以外の自由は確保できるし、また成功もできる事を理解します。

 そういう人達なら居て貰っても構わないのです。 戦前の日本では台湾人は尊敬されていました。 当時日本に来た台湾人なんて中身は完全にアル君です。

 でも彼等はリアリストなので、現実の生活の為の日本の秩序に従って成功したのです。
 
  1. 2015-01-26 14:06
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