2014-07-25 12:12

巣鴨プリズンは自由で高待遇?

金口木舌>戦犯にされた朝鮮人青年
2014年7月25日  琉球新報 

 伊江島で非暴力の土地闘争を貫いた阿波根昌鴻さんの写真集「人間の住んでいる島」に、伊江島住民への救援物資を写した1枚がある
贈り主は巣鴨刑務所のBC級戦犯たち。米軍の圧政に苦しむ沖縄の人に「同情と義憤」を禁じ得ず、獄中でカンパを募って鉛筆やせっけんなどを贈った。その中には、軍人でもないのに戦犯にされた朝鮮人青年たちがいた

▼李鶴来(イハンネ)さん(89)もその一人。17歳で日本軍に徴用され、タイで連合国捕虜の監視員を務めた。捕虜らは「死の鉄道」と言われた泰緬鉄道の建設を強いられ、飢えなどで4人に1人が命を落とした。現場の最前線にいた李さんは捕虜虐待で訴追され、一時は死刑判決を受けた
▼BC級戦犯とは「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」に問われた戦犯のこと。朝鮮人は148人(死刑23人)、台湾人は173人(同21人)いた。大半が捕虜監視員だった
▼「日本人」として戦争に加担させられた末端の青年たちが戦争責任までも負わされた。服役後は「外国人」扱いで国家補償から排除された。度重なる国会への請願もかなわないまま。不条理を押し付けられた人生だ
▼あす李さんが沖縄大学で講演する。戦争責任をうやむやにしたまま69年が過ぎ、今は近隣国と摩擦を生じさせている加害国・日本。この国の在り方を考えるためにも、李さんの訴えに真摯(しんし)に耳を傾けたい。


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伊江島で非暴力の土地闘争を貫いた阿波根昌鴻さんの写真集「人間の住んでいる島」に、伊江島住民への救援物資を写した1枚がある
贈り主は巣鴨刑務所のBC級戦犯たち。米軍の圧政に苦しむ沖縄の人に「同情と義憤」を禁じ得ず、獄中でカンパを募って鉛筆やせっけんなどを贈った。その中には、軍人でもないのに戦犯にされた朝鮮人青年たちがいた


 大変驚きました。
 
 巣鴨プリズンに収容された戦犯達は現金を持ち、しかもそれを自由に使う事ができたばかりでなく、また外部の交信や反米政治活動までもが、自由にできたようです。

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 現在の刑務所ではこれは考えられません。 日本だけでなく世界中でそうでしょう。

 普通刑務所に入る時に、所持金は全部没収されて、釈放されるまでそれを使う事はできません。 新聞を読むことやテレビを見る事についても制限があります。
 
 手紙を書いたり面接したりできる相手も、肉親などに限定されています。 

 だから東京の刑務所にいる囚人が全国ニュースにもならない、遠い沖縄の孤島の状況を知って、その島の人々の為にカンパをして物資を送るなどと言うことは絶対に不可能です。

 ところが巣鴨プリズンの戦犯達はこれができたのです。

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 さらに言えば、この囚人達はどうやってこの現金を得たのでしょうか?

 彼等が収監される前に持っていたお金だとは考えられません。 なぜならこの時期の日本では、全ての物資が欠乏して猛烈なインフレが起きています。 
 
 このインフレの為に資産を失った人が続出しました。 

 だから余程の大金を持っていても、収監されているうちにドンドン目減りして、カンパで鉛筆や石鹸などを買うようなことはできないのです。

 身内から差し入れも、朝鮮人の場合はあり得ないでしょう。 だって身内のいる韓国や北朝鮮とは当時国交がありませんでした。 だから送金は不可能です。

 だからこのお金は収監前の所持金でも差し入れでもなく、刑務所の中での労働賃金等の名目で与えられたお金ではないでしょうか?
 これならある程度物価にスライドしていた可能性はあります。

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 しかしそれにしても大変な高待遇です。

 巣鴨プリズンの閉鎖は1958年の5月ですが、終戦からこの頃までは日本全体が大変な物資の欠乏に苦しんだ時代でした。 東京都内でも多数の餓死者が出ていました。

 そういう時代に巣鴨プリズンの囚人達は刑務所内でカンパをして石鹸などを買って遠い沖縄に送る事ができたのです。

 ワタシは朴正煕時代の韓国やフセイン時代のイラクで、政治犯として投獄されて刑務所で過ごした人の手記を読んだ事があります。
 
 朴正煕時代の韓国でも敗戦時の日本よりは豊でしたが、それでも囚人達に与えられた食事は大変粗末で、栄養失調スレスレでした。
 
 そして刑務所内の監視は非常に厳しく、外部との連絡は厳しく制限されていました。 だから長期の収監を終えて釈放されたとき、囚人達は外の世界の変化に驚いたのです。

 これらと比べると、巣鴨プリズンの待遇は破格だったと言わざるを得ません。

 戦犯と言うモノについて考え直すべきなのかもしれません。

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 ちなみにこの朝鮮人青年は「17歳で徴用された」と言っていますが、勿論これは嘘です。 捕虜監視員は軍属でしたが、これは志願制です。

 そして朝鮮人に徴用令が出たのは1944年の9月です。 けれども泰緬鉄道の建設は1942年から始まり、翌1943年10月には完成しています。

 徴用された朝鮮人が泰緬鉄道の建設にかかわる事は不可能なのです。

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 ところでこの話についてあんまり驚いたので琉球新報に電話をかけて確認しました。 ところがこの待遇について質問をすると電話に出た琉球新報の記者は怒り出してしまいました。
 そして電話を切ってしまいました。
 
 ワタシが「巣鴨プリズンってものすごく自由で待遇が良かったんですか?」と聞いたのが気に入らなかったようです。

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 しかし自分で書いた記事ですよ。
 新聞記者なら現在の刑務所の待遇ぐらいある程度知っているでしょう? それと比べて疑問は持たなかったのでしょうか?
 
 彼等の頭の中では自分が被害者と決めた人間に関しては、いかなる事に関しても疑問を持つと言う発想はないようです。

 こういう頭だから未来永劫沖縄の悲劇を喚きつづけていられるのでしょう。
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