2014-04-24 13:19

多文化共生国家の結末 

 オーストリア・ハンガリー帝国、別名ハプスブルグ帝国は多文化共生国家でした。
 
 ハプスブルグ帝国の領土は時代によって随分かわるのですが、17世紀からは現在のオーストリアとハンガリーを中心に東欧やイタリア半島の一部まで広く支配しました。

 この領土をハプスブルグ帝国は征服戦争で得たわけではありません。 殆どはハプスブルグ家お得意の婚姻政策、その他の外交交渉で手に入れたのです。

 当時は領土と言うのは君主の私有財産のような扱いでしたから、君主同志の結婚で生まれた子供が、両親の領土を相続するような事が普通にありました。

 多産でタフなハプスブルグ一族はこれで、ドンドン領土をゲットして行ったのです。

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 こうしてハプスブルグ家が得た広大な領土には、当然沢山の民族がいました。

 ハプスブルグ帝国はしかしこれらの民族全が民族文化を守り続ける事の出来る政策を取り、帝国の中心であるオーストリア文化を押し付ける事はしませんでした。

 例えば公教育で教える言語は、公用語のドイツ語ではなく、それぞれの地域の言語でした。 
 
 ハプスブルグ帝国は実は世界で最も早く公教育制度を作った国です。 18世紀半ば、マリア・テレジアの時代に、効率の小学校を作り、義務教育制度を確立したのです。

 マリア・テレジア自身は大変敬虔なカソリック教徒だっし、また歴代ハプスブルグ家の皇帝たちも皆カソリックの守護者を自任してきたのですが、しかしマリア・テレジアは強大な力を持って政治に容喙する修道院をドンドン潰しました。

 それで修道院に居られなくなった修道士達を小学校の教員として雇用したのです。

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 今なら修道士になるような人は余程信心深い人なので、こんな事をしたら大問題になるでしょう。 でも当時は貧しい家庭が口減らしの為に子供を修道院に入れると言うのが普通だったのです。

 そう言う理由で修道士になった人達にすれば、修道院で禁欲生活をするよりも、小学校の先生になって給料を貰って自由に暮らす方が楽しかったのではないでしょうか?

 だからこの政策は上手く行きました。

 そして当然、領民の教育レベルは上がり、それが経済発展の基礎になりました。

 またハプスブルグ家は領地へのインフラ整備や法整備にも熱心でした。

 このような統治はウィーンから派遣された高級官僚が、地元の公務員を使って行いました。 このような高級官僚達の出身民族は様々ですが、彼等は公用語であるドイツ語だけでなく、幾つもの言語を使いこなし、自分自身もまた出身民族に関係なくハプスブルグ人と認識して統治に当りました。

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 こういう統治ですから、ハプスブルグ帝国の領土となった地域は皆発展しました。

 民族を分断する形でハプスブルグ帝国領になった地域と、別の国の領土になった地域を比べたらわかります。

 チェコとスロバキア、スロベニア・クロアチアとセルビア・モンテネグロなどをです。 いずれもハプスブルグ帝国領になっていた地域の方が圧倒的に豊で近代的なのです。
 
 そして今問題になっているウクライナのガリツィア地方とそれ以外のウクライナもそうです。

 ウクライナのガリツィア地方も18世紀末ハプスブルグ領になってからは、ウクライナ語に公教育が始まり、ガリツィアの州都リヴィウの大学でもウクライナ語の授業が行われました。

 一方ロシア領になったウクライナの他地域では、最後まで公教育なんか行われず、それどころかかロシア革命直前まで農奴制だったのです。
 
 だから歴史家は皆ハプスブルグ家の統治は紛う方無き善政であったと言います。

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 しかしこれが近代になって「民族の牢獄」と言われるようになったのはなぜでしょうか?

 近代になるとハプスブルグ帝国支配下の多くの民族が、民族独立を求めるようになります。 ちなみに「民族」と言う言葉も概念も実はこの時代、ハプスブルグ帝国領のバルカン半島で生まれました。

 彼等は専制君主による支配を脱して、自分達の国民国家の作りたいと思うようになったのです。

 この頃になると彼等は自分達の言語や文化が、オーストリアの文化やドイツ語の下位に置かれる事に対する不満が鬱積するようになりました。
 
 そしてハプスブルグ帝国を自分達を抑圧する圧制者と認識するようになっていたのです。

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 別にこの時代になってハプスブルグ帝国が、領内の民族文化政策を変えたわけではありません。 しかし時代が下がるにつれ領内の知識人達は、国民国家の思想に目覚めていきます。 
 
 そうなると民族が不平等に扱われていると言う不満も高まります。
 
 例えばドイツ語ができないチェコ人は官僚になれないけれど、チェコ語のできないオーストリア人は官僚になれるのです。

 また近代になって産業構造が変わって、それにつれて人々が移動し始め、その移動先で他の民族と衝突が起きたことなども、この種の不満を大きくしました。

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 勿論それまでの時代だって民族の不平等はありました。 でも近代以前と言うのは、身分差別が当然の時代です。 身分が民族に優先するのです。 

 だから民族差別は身分差別の影に隠れて居ました。
 
 ところが近代になると、人々は「人間は皆平等である」と思うようになりました。 それで身分の不平等はだんだん減っていたのですが、そうなると今度は民族の不平等が表面化してきたのです。

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 だったら全部の民族が平等な民主主義国家を作ればよいじゃん?
 
 でもそれは民主主義の本質から言って不可能です。 

 ハプスブルグ帝国の諸民族には、ハプスブルグ帝国領になる以前からの歴史的な葛藤がありました。
 帝国領になってからは彼等の優位に立つオーストリアに不満を持ちました。 また近隣民族との葛藤も終わったわけではありません。

 お互いの民族に対する不信や憎悪があるのです。

 一方民主主義と言うのは、全ての人々がお互いに平等の立場で話し合い、それで決着がつかない場合は多数決で物事を決めると言う制度です。

 しかし国家など考えなくてもわかるのですが、話し合いが上手く行くのは、話し合いに参加する人々がお互いにある程度信頼関係を持っており、決められた事は守る意思がある場合だけです。

 そして多数決に至っては、多数派は絶対有利、少数派は絶対不利、になるのです。

 相互不信が渦巻く多民族が話合いをして、多数決で物事を決める何て制度がうまく行くわけもないのです。

 更に悪いのは、民主主義では全ての当事者が平等であるために、お互いの不信が増大してどうしようもなくなっても、それを止めてくれる第三者のような物が存在しません。

 ハプスブルグ帝国では皇帝がこの第三者として、強大な権威を持ってこれらの民族間のトラブルの調停をしたのす。
 しかしそれはまた調停を受ける当事者双方の恨みを、皇帝が引き受ける事でもあるのです。

 そうなると民族間のトラブルを調停すればするほど、皇帝への不満が高まると言う事になります。

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 こしてハプスブルグ帝国支配下のサラエボで民族主義者による皇太子暗殺事件が起きます。 そしてそれが引き金となって第一次世界大戦が勃発、その敗戦でハプスブルグ帝国は瓦解しました。

 この時の皇帝フランツ・ヨーゼフの苦悩は察するに余りあります。 彼だってわかっていたのですよ。 帝政のような制度を20世紀に維持するのは難しいと・・・・。

 しかし帝国の瓦解はどの民族にとっても不幸しかもたらさない事もわかっていたのです。
 だから彼は最後まで必死に帝国を支えようとしました。

 けれど帝国は瓦解しました。 帝国は幾つもの小国に分裂しました。

 それではそれぞれの国は、自分達の望んだ民族国家を作って満足したのでしょうか? 
 
 哀しいけれどそうもなりませんでした。 まずそれぞれの国々が自国の防衛と経済運営で苦悩する事になります。
 
 そしてそれぞれの国の中でまた民族問題を抱え込みます。 なぜならハプスブルグ帝国時代から、いやそのはるか前からこれらの地域には沢山の民族が住んでいたのです。 例えばハンガリーだってハンガリー人ばかり住んでいたわけじゃないのです。

 この状態でそれぞれの国が皆「民主主義国家」になろうとしたのです。 結果どの国の政治も惨憺たる迷走を続けます。

 そして結局第二次世界大戦後は殆どの地域がソ連の影響下に置かれて、共産主義国家にさせられました。

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 ソ連の支配下でチェコとスロバキアはチェコスロバキア、クロアチアとスロベニアとセルビアとモンテネグロはユーゴスラビアになりました。 確かに元々は同じ民族だったので、これを民族統一と言えばその通りです。

 でもハプスブルグ帝国領だった地域と、ロシアやトルコの支配下にあった地域では、生活レベルや文化レベルが違いすぎました。

 台湾人は50年の日本支配、香港は99年のイギリス支配で、中国本土の人間とは一緒にされたくないと思うようになったくらいですから、200年とか300年はハプスブルグ帝国の臣民だった人達が、嘗ての同胞に愛想を尽かすのも仕方ありません。
 
 結局それ崩壊後に共産主義から解放されると、これらの国々は皆分解していまいました。 それがユーゴスラビアのように凄惨な内戦を伴った国もあります。

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 そしてウクライナのガリツィア地方も、第一次大戦後独立を図りました。
 しかしこれをやはり第一次大戦で独立したポーランドが叩き潰してポーランド領にしてしまいます。 ここはポーランドが分割されて消滅する前はポーランド領だったので、ポーランドにすれば領土回復なのです。

 しかしガリツィアの人達にしたらポーランドに支配されるぐらいなら、ハプスブルグ帝国に支配されていた方がマシだって思うのは当然ではありませんか?

 だからでしょう。 ヒトラーのポーランド侵攻が始まると、ガリツィアの民族主義者達はこぞってヒトラーの元に馳せ参じました。 ナチは彼等ウクライナ人を集めて第14SS武装擲弾兵師団を作りました。 このウクライナ人のSSはドイツ軍と共にドイツが降伏するまで戦い続けました。
 
 そしてガリツィアがソ連領になると、それでも武装抵抗を続けたり、或はカナダなどに亡命してウクライナ独立運動を続けたのです。

 この人達が現在ウクライナで問題になっている「ネオナチ」です。 でもこれって「ネオ」じゃなくて正統派ナチですよね。 だって「ネオナチ」って勝手に自分で「ヒトラー大好き」と言ってるだけの連中ですが、彼等はちゃんとヒトラーからナチのお免状を貰ってるのですから。

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 ハプスブルグ家の御当主は現在ドイツ国籍を取ってドイツで暮らしているそうです。

 歴史を振り返れば、ウクライナの「ナチ」にも同情してしまいます。 しかし彼等が政権を取ればウクライナは近隣色を巻き込む大変な紛争が始まるでしょう。 

 周りの元ハプスブルグ帝国領の国々はだから今は戦々恐々としているでしょう。 
 けれどもこれは帝国の瓦解から始まった混乱がまだ続いてると言う事なのです。

 ともあれこれが多文化共生の理想を実現した帝国の結末なのです。

テーマ:歴史認識
ジャンル:政治・経済

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コメント

黄昏のウィーン

という映画がありました。戦前のウーファー映画ですが、第一次大戦前のウィーンの様子をノスタルジックに描いた作品です。全編これ黄昏時に物語が進み、洗練の極み。よもぎ猫さんにも、ご照覧あれ。

オーストリア・ハンガリー帝国内では、狭義の「オーストリア人」は存在せず、ドイツ系とかドイツ人という言い方をしていたようですね。オーストリアには「ドイツ騎士団長」の名を冠した連隊があったりして、なかなかここの関係はややこしいです。

民族自決で大騒ぎをした結果、旧帝国内は結局、ナチス・ドイツとソビエト・ロシアの草刈り場になってしまいました。亡命し、やがて自殺したシュテファン・ツヴァイクが「昨日の世界」で懐かしんだように、中欧世界では、このパプスブルク帝国が最も文明的な時代でした。

パプスブルク帝国には地政学的な必然があったのだとチャーチルが指摘しておりますが、一般人には残念ながら、過ぎてみないと判らない。オーストリアに「オールド・スプレンダー」という煙草がありますが、全ては後の祭りの、ほろ苦さがあります。

ウィーン料理屋の主人にもう一度気張って帝国を作ってみたら、と誘い水をかけると、「おお、もう一度帝国を作るより、天国に行った方が楽ね。」との返事でした。テイコクとテンゴクで韻を踏んでいるところが、さすがはウィーンっ子ですが、確かに。
  1. 2014-04-24 17:18
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  3. レッドバロン #-
  4. 編集

グローバリズムの原点ですね

なるほどねえ、大変良い話有難うございます。
こんな所が原点になって今日のEUが出来てくるわけですね。
それでEUの父と言われるリヒャルト・クーデンホーフが出てくる。
納得です。

グローバリズムは問題一杯なのですが、その解決策にはしっかりした思想・哲学の確立が必要なんだとしみじみ思います。
ゴーンのように祖国が何処だかわからない人間には祖国の発展のためにクルマを作ろうと言う発想が出てこない・・・
難しいですね。
  1. 2014-04-24 21:04
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  3. 短足おじさん二世 #-
  4. 編集

Re: 黄昏のウィーン

> という映画がありました。戦前のウーファー映画ですが、第一次大戦前のウィーンの様子をノスタルジックに描いた作品です。全編これ黄昏時に物語が進み、洗練の極み。よもぎ猫さんにも、ご照覧あれ。

 おお、是非見たいです。 探してみます。

> オーストリア・ハンガリー帝国内では、狭義の「オーストリア人」は存在せず、ドイツ系とかドイツ人という言い方をしていたようですね。オーストリアには「ドイツ騎士団長」の名を冠した連隊があったりして、なかなかここの関係はややこしいです。

 そうですね。 第一次大戦でハプスブルグ帝国が瓦解するまでオーストリアは唯の地名で国名ではありませんから。

> 民族自決で大騒ぎをした結果、旧帝国内は結局、ナチス・ドイツとソビエト・ロシアの草刈り場になってしまいました。亡命し、やがて自殺したシュテファン・ツヴァイクが「昨日の世界」で懐かしんだように、中欧世界では、このパプスブルク帝国が最も文明的な時代でした。
>
> パプスブルク帝国には地政学的な必然があったのだとチャーチルが指摘しておりますが、一般人には残念ながら、過ぎてみないと判らない。オーストリアに「オールド・スプレンダー」という煙草がありますが、全ては後の祭りの、ほろ苦さがあります。
>
> ウィーン料理屋の主人にもう一度気張って帝国を作ってみたら、と誘い水をかけると、「おお、もう一度帝国を作るより、天国に行った方が楽ね。」との返事でした。テイコクとテンゴクで韻を踏んでいるところが、さすがはウィーンっ子ですが、確かに。

 結局多文化共生は専制君主の元でしか成り立たないのです。 オスマン帝国やローマ帝国もやはり多文化共生社会ですが、これも専制国家です。

 民主主義での多文化共生なんて、スイスのような特殊条件がないと無理なのです。

 それにしてもウィーンは魅力的な街です。 ワタシが初めて行った海外旅行先がウィーンで、大好きになりました。
 あの街からシュトラウスやオフェンバックのオペレッタが生まれたのもわかります。

 もう一度行きたいです。
  1. 2014-04-24 22:10
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  3. よもぎねこ #-
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Re: グローバリズムの原点ですね

> なるほどねえ、大変良い話有難うございます。
> こんな所が原点になって今日のEUが出来てくるわけですね。
> それでEUの父と言われるリヒャルト・クーデンホーフが出てくる。
> 納得です。

 正にその通りです。 リヒャルト・クーテンホーフの父親は貴族でハプスブルグ帝国のエリート官僚なのですが、28か国語を使えました。
 この手の語学にたけたエリート官僚がハプスブルグ帝国を支えていたのです。

> グローバリズムは問題一杯なのですが、その解決策にはしっかりした思想・哲学の確立が必要なんだとしみじみ思います。
> ゴーンのように祖国が何処だかわからない人間には祖国の発展のためにクルマを作ろうと言う発想が出てこない・・・
> 難しいですね。

 ハプスブルグ帝国のような国は、否応なしに多文化政策を取るしかないのです。 生活レベルも文化の発達度合も違う沢山の民族を無理矢理同化する事など不可能ですから。

 その条件の中でハプスブルグ帝国は随分頑張ったのです。
 でも結果はそうやって多文化多民族のまま近代に突入すると、それが不満の種になって瓦解するしかなったのです。
 
 ユーロが今このハプスブルグ帝国の後をたどりつつあるのですが、どうなるんでしょうね?
  1. 2014-04-24 22:18
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  3. よもぎねこ #-
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多文化共生の良い例が、もう一つ有ります。モンゴル帝国です。

モンゴル帝国は民主主義など欠片も無く、逆らう者は全て殲滅し、征服領域を世界最大のものにしました。その残虐さの一方で、帝国に逆らいさえしなければ、各民族の文化や宗教に制限をかけることは有りませんでした。

血縁的にはモンゴル共和国が後継者でしょうが、政治的後継者は

清帝国→中華民国→中華人民共和国

ロシア帝国→ソビエト連邦→ロシア連邦

という二つの系統になると思います。力でいう事をきかせるから、ハプスブルグより効率的でしたが、押さえつける力を失えば一気に崩壊する危険をはらんでいます。

中華人民共和国を民主化の名のもとに、押さえつける力を失わせれば、恐ろしいカオスが生じるという懸念が有ります。
短足おじさんさんの所でも書いたのですが、厳罰が存在しないと無茶苦茶する人達ですから。
  1. 2014-04-25 09:51
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  3. taigen #-
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Re: タイトルなし

> 多文化共生の良い例が、もう一つ有ります。モンゴル帝国です。
>
> モンゴル帝国は民主主義など欠片も無く、逆らう者は全て殲滅し、征服領域を世界最大のものにしました。その残虐さの一方で、帝国に逆らいさえしなければ、各民族の文化や宗教に制限をかけることは有りませんでした。
>
> 血縁的にはモンゴル共和国が後継者でしょうが、政治的後継者は
>
> 清帝国→中華民国→中華人民共和国
>
> ロシア帝国→ソビエト連邦→ロシア連邦
>
> という二つの系統になると思います。力でいう事をきかせるから、ハプスブルグより効率的でしたが、押さえつける力を失えば一気に崩壊する危険をはらんでいます。
>
> 中華人民共和国を民主化の名のもとに、押さえつける力を失わせれば、恐ろしいカオスが生じるという懸念が有ります。
> 短足おじさんさんの所でも書いたのですが、厳罰が存在しないと無茶苦茶する人達ですから。

 文化が違いお互いに連帯感を持てない人達が揉めないで一つの国としてやっていくには、基本的には力の統治をするしかないのでしょうね。

 その一番単純明快な例がモンゴル帝国であり、最も洗練された理想的な形がハプスブルグ帝国だったと思います。
 
 ハプスブルグ帝国は民主主義や民族の平等を求める人々によって崩壊した事を思えば、多文化共生で民主主義国家を作ると言うのは至難の業なのです。
  1. 2014-04-25 10:38
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  3. よもぎねこ #-
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