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2012-02-28 13:15

動物を殺す その2

 ジュール・ルナールの傑作エッセイ「葡萄畑の葡萄作り」は、19世紀末のフランスの農家の生活を簡潔で生き生きと描いています。

 このエッセイは豚の屠殺で始まります。

 

 筆者ルナールが懇意の農家に豚の屠殺に招待され、その一家と共に豚を屠る場面が描かれているのです。

 

 まず豚を男達が押さえつけ、喉を切り、吹き出す血を女が皿で受けます。 そして死んだ豚を解体するのです。

 

 日本と違いヨーロッパの農家は、所謂畜産農家でなくても、普通食肉用の家畜を飼っています。 そして豚など大型の家畜は年に何頭かを屠殺して、自宅でベーコンやソーセージなどにして自家用の食料にするのです。

 

 だから自分の家で子豚のときから、可愛がって育てた豚を自分で殺して食べます。

 

   

 

 しかし一頭が80~100キロにもなるような豚を解体するのは大変な作業です。 まして冷蔵庫の無い時代は、屠殺したらその日のうちに塩蔵や加熱をして、長期保存ができるようにしなければなりません。

 

 だから屠殺は一家総出で、時には親戚や近所の人達の手伝いを頼んで、一日がかりです。

 男達が切り分ける肉を、女達が手分けして塩漬けや、ソーセージなどにします。 血の一滴、内臓の一切れも無駄にしません。

 

 そして作業中に解体中の肉を調理して、作業をする人々に振る舞います。 新鮮な肉は屠殺中かその直後にしか食べられないご馳走なので、皆それを楽しみにします。

 

 まるで日本の餅つきのような感じで、一家親戚総出で餅をつき、時々つきたての柔らかい餅を食べるのと同じ感覚です。

 

 ルナールの文章を読んでいると、淡々とした描写の中に、作業をする人達の楽しげな様子が伝わってきます。 でも普通の日本人であるワタシは、真面目にその場面を想像するとのけぞってしまいます。 

 

  

  

 可愛い子豚に自分の手で餌をやり、その豚が無邪気に信頼してそれを食べるのを毎日見ていながら、それを殺すのは野生動物を殺すのとどちらが不道徳で非人道的なのでしょう?

 

 実はこの疑問はコンラート・ローレンツが「ヒト犬に会う」の中で書いていました。 

 ちなみにこのノーベル医学生理学賞を受賞した動物行動学者は、勿論農家ではありませんがオーストリアの田舎に家があるので、自家で豚を飼いその豚から取ったソーセージやラードを食べています。

 

 ローレンツに限らず、ヨーロッパで富裕な人達が田舎に農場つき邸宅を持っている場合は、農場で豚や牛を飼い、その肉を食べます。 自分の葡萄園で作ったワインを飲むのと同様、自家生産の豚からソーセージやハムを食べるのは富裕層ならでは贅沢です。

 

 そしてこれが道徳的であろうとなかろうと、人間は動物を殺さなければ生きていけません。

 家畜を殺すか野生動物を殺すか、直接殺さなくても、農業のため家を建てるため、動物の生息域を奪えば結局動物は死ぬのです。

 

 そして専業の肉屋や屠殺業者に頼れない田舎で肉を食べたいと思えば、自分で飼っている動物を自分で殺すしかないのです。

 しかも気候の関係で牧畜なしでは農業の成り立たないヨーロッパでは、農家は家畜を飼いそれを自分で殺して食べなければ生き延びる事ができませんでした。 

 

  

 

 ヨーロッパの文化はこの伝統の上に成り立っています。 だから動物と人間を峻別します。

 

 動物は可愛い。 まして自分が毎日世話をして育てている動物は本当に可愛い。

 

 でも動物を殺さなければ生きていけないのに、輪廻を信じて生類を哀れむ事はできないのです。

 

 人間が動物を殺さなければ生きていけない以上、動物を殺す人を非難などしない、してはいけない。 これが彼らの理性でした。

 

 お陰でヨーロッパでは肉屋が被差別民になるような事もありませんでした。 ヨーロッパでは昔は肉屋は自分で家畜を屠殺して解体して売ったのですが。

 

 だから今この文化を持つ筈の欧米で、イルカや鯨のヒステリックでセンチメンタルな愛護運動が盛り上がるのを見ていると、なんとも異様な気がします。

 

 結局、都市化が進み、自分で動物を殺す必要がなくなり、安易なセンチメンタリズムが横溢する事になったのでしょうか?

 これは欧米文化の堕落と生命力の衰退ではないかと思うのです。

 

  

 

 日本は昔から畜産をしなくても農業が成り立ったので、この動物を殺す文化は成立しませんでした。

 だから安易な偽善が横溢し、食肉や皮革製造に関わる人たちを、仏教の教えに反するとして、被差別民にしてしまいました。

 

 ワタシは部落開放同盟などの活動がマトモだとは思いませんが、しかし部落差別を作った仏教界や、これに同調する人々は許すべきではないと思います。

 

 だから今、欧米の反捕鯨団体や、「ザ・コーヴ」の上映に同調して太地の漁民を非難する日本人を見ると、この人々の精神こそが部落差別の根源だと思うのです。

 

  

 

 ワタクシ事ですが、先日叔父が亡くなりました。 叔父は岡山の農家ですが、母の一家は戦時中この叔父の家に疎開していました。

 ある日この叔父が鶏を潰して食べさせてくれました。

 

 母達は都会育ちですから、鶏を潰すのを恐ろしがったそうです。 すると叔父は笑って「そんなら食うてはいけんよ。」と言ったそうです。

 

 でも結局皆美味しく食べました。 それでなくても食料の逼迫した時代、こんな事を言う疎開者を気持ちよく引き受け、大切な鶏をご馳走してくれた叔父には、心から感謝しています。

  1. 古本
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コメント

No title

部落の起源には諸説有りますが、彼らが皮屋肉屋に関わる者達を「賤民」として差別したのでは無く、賤民として差別された者達が仏教の教えで忌み嫌う職業を選択せざるを得なかったのでは無いでしょうか?

この点は議論したい訳でなく僕の認識がそうで有ったと言うだけです。部落の起源の一つに「太閤検地」の際に漏れた連中(検知から逃げた連中)が賤民として扱われる様になったと言う説も有りますね。

僕の子供頃、祖父母の田舎の大分県などに行くと普通に飼っている鶏を絞めてご馳走としていました。
これは遠来の客人に対する歓待の普通の素朴な祝意だった訳です。

またアルジェ勤務の途中で二年程http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%2595%25E3%2583%25A9%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B9/" class="keyword">フランスのパリ郊外のアンジェと言う街で学校に行きましたが、そこでは郊外の農家に行けばよもさんが上で書かれた様な風景は普通に見られました。

http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25BB%25E3%2582%25B7%25E3%2582%25A7%25E3%2583%2591%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2589/" class="keyword">シー・シェパードや過激な動物愛護団体の連中は先ず自分達の謝肉祭の風習にケリを付けてから謝肉祭を祝えと言いたいですね。

  1. 2010-07-18 11:23
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  3. sonoraone #79D/WHSg
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No title

To sonoraoneさん
>部落の起源には諸説有りますが、彼らが皮屋肉屋に関わる者達を「賤民」として差別したのでは無く、賤民として差別された者達が仏教の教えで忌み嫌う職業を選択せざるを得なかったのでは無いでしょうか?

 なるほどそうかも知れません。

>この点は議論したい訳でなく僕の認識がそうで有ったと言うだけです。部落の起源の一つに「太閤検地」の際に漏れた連中(検知から逃げた連中)が賤民として扱われる様になったと言う説も有りますね。

 被差別部落は地域や歴史により様々起源があるようです。

>僕の子供頃、祖父母の田舎の大分県などに行くと普通に飼っている鶏を絞めてご馳走としていました。
>これは遠来の客人に対する歓待の普通の素朴な祝意だった訳です。
>
>またアルジェ勤務の途中で二年程http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2583%2595%25E3%2583%25A9%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B9/" class="keyword">フランスのパリ郊外のアンジェと言う街で学校に行きましたが、そこでは郊外の農家に行けばよもさんが上で書かれた様な風景は普通に見られました。
>
>http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25BB%25E3%2582%25B7%25E3%2582%25A7%25E3%2583%2591%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2589/" class="keyword">シー・シェパードや過激な動物愛護団体の連中は先ず自分達の謝肉祭の風習にケリを付けてから謝肉祭を祝えと言いたいですね。

 動物は皆可愛いのです。 豚だってとても利口で人懐こく可愛いのです。
 でもそれを殺して食べているのが人間です。

 彼らはそれを忘れて偽善と欺瞞にふけっているのです。
>
  1. 2010-07-18 11:34
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  3. よもぎねこ #79D/WHSg
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No title

ずいぶん昔、「文芸春秋」(?)に掲載された高校生作文コンテストの沖縄の女の子の話です。

彼女は中学生(?)の頃、親からヤギを飼うように命じられます。1匹の子ヤギを与えられ、大事に育て、兄弟のように育ちます。
ある日学校から帰るとヤギがいない。親に聞くと要領を得ない。しかし間もなくヤギが解体されてしまったことを知ります。

なぜ殺したのー!と大泣きに泣き抗議して、その晩ヤギの肉が料理に出ます。彼女はまだ涙が止まらぬ状態で、それでも美味しくヤギを食べたそうです。

『涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない』とはこのことか?いや、違いましたね。
  1. 2010-07-18 16:07
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  3. 相模 #79D/WHSg
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To 相模さん
>ずいぶん昔、「文芸春秋」(?)に掲載された高校生作文コンテストの沖縄の女の子の話です。
>
>彼女は中学生(?)の頃、親からヤギを飼うように命じられます。1匹の子ヤギを与えられ、大事に育て、兄弟のように育ちます。
>ある日学校から帰るとヤギがいない。親に聞くと要領を得ない。しかし間もなくヤギが解体されてしまったことを知ります。
>
>なぜ殺したのー!と大泣きに泣き抗議して、その晩ヤギの肉が料理に出ます。彼女はまだ涙が止まらぬ状態で、それでも美味しくヤギを食べたそうです。
>
>『涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない』とはこのことか?いや、違いましたね。

 「涙とともに肉を食べたものでなければ人生の味はわからない」ですね。

 ワタシはオスマン・サンコンさんの自伝「サガタラ」で同じような話を読みました。
 
 オスマンさんが子供の頃、父親の命令で世話をしていた羊を、妹の誕生日に潰したのです。
 その時やはりオスマンさんは泣き続けたけれど、それでやはり動物を殺して生きる意味を理解したそうです。
  1. 2010-07-18 19:47
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  3. よもぎねこ #79D/WHSg
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No title

 口締疫で殺処分が多数行われてるとき、牛豚が殺されるのを嘆く農家に対して、どちらにしても食う為に殺すのにあのように嘆くのは偽善だ、と言う有名ブログがありました。
 一見、正論に見えるところが厄介ですが、小生かかるhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E7%2589%25A9%25E8%25A8%2580%25E3%2581%2584/" class="keyword">物言いは最低だと思いました。殺される側にしてみればどちらも同じだというのでしょうが、どうでしょうか。

 「人が生きる為に動植物を殺す」これは致しなきことです。生命をいただかなくては生存できないのですから…だからといって無差別な殺戮が許されるわけではないでしょう。

 この国では、宗教の影響もありましたが育てる人と、屠殺する人を分離しました。これで、普通の人は動物が殺される事を見ることは減りましたが、同時に動物を殺す意味も忘れる事になったのだと思います。

 豊かになって物知り顔の輩が、ほざきそうな事です。
  1. 2010-07-19 08:15
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  3. kazk #79D/WHSg
  4. 編集

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To kazkさん
> 口締疫で殺処分が多数行われてるとき、牛豚が殺されるのを嘆く農家に対して、どちらにしても食う為に殺すのにあのように嘆くのは偽善だ、と言う有名ブログがありました。
> 一見、正論に見えるところが厄介ですが、小生かかるhttp://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E7%2589%25A9%25E8%25A8%2580%25E3%2581%2584/" class="keyword">物言いは最低だと思いました。殺される側にしてみればどちらも同じだというのでしょうが、どうでしょうか。
>
> 「人が生きる為に動植物を殺す」これは致しなきことです。生命をいただかなくては生存できないのですから…だからといって無差別な殺戮が許されるわけではないでしょう。
>
> この国では、宗教の影響もありましたが育てる人と、屠殺する人を分離しました。これで、普通の人は動物が殺される事を見ることは減りましたが、同時に動物を殺す意味も忘れる事になったのだと思います。
>
> 豊かになって物知り顔の輩が、ほざきそうな事です。

 ワタシもこのブログは見ました。 
 でも畜産農家は皆愛情を込めて家畜を育てるのです。 日本は畜産の伝統が浅いので、このブログのような安易な発想が出てくるのでしょうね。

 これについてまたエントリーしたいと思います。
  1. 2010-07-19 09:23
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  3. よもぎねこ #79D/WHSg
  4. 編集

No title

私が子供の時、親が開拓者として入植し酪農業を営んでいたので、遠い昔を思い出しました。
流石に牛や豚の屠殺こそしませんでしたが、鶏を〆、毛をむしり、腑分け解体を小学4年の時分にはしていました。
家畜とペットと野生動物は違います。
ペットに向ける愛情を、家畜や野生動物に振り向けるから混乱が生じるのではないのでしょうか。
家畜はあくまで農業産品を生産する一部であり、あくまでも商品価値を管理する為に人間が介入しているのに過ぎません。
野生動物に至っては、接点が生じても人間の社会生活と対決する場合が大半であり、愛情の介入する場面は殆んどないでしょう。
  1. 2010-07-20 17:43
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  3. hanehan #79D/WHSg
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To hanehanさん
>私が子供の時、親が開拓者として入植し酪農業を営んでいたので、遠い昔を思い出しました。
>流石に牛や豚の屠殺こそしませんでしたが、鶏を〆、毛をむしり、腑分け解体を小学4年の時分にはしていました。
>家畜とペットと野生動物は違います。
>ペットに向ける愛情を、家畜や野生動物に振り向けるから混乱が生じるのではないのでしょうか。
>家畜はあくまで農業産品を生産する一部であり、あくまでも商品価値を管理する為に人間が介入しているのに過ぎません。
>野生動物に至っては、接点が生じても人間の社会生活と対決する場合が大半であり、愛情の介入する場面は殆んどないでしょう。

 畜産農家は愛情を持って家畜を育てます。 自分の生活の手段だから愛さずには良い仕事はできません。
 
 狩猟民は野生動物を神と崇めます。 野生動物の恵みで生きていけるのですから、当然です。

 動物を愛する事と、それを殺して食べる事は、矛盾しないのです。 それが人間同士の愛情と、人間と動物の愛情の違いでしょう。

 これを理解するのが、文化であり理性であると思いますが、今ではその理性や文化の欠落した人も多いのです。

 これなんか典型です。

 http://ni0615.http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25EF%25BD%2589%25EF%25BD%259A%25EF%25BD%2581/" class="keyword">iza.ne.jp/blog/entry/1696665/
  1. 2010-07-20 19:11
  2. URL
  3. よもぎねこ #79D/WHSg
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