ホワイトハウスでの晩餐会のランランの反米歌演奏は実に賤しい話ですが、これに関連してもう一つ気になっていた記事がありました。
オバマ大統領の晩餐会に胡錦濤が普通のビジネススーツで出席したと言う記事です。(胡錦濤のスーツ姿は進歩? 米大統領晩餐会 )
オバマ大統領は礼服で盛装です。
この記事では、胡錦濤が盛装しなかった理由を、以下のように書いています。
>欧米の衣装のイメージが強すぎるちょうネクタイにはまだ抵抗があるとみられるが、スーツは徐々に中国指導者の正装となっている。
けれどこれは、日本の常識からすれば、大変不作法な話です。
本来盛装で出席するべき席へ、普段着で出かけたのですから。 こんな事をして大目に見てもらえるのは、子供か或は貧しくて必要な礼服を用意できなくても仕方がないとみなされた人だけです。
欧米的な服装に抵抗があると言うのは、理由になりません。 欧米的な服装がイヤなら、民族衣装を着れば良いのです。
実際アラブ諸国の王様や、アフリカの首脳などは民族衣装でこのような場に臨みますが、これを非難する人はいません。
これらの国々の首脳や大使は、日本で宮中晩餐会に出席する時や、天皇陛下に謁見す時も民族衣装です。 でもその国の盛装なら全然問題ないのです。
だから胡錦濤もタキシードに蝶ネクタイがイヤなら、中国服を着れば良かったのです。 しかし彼はビジネススーツと言う普段着で出席すると言う無礼を働きました。
ワタシはどうも中国人の「礼」と言うのは、日本人や欧米人のそれとは根源的に違うのではないかと思います。
中国人だけでなく韓国人や朝鮮人も同様だと思います。
日本人や欧米人の感覚だと、こうした外交上の公式の席で、不作法を働くとまず何よりも自分の恥、自国の恥になると考えます。
外交交渉の席ではいかに熾烈な議論をしようとも、無茶苦茶な要求をしようとも、晩餐会の席などではにこやかに礼儀正しく振る舞い、十二分に丁重な対応をして、自分が立派な紳士であることを示すのです。
そしてその事で、自国もまた信頼に値する国であるとアッピールするのです。
でも特亜の国々ではむしろこのような場で、相手に無礼を働き、それを相手が抗議しないと、非常な優越感を感じるようです。 そしてその優越感がそのまま自国の地位の優越に繋がると考えているようななのです。
この典型が2002年の日韓共同開催ワールドカップの開催式の金大中の天皇陛下とうせんぼうです。 ワタシはあれを見た時はホントに驚きました。
開会式でロイヤルボックスのお席に着こうとされた天皇御夫妻の通り道を、先に入場していた金大中夫婦が塞いだのです。
そして天皇陛下を側を通ろうとされても、体を寄せて道を開けようともせず陛下を無視したのです。
ワタシが日ごろ行く近所の激安店や、その他日常立ち寄る場所でも、こんな無礼を働く人間は殆どみかけません。
近所の激安店など賞味期限切れギリギリの商品を激安で売るのが人気のような店で、客もそれなりの連中ばかりです。
でもこの店の狭い通路で客同士がすれ違う時は、お互いに道を譲りあうし、ウッカリ相手のとおせんぼしをしてしまったら、「すみません」と言って軽くお辞儀するぐらいの事はするのです。
でもおそらく金大中夫婦も、また韓国国民もああして天皇陛下の進路を塞いで、しかも陛下が何も抗議なさらなかった事で限りない優越感を味わったのでしょう。
それだけでなく韓国の大統領は天皇陛下に道を譲らなかった事で、韓国の優越を世界に示したつもりだったのではないでしょうか?
この金大中や胡錦濤と全く逆をやったのが、2009年鳩山由紀夫の留守に来日したオバマ大統領です。
鳩山由紀夫がオバマ大統領の来日を無視して、シンガポールへ行ってしまっても、オバマ大統領は予定通り来日しました。
またこのポッポの無礼には何も抗議もしませんでした。(ポッポまたアメリカに喧嘩を売る )
そして天皇陛下に謁見して、実に丁重なお辞儀をしたのです。
すると驚いた事に、それまでオバマ大統領に批判的だったり、敵対的だったりした日本の愛国保守派の人達のオバマ評価が一発で変わってしまいました。
あの時、ネットにはオバマ大統領を絶賛し、鳩山を非難する意見が溢れていました。
オバマ大統領がいくら頭を低く下げても、アメリカには何の損もないのです。 でもこのお辞儀一つで、一気に日本の世論を変え、オバマ大統領自身とアメリカの評価を爆上げしたのだからホントに凄いです。
でもこのオバマ大統領の凄いファインプレーを見ても、中国は何も学びませんでした。
この直後に来日して、小沢一郎の圧力で無理矢理天皇陛下に会った中国副国家主席近習平は「絶対に陛下に頭を下げてやるものか!!」とばかりに、陛下の前でふんぞり返っていました。
結局これが特亜人の「礼」なのです。
この「礼」は儒教から来ているのかも知れません。 でも幸い日本は儒教は学びませんでした。 日本が学んだのは「儒学」だったのです。