それは地獄のはじまりだった
【マニラ/フィリピン 15日 AFP】1943年、当時14歳だったVirginia Villarmaさん(78)は若さと純潔を奪われた。その時の出来事を思い出すたびに、深いしわが刻まれた顔が涙で泣き濡れるという。
Villarmaさんは食べ物を手に入れるためマニラ郊外の通りを歩いていた時、突然、日本兵の集団に襲われた。動物のように軍用車の後座席に投げ入れられると、港にある兵舎の一室へ連れて行かれ、そこで服をはぎ取られ3、4人の兵士に繰り返しレイプされたという。Villarmaさんが悲鳴を上げ相手を殴って抵抗すると、失神するまで殴られたり蹴られたりした。
「静まりかえった部屋の中で意識が戻ったとき、体中に激しい痛身を感じました。その痛みはその後も消えず、今も残っています。その日から3か月間、朝から夜まで毎日虐待され続けました。あれは私の一生で一番長い3か月でした」
VillarmaさんはAFPの取材に応じて、ピンクのハンカチを指に巻きながら静かな声で語った。
「それが地獄の始まりでした。当時何が起きたのか、そしてなぜ私たちが日本政府に過去の過ちについての正式な謝罪を求めているのかを、大勢の人に知ってもらいたいんです」
取材中に時折、言葉に詰まると金縁の眼鏡をはずし、目にあふれる涙をぬぐった。
3か月後、連合軍の爆撃のおかげで、Villarmaさんはやっとのことで兵舎から逃げ出すことができた。だが、彼女の人生はその出来事を境に一変した。
http://www.afpbb.com/article/1417133
大分前の記事ですが、この記事を見た時はホントに呆れました。 だってこの記事で軍用車って始めはジープになっていたのですから。 しかし哀しいかな我が大日本帝国陸軍はジープなんてお洒落なものは持っていませんでした。
それに米軍の爆撃が始まった時期もこの人の話と合わないのです。
だから抗議のAFPに抗議のメールを入れました。 他にも沢山抗議した方がいたのでしょうね。
するとAFPはジープを軍用車に書き変えたのです。 でも英語版はジープのままです。 捏造する気満々なのです。
ちなみに軍用車もほんの僅かしかありませんでした。 そして運転ができる人も殆どいませんでした。
それじゃ日本軍はどうやって移動や輸送をしたの?
勿論徒歩とお馬さんを使ったのです。 帝国陸軍の見解では自動車はガソリンがいるし、道路の無いところは走れないが、お馬さんなら大丈夫と言うのです。 勿論お馬さんは一馬力しかなく、輸送力も速度も自動車と比較にもならないのですが、そんな事への想像が付かなかったのです。
結局当時の日本の社会がそれだけ欧米に遅れていたのです。 ポーランド軍とルーマニア軍も同じくお馬さんで第二次世界大戦を闘いました。
おかげで我が父YN二等兵も昭和16年に応召してから終戦までの大半を、ハノイ郊外ハイフォンで馬の世話に明け暮れました。 我が父YN二等兵の兵科は砲兵だったのですが、山砲と言われる小型の歩兵砲も馬で運んだので、二等兵の仕事は馬の世話だったのです。
父によればお馬さんは犬や猫よりも利口で、とても可愛いのだそうです。 自分の世話をしてくれる兵隊にはなついて側に行くと喜ぶのだそうです。
その上父の軍規違反の証拠隠滅までしてくれました。
大日本帝国陸軍の兵隊は買い食い禁止でした。 でも南国ですから、バナナやマンゴー、パパイヤなどの果物を兵舎まで売りに来ます。 大の甘党の父は再々軍規違反をして、バナナを買っては食べました。 皮が見つかると大変なのですが、その皮を全部お馬さんが食べてくれたのです。
でもある日、例によって仲間二人で大量のバナナを食べて、お腹がパンパンになったところに、上官殿が親切にも更に大量のバナナを差入れてくれたのです。 ここで断れば、さっきの軍規違反がばれてしまいます。
上官殿は「旨いぞ、しっかり食え」と目を細めて見ておられます。
父達は必死でそのバナナを食べました。 この時は死ぬまでバナナを食べたくないと思ったそうです。
でもお馬さんがこの皮も気持ちよく食べてくれたので、遂に父の軍規違反はバレずに済みました。
こんな事ばかりしていたので、父は終戦まで二等兵のままでした。 当時としてはインテリに属する旧制商業卒であるのに・・・・・。
でも文句を言う気は無いのです。 仕官候補生に志願する意志はなかったし、上官の受けも悪いのを承知でしたから。
大日本帝国の軍隊では、応召兵は学歴にも出自にも関係なく全部二等兵です。 大岡昇平や会田雄次のような大学院卒の超インテリも、有馬頼義のような母は皇族、父は伯爵と言う超セレブでも、一平卒として応召し戦いました。
夏目漱石の次男
そして普通はせいぜい上等兵になるぐらいで終わりました。
旧制中学或いは商業、工業を出ていれば、仕官候補生に志願する事が出来ましたが、しない人も多かったのです。
勿論、朝鮮人の志願兵も、台湾人の志願兵も全く平等です。
これは世界でも稀な事です。
昨日、damedakoraさんが三鷹市でまた慰安婦捏造展をやると言う情報を教えてくださいました。(三鷹市・売春婦決議案に続き売春婦展 )
それでこんな古い記事を思い出したのです。 そして父の話を思い出しました。
このAFPの記事のインチキを見ても、戦争を語り継ごうなどと言う人達の戦争への認識のお粗末さがわかります。
彼らは戦争を騙り次ぐのです。
でも正しい認識と知識が無ければ、本当の意味での平和など守れません。 戦争は語り継がなければなりません。 正確に冷静に語り継がなければなりません。