ある日のことです。 お釈迦様はいつものように極楽の蓮の池のほとりを散歩しておられました。 極楽の蓮の池にはそれはそれは美しい蓮の花が咲き誇っておりました。 けれどもお釈迦様は蓮の花ではなく、池の底をご覧になりました。
極楽の蓮池の底からは、地獄の血の池が見えるのでございます。 そこでは無数の罪人達が例えようも無い苦しみにあえいでおりました。 それは真に恐ろしい光景で、恐ろしさに一瞬たりとも正視しえない程でした。
しかしお釈迦様はそれをジッとご覧になりました。 そして血の池の中で一人の高僧が足掻いているのにお気づきになられました。
そのお方は人間界では遥かに昔、まだ満足な船も無い頃、何度も何度も東海の彼方の島国へと命懸けの航海をされて、遂には盲しいたのですが、それでも海を渡ってかの地に仏法をお伝えした方でした。
ですから今まで極楽にいらして、菩薩様や天女様達とお釈迦様のお側にお使えなさっていたのです。
そのような方がなぜ地獄にいらっしゃるのか、お釈迦様はいぶかしく思われて、護法童子を地獄へ使わされました。
童児は地獄へ着くと、鬼達にお釈迦様のお使いである事を告げました。 すると鬼達は高僧を血の池から引き立ててきました。
極楽の天女が織った衣は破れ、露になった肌は酷くも傷だらけで、高僧は見る影もないほど浅ましい姿に変わり果てておりました。
童子が高僧に地獄に居るわけを尋ねると、高僧は童子に仰いました。
勝手に極楽を抜け出した事はお許しください。 でももうわたくしは極楽に居る事ができません。
わたしくしの作った寺ではもう仏法は行われておりません。 それどころか今寺にいて僧の姿をした者は、皆仏敵ばかりでございます。
この者達は私の寺を私の故国に作ると為と称して、観音菩薩とその信徒を滅ぼそうとする大悪魔に協力する有様です。
わたくしはこれを極楽で見ている事ができません。 そんな苦しみを受けるぐらいなら、地獄で血の池に沈んだほうがましです。
これを聞くと童子はわっと泣き出しました。 そして泣きながら、極楽へ帰って行きました。
こうして童子が極楽へ帰りつき、お釈迦様にこの話をいたしますと、お釈迦様はため息をついて仰いました。
和尚は地獄にとどめよう。 今となっては和尚の苦しみは、いずこにいても地獄その物のだから。
この時これを聞いた一人の天女が、はらはらと涙を流して言いました。
お釈迦様、ワタシも地獄に行かせて下さい。 ワタシは前世は猫でございました。 でも和尚様について海を越え異国に渡り、そこで大切な仏典を鼠から守った功徳によって、天女に生まれ変わったのでございます。 そのワタシが和尚様のお側を離れて、一人極楽に居る訳にはまいりません。 和尚様のお側にいとうございます。
するとお釈迦様はおっしゃいました。
お前が地獄へ行っては、和尚は余計辛い思いをするだろう。 お前の優しい心根に免じて、お前を猫に戻すから、もう一度人間に飼われなさい。 そうして愚かな人間を慰めてやりなさい。 そうすれば和尚の苦しみも少しは和らぐだろうから。
こうしてもう一度猫に転生した天女は、和尚様の事を案じながら、辛い日々を送っているのです。