先日裏の桜さんがエントリーで、テレビ朝日の番組の一部を紹介してくださいました。
李氏朝鮮の閔妃暗殺をしたと言う日本人の孫が、韓国に行って閔妃の一族の子孫に謝罪すると言う番組です。
謝罪した男性は幼いころ母親から祖父が閔妃を暗殺したと言う話を聞いて「心に重い十字架」を背負っていたのだそうです。
http://dale-alv.iza.ne.jp/blog/entry/3035660/
閔妃暗殺には諸説あります。
それでこの男性の祖父が本当に閔妃を暗殺したかどうかはわかりません。
しかし本当に暗殺をしたとして、何でこの男性が謝罪しなければならないのでしょうか?
「心に重い十字架」を背負わなければならないのでしょうか?
閔妃を暗殺したのはこの男性の祖父です。
暗殺自体はこの男性が生まれるずうっと前の話です。
この男性には何の責任もありません。
祖父が自分の生まれる前に犯した罪で「心に十字架を背負わければならい」と言う発想って、キリストを処刑したと言う理由でその後2000年ユダヤ人を迫害し続けたのと同じ発想ではありませんか?
こんな発想って身分差別その物ではありませんか?
江戸時代の身分差別ってそうですよね。
例えば犯罪を犯した罰として非人にされた人は、本人だけでなく子子孫孫非人として差別されます。
或は関ヶ原の合戦で手柄を立てて旗本になった人は、本人だけでなく子子孫孫旗本としての身分を保障されて、家禄を貰えます。
祖父が暗殺事件の犯人だから、被害者の子孫に謝罪しなければならない、被害者の子孫は「心に十字架を背負わなければならない」なんて事になったら、殺人犯の子孫には人権が無くなってしまいます。
少なくても近代国家、民主主義国家ではこんな事は許されないはずです。
親や祖父母が何をしようと、本人に責任の無い事で、謝罪したり罪悪感を持つ必要はないし、例え被害者の子孫と雖もそんな事は強制できないはずです。
親が犯罪者だからと言って子供に「謝罪しろ」などと言うのは人権侵害です。
自分に責任のあることは自分で責任を取らなければならないけれど、自分自身に責任の無い事には責任を問われない、これが近代社会の責任論の原則です。
「本人に責任の無い事を、責任者の親族であるとか同族であるとかを理由に、責任を問う」このような連座制は、反民主主義であり、法の下の平等にも個人の権利保護にも反する発想です。
ところがテレビ朝日はなぜかこの反民主主義、身分差別的な対応を礼賛しているのです。
実は朝日新聞とその系列って身分差別大好きなのです。
門地門閥や生まれにスゴ~~ク拘るのです。
ワタシが初めてそれを感じたのは、1960年代末美濃部亮吉が東京都知事になった頃でした。
ワタシは札幌の人間で東京には全然縁がないので、美濃部都政の実態は全然わかりません。
しかし当時朝日新聞の北海道版では、ひたすら美濃部都知事を礼賛していました。 そしてその礼賛の中で必ず「美濃部都知事の父親は天皇機関説事件の美濃部達吉である」と書かれるのです。
え?? だから何?
ワタシは低学歴(もっともその頃は中学生だったのですが)なので、美濃部達吉がどんな人で天皇機関説事件って何か知りませんでした。
でもどんな人でもそんな事関係ないでしょう?
問題は美濃部都知事の人格と能力でしょう?
ところが朝日新聞は美濃部亮吉が都知事を止めるまで、この父親の事を書き続けたのです。
70過ぎた男に関して延々と父親の事を書き続けるってなんでしょうね?
朝日新聞はまた公家大名も大好きです。
ワタシは細川護煕が総理になった頃も報道も覚えているのですが、朝日新聞は彼が細川家の当主でやんごとない御身分であることを繰り返し書き、それを礼賛していました。
彼が外交演説で自分の先祖と相手国との交流を取り上げると「こんな事が言える総理は他にはいなかった。 最高だ!!」と言ってべた褒めでした。
ワタシは当時も完全なノンポリで、細川護煕の所属政党も良くわかってなかったのですが、読んでいて気持ち悪かったです。
けれど朝日新聞はよくよくこういうの好きと見えて、21世紀になっても続けいるのです。
昨年は週刊朝日が橋下徹氏の政治手法や人格を全部、橋下氏の血統の故であると言う特集をしていましたね。
そして橋下氏が生前一度もあった事もない実父の自殺まで取り上げて、橋下氏の人格攻撃を行いました。
ワタシも橋下徹は大嫌いですよ。
しかし橋下徹には何の責任もない生前の父親の犯罪や自殺、被差別部落の血統であることなどを、人格攻撃の材料すると言うのは卑劣にも程があります。
そしてこれは明らかに身分差別で人権侵害でしょう。
そして先日は天声人語で安倍総理を批判するのに、安倍総理の祖父岸信介がA級戦犯として訴追されたことを持ちだしていました。
朝日新聞が安倍総理を非難し、美濃部亮吉や細川護煕を礼賛するのは構いません。
しかし朝日新聞が安倍総理を非難し、美濃部亮吉や細川護煕を礼賛する理由は何よりも血統なのです。
これが21世紀の日本の新聞なのです。
しかも大変呆れた事ですが、朝日新聞は自分ではリベラルとか護憲とかを自認しているのです。
そして何かと言うと差別反対を喚きます。
https://twitter.com/aritayoshifu/status/258414929596522496
差別反対だったら、政治家の批判に血統を理由しちゃダメでしょう?
祖父の犯罪を孫が謝罪するような話を礼賛していいのですか?
しかしこれが朝日新聞のレベルなのです。
自分がする差別は良い差別、他人がする差別は徹底的に非難。
そしてこれは朝日新聞だけではなく、朝日新聞に代表される日本の自称リベラリスト、左翼、人権派と言われる人達のレベルなのです。
その代表格みたいな奴のツィッターを貼って置きました。