記者の目:第三国定住難民、希望者ゼロの衝撃=高橋弘司
毎日新聞 2012年11月28日 00時14分
日本が、母国に戻れないまま避難先の国で長年滞留している難民を対象にした「第三国定住制度」を導入して3年目の今年、難民の来日希望者がゼロとなる見通しとなった。援助関係者の間で「このままでは日本は国際社会から取り残される」との危機感が高まっている。世界にあふれる難民に、我が国としてどう向き合えばいいのかを探った。
2010年来、第三国定住制度を通じ、タイの難民キャンプに滞留してきたミャンマー難民計45人が来日。第3陣として今年も9月末、ミャンマー難民3家族16人が来日予定だった。だが、タイ出国直前、3家族のうち1家族が、「日本に行かないで!」という親族の強いアピールで翻意した。親類にあたる別家族も同調したため、残る1家族は「我々だけでは心細い」と辞退し、最終的に希望者ゼロになったという。
◇厳格な選考基準 受け入れ不備も
この事態を受け、NPO法人「難民支援協会」(東京都新宿区)の石井宏明常任理事は「第三国定住制度導入を機に、国際社会は、日本が難民受け入れに積極姿勢を見せ始めたと期待していた。それだけに各国政府や支援関係者の評価は地に落ちた」とその影響を指摘する。10年の第三国定住難民受け入れ実数は米国5万4077人、カナダ6706人、オーストラリア5636人と続く。日本はわずか27人。移民国家でない国情を考慮し、国際社会には「小さく産んで大きく育てる」という期待があった。今年3月、事業の2年延長が決まったものの、「ゼロの衝撃」は制度の根幹を揺さぶっている。
今月7日開かれた第三国定住制度の在り方を検討する政府の「有識者会議」でも討議され、厳格過ぎる選考基準に批判が出た。現行制度は、ミャンマーの少数民族カレン族で、幼い子どもを持つ家族に限定している。キャンプに残った父母らの呼び寄せも想定していない。基準緩和は遅すぎるぐらいだ。
加えて、「受け入れ態勢」の改善も不可欠だ。一昨年秋に来日したミャンマー難民第1陣をめぐっては、千葉県内の農業法人で職場適応訓練を積んできた2家族が「事前説明と異なる長時間労働を強いられた」などと訴え、この法人への就職を断り、東京都内に転居してしまった。2家族をめぐる騒動がタイの難民キャンプにも伝わり、今回の「来日辞退」に影響した可能性も否定できない。現行のわずか半年間の日本語研修や生活指導だけでは定住には無理があり、きめ細かく、息の長い支援が必要だ。
また、長谷部美佳・東京外国語大学特任講師は「第三国定住制度にとどまらず、我が国の難民政策全般で、難民を社会の一員としてどう溶け込ませていくかという『社会統合』の視点が欠けている」と指摘する。ベトナム戦争後、ベトナム、カンボジア、ラオスからの大量の難民流出に際し、我が国は1978年から2005年まで総数1万1000人の難民定住を認めた。だが、その後、十分な追跡調査もなく、現在の実際の定住総数さえ不明だ。学問的研究も緒に就いたばかりで、大半の国民は無関心なままだ。
元カンボジア難民のハン・ソクアンさん(31)は日本社会にうまく溶け込んだ成功例だろう。父母とともに5歳で来日、神奈川県伊勢原市の小、中学校を経て、高校卒業後、かまぼこ工場などに勤務。幼なじみのカンボジア人男性と結婚、2人の女の子に恵まれた。昨年11月には日本国籍を取得、調理師免許まで取った。ハンさんは「小学校時代、バレーボールのクラブ活動でできた仲間の支えが大きかった」と振り返る。だが、頼れる日本人に出会わなかった多くの難民は落ちこぼれ、貧困にあえぎ、生活保護を受けたり、日本社会になじめず精神を病んだりした例も少なくない。
◇子の将来考え苦渋の離日
ハンさんは今年10月、25年住み慣れた日本をたち、家族4人で母国に帰国した。帰国直前、「定住に成功したはずなのになぜ」と尋ねると、生活費がかさみお金がたまらないとこぼす一方で、「私は幸い、友人に恵まれた。だけど、日本ではやはり難民はのけ者扱い。子どもの将来を考えました」と顔を曇らせた。
オーストラリアでは定住に成功した難民が新参難民の生活支援を行い、カナダでは無医村に難民出身の医師が着任するなど、難民による社会貢献が進む。日本でも、公益社団法人「難民起業サポートファンド」(東京都新宿区)が今秋、中古車輸出業を営むパキスタン出身の難民に初の融資を行うなど、難民の経済的自立を支える試みが始まった。難民を社会の一翼を担う戦力としてとらえるという発想の転換が求められている。(新聞研究本部)
http://mainichi.jp/opinion/news/20121128k0000m070105000c.html
難民って何ですか?
難民って祖国にいると虐殺されたり投獄されたりするから祖国を逃れて来た人達ではありませんか?
そう言う気の毒な人達を助ける事は必要だと思います。
しかしこの記事を読んでいると何だかヘンです。
>元カンボジア難民のハン・ソクアンさん(31)は日本社会にうまく溶け込んだ成功例だろう。父母とともに5歳で来日、神奈川県伊勢原市の小、中学校を経て、高校卒業後、かまぼこ工場などに勤務。幼なじみのカンボジア人男性と結婚、2人の女の子に恵まれた。昨年11月には日本国籍を取得、調理師免許まで取った。
>ハンさんは今年10月、25年住み慣れた日本をたち、家族4人で母国に帰国した。帰国直前、「定住に成功したはずなのになぜ」と尋ねると、生活費がかさみお金がたまらないとこぼす一方で、「私は幸い、友人に恵まれた。だけど、日本ではやはり難民はのけ者扱い。子どもの将来を考えました」と顔を曇らせた。
??
帰国できるのなら、何の為に日本に来たのでしょうか?
最初から祖国に居れば良かったのではないでしょうか?
普通に考えて言葉もわからない外国で暮らすのは大変です。
いくら教育があっても言葉ができなければ、出来る仕事は限られています。
そして言葉に堪能なエリートでも、海外勤務で神経をすり減らす人は多いです。
それでも敢えて祖国を捨てて難民になるからには、祖国ではよくよくの迫害に遭うからだと思っていました。
だから難民は出来る限り受け入れるのが人道行為と思て居ました。
けれどこの記事に出てくる事例を見ると、全然そうは思えません。
むしろこれじゃ根性の無い無計画移民じゃないですか?
これだったら受け入れるのが良い事とは思えません。
それ相応の覚悟の無い人を、簡単に受け入れたら周りも迷惑だし、本人も不幸です。 むしろ祖国に帰るように説得するべきではありませんか?
そしてこの援助関係者の発想も何とも奇妙です。
>援助関係者の間で「このままでは日本は国際社会から取り残される」との危機感が高まっている。
>第三国定住制度導入を機に、国際社会は、日本が難民受け入れに積極姿勢を見せ始めたと期待していた。それだけに各国政府や支援関係者の評価は地に落ちた
だから何?
こういう事って難民たちの事を第一に考えるべきで、日本の国際社会の評価とかそう言う事はどうでもよいんじゃありませんか?
そもそもベトナム戦争も終わってから何十年も経ち、大量の難民が生まれるような状況ではないのに、何でこんなに難民が多いのか?
これらの援助関係者の発言を聞いていると、ヒョッとしてコイツラが難民を生んでいるのでは?と思ってしまいます。
つまり祖国で何とか暮らせる人を、祖国に帰す代わりに難民キャンプに据え置き、更に第三国へ送り出しすことをビジネスにしているのでは?と思ってしまうのです。
ベトナム戦争時にボートピープルが溢れた時に、沢山出来た難民救済団体の一部が、今もそれを飯の種にする為にせっせと難民を作っているのではないのでしょうか?
ホントに難民って何でしょうか?
それでも難民を受け入れないと「国際社会から孤立する!! 大問題!!」と言うなら、今後難民は毎日新聞が正社員として雇用するようにしてはいかがでしょうか?
毎日新聞の正社員の給与体系を知れば日本に定住を希望する難民も増えると思います。