昨日、全国一斉日韓断交デモに参加しました。 デモの目的は前回のエントリーの通りです。(日韓団交デモ(デモの目的解説) 札幌)
8月の半ばから続いた異常猛暑は一昨日で終わり、爽やかな快晴になりました。
集合場所の大通り西10丁目に着くと、もう大勢の参加者が集まっていました。
デモ隊出発の前に1時間弱の集会がありました。 異例に長い集会なのですが、今回のデモの目的が普段のデモと違うので説明を兼ねて演説が長くなったのです。
そして今までのデモには無かったことですが、今回は本物の右翼団体が参加していました。
その代表の方も演説されたのですが、その中で戦後の日韓関係史で大変重要な話がありました。
日本の右翼団体は戦後長い間、東西冷戦終結までは共産主義と闘う仲間として韓国を応援してきたと言うのです。
実際現在ネット上で有名な保守系活動家でも、年配の人達は若いころ韓国を助ける為に様々な活動をしていたと言っています。
そして右翼団体だけでなく、保守系の政治家や産経新聞など保守系メディアも韓国を応援していました。 桜井よし子氏など今でも自分で「韓国びいき」と言っているのです。
一方現在韓国が「良心的知識人」と賛美する人達やメディア、つまり大江健三郎や朝日新聞や毎日新聞などは、韓国を徹底的に侮辱していました。
彼等は韓国を軍事独裁の悪の国家として、明らかに嘘であることも平然と報道したのです。
そして本物の悪の独裁国家である北朝鮮については、北朝鮮のプロパガンダをそのまま垂れ流し「地上の楽園」と賛美し続けたのです。
この当時の雰囲気はワタシ自身も体験しています。 ワタシは最近まで完璧にノンポリだったのですが、しかし朝日新聞始め大手メディアやノーベル受賞者など超有名知識人などが、韓国を罵倒して北朝鮮を賛美するのですから、幾らノンポリでも知らないわけはないのです。
そして彼等は韓国を罵倒するだけではなく、韓国を助ける日本の政治家や団体も、軍事独裁政権を助けると言って罵倒しました。
日本の右翼団体や保守系政治家達はこのような罵倒や非難を浴びながら、韓国を助けて来たのです。
勿論、右翼団体や保守系政治家は日本の主権を守るのが信条ですから、韓国の竹島不法占拠については不快に思わないわけではなかったでしょう。
しかし何とか反共政権が存続する為には、竹島の問題には目をつむって韓国を応援するべきと思い、親韓国の活動を続けたのです。
当時の韓国は非常に貧しく、貧しければ共産主義が浸透する下地になります。
一方当時の北朝鮮はソ連から莫大な援助を受けて居ました。 また共産主義ならでは情報統制とプロパガンダの成功もあり、世界中の少なからぬ人達が、韓国より豊で自由な国と言う印象を持っていたのです。
だから日本の右翼団体や保守系政治家達は、何とか韓国を豊かにする事で、韓国を共産主義から守ろうとしたのです。
またこれには軍事面ではアメリカが韓国をサポートするから、経済面では日本がサポートすると言う分業があった事もあるでしょう。
しかしいずれにせよ、韓国が最も苦しかった時代、韓国を助けたのは日本の「右翼」であり、韓国を貶め韓国の敵北朝鮮を助けたのが「良心的知識人」だったのです。
そしてまた韓国が国を挙げての反日が始まったのは90年代以降、ソ連崩壊からでした。
勿論それまでも韓国人には強烈な反日感情がありました。 例えばソウルオリンピックの時、日本選手には観客から猛烈な罵声が浴びせられました。
それまでも韓国でのスポーツ大会では、物凄い罵声が飛びました。 そこでオリンピック本番で、罵声で集中力が切れない様にするために、日本選手は大音量の騒音を流して練習して、罵声に慣れるようにしたと言うぐらいです。
しかしそのような反日感情は別として、韓国の政治家達が明白な反日発言をする事はありませんでした。
少なくとも一国の政治家として、軍事的にも経済的にも重要な相手国に対する礼儀だけは守っていたのです。
そしてこれは非常に重要な事ですが、この頃までは韓国の政治家からも、また一般国民からも日韓の歴史問題を理由にした「金を寄越すニダ」の要求は全く出て来ていないのです。
そしてこの当時も日本は韓国に莫大な経済援助をしているのですが、その頃韓国が日本に経済援助を求める口実は「韓国は日本の為に反共の盾となっているのだから、日本は韓国を助けるニダ」と言うものでした。
1981年日韓外相会談の席で、韓国は日本に60億ドル(2兆1千600億円当時のレート)の借款と技術移転を要求して、「びた一銭まかりならん。」と言って園田外相を呆れさせました。
けれどこの図々しい要求の口実も「韓国は日本の為に、反共の盾になっているから、日本は韓国を助けなければならないニダ」と言う物でした。
またこれも重要な事ですが、日本の良心的知識人やメディアも歴史問題に関して韓国に謝罪と賠償をしろとは言っていません。
強制連行や従軍慰安婦などと言う話は一切出て居ませんし、それ以外でも「植民地支配への賠償」と言う話も全く出て居ません。
例えばサハリン残留朝鮮人の帰還運動は70年代以前からありました。 しかしこの当時サハリン残留朝鮮人帰還運動をしていたのは、現在「良心的知識人」と言われる人々ではありませんでした。
むしろ現在韓国から蛇蝎の如く嫌われている右翼系の人達だったのです。
この当時のサハリン残留朝鮮人が「強制連行された」などと言う話は全くありませんでした。
帰還運動をしている人達は、言い分はこうでした。
「戦時中同じ日本人としてサハリンで働いていた朝鮮人達が、戦後ソ連と彼等の母国韓国政府の無情によって、帰国できないまま放置されたままである。
今や老年に差し掛かってくる人も多い。 これは余りに非人道的である。 だから日本政府も人道的観点から、何とか彼等が帰国できるように援助して欲しい。」と言う物でした。
それが「サハリン残留朝鮮人は強制連行に被害者だから、日本政府は謝罪と賠償をするべきだ。」に変わったのは、90年代、ソ連崩壊の後からです。
そしてそれ以降、帰還運動は「良心的知識人」「良心的市民団体」に乗っ取られていまったのです。