
尤もジャニー喜多川氏が所属タレントの少年達と性的な関係を持っていたという噂は、ワタシも聞いた事があります。 実はワタシは完全芸能音痴なので、芸能ニュースの類は全く見ないのですが、それでもジャニーズ全盛時代からその手の話が、芸能関係以外の媒体でも報道されていました。
しかしそれをテレビや新聞など大手メディアが取り上げた事もないし、それ以前に「被害者」が彼を告訴するなどと言う事もありませんでした。
だからジャニー喜多川氏の死後4年も経ってから騒ぎだすと言うのは何とも奇妙です。
これは一つにはジャニー氏の芸能界での力が絶大で、テレビ界は勿論、その関連会社である新聞社が沈黙したと言うのが原因の一つでしょう。
しかしもう一つの原因は、そもそも日本の成文化では古代から少年との性関係は特に罪悪でも、何でもなかったからではないでしょうか?
ところがBBCが騒ぎだしたので、便乗して騒ぐ連中が出てきたのでしょう。
そういえば日本では歴史的に同性愛もトランスジェンダーも無問題でした。 でも明治になって欧米では同性愛は絶対悪と知って、とりあえず鶏姦罪などと言う物を作って、同性愛は違法にしました。 尤も違法と言っても罰則はなく、その後間もなく法律その物を廃止しました。
ジャニーズ騒動も全くこれと同じパターンじゃないですか?
元来、日本では権力者が身近に使う少年に性的なサービスを強いる事は、古代から普通に行われていました。
特に仏教では、僧侶の女色は厳禁でしたが、その代わり男色は無問題とされていました。 それで僧侶は稚児と言わる少年を身近に使い雑用をさせるとともに、性的なサービスのさせていました。
この稚児を描いた「稚児草子」と言うのがあります。
成立は鎌倉時代末期、御伽草子などが各地で描かれた時代ですが、絵と文章で稚児と僧侶、寺で働く下男などのやり取りが描かれています。
ネット検索すると第一段からこんな絵入りの現代語訳が出てきますが、何と言った物やら・・・・。
仁和寺の高僧に仕える稚児が、敬愛する高僧を満足させるために頑張る話です。
これぞアダルト漫画文化の元祖とでもいうべきでしょうか?
稚児が僧侶に性的なサービスを強いられる事は、当時の人々は皆周知の事実でした。 そしてそれを罪悪とか加害とかは一切考えていなかったようです。
そういえば平家物語では俊寛僧都の稚児だった有王が、彼を追って鬼海が島まで会いに行く逸話が描かれていますが、何とも切ない話です。
実は今昔物語でも稚児と僧侶の話は色々出ているのですが、大体この手の純愛物語か、ユーモラスな話ばかりです。
高僧がやってよい事だから、誰も悪いと思うはずもないのです。 当然、僧侶以外の人達も同じ事をしたのです。
特に武士の間では「衆道は武士の嗜み」と言われたぐらいで、男色は当然の習慣でした。
有名なのは織田信長と森蘭丸ですね。
大名に仕える小姓も性的なサービスをしていました。
前田利家も少年時代は信長に小姓として仕えていました。
それで宴会の最中に信長が利家の髭を引っ張り「この男の髭のおかしさよ。 この男はかつてはなかなかの童で、自分は彼をいつも傍らに寝かせた。」と言ったという逸話があります。
前田利家も少年時代に信長の性加害を受けた被害者だったのですが、しかしそれは彼の人格形成にはあまりマイナスにならなかったようですね。
こうして小姓が殿様に性的なサービスをすると言うのは、江戸時代になってからも続きました。
中にはそれで大出世する者も出てきまいた。 しかし性愛が人事に関係すると言う点では、女色より厄介でした。
しかし高僧も殿様も少年を寵愛するなら、庶民だって習います。
そこで江戸時代には陰間と言われる少年男娼が盛んになります。
で、更に有名なのが弥次郎兵衛と喜多八です。
「東海道中膝栗毛」の主人公の二人の関係は、陰間だった喜多八を客の弥次郎兵衛が買った事から始まったのです。
弥次郎兵衛は元々清水の大店な跡取りだったのですが、放蕩を尽くした挙句に陰間買いまでやって身代を潰し、喜多八一人を連れて江戸に出たのです。
しかしこんな形で江戸に出たのですから、弥次郎兵衛も喜多八を囲い続けるどころではなく、喜多八は元服させて知人のつてで商店の丁稚奉公をさせて、自分は昔趣味で絵をかいていた事から、絵描きのバイトをして何とか日銭を稼いで暮らす事になりました。
そういう暮らしを続けて10年余の後ですが、二人は伊勢参りの旅にでるのです。
しかし驚きますよね。
東海道中膝栗毛はユーモア小説として、子供達にも広く読まれています。
その主人公二人が実は性加害者と被害者の関係だったなんて・・・・・・
ワタシもこれはジャックさんの所で初めて知ったのですが、さすがに驚きました。 しかしこれで中年の色黒の醜男の弥次郎兵衛と、若く色白で優男の喜多八がなあんなに親しい関係なのか腑に落ちました。
いずれにせよこうしてみていくと、日本では歴史的にこの種の少年との関係を性加害とか被害とかと認識する歴史はないのです。
少女に力づく権力づくで関係を強要するのは、日本でも悪とされました。 少女の場合は体力的に抵抗不能だし、また妊娠出産と言う問題もあります。
それ以上に少女の場合は、一旦男性と関係を持つ事で「傷物になる」と言う問題もあって、その後の結婚等に差し支えます。
だから少女に性的関係を強要する事は罪悪視されたのでしょう。
でも少年の場合はホントにイヤなら力づくでの抵抗も不可能ではないし、また少年時代に誰かと性的関係を持った事が、その後のキャリアーには一切問題にならないと言う事もあります。
だから同性愛その物が禁忌でない場合、こうした少年との関係も全く問題にされない事になるのでしょう。
ワタシは男性ではないので、こうした関係が少年にどういう傷を残すかはわかりません。
これは逆に考えると、少年への性加害が欧米で非常に問題にされるのは、そもそも欧米文化では同性愛その物が絶対悪だったと言う事と無関係ではないでしょう。
絶対悪である同性愛を少年が強要されたのですから、これはもう大変な被害だとするしかないのです。
それでその加害により少年が受けた「傷」を大問題にするのです。
しかし少なくとも近代までの日本人は「傷」とさえ思っていなかったのでしょう。
その歴史があるからジャニー喜多川氏の性加害も問題にされてこなかったのだと思います。
それが良い事なのか、それとも許すべからざる事なのかは、ワタシにはわかりませんが。