プリンターの用紙を買いに行こうか?とも思ったのですが、午後から体調が悪くなったし、それに無茶苦茶寒いのでそのまま休んでいました。
しかし夜になってから体調も戻ったので、また少しプリンター君の相手をしてみました。
試しにコピーを取ってみると、コピーはすんなりできたので、トラブルの原因は紙やインクではないようです。
だったらパソコンとの接続とかでパソコンから指令がプリンターに伝わらないか、或いはプリンター君がパソコンからの指令で動くの拒否しているかです。
それで何とかプリンターのトラブルシューティングとかと言うの見つけて、そこをクリックすると、突然プリンター君が勝手に動き出し、午前中命令していた印字を始めましたのです。
しかしまた途中で紙が切れたので、また追加して続きを印刷させようとしたら、今度はうまくいきました。
それじゃホントに何が気に入らなくてプリンター君は、命令遂行を拒否したのでしょうか?
でもとにかくこれで必要な物は全部印刷できたので、後暫くプリンター君に用事はありません。
しかしこれからちゃんと働いて貰う為に、プリンター君に名前を付けてあげる事にしました。
アカーキー・アカーキーウェッジ・バシマチキン
これがプリンター君の名前です。
実はこれゴーゴリーの「外套」の主人公の名前です。
「外套」の主人公は、ザンクトペテルスブルグに暮らす国家公務員で、仕事は「書写」なのです。
アカーキー・アカーキーウェッジが生きた時代は、プリンターは勿論、コピー機やガリ版さえもありませんでした。 だから役所などで書類の複製が必要な場合は、人間が書写したのです。
これは読み書きさへできればできる仕事なので、事務職としては最低の仕事です。 しかし人間なので、才能ややる気があればそこから昇進捨て行く事も可能でした。
しかしアカーキー・アカーキーウェッジには、書写以外には何の才能もありませんでした。
また書写以外の仕事をする気もありませんでした。
でも彼は書写の仕事を天職と思い、心から愛していました。
どんな書類であっても、彼は上司から書写を命じられると、ただそれを丁寧に正確に書き写す事に集中したのです。
だから彼の書写した書類は、一字の間違いもなく、また非常に美しく仕上がりました。
上司も同僚も皆彼の誠実で真摯な仕事ぶりは評価していました。
しかし仕事が仕事ですから、公務員の中では最下級の給与です。
だから独身者であるにも関わらず、生活は倹しい物でした。
それでも彼は日々の仕事と生活に満足して幸福に暮らしていたのです。
ところが冬のある日、彼は自分の外套がボロボロになっていて、このままではもう外套として寒さを防ぐ役に立たない事に気づきました。
それで同じアパートに住むドイツ人の仕立屋に修理を頼むと、彼は「いや、もう生地が弱り切っているから、新しい外套を新調するしかねいです。」と言うのです。
アカーキー・アカーキーウェッジは愕然としました。
だって外套を新調するようなお金はありません。
しかしザンクトペテルスブルグで外套なしに生きていく事はできません。
現代の感覚では想像できないのですが、当時の一般庶民にとって、服を一着新調するのは、ホントに大変だったのです。
爾来半年余、彼は涙ぐましい節約と、それに職場には内緒のアルバイトを続けました。
アルバイトは勿論、書写です。 近所に貼り紙をして広告を出して、書写の依頼を募集して、役所の仕事が終わってから頼まれた書写をこなして、手間賃を稼いだのです。
これは大変厳しい日々でしたが、しかしアカーキー・アカーキーウェッジはそれで初めての仕事以外に目標と言う物を持つ事が出来たのです。
彼は節約とアルバイトと仕事に明け暮れながら、新しい外套を夢見るようになったのです。
そして仕事中に外套の事を考えていて、字を書き間違えました。 こんなことは就職して以来初めてでした。
そしてザンクトペテルスブルグに次の冬が訪れる頃、遂に新しい外套が仕上がりました。
その着心地が素晴らしい物で、彼は全く寒さを感じる事なく、職場につく事ができました。
職場の人々は、新しい外套を着た彼を見て驚き、そしてそれを祝い、更に上司は彼は自宅での夜会にまで招待してくれたのです。
彼は上司の好意を無にせず夜会に出たのですが、日頃そうした席に出た事のない彼は全然楽しむ事はできませんでした。
それでもその夜会が無事に終わって、夜道を帰宅途中、追剥に襲われて、外套を奪われてしました。
これが彼にとってどれだけの打撃だったかは言うまでもありません。
間もなく彼は正気を失い、更に亡霊となって他人の外套を奪うようになったのです。
これがゴーゴリーの名作「外套」です。
しかし主人公アカーキー・アカーキーウェッジの人となりを知れば、この名を冠するのはプリンターとして最高の名誉になるのではないかと思います。
プリンター君もアカーキー・アカーキーウェッジと呼ばれたからには、その名を汚さないように頑張ってくれるのではないかと期待しています。
ゴーゴリーの作品は、この「外套」や「鼻」のような、ザンクトペテルスブルグの庶民の生活をリアルにユーモラスに描いた物が有名ですが、しかしそれとは全く趣の異なる、「ターラス・ブーリバ」や「ヴィーイ」「ディカーニカ近郊夜話」などウクライナの民話や歴史を美しく描いた作品でも有名です。
そしてどちらもロシア人に深く愛されてきました。
特に「ターラス・ブーリバ」や「ヴィーイ」「ディカーニカ近郊夜話」は、スターリン時代にさへ映画化されていますし、プーチン時代にも再度映画化されています。
ワタシはYou tubeで見つけて楽しみました。
ゴーゴリーがウクライナを舞台にした作品を多数書いたのは、ゴーゴリーがウクライナ人だったからです。
但し作品をロシア語で書いているので「ロシア文学」に分類されます。
ザンクトペテルスブルグを舞台にした作品では、ゴミゴミとした街並や貧しい生活が描かれるのに対して、ウクライナを舞台にした作品では、ウクライナの沃野や自然が、この上もなく美しく描かれています。
ウクライナを舞台に活躍するコサック達は、皆陽気でひたすら勇敢なのですが、しかしまた途方もない大酒飲みで、それが原因で失敗もやらかします。 けれど彼等は知恵と勇気でそれを克服して勝利するのです。
こうしてみると、ゴーゴリーにとってはウクライナは現実に自分の故郷であるとともに精神の故郷、あるべき自分の理想が生きている世界だったのでしょう。
そしてそれはゴーゴリーの作品に惹かれるウクライナ人にとっては勿論、ロシア人にとっても同様なのでしょう。
ロシアのウクライナ侵略戦争が始まってから、ワタシは毎日ウクライナの戦況を解説する動画を見ています。
戦争研究所などのデータを元に作られた動画は、グーグルマップや気象データと合わせて、小規模な集落を巡って行われている戦闘の状況まで克明に伝えてくれます。
そして時々この中で、ゴーゴリーの小説に出てきた地名が出ています。
子供の時、ゴーゴリーの描くウクライナの民話の映画を楽しんだ人達は、一体どういう思いでこの惨状を見ているのでしょうか?
因みにワタシはプリンター君が仕事を済ませた直後から、寝込んでいました。
久しぶりに猛烈な眼痛を食らって、25・26・27・28と4日間、左目に保冷剤を宛てて寝込むより何もできなかったのです。
でも29日あたりから何とか回復しました。
でもなんかまだ現実の世界に戻った気がしません。 いつまでボ~~~ッとしてちゃいけないんですけどね。