それで思い出したのが大分前に読んだ「三井物産ジャカルタ支店」です。
これは三井物産の社員だった著者が、戦時中徴用されてジャカルタで日本軍の為の物資調達の為に働き、敗戦後、捕虜収容所に収容された後に帰国するまでの記録です。
それで徴用、日本軍占領、そして敗戦後の連合軍側の捕虜の扱いなどについて、随分と色々知る事ができます。
まず著者が徴用された時の状況が興味深いです。
当時日本軍は占領地での物資調達の為に一種の会社を設立して、必要な物資を買い付ける計画を建てていました。 しかし日本軍内にこうした物資買い付けの専門家はいないので、三井物産、住友商事など主な商社からバイヤーの仕事をしている社員を徴用することにしたのです。
それで各商社毎に人数を割り当てて、社員を出すように要請しました。
その要請を受けた商社ではこの要請の件を社内に公表して志願者を募りました。
著者はこれに志願したのです。
当時著者は30前でまだ徴兵令状は来ていなかったのですが、戦争が激化すればいずれ徴兵される覚悟していました。 しかし徴用者は徴兵されない事になっていました。
既に妻子のいた著者としては、できたら徴兵を避けたかったのです。 だったら徴兵される前に徴用される事を選んだのです。
徴用には様々な形態があって、学生の軍需工場への援農や軍需工場への動員のようなものもあれば、こういう専門職の徴用もあるのです。
そう言う場合、軍の側が専門家の名前等を知っているわけでもないので、そういう専門家を多数抱えている会社に要請して、会社は社員に徴用への志願を募る事になります。
因みに「朝鮮人徴用工の手記」の著者である朝鮮人徴用工も、勤め先の会社に熟練工の動員要請が来たのに応じて志願して「徴用工」として来日しています。
著者はこういう形で徴用され、ジャカルタに配属されて、同様に徴用された他の商社員達と日本軍の為の物資買い付けに奔走する事になりました。
この徴用者達は兵舎ではなく、日本軍がオランダから接収したオランダ人の家で生活したのですが、これが途方もない大邸宅でした。 そして元々この家の使用人だったインドネシア人をそのまま雇って家事全般を任せました。
お陰で日常生活は植民地の支配者オランダ人そのままの優雅な物でした。
物資買い付けの相手は殆どが華僑でした。
オランダの植民地支配下でインドネシア経済を動かしていたのは華僑でした。 彼等は商業に精通していたので華僑との取引は大体スムーズに行ったのですが、しかし厄介な事もありました。
タイヤを買い付けた所、一見何の問題もない新品のタイヤが実は古タイヤを接着剤で貼り合わせた物だったことがあったのです。
で、暫く使っていると接着剤が剥がれてタイヤがバラバラになるのです。
更に不味いのは日本側はこれを知らずに、ドイツから要請を受けてドイツ軍にもこのインチキタイヤを送ってしまったのです。 これは後にドイツ軍を大変苦しめたのではないでしょうか?
しかしベテラン商社マンばかりが集まっての仕事は、全体としては順調で、著者も仕事を楽しんでいました。 他の商社の出身者との交流も楽しく実り多い物でした。
インドネシアは日本軍占領後、敗戦まで殆ど戦闘もなかったことから、この生活は敗戦まで続きました。
しかし日本の敗戦で生活は一変します。
インドネシアに戻った連合軍は日本軍将兵はもとより、著者等徴用者からなる軍属達も全て捕虜収容所に収容し、強制労働を課しました。
著者等と一緒に徴用されたいた人達の中には、少数ですが女子事務員もいたのですが、彼女達も捕虜収容所にいれられ、従軍看護婦や慰安婦たちと一緒に病人の看護を仕事をさせられました。
因みに慰安婦達は敗戦の直前に日本軍側が彼女達を従軍看護婦の名簿にいれていました。 朝日新聞とその尻馬に乗った左翼は後にこれを理由に「日本軍が慰安婦に関与した!!」と騒ぎました。
しかしこれは極めて人道的な対応です。 慰安婦は正規の軍属でない売春婦ですから、慰安婦の身分のままでは、何をされるかわかりません。 売春婦はどんな国でも蔑まれ人間扱いされないのです。 ましてそれが敵国の売春婦なら猶更です。
しかし従軍看護婦の身分なら連合軍も、彼女等を正規の捕虜として扱い帰国させなければなりません。
女子事務員達はこうして本物の看護婦や慰安婦達と一緒に帰国まで病人の看護を続けました。 しかし彼女達はそれまでの職業や境遇の違い超えて仲良く助け合って終戦まで働きました。
一方、男性達には肉体労働が課せられたのですが、食料が十分与えられなかったのでこれは大変辛いものでした。
因みに捕虜に強制労働をさせるのは、ハーグ陸戦条約違反です。
しかし途中で事情が変わります。
インドネシア独立運動が始まり、それが独立戦争になると、連合軍はインドネシアの独立運動がを鎮圧する為の兵員を送りこみました。 そしてこの兵員へ補給の為に大量の物資を送り込んだのですが、港で船からこの物資を荷下ろしする荷役作業を、筆者等日本人捕虜にやらせたのです。
船から荷物を降ろす荷役作業は現在では殆ど機械化されていますが、当時は全部人力でした。 人が船倉に入って、荷物を担いで持ち出して、船から降ろすのです。
これは大変な重労働です。
ところがこれが筆者たちには大変幸運でした。
船倉には運搬中に梱包が壊れた物資が大量に散乱していて、作業中に持ち出し放題だったのです。 この物資の中にはソーセージやビスケットなどの食糧が幾らでもあったので、この荷役作業を始めてから栄養のある食品を食べ放題になるのです。
こんな事ができたのは、連合軍の物資が豊富で梱包の破損した物資なんかどうでもよかったのと、作業の監視が緩かったからです。
連合軍はこの作業の監視をチャンドラボースの呼びかけに応じてインパール作戦に参加したインド兵にさせたのです。
彼等は元々マレー半島に駐留していたイギリス軍に所属していたのですが、日本軍のマレー作戦で捕虜になりました。 その彼等にインド独立運動の闘士だったチャンドラボースがインパール作戦への参加を呼びかけたのです。
イギリスの為ではなく、日本軍と一緒にインド独立の為に戦おう!!
彼等はこれに呼応してインパール作戦に参加したのですが、インパール作戦の結果は悲惨でした。 そして彼等は今度は連合軍の捕虜になったのです。
彼等は後にインド独立の英雄として称えられました。
しかしこの時点では連合国から見れば裏切り者です。
それでも連合軍は現状のイギリス軍の状況から、彼等を厳しく罰する事は得策ではないと思ったようです。
そこで日本兵の監視など緩い仕事をさせて、いずれインドネシア独立軍討伐に動員する心算でした。
しかしインド兵達はインパール作戦の無残な結末にも拘らず日本軍に好意を持ち続けていました。
それで監視対象の日本兵が食料を持ち出すのも見逃すし、それどころかお茶時間にはビスケットやお茶を分けてくれて一緒にお茶を飲んでいたのです。
そしてやがて彼等は連合軍の隙をみて脱走して、インドネシア独立軍に加わって戦いました。
ともあれこのような状況で荷役作業は帰国まで続きました。
しかしこの荷役作業が数か月続いてから、著者は自身の肉体の変化に驚きます。
肩や腕の筋肉が盛り上がり、腰はきっちりと締まって、見事な逆三角形になっていたのです。
著者は商社マンでしたから、肉体労働の経験はありません。
元来スポーツマンでもなく、胃下垂気味でもあったので、少し下腹の出た貧弱な体格でした。
ところがいつの間にかギリシャ彫刻そのままの肉体美になっていたのです。
これなら帰国後、肉体労働で妻子を養っていける。
彼はこれで帰国後の生活に大きな自信ができて、安堵しました。
彼は大卒の商社員でした。
大卒の商社員って今でもエリートですが、当時の大学進学率は今とは比べ物にならないほど僅少なので、現在よりはるかに凄いエリートなのです。
でも敗戦で帰国しても商社という物が存続しているかどうかわかりません。 日本と言う国の将来も全くわからないかったのです。 それで帰国後の生活は大変に不安でした。
だから「肉体労働で妻子が養える」という自信が持てた事は、大きな喜びでした。
それでもそういうエリートの身でさっさと頭を切り替えて「肉体労働で妻子を養えるラッキー!!」と思っちゃうからすごいです。
著者のこういうポジティブさには感動します。
この本はワタシは図書館で借りて読んだのですが、さっき調べたら文庫本も出ているんですね。
そもそもこの本は随分と地味な本で、著者自身も他人に読ませる為と言うより、自身の経験を書き留めておきたかったので書いたような本なのです。 それがこうして人気を得て文庫本にまでなるのは、徴用者から見ての戦争体験と言う記録の貴重さだけでなく、こうした著者のポジティブな性格の魅力の為だとも思います。
しかしこれはこの著者だけでなく、当時の日本人の特徴だと思います。
他の手記や体験記を見ても、戦争で大変な思いをしても、唯ひたすらそれを嘆き、恨むと言う物はなく「戦争で大変辛く厳しい目に遭ったけれど、自分はこの体験をしたお陰で、人間として成長できた。」「この体験をしたお陰で戦後どんな辛い目に遭っても乗り切る事ができた。」などと極めて前向きなのです。
前述ように捕虜に強制労働をさせるのは、ハーグ陸戦協定にもジュネーブ協定にも違反しているのですが、敢えてそのことを問題にするより、むしろその体験から得られた事を大事にするのです。
戦後の日本の復興を支えたのはこのような日本人の性格ではないかと思います。
で、何でゲイの筋トレでこの本を思い出したのかと言うと、筋トレの話でこの本で著者が荷役作業で数か月でギリシャ彫刻になった話を思い出したからです。
このエピソードからすると男性ならきちんと食事をして数か月肉体労働に励めば、誰でもギリシャ彫刻になれるはずです。
だとするとギリシャ彫刻型の筋骨隆々たる肉体美こそが、男性本来の姿であって、ブクブク太ったり、ヒョロヒョロに痩せているのは、男性本来の姿ではないのです。
ということは現代の男性の殆んどは、生活の利便性や美食と引き換えに本来の肉体美を喪ってしまったと言う事になります。
お気の毒です。