ツィッターで拾ったLGBTトイレに関する話しが面白いです。
イヤ、ホントは当事者にとっては笑いごとじゃないのでしょうが。
これはジャックさんが何度も取り上げていらっしゃいますが、最近LGBT差別反対の活動家達が、LGBT専用トイレ作らせる活動をしているのです。
簡単に言うとまずLとGとBはそんなトイレ必要ないのです。
だってL・レズビアン、G・ゲイ、B・バイセクシャルは肉体的な性別と自身の認識する性別は一致してます。 だからレズは女性用トイレ、ゲイは男性用トイレを何の問題もなく使っているのです。
トイレで悩むのはT・トランスジェンダーの人達だけです。
肉体的には男性だけれど自身は女性と認識するような場合は、男性用のトイレに入るのは辛いし、しかし女子トイレに入れば痴漢扱いされて嫌がられますから。
しかしとトランスジェンダーの人々も、実はあまりLGBTトイレは歓迎していないようなのです。
だってこんなトイレに入れば、それを見ている人達に「あら、あの人LGBTなのね。」と解ってしまいます。
LGBT活動家達は、自分をLGBTと宣言する所謂カミングアウトを奨励しているのですが、しかし当事者達にすれば迷惑な話です。
そもそも性と言うのは大変デリケートで、紳士淑女なら羞恥を持って語るべきものです。
それなのにスーパーの店内や駅の構内でトイレを使う度に、見知らぬ人々に自分の性的指向を宣言させれて、好奇心の的にされるなんて冗談じゃないでしょう?
そもそもこの反LGBT差別の活動自体にも、多くの当事者達は非常に懐疑的です。
キリスト教から同性愛に対する禁忌が非常に厳しくて、刑事罰もあった欧米と違い、日本では同性愛がタブーだった歴史はありません。
ところが現在日本の反LGBT差別の活動をしている人々は、欧米流の活動をしているのです。
しかし前記のように日本とアメリカでは、元々同性愛に対する認識が根源的に違うのですから、アメリカ式のLGBT活動をするとどうなるのか?
活動家達は、日本にも嘗てのアメリカのような同性愛差別が在った事にして、LGBTの人々がいかに差別されて苦しんでいるかを訴えるようになるのです。
なるほどLGBTの人達の中には、やたらに人目を気にしてクヨクヨおどおどしている人達もいないわけではないようです。
しかし日本では昔から大多数のLGBTの人々は、上手く社会に適応し貢献して、普通の日本国民として暮らしているのです。
それなのに一部の活動家が大声で「自分達は差別されて不幸だ!!」と喚き散らし、「LGBTとは…・かくかく云々」と宣伝すると、社会がその方向に引っ張られてしまいます。
つまり今まで「あの人ホモかも?」と思いながらも、「だから何? あの人良い人だし仕事もできるから、そんなこと詮索するようあ失礼な事はしてはいけいわ。」と接していた人々が、「エッ? あの人差別されて苦しんでたの? あの人にウッカリした事いってはいけないのね。」「あの人、仕事ができてエリートだと思ってたけど、差別されてカワイソウな人だったのね。」と思うようになってしまうのです。
そうなるとそれまでの人間関係の中にあった節度や敬意が喪われてしまいます。
これって当事者にとって当事者にとって凄く不愉快でしょう?
オイ、オレが何をしたって言うんだ!!
オレはホモだけれど、仕事もちゃんとしてるし、オマイラに愚痴の一つもこぼした事はないぞ!!
税金だって人一倍払ってきた。
それなのに何で勝手に弱者認定するんだよ!!
実は先日たまたまこうしたLGBT活動の行き着く果てを描い「虹色のディストピア」と言うネット小説を読みました。
これはゲイの人が自分の立場からLGBT活動家への批判を込めて描いた小説なのですが、しかしこれを読むと、LGBTと言う問題を超えて、人が社会に弱者認定されるとはどう言う事かを考えさせられます。
自尊心があり、しかも弱者でもないはずの人間にとって、これがどれほどの屈辱かが理解できます。
ええ、このLGBT活動家のやっている事は、つまりLGBTは不幸な被差別者=弱者認定させる事なのです。
勿論弱者認定を受ける事にはメリットもあります。
実はワタシは難病患者なので、列記とした弱者なのですから弱者当事者として説明します。
難病何ぞ抱え込むと実際に働けなくなったり、障碍を抱え込んだりと言う大変なデメリットがありますから、日本政府は難病患者には医療費の補助等一定の支援をしています。
これはメリットです。
しかし実はそれでも病状の軽い人には、敢えてこの認定を受けない人もいます。 昇進等に差支えるからです。
だって雇用主からすれば、病人に激務はさせられない、だから昇進はさせないと言うのは、当然の判断でしょうから。
それでも病状が悪ければ隠し切れないので、多くの人は認定を受けます。 ワタシも受けています。
しかしそれでも病気の事は家族や親しい友人にしか話していません。 別に隠す必要もないのですが、余り親しくもない人に、そんな事を話してヘンな同情をされるのもいやだからです。
だって人に同情されるなんて、まずそれだけで惨めじゃないですか?
イザとなった時に助けてくれる家族や親しい友人ならともかく、そんなことを期待できない人にまで知られて無意味な同情をされるのは絶対にイヤです。
しかしこのLGBT反差別活動と言うのは、LGBTの人々を全部強制的に弱者認定させようと言う活動です。
そしてその認定と引き換えに、それまで普通の人間だったLGBTの人々が普通の人達とは違う特異な集団と認識されるようになるのです。
なぜならLGBTは「差別に苦しむ不幸な人々」と言うのがこの活動の根拠だからです。
だから多くのLGBTの人達がこの活動に違和感を持ち抗議をしているのです。
しかし驚くのは、行政や政治家がドンドンこの活動家に引っ張らて行く事です。
そして行政は活動家の作ったLGBTの判断基準やイメージを元に、政策を始め、その政策の成果の一つがLGBTトイレなのです。
で、でも何でこんなヘンな事になるのだろうか?
最初に書いたようにL・レズ、G・ゲイ、B・バイセクシャルは、それぞれ女子トイレ、男子トイレを使うのに何の問題もない事は、誰でも少し考えればわかる話ではありませんか?
しかし一部の活動家に引っ張られて行政はLGBTトイレを作るのです。
ワタシがこれで思い出したのは内閣府男女共同参画局です。
あの役所ができる元になったのは、男女共同参画基本法とか言う法律なのです。
しかし女性の圧倒的多数は、あんな法律を作る事を要求したわけではありません。
あれは馬鹿フェミ団体の煽り出できた物です。
そして馬鹿フェミの総帥とでも言うべき野上千鶴子でさえ「こんな過激な物が良く出来た物だ。」と言う法律なのです。
しかし殆どの女性が何も知らない内に、馬鹿フェミに煽られて法律ができ、官庁までできてしまったのです。 その担当大臣までいるのです。
そしてそれで何をやったかと言うと、例えば女子トイレと男子トイレのマークの色が違うのは差別だとか言って、同じ色にすることを強制したのです。
こんな事、何の意味があるんですか?
そんなことに税金を使う価値があるんですか?
これはつまり一部馬鹿フェミ達の考える「女性差別の概念」を押し付けるだけの話なのです。
ところが呆れた事に、政治家も官僚も、自分の廻りにいる山のようにいるはずのマトモな女性達の意見を無視して、馬鹿フェミ達の言う事を聞いてしまったのです。
あんな活動をする「女性」がマトモな女性であるはずもないでしょう?
自分達だってそう思っているから、あんな連中とは絶対に付き合わないでしょう?
それなのに行政の場では、マトモでない極少数派の意見が通ってしまうのです。
だったらLGBTだって、圧倒的多数のマトモな人達の意見を無視して、マトモでない極少数派の活動家の意見が通っていくのもわかります。
そしてこうしたメカニズムは在日特権が生まれる過程でも働いたのでしょう。
つまり政治家と官僚は「差別反対」などの建て前に対する抵抗力が非常に脆弱でなのです。
この手の連中と揉めたらマスコミに叩かれて凄く厄介。
だから少額の予算で済むなら、彼等の言い分を聞いて置けば良い。
だからあのヘンテコリンな男女共同参画基本法だって、内心「この女達絶対オカシイぜ。」と思っていても「でもコイツラに逆らって差別主義者だと言われたら厄介だから・・・・。」と言う感覚で、徹底的な弱腰対応をして、ホントに成立してしまったのです。
パヨクはこれまでこうしたメカニズムを最大限活用して、弱者認定をさせる事で、利権を得てきました。
しかしそういう利権のネタもさすがに使い尽くした所に、LGBT差別反対運動がアメリカを中心に盛り上がりました。
そして反米パヨクはこのような場合は、完全にアメリカに追従するのです。 そこで日本にもアメリカ並みの同性愛差別が
存在した事にして、LGBTへの反差別運動を始めたのです。
しかしこれは「差別されるカワイソウな人達」に認定される事になる人々には大迷惑です。
ホントに既に犠牲者が出ています。
去年一橋大学法科大学院の学生が自殺しました。 あれはあの学生の友人が、彼が同性愛者であることを他の学生に話した事が原因でした。
彼は同性愛者であることを他の学生に知られた事で、差別されると悲観して自殺してしまったのです。
そりゃ同性愛なんて事を他人に知られるのはイヤだと言うのはわかります。
しかしホントに自殺するほどの差別なんてあるんですか?
彼をこんな悲観させたのは、実は現実の社会ではなく、「同性愛者は差別される」と言うプロパガンダでしょう?
真面目だけれど世間の狭い優等生は、まんまとLGBT差別の悲惨を訴えるプロパガンダに載せられて、「同性愛だとバレからには、自分はこれからは差別されて悲惨な人生を送るしかない」と思い込んだから自殺したのでしょう?
彼が普通に社会生活をしているゲイの人達と知り合っていれば、「オレは何を悲観していたんだろう?」と気づいて、明るく暮らしていけたのではありませんか?
こういう被差別者作り弱者認定は、単なる税金の無駄遣いでは済まない有害な物ではないでしょうか?
しかしパヨクにとってLGBT反差別運動は最後に残された楽園です。
だから彼等はこの学生の死もトコトン利用するでしょう。
そもそも人は全て違うし、それぞれ何かしらハンディを抱えて生きているのです。 だからその意味では全ての人はマイノリティなのです。
それを考えたら人を特定の集団に入れ込んでは弱者認定するような活動こそは、差別製造そのモノではありませんか?