ワタシは毎度、毎度この手の反ヒトラーヒステリーを見る度に凄い違和感を感じます。
そもそも彼等は何の為に、こんな事でヒステリーを起こすのでしょうか?
誰かが講演でヒトラーを持ち出す度に、ヒトラー敬礼やナチスのシンボルを使う人間が出る度に、ヒステリーを起こしていれば、ファシズムは復活しないと言うのでしょうか?
こんな事をしていて本当に歴史が学べるのでしょうか?
ヒトラーの問題はヒトラーとナチスの悪事や、ヒトラーが極悪人だったと言う事はありません。
この極悪人が当時の世界で最も民主的と言われたワイマール体制下で合法的に政権を取り、そしてドイツ国民の絶大な支持を得た事です。
そうでなければ、彼もナチスも場末の街宣右翼で終わったのです。
しかもこの極悪人は、門地門閥もなければ、学歴経歴も至ってお粗末で、金もない帰化人で、その上見栄えまで悪いと言う男でした。
貴族的な階級社会だったプロシャ帝国なら、こんな男は一生日の目を見る事はなかったでしょう。
しかしそんな男が、嘗てのドイツの支配者の誰も持てなかったような権限と、ドイツ国民の絶大な支持を得たのです。
それを考える事がヒトラーの問題なのです。
そしてそれを考えないと、第二のヒトラーの出現は防げません。
特に日本人にとっては、これは重要な問題です。
なぜなら第一次世界大戦後のドイツは、日本の自称反戦平和主義者達が唱える、二度と戦争を起こさなない為の措置をドイツ人自身で行ったからです。
その一つは自身で民主的な憲法を制定した事。
そしてもう一つは、君主制を廃止した事です。
ドイツは第一次世界大戦を皇帝の詔ではなく、民衆の手で終わらせて、皇帝を排除し、ワイマール憲法を制定したのです。
日本の反戦平和主義者達が言うように「天皇制が戦争の原因」ならば、これでドイツは二度と戦争を行わなかったはずではありませんか?
しかし現実には、何処の馬の骨ともわからないルンペン同様の男を総督として祀り上げた挙句、この男の意思によって再度大戦争をすることになったのです。
そして嘗てのドイツの君主達の誰もやらかったような大量虐殺まで行ったのです。
この現実を理解するためには「ナチスの知恵に学び」、その知恵にどのように対抗すれば良いかを考えるべきではありませんか?
ところが現在、自称反戦平和主義者達、自称リベラリスト達は、ナチスの知恵に学んでその再来を阻止しようと提唱する人に対してヒステリーを起こして謝罪と発言撤回に追い込むのです。
今年6月の日銀原田泰審議員の発言に対する反応などその典型でした。
原田審議員は別にヒトラーとナチスの悪事を否定しているわけでもなければ、ましてヒトラーの戦争や虐殺を肯定しているわけでもありません。
彼はヒトラーが政権を取った時の状況や、ヒトラー政権の金融財政政策を金融のプロとして分析したのです。
そしてこの政策の成功が復活させて、ヒトラー政権を盤石にして、彼が結果ユダヤ人迫害から始まり第二次世界大戦に至る政策を実行できるようにしてしまったと言うのです。
これは現在、原田審議員の独説ではなく、多くの歴史学者・経済学者にとって定説となっている話です。
このヒトラーの金融政策は、不況下では徹底的な財政出動と金融緩和を行い、民間で冷え込んだ需要は国家が補い、それにより不況を脱出するという物です。
そしてこれは別にヒトラーでなければ行えないはずの物ではありません。
実際、戦後多くの国が不況の度にある程度行ってきたものです。
だから第二のヒトラーの出現を防ぎたいなら、この話は出来る限り多くの人が知り、不況下では正しい金融政策を取るようにするべきなのです。
ところがなぜか自称反戦平和主義者、自称リベラリストは、この話が出ると忽ちヒステリーを起こして、発言者に謝罪と発言撤回を強要するのです。
これでどうやって一般国民がこの話を理解する事ができるのでしょうか?
彼等は、ヒトラーを極悪人と言い、ヒトラー敬礼やハーケンクロイツを摘発していさえすれば、第二のヒトラーの出現は防げると信じているのでしょうか?
ワタシはネオナチよりこの手の思考停止による言論弾圧の方が余程怖いです。
今現在、日本だけでなく、欧州でも特にドイツでは、緊縮財政論、均衡財政論が幅を利かせており、失業者がどんな増えようとも「絶対均衡財政!!」と言うのです。
均衡財政主義は、個人の家計を考えるを国家の財政にそのまま当てはめた話しで、何も考えなくても、そのまま呑みこめるので、こういう事になるのです。
だから世界大恐慌の時のドイツでも当時のブリューリング内閣が均衡財政主義による徹底的な緊縮財政を行い、それがドイツの不況を際限もなく悪化させたのです。
そして遂には全労働者の3分の1が失業し、多くの人が家を喪ってテント生活に追い込まれたのです。
こうした絶望の中で、人々は民主的な政権に失望し、ナチスに縋りつきました。
そしてナチスは財政出動と金融緩和で、本当にこの絶望から人々を救いだしてしまったのです。
これではヒトラーとナチスが絶大な支持を得るのは当然ではありませんか?
テント生活から救い出してくれた人がやる事なら、誰だって大概の事は大目に見てしまいます。
こうした歴史を考えれば、第二のヒトラーの出現を防ぐためにこそ、ヒトラーについて学び、彼の政策の中で良い物は民主主義政権が先取りしなければならないのです。
そしてそれ以前にヒトラーが出現したような状況を作ってはならないのです。
しかしヒトラーと話しが出る度に、ヒステリーを起こすのでは、これは出来ません。
北朝鮮のミサイルに「冷静になれ」と言う自称反戦平和主義者・自称リベラリストこそ、歴史を冷静に見るべきなのです。
結局彼等の根底にあるのは、物事を最初に学校で習ったまま善と悪にわけて、思考を停止して、悪はひたすら悪と非難していれば良いと言う知的怠惰の極致でしょう?
これでどうやって第二のヒトラーの狡知に対応できるのでしょうか?
因みに麻生さんが今回言った事は、歴史的事実です。
歴史を学べばわかりますが、高邁な理想を抱いて、政治家になった人間が、良い結果を残すとは限りません。
それどころか大量虐殺や悲惨な戦争を起こしたのは、むしろ高邁な理想に燃えて権力を握った人々です。
逆に下劣な物欲や性欲を満たす為に権力を握った人間は、確かにロクな事はしないのですが、しかし彼等がやる悪い事は賄賂を沢山取るとか、公金を横領して私腹を肥やす程度で終わるのです。
そして経済政策について言えば、高邁な理想主義者は皆禁欲主義者であるせいか、至って無残な結果を残しています。
世界大恐慌の後、ドイツの不況を最悪化させて、ナチス政権出現の下地を作ったブリューリングも、また同様日本の不況を最悪下させた浜口雄幸も、本当に高潔を絵に描いたような人でした。
人間は高邁な理想を抱くべきだし、高邁な理想を持つ人は尊敬するべきです。
しかし現実の政治では、高邁で高潔であることだけで、人を幸せにして社会や国家を救う事はできない。
これもまた学んでおくべきではありませんか?