マキャベリは解雇直後から再就職を切望し続けたのに・・・・・。
「君主論」をローマ法皇レオーネ十世の弟ジュリアーノ・デ・メディチに捧げようとしたのもその為です。
それにより自分の経験と能力をアピールしようとしたのです。
しかしワタシはマキャベリが再就職不能になったのは、「君主論」なんか書いたからだとしか思えません。
だって現代でも「君主論」は「冷酷な権謀術策主義」とだけ、認識する人間が大多数なのです。
100万円ぐらい賭けても良いけど、もし安倍総理が「愛読書は君主論」なんて言ったら、マスコミは大騒ぎしますよ。
「そらみろ、安倍は冷酷なマキャベリスト!!」と最低半月は、煽り続けますよ。
高学歴を誇るジャーナリストや言論人は、高校世界史で「君主論」はルネサンスを代表する名著で、マキャベリは近代政治学の祖」と教わっているはずですが、そんなの関係ありません。
ツィッターのマキャベリbotから、冷酷そうな言葉を拾いだしては、安倍=マキャベリスト=冷酷残忍キャンペーンをやりまくるでしょう。
ましてこんな本の著者を雇って身近に置いたら、何を言われる事だか?
勿論マキャベリの時代の知識人達は、皆「君主論」のモデルになったチェーザレ・ボルジアの事は良く知っていました。
だからその意味では「君主論」十分理解できたし、マキャベリの意図だって十二分にわかったでしょう。
でもそれは知らないよりもっと悪いです。
だってマキャベリが「君主論」を完成させたのは1514年ですが、チェーザレ・ボルジアが失脚したのは1503年です。
チェーザレ・ボルジアが死んだのはこの3年後です。
しかもそのチェーザレ・ボルジアが同時代の人々にどのように思われていたかは、その3で書いた通りです。
こんな人間を君主の理想として手放しで礼賛するなんて・・・・・。
これって1950年代にヒトラーの経済政策を礼賛するような話でしょう?
ヒトラーの経済政策が成功した事は、既に経済学では広く認知されているのにです。
でも一回悪魔に仕立てた人間は、何が何でも悪魔として扱い続けなければ気が済まない。
それが正義だ!!
世の中にはそう信じている人間が沢山いるのです。
しかもイタリアの小国は皆チェーザレ・ボルジアの侵略に怯え続けた「被害者」なのです。
更に深刻なのは、マキャベリが「君主論」にイタリア統一の夢を託した事です。
当時のイタリアが小国分裂しており、その為に既に統一国家として強大化していたフランスやスペインなどに対して防衛不能になってきている事は、前に何度も書きました。
だからイタリアも一刻も早く統一国家を作り、これらの国々に対応するべき。
これは誰もわかります。
しかしそれはイタリア内の小君主にとっては自分の権力を手放す事です。
またヴェネツィア共和国やフィレンツェ共和国など共和政国家の市民にすれば、自分達の参政権を手放し、専制君主に身を委ねる事なのです。
そして法皇庁としたら全く立場がありません。
こんな事、到底受け入れられません。
完全な危険思想です。
しかもそれが完璧な説得力を持って書かれているのだから、恐ろしい事この上無しです。
マキャベリの友人で駐ローマ大使だったフランチェスコ・ヴェットーリは、マキャベリから「君主論」をジュリアーノ・デ・メディチに捧げる事を相談されも、良い返事をませんでした。
それでこれは中止になったようです。
フランチェスコ・ヴェットーリと、この大分後からマキャベリの親友になるフランチェスコ・グィッチャルディーニは、どちらも名門出身で、高学歴でその上有能だったので、フィレンツェ共和国の要職を歴任しました。
彼等はマキャベリの人となりに魅せられていました。
また彼の政治感覚の鋭さや卓抜した洞察力を知っていたので、政治外交に関して何かと彼の助言を仰ぎました。
でも彼等がマキャベリを部下として正式に採用してくれる事はありませんでした。
マキャベリがもう一度フィレンツェ共和国の為に働く事を切望しているのも、また経済的にも絶対に再就職が必要なのも知りながら・・・・・。
その5で、にゃんこさんがこんなコメントを下さいました。
>しかし冷徹かどうかは置いておくとして、リアリストが大きな働きを出来るってことは、その他大勢がいかに本質からずれたことに惑わされてるかってことですね。
ヨーロッパの移民問題もアメリカのポリティカルコレクトネスも私には良くわかんないんですが・・・
ことによって、み~んなへんなところへ迷い込んでるだけのような・・・
ワタシもこれを書いていて思い出したのが「ポリティカルコレクトネス」と言う言葉です。
ワタシもあの欧米のポリティカルコレクトネスと言うのは、良くわからないのですが、結局あれは移民問題など人種差別に関わりそうな問題について、政治家はひたすら綺麗事の発言に徹しなければならないと言う事でしょう?
でもこれをやっていれば、結局マトモに問題を議論できないし、そうなると問題の解決もあり得ないのです。
真のリアリストであるマキャベリは、当然このようなポリティカルコレクトネスは無視したと言うより、最初から眼中になかったのです。
そして自分の親友達も同様だと考えていたのです。
けれども彼等はそのポリティカルコレクトネスを十二分にわきまえていたのです。
彼等はマキャベリ同様に、愛国者でありしかも冷徹な政治家でした。
しかし彼等が望んだのは、現在の体制が何とか大過なく維持されていく事でした。
けれどもマキャベリは根源的な体制変革が無ければ、イタリアは生き延びる事はできないと確信していました。
そして実際にその通りになってしまったのです。
これがポリティカルコレクトネスは眼中にない人間と、それをわきまえた人間の洞察力の差になったのでしょうか?