オリバー・ストーン監督等、アメリカのリベラリスト達がオバマ大統領に原爆投下を謝罪しろと言っているそうです。
このアメリカの世論の変遷については、ベヒモスさんがエントリーしていらっしゃる通りだと思います。
そしてベヒモスさんが仰るように、アメリカが原爆投下をどう受け止めるかは、アメリカ人が決める事で、日本人が口を出すような話ではないと思います。
だって第二次大戦に関する問題はサンフランシスコ講和条約で完全にけりがついているのですから。
それにしてもオリバー・ストーンのような所謂良心派リベラルストって厄介ですね。
彼等は心から善意でやっているのかもしれませんが、しかし結局戦争を起こしてきたのは、こうした善意のゴリ押しだと言う事を理解しているのでしょうか?
戦争は国家と国家の正義がぶつかって起きるのです。
双方が最後まで正義を貫けば、どちらかの国民が完全に死に絶えるまで戦うしかありません。
しかしそれはやっていられないから、適当な所で正義を引っ込めて講和するのです。
そしてその後平和を守る為には、講和の為に締結した条約を守り、双方がもう相手に対してこれ以上自分の正義を押し付けない事です。
また戦争中に行った事に関しては、二度と蒸し返さない事です。
日本とアメリカが戦後70年間良好な関係を維持できたのも、これを実行してきたからでしょう?
でもこれは別に戦争だけでなく、夫婦喧嘩や兄弟喧嘩でも同じでしょう?
せっかく和解しても「アンタ、あの時アタシを殴ったわね!」などと蒸し返したら、それで和解はパ~になるのです。
なるほど夫婦喧嘩でも暴力は良くないのと同様、戦争でもルールがあり、原爆投下はルール違反です。
しかしそれもこれも全部含めての講和が、サンフランシスコ講和条約でしょう?
今更この話を蒸し返して意味があるのですか?
勿論「原爆投下を謝罪しろ」と言っている人達は、「原爆のような大量虐殺兵器の使用は、人類の正義に反する絶対悪だから謝罪するべきなのだ。」と言うのでしょう。
でもそういう正義のゴリ押しをする姿勢は、実は「共産主義が絶対悪!」「イスラム原理主義は絶対悪!!」として、戦争を煽ってきた人達と全く同じではありませんか?
既に条約で決着のついた問題をどうとらえるかは、あくまで個人の良心の在り方、個人の価値感によるのです。
それを自分達が規定した倫理から「絶対悪」として謝罪を求めると言う姿勢は、実は自分達の価値感を押し付けであり、他者の価値感を否定する話しです。
日本には田母神さんのように、第二次大戦を日本の正義による戦争と考えている人達が、今でも沢山います。 故人ですがワタシの父もそうでした。
だったらアメリカに原爆投下を正義と思う人間が居ても全然不思議ではないのです。 そしてアメリカ人の多くは勿論第二次大戦はファシズムと戦った正義の戦争と信じているのです。
でも日米双方に第二次大戦への評価や原爆への評価が違えば、日米は良好な関係を持てないのでしょうか?
そんなことはありません。
田母神さん当人だって、自衛隊幹部として米軍の軍人達と親しく付き合ってきたし、日米同盟の重要さを常に強調してきたのです。
だって日米で共通の価値感と言うのは、民主主義です。
つまり国家が個人に対して特定の歴史認識を強制しない、自由に歴史を学び自分の価値感で解釈できる権利を尊重しようと言う事で、共通しているのです。
その価値感を守る意思さへあれば、第二次大戦への評価なんかには関係なく、田母神さんと米軍人も仲良くできるのです。
人間は一人一人違った価値感を持っているのです。 しかし全部が全部違うわけでもない。 だから共通して守れる部分は助け合って守り、違う部分には敢えて干渉しない。
これが人間関係の基本ではありませんか?
しかし「原爆投下は絶対悪だから謝罪しろ」と言う発想は、実はこういう多様な価値観を認める発想とは真逆なのです。
原爆投下が絶対悪なら、慰安婦は? 東京大空襲は? 真珠湾攻撃は?
日米双方で、ドンドン蒸し返してきりがないでしょう?
行きつく果ては「田母神史観を抹殺しろ!!」「原爆投下を肯定する奴は、絶対に許すな!!」と言う正義のゴリ押し合戦です。
つまり双方相手側の精神の自由を全て奪い、自分に服従させることを目指す事になるのです。
これでは最後にはジェノサイトになるでしょう。
民主主義国家では言論の自由が守られます。
でもそれは「私は君の意見には反対だ。 でも君にはそれを言う権利がある。」として、自分が自由に発言する権利と同様、他人もまた自由に発言する権利を認める事で成り立つのです。
精神の自由、思想宗教信条の自由だって同様でしょう?
例えばワタシは共産主義が大嫌いですが、しかし志位和夫には共産主義を信奉する権利は守られるべきだと思います。
民主主義国家では自分の権利同様、他人の権利、自分の大嫌いな他人の権利を尊重する事で、全て国民が自分の権利を守れるのではありませんか?
そうした社会を守ろうと言う発想からすれば、既に何十年も前に条約で決着した問題を、「自分達の正義に反するから国家元首が謝罪しろ」と言う発想は極めて異常です。
だったらオリバー・ストーンは、原爆を投下を正義だと思う人達の意思は蔑にする気なんですか?
アメリカ大統領と言うのは、オリバー・ストーンやその仲間のリベラリストだけではなく、原爆投下を正義と信じている人々の大統領でもあるのですから。
人間は一人一人、違った正義、違った価値感を持っているので、歴史観だって一人一人違うのです。
そういう一人一人の違いを尊重する社会であることが、民主主義社会の素晴らしさではないのですか?
日本とアメリカはそういう社会を守る為に、同盟を組み、そして戦後70年間それを守る事に成功してきたのではありませんか?
だからオリバー・ストーン氏の正義は、オリバー・ストーン氏が個人で守れば良いのです。
ワタシは実は今、オリバー・ストーン等リベラリストには非常な不審を抱いています。
彼等は「多様な価値観の尊重」とか「人権」「反差別」を振り回すのが大好きなのですが、しかし彼等は結局、自分達への反対意見を尊重する意思がないのが、明白だからです。
本当に多様な価値観や人権を尊重する意思があるなら、自分達の反対意見を持つ人の価値感や人権だって尊重するでしょう?
でも彼等はそうではありません。
自分達の意見に反対する人達には、「差別主義者」「レイシスト」などと言うレッテルを貼って、社会的抹殺を図っているのです。
そもそも個人の人権を尊重すると言うなら、自分が生まれる前に国家が行った戦争犯罪で「謝罪する」などと言う発想は完全に狂っているのです。
だってこの世の誰が自分の生まれる前の話に責任が持てるのです?
先祖の罪で子孫に謝罪を求めるなんて、封建時代の話でしょう?
こうした封建的は発想に抗議するのがリベラリストの信条だったのではありませんか?
こんな馬鹿な謝罪要求ができるなら、日本はモンゴルの首相と元寇の謝罪を要求できます。 勿論韓国大統領の責任も問えます。
だって元寇には高句麗も協力しているのですから。
そしてキリスト教徒はイスラエルの首相に、キリスト処刑に対する謝罪を要求できます。
でもこんな事をしたら、彼等リベラリストは「ナチスだ!!」「反ユダヤだ!!」と言って狂乱するんじゃないですか?
しかし原爆投下謝罪要求をしているような連中は、自分が生まれる前に起きた国家の問題に、自分達が個人として反省し、謝罪する事を、良心的な人間の証明だと思っているのです。
国家の犯罪を個人が謝罪しなければならない。
国家の犯罪に個人が罪悪感を持ち反省しなければならない。
しかも自分が生まれる前の国家は犯罪についても、個人は背金を感じ罪悪感を持つべきである。
それが正義だ!!
自分が生まれる前の原爆投下に関して罪悪感を持ち、反省する自分はなんて良心的で善良なんだ!!
イヤ!!
それ全然、善良じゃないから!!
そういう発想って究極の国家主義、全体主義だから!!
個人の正義と国家は一体化するべき!!
そういう発想だからこうした謝罪と言う要求になるんだよ。
彼等は本当は何者なのでしょうか?
因みに日本で原爆投下を今でも騒ぎ続けるいる連中って、北朝鮮や中国の手先や共産主義者ですよ。