先日久しぶりに前田森林公園に行きました。

ここの特徴は長大なカナルです。 全長800m!!
なんとバス停4つ分です。
札幌では唯一のバロック庭園なのです。
ワタシはいつも自転車で行くので、気楽に何度もこのカナルに沿ってグルグル回るのですが、しかし徒歩ではこんな事は絶対できません。
こんなに壮大な公園なのに、不便な場所にあるので、いつも人影はまばらです。 だからここに来るといつも公園を独占して、王侯貴族になった気分です。

しかし上には上があります。
元祖バロック庭園、ベルサイユ宮殿のカナルは全長4㎞!!
バス停なら20、地下鉄なら駅を4つ作る距離です。
宮殿庭園の総面積は1070ha!!
前田森林公園は6haですから、もう桁が違うなんてモノじゃありません。

ワタシはベルサイユ宮殿に行った事はないのですが、しかしこの前田森林公園に来ると、いつもベルサイユ宮殿の事を考えてしまいます。
自転車で回っても半日がかりの前田森林公園を遥かに凌ぐ、壮大華麗なベルサイユ宮殿!!
こんな贅沢をしたからフランス革命が起こり、ブルボン王朝は滅びたのだ。
王侯貴族の浪費と贅沢は、ひたすら民衆を苦しめた。
ワタシも昔はそんな感覚を持っていました。

しかし西洋史を学ぶにつれて(学ぶと言っても好きな小説や歴史関係の本を読み散らかしただけですが)「それは違うんじゃないか?」と思い始めたのです。
まずベルサイユ宮殿には誰でも入れました。
建て前は一応貴族だけと言う事になっていたのですが、しかし貴族の印である剣と帽子を身に着けてれば、それで入れたのです。
そして宮殿の入口には、こうした剣や帽子を貸す店が並んでいました。
だからパリに来た人は、皆ベルサイユに行って、それを借りてベルサイユ宮殿に入ったのです。
こうした見物人目当ての、物売りもゾロゾロ入っていました。

このように大勢の人々がベルサイユ宮殿を訪れ、その庭園を楽しむ事は、ここを作ったルイ14世の望みでもありました。
ルイ14世は自ら、来訪者の為に庭園鑑賞の手引書を書いたほどです。
しかし驚いた事に開放されていたのは、庭園だけではありません。
宮殿内で営まれるルイ14世の宮廷生活も、見学できたのです。
しかも国王起床から就寝までです。
朝、国王が目を覚まし、大勢の侍従達の手を借りて着替えを済ませ、朝食を食べる所まで見る事ができたのです。

そして連日実に多くの人々に謁見しました。
だってせっかくベルサイユまで来たのです。 多少なりとも宮廷につてのある人々は、一生に一度は王様に謁見して声をかけて貰いたいと思うではありませんか?
ルイ14世はこうした人々とただ謁見しただけではありません。
彼は実に非凡な記憶力の持ち主だったのか、こうして謁見した人々をきちんと記憶していました。
実に10年以上前に一度だけ謁見した人の顔や名前を憶えていて、再開を喜ぶ言葉を掛けたのです。
このような王の対応がどれほど人々を感激させたことか!!

しかしこれではルイ14世のプライバシーはゼロです。 こんな生活を半年も続けたら、普通の人なら気が狂ってしまうでしょう。
それでも彼はこれを死ぬまで続けたのです。 しかも彼は健康でこの時代として大変な長寿を全うしています。
当に王の中の王。 王と生まれるべくして生まれた王だったのでしょう。
壮大華麗な宮殿で営まれる、絢爛豪華な宮廷生活。
あまねく国中を照らす太陽のような国王。
しかし当然ですが、これに魅了されたのはフランス人だけではありません。
それどころかフランスを訪れる王侯貴族は皆ルイ14世に、そしてフランスに憧れるようになりました。

そうなると彼等のフランスかぶれは留まる所を知りません。
これ以降ヨーロッパ中の王侯貴族は、フランス風の宮殿を建てて、フランス流行の衣装を着て、フランス料理を食べて、フランス語を使って生活するようになります。
プロイセンのフリードリッヒ二世は、ドイツ国内でシラーやゲーテの文学が流行し始めた時に言いました。
「自分は車夫馬丁の輩程のドイツ語しかできないから、そのようなモノはわからないが、それにして今の若者達がラ・シーヌなどの古典をおろそかにするのは情けない事だ。」と・・・・・。
フリードリッヒ二世はドイツ軍国主義の元祖です。
そして啓蒙専制君主としてプロイセンの発展に力を尽くした歴史的名君です。
元祖軍国主義者ですから、勿論戦争だって強かったのです。 フランスとも何度も戦っています。
それでもフリードリッヒ二世の宮廷はフランス語で営まれ、フリードリッヒ二世が建てたサン・スーシー宮殿はフランス式のロココ建築です。 そしてサン・スーシーと言う名前からしてフランス語なのです。

フリードリッヒ二世が即位したのは、ルイ14世の死後35年後です。
しかしもうこの時代になると、ヨーロッパにおけるフランス文化の優越は完全に確立したので、もう国益とかそういうモノでフランス文化と自国文化を云々するレベルではなくなっていたわけです。
だから自分の優れた治世の結果プロイセンが一流国になり、ドイツ文学が生まれても、全然それを喜ばないと言う事になってしまったのです。
ちなみに彼の祖父もフランスにかぶれて、ルイ14世が愛人を持つと自分も愛人を持つようになります。 この祖父は才色兼備の妻を熱愛していたのですが、フランス国王が愛人を持つからには自分も持たずにはいられないのです。
だってそれがフランス風だから仕方ありません。 フランス風にしないと、王様らしくないと思われちゃうのです。

ヨーロッパ中がこんな有様ですから、フランス語は上流階級の共通語になりました。 そしてフランス語がしゃべれることが、上流階級の必須条件になります。
そしてまたそれは社会の階段を上がる為に絶対必要になるのです。
だからヨーロッパ中の貴族は子供達にフランス人の家庭教師を付け、家庭内ではフランス語を使って育てるようになりました。
こんな事をしちゃうとフランス語は上手くなるのですが、自国語が怪しくなってしまいます。 しかしそんなことは無問題です。
自国語なんか使用人との意思疎通に困らない程度にできればそれでよいのです。
どの道読みたく手も自国語の本なんか殆どない国が多いのですから。

こんなわけでフランス語教師の需要が、ヨーロッパ中に無限生まれました。
だから上流貴族はともかく、田舎地主程度だと実に怪しい人間でも、フランス人と言うだけで子供の家庭教師に雇いました。
その為食い詰めたフランス人達が大挙して、東欧やロシアに出かけて職を得ました。
このあたりはもう日本中にある怪しい語学学校の外人講師と同じですね。
しかしこうしてフランス語の優位は完全に確立したのです。 そしてそれは第二次世界大戦後、英語にその地位を追われるまで続いたのです。

第二次大戦中、ナチスドイツはあっという間にフランスを占領しました。
しかしフランスが信じがたくだらしのない負け方をしたにもかかわらず、ナチスドイツはフランスでは民族殲滅のような残虐行為は行っていません。
ドイツに占領に反対して抵抗運動した人々や、ユダヤ人は殺しましたが、しかしそういうことをしないフランス人には一切手を出していません。
歴史的にはフランスはドイツの宿敵で、それこそフリードリッヒ二世の時代から繰り返し戦争をしています。
それなのにドイツはスラブ殲滅作戦のような、フランス殲滅作戦は考えてもいませんでした。
これはつまりナチの時代でさへ、ドイツ人にはフランス文化への敬愛の念が強く残っていたからでしょう。
そういう意味ではソフトパワーと言うのは命を守るのです。

そして現在でもファッションや料理についてはフランス地位は健在です。
フランス農業生産額は世界5位を保っています。 アメリカやオーストラリアなど広大な国土を持つ国々と張り合えるのは、フランスならでは高級食材の輸出が健在だからです。
それにしてもワイン一本に10万円とかベラボウな値段が付くのは、つまりは只ワインが美味しいと言うだけでなはなく、そういうワインに込められた文化があるからでしょう。
高級ワインの栓を抜くと、美しい葡萄畑とそれを守るシャトー、そしてそのシャトーを守る貴族文化が香るからでしょう?
そしてその貴族文化を象徴したのがベルサイユ宮殿なのです。
こうしてみるとベルサイユ宮殿がフランスに残した遺産は絶大なモノではありませんか?
太陽王の残光は今もフランスを照らしているのです。

さてベルサイユ宮殿とは3桁違いに小さい手稲森林公園ですが、それでも歩いて回るとなると一苦労です。
それでは王侯貴族達はどうやってこの広大な庭園を楽しんだのでしょうか?
王侯貴族は馬や馬車を使って、カナルの周りを駆け回ったようです。 そうですよね。 あんな衣装を着て4キロも歩けるわけないでしょう?
ところで自転車って大体馬と同じぐらいスピードですから、自転車でカナルを回りを走っていると、結構その気分が味わえます。
その上、最初に書いたようにここは随分と不便なところなので、いつ行っても人が少なく、実に爽やかです。
だからワタシはここに来ると王侯貴族になった気分でいられるのです。

ワタシもいつかはベルサイユ宮殿に行ってみたいのですが、よもちゃんが許してくれそうもありません。
だから当分の間はこの前田森林公園で、ルイ14世の夢に思いをはせる事にしているのです。
最後に日本人としてフランス文化をこよなく敬愛するこの方の一言を。