それで声のする方へ行ってみたら、何とも懐かしい集団がいました。
ワタシは1954年生まれですが、ワタシが中学生ぐらいになってから大学へ入る頃まで、テレビでニュースを見るといつもこのようなデモ隊が映っていました。
当時は学生運動真っ盛りでした。 札幌の高校生には、東京の大学生は皆このようにヘルメットをかぶり、覆面で顔を隔してゲバ棒を振り回して火炎瓶を投げているように見えました。
また高校生も皆そういう情報に載せられて、知性と教養のある人間は、愛国心などあってはならない、反体制、反権力、反国家でなければならないと思っていました。
尤もワタシが大学に入る直前に、学生運動は崩壊しました。

それでもワタシが大学に入った頃は、まだその余韻が残っていました。
大学に入学して間もない頃の事です。 友達と二人で昼食に学食へ行くと、ロビーのテレビの前に厚い人垣ができていました。 聞くと「浅間山荘に機動隊が突入した」と言います。
ワタシ達も好奇心をそそられたのですが、しかし人垣はあまりに厚く、画面は全く見えませんでした。
それで諦めて食事をしていると、時々その人垣がどよめきが上がりました。
この昼休みの後の講義は法学でした。 ワタシの大学は三流工科大学なのですが、一応教養で法学とか社会学とかの講義もあり、しかも必修だったのです。

法学の教授は陽気で、出席さへすれば単位をくれる人でした。
この教授は教室に入って来るなり、言いました。
「やあ、みんな機動隊の突入みたかい? 犯人がやられるの喜んでたろう? 機動隊がやられるの喜んでる人もいたけど。」
ここで教授も笑い、学生も皆笑いました。
これだからこの教授は学生に大人気でした。
これがワタシの青春時代の空気でした。 それでも日本最北、最東端にある我が母校は、学生運動が盛んとは決して言えない、至って地味な三流大学だったのですが。

その我が青春の思い出とも言うべきゲバ棒学生が、何と目の前にいるのです。
ワタシは懐かしさと好奇心で、近づいてみました。
しかし近づくと何とも悲しいものがありました。
ヘルメットと覆面とサングラスと言う姿は、懐かしのゲバ棒学生そのものですが、近づくと全身から老いが滲み出ています。
全身をキッチリ覆っても、体つきや挙措動作で老いは隠せないのです。 そしてヘルメットから白髪がはみ出している人もいました。
こうなると、斉藤別当実盛、最後の出陣の悲壮です。
これが我が青春時代、マスコミを賑わした、純真で理想に燃えたエリート青年達の今の姿だったのです。
ワタシだって美少女だった当時と今の姿を比べれば、人の事を言えた義理ではいのですが・・・・・。

70年代彼等が望んだのは社会主義暴力革命でした。
当時ソ連始め社会主義国家は強大で、マスコミは常にこれらの国々を礼賛していました。 我が家ではワタシが生まれる前から朝日新聞を購読していたので、中学生になったワタシが新聞を読み始めた頃は、毎日ベトナム戦争に対するアメリカへの非難、文化大革命の礼賛記事が載っていました。
しかしこの社会主義礼賛は日本だけでなく、ヨーロッパでも結構盛んで、フランスやイタリアでは共産党が結構な議席を取っていました。
だから暴力革命はともかく、欧米先進国での社会主義政権の成立もまんざら夢や妄想でなさそうなムードではありました。

けれども一方で子供心に、何か違和感もありました。 なぜなら新聞やテレビはひたすら共産主義社会を礼賛するのですが、しかし不思議なことに社会主義国家に行きたい人は全然いないようでした。
一方社会主義国家から資本主義国家へ亡命する人達のニュースは始終出ていました。 有名な芸術家やオリンピック選手などが、次々と亡命するのですから、中学生や高校生でもそうした人々が沢山いる事は想像できたのです。
共産主義国家から資本主義国家への亡命は命懸けでした。 一方、資本主義国家から共産主義国家へ亡命するのって凄く簡単なのです。

それなのに何で行かないの?
自分の住んでいる国を無理矢理、共産主義国家に変えるより、自分が共産主義国家に行った方が余程簡単ではありませんか?
そうやって資本主義の好きな人は資本主義国に住み、共産主義の好きな人は共産主義国に住む事にすれば良いではありませんか?
人間の好みは人様々なのですから、世界に共産主義国家と資本主義国家があって、それぞれ好みに応じて好きな国を選べる法が良いですよね?
戦争するような話ではないでしょう?
ワタシは中学生の頃からそう考えていたのです。
しかしこの不思議が解けたのは、去年事です。 以前にもこのブログで紹介した田原総一郎の記事を読んで、この謎が解けたのです。
もう一度ここで紹介しますね。

田原総一朗「右傾化は断固阻止。ジャーナリズムは独立せよ」〈週刊朝日〉
リベラリストを自任するジャーナリストの田原総一朗氏は、日本の右傾化の流れを止めたいと理由をこう語る。
* * *
私はいま、「リベラル」という言葉にこだわっている。私は、自分のことをリベラリストだと自任している。保守主義者ではないつもりだ。
だが、「リベラル」という言葉には夢がない、というか、魅力、おもしろさがどうも感じられないのである。
リベラリストが、どんなに言葉を費やしても、つまりは現状維持でしかないと思わざるを得ないのだ。そして私は、年寄りではあるが、現状維持ではなく変革を求めたい。
若いときは、時代の趨勢(すうせい)もあって、変革とは社会を左に揺さぶることだと考えていた。ざっくり言えば資本主義の社会を、社会主義の社会に変えることであった。ソ連や中国の社会主義が誤りであることは百も承知しながらも、左に揺さぶることで新しい地平が開けるのではないかと、いまにして思えば夢を見ていたのである。
だが、70年代には左に揺さぶっても展望がないことがわかり、社会が、そして少なからぬマスメディアが左に揺さぶる夢に浸っているのにいら立ち、懸命に引きはがそうとした。それこそがリベラルの使命だと考えていた。
そして90年代に入ると、ほとんどの人間が社会主義の夢から覚めた。現実主義、というよりも現状肯定となった。そして、左に取って代わるように、右への揺さぶりが、とくに若い世代に夢と映るようになってきたのではないか。
2月の東京都知事選では、「日本は核兵器を持つべきだ」と主張する元航空幕僚長の田母神俊雄氏が60万票余りを獲得。出口調査によれば、20代ではなんと、舛添要一氏に次いで2位となった。私を含めて年寄りの少なからぬリベラリストたちは若い世代の右傾化を嘆いているが、右傾化とは、いわば変革である。右傾化を嘆くリベラリストたちは、言葉はおびただしく並べても変革の手がかりを示せず、しょせんは現状維持に終始している。中には現在の競争社会に背を向けて、貨幣経済自体を否定するという変革を主張する人々もいるが、私にはそれに与(くみ)するほどの冒険心はない。
NHKの籾井勝人会長や経営委員の百田尚樹氏などの発言には少なからぬ違和感は覚えるが、率直に言えば、批判するだけむなしさを強く感じてしまう。
繰り返し記す。右傾化とは、まぎれもなく変革なのである。そして右傾化に対応するには右傾化でない変革の具体案を提示する必要がある。
昨年7月の参院選挙のとき、私は全野党の代表たちに「アベノミクスの批判ではなく、海江田ミクス、渡辺ミクス、橋下ミクスなど具体案を出すべきだ」と、しつこく主張したが、結局、批判しかできずに、野党は惨敗した。
高度成長の時代ならば、国民の多くは「批判」に耳を傾ける余裕があったが、失われた20年を経て、国民の多くは批判に関心を持つ余裕がなくなり、具体的な対案を強く求めるようになっているのである。
私のような年寄りは、右傾化を断固阻止する。たとえ、自民党の憲法改正草案にあるように「公益及び公の秩序に反し」て新しい憲法の下で罰されようと、言論・表現の自由を行使する。ジャーナリズムは「中立・公平」などではなく、インディペンデントであらねばならないのだ。
しかし、いくら私がこのように叫び立てても、若い世代は聞く耳も持ってくれないのではないか。
※週刊朝日 2014年3月14日号

ワタシはこれを読んで心底呆れたのです。
だってワタシはそれまで学生運動やその他革新派と言われた人達は、自分達が目指す理想社会があって、それに向かって変革をしようとしていると思っていたのです。
社会主義暴力革命を目指すと言うなら、当然「社会主義国家が理想国家と信じている」と思っていたのです。
しかし田原の記事を読むと、田原が社会を変革したい、「日本をゆすぶりたい」と願っている事はわかりますが、しかし何の為にそんなことをしたいのか? それでどんな社会を作りたいのか?
そんなプランは一切ない事は明らかではありませんか?

どのような変革をすればより良い社会になるのは全然わからない。
けれども変革はしたい。
右傾化は気に入らない。
現状維持は気にらない。
その為にひたすら現状の否定の為に活動する。
共産主義を振り回したのも、そんなモノを信じていたからでもなんでもなくて、唯当時は現実に共産主義国家と言うのがあって、とりあえずそのモデルを看板に借りただけだと言うのです。
なるほどこれなら田原と同類だった学生運動家達が、絶対ソ連亡命などしないわけです。
実際先日などネットで、学生運動をやり過ぎて日本で就職できなくなり、アメリカへ留学したと言う人物を知りました。
アメリカへ??
だったら学生運動で喚いた反米は何だったのでしょうか?

ワタシは田原等のこような姿勢は、人間として非常恥かしい事だと思います。
だって建築業者がこれをやればリフォーム詐欺です。
この手の人間がマンションにいると、他の住人がどれほど迷惑することか?
マンションを良くする具体的な方策は何にもないくせに、とにかく現状に不満を煽る事だけに専心して、理事会の度に横車を押すのですから。
しかし大変驚いた事ですが、田原も田原の仲間達も、こうした行動は恥ずかしいとか、社会の迷惑だとかとは全然考えていないようでした。
それどころか本人達は自分を何か大変立派なことをしている闘士のように考えているようです。 彼等がそのように思えるのは実は、これに同調する人間が多数いるからでしょう。
なぜなら人間は誰でも、社会に何かしら不満を持っています。 また誰でも「こんな世の中、ひっくり返ってしまえば良い」と思う時だってあるからです。
彼等は人間のこのような暗黒面にとりいり、そこに憑りつくのです。

本当に共産主義を理想と信じる人々であれば、共産主義社会の崩壊を見れば、その理想を捨てざるを得ません。
しかし田原のように最初から、社会を強請るネタとして利用するだけの人間であれば、共産主義国家の崩壊など何の意味もないのです。
最初から活きた理想、実現を目指す理想ではないのだから、何があろうとその理想は死にません。
共産主義は彼等にとって、権力妄想を顕在化したオバケにすぎないのです。
だから共産主義国家が崩壊してもなお何十年も、老残の身で暴力革命を喚き続けるのです。
オバケは死なないのです。

そしてこのオバケを中国が操っています。 こして大国に操られる事が、田原等にすれば堪らない快感なのでしょう。
おお、またオレタチの存在を認められた!!
オレタチの時代が来た!!
こうしたオバケを完全に調伏する事は不可能でしょう。 なぜなら彼等は人間が常に社会に持つ悪意と不満そのものだからです。
しかしワタシ達はこれが悪霊であることを知れば、コントロールする事は可能ではないでしょうか?

ところで札幌はこの日曜日以来、ずうっと雨と曇天が続いています。 気温はドンドン下がりました。
昨日の朝、ワタシは夢の中で3~4人の人と何か相談ごとをしていたのですが、その一人が「寒いから布団の中で話そう」と言うので目が覚めました。
ホントに布団から出たくない寒さでした。
明日は7月だと言うのにどうなっているのでしょうか?
今年は大変な冷夏になりそうです。
こういう年はオバケに気を付けましょうね。