朝日新聞を始め自称リベラリストは、戦争の反省と護憲が大好きです。
しかし朝日新聞は本当に戦争を反省し、憲法を護る意思があるのでしょうか?
これは憲法記念日を前した特集記事なのですが、ワタシはずうっと気になっていました。
■憲法13・21条 個人の尊厳否定 自由か朝日新聞 2015年4月30日10時52分
■ヘイトスピーチ対抗活動に参加 寺田晋さん(36)=札幌市
《第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。》
在日韓国・朝鮮人たちに「日本から出て行け」などと路上で叫ぶヘイトスピーチに対抗する活動に参加しています。「カウンター」と呼ばれていて、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」などがデモをするとき、その現場に駆けつけ、抗議します。
私がヘイトスピーチに注目するようになったのは2009年です。埼玉県蕨市のフィリピン人一家をめぐり、在特会がデモをしました。不法滞在で国外退去処分が決まった両親と在留特別許可が出た長女、その支援者たちを激しく攻撃しました。怖いと思いました。学生時代を大阪で過ごしたので、大阪・鶴橋であった在日韓国・朝鮮人への中傷デモも気になっていました。
昨年6月、在特会が札幌市の韓国総領事館前でデモした際、初めてカウンター活動に参加しました。数人のデモ参加者に対して私たちは3人。道路を隔ててプラカードを持ち、抗議の意思を示しました。うち男性一人が拡声機のスイッチを入れたとたん、警察官からものすごく怒られたんです。「おかしい」と抗議したその男性は、複数の警察官に羽交い締めにされました。現場にいた警察官からは「トラブルになったらいけないので未然に防ぐためだ」と言われました。
でもこれって法律的に根拠はないと思うんです。ヘイトスピーチをする団体は警察への届け出など正当な手続きを経ているのでしょうが、だからといってヘイトスピーチが表現の自由を定める憲法第21条で守られるものではないと思います。彼らは論拠を示すことなく、この社会にともに暮らす一部のメンバーを攻撃し、排除しようとしているからです。第13条では個人の尊厳を守ることが書かれています。ヘイトスピーチはそうした個人のアイデンティティーを否定しようともしている。そんな行為を社会はまじめに扱ってはいけないと思います。
カウンター活動に参加するのにはちょっとした勇気がいると思います。警察官がたくさんいて近寄りがたい雰囲気です。抗議の意思がある人でも警察官に逮捕されるのではないかと怖がってしまうかもしれません。でも決して「意識高い」系の人ばかりが参加しているわけではありません。まずは私たち市民が声を上げていくことが、憲法の理念を守っていくことになるのではないでしょうか。
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てらだくにゆき 大学非常勤講師。昨年11月、ヘイトスピーチに対抗する活動に取り組む人たちの写真展を札幌市で開催した。
ワタシは在特会札幌支部の会員ですが、在特会の活動に反対をするのは自由だと思います。 在特会に反対であれば、堂々と反対すれば良いと思います。
在特会も反天蓮や反原発活動団体に反対しています。
しかしこの記事の男性やシバキ隊などと違うのは、反対活動をする時には、正式に警察に届けを出した上でカウンターデモを行っている事です。
カウンターデモなどやると、相手と揉めて大変だと思うのですが、警察は正規に届出を出せばちゃんと許可してくれるし、混乱しないように警備もしてくれるのです。

ところがこの記事を読む限りこの男性がカウンターデモの為の申請をしているとは思えません。
カウンターデモの許可も得ずに、他の団体のデモを妨害すれば威力業務妨害です。
だから当然、警察はこれを止めようとしたのですが、彼はこの警察の行動を「
でもこれって法律的に根拠はないと思うんです。」というのです。
この人は大学非常勤講師とあるのですから、大卒でしょうが、中学生並みの法知識もないのでしょうか?
いいえ、彼は自己流に憲法を解釈して、在特会が違憲なので、在特会のデモを妨害するのに警察への届け出や許可は必要ないと思っているのです。

彼によれば「在特会の活動は、論拠を示さず一部の外国人の排除しようとしている。 在日コリアンや不法滞在外国人の尊厳やアイデンティティーを侵し憲法13条に違反するので、憲法21条で守る必要はない。」そうです。
憲法13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。憲法21条
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
しかし憲法13条の条文を読めば明らかですが、在日コリアンや不法滞在外国人は国民ではありませんからこの条文には関係ありません。
勿論、憲法13条の保護の対象外だからと言って、他者の尊厳やアイデンティティーを否定して良いわけではありません。
けれども「尊厳」とか「アイデンティティー」などと言うのは、非常に抽象的で曖昧な言葉です。
だから具体的に「何を言ったら尊厳の否定」で「どういうことな否定にならないのか?」と言う境界は、個人の主観としか言えません。

そして在特会が「論拠を示さない」と言うのも完全にこの男性の主観で、在特会はHPでも街宣でも、在日コリアン等を排斥するための論拠を示しています。
そもそも外国人排斥は国民の権利です。
外国人の出入国管理権は国家主権ですが、だからどの国、政府が自国にとって有害な外国人は排除します。
日本は民主主義国家ですから、主権は国民の物です。
国民は政府の外国人の出入国管理に対して発言する権利を持っているのです。
在日コリアンや不法滞在外国人が日本にとって有害と感じた国民は、それを「排除せよ!}と言う権利があるのです。

ところがこの男性は100%自分の主観だけで、「在特会の活動は憲法13条違反だから憲法21条で守る必要はない。」と判断すると、直接デモ妨害をすると言う暴力行為に出るのです。
勿論この男性が在特会の活動を憲法13条違反と考えるのも、また憲法21条の保護下にないと考えるも自由です。
しかし憲法と言うのは法の法です。
元来憲法と言うのは、曖昧で抽象的な表現が多いので、その解釈は常に問題になってきました。
だから憲法と言うのは個人で勝手に合憲・違憲を判断して、直接行動まして暴力行為に及んで良いようなものではありません。
憲法を実際に施行するにあたっては、憲法の意思に即して細かい法律を作り、その法によって憲法を護るのです。

憲法21条などはまさにそれです。
表現の自由を守りながら、個人の名誉棄損や猥褻物の流布などの防止をどのように防止するか?
結社や集会の自由を認めながら、オウム真理教のような犯罪団体をいかに防ぐか?
このバランスを取る為に国権の最高機関である国会で法を定めて、それによって21条の定める自由を制限すると共に、恣意的な自由の制限を防ぐのです。
特定機密保護法から児童ポルノ禁止まで、国会で延々と議論をしたのはその為でしょう?
この男性だって、こんな事は中学3年の公民で習ったはずでしょう?

この男性がそれでも在特会の活動を13条違反だと思うなら、それで在特会を提訴すれば良いのです。
或いは国会で在特会を禁止する法律を成立させれば良いのです。
しかし「自分は在特会を憲法違反だと決めたから、暴力でデモを邪魔してやる」なんて事は絶対に許されません。
彼がどんなに在特会の活動が不満でも、現在の所在特会の活動は完全に合法です。
だから彼が暴力でそれを妨害する権利はありません。
それが法治国家であり、民主主義国家です。
そして彼と朝日新聞の大好きな日本国憲法がそれを定めているのです。

けれどもこの男性も朝日新聞もこうした法治主義には、一切敬意を払いません。
自分の正義が絶対正義!!
自分の正義の標榜するなら、暴力に対しても極めて寛容です。
これこそ最も日本国憲法の精神に反する発想なのですが、しかし朝日新聞もこの男性もこれを理解できない、或いは理解する意思がありません。
日本国憲法は色々問題のある憲法で、ワタシは改憲派ですが、それでもこの憲法が民主主義と法治主義を原則にしていることだけは認めざるを得ません。
ところが朝日新聞など自称リベラリスト、そして自称護憲派は、この憲法の持つ民主主義と法治主義の原則を完全に蔑にするのです。

しかしこれは昔からの朝日新聞と彼の仲間の自称リベラリストの精神です。
歴史を学べばわかります。
朝日新聞は元々日露戦争で主戦論を煽って発行部数を伸ばし大新聞になりました。 そしてその後は終戦までひたすら主戦論を唱えて、これに反対する勢力を「売国奴」「非国民」と罵倒する事で言論を封殺しました。
それだけでは主戦論に反対する政治家や言論人を暗殺するテロリストは、「国士」と礼賛し続けました。
その為日本の社会は倉山満の言う「暗殺付きポピュリズム」に陥ったのです。
結果は敗戦です。
法よりも自分の正義!!
憲法の恣意的解釈による暴力の容認!!
朝日新聞はこの発想をしかし戦後も全く変換していません。
だから戦後は一貫して反安保・反米・反自民なら暴力デモは勿論、テロリズムも礼賛し続けてきました。
どんな違法行為でも朝日の正義の為ならば、問題にするどころかひたすら礼賛し、それを取り締まる警察を罵倒しました。
この暴力で在特会のデモを妨害する男性の礼賛も同様です。
暴力で合法的なデモを妨害するなんて、テロリズム以外の何物でもないのに!!
しかし戦前の大正デモクラシーが「暗殺付きポピュリズム」、そして軍国主義、敗戦に至った最大の原因は、本来軍国主義でも軍部でもありません。
法よりも自分の正義を優先して、その正義による暴力を容認したことです。

法を無視すれば正義の熱狂に歯止めをかける術はなくなり、結局正義に反する人々を弾圧し、正義の感情のままに戦争を始めるのです。
これは民主主義が本来持つ病弊なのです。
ソクラテスは「民主制は僭主制に至る」と言いました。 民衆の熱狂的な支持を受けた政治家が、それを梃に議会も法も無視して、絶対的な独裁権を得る。
これがソクラテスの時代以前から、全ての民主主義国家が恐れた僭主制です。 現代の言葉ではファシズムと言います。
この僭主制を産むのが法の支配の放棄なのです。
民主主義を守る為に最も有害なのは、この記事の男性や朝日新聞のように法を尊重しない人々なのです。
裏の桜さんがよく法についての塩野七生氏の言葉を引用していらっしゃるので、借りてきました。

塩野七生著『サイレント・マイノリティ』の中からアテナイの少数派より抜粋引用。
【まず、民主主義者たちは、自由よりも平等を好むものだからだ。なぜなら、自由には、純粋に精神的な満足しか与えられないが、平等は、日々新たに、小さな物質的な満足を与えてくれるからである。平等の概念を急進化した、プロレタリア独裁を思い出すだけで充分だ。これが、個々人の自由の破壊にどれだけ貢献したかを考えるだけで、それ以上の説明の要もないだろう。
真に自由を尊重する人々は、法を尊重するものである。これら思慮深い人々には、法の確立こそが、国民の活力の無用な消費を防ぐ唯一の道と考えるからである。一方、思慮浅き人々は、人民自体が法である、という彼らの宣言に見られるように、法を尊重しない。とはいえ、思慮深い人々の頭にある善政とは、ただ一つの主義では解決できるようなものではない。民心安定の二大要素である、法の平等な実施と利益の分配は、特定のイデオロギーの成果ではないのだから。】