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2012-02-29 15:28

貧困手芸教室 お洒落猫じゃらし帽子

 今日で2月もオシマイです。 

 けれど札幌では3月一杯は雪は消えないし、真冬日もあります。

 

 そこで防寒に最適、お洒落猫じゃらし帽子を作ってみました。

 

  

 

 こんな感じです。

 

  

 

 折り返してる縁を伸ばすとこんな風になります。

 縁を長くしているのは、こうして折り返して被ると、耳にあたる所が3重になって、-10℃ぐらいになっても耳が冷たくないからです。

 

 しかしこれ、少し小さめになってしまいました。

 だからワタシには少し窮屈なので、どうしようかな・・・・・・。

 

  

 

 と、言うわけでもう一つ作りました。

 

 今度は少し大きくして、デザインも変えました。

 おお、今度はピッタリです。

 

  

 

 こちらは縁を二重にしてみました。 被る時はこのように後ろの方だけ折り返します。

 するとやはり耳の所は3重になって、しっかり防寒してくれます。

 

  

 

 どちらの帽子にもお洒落になるように猫じゃらしを付けました。

 尤もこんなモノを付けると、帽子を被ろうとするたびによもちゃんとバトルになる可能性があるのですが・・・・・。

 

 ところで実はワタシは既に毛糸の帽子はこれ以外に5つも持っています。

 その上お洒落生猫帽子も持っています。

 

 http://www.zaeega.com/archives/53504412.html

 

 ウチの生猫帽子は寒い日の外出は拒否するから、防寒になりませんが・・・・。

 

  

 

 こんなに無暗に帽子を持っているのは、昔毛糸の帽子作りにハマった名残です。

 

 帽子だと毛糸2玉、80~100gでできます。

 だから手芸用品店で半端毛糸を売っているのを見つけたら、気に入った物を買い込んでおきます。 

 

 純毛の毛糸は普通1玉500円~1000円ぐらいですが、それが数が揃わなくてセーターなどが作れない半端毛糸になってしまうと、1玉100~300円ぐらいで買えるのです。

 

 だから帽子一個が200~500円ぐらいでできます。

 これなら貧困層でもなんとかなりますね。

 

 それに帽子は1~3日程で簡単に作れて、模様をイロイロと変えて楽しめるのです。

 それでハマっていた頃は、一冬に30個ぐらい作りました。 

 おそらくこれまでに総計100個弱は作っていると思います。

 

 「そんなに作って、その帽子はどうしたのか?」ですって?

 

 友人知人親戚にプレゼントしました。 

 母が元気だった頃は、母が友達のところなどに遊びに行くたびに、ワタシの作った帽子を2個3個と手土産に持って行きました。

 

 母の友達だと皆お孫さんや子供が沢山いるので、丁度良い手土産になったのです。

 

 そうやって手元に残ったのが5個だったのですが、少し古くなったし・・・・。

 でも久しぶりの編み物は楽しかったです。

 

 編み物はやたらに時間のかかる楽しみですが、実用品が作れるのが魅力です。 ネットも楽しいけれど、ちゃんと形があって使えるものが出来るって、ヤッパリ楽しいですね。

 

 毛糸の帽子は冬の札幌では、犬の散歩に、買い物に、除雪に、そしてデモや街宣には欠かせないアイテムです。

 

 僅かの毛糸で簡単に作れる毛糸の帽子は、安い材料、有り合わせの材料で実用品を作る貧困手芸には、ピッタリですね。

 

 閑があってお金のない貧困層に是非お勧めしたい手芸です。

 ネットで動画など見ながら、編み針を動かして見てはいかがでしょうか?

 

 おすすめ動画

 

 http://yuyuu.iza.ne.jp/blog/entry/2611966/

  1. 指定なし
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2012-02-28 22:05

邪魔!!!

 よもちゃんはお掃除が嫌いです。 

 別に家の中が汚いのが好きなわけではないのですが、お掃除をする間は家の中の物をイロイロ動かして落ち着かないのが嫌なのです。

 

 特に炬燵をセットしてからは、猶更です。 せっかく炬燵の中でお昼寝をしているのに、それを撤去されるなんて!!

 

 それもお掃除をしない訳には行きませんから、わたしは心を鬼にして炬燵を撤去します。

 

 そして大急ぎで部屋に掃除機をかけると、また直ぐに炬燵をセットします。 

 

 ところが・・・・・。

 

 

 よもさん、どいてよ!! 邪魔よ!!

 

  

 

 イヤよ!!

 

 ダメ!! そこから出なさい!!

 

  

 

 イヤよ!!

 

 そんな事言ってないで出て頂戴!! でないと掃除が終わらないでしょう?

 

  

 

 ワタシ、お掃除嫌い!

 

 よもさんが嫌いでもしないわけには行かないの!! 

 とにかくそこから出なさい!! 

 それにもう掃除機はかけ終わって、後は拭き掃除だけだから、よもさんは炬燵の中でお昼寝していたら良いわ。

 

  

 

 ホント?

 

 ホントよ。

 

  

 

 だったらワタシ、ネットをしても良い?

 

 良いわ。 でもよもさんがそこに居たら、パソコンをおけないでしょう?

 

  

 

 それじゃ早くパソコンをセットしてよ。

 

 良いわ。

 

  

 

 同居人、早くお掃除すませてよ。 この動画面白いから一緒に見ようよ。

 

 良いからよもさん一人で見てなさい。

 

  

 

 何よ、ワタシがせっかく親切に言ってるのに・・・・・・。

 

 

 ホントに猫って人の邪魔をするのが仕事なのです。

  1. 猫の生活
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2012-02-28 21:38

新聞記者、多数が平均を理解できず

例えば、誰かが職場に差し入れで、たこ焼きを買ってきてくれ、三人で食べようということになったとしよう

 

▼たこ焼きは十個。別に前相談せずとも、三人とも気兼ねなく三個までは食べるだろう。問題は四個目だ。あなたは迷う。「じゃあ私が」と手を出せば、無遠慮、食い意地の張ったやつだと思われかねない

 

▼「自分は三個でいい」とほかの二人が言いだすのを待つか。いや、三人のうち一人は先輩だ。「四個目をどうぞ」と自分から言いだすべきか。それとも、いっそ「最後の一個はじゃんけんで」と持ち掛けるか…

 

▼結局は、みなが同じように遠慮しあって一個は食べられずに残ったりもする。どこの職場でもありそうな光景だが、四個目が葛藤の対象となり得るのは、三人が「平均」を理解しているのが前提である

 

▼だから、少し心配になったのが、日本数学会が四十八大学の学生六千人を対象に行った数学基本調査の結果。四人に一人が、小学六年で教わる「平均」の考え方を尋ねる問題に正答できなかったのだという

 

▼ほかの問い、例えば「二次関数のグラフの特徴」を記述する問題ができなくても、将来入る会社で困ることは、まあ多分ない。だが「平均」は、まずい。あのケースで躊躇(ちゅうちょ)なく四個目のたこ焼きをほお張る新入社員を、先輩たちは「ははん平均を理解していないんだな」とは思ってくれない。

 

 http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2012022802000013.html

 

  

 

 (大学生4人に1人、「平均」の意味理解せず

 

 上記のコラムは、最近話題になった大学生の数学力の低下に関して、中日新聞に掲載されたものです。

 

 呆れ果て事ですが、このコラムニストは「平均」の意味を全く理解してません。

 

 また日本数学協会の出した問題も確認していなようです。

 

 上がこの問題です。

 

 正解できなかった大学生も、実は平均は凡そ全体の真ん中辺の数値ぐらいの事が理解しているのです。 しかし正確な平均の意味を理解していないのです。

 

 それでもこの中日新聞のコラムニストよりマシな学生の方が多いのではないでしょうか?

 

 この中日新聞のコラムニストの学歴も年齢も性別も知りません。

 

 しかし新聞の看板コラムを書くぐらいだから、相当のベテランで高学歴ではないかと思います。

 

 ところが数学力・・・・と言うよりは算数は小学生並なのです。 平均値の出し方って小学校高学年で習います。

 

 そしてもっと呆れるのは、こんな恥さらしなコラムを中日新聞が平気で掲載しちゃうことです。

 

 新聞に掲載するコラムですから、ブログみたいに一人で書いて、勝手にアップするわけじゃないでしょう?

 

 一応掲載する前に内容をチェックする人がいるはずです。 そのチェックをする連中も平均の意味が理解できないと言う事です。

 

 つまり中日新聞の記者全般の算数能力は小学生並だと言う事です。

 

 ようするにこのコラムは平均の意味を理解できないコラムニストが、元になる問題も関連記事も確認せずに出鱈目に書き、新聞社としてその内容の問題を理解する能力もないと言う事なのです。

 

 これだもの、こんな連中に経済記事だの、科学技術関連記事だのが、マトモに書けるわけがないのです。

 

 だからいくら毎年各専門機関が正確な統計を出しても、そんな事はお構いなしに「日本は貿易立国」とか「犯罪が増えている」とか「日本はIMF管理になることもあり得る」とか書けるのです。

 

 新聞社各社のお願いします。

 

 ちゃんと記者にも数学基礎調査をしてください。 そしてこのコラムニストみたいな奴はリストラして下さい。

  1. マスゴミ
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2012-02-28 13:15

動物を殺す その3

 子供の頃、近所の教会に通った事があります。 我が家は仏教なのですが、日曜日の早朝子供の面倒を見てくれる危篤な所だと、両親は気楽に通わせてくれました。

 当のワタシはと言えば、教会に行くと色々面白い話が聞けて、綺麗なカードが貰えるので喜んで毎週通いました。

 

 カードは今思えばアメリカのクリスマスカードの売れ残りだったようですが、当時(昭和30年代)は綺麗なカードなんか売ってもいないので、子供達は皆喜んでいたのです。

 

 そしてそこで「先生」(宣教師)の話は、子供心にも概ね合理的だと思ったので、ワタシはキリスト教徒になっても「良いかなあ・・・・」とか思っていました。

 

  

 

 しかし何と言うか違和感もありました。 その一つがやたらに羊の話が出てくることです。 

 ワタシは当時大阪に住んでいたのですが、羊と言うものを見たことがありませんでした。 「メリーさんの羊」ぐらいしかイメージがありません。

 だって家畜だと言う事で、動物園にもいないのですから。

 

 そして聖書で出てくる羊や羊飼いの元になる遊牧文化など、そもそも当時の日本人の殆どが知らなかったのです。

 だから東大教授は「騎馬民族国家説」なんか唱えたのです。

 

 また我が尊敬する塩野七生さんさへ「羊飼いは99頭の羊を置いても、一頭の迷える子羊を助ける」と言う言葉の解釈を間違っています。

 

  

 

 塩野さんはこれを非現実的理想主義と解釈されました。 しかし遊牧文化に付いての本などを読むと違うようです。

 

 遊牧の対象になる動物は北はラップランドのトナカイから、南はマサイ族のコブウシまで、皆群れを作る性質のある動物です。 これらの動物は常にギッシリと固まっている性質があり、お互いに群れの中へ中へと潜り込もうとします。

 

 そしてこうして固まっていると、狼やライオンといえどもそう簡単には、襲う事ができません。 彼らが襲うのは、怪我や病気などで、或いは不用意に群れから脱落した者です。

 

 だから羊は99頭固めて、安全な場所に置けば、2~3日放っておいても大丈夫なのです。 しかし迷える一頭の羊はそうは行きません。 

 だから羊飼いは必死にそれを探す訳です。

 

 遊牧では一人の羊飼いが、時には数百頭の羊を連れて、水や草を求めて、柵も囲いも無い原野を移動します。

 

 もしも99頭の面倒を見るために迷える一頭を諦めるしなかないなら、今日一頭、明日一頭と羊は減っていき、数ヶ月で群れは雲散霧消してしまいます。

 

 だからこの話は羊飼いとしては、極めて日常的な仕事に例えて、「神様は幸福に安全に暮らす人よりも、困っている人を優先的に助けてくれる」ぐらいの意味ではないかと思います。

 

 遊牧文化に生きる人々、キリストの時代のユダヤ人にとっては、日本人が稲作の話を聞くほど日常的で合理的な話だったからこそ説得力があったのです。

 

 しかし塩野さんが解釈を間違えるぐらいですから、日本人が聖書やキリスト教を理解できないのは当然ではないかと思います。

 

  

 

 しかしこましゃくれたガキであるワタシは、小学校も高学年になると、更に根源的な疑問を感じました。

 

 キリスト教では良く信者や人間を羊に例え「神の子羊」とか「迷える子羊」と言います。 そして信者を導く人を羊飼いに例えます。

 プロテスタントでは実際に信者を指導する聖職者を「牧師」と言います。

 

 でもね、羊飼いって羊の乳を搾り、毛を刈り、挙句に殺して食べるんじゃない?

 羊飼いが羊を飼うのは、動物愛護ではなく、生活の手段です。 

 

 コイツラ、信者を食い物にしてる!!

 実際隣国のキリスト教の牧師なんかまさにその通りではありませんか!!

 

 しかし遊牧文化、更に牧畜なしで生きていけないヨーロッパの文化でも、この事は全然気にならないようです。

 

 彼らは日常的に家畜を飼い、またそれを自分の手で殺して食べます。

 それに付いて彼らは自分達の家畜への愛情を全然疑わないし、それを殺す事に疚しさも無いのです。

 

 だから「牧師」などと言う呼称も、彼ら自身が決めたのです。

 

 彼らにとって家畜を愛し殺して食べると言うのは、日本の農家が米を大切に育て、それを刈り取って収穫し食べる事に何の疚しさも無いのと同じなのです。

 

  

 

 ワタシは日本人ですから、このキリスト教世界の動物感は、理屈では理解できても感情では受け付けません。

 これはワタシがキリスト教徒にならなかった一因だと思います。

 だって宗教は理性ではなく感情で信じるものです。

 

 しかし動物を殺さなければ生きていけない人間にとって、自分達の生活の糧になる動物を愛し慈しむと言うのは、当然のことです。 

  

 この愛情は崇敬は、所謂動物愛護などなどより、遥かに真摯で誠実なのです。

 

 人間が自分の生命を支えてくれるものを、愛し崇敬せずにいられるでしょうか?

 

 実際、家畜のことを最も愛し慈しみ理解しているのは、畜産業者です。

 野生動物を最も理解し、崇敬するのは狩猟民なのです。

 

 「動物を殺すな」と言うのは一見、慈悲深く善良に思えますが、実は自分達が生きるための営みを省みず、その厄介事を他人に委ねての傲慢と偽善と無知以外の何者でもないのです。

 

 そして「動物を殺す」と言う事で他人を非難するのは、自分が感情的に受け付けない他国や他民族への悪意と差別以外の何者でもありません。

 

 今の反捕鯨や「ザ・コーヴ」などで騒ぐ連中を見ていると、このような他文化理解と感情の抑制を失った、理性の衰退と欠如を感じずにはいられません。

  

 

 これはバッハのカンタータ「羊は安んじて草を食む」です。 民の平和と幸福を守る領主を讃えてるカンタータです。

 これをこちらのブログ主に捧げます。

 

 http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1656557/

 

 このブログ主のような独善と無知と理性の欠如こそが、他民族他文化を破壊してきた元凶なのです。

 馬鹿につける薬は無いのですが、少しつけて差し上げたいと思いました。  

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2012-02-28 13:15

動物を殺す その2

 ジュール・ルナールの傑作エッセイ「葡萄畑の葡萄作り」は、19世紀末のフランスの農家の生活を簡潔で生き生きと描いています。

 このエッセイは豚の屠殺で始まります。

 

 筆者ルナールが懇意の農家に豚の屠殺に招待され、その一家と共に豚を屠る場面が描かれているのです。

 

 まず豚を男達が押さえつけ、喉を切り、吹き出す血を女が皿で受けます。 そして死んだ豚を解体するのです。

 

 日本と違いヨーロッパの農家は、所謂畜産農家でなくても、普通食肉用の家畜を飼っています。 そして豚など大型の家畜は年に何頭かを屠殺して、自宅でベーコンやソーセージなどにして自家用の食料にするのです。

 

 だから自分の家で子豚のときから、可愛がって育てた豚を自分で殺して食べます。

 

   

 

 しかし一頭が80~100キロにもなるような豚を解体するのは大変な作業です。 まして冷蔵庫の無い時代は、屠殺したらその日のうちに塩蔵や加熱をして、長期保存ができるようにしなければなりません。

 

 だから屠殺は一家総出で、時には親戚や近所の人達の手伝いを頼んで、一日がかりです。

 男達が切り分ける肉を、女達が手分けして塩漬けや、ソーセージなどにします。 血の一滴、内臓の一切れも無駄にしません。

 

 そして作業中に解体中の肉を調理して、作業をする人々に振る舞います。 新鮮な肉は屠殺中かその直後にしか食べられないご馳走なので、皆それを楽しみにします。

 

 まるで日本の餅つきのような感じで、一家親戚総出で餅をつき、時々つきたての柔らかい餅を食べるのと同じ感覚です。

 

 ルナールの文章を読んでいると、淡々とした描写の中に、作業をする人達の楽しげな様子が伝わってきます。 でも普通の日本人であるワタシは、真面目にその場面を想像するとのけぞってしまいます。 

 

  

  

 可愛い子豚に自分の手で餌をやり、その豚が無邪気に信頼してそれを食べるのを毎日見ていながら、それを殺すのは野生動物を殺すのとどちらが不道徳で非人道的なのでしょう?

 

 実はこの疑問はコンラート・ローレンツが「ヒト犬に会う」の中で書いていました。 

 ちなみにこのノーベル医学生理学賞を受賞した動物行動学者は、勿論農家ではありませんがオーストリアの田舎に家があるので、自家で豚を飼いその豚から取ったソーセージやラードを食べています。

 

 ローレンツに限らず、ヨーロッパで富裕な人達が田舎に農場つき邸宅を持っている場合は、農場で豚や牛を飼い、その肉を食べます。 自分の葡萄園で作ったワインを飲むのと同様、自家生産の豚からソーセージやハムを食べるのは富裕層ならでは贅沢です。

 

 そしてこれが道徳的であろうとなかろうと、人間は動物を殺さなければ生きていけません。

 家畜を殺すか野生動物を殺すか、直接殺さなくても、農業のため家を建てるため、動物の生息域を奪えば結局動物は死ぬのです。

 

 そして専業の肉屋や屠殺業者に頼れない田舎で肉を食べたいと思えば、自分で飼っている動物を自分で殺すしかないのです。

 しかも気候の関係で牧畜なしでは農業の成り立たないヨーロッパでは、農家は家畜を飼いそれを自分で殺して食べなければ生き延びる事ができませんでした。 

 

  

 

 ヨーロッパの文化はこの伝統の上に成り立っています。 だから動物と人間を峻別します。

 

 動物は可愛い。 まして自分が毎日世話をして育てている動物は本当に可愛い。

 

 でも動物を殺さなければ生きていけないのに、輪廻を信じて生類を哀れむ事はできないのです。

 

 人間が動物を殺さなければ生きていけない以上、動物を殺す人を非難などしない、してはいけない。 これが彼らの理性でした。

 

 お陰でヨーロッパでは肉屋が被差別民になるような事もありませんでした。 ヨーロッパでは昔は肉屋は自分で家畜を屠殺して解体して売ったのですが。

 

 だから今この文化を持つ筈の欧米で、イルカや鯨のヒステリックでセンチメンタルな愛護運動が盛り上がるのを見ていると、なんとも異様な気がします。

 

 結局、都市化が進み、自分で動物を殺す必要がなくなり、安易なセンチメンタリズムが横溢する事になったのでしょうか?

 これは欧米文化の堕落と生命力の衰退ではないかと思うのです。

 

  

 

 日本は昔から畜産をしなくても農業が成り立ったので、この動物を殺す文化は成立しませんでした。

 だから安易な偽善が横溢し、食肉や皮革製造に関わる人たちを、仏教の教えに反するとして、被差別民にしてしまいました。

 

 ワタシは部落開放同盟などの活動がマトモだとは思いませんが、しかし部落差別を作った仏教界や、これに同調する人々は許すべきではないと思います。

 

 だから今、欧米の反捕鯨団体や、「ザ・コーヴ」の上映に同調して太地の漁民を非難する日本人を見ると、この人々の精神こそが部落差別の根源だと思うのです。

 

  

 

 ワタクシ事ですが、先日叔父が亡くなりました。 叔父は岡山の農家ですが、母の一家は戦時中この叔父の家に疎開していました。

 ある日この叔父が鶏を潰して食べさせてくれました。

 

 母達は都会育ちですから、鶏を潰すのを恐ろしがったそうです。 すると叔父は笑って「そんなら食うてはいけんよ。」と言ったそうです。

 

 でも結局皆美味しく食べました。 それでなくても食料の逼迫した時代、こんな事を言う疎開者を気持ちよく引き受け、大切な鶏をご馳走してくれた叔父には、心から感謝しています。

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2012-02-28 13:09

動物を殺す

 以前アイザック・ディネーセンの「アフリカの日々」を読みました。 デンマークの貴族出身の女性が、ケニアの耕地でコーヒー園を経営して暮らした日々を綴ったエッセイです。

 

  映画「愛と哀しみの果て」の原作で、女性の随筆文学の白眉と言ます。 「枕の草紙」とも比較されるそうです。

 確かに大変繊細で優美な表現で、アフリカの自然とその中で生きる日々を描いています。 

 

 しかしこの女性はやたらに鉄砲をぶっ放し、動物を殺すのが大好きです。

 肉や毛皮が欲しいわけではありません。 また動物が彼女の害になるわけでもありません。

 

 例えば友人を訪ねて車で移動中、キリンを見つけると、撃ち殺します。 死体はそのまま放り出して置きます。

 そして数日後帰宅途中、このキリンの死体の数頭のライオンが食べているのを見ると、今度はそのライオンを殺します。

 死体はまた放置です。

 

  

 

 日本人の感覚からすると繊細で育ちの良い女性が、罪も無い動物を殺すの大好きなんて、想像を絶しますが、ヨーロッパの狩猟文化からすれば普通なのです。

 

 ヨーロッパでは「動物が可哀相」と言う理由で狩猟を慎むと言う発想はありません。

 だから王侯貴族だけでなく、ローマ法王始め高位聖職者も狩猟を楽しみます。

 

 それどころか聖堂騎士団が異端として火あぶりにされた理由の一つは、この騎士団が戒律で狩猟を禁止していたことです。

 狩猟は大変贅沢な趣味で、猟犬や鷹狩り用の鷹など、皆非常に高価で、それ以外にも多額の経費が掛かりました。

 それで騎士団側は奢侈を戒める為に禁止したのです。

 

 しかし法王庁はこれを「輪廻を信じているから」と解釈し、聖堂騎士団を異端とする理由にしたのです。 

 

  

 

 このような贅沢な狩猟を楽しむ事ができるのは、王侯貴族、高位聖職者など限られた人たちだけです。

 これらの人々の狩猟の獲物を一般の人民が勝手に捕る事はできません。 狩猟どころか釣りさへ自由にはできないのです。

 

 森役人を置いて森を見張り、飢えた子供達の為に鹿を殺した農民を捕まえると、目玉をえぐり出すとか、一家全員を処刑するとかしました。

 

 聖職者が快楽の為に狩猟をし、一方で飢餓に苦しむ人には狩猟をさせないと言うのは、日本人の感覚では理解不能ですが、これがヨーロッパの狩猟文化です。

 

 少なくともヨーロッパの文化では、快楽の為に動物を殺すのが悪いという発想は無いのです。

 逆にそれを悪いと思うのは、つまり我々日本人が「輪廻を信じる」からで、キリスト教からすれば異端です。 

 彼らからすれば、聖堂騎士団の騎士達同様火あぶりにしても良いのです。

 

    

 

 この感覚は今も欧米で息づいています。

 彼らは今も動物を快楽の為に殺す事を全然悪いとは思っていません。

 

 狩はゲームです。 釣りもゲームです。

 ネットゲームでエイリアンを殺したり、昆虫を捕ったりするのと同じです。

 罪悪感など皆無なのです。

 

 彼らが悪いと思う動物殺しは、自然保護に反すると判断した場合です。 

 だから適正な数を保つために増えすぎた動物を殺す事など、全然問題にしません。

 

 しかし自然保護に反すると判断すれば、漁民や狩猟民の生活など知ったことではありません。 飢えた子の為に鹿を殺した農民の目玉を抉り出した伝統は今も生きているのです。

 

  

 

 しかもヨーロッパの文化は他文化を認める文化がありません。

 自分達の文化を絶対視して、それに反するものは徹底的に抹殺した歴史があります。

 

 思想宗教心情の自由が欧米で重んじられるのは、彼らが本質的に他者の思想や宗教や心情を認める事ができず、放っておけば殺し合いをしても他者のそれを否定する人々だからです。

 

 つまり血みどろの宗教戦争などを通じて、何としてもこれは止めなければならなないと気付いて作り出した発想なのです。

 

 しかし他文化と共存すると言うのは、このような厄介な文化とも折り合っていかなければならないと言う事です。

 だから日本も自分の主張を堂々と続けるしかありません。

 

 でないと抹殺されます。   

  

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2012-02-28 12:25

公共工事を守れ!! その2

 札幌は今、町内大排雪の季節です。 冬中に街中に溜まった雪を、まとめて全部運び出して捨てるのです。

 

  

 

 ショベルカーと汎用ドーザ除雪車が頑張っていた通りの隣の通りでは、二台の汎用ドーザ除雪機が共同で作業をしていました。

 

  

 

 除雪は何度も通りを往復しながら、雪を集めます。 

 

  

 

 凄い迫力です。

 

  

 

 邪魔をしないように電信柱の陰で写真を撮っていたら、誘導係の方が写真を撮りやすいように、通りの途中にある駐車場まで案内してくれました。

 ラッキー!!!

 

  

 

 二台の除雪車が、通りの両側から雪を掻き取って、真ん中に集めます。

 

  

 

 更に集めた雪の山の乗って氷の塊を潰します。

 

  

 

 道路から掻き取った雪は、雪と言うより岩のような氷塊です。

 

  

 

 この雪はきっとロータリー除雪車で巻き上げて、ダンプに積むのでしょう。 しかしその時に大きな氷塊があると、ロータリー除雪車が巻き上げられないのだと思います。

 

  

 

 駐車場の入口に出来た雪の土手も、器用に掻き集めて行きます。

 

  

 

 除雪車には必ず二人乗り組んで、道の両側を見ています。

 

  

 

 窓から運転手の表情が見えるのですが、凄いノリノリで楽しそうに作業しているのがわかります。

  

  

 

 こういう巨大な機械を自在に操り、物凄い力で人間には到底できないような事をするのは、楽しいのだろうと思います。

 

  

 

 何しろこの除雪車が道路をひとかきすると、凄い氷塊がバリバリと剥がれるのです。

 

  

 

 見ている方も何か爽快な気分になります。

 

  

 

 まるで二頭の怪獣がじゃれあっているよですが、凄い迫力です。

 

  

  

  

  1. 札幌の四季
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2012-02-27 19:41

デンマーク4時間

 2002年にヨーロッパ旅行に行った時にコペンハーゲン空港に4時間滞在しました。 

 目的地はウィーンだったのですが、日本からウィーン直通の格安チケットはなかったので、コペンハーゲン空港経由になったのです。

 

 しかもコペンハーゲン到着から、ウィーン行きの便へ出発まで4時間もあります。 

 

 それでも生まれて初めてのデンマークですから好奇心満々です。 まずは一目でも空港の外を見てみようと思いました。

 

 それで到着すると直ぐに、必死になって空港の出口に向かいました。 

 

  

 

 このコペンハーゲン国際空港は、素晴らしく綺麗でモダンな空港なのですが、恐ろしく広いのです。

 

 だからワタシのあやふやや英語で案内板を読んだり、道を聞いたりしながら、ウロウロと出口を探して歩くのは一苦労でした。

 

 それでも何とか頑張って外に出ると、すぐ側に海が見えて、その海に何基もの風力発電の風車が見えます。

 この風車は飛行機の窓からも見えたのですが、何とも幻想的でした。

 

 しかしそれ以外は到って殺風景で、街も建物も見当たらず、見物できるような物はありません。 

 空港の周りってどこでもそんな感じだから仕方がないです。

 

 ワタシはまた空港内に入りました。

 

  

 

 しかしとにかく一応外を見て満足したので、今度はウィーン行きの便の出発ロビーを確認する事にしました。

 

 けれど行きと違って余裕ができたので、キョロキョロと回りを見回して、空港内を見物しながら進みました。

 

 そうやって歩いていると、東洋人の女性が何やら新聞を配っているのに出くわしました、彼女はワタシを見ると、黙ってその新聞を一部くれました。

 見ると中国語繁字体の新聞です。

 

 ワタシはそれをバッグに入れて、更に進みました。

 

 すると今度は3歳ぐらいの可愛い女の子が一人で、ベンチに座っているのを見ました。 そしてビックリしました。

 

 こ、乞食の子供???

 

 その子は淡い日光のような金髪に、空色の瞳、透き通るように白い肌の妖精のように可憐な子だったのですが、着ているヨレヨレなのです。

 

 3月の末だったので結構寒くて、その子は毛糸の頭巾をかぶり、毛糸のカーデガンを着ていたのですが、それがもうどれだけ洗濯を繰り返したらこうなるのかと思えるほど、色が黒ずんでヨレヨレになっているのです。

 

 この子の着ていた服が、この子のところへ来るまでに、何十人の子供の間を渡り歩いたのでしょうか?

 

  

 

 けれどヨレヨレの服を着ているのはこの子だけではありませんでした。 

 

 このコペンハーゲン国際空港は、北欧のハブ空港とかで利用客の多くは、北欧諸国の人のようです。

 しかし周りを歩いているこれらの人々の服装が殆ど皆ヨレヨレなのです。

 

 季節柄セーターを着ている人が多かったのですが、それが皆アクリル製の超安物のしかも洗濯しまくって形も崩れ、色も黒ずんでと言うのばかりなのです。 

 

 北欧はワタシの大好きなノルディックセーター始め、セーターの本場で、編み物が民族の伝統手芸なのですが、そんな洒落たモノを着ている人は全く見かけません。

 

 模様や形がノルディックセーターでもアクリルのヨレヨレじゃなどうしようもありません。

 

 セーターだけでなくズボンもシャツも皆ヨレヨレです。

 

 「難病連のバザーに出したら全部捨てられる・・・・・。」と思いました。

 

   

 

 ワタシは難病患者なので、北海道難病連盟(難病連)の会員だったことがあり、その時会で行うバザーの手伝いをしました。

 

 北海道難病連盟は活動資金調達の一助にと、年の一度一般から不用品の寄付を募ってバザーをするのです。

 その時集まる不用品の中で一番多いのが衣類でした。

 

 しかし古い物や痛んだ物などは、並べても売れないので、バザーに出す前に選別して捨ててしまいます。 ワタシはこの作業を手伝っていて、自分が出したセーターを目の前で捨てられた事があります。

 

 でも他の品と比べたら捨てられても文句を言えないので何も言えませんでした。

 

 ところがこのコペンハーゲン空港を行く人々の着ているモノは、捨てられたワタシのセーターなんぞより遥かに酷いものでした。

 

  

 

 とは言え皆さん凄くカッコイイのです。

 

 あの乞食の子だって、妖精のように可憐だったけれど、大人は皆スラリと背が高く、肩幅が広く、腰がキュッとつぼんで足が長いのです。

 そして淡い色の髪に白い肌です。

 

 だから遠目にみるとホントに素敵です。

 写真に撮って、セーターがヨレヨレとかわからなければ、日本人なんか幾らお洒落をしても敵いません。

 

 こんなカッコイイ人達が、綺麗な街並みを歩く写真を見れば、北欧は天国のように見えるのは当然ではありませんか?

 

  

 

 せっかく神様からカッコイイ容姿を授けられた人達が、かくも貧乏くさい恰好をしている理由は言うまでもなくこの北欧諸国の物価高です。

 

 物価高の原因は勿論、物凄い税負担です。 

 所得税の税率だって高いのですが、消費税も20~30%です。 しかも輸入品の関税だってベラボウに高いのです。

 

 だから免税のはずの空港内のレストランも凄いボッタクリ価格です。

 なんか成田の倍ぐらいの感じです。

 

 立ち食いでサンドイッチに飲み物を一杯でも、日本円にして1000円超えるような感じです。

 これには食欲も吹き飛びました。

 

 何だか非常に疲れる気がしました。 

 空港は凄く綺麗だし、その上完全バリアフリーだし、周りの人が凄くカッコイイけれど、何だかシンドイのです。

 

  

 

 そうこうするうちにようやく4時間が過ぎて、ウィーン行きの便に乗りました。

 

 その飛行機は道内のローカル線に使うような小さな飛行機だったのですが、乗り込んでなんだかホッとしました。

 

 離陸すると間もなく若い可愛いスティワーデスが、機内食を配ってくれました。 凄く美味しいサンドイッチでした。

 

 考えてみると、成田からコペンハーゲンまでスカンジナビア航空のスティワーデスは、ゴツイ中年女性で威嚇されているような気がしていたのです。

 

 自分がゴツイ中年女のクセに文句を言える筋合いじゃないけれど、可愛い人を見ると気持ちが休まるのだと思いました。

 

  

 

 ウィーンへ着いた2日目の朝、ホテルで朝食を食べていると、成田―コペンハーゲン便で隣の席にいた女性と会いました。 

 聞くと彼女は当日コペンハーゲン―ウィーン便があることを知らなかったので、コペンハーゲンに一泊して翌朝のウィーン行きに乗ったそうです。

 

 「コペンハーゲンは何だか殺風景で嫌だった。」

 「なぜか道に割れたガラス瓶が一杯散らばっていて、怖かった。」

 「ホテルの朝食も粗末だった。 ここは良いわ。 こんなに美味しい物が沢山あって・・・。」

 

 彼女はそんな話をしていました。

 

  

 

 デンマークは他の北欧諸国同様、高福祉高負担国家です。 だから税金が高いだけではありません。 手厚い福祉を受けられるのです。

 

 人が自分のお金を何に使いたいかは、その人の価値判断によります。

 

 北欧の人々は大変堅実で、衣類だの美食だのと言った物で浮薄な浪費はせず、病気や障碍を抱え込んだり年を取ったりした時に手厚い福祉が得られるような使う事にしたのです。

 

 でもワタシはたった4時間のデンマーク滞在で、そう言う堅実一途の生活は、日本人の感覚ではかなり辛い物があるんじゃないかと思いました。

 

 ワタシは難病患者だから福祉が手厚いと丸儲けになる立場だし、日本人としては随分ケチなのですが、それでもあんな国はイヤだと言うのが実感です。

 

  

 

 しかしながら読売新聞は絶賛しているようです。

 

 http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=54988

 

 そしてこの高福祉の源泉については、三橋貴明氏が解説してくれています。

 

 http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/page-1.html#main

 

 

    

 

 

 

  

  1. こけつまろびつヨーロッパ
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2012-02-27 13:01

産経新聞の懲りない記者へ

 橋本「維新の会」礼賛派の人達の意見を見ると、皆同じなのですが「この閉塞感??をどうしたらいいの?」とか「既成政党では何も決められない」とか、つまり現在の政治に漠然と不満を持っているので、とにかく橋本支持と言う話です。

 

 ところが呆れた事にプロの政治記者でも全く同じレベルのようです。

 この「民主、自民両党に「維新八策」を批判する資格はない」と言う記事などその典型ではありませんか?

 

 記事の全文を読んでも、肝腎の「維新八策」に対する分析や評価はありません。

 

 「自民党民主党も『決められない』から維新の会を批判するのはケシカラン」と言うだけです。

 

  

 

 この高橋記者が何を「決められない」のが不満なのかは知りません。

 

 しかし現行憲法では二院制ですから、衆参両議院で過半数を取れない政党の政権は、いくら総理や閣僚が優秀でも簡単に法律は通せない、つまり「決められない」ことは確かです。

 

 けれどこれを一院制にするのは、憲法の大幅な改正が必要です。 これは維新の会の提案通り、憲法96条の改正に成功してもそう簡単にできるわけはないのです。

 

 しかもその96条の改正だって容易ではないでしょう。

 

 維新の会が衆参両院議員の3分の2を取らない限り、何も決められない事は自明ではありませんか?

 一方自民党だって衆参両議院の3分の2を取れば、何でも決められるし、憲法改正だって簡単にできるのです。

 

 高橋記者は何を根拠に維新の会は「決められる」と言っているのでしょうか?

 

   

 

 本来政党の政権構想やマニフェストを論じる時は、その政権構想やマニフェストの内容を精査して、それが実現可能かどうか、また実現した場合には国家と国民にどのような結果をもたらすかを論じるできなのです。

 

 それをしないで他党が「決められない」などと言っても何も意味はないのです。

 

 まして「既成政党に不満だから、とにかく新しい政党に期待するんだ」なんて、バカ丸出しではありませんか?

 

 これは既に2009年の政権交代で実証済みでありませんか?

 

 あの時、マスゴミはひたすら自民党政権の問題だけを叩き、麻生総理がホッケの調理法を知らない事まで大問題としました。

 

 そして自民党がダメだから「一度民主党やらせてみよう」と政権交代を煽ったのです。

 

   

 

 しかしあの時肝腎の民主党のマニフェストを一切検証しませんでした。 

 あのマニフェストに財政的な裏付けは全くない事は、自民党が再々指摘して、その問題を書いた文書まで民主党に送っていたのです。

 

 それなのにマスゴミはそのような事実さへ報道せず、代りに「埋蔵金がある」などと言う民主党の嘘八百を喧伝する始末でした。

 

 その結果が新規国債発行額の10兆円増!! 

 リーマンショックに対応して大規模な財政出動をした麻生政権時代よりも、更に10兆円増額してしかも全然景気対策になっていないと言うお粗末ぶりです。

 

 でもこんな結果になるのは、あのマニフェストをちゃんと検証すれば最初から自明だったではありませんか?

 

 まして民主党政権の本質を見れば、外交では極めて深刻な問題を起こす事など、誰にでもわかったのです。

 

  

 

 しかしその最低限の検証もせずに「自民党はダメ!!」だけを煽ったのでしょう?

 「自民党はダメだから、民主党にしろ!! 一度やらせてみよう!!」

 

 こんな馬鹿な事を言い続けたのでしょう?

 そしてそれに乗せられたバカが沢山いたから、自民党より百倍バカで能無しで悪党の政権が出来ちゃったのでしょう?

 

 この高橋記者も散々煽ったではありませんか?

 

 なるほど自民党には沢山問題がありました。

 しかし政党を選ぶには、全ての政党を冷静に比較して、その中で選ぶしかないのです。

 

 自民党が気に入らなくても、それよりマシな政党がなければ我慢するしかないのです。

 

 これは仕事を選んだり、家を選んだりするのでも同じでしょう?

 

 今の仕事が気に入らないから、何も考えずに辞めて、適当に何処かの会社に応募すれば、今より良いって保障がありますか?

 

 今住んでいる家が気に入らないからって、あてずっぽうに何処かの借家に移れば、今より良いのですか?

 

 仕事や家を変えたいと思っても、新しい仕事や家の内容を十分に吟味して、今より良さそうなのがなければ、今のままで我慢するしかないではありませんか?

 

  

 

 この種の記事を読んでいて驚くのは、このような日常生活では誰でも持っている最低限の常識が、政治の話では全く働かなくなることです。

 

 しかも「政治」記者が率先してこの常識を潰しているのです。

 

 その上まるで懲りない!!!

 

 高橋さん!

 貴方、自民党がダメだって煽って、民主党を掴ませた事で懲りてないのですか?

 何度バカをやったら懲りるんですか?

 

 高橋さん貴方が、何でも良いから新しい政党に変われば現実が良くなると信じる程楽観的な方なら、是非産経新聞を辞職してください。

 

 そしてどこかの求人情報であてずっぽで見つけた仕事に応募すれば良いのです。

 そうすれば人生の閉塞感が打開され、薔薇色の未来が拓けますよ。

 

 何より絶対に保障出来る事があります。 それは貴方のような記者が居なくなれば、産経新聞は確実に良くなることです。

  1. マスゴミ
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2012-02-27 00:44

外需で成長はできない

 日本は外需主導での成長はできません。

 

 参議院2.22参院国民生活・経済・社会保障に関する調査会での 櫨浩一(参考人 株式会社ニッセイ基礎研究所研究理事・チーフエコノミスト)の解説です。

 

 動画では藤井参考人の話の後になります。 藤井参考人の部分は以前貼りました。 ご覧になった方は藤井氏の話を飛ばして聞いて下さい。

 

 その後の質疑応答では、藤井参考人、参考人の話に普通に持つ疑問がほぼ全部でていますから、その部分も興味深いと思います。

 

 

  1. 増税詐欺
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