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2011-11-30 23:55

ISD条項 TPP推進派の御意見

 先日阿比留さんのブログで、TPP推進派遠州報国隊さんがコメントの中でISD条項について、興味深いご意見を書いて下さったのでご紹介します。

 

 http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2523629/ 

 

 青字が遠州報国隊さんのコメントです。 緑字の方に対する反論です。

 赤字はワタシ、よもぎねこのコメントです。

 

  

 

 

>ISD条項ってのはもともと先進国が発展途上国との取引をする上で、理不尽な状況が生じた場合、世界銀行傘下の国際機関(所在地;ワシントン)で解決するためのものだよね。
>しかも提訴する機関がアメリカの影響下にある機関です。


そうですね。

ただし、
アメリカだけの影響下にあるわけではなく、中共の影響下にもあるし、日本の影響下にもあります。

ちなみに、世界銀行の上級副総裁は中共の人間です。

 http://www.asahi.com/international/update/0924/TKY201109240358.html


>実際アメリカ連戦連勝ですから。

メキシコ政府は6勝、カナダ政府も1勝してますよ。

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/tpp/pdfs/tpp02_06.pdf

証拠もなしにメチャクチャなことを書いちゃ、いけません(笑)

他人の受け売りで、別の人をバカにするのはやめましょう。
せめて自分で証拠・根拠を探してからにすべきです。

 

  

  

 

 

> あらら?
> ISD条項って途上国とのトラブルの為とかって言ってませんでした?

北米FTANAFTA)の加盟国は米国メキシコ・カナダの3国です。
そして、TPP反対トリオは、
NAFTAのISD条項を取り上げて大騒ぎしているので、その3国間での話を紹介しました。

ちなみに、
米国から見れば、カナダもメキシコも「途上国」です。
投資保護の法制度の発達度合の相対比較において。


> つまり普通の先進国で民主主義国家が、国民の福祉や環境保全の為に変えた法律や制度が、一外国人投資家の為に阻止されてしまうことです

たしかに、ISD条項がそういう方向に濫用されない枠組みは必要です。
NAFTAはその点において無防備でした。その反省がTPPの交渉に生かせればいいと思います。わが外務省FTA/EPA交渉チームが編纂した本には、そういった反省点や今後の課題が明記されているので、交渉に期待するところ大です。

これについては、su-mi さんのエントリーが参考になります。
 http://su-mi.
iza.ne.jp/blog/entry/2511750/

 

  

 

> 投資家保護なんて極一部の基準だけで、国民全体の福祉や環境に関わるような問題を他国の一投資家がかき回せるような発想をする国こそ、超途上国です。

あれは締結されたNAFTA
の条文のアナを見つけた、弁護士業界の発想だと思います。私は、米国の国家意思だとは思いませんが。

まぁ、これだけの短時間でコメントを返されたということは、su-mi さんのブログは読んでおられないと思います。あなたのコメントの残りの部分については、su-mi さんのブログに対応する見解が書かれていて、私はそちらに賛同する立場です、とだけ書いておきます。

 

  

 

 真に推進派だけあってISD条項について、大変重要な問題を示唆してくださいました。

 

 つまりアメリカは自国の基準で、カナダのような立派な先進国も途上国とみなしているのです。

 

 またこの遠州報国隊さんの仰ったメキシコ、カナダのISD条項でのアメリカへの勝訴と言うのが、カナダ企業、メキシコ企業がアメリカ政府を告訴しての場合だと、アメリカのような超先進国であってもISD条項で訴訟を起こされて負けると言うことになります。

 

 つまり推進派である遠州報国隊さんご本人が、もうこのISD条項が途上国の政府の出鱈目な司法制度から投資家を守る為の条項なんかではない、と書いていらっしゃるわけです。

  

 

 そしてもっと重要なコトも示唆してくださいました。

 

あれは締結されたNAFTAの条文のアナを見つけた、弁護士業界の発想だと思います。私は、米国の国家意思だとは思いませんが。
 

 そうなんです。

 ISD条項で他国の政府に訴訟を焚きつけているのは、アメリカ合衆国ではないのです。

 

 アメリカの破落戸弁護士達なのです。

 

 これはアメリカ合衆国政府よりも余程厄介なコトです。 アメリカ政府ならどんな場合でも最低限の節度は期待できるけど、破落戸弁護士が相手ではそんな事は全然期待できないのです。

 

 弁護士は訴訟に勝とうが負けようが、弁護料が稼げるのです。 だからどんな事でこじつけて訴訟に持ち込むのです。

 

 このような破落戸弁護士の大増殖で、当のアメリカ政府やアメリカ企業も苦労しているぐらいですから。

 

  

 

 以前佐藤ゆかり議員がISD条項が入ると、地方自治体などが地元の雇用や地域振興の為に、地元企業優先に行う公共事業なども訴訟に対象にされると指摘しておられました。

 

 この場合も告訴されるのは地方自治体ではなく、国ですから国は各自治体の政策を全部掌握して、訴訟のリスクを管理しておかなければならいと仰いました。

 

 しかし悪徳弁護士が弁護料稼ぎの為に出鱈目に起こす訴訟に対応するために、国が全自治体の政策を管理しきれますか?

 

 そんな事は不可能なのです。

 

 これはまさにエコノミストとしてJPモルガンで働いて、アメリカの訴訟社会とそのやり口をつぶさに見た方が持つ危機感です。

 

  

 

 少し前の朝鮮日報での記事で見たのですが、アメリカ企業が起こしたISD条項での訴訟は15勝22敗との事でした。

 

 だから推進派はISD条項は別にアメリカが格別有利だとか、そんな話ではないと言います。

 

 しかしそもそもこの22敗がどんな訴訟だったかもわからないのです。 だから単純な勝率なんか意味がありません。

 

 そして訴訟は勝てば良いと言う話ではないのです。

 

 言われもない事で訴訟を起こされるなんかやられる方にはたまったものではありません。 いくら相手が弁護料目当ての破落戸弁護士でも、訴訟をされたらこちらも弁護士を雇って闘うしかないのです。

 

 そんな事を始終されるようになったら?

 

  

 

 勿論ISDで告訴されるのは個人ではなく日本政府ですから、別に弁護料の工面に苦労するわけではありません。

 

 しかしトヨタ叩きの時の日本のマスゴミの対応を見ればわかりますが、もし日本政府が告訴されたら日本のマスゴミはどんな対応をするでしょうか?

 

 告訴されただけで関係省庁を袋叩きにするでしょう。

 彼等が日本の国益や福祉の立場から、日本政府の対応を擁護する事は今までも一度もないのです。 

 

 事実に関係なく日本側を叩くのです。

 

 こんな事が繰り返されたら、いかに日本側が勝訴しても、日本の政治家も官僚も国民の福祉や環境を守るために制度を改革しようなどと言う意識を失っていくことになります。

 

  

 

 それにしてもTPP推進派と言うのは不思議な人達です。

 

 この遠州報国隊さんもこのようにご自分でISD条項の危険性を示唆して下さったのに、是非ともTPPにはISD条項を入れたいようです。

 

 別にTPPにISD条項を入れなくてもいいではありませんか? 

 

 例えば現在TPP加盟国のうちベトナムなど所謂途上国に分類されている国とは、日本はすでにFATを結んでおり、そこにはISD条項が入っています。

 

 だからTPPでISDが無くても日本は一向に困らないのです。

 

 それでTPPにまた別の途上国が入れば?

 その国とISD条項が入っている協定を別に結ぶまで投資を控えれば良いでしょう?

 

  

 

 米豪FTAではオーストラリアは全国民が反対してこのISD条項を入れさせませんでした。

 だから日本もオーストラリアと共闘して、TPPからISD条項を抜くように頑張れば良いのです。

 

 しかし日本のTPP推進派はそんな知恵はありません。

 代わりに民主党の交渉力に期待しているのです。

 

 結局この方達はTPP教団の信徒なのです。 信徒が教団の教義の変更など要求する事はあり得ません。

 

 敬虔なユダヤ教徒に「十戒の第2戒は変えたら?」なんて言っても、考えてくれるわけはないのです。

 それと同じですね。

 

 そんな罰当たりなコトを思いつくのは、つまりワタシが異教徒だからです。

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2011-11-30 20:44

新聞の悲願

>「このままだと、1929年の世界恐慌の比じゃない。経済パニックになるかもしれない。僕は朝日や毎日など他の新聞も巻き込んで、新聞社が一緒になって共同提言をするべきだと思う」

 

 http://thenagatachou.blog.so-net.ne.jp/2011-11-30

 

 何でも読売新聞の社主渡辺恒夫が、28日朝日新聞のインタビューに答えた記事が出たそうです。

 

 そこでこの渡辺恒夫は全国紙が共同で「消費税増税」と「TPP推進の共同提案をするべし」と言っていたそうです。

 

 昨年馬鹿ン直人が担ぎ出したTPPと、増税についてのマスゴミの異常な肩入れは、何とも気持ちの悪い物ですが、この渡辺恒夫の話を聞けば、明らかに彼等が意図してやっていきたのがわかります。

 

   

 

 現在世界が大恐慌の危機にあるのは馬鹿でもわかります。

 

 しかしそれにしても、その危機を脱する為に増税とTPPって一体何の話でしょうか?

 

 不況時の増税って、キチガイでしょう?

 

 あの竹中平蔵氏だって、今の増税はあり得ない、東北の復興には長期の建設国債で賄えと言っているのですよ。

 

 あの緊縮派の元財務官僚片山さつき議員が、東北復興の為には二重ローン救済法案を作り(つまり一種の徳政令)、そのために2~3兆の予算も出すべきと言っているのに。

 

 さらにこれも元小泉派、佐藤ゆかり議員はTPPに明確な問題点を挙げて反対しているのです。

 

 つまり緊縮財政再建を目標にしていた人達が、揃ってこのマスゴミの共同提案なんかナンセンスと言うのです。

 

  

 

 だって小泉政権時代とは今の経済状況が違うから当然でしょう?

 

 あの頃はアメリカEU中国も馬鹿景気で、日本はその余波で円安になり、輸出も絶好調、景気も良かったのです。

 そんな時なら緊縮財政だって大いに結構です。

 

 しかし今はそれが真逆なのです。

 

 こんな時に緊縮財政にして一体誰が特をするんでしょうね?

 

  

 

 それにしてもワタシが借りて来たこのブログ主の言うことは完全に理解不能です。

  

 

>消費税が出来ないとみれば海外のハゲタカ共が日本売りを浴びせかけることは目に見えている。ナベツネの言うようにここは各全国紙も野田を応援して「共同宣言」を出すべきだ。

 

 

 ??

 

 何処か日本の増税に期待している国があるのでしょうか?

 

 この前野田がG20で勝手に言った増税提案を誰か歓迎しましたか?

 あれで株が上がるとか、日本の国債が上がるとかいうことがあったのでしょうか?

 

 増税が決まれば、日本の景気は悪化するのは目に見えているから、株は下がると思います。 

 だから日本売りがあるとすれば、増税が決まった時じゃないですか?  

 

 誰か増税案が潰れたら日本売りが起きる理由を御存知なら教えてください。

 

  

 

 それにして恐ろしいのは、こんな人達が経済評論家とか政治評論家とか或は大新聞の主筆だったりすることです。

 

 そう言えばこの前は元東洋経済の編集局長が「 IMF管理という事態もありうる」なんて書いていたし。

 

 こんな人達の言論が大量の森林資源を食いつぶしながら、論理的根拠ゼロの世論弄りに熱中しているわけです。

 

 これでは日本の政治がドンドン衆愚制に陥っていくわけです。

 

 日本人は一日も早く、こんな極悪扇動機関は潰して、健全な言論を守るべきです。 

  1. TPP
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2011-11-30 16:47

真冬日 

 今日はこの冬最初の真冬日になりました。 そして雪が降っています。

 

  

 

 さっき買い物に出たら、半ば吹雪いていました。

 

  

 

 家に帰ってお天気ネットを見たら、気温は-3度でした。   

 

  

 

 そんなわけでよもちゃんは今日は外出しないことしたそうです。

 

  

 

 ストーブの前で猫の職務に専念します。

 

  

 

 真冬日だと一日ストーブを焚きっぱなしにするので、よもちゃんはご機嫌なのです。

 

  

 

 よもちゃんは何か夢を見ているようで、「ウニャ~~」とか寝言を言って、尻尾をパタパタさせました。

 

  

 

 一体どんな夢を見ているのでしょうか? 夢の中で新潟のチコ様の所へ行ったのかもしれません。

 

  

 

 もしそれだったら、起こすと凄く怒られそうなので、絶対起こさないように気を付けます。

 

  

 

 外は吹雪です。 きっと明日まで雪は降り続くでしょう。

  1. 猫の生活
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2011-11-30 11:18

北海道神宮 冬支度 その3

 冬支度の作業が進む本殿を出ると、境内は閑散としていました。

 

  

 

 11月には稀な快晴でしたが、ウィークデーだし寒いし、参拝客はまばらです。

 

  

 

 色を失った木々の中で、カラマツだけが金色に輝いていました。

 

  

 

 ベンチの上にこんな物が置いてありました。 カラマツの松ぼっくりと、ナナカマドの実です。 

 

  

 

 まだ2時過ぎなのに、お日様はもう随分低いところまで降りています。

 

  

 

 日がドンドン短くなるのです。

 

  

 

 影は長く伸び、林を透かして円山が見えます。 そう言えば少し前までは、木々に隠れて山は全然見えなかったのに・・・・・。

 

  

 

 そして裏参道の鳥居を出ると、もう日は夕暮れの色になりました。

 

  

 

 地面にはカラマツの落ち葉が厚く積もっています。

 

  

 

 こうして境内の木々も最後の冬支度を済ませます。

 

  

 

 この日もシマリス君やエゾリス君に会えませんでした。

 シマリス君もエゾリス君ももう冬支度を終えたのでしょうか?

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2011-11-29 19:31

北海道神宮 冬支度 その2

 久々の快晴、北海道神宮へ行きました。 

 参拝を終え、いつもの通り無料休憩所でお茶とお菓子を頂いてまた参道に戻ると、何と神門が閉まっています。

 

  

 

 ???

 神門が閉まるのは普通は5時過ぎだったと思います。

 

  

 

 見上げると神門の上でも鳶さん達が、落雪防止作業をしていました。  

 

  

 

 脇の門が開いていたので、また神門の内側に入ってみました。

 

  

 

 神門は御手洗とは比べものにもならない程高い上、下は御影石の石畳です。

 

  

 

 命綱を付けていても結構怖いんじゃないかと思いますが、笑いながら作業しています。

 

  

 

 吸い込まれるような青空の中での作業は気分が良いのでしょうか?

 

  

 

 下にも足場を組んで、屋根の上と下で手分けして、丸太を屋根に上げるようです。

 

  

 

 しかし急勾配の屋根の上で、重い丸太を扱うのは大変だと思うのですが・・・・。

 

  

 

 けれど作業はドンドン進みます。

 

  

 

 丸太はすんなりと屋根に上がりました。

 

  

 

 屋根の上の人達が、それを屋根の天辺から吊るしたワイヤーの輪に通します。

 

  

 

 これで先ず一本目がセットできました。

 

  

 

 良く見ると、もう回廊やお守り売り場などの屋根の落雪防止の丸太は、全部取りつけが終わっています。

 

  

 

 もう一度本殿に参拝してから空を見上げると、飛行機が参道の上を飛んで行きます。

 飛行機雲が参道の上を真っ直ぐ伸びて行きました。

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2011-11-28 19:04

北海道神宮 冬支度

 長々続いた雨と雪が今朝になってようやく止みました。 

 

  

 

 そして道の雪も溶けて、久々に自転車が使えるようになりました。

 

  

 

 こんなに天気が良くて、自転車が使える日は、今年中にはもう何日もないと思いました。

 

  

 

 それで久しぶりに北海道神宮に行きました。

 

  

 

 落葉は更に進み、最早カラマツだけを残して、落葉樹の葉は残っていません。

 

  

 

 冬枯れの木にヤドリギの姿だけが目につきます。

 

  

 

 裏参道に入ると、奇妙な木がありました。 実はこれは銀杏でした。

 葉が散ってしまって、銀杏だけが沢山残っています。 

 

 地面にも沢山銀杏が落ちていました。 でもなぜか異様に小さいのです。 果肉の付いた実がようやく普通の銀杏ほどです。

 

 でも上品な老婦人がせっせと拾っていました。 「お吸い物に少しあれば楽しみだから」との事です。 

 

 しかしこんな小さい実じゃ、中身の銀杏はサクランボの種ぐらいじゃないかと思うのです。 食べるのが一苦労です。

 ワタシは拾いませんでした。

 

 この方に手持ちのレジ袋を差し上げると喜んで下さいました。 小さなビニール袋一つしかお持ちじゃなかったので、苦労していらしたのです。

 

  

 

 久しぶりの快晴ですが、寒いし月曜日なので、参拝客は少なかったです。

 

  

 

 神門の中はいつものように清々しい光に満ちていました。

 

  

 

 例によって無料休憩所でお茶とお菓子を食べて、また参道に出ると、御手洗の屋根で冬支度の作業をしていました。

 

  

 

 屋根に丸太を載せて固定するのです。

 そうしないと屋根に積もった雪が、下に落ちて危険だからです。

 

  

 

 丸太は3本、並行に並べました。

 本殿でも冬支度が始まっていました。 

 お正月も後少しなのです。 

  1. 札幌の四季
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2011-11-28 11:04

音楽鑑賞

 この暫く毎日寒くて暗い日が続きました。 わたしは体調を崩して、ヘロヘロなんですが、よもちゃんは勿論元気一杯です。

 

 それなのに・・・・・。

 

 

 よもさん・・・・・。

 

  

 

 ああ、バッハは良いわねえ。 さすがに楽聖と言うだけの事はあるわ。

 

 よもさん、邪魔よ!

 

  

 

 また俗物が何か言ってるわ。

 

 よもさん、邪魔よ!! ブログの更新ができないわよ!

 

  

 

 そんな事しなくて良いわよ。 それより同居人も一緒のバッハを聞きなさいよ。

 まるで物理の数式を演繹しているような、明晰で美しい音楽よ。 

 数学者や物理学者は、数式を美しいと言うけれど、バッハを聞いていると、その意味が良くわかるわ。

 

 何言ってるのよ? それよりどいてよ!

 

  

 

 イヤよ。 ここが一番音響効果が良いんだから。 

 どうしてもどいて欲しかったら、パソコンに安物ののスピーカー付けるんじゃなくて、ちゃんとしたCDプレーヤーを買って頂戴。

 

 そ、そんなあ、わたしは貧困層なのよ!!

 

  

 

 だったら、ワタシの邪魔をしないで、一緒にバッハを聞きましょうよ。 

 

 しょうがないわねえ・・・・。

 

  

 

 あら、おわちゃった、次はクリスマスオラトリオね。 それから、キーボードは邪魔だからどけてね。

 

 そんなあ・・・・・。

 

  

 

 クリスマスオラトリオは2時間半あるから、暫くキーボードを片付けても差し支えないわよ。 

 

 ・・・・・・。

 

  

 

 ああ、なんて美しい!!

 このイントロから厳かな喜びが溢れだすわ。

 このオラトリオを聞くと、クリスマスを迎える喜びが部屋一杯に広がるわ。 

 

 そうね。

 これはアムゼル君の所で始め知った曲だけれど、あれから毎年クリスマスが近づくと聞きたくなるのよ。

 バッハは沢山の子供が居たから、きっと子供達の喜びが曲になったのね。

 

  

 

 おお、同居人もたまには良い事言うわねえ。

 バッハの子供達は全部で23人もいたけれど、その中で成人できたのはほんの4~5人だったわ。 後は皆子供のうちに死んだのよ。 

 現代人の感覚では想像を絶する程過酷な生活だったのよ。

 聖トマス教会の楽長になった時にも、居住環境が余りに悪くて、半年のうちに3人の子供が立て続けに死んだりしたわ。

 クリスマスはそんな生活をしていた子供達にとって、クリスマスがどれほど楽しいものだった? どれほどクリスマスを待ちわびた事か?

 その喜びがこの曲に詰め込まれて、何百年もの間、それを聞く人々に伝わるのよ。

 

  

  

 

 

 と言うわけで、今からクリスマスまで、毎晩のようによもちゃんとこの曲を聞きながら、ボ~~とする夜が続きます。

 

 実はわたしは音痴で、音楽の事は殆ど知りません。 でもこの曲は以前アムゼル君の所で聞いてから大好きになり、毎年クリスマスが近づくと毎夜のように聞くようになりました。 

 

 アムゼル君有難う。 

  1. 猫の生活
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2011-11-27 21:55

屑 TPP

★「万年野党社会党のよう」=自公両党を批判-仙谷氏

 民主党の仙谷由人政調会長代行は27日、静岡市内で講演し、自民、公明両党が環太平洋連携協定(TPP)交渉や消費増税をめぐり政権への対決姿勢を強めていることに関し「手続きの問題で批判を繰り返す。万年野党だった社会党のようなやり方 をせず、中身で議論してほしいが、(衆院議員の任期が後半に入り)選挙が近づくとそういうことになる」と述べ、批判した。
 仙谷氏は、「決めることのできる議会をつくらないと、世界中や日本の中でも政治に対する期待と信頼を取り戻すことにならず、後顧に憂いを残す」と述べ、国会運営へ協力を求めた。

■ソース(時事通信)(2011/11/27-19:55)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011112700200

1990年 2月 衆議院選挙初出馬 初当選(日本社会党)
http://y-sengoku.com/02prof.html
 

  

 

 1990年に社会党から立候補して衆議院に当選して以来、20年間屑人生を送ってきた男が、ようやく自分の屑っぷりを認めました。

 

 しかし自分が20年間してきた事が「手続きの問題で批判を繰り返す。」そうして、本来早く決めなければならないことを唯ひたすら邪魔すると言う社会の害だったとようやく理解したのでしょうか?

 

 それにしてもホントにこの社会党と言うのは、ホントに日本の経済や福祉や国防など全てにひたすら害にしかならない政党でした。

 

  

 

 ワタシが高校生だった1970年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言う本がベストセラーになりました。

 

 この本は当時経済成長驀進中の日本が、遠からず世界一の経済大国になるだろうと言う内容でした。 その中で日本の経済政治状況を様々解説してありました。

 

 そして社会党については一言「この政党は嘗て、一度も有意義な事をしたことがない」と書かれていました。 

 

 高校生だったワタシにはこの本に書かれた経済政治については、必ずしも十分理解できませんでした。

 しかしそれでもこの社会党評だけは心底同意しました。

 

 実際この政党は唯反対の為の反対をするだけだったのです。

 

  

 

 そもそも日本は資本主義国家で民主主義国家だから、経済成長ができて国民の生活が豊かになったのです。

 

 ところがこの救いがたい馬鹿政党は、社会主義革命を夢見ていたのです。

 

 そのためには日本が経済成長したり、国民が豊になっては困るのです。 それなら命懸けで革命を起こすような根性はないのです。

 

 結局、日本の経済成長のおこぼれを食いつぶしながら、ひたすら日本の経済成長や国防や外交を邪魔し続けると言う最低の連中だったのです。

 

 こんな連中だから幾ら国会議員になって給与と歳費を貰っても、経済や外交について勉強する意思などありません。

 

  

 

 だからワタシが国会中継など見るようになると、コイツ等の国会質問で、余りの無知蒙昧ぶりに唖然とすることが再々ありました。

 

 ワタシだって十二分に低学歴で経済音痴なのに、コイツ等ときたら遥かにそのレベルを下回るのです。

 

 どうもコイツラの経済知識だと、例えば普通のテレビの株や経済情報関連の番組は全然理解していないし、日経は愚か普通の新聞の経済欄も読んだことがないのでは?と思えるレベルでした。

 

 だからこの仲間が総理大臣になると、日本国債格付け引き下げについ、記者に聞かれて、「そういうことには疎い」なんて平気で答えるのです。

 

   

 

 それだけでも十分困りものですが、ソ連崩壊後更に厄介な事に熱中する事になります。

 

 つまり社会主義の妄想が危うくなったので、変りに反日を本業にすることにしたのです。

 

 彼等は90年代から従軍慰安婦捏造や南京大虐殺捏造に本腰を入れます。 そして日本政府に謝罪と賠償をせよと言うのです。

 

 この仙石の馬鹿もその総大将格でした。

 

 これが外交上どれほど愚かしい事か、この馬鹿には理解できないのです。 勿論今も理解できていません。

 

  

 

 その馬鹿が執着するのがTPPです。

 

 つまりTPPなんか馬鹿のすることだと言う証拠ですね。

 

 こんな連中がイケイケのTPPだから、政府の出す情報が殆どなく、僅かに出るモノも出鱈目なのは当然です。

 

 日韓条約や日米安全保障条約のように、遥か昔から発効して、様々な問題をその条約に基づいて解決しきた条約でもこの馬鹿は未だに理解できていません。

 

 そんな馬鹿に、これから内容を詰めるTPPのような物が抱える問題を理解できるわけがありません。

 

 だから必死に推進しているわけです。

 

  

 

 それにしても今まで20年自分達が国会でやってきた事が、唯反対の為の反対、日本の政策を邪魔して、世界と日本の害になるだけだと今頃ようやくわかったのでしょうか?

 

 もしそれならこの男がするべき事は唯一つです。

 

 つまり今まで国がかすめた歳費と給料を返納して、国民に謝罪したうえで、国会議員を辞める事です。

 

 とりあえず解散しろよ!!

 そんで二度と立候補するな!!

 

 それをTPPってどこまで図々しいんだろう?

 

  

 

 政界再編には色々なプランがあるようです。

 でもワタシは思うのですが、日本の政治が良くなるために一番必要なのは、この仙石のような社会党の残党を全部国会から追放する事ではないでしょうか?

 

 ひたすら日本の害をなす事だけを考えている政治家が、国会議員の2割も3割も居ては、どんな政党が政権をとても政権運営の邪魔になり、どんな良い政策を邪魔をされます。

 

 二大政党制が上手く行くには、アメリカの民主党と共和党のように、本来民主主義と資本主義を守る政党同士で政権交代ができるからです。

 

 ところが社会主義妄想に生きる馬鹿が大量に入っている日本の民主党のような政党では、資本主義国家でマトモな政策が出来るわけがないのです。

 

 これを日本人はこの2年半でウンザリする程学んだではありませんか?

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2011-11-27 20:15

ワタシの祖父の事

 ケストナーの児童書「私が子供だった頃」に貧しい家庭に生まれた両親が、共に小学校を出ただけで働きに出る記述があります。

 

 ワタシがこの本に惹かれるのは、ワタシの祖父母も父方も母方も、やはり貧しい農家で生まれて、やはり小学校を出ただけで社会に出たからです。

 

 ワタシの母方の祖父は、明治の半ば讃岐平野の農家に生まれました。 10人兄弟の末っ子でした。

 だから当時の子供して普通に、尋常小学校を卒業した12歳で、神戸に丁稚奉公に出ました。

 

 初めて神戸に出たとき奉公先の人が神戸駅に迎えにきてくれたのですが、お互いに顔がわからないので、胸に目印のリボンをつけていたそうです。

 

 そうやって奉公した先は、麦稈真田を扱う貿易商でした。

 

  

 

 麦稈真田ってご存知ですか?

 

 麦稈真田と言うのは、麦わら帽子の材料です。

 

 麦わら帽子を良く見ると、細い麦わらの組紐を延々と渦巻き状に縫い合わせて作られているのがわかります。

 この細い麦わらの組紐が麦稈真田です。

 

 この麦わらの組紐は、人間が手で乾燥した麦の茎を編んで作ります。 当然の事ですが、大変手間のかかる作業です。  

 

 この麦稈真田を当時の日本は大量に欧米に輸出していました。 生糸ほどではありませんでしたが、当時の日本にとって重要な輸出品でした。

 

 この麦稈真田の産地は、小麦を米の裏作に作っていた瀬戸内海沿岸で、祖父の生まれた讃岐平野でも沢山作られました。

 

 裏作に作った小麦の麦わらを乾燥して、それを組紐に編むのは、農家の副業や或は組子と言われる女工さんの仕事でした。

 勿論超低賃金労働です。

 

 この低賃金故、日本製の麦稈真田は、それまで主要産地だったトスカーナに勝ったのです。

 

 祖父はこの縁で麦稈真田の貿易商に奉公に出たのです。

 当時神戸にはこのような麦稈真田専門の貿易商が結構あったようです。 また多くの貿易商がこれを扱いました。

 

  

 

 真面目に丁稚奉公を終えて、暖簾分けをしてもらった祖父は、独立して麦稈真田を扱う貿易商になります。 

 

 当時の神戸にはこんな中小の貿易商が多数ありました。

 その中にはたちまちのうちに隆盛して、三井、住友と肩を並べるようになった鈴木商店のような所もありました。

 

 けれど勿論祖父にはそんな才覚はありませんでした。

 祖父は律儀に真面目に働き、後に麦稈真田の知識につては「生き字引」との評判を得る程でした。 けれどそれだけでは成功できませんでした。

 

 なぜならこの商売は結構リスキーで投機的な面が強いのです。 まず商品の麦稈真田の価格が非常に不安定でした。

 品質の良い麦稈ができるかどうかが、大きく天候に左右されたからです。

 また帽子の材料と言うことで、欧米の流行にも左右されました。

 

 祖父にはその中で生き延びるのに必要な、相場師のような度胸や先見性がなかったのです。

 

 母によると、祖父はこの仕事をしている間に、3回ぐらい夜逃げしたそうです。

 

 あるときは家族も置いて一人で夜逃げした祖父に、その債権者と同業者たちが「金の事は心配しないで帰れ」との新聞広告を出してくれたので、涙を流して帰った事もあるそうです。

 

  

 

 それでも祖父はこの商売で、母を頭に5人の子供を何とか養っていました。

 

 これを全部吹き飛ばしたのが、太平洋戦争です。

 

 1941年12月11日、突然祖父の商売は全滅しました。 真珠湾攻撃で輸出先のアメリカやヨーロッパ諸国とは戦争になったのです。

 これでもう欧米への麦稈真田の輸出が出来ないのは勿論、それまでの売掛金の回収もできなくなったのです。

 

 その時、5人の子供のうちで、働いていたのは母一人です。 後はまだ学生で、末っ子の叔父に至ってはまだ乳児でした。

 

 戦時中祖父がどうやって家族の生活費を稼いでいたか、母は全然わからないと言います。

 

 それでも何とか祖父は家族を養い続けたようです。

 

  

 

 戦争が終わって間もなく祖父は商売を替えます。 知人に勧められて、時計ガラスの修理を始めたのです。 そしてそれが戦後の祖父一家の稼業になりました。

 

 中年過ぎてから完全に違う商売への転業は大変だったと思いますが、しかし地道に仕事をすれば日銭が入る仕事のほうが祖父には向いていたのかも知れません。

 

 或は本来小学校を出た時から、このような仕事を選ぶべきだったのかも知れません。

 

 ともかくこの仕事は叔父に引き継がれ、さらに叔父が引退した今は従弟が継いでいます。

 

  

 

 しかし商売を変えてからも、祖父は麦稈真田への愛着を持ち続けたようです。 そして貿易商を続ける嘗ての同業者達とも交際を続けました。

 

 だから昭和30年代になっても、祖父の所にはいつも麦稈真田の商品見本や麦わら帽子が沢山転がっていました。

 

 けれどその頃になると、この人権費の上がった日本では超労働集約型産業は、成り立たなくなりつつありました。

 

 麦稈真田の組子作業は台湾に移ります。

 

 そして嘗て麦稈真田を扱った貿易商は、今度は他の雑貨を扱うようになったようです。 

 それは陶器の小さな人形や、玩具、クリスマスオーナメントような物です。

 

 お蔭で祖父の所には、そうした雑貨の商品見本も沢山ありました。

 

  

 

 ワタシは祖父にこの商品見本の クリスマスオーナメントを沢山貰って、大喜びした覚えがあります。

 今は中国製ばかりのクリスマスオーナメントですが、当時は日本が低賃金を生かして、輸出していたのです。

 

 祖父は最晩年になって、麦稈真田の資料を集めていました。 麦稈真田の記録が次第に消えていくので、自分が資料を集めて置きたいと思ったようです。

 

 それから間もなく祖父は死にました。 90近い高齢だったので、天寿を全うしたと言えます。

 

 祖父の集めた資料がどうなったかわかりません。 

 祖父が死んだ後に阪神淡路大震災が起きて、祖父の家もかなり損害を受けましたから、資料の始末までは手が回らなかったのではないかと思います。

 

 その資料にどの程度の価値があったのかはわかりません。 けれども祖父が余り稼げなかった仕事を最後まで愛していたことの証拠として貴重だと思いました。

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2011-11-27 13:09

エミール・ケストナーのランドセル

 sonoさんの所にルイ・ヴィトンのケース購入を薦めるメールが来たそうです。 それが何とiphonケースのだそうです。

 しかも大枚27300円!!

 

 調べたらipadのケースも出て居ましたが、これは何と8万円以上します。 

 

 以前友人から聞いた所、このルイ・ヴィトンのバッグと言うのは丈夫で、三代使えるのだそうです。

 しかしどう考えてもiphonもipadも三代使えません。 精々数年でしょう。

 

  それに中身より高いケースを買う人がいるわけです。

 

 尤もハンドバッグだって三代使う人なんかいないでしょうから、最初からナンセンスな話です。

 

  

 

 それでもこれで懐かしく思い出した本があります。

 

 エーリッヒ・ケストナーの児童書「私が子供だった頃」です。 

 これは著者ケストナーが、自分の家族と少年時代の思い出をつづったものです。

 

 この中で両親の生活が、非常にリアルにそして愛情をこめて描かれています。

 

 作者ケストナーの父親エミール・ケストナーは皮細工職人でした。 そしてこの父親が職人修行をした19世紀末、皮細工職人の主な仕事は馬具を作る事でした。 これはルイ・ヴィトンと同じなのです。

 

 律儀なドイツ職人を絵に描いたようなエミールは、腕の良い職人になり、更にマイスターの資格を取って、自分の店を持ちます。

 

 けれど彼にはルイ・ヴィトンのような商売のセンスがありませんでした。

 

 最高の皮、最高のフェルト、最高の腕で作った物はどうしても値段も高くなり、店は流行りませんでした。 

 

 結局エミールは店をたたんで、トランク工場で工員として働く事になります。 だから一家の生活は倹しいものでした。

 

  

 

 この倹しい生活の助けの為に、エミールは一家の住居だった集合住宅の地下で、夜ごと皮製品修理の内職をします。 

 

 そしてその合間に家族の使う革製品も作りました。 そして息子エーリッヒが小学校に入学する時は、ランドセルを作りました。

 

 このランドセルがまた恐ろしく丈夫な物でした。 物語の中で、エーリッヒ・ケストナーは描いています。

 

 「1906年に彼が私に作ってくれたランドセルは、1913年に私が堅信礼を受けた時も、学校に入った最初の日全く同じように新しかった。 それはそれからだれか親類の子供におくられて、さらにその子供が学校を出ると、すぐに次の子供へと、次々に譲り渡されていった。 私の上等な皮のランドセルが今日どこにあるか知らないが、それが昔も今も、ケストナー家かアウグスティーン家の子供背中に乗って、学校に行っているとしても、私は驚かないだろう。」

 

 こんなモノを作っていたのでは、商売にならないのです。

 

  

 

 この本は児童文学ですが、ワタシはこれを成人してから読みました。 そして大好きになりました。

 

 ワタシがこの物語を格別好きなのは、このケストナーの両親の出自や生活感覚が、ワタシの祖父母とほぼ同じだからです。

 

 ワタシの祖父母は母方も父方も、ケストナーの両親同様貧しい農家出身で、小学校しか出て居ません。

 

 母方の祖父は丁稚奉公して、小さな貿易商として独立して、何とか子供達を育ていました。

 父方の祖母は女中奉公の後結婚したのですが、祖父が早逝したのでまた女中を続けて、父を育てました。

 

 だからこのケストナー夫妻が「師範学校を出て、先生になりたい」と言う一人息子の夢をかなえる為に、必死で働く姿は胸を打ちます。

 

 それでもそのための仕事が、トランク工場での労働であり、その後更に地下室での革製品の修理です。

 

  

 

 しかしその仕事の合間に、息子の為にランドセルを作ることがこのエミール・ケストナーには大きな喜びだったのです。

 

 エミール・ケストナーは本当にこうした手仕事が好きで、ランドセルの他にも、息子の為に様々な細かい細工物を作って、クリスマスプレゼントにしたりしています。

 

 家族への愛情と、物を作る喜びがいつも彼の心を支えていました。 

 だから金銭的には極めて報いられることの薄い労働を続ける事ができたのでしょう。

 

 これがドイツの職人魂なのです。

 そして物を作る人々の神髄でしょう。

 

  

 

 エミール・ケストナーの作ったランドセルは、今どこにあるのかわかりません。

 

 しかしまだどこかで子供の背中に乗って、学校に通っているのかもしれません。 

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