しかもギリシャが財政を誤魔化しているもの薄々承知の上です。
一体誰がこんな馬鹿なことをしたのでしょうか?
ワタシはマキャベリスト達が、素朴で善良な人々を騙くらかしてやらせたのだと思います。

ところで元祖マキャベリスト事、ニコロ・マキャベリの夢をご存知ですか?
彼は何の為に後世「不道徳の書」或いは「権謀術策主義」とも思われた「君主論」を書いたのでしょうか?
マキャベリが「君主論」に託した夢は、イタリア統一でした。
ワタシは思うのですが、実は現在のヨーロッパはマキャベリの時代のイタリアと同様な危機にあるのです。
マキャベリが生きた時代のイタリアは、ルネサンスの最盛期でした。 マキャベリはその盛期ルネサンスのフィレンツェに生まれたのです。 ミケランジェロは彼とほぼ同年、ダヴィンチはこの二人が活躍し始めた頃は、もうマエストロと呼ばれていました。 ラファエロは彼等より少し年少になります。
マキャベリが生きた時代のフィレンツェは、だからこうした天才達が、普通に市内を仕事をしている時代だったのです。

しかしこうした華やかな文化とは裏腹に、イタリアの独立は大変危うくなってきた時代でもありました。
なぜなら当時のイタリアはフィレンツェ始め、幾つもの小国に分裂していました。 これらの国々は小国とは言え、経済力は大変なモノでした。
ベネツィア共和国は人口は15万人程度でしたが、歳入ではオスマントルコ帝国とほぼ同等でした。
フィレンツェだって負けてはいません。
イギリスやフランスの国王は、フィレンツェの商人から融資なしには、国家を運営できない状態でした。
アルプスの北国々は、領土や人口では圧倒的でも、文化と経済ではイタリアの都市国家には遠く及ばなかったのです。

しかしマキャベリが生まれた頃までに、これらの国々は着々と王を中心とした中央集権体制を固めていきました。 そしてこうした王はイタリアの都市国家が想像した事もない程膨大な軍勢を集める事ができるようになっていたのです。
もしその軍勢がイタリアを襲ったら?
マキャベリの青春時代、1494年実際にこれが起きたのです。 フランス王シャルル8世がナポリ王国の継承権を主張して、大軍を率いてイタリアに攻め込んだのです。
その軍勢の通り道になったイタリアの小国はどれもなすすべもなく、大混乱状態になりました。 フィレンツェも全市パニック状態に陥ります。
しかしその後もフランス、神聖ローマ帝国、スペインなどが、繰り返しイタリアの支配権を求めて、攻め込んで来ると言うことが繰り返されるようになったのです。

イタリアの小国はその度に、自国の生き残りだけを考えて、あっちについたりこっちに着いたり、右往左往を繰り返すと言う始末です。
自国の生き残りの為なら、他のイタリア諸国を裏切ったり、敵に回して戦ったりして、唯自国の利益でけを確保しようとしたのです。
しかしそれが結局イタリア半島に住む人々全てを不幸にしたことは言うまでもありません。
盛期ルネサンスと言うのは、実はイタリアにとって非常に悲惨な時代でした。
そして1527年、ローマに攻め込んだ神聖ローマ帝国軍は、ローマを壊滅させて、遂にルネサンスの息の根を止めてしまいました。
こうした時代を生きたマキャベリが夢見たのが、イタリアの統一でした。
イタリアがこんな小国分裂さへしていなくて、スペインやフランスのような統一国家であれば、経済力で圧倒するイタリアがこんな野蛮国に翻弄されるはずもないのです。

マキャベリはフィレンツェ共和国の書記官の仕事をしている間い、その夢を叶えてくれそうな人物に巡り合う事ができました。
それはチェーザレ・ボルジア、時のローマ法王アレッサンドロ6世の息子でした。
法王の息子?
勿論法王は結婚してはいけないので、非嫡出子です。 ホントは結婚だけじゃなくて、女性と交わるのもダメなはずですが、当時の人々はそこまでは問題にしませんでした。
ともあれこの法王の息子は、抜群の軍事的才能と政治的才能に恵まれており、法王を後ろ盾にして、武力によるイタリア中小都市国家を侵略して、イタリア統一に向かいだしたのです。
しかしこのチェーザレ・ボルジアはイタリア統一半ばで挫折します。 父だったローマ法王が死に、自分も病に倒れている間に、彼の敵達が一期に襲いかかって、その政治生命を断ったのです。 そしてその後間もなく彼の命そのものも尽きてしまいました。
まだ30代になったばかりだったのに・・・・・。
マキャベリもまたその後間もなく、フィレンツェ共和国の書記官の職を追われました。

失業したマキャベリが、書記官時代に間近にみたチェーザレ・ボルジアを通して、君主のあるべき姿を描いたのが「君主論」なのです。
彼は理想的な君主がイタリアを統一して、イタリアの主権を守ってくれる事を夢見たのでした。
そうでもしなければ、早晩イタリアは、スペインやフランスなどの支配下に置かれてしまうだろう。
これが君主論を書いたマキャベリが、感じ続けた危機感でした。
その君主のモデルだったチェーザレ・ボルジアが、目的の為に手段を選ばず、権謀術策何でもアリの男だったので、マキャベリストと言えば、権謀術策主義のように言われるようになったのです。

で、それがユーロとどういう関係?
それは現在のヨーロッパを当時のイタリア半島と考えればわかります。
ヨーロッパ諸国は20世紀半ばまでは、世界を支配していました。
それが第二次大戦後は、唯の中小国の集団になってしまったのです。
それでも70年代ぐらいまでは、経済力と軍事力でアジア・アフリカ諸国を圧倒していました。
しかしその経済力も軍事力を、未来永劫維持できる保障はありませんでした。
実際、70年代ぐらいからアジア諸国は少しずつ経済力を伸ばし始めました。 アジアには人口ではヨーロッパ諸国を圧倒するメガ国家が幾つもあるのです。
またアメリカの力は既に第一次世界大戦後から、ヨーロッパを圧倒しています。
こうなるとヨーロッパはいつまでこの優位を保てるのでしょうか? ヨーロッパ諸国が今のまま中小国の群雄割拠では、これから世界に出現するであろうメガ国家に対抗できません。
それどころか第一次世界大戦や第二次世界大戦のように、ヨーロッパの国同志で戦って自滅する危険もなくなりません。

そこで考えたのがヨーロッパ統一です。
しかしチェーザレ・ボルジアのような君主が武力により統一する事は不可能なので、話会いによる統一、段階的な統一を考えたのです。
それがEU、そしてユーロなのです。
最終的にヨーロッパ全土がヨーロッパ国と言う一つの国になる事が目標なのです。 勿論これはどの国も皆納得しているからEUとかユーロとかができたのです。
しかしこれってイザとなるとどの国も総論賛成、各論反対、利害の調整は凄く難しいでしょう?
だからそれぞれの国の国民一人一人の意見を尊重して、全員に納得してもらうなんて不可能なのです。

そこでユーロを作ったマキャベリストは考えたのです。
だったら先に金で縛ってしまえ。
甘い言葉で吊って、「通貨だけだから。 ユーロにすれば皆強い通貨が持てて、欲しい物なんでも買えますよ。 でも国家主権はそのまま尊重しますからね。」
しかし通貨発行権を失い、財政政策に枷を嵌められたら国家主権なんか半分吹き飛んだ同じでしょう?
その上関税自主権も外国人の出入国管理権は既にEU加盟で喪っているのです。

しかもユーロには一度加盟した出口がありません。 一方ユーロ側も一度抱え込んだ厄介者を追い出す方法がありません。
だから厄介者でも何でも入れてしまえばオシマイ。
後はもう皆で苦労して、仲良くやっていくことを考えましょうね。
で、でもそれじゃ国民が大変でしょう? ギリシャのように破綻する国の国民も大変だし、それを面倒見る国の国民の大変です。
こうした人々の苦しみはどう考えているのですか?
そんなこと知るかい!!
だってボク、マキャベリストなんだから。
だからギリシャだけでなく、ルーマニアとかもう、一体何を考えるの?と思うような国だってドンドン入れたのです。
一方ハラグロ・サクソンはさすがにマキャベリストなんぞには騙されませんでした。
さてこのマキャベリストの目標は達成できるのでしょうか?
そもそも話し合いて多数の国家をまとめて統一国家を作るなんてことができるのでしょうか?

でも一応成功例はあります。
それはスイスです。
あれってつまりミニ・ユーロです。
つまりスイスって中世の半ばに、アルプスを抜ける街道沿いの都市国家が、話し合いで関税同盟を作り、それが主体となって、独立して作った国です。
その同盟にさらに民族を超えて幾つもの都市国家が加わって今のスイスができたのです。
武力統一をしたわけではないので、今もそれぞれの地域の自治権は非常に強いままです。 言語も統一そのまま維持しています。
それでも400年間安定した国家を維持できたのですから、ヨーロッパ全体でこれが不可能とは言い切れないでしょう?
少なくともマキャベリス達はそう思っているのではないでしょうか?

ちなみにこうなるとスイスが加盟しないわけもわかります。 だってミニユーロスイスが、ユーロに加盟して通貨発行権を失えば、国家として統一を保つ理由がなくなってしまいます。 そうなるとスイスと言う国が解体してしまいます。
でもマキャベリスト達はいずれスイスも飲み込む気なのでしょうね。
だってニコロ・マキャベリの感じた危機感は、その後現実の物になりました。
イタリア諸国が自国だけの国益に固執して、お互いに対立している間に、スペイン女王と神聖ローマ帝国皇帝のこども達の結婚が成立して、そこから生まれた子供が神聖ローマ帝国とスペイン双方の支配者になったのです。
こうして出現した超大国にイタリアは北部と南部を支配されて、独立性完全に失いました。 そしてその後19世紀末まで統一国家になれませんでした。
そしてそれと共にヨーロッパを圧倒していた経済力も文化も衰退して、19世紀にはヨーロッパの後進国になってしまったのですから。