2018-02-21 13:54

ソクラテスの恋人 梟雄アルキビアデス伝

 アルキビアデスをどう描くか?

 ワタシは塩野七生さんの「ギリシャ人の物語」で、これが大変興味がありました。

 何しろこの男、古代西洋史きっての美男です。 しかもアテネ一の名門で大富豪の生まれで、その上ソクラテスをも魅了した知性の持ち主です。
 
 おお、完全に塩野さんの好みのタイプ!!
 
 しかし一方でペロポネソス戦争でアテネを無条件降伏に追い込んだ主犯とも言える人間です。
 そしてそうした彼の言動が、後にソクラテス処刑の遠因になりました。

 だから彼に着いての歴史家の評価は概ね非常に否定的です。 
 それでは塩野さんは?

 勿論大甘でした。
 だって大の美男好きの女性が、古代史一の美男を厳しく裁けるわけがないでしょう?

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 それではこのアルキビアデスってホントはどんな奴だったのでしょうか?

 この男は悪人なのか、英雄なのか?
 この男はさほど長くもない生涯の間に、輝かしい愛国者で英雄と、裏切り者の売国奴の間を、二度往復しました。

 だから何と評価した物がわからないのです。

 しかしこの男がそういう一生を送るようになったのは、彼個人の人格の問題でもありますが、アテネの民主制の問題によるではないかと思います。

 つまり彼はアテネの民主制により英雄になり、またその民主制により国家の敵とされ、また英雄になり、また敵とされると言う事になったのです。

 だから彼の生涯を見るとアテネの民主制の問題が浮かび上がります。 そしてそのような制度の下でペロポネソス戦争と言う、国家の運命を賭けた戦争をやってしまった事の問題が理解できると思うのです。

 それでワタシ的に見たアルキビアデスの生涯を描いてみたいと思います。

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 アルキビアデスに着いて残された資料の中で、彼の人格が最も活き活きと描かれているので、プラトンの「饗宴」です。

 この饗宴が催されたのは、アテネがペロポネソス戦争に突入して既に10年余、戦線は完全に膠着し、出口が見えなくなり、人々は閉塞感に苦しんいた頃です。

 しかし文化都市アテネではこうした状況でも、毎年恒例の演劇祭は開催されていました。

 そしてその演劇祭で若い悲劇作家アガトンが優勝したのです。

 そこでアガトンは自宅で祝いの饗宴を開き友人達を招待ました。

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 因みにアガトンは恋人のパウサニアスと同棲中でした。 二人はアテネ切っての美男カップルとして有名でした。 

 招かれたのはソクラテス、喜劇作家アリストファネス始め当時のアテネの知性と良心を代表する人々です。

 この時代のアテネではこうした友人達を招いての小規模な宴会では、飲食と共に決められたテーマに着いての討論を楽しみました。

 この饗宴ではホスト二人が同性愛カップルと言う事もあって、討論のテーマを「エロス」つまり愛、男性同性愛にしたのです。
 因みにこの時代「愛」と言えば同性愛をさします。 婚姻は子孫を残す為の物で愛は関係ないのです。

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 ツィッターでゲイの人達を見ていると、なんかもうやたらにあけすけに性欲をストレートに性欲を表現するのでワタシのような淑女は戸惑うのですが、しかしこの饗宴の参加者は元祖プラトニックラブの人々ですから、そういう事はしません。

 皆大変格調高く、精神性を中心にエロスについて語るのです。
 
 そして最後の締めがソクラテスの「愛する側に神がある」とあの有名な説話になり、一同感動しました。

 こうして饗宴は格調高く終わるはずでした。

 ところがそこにアルキビアデスが楽師や遊び女の一群を連れて乱入してきたのです。

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 アルキビアデスはこの饗宴には招待されていなかったのですが、しかし元来ホストのアガトンとパウサニアス始め、出席者一同とは親しい間柄でした。

 アルキビアデスは当時30代前半の若さでしたが、既にアテネ政界をナンバーワン争いの最中でした。

 因み当時のアテネの政治はストラテゴスと言う10人の指導者の合議制です。 そのストラテゴスへの被選挙権はは30歳以上からです。 アルキビアデスは30歳になって直ぐにこのストラテゴスに当選しているのです。

 そして直ぐにアテネ政界のトップ争い加わりました。 

 ペリクレスの近親者で、しかも大富豪と言うバックグランドに加えて、大変な雄弁家で、アテネ一と言われる美男なのですから、大衆の絶大な支持を得たのです。
 
 彼にはRとLの発音が不明瞭と言う癖があったのですが、普通なら政治家に不利なこの癖も、アルキビアデスの特徴と言う事で、アテネの若者の半数が真似ると言う有様です。

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 これほどの政治家ですから古い友人達も招待を遠慮したのでしょう。 実際彼は既にどこかの宴会に出た後だったらしく、パウサニアス邸に乱入した時、すでにかなり出来上がっていたのです。

 しかしこうしてワザワザ来てくれたのですから拒む理由はありません。

 皆喜んで彼を歓迎し、この饗宴の討論のテーマである「愛」についての意見を求めました。

 アルキビアデスはそこで、漸くここにソクラテスが出席しているのに気づきました。 しかも若く美しいアガトンはソクラテスの隣に座ったのです。

 そこでアルキビアデスはこれに嫉妬して、ソクラテスと自分の「愛」について語り始めるのです。

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 アルキビアデスはアテネ一の名門で大富豪の跡取りとして生まれました。 唯一の不幸は幼い時に父親に死なれた事ですが、しかし近縁のペリクレスが後見人として父親代わりを務めました。
 
 このペリクレスの愛人で彼と同棲してたのがミレトス生まれのヘタイラだったアスパシアです。 

 ヘタイラとは宴会に出て歌や踊りを披露し、また座持ちもすると言う女達で、古代ギリシャの芸者さんでした。 勿論良家の子女がする仕事ではありません。

 しかしアスパシアは古代史最高の才女でした、だからペリクレスは彼女を愛して、正妻と別居して彼女と同棲していたのです。

 そのアスパシアの友達がソクラテスだったのです。
 このような縁から、ペリクレスの被後見人だったアルキビアデスは、少年時代にソクラテスと知り合う事になったのです。

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 その頃のアルキビアデスはアテネ一の美少年で、アテネ中の男達が彼の美貌に魅せれていました。 そしてアルキビアデスはそう言う事を十分承知している少年だったのです。

 門地・富・美貌を兼ね備え、その価値を十分知っている少年アルキビアデス。
 
 一方ソクラテスときては、ギリギリ中産階級です。 つまり勤労収入が無くてもなんとか生活はできるので、哲学三昧で暮らせると言うだけで、アルキビアデスの所属する階級から見れば微々たる庶民です。
 しかも禿げ頭の醜男です。

 ところがアルキビアデスがこのソクラテスの内面を垣間見て、その燦然たる輝きの虜になってしまいます。
 そこで彼は何とかソクラテスを誘惑して、欲望によりソクラテスを我が物としようと考えたのです。

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 その為、彼はソクラテスを競技場に誘い、一緒にトレーニングをして一緒にレスリングをしました。 
 そしてその後、夕食に招待し、二人で夕食を食べた後は、泊まっていくようにすすめ、同室で眠るように仕向けました。

 こうして二人が床に就いて暫くするとアルキビアデスは、ソクラテスの床に入り込み、抱き着いて誘惑したのです。

 アテネ一の美少年がここまでやるのですから、一発で陥落するはず・・・・・・。

 ところがソクラテスはこのアルキビアデスの誘惑には全く動じず、結局二人は兄弟や父子のように清い関係のまま朝を迎えたのです。
 
 これはアルキビアデスの自尊心を大いに傷つけました。
 その為彼の心は後々長く「蛇に噛まれたように心がうずき続けた」のです。

 けれどもソクラテスの自制心と人格への尊敬は揺るぎない物になりました。

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 しかしその後アルキビアデスが20歳になり初陣すると、戦場で見たソクラテスは更に彼を驚嘆させます。

 厳しい寒さや飢餓で皆が苦しむ中、ソクラテスは寒さも飢餓も物ともせず常に泰然自若しとしており、そして戦闘になると類ない勇気を発揮して皆を力づけました。
 
 アルキビアデスが負傷した時は、自身の危険をものともせずに救助に駆けつけ、更に混乱した部隊を建て直し、遂には全軍を勝利へと導いたのです。

 しかしソクラテスはそれを自身の手柄とはせず、指揮官にはアルキビアデスの手柄とするように求めたのです。

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 「饗宴」はこのアルキビアデスの乱入の場面で一気にフェーズが変わります。
 
 言ってみればそれまではモノクロ学術映画だったのが、突然フルカラーのスペクタクル映画になるような・・・・・。

 或いは、当にに現代のシンポジュウムのような学術講演会が、一瞬にして豪華絢爛なオペラの舞台に変わるのような・・・・・。

 そのオペラでカリスマテナーが歌うのはソクラテスの賛歌ですが、観客はその賛歌により、歌手の美声と技量に魅せられるのです。
 
 そしてこの美声は2500年の時を超えて今も我々を魅了するのです。

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 それにしても「饗宴」を読むと、このアルキビアデスと言う男が持って生まれたのは富や門地、知性や美貌なんて物じゃなくて、格別なカリスマ、或いは華だっのだと思うしかありません。

 しかしその素晴らしい天分は結局、本人にとっても、またアテネとギリシャ世界にとっても幸福な結果を産まなかったのです。

 何でそんなことになってしまったのか?

 それは前記のようにアテネの民主制の問題だと思うのです。

 だからワタシがこれに着いて考えた事を、これから少しずつ書いて行きたいと思います。
 
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2018-02-17 15:01

問題を解決しないと言う選択 外交雑感

 内藤陽介さんの「シリア現代史」は凄く面白いです。 ユダヤシリーズも面白かったけれど、いずれも内藤さんの脅威の博覧強記ぶりもさることながら、この人独特に鋭い情勢解説が秀逸です。



 今回もまた目から鱗です。

 イスラエルがゴラン高原を占領し続ける事に対して、シリアのアサド政権(現アサド大統領のパパ)は、イスラエルとのどんな交渉にも応じず、無条件で全部返せと言い続けました。

 しかしシリア軍は中東で最低の弱っちい軍隊で、イスラエル軍と戦う事なんかできないし、イスラエルがゴラン高原を返す気もさらさらないのです。

 それなのに何でこんな超強気な事を言うのか?

 それはつまりアサド政権にはこの問題は解決する意思がないから、、またアサド政権にとっては解決しないで放置するのが得策だから、実現不能な強硬論を言っていくのだと言うのです。

038

 イスラエル軍と戦えない以上、解決するのは難しいというのは普通にわかるよ。
 でも、解決しないのが得策とはどういう意味?

 つまりゴラン高原の問題が解決しないと、シリア国内で何勝揉め事があった時に「ゴラン高原が占領されている状態なのに、シリア国内で揉めていていいのか?」と言う風に話を振り、揉め事を抑え込むのに使うのだと言うのです。

 どうせ軍事的にイスラエルには勝てないし、現実的に奪還は難しい。 
 だったらおもっきり強き=カッコイイ事を言って、国内対策に利用するのです。

042

 内藤さんによれば、これは例えばインド・パキスタンのカシミール紛争も同様だと言うのです。

 インド・パキスタンならインド軍が圧倒的に強いのだから、さっさとカシミールを制圧してしまえば良いのに、そうはせず延々と揉め続けている。
 
 これはインド・パキスタン双方、敢えてこの問題を温存して、国内で揉め事があった時に、「カシミール問題があるのに、国内で揉めている場合か?」と言う風に利用する。

 これをインド・パキスタン阿吽の呼吸でやり続ける。

 問題が解決しなくても、紛争が悪化せずに、バランスが保たれたらそれで良い。

 だからこのような状況を維持するのだと言うのです。

044

 なるほど外交の世界では、問題と言うのは、必ずしも解決しなければならいないわけではないのです。
 
 それどころか問題は問題として利用価値があるのです。

 そして実際歴史を学ぶと、一つの問題を解決した事が、次の問題を生み出す事は珍しくありません。 しかも最初の問題を解決した事で生まれた問題の方がさらに厄介だったと言う事が多数あります。

 また一つの戦争の終わりが、更なる戦争を招くことは普通にあります。

 だから戦争は早く終わらせるべきとはいっても、それが更なる厄介な戦争のネタになるなら、終わらせずにチンタラ続けると言うのも一つの方策なのです。

045

 ワタシはこの数年古代ギリシャ史に嵌っているのですが、ペロポネソス戦争の発端など当にそれです。

 つまり古代ギリシャ諸都市は団結して、ペルシャ帝国の侵略を退けました。

 ペルシャ帝国は二度にギリシャ侵攻を企てたのですか、二度ともペルシャ側が甚大な被害を蒙って撤退しました。

 これでペルシャ帝国はもうギリシャ侵攻を諦めました。
 またペルシャ帝国の支配下にあったアナトリア半島の地中海岸のギリシャ諸都市も独立を回復します。

046

 しかし後背地はまだペルシャ帝国領なのです。 そしてペルシャ戦役で敗戦を喫してもペルシャ帝国が、途方もない大帝国だと言う事実は変わりません。

 だからペルシャ戦役後も、ギリシャ諸都市はペルシャ帝国に対して強い警戒感を持っていました。

 その状態が30年程続いた後に、アテネがペルシャと恒久的な講和条約を締結したのです。

 すると間もなくギリシャ諸都市間の紛争が始まったのです。

047

 ギリシャ諸都市同士は元来始終戦争をしていました。 戦争を止めるのはオリンピック期間ぐらいだっとのです。

 でもペルシャ帝国の侵略を受けて以降は、ギリシャ諸都市同志で戦争している場合じゃないと、ギリシャ人同志の戦争は自重していたのです。

 その間にギリシャ諸都市は大いに繁栄しました。 実際この時代こそギリシャ文化の黄金時代です。

 ところがペルシャ帝国と講和条約が締結されて、ペルシャ帝国の侵略の心配がなくなると、この自重がアッサリと吹き飛んでしまいました。

 そこで早速ギリシャ諸都市間の紛争が再開しました。

 そしてこれがエスカレートしていき、遂にペロポネソス戦争に突入するのです。

050

 なんだかなあ・・・・、ワタシが中学・高校で習った「平和の尊さ」なんか糞喰らじゃないですか?

 しかし冷戦後にワラワラと起きた民族紛争を見たら、この焼き直しだってわかるでしょう?

 ワタシの青春時代は米ソ冷戦だったのですが、しかし当時は右も左も冷戦さへ終われば世界は平和になるように言っていたのです。

 だからおバカなワタシもそう思っていました。 
 しかし現実には平和になるどころではありませんでした。
 
 そしてソ連がヘタレたことで、中国と言う更なる厄介者がのさばっているのです。

051
 
 しかし歴史を学べば、このように厄介な国と揉め続けた挙句、その厄介な国を始末したらそれが更に厄介な国をのさばらせたなんて例はいくらでもありますからね。

 だから今の厄介とその厄介の種を始末した後に湧いてくる予想される厄介を天秤にかけて、今の厄介をどうするか考えるしかないのです。

 だって世界って超自己中な人間が、大勢ギュウギュウ詰めになって押し競饅頭をしているみたいなモノだから、自分の廻りの奴を突き離しても、それでスッキリするわけじゃないのですよね。

052

 だから今後日本がこの世界で生き延びる為には、この厄介な現実を知り、「問題を解決しない事」で問題を悪化させないなんてすごい裏ワザまで使う奴等が一杯いるんだって事を知るべきなのです。

 ため息が出るけれど、これが現実なんだから現実を認めそれと対峙するしかないのです。

 だからゲンナリするけれど、日本人は今後こうした知恵を学び、頑張っていくしかありません。

055

 平和なんか絶対に来ない!!

 人類は愚劣な戦いを続ける。

 でもその中を生きていくしかない。

 そのことをシッカリと認識するべきなのです。
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2018-01-21 21:32

読書感想文 朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実

 先日「朝鮮出身帳場人が見た慰安婦の真実」を読みました。

 数年前ですが、慰安所で働いていた朝鮮人の日記が発見されたと言うニュースが出ました。
 この本はその日記を韓国人の文化人類学者が、丁寧に読み解いたものです。

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 この日記は朴と言う朝鮮人の物で、1943~44年の物が残っています。 彼はこの期間、シンガポール及びビルマで慰安所の帳場人として働いていました。

 帳場人と言うのは、経理その他事務手続きが仕事で、日記からは彼が慰安所の金銭出納から、慰安婦の就業、廃業などの届け出などの事務全般を行っていたことがわかります。

 朴氏は当時40歳で、高等小学校卒、小学校卒以降こうした事務の仕事をしていたようです。 因みに高等小学校卒と言うのはこの時代、全然低学歴ではありません。
 だからこうした事務職にも普通に就けたのです。

 そして朴氏自身、毎日几帳面に日記をつけるだけあって、なかなかの読書家で、向学心も強く、政治や経済に関心が強いのです。
 
 それで常に新聞やニュース映画などを見てはその感想を日記に書いています。

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 この朴氏がどうして慰安所の帳場人の仕事に就いたかは、わかりません。 今残っている日記は彼がシンガポールに行くところから始まり、その前の部分は欠落しているのです。

 しかし著者崔吉城氏の記述と、この本に紹介されている日記の一部を見る限り、朴氏が余りに普通の勤め人なので驚きます。

 つまり慰安所は軍専用の売春宿ですから、風俗業なのですが、朴氏には風俗業で働くと言う引け目みたいなモノが全然感じられないのです。

 日本人の場合、こうした仕事はやはり堅気の人間する仕事ではないと言う認識があるのか、堅気の人間に対する引け目のようなモノを感じるですが、朴氏には全くそれがなく、むしろ皇軍の為に慰安所を運営する事を誇らしく思っていたようです。

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 だから現地で軍や日本人会が催す式典等には、仲間の朝鮮人や慰安婦共々喜々として参列しています。 その感覚はむしろ清々しいと言えるほどです。
 
 そして日本軍の戦果を喜び、皇室を崇拝して、新年には宮城を遥拝して、皇室の弥栄を祈っているのです。

 この本の題名が「朝鮮出身の帳場人の・・・」になっているのはその為です。
 つまりは少なくともこの日記を書いた当時の朴氏の意識は完全に日本人だからです。

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 但しこの日記はハングル漢字交じり文の朝鮮語で書かれています。
 しかし人名や店の名前などの固有名詞で平仮名や片仮名が使われている場合は、そのまま平仮名や片仮名で記述しています。
 漢文も僅かですが使われています。

 高等小学校卒で日本に留学する等の経験もない朴氏にすれば、母語である朝鮮語こそが、自身の言葉だったのでしょう。

 また朴氏の友人やビジネスで付き合う人達の多くは朝鮮人でした。 そして勿論彼等とは朝鮮語で会話していたようです。

 しかしそれは朴氏やその仲間の朝鮮人達の意識の中では、同郷人としての意識であって、朝鮮民族やまして朝鮮人としての国家意識ではなかったようです。

 だから著者崔氏は表題を「朝鮮人帳場人」とはせず「朝鮮出身の帳場人」としたのです。 「北海道出身の」「大阪出身の」と言うのと同様と意味でしょう。

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 因みに日本が第二次大戦に参戦する前から、東南アジアには多くの日本人が進出して、色々なビジネスをしていました。 そしてこの中には当時日本人だった朝鮮人も大勢いたのです。

 朴氏はこうした朝鮮人との人脈を頼りに、慰安所の帳場人を皮切りに東南アジアで人生を切り拓こうとしたようです。

 つまり当時の朝鮮人達は、現在の韓国人の考えるような日帝に虐げられながら民族独立を夢見る人達ではなかったのです。
 彼等は大日本帝国臣民として、アジア進出の夢に向かって邁進していたのです。

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 それで朴氏は後に慰安所の帳場人の仕事に加えて、現地に造られた戦闘機の部品工場の帳場人の仕事も引き受けたました。
 しかしこれは完全なオーバーワークでした。
 
 元々慰安所の仕事は商売柄、午後2時ごろから始まり深夜まで続くのです。 それで朴氏は朝は遅く起きてゆっくりと日記など書いていたのです。
 
 ところが工場の仕事は早朝から始まり、午後一杯続くのです。 だから二つの仕事を掛け持ち可能なのですが、これでは体が持ちません。

 その為朴氏は遂に体を壊してしまい、結局44年に帰国する事になってしまいました。
 これはしかし結果的には大変幸運でした。

 お蔭で彼は日本軍の戦況悪化や終戦の混乱には巻き込まれず、稼いだお金も、この日記帳も全部持って帰る事ができたのです。

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 で、この稼ぎですが、これは大変良かったようです。
 それで彼は家族には十二分な仕送りし、将来に備えて結構な貯金もしながら、シンガポールでは次々と洋服や靴を誂え、高価な時計を買い、その上自動車まで買い込んでいます。

 因みにこの人実は妻が二人いました。 これが不倫とかそういう感じではなく、双方の家族にとって立派な父であり夫であったようです。 

 この二人目の妻との間には、娘と息子がいたのですが、その娘は彼がシンガポール滞在中、16歳で病死しました。
 彼はこれを非常に悲しみ、シンガポールに居たために娘を看取ってやれなかった事を、大変嘆いています。

 この娘は女学生だったのですが、しかし朴氏がシンガポールに出発する前から病気になっていました。
 国保等が無い時代ですから、病人を抱えると医療費が大変なのです。 彼としてはこの娘の為にも、稼ぎのよう慰安所の帳場人の仕事を選んだのかもしません。

 このように日記から見る限り、朴氏は勤勉で有能で、向上心が強く、家族を愛し、そして「祖国日本」を愛し、天皇陛下を敬う人だったのです。

 この日記を通してみる朴氏は在特会の会員であるワタシから見ても、好意の持てる人柄です。

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 ところで肝心の慰安婦は?
 そして慰安婦問題の焦点である強制連行の有無は?
 
 この日記が発見されたときには、左翼の人達は強制連行を証明する重要な資料であると期待したのです。

 しかしまずこの日記には慰安婦がどのようにして彼の慰安所に来て働くようになったかは、全く書かれていません。
 
 それで強制連行説を取る人達は、日記の欠落した部分に書かれているだと言っています。

272

 一方彼の日記には慰安婦が廃業する話が何度も出てきます。

 つまり前借を返し、更に十分稼いだ慰安婦の中には、仕事を辞めて朝鮮に帰国する人達も相当いたのです。

 そのような場合、慰安婦の廃業届を出し、また彼女達の為に帰国に必要な手続きや船の手配をしてやるのも、帳場人である朴氏の仕事でした。

 また彼は慰安婦が稼いだお金を、故郷に送金したり、貯金したりする為の手続きも代行してやっています。
 
 慰安婦の多くは小学校も満足に出ていない人達なので、こうした手続きを自分でやるのは大変でしょう。 だから帳場人の朴氏が変わりにやるのです。

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 それにしても莫大なお金を稼ぎ、それを貯金したり故郷に送金したりする。

 自分の意思で廃業すると、ちゃんと雇用者側が帰国の手続きをして、船のチケットまで手配してくれる。

 こうした条件で働いている人達を、それでも強制連行されてきた考える事ができるって凄いですよね?

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 しかし廃業して帰国する慰安婦の為に、役所を幾つも回る朴氏を見ていると、それにしても随分と親切だと思います。

 でもこれは、逆に言えば雇用者側が慰安婦の為に、こうした手続きをちゃんとしなければならないように日本軍が「関与」していたと言う事でしょう。

 またこの煩瑣な手続きの数々や、日記に見る朴氏と日本軍との折衝の記録、また朴氏の移動その他に常に日本軍が便宜を図っている事からも、日本軍と慰安所の関係がわかります。
 
 慰安所自体は完全に民間資本ですが、しかし軍として必要な施設なので、軍も何くれとなく面倒を見ているのです。

 この関係は今自衛隊の駐屯地内で営業するコンビニ始め、様々の商店と似たようなモノだと思います。

 また米軍の前線基地内の兵士の為の商業施設や、その従業員達との関係も同様でしょう。

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 それにしてもこの朴氏の日記に描かれる慰安所の姿は、ワタシが昔、両親が買った「オール読物」や「小説新潮」などで読んだ小説の中に出てくる慰安所そのままです。

 要するに普通の売春宿が、戦地に行き軍専用で営業しているのです。 但し軍としては名誉の為にも、慰安婦の虐待や搾取が行われないように厳しく監視監督していました。

 だから戦地での営業と言う危険はあっても、慰安婦の待遇は日本本土や朝鮮半島の売春婦よりははるかに良く、また稼ぎも良かったのです。

 日本本土もまた朝鮮など当時日本領だった地域では、合法的な売春宿、つまり公娼の管理監督は地元の警察や自治体の仕事でした。 
 しかし戦場では自治体も警察もありません。

 だから軍が代行するしかないのです。
 そしてもし軍が代行しなければ、慰安婦への搾取や虐待は業者の恣にされてしまいます。

 なるほど軍が売春宿である慰安所に関与するのは、体裁の良い事ではありません。 しかし慰安婦の人権を守る為には、極めて現実的で人道的な対応です。

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 勿論、慰安婦になった人達は喜んで慰安婦になったわけではありません。 皆、貧しさ故、また冷酷な親族の為に、泣く泣く慰安婦になったのです。

 しかしそれは当時の売春婦全てに共通する事で、慰安婦が特別だったわけではありません。

 そして今も韓国には前借で売春を強要されている女性達が沢山いるのです。
 この女性達に比べれば、日本軍慰安婦は遥かに恵まれていました。

 賭けても良いけど、今韓国で日本軍慰安婦と同等の条件で自衛隊慰安婦を募集したら、面接担当者がぶっ倒れる程の応募者が集まるでしょう。

 それを全く虚偽による強制連行の捏造で、日本と日本人の名誉、そして何より朴氏のような朝鮮人の存在をネグレクトした朝日新聞と左翼の罪は計り知れません。

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2018-01-16 13:20

「中国絶望家族」中国一人っ子政策

 先日「中国「絶望」家族: 「一人っ子政策」は中国をどう変えたか」と言う本を読みました。

 著者はマレーシア出身でアメリカ国籍の華人で、アメリカのジャーナリストとして中国の一人っ子政策をルポした事を纏めた本です。

 中国の一人っ子政策と、その問題については前々から色々と報道されてはいました。 しかしこうして総合的に纏めて描かれると、今更のように驚き呆れます。

061

 何より驚くのは、この政策が実に簡単に決められて、直ぐに全国規模で徹底的に実行されたと言う事実です。

 この本によると中国の一人っ子政策を提案したのは、宇宙科学者でした。
 
 何で宇宙科学者がこんな問題を?

 なぜならそれに先立つ文化大革命で、多くの科学者が粛清されて、また高等教育もマトモには行われなくなっていたので、人口問題の専門家は中国にはいなくなっていました。

064

 一方当時は中国政府だけでなく、世界的に人口増加に強い危機感を持っていました。

 そこで中国政府は人口増加を防止を考えたのですが、それに対する答えを出したのが、このロケット専門家だったのです。

 中国は文革中もミサイル開発は続けていたので、こうした宇宙科学者・ロケットの専門家は粛清されずに済んだのです。

 その宇宙科学者が純粋に数学的な統計だけを元に提案したのが、この一人っ子政策なのです。

 そりゃ夫婦二人から子供が一人しか生まれなければ、人口は増えないと言うのは、別に統計学なんか使わなくてもわかりますよね?

 だから中国政府はアッサリとこの提案を受け入れて、直ぐに全国規模で実行に移したのです。

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 しかし純粋に数学的な論理だけからなる政策ですから、例えば「国民所得が増えると出生率は減る」などと言う人口学の常識は一切無視されしまいました。

 当時タイなど東南アジア諸国では、既に経済成長と共に出生率が低下していました。

 また中国でもすでに晩婚化を少子化が始まっており、出生率は下がりつつあったのです。
 
 またこれで若年層が一気に減った場合起きる問題についても一切考えられていませんでした。
 
 しかしこれ等はロケット学者の知るところではありませんでした。

 そしてこの純粋数学的理論だけによる政策を徹底的に実行したのです。 そしてその2015年まで36年間続けたのです。

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 それにしても子孫繁栄は長寿と並んで、古来中国人が最も切望した物です。
 そして家を継ぐ男子は何より必要とされました。

 そういう中国人の願いを一気に断ち切る政策を、断行した政権は中国史上初めてです。
 
 しかし共産党政権はこれを実行しました。
  
 当然ですが、その為には避妊具を配布したり、人口問題を解説したりするだけでは済みませんでした。

 地区の共産党員が、妊娠後期の女性を捕まえて、中絶を強制したり、違法に産んだ子供を奪って、海外へ養子として売り飛ばすなどの、あり得ない程の残虐行為を行ったのです。

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 そこでしみじみ驚くのは、この頃既に中国は改革開放政策を取っており、海外の情報は様々人民に入っていたのです。
 また高度の経済成長を続けていた時期でもあります。

 一方西側メディアも多数中国に入り、この一人っ子政策については結構報道されていました。

 その意味では文革時代や、或いはスターリン時代のソ連とは全く違うのです。

 しかしそのような状況であるにも拘らず、この非人道的な政策は何の支障もなく実行され続けたのです。

 これを思えば「生活が豊になり、西側の情報が入れば中国はいずれ民主化する」などと言うのは完全な妄想だったと思わざるを得ません。

086

 またこれもしみじみ驚くのですが、この極めて残虐な政策に対して、中国人民は一切組織的な反抗はしていません。

 例えば村で4人目の子供を妊娠した妊婦が、監視人に追われて、池に飛び込んで抵抗したと言う話しが出てきます。

 彼女は貧農の嫁なのですが、どうしても男の子が欲しかったのです。
 そこで密かに産もうとしたのですが、しかし妊娠9か月にまでなって、妊娠を隠せなくなってしまったのです。

 池は凍るように冷たかったのですが、しかし結局警察官が池に入り彼女を引きずり出して、中絶させました。

097

 これはもう中絶と言うより嬰児殺しです。

 しかし抵抗したのは当人だけで、彼女の夫も舅も姑も、彼女を助けようとしていません、 彼女に男の子を産めといったのは彼等だったのに。

 勿論他の村人も一切彼女を助けません。

 一人っ子が事故や病気で死ぬなどの不幸があると、他の人は黙ってその両親を避けるだけです。 中国伝統の迷信から、子孫を喪った人間に関わるのを嫌がるのです。

 このように中国人一人一人は、この政策を忌み嫌っており、何とかして自分だけは逃れようとするし、また逃れられない場合は、せめて男の子を産もうとします。

 にも拘らず、強制的中絶させられる不幸な隣人を助けようとする人はいないのです。

 それどころかこうした共産党の命令に従って、人口抑制策に協力する人は幾らでもいるのです。 
 ある種冷笑的と言うべき社会状況なのです。

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 実は以前、ラルフ・タウゼントの「暗黒大陸中国の真実」を読んだ時に、この中で著者タウゼントが中国人を徹底した個人主義と書いていました。

 これは日華事変、満州事変などの頃の中国の状況を描いた本です。

 そこでタウゼントが言う中国人の「個人主義」とは徹底的な他人への無関心です。

 友人が死んでも、その死にざまを笑い物にするような、目の前に爆弾が落ちて人が吹き飛ばされても、自分が無事なら気にしない。

 そういう他者への無関心です。

 これでは隣人の不幸を我が事と捉えて、皆で団結して権力の横暴に抵抗すると言う事はあり得ないでしょう。

 このような一種の冷笑主義的個人主義が中国社会の基盤であるからこそ、中国共産党のような政権が専制支配を続ける事ができるのでしょう。

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 一方でこうした人々は共産党の政策には、全面的に従います。

 他者に徹底的に無関心であれば、権力に従う事で出世その他の利得を得る事しか考えないのでしょう。

 だからどんな残虐行為も権力が望む物であれば、躊躇わず行う、それどころか競争で行う人間には事欠かないのです。

104

 このような人材に恵まれている為でしょうか?中国共産党は、何かを始める場合、実に簡単に下した決定を、速攻で全国規模で、そして徹底的に行うのです。

 一人っ子政策だけではありません。
 文革だって、改革開放だって、一帯一路だってそうでしょう?

 普通の国だと大規模な政策転換をする場合、大規模な政策をする場合は、長々と議論して、様子を見ながら少しずつ慎重に始めるのですが、中国の場合はいきなり全国規模で徹底的にやるのです。

105

 こんな風にやると、なるほど速攻で効果はでるわけですが、問題も一気に出てしまい、後々大変な事になります。

 それは文革始め過去の政策で散々思い知っているはずです。

 しかしそういう理性やブレーキは今も一切働かないようです。

 むしろ政府が何かを決定したら、人々は競争で、政府の望むところを徹底しようとするのです。
 そして幾ら弊害が出ても、無視します。

 弊害を指摘する人間がいれば、そいつを抹殺するのです。

 それで一旦始めると、その政策は弊害の為社会が疲弊し尽くすまで続くのです。

107

 一人っ子政策も36年続き、その間に中国の人口動態が実に異様な物になってしまいました。

 何でもっと早くやめなかったのか?

 でも制作開始直後から大変な残虐行為を行ったのです。
 それを早々と止めたら、政策は間違っていたと言う話しになり、そうなると政策を実行した関係者全部が、どのような処罰=報復を受けるかわかりません。

 これでは余程の事がない限り止められないでしょう?

 因みにこの一人っ子政策を実行した関係者の多くがアメリカに移住しているのです。

 この本の著者はアメリカでこうした関係者に取材しているのです。

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 ワタシは欧米人のトコトンお節介精神も怖いと思いますが、しかし中国人のこうした冷笑主義的個人主義も怖いと思います。

 ワタシ自身は生まれつき、猫的個人主義人間なので、個人主義は好きです。

 また西欧のリベラリズムも個人主義を手放しで礼賛しています。

 しかし中国社会を見ていると、個人主義と言う物の恐ろしさに慄然とします。

115

 こうした中国人と中国社会の特質が、見事に顕れたのが、この一人っ子政策でしょう?

 つまり他者への徹底的な無関心が、隣人の不幸を見捨てる事が、子供が欲しいと言う個人の極めて切実な希望を封殺できる怖ろしい専制社会を作るのです。

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 ワタシは中国が民主化できないのは、古代が違うからだと思っていました。
 
 ギリシャやローマは、古代から民主制でした。
 しかし中国は古代から専制君主制で、都市レベルでも一度も民主制が成立した事はありません。
 
 また私有財産の不可侵と言う民主制の原則も、中国では一度も確立しておらず「公地公民」こそが中国古代からの理想なのです。

 一人っ子政策と言う、人権蹂躙政策が、改革開放と共に始まったと言うのも、つまりはこうした中国社会の特質によるものでしょう。

 こうした国が隣国で、強大な軍事力を蓄えていると言うのは、実に恐ろしい事ではありませんか?

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2018-01-11 13:38

感謝する人、恨む人 初詣の代わりに

 お正月にface bookを見ていたら、昆陽神社に初詣して神社の写真をアップしていた人がいました。

 昆陽神社は江戸時代の植物学者青木昆陽を祀った神社です。
 写真を見ると随分立派な神社でした。
 
 彼は江戸近辺、関東一円にサツマイモの普及に努めたので、人々は感謝して死後神として祀ったのです。

 それで随分昔読んだ本を思い出しました。

048

 余り古い話しなので、題名は覚えていません。 確かNHKの野菜の原産地を探訪すると言う番組を本にした物だったと思います。

 その中で著者(多分NHK職員)がしきりに「サツマイモには恨みがある」と書いていたのが、妙に印象的だったのです。

 それは彼の少年時代は、戦中戦後の食糧難時代だったので、毎日毎日サツマイモばかり食べさせられたので、それで今もサツマイモ「恨んでいる」と言うのです。

 彼は同行の植物学者にも同意を求めたのですが、その植物学者は「自分が住んでいた地域は、食糧難がもっと深刻で、サツマイモは御馳走だった。」と言われたのが、大変不服そうでした。

044

 サツマイモばかり食べさせられたからサツマイモを恨む?

 で、でもそれってサツマイモのお蔭で飢える事もなく、餓死する心配もなく、生き延びる事が出来たと言う事でしょう?

 それを恨む?

 でもこの感覚は、欧州に入り込んだ「難民」や、日本の在日コリアンを見ていれば良くわかります。

 彼等は祖国に居れば殺される、生きていけないと言う理由で、欧州や日本にやってきたのです。

 朝鮮からの密航者が押し寄せた朝鮮戦争の前後は、日本もまだ非常に貧しく、しかも朝鮮人は犯罪率の高さや暴力性から、日本にとっては実に迷惑な存在でした。

 また現在の欧州にしたところで、無限の福祉予算や職場があるわけもないのに、膨大な難民を受け入れています。
 
 しかし欧州にせよ、日本にせよ、送り返せば殺されると言う者を送り返すわけにもいかないので、抱え込んで面倒を見たのです。

049

 しかし彼等はそのようなホスト国を「恨んでいる」のです。

 彼等にとって欧州や日本での生活は、サツマイモばかりの食生活と同じだったのでしょう。

 少なくとも彼等の期待した程、リッチで優雅な生活はできなったのです。

 だから恨むのです。

 在日コリアンは、日本に居られるお蔭で、祖国の同朋より遥かに豊かで自由な生活をできるのです。
 しかし犯罪の多い不法入国者が歓迎されているわけもないから、不愉快な事はあってでしょう。

 だから恨むのです。

 中東や北アフリカから来た「難民」は、欧州で大邸宅とドイツ車と金髪美人を得られるはずが、案に相違して、月数万の小遣いを与えられて、いつまでも難民キャンプ暮らしです。

 だから恨むのです。

050

 人間の中には、惨めな思い、辛い思いをすると、その理由に関係なく、惨めな思い、辛い思いに関わる人やモノを恨むに奴がいるのです。

 ワタシはこの本を思い出して、今の欧州の難民問題や日本の在日コリアンの心理を妙に納得しました。

053

 因みに日本でサツマイモの普及に努めたのは、青木昆陽だけではありません。

 サツマイモは17世紀の沖縄に入り、その後、九州や四国、更に西日本に広がりました。
 それは各地にサツマイモの普及に努めた人がいたからです。

 青木昆陽が特に有名なのは、彼が江戸を中心に関東一円にサツマイモを普及させたからです。

 そしてこれらの人々も死後その地域で神と祀られました。
 またサツマイモ自体を神と祀る神社もできました。

055

 それにしても、江戸時代の貧農だってサツマイモばかりの食事は嫌だったでしょう。

 ワタシだって毎日毎日サツマイモばかり食べさせられるのはイヤです。

 でもサツマイモのお蔭で飢えずに済んだ。
 村から餓死者を出さずに済んだ。
 サツマイモのお蔭で、荒蕪地を畑にすることができるようになった。

 だから貧しかった江戸時代の農民は、だからサツマイモの普及に努めてくれた人達に感謝して、彼等を神と祀ったのです。

 更にサツマイモまでも神として祀っているのです。

 そしてこうした神社は今も、多くの人々から尊崇されいるのです。

 こうしてみると日本人にとって、神様とはどう言うモノなのかを考えさせられます。

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 この世には命を助けられても、恨む人もいれば、その恩人に感謝して神と崇め続ける人もいるのです。 

 ワタシはこのお正月は、体調を崩して初詣にも行けなかったけれど、昆陽神社の写真を見られたのは、神様のお蔭だと感謝する事にしました。

 ワタシは全知全能の神とか、唯一絶対の神とか、そんな大層な神様は信仰できなくても良いから、元々は只の人であっても、隣人を飢餓から救うために、人としてできる限りのことをしてくれた人に感謝し、尊崇できる人間でいたいと思いました。

057

オマケ

 1月9日、在日米軍海兵隊のクランフォード中尉が、4人の日本人を救助した事で表彰されました。
 
ダイビングをしていた米海兵隊員、4人の沖縄県民らを人命救助

 リンク先で状況を読めばわかりますが、ホントに一歩間違えば自分が死んでしまうかも知れなかったのです。

 米兵が日本人の命を助けたと言う話しは、幾らでもあるのですが、日本のマスコミは一切報道しません。

 幾ら反米でも、これは余りと言えば余りに恥かしくないですか?

 感謝するべきことに感謝できないのは、人間として最低ではありませんか?
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