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2018-08-18 14:33

ペロポネソス戦争 その5 言論の自由

 エウリピデスの「トロイアの女達」は、トロイア陥落後の女達の運命を描いたもので、ギリシャ悲劇の最高傑作の一つです。

 この「トロイアの女達」が上演されたのはアテネによるメロス島陥落の翌年でした。

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 メロス島はエーゲ海のほぼ真ん中に浮かぶ小島で、人口も少なく、経済力もない小国でしたが、デロス同盟にもペロポネソス同盟にも加盟せずに中立を維持していました。

 ペロポネソス戦争勃発後10年程たったころ、アテネは突然このメロス島にデロス同盟加入迫り、メロス島が拒否すると攻撃したのです。

 小国メロス島は必死に抵抗しましたが、しかし大国アテネにかなうわけもなく、ほどなく陥落しました。
 
 するとアテネはメロス島の男は全部殺し、女子供は全員奴隷にして売り払いました。

 このような敗戦国処理は神話のころから古代ギリシャでは行われていました。 
 しかしペロポネソス戦争が始まるはるか前から、もうこのように残酷で野蛮な敗戦国処理は、むしろ例外的になっていました。

 ところがアテネは敢えてこれをやってしまったのです。

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 でも何のためにそこまで惨い事をする必要があるのか?
 そもそも何の為にメロス島を攻撃したのか?
 結局、これはペロポネソス戦争が膠着していることへの不満を、そらす為だけの無意味な蛮行ではないのか?

 アテネ市民の中にも、こうした疑念を持つ人々が沢山いたのです。
 
 そしてその疑念をそのまま表現したのが、当にこのエウリピデスの悲劇「トロイアの女達」でした。

 トロイア王プリモアスの王妃を中心に、トロイアの女達が訴える苦悩と絶望の声は、そのままメロス島の女達の声として、観客であるアテネ市民達に届いたでしょう。

 この悲劇が初めて上演されたのは、このメロス島陥落の翌年のディオニソス祭での悲劇コンクールだったのです。

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 アテネではこれに先立つ100年程前から、毎年ディオニソス祭と言う祭礼を催していました。 ディオニソス祭は農業神であり、また葡萄酒の神でもあるディオニソスを寿ぐ祭です。

 ギリシャの祭礼では、多くの場合スポーツ競技を奉納しました。 一番有名なのはオリンピアの神殿で行われるオリンピックですが、このほかにも同様にスポーツ競技を奉納する祭礼が沢山あったのです。

 しかしディオニソス祭では、スポーツではなく演劇や音楽や詩の朗誦などの芸術のコンクールが奉納されたのです。

 ところで演劇の上演には、当時でも現代同様、随分と経費が掛かりました。 この経費はアテネ政府が負担しました。 実質的にはアテネ政府の命令で富裕層が上演経費の負担を割り当てられるのですが、いずれにせよ政府の後援による上演なのです。

 こうして上演された「トロイアの女達」はこのコンクールで悲劇部門の二等賞を受賞しました。

 審査をするのは一般市民ですから、この結果を見ると、多くの市民がこの悲劇を受け入れたと考えるべきでしょうか?

 それとも現代にまで残るこのギリシャ悲劇の最高傑作の一つが、二等賞で終わったのは、この悲劇が自国を非難していると感じて不快感を感じたとみるべきでしょうか?

 いずれにせよアテネでは政府の経費で、政府の主催する演劇祭で、このように政府の政策を真っ向から非難するような演劇が上演されていたのです。

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 これだけでも驚きですが、しかしこれが喜劇となるともっと強烈です。

 古代ギリシャきっての喜劇作家アリストパネスの作品の殆どは、ペロポネソス戦争中に制作、上演されています。

 アリストパネスと言う人は、元々ペロポネソス戦争は勿論、アテネの民主制そのものに懐疑的な人で、開戦直後から「アカルナイの人々」のような、この戦争と政府への批判を明確にした作品を書いているのです。 
 
 そしてその後も「福の神」「女の平和」などこの戦争と、それを推進する人間たちの愚かを告発した作品を発表し続けました。

 勿論これらもアテネ政府の後援で、ディオニソス祭で上演されたのです。

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 ところでこれが何で「強烈」かと言うと、これらの作品では、当時の政治家や有名人が実名で登場して、嘲笑されるのです。

 だからギリシャ史の研究者から見ると、当時のアテネ市民の生活と、世論や政治家の人物評を知るには最高の資料です。 

 そして古代ギリシャ語が理解できて、当時のアテネの政治情勢に精通した人が読めば文字通り捧腹絶倒でしょう?

 アリストパネスの喜劇はワタシが読んでも結構面白いのですが、それでもそこは喜劇ですから、多様されてる洒落など翻訳ではわからないし、また登場人物の素性は注釈を見るしかないので、面白さは半減しちゃうのです。

 しかしそれにしても現役政治家を実名で登場させて嘲笑する演劇など、現代の日本や欧米先進国でも結構ヤバいと思うのですが、しかし当時は普通だったのです。

 因みによもちゃんは以前「平和を学ぶ世界の子供達」と言う戯曲を書いたのですが、これだって札幌市の施設で上演するとなると一悶着起きるのでは?

 そしてこれを見ると、当時のアテネは戦時中でも、完璧に言論の自由が保障されていたのがわかります。

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 それではここまで見事に保障された言論自由は、戦争の終結を早める役に立ったのでしょうか?

 いいえ。
 全然役に立ちませんでした。

 ペロポネソス戦争は第二次大戦のような短期決戦ではなく、27年も間続いた長期戦でした。 その間に何度も休戦をしています。

 そして敵国スパルタからも何度も、講和の申し入れがありました。

 アテネの指導層にはこれに応じる動きもみられましたが、しかし結局市民の反対で頓挫して、また戦争を続行しました。

 そして戦力のすべてを失い、抵抗不能になった挙句に無条件降伏に追い込まれたのです。

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 何度も休戦をしながらの長期戦とはいえ、ペロポネソス戦争は十分に過酷な戦争でした。

 古代なのだから第二次大戦のような総力戦にはならないから、大した事はないのでは?と言うわけにはいかないのです。

 まず開戦直後からアテネ市内での籠城戦になり、この籠城戦の最中に疫病がはやり、大量の市民が死亡しました。 正確な数はわかりませんが、例えばペリクレスは息子二人と妹を死なせていますし、ツゥキディテスは自分自身が疫病に罹り死にそうになりました。

 富裕層でこれですから、家族を喪わずに済んだ人はいなかったでしょう。
 しかも疫病はこの後、何度も波状的にアテネを襲いました。

 アテネがこのダメージから立ち直るには15年程もかかったのです。

 しかしその間も戦争は続いたのです。

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 そして何とか疫病のダメージから立ち直ると、今度はシケリア遠征を挙行しました。

 シケリア、現在イタリアのシチリア島なのですが、ここを征服しようと企てたのです。 
 
 しかしシチリア島はメロス島とは違い、巨大な島です。 
 アテネ領全てよりも広く、しかも豊で人口も多いのです。

 その為このシケリア遠征にはアテネ及びデロス同盟諸国から、総勢35000人の兵員、200隻の三段櫂船、他多数の輸送船が参戦しました。 文字通り海をうめく尽くすような大船団をシケリアに送り込んだのです。

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 35000人!!

 アテネの有権者数、つまり成人男性は総数6~6.5万人です。 アテネにはこの他にメトオイコイと呼ばれる市民権を持たない住民がいて、この人達にも兵役義務はあります。
 
 また前記のようにこの中にはアテネ以外のデロス同盟諸国の兵員も含まれています。
 
 それでもやはりこれは途方もない数です。

 そしてアテネの海軍の総力は元来三段櫂船200隻なのです。

 しかしシケリア遠征にはデロス同盟諸国の海軍を合わせたとはいえ200隻の三段櫂船を動員したのです。

 こうなるともう現代人の想像を絶するほどの総力戦としか言えません。

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 そして完敗しました。
 文字通りの完敗で、生きてアテネに戻れた兵士は一人もいなったのです。

 それでもアテネはその後10年余も戦い続けたのです。

 敗戦が重なり、犠牲者が増えれば増えるほど、ここで負けたら今までの苦労が無駄になると思うのか?
 
 スパルタから講和を申し込まれると、相手も弱っているのだからもう一押しと思うのか?

 敵愾心や復讐心と言った感情が理性を圧倒して、市民自身の手で講和のチャンスを潰していくのです。

 しかもその市民達は一方では、アリストパネスの喜劇に腹を抱えて笑い、エウリピデスの悲劇に涙したのです。
 そして誰一人「この非常時にこんな劇を演じるのは非国民だ!!」などとは言わなかったのです。

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 イヤ、ワタシはこの話は殆ど全部塩野七生さんの「ギリシャ人の物語Ⅱ」から丸パクリで書いているわけですが、しかしこうしてあの本を思い出すと、なんといったものやら・・・・・。

 だってワタシは物心ついたころから学校やテレビや新聞で「日本は戦前は言論の自由がなくて戦争に反対できなかった。 だから戦争になってしまった。 戦争を防ぐ為にも言論の自由を守らなくてはならない。」と言われ続けてきたのですから。

 でもこれを見たら言論の自由なんか幾らあっても戦争を防ぐどころじゃないでしょう?

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 でも考えてみれば、ワタシ自身も自分で目で同じ物もみているのです。

 それはフォークランド紛争の時です。
 あの時日本のテレビでは、ロンドンのフォークランド紛争反対デモの様子が放映されました。

 イギリス政府はこのデモを許可したし、圧倒的多数の戦争支持派(90%が戦争支持!!)も一切彼等の妨害はしないので、デモ隊は至って平穏に行進したのです。

 そしてそれ以前、ベトナム戦争時もそうでした。

 ベトナム戦争時も反戦を歌うフォークソングが大流行し、ベトナム戦争をそも物を舞台にして戦争の悲劇を描いた映画が次々と作られました。
 
 勿論反戦デモは日常的に行われていました。

 それでも戦争は続きました。

 つまりそれが民主主義国家の戦争なのです。

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 ペロポネソス戦争についてはいままで始まりからその4まで書きました。 それでホントは「その5」は「ついに開戦」となるはずでした。

 でもしばらくさぼっている間に終戦記念日が終わってしまいました。 そしてその間にまた朝日とか毎日とかが言論の自由について何やら言っていました。

 それで今回は開戦を飛ばして、ペロポネソス戦争時の言論の自由について書くことにしたのです。

 もしこれで皆様の暇つぶしになったら嬉しいです。
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2018-07-19 14:53

トゥキディデスの罠とペロポネソス戦争 その4(アテネの拡大政策)

 ペルシャ戦役(紀元前499~449年)でペルシャを退け軍事大国の地位を確保したアテネは、この軍事力を背景に更なる権益拡大に乗り出します。

 それでもアテネも最初はまずエーゲ海周辺からペルシャの勢力を追い払い、次には黒海へと勢力を伸ばすという政策でした。 エーゲ海とその沿岸一円は既にデロス同盟を作っていましたし、黒海沿岸は元々ギリシャ世界ではなく、またペルシャ帝国の勢力も及ばない未開の地でした。

 だから暫くは無事に済みました。

 しかしこれらの地域を完全に勢力下においたアテネは、今度はペルシャ帝国の支配下にあったエジプトやフェニキアにも侵攻しました。
 けれどもこれは当時のアテネ軍の指揮官であってペリクレスに軍事的才能がなくて失敗しました。

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 このペリクレスの時代にアテネは黄金時代を迎えます。 そして内政ではトゥキディデスが「「民主制と言いながら実は一人の男が支配した時代」と言われる時代になるのです。

 文字通り「ペリクレス一強」の時代を迎えるのです。

 しかしペリクレスは前記のように軍事的な才能はありませんでした。 この当時のギリシャでは国家の指導者は、戦争になれば自分自身が軍隊を指揮して戦わなくてはなりません。
 
 ペリクレスにはしかし軍隊指揮官としての才能はあまりなかったし、彼自身もそれを自覚していたせいか、エジプト遠征で失敗してからは、極力軍事的手段は使わないようにしました。

 その意味ではペリクレスは平和外交に徹する努力をしていたのです。 

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 そして紀元前450年、ペリクレスはペルシャ帝国と恒久的な平和条約を締結しました。 紀元前480年ペルシャ海軍がサラミスの海戦で壊滅してから30年後のことです。
 これで長く続いたペルシャ帝国との戦争が完全に終結しました。
 
 これでペルシャとギリシャ諸国との間は平和になりましたが、しかしこれはアテネにすると、当時ペルシャ帝国の支配下にあった地中海の東側への進出が不可能なったという事です。 
 
 ところがアテネはそれで権益拡大を諦めませんでした。
 そこで今度はその矛先を西地中海に向けたのです。

 しかしそこは元々、デーバイやコリントなどペロポネソス同盟諸国が権益を持つ地域でした。 元来古代ギリシャ世界の商業権益は、現在のギリシャ共和国を挟んで、東側はアテネ、西側はペロポネソス同盟諸国と言うすみわけが出来ていました。

 ところがペルシャ帝国との和平が成り立った事で、アテネはペロポネソス同盟諸国への権益に切り込むようになったのです。

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 ペリクレスはこれもできる限り平和的に、つまり直接武力に訴える事は出来るだけ避けてはいました。 
 けれどもそのやり方は実にえげつない物でした。

 その標的になったのがコリントです。 
 コリントは口が狭く細長い瓶のような形をしたコリント湾の一番奥にあります。 ところがペリクレスはこの瓶の口にあたるエウボイアを制圧します。 
  
 更に今度その対岸にあたる瓶の中ほどにあるナウパクソスも攻略するのです。

 これだとアテネはいつでもコリント湾を封鎖することができます。 
 これはもどう見てもアテネがコリントの商業圏を奪う心算だとしか思えません。
 
 コリントがこれに猛反発したのは当然でしょう?

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 それにしてもなんでもこんな事ができたのか? 

 ペリクレスには元々抜群の弁舌の才能があり、黒を白と言いくるめるのは朝飯前でした。 彼はこの弁舌の才でアテネの民意を思うままに操り、30年の長きにわたってアテネの政界でペリクレス一強を維持したほどの男なのです。

 そしてこうして長期政権を維持することで、ギリシャ世界全域とペルシャに広い人脈を持っていました。

 特ににスパルタ王アルキダモスとは長年の親友でした。 スパルタ王アルキダモスは毎年ペリクレスの別荘で一緒に過ごす間柄でした。

 ペリクレスはこうした人脈と弁舌を武器に、「平和外交」でペロポネソス同盟諸国の権益に切り込んでいったのです。

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 勿論スパルタ王もペリクレスとお友達だと言うだけで同盟国コリントを見捨てたわけではありません。 ペリクレスはスパルタにこれを認めさせる事で、スパルタ側に一定の利益が得られるようにしたからです。

 スパルタはこのころ奴隷階級であるへロットの反乱で苦労していました。 そしてこの反乱をしたヘイロット側との話し合いで、彼等がスパルタ領から立ち退く事を認める事でこの反乱を終わらせます。
 それではそのへロット達が立ち退いた先は?

 ナウパクソスです。

 スパルタとすればこれで漸く厄介払いができたし、アテネとすればナウパクソスへの入植者をゲットできました。
 スパルタとすればこれで十分なのです。
 
 スパルタはペロポネソス同盟の盟主ではありますが、自給自足の閉鎖経済の国家ですから、商業権益なんかどうでも良いのです。 
 
 まさにペリクレスならでは、魔法のような外交成果でした。

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 しかしコリントやデーバイなど他のペロポネソス同盟諸国は、アテネ同様の商業国家でした。 特にコリントはアテネ同様に海上交易で栄えた国です。
 
 コリントは元々三段櫂船40隻からなるギリシャ第二の海軍を持つ国でした。 そしてこれはアテネがペルシャ戦役に向けて200隻からなる巨大海軍を作る前は、ギリシャ最大最強の海軍だったのです。

 だからコリントはアテネが海軍を作ったころからアテネへの警戒心と嫉妬に燃えていました。 ところがそのアテネが自国に牙をむき始めたのです。

 それでもペロポネソス同盟の盟主スパルタがアテネと折り合った事で、一旦は引き下がりますが、しかしこれでコリントが納得するわけもないのです。

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 しかしペリクレスはこの後もこの手の「平和外交」による権益拡大を続けるのです。

 そしてついにギリシャ西岸の小都市エピダウロスの内紛をめぐって、アテネとコリントが衝突します。

 このエピダウロスの内紛は元々、貴族と言われる支配層と被支配層の確執でしたが、それが双方、アテネやコリントなど外国勢力を引き入れました。

 これはギリシャ人の悪弊ですが、ギリシャ人は同じポリス内でも激しい権力闘争をやり、しかもそうなると必ず外国に支援を求めるのです。 だからポリス内の権力闘争がそのまま外患誘致合戦になるのです。

 実はこれはローマ人は絶対にやらなかったのですが。

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 これで遂にアテネとコリントが衝突することになりました。 そしてこれがペロポネソス戦争の引き金になります。

 こうした辺境の小都市の内紛が、大戦争の引き金になるのは、サラエボが第一次大戦勃発の起点になったのと同様でしょう?

 新興国の台頭が周りとの軋轢や摩擦を生み、その摩擦熱が発火点にまで達していれば、思ぬ所から火が点くのです。

 だからこうした戦争の危険は、ペロポネソス戦争に倣って「トゥキディデスの罠」と呼ばれるのです。

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 ところで、当のエピダウロス内の内紛も際限もなくエスカレートします。 この経過をトゥキディデスは詳しく書いているのですが、読んでいるともう何が何だかわからないうちに、ドンドン殺し合いが酷くなって、女性や子供まで巻き込んで、最後には街が壊滅するような事態になってしまいます。

 当時のエピダウロスの人口はわかりません。 しかし超大国だったアテネでも10~15万と言うレベルです。 まして当時の小規模ポリスの人口なら1000人とか2000人とかいうレベルですから、エピダウロスだってそんな物でしょう?

 それが何でこんな無残な事になるのか?
 人口が数千人の小さな街なら、貴族だ平民だと言っても、殆どみんな知り合いで、先祖代々一緒に暮らしてきただろうに、何でこんな殺し合いになるのか?

 このエピダウロスの内紛は、ギリシャ人の性格に潜む暗黒面をそのまま見る思いです。

 ギリシャ神話を読んでいると、非常に明るく美しい話が沢山あって、だから今も世界中で愛されているのですが、でもあれよく読んでいると、実は非常に暗く陰惨な面が見えてきます。 

 ギリシャ神話には、精神病理学やギリシャ悲劇に描かれる暗黒世界が垣間見えるのです。

 このエピダウロスを巡る物語は正に、こうしたギリシャ人の暗黒面その物です。

 そしてこのエピダウロスを起点に、ギリシャ全土でギリシャ人の暗黒面を露呈するようになるのです。
 それがペロポネソス戦争です。
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2018-07-14 21:59

トゥキディテスの罠とペロポネソス戦争 その3(アテネ市民)

 二度にわたるペルシャ帝国の侵攻を退けたアテネは、以下の3つを得てギリシャの覇権国となりました。

 ギリシャ最大最強の海軍力
 アテネとピレウスを囲む長城による完全な防衛体制
 デロス同盟によるエーゲ海全域の軍事経済支配権の確立

 スパルタ始めとする多くのポリスがこれに懸念を抱くようになりましたが、しかしアテネはこれで満足することはなく、更なる発展を図ります。

 ペルシャ戦役後、まずデロス同盟の強化で、エーゲ海からペルシャ帝国の影響力を一掃します。

 またペルシャとの戦闘を通じて、黒海沿岸にまで進出し、後にこの黒海沿岸がアテネの主食である小麦の供給地になります。

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 ??
 アテネは食料を自給できなかったの?

 そうなのです。
 アテネはこの頃には食料を自給できませんでした。 
 
 アテネ領であるアテネの周辺地域は農業地域で、こうした農地で農業をする人々もまたアテネ市民でした。
 しかしアテネの周辺は土地がやせて山がちで穀倉地帯にはなりませんでした。

 そこでアテネ領内ではオリーブなど換金作物が作られており、主食の小麦はエジプトや、また上記のようにペルシャ戦役後は、黒海沿岸から輸入していたのです。

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 テミストクレスがアテネ市街と外港のピレウスを完全に囲う長城を建設したのもその為です。 強大な海軍で制海権を確保しているのですから、こうしておけば何年でも籠城できるはずでした。

 元々食料を自給できないのですから、シーレーンと港湾からの輸送路だけを確保すれば、食料を断たれる心配はないのです。

 実はこの方策が後にアテネの無条件降伏の原因になったのですが、しかしペロポネソス戦争末期まで、こんな事は誰も想像できなかったのです。

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 こうしてアテネは主食を輸入に頼る代わりに高級陶器など、当時のハイテク製品を輸出していました。 アテネの都市民の多くはこうした産業に従事していました。

 またアテネ人は古くからギリシャ北部の辺境地域や、イタリア半島などに植民して植民都市を作り、そこで鉱山開発などの事業を起こして、そこから得られる利益も莫大な物でした。

 因みにトゥキディテスの家も先祖代々ギリシャ北部トラキアに鉱山を持っていました。 彼が一生をかけて「戦史」を書いていられたのも、そこからの収入があったからです。

 アテネにはこのような「海外資産」を持つ富裕層が多数いました。

 またアテネ人は商業にも長けており、エーゲ海全域だけでなく、ペルシャやエジプトなど広い地域との交易をおこない大きな利益を得ていました。

 アテネ市民は古くからこうした経済活動には、非常に熱心で、ビジネスの為には危険を冒す事も厭わない人々だったのです。
 
 そして私有財産権の不可侵は、アテネ市民にとっては自明の原則でした。

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 つまりアテネは食料を輸入に頼りながら、商工業や投資により豊かな生活を手に入れた商工業国家であり、純然たる資本主義国家だったのです。

 ペロポネソス戦争が始まった最初の年、ペリクレスが行った「戦没者追悼演説」は今も欧米諸国の教科書に掲載されいます。

 ペリクレスはこの演説でアテネの国体と、そしてその国体を支えるアテネ市民の理想を謳いました。

 ペリクレスの謳う理想のアテネ市民とは、少年時代から自由にのびのびと育てられ、富を得る為に一生懸命働くのですが、しかし学問や芸術を愛し、また国家や社会に対しても強い責任感と愛情を持ち、その為に積極的に奉仕する人なのです。

 これってつまり現代の欧米や日本など民主主義国家の理想の市民と同じでしょう?
 だから今も欧米の教科書に掲載されているのです。

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 古代ギリシャ・ローマ世界が滅亡後、こういう市民意識がうまれるのは、この2200年も後の話です。

 キリスト教や仏教は富への執着を否定したし、また封建社会では支配階級以外は国家や社会への責任感云々などと言う話はありません。 
 学問や芸術も殆どの人には無縁でした。 

 しかし古代のアテネ市民は、富を得る事には極めて肯定的であり、学問や芸術に宗教の制約はありませんでした、
 そして政治にも強い関心と責任感を持っていたのです。
 
 彼等は宗教的な諦念などとは、全く無縁な人々で、何事にも極めて積極的で能動的であることを誇りました。

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 けれどもこのような人々が、強大な軍事力を得れば、それをそのまま活用して、ビジネスの拡大を図るのは当然ではありませんか?

 実際彼等はそのようにしたのです。
 そして社会が上り坂の時代と言うのは、どんな国でもそうなのでしょうが、ペリクレスのような政治家が現れて、長期安定政権が確立するのです。

 このペリクレスの政治については以前「ペリクレス一強」で書きました。
 だからペリクレスの政治とはどのような物だったかは、そちらで読んでください。

 ともかくペリクレスは30年もの間、アテネのリーダーとして君臨したのです。

 そしてその間、ペリクレスはアテネ国内の民主化を進め、ギリシャ芸術の集大成ともいうべきパルテノン神殿を建設したのですが、その一方でひたすらアテネの権益拡大に邁進しました。
 
 まさに自身が「戦没者追悼演説」で述べたアテネ市民の理想を、政治の上でも実現したのです。

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 しかしアテネ国内の民主化や、パルテノン神殿の建設はともかく、アテネの権益拡大は当然ですが、他のポリスにとっては、大変な脅威でした。

 その脅威に耐えきれなくなったデーバイやコリントがスパルタを焚きつけて、遂にペロポネソス戦争に至るのです。

 スパルタでは開戦のような重要事項は、スパルタ市民全員が参加する市民集会の議決で決まります。
 そこでスパルタに開戦を迫るデーバイやコリント、そして開戦に反対するアテネもその集会に代表を送り込んで、それぞれ意見を述べます。

 この演説はトゥキディデスの「戦史」に描かれていますが、コリント代表の演説を読んでいると、ワタシはTTP亡国論を思い出してしまいました。

 実はワタシも最初TTPには反対だったのですが、その時ワタシも含めて恐れたのはTTPにより貪欲なアメリカ資本が日本の農業や医療を食いつぶすのではないかと言う事です。

 際限もなくビジネスの拡大を続けるアメリカ資本に対する恐怖が、TTP亡国論の根源でした。

 しかしこのスパルタの市民集会で、スパルタ市民に開戦を迫るコリント代表の演説が、まさにこのアメリカ資本への恐怖と全く同類同質なのです。

 それは当然でしょう?

 だってペリクレスの描くアテネ市民の理想像は、そのままアメリカ人の理想像と一致するのですから。

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2018-07-12 13:47

トゥキディデスの罠とペロポネソス戦争 その2(デロス同盟)

 昨日からトゥキディデスの罠とペロポネソス戦争について書き始めたのですが、しかしアテネが軍事強国として台頭するに至ったペルシャ戦役の勝利のところまで書いて終わってしまいました。


 だから今日はその続きを書きます。


 ペルシャ戦役を通じてアテネはギリシャ世界最大最強の海軍国になりました。 アテネ海軍が保有する三段櫂船は200隻、二位のコリントは40隻ですから、当時のアテネの海軍力は現在の世界でのアメリカ海軍に匹敵するでしょう。


 そしてペルシャ戦役を期に、アテネはアテネ市街と外港ピレウスを囲む長城を建設して、アテネの防衛体制を完璧にしました。


 しかしペルシャ戦役はアテネにもう一つの力を与えました。

 それはデロス同盟です。


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 デロス同盟はアテネを中心にした東地中海諸ポリスの対ペルシャ防衛同盟として発足しました。


 現在のギリシャ共和国はアナトリア半島には領土がありませんが、これは第一次世界大戦後にトルコ共和国との協定で決まった事で、それまではギリシャ人の世界はアナトリア半島の沿岸、更には黒海沿岸にまで広がっていました。


 トロイア始め古代ギリシャの遺跡がトルコに散在するのはその為です。


 こうしたアナトリア半島沿岸のポリス、そしてレスボス島やミレトス島などアナトリア半島の沿岸、更に東地中海の島嶼のポリスは、ペルシャの侵攻時にはペルシャの支配下に入りましたが、しかしアテネによるペルシャ戦役の勝利により、ペルシャの支配下から逃れる事ができました。


 そこでこれらのポリスは、再度のペルシャ侵攻に備えて、アテネを中心とする対ペルシャ防衛の為の同盟を作ったのです。


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 この同盟の本部はエーゲ海の中心にあり、アポロ神殿の聖域だったデロス島に置かれました。 それでこの同盟はデロス同盟と呼ばれました。


 そしてアテネがその盟主となったのです。


 アテネはこれ以降、デロス同盟加盟国をペルシャの脅威から守るだけなく、軍船でエーゲ海上をパトロールを行い、海賊行為まで取り締まるようになります。


 これはこの地域の交易の拡大し、地域全体の経済発展を促しました。 そしてデロス同盟は単なる軍事同盟と言うより、一大経済文化圏となっていきます。

 

 そして当然ですが、このデロス同盟により一番発展したのは、アテネなのです。


 デロス同盟の発足によりアテネはこの地域全体を自分の勢力下におくようになったのです。 そしてそれは全ギリシャ世界の半分を超える地域と経済と人がアテネの勢力下にはいったという事です。


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 そしてこれまた当然ですが、スパルタを中心としたペロポネソス同盟諸国は、益々アテネへの懸念を拡大させました。


 しかしそれだけではありません。

 実は後にデロス同盟内からアテネに対する不満が生まれてくるのです。


 ペロポネソス同盟は純然たる軍事同盟ですが、しかしこの同盟は軍事的危機にはお互いに助け合うというだけの物で、それも強制性はありませんでした。 そしてそれ以上の拘束もなかったのです。


 スパルタはこの同盟の盟主として、敬意を得られるだけで満足していました。


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 しかしデロス同盟は違いました。

 デロス同盟は有事には軍船を出して一緒に戦うとだけでなく、平時にもエーゲ海巡回などをやっています。


 デロス同盟加盟国でレスボスなど自前の海軍を持つポリスは、これに加わる事で同盟国として義務を果たしました。


 しかし自前の海軍が持てない弱小ポリスには、このコストを分担金と言う形で負担する義務がありました。


 この分担金がどのぐらいの額だったのかは、今も良くわからないのだそうです。 しかしペルシャ帝国の脅威が薄れるにつれ、アテネの経済発展が進み、アテネが強大化するにつれ、こうしたポリスは不満をためていくのです。


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 当時の軍船の主流である三段櫂船は一隻の建造費が1タラント、これは当時のアテネの一般勤労者の年収の6000倍程でした。

 そしてこの運航費とメンテナンスが費用が掛かります。


 当時のギリシャの弱小ポリスは人口が2000~3000人と言う所も多いのですから、到底こんな軍船は建造も運航もできないのです。 

 そしてこうした弱小ポリスにとってはペルシャ帝国だけでなく、海賊だって大変な脅威です。


 だから一定の分担金を出す事で、デロス同盟の海軍により安全保障を得られる事は大きなメリットがあるはずです。

 その為これらの弱小ポリスも自ら進んでデロス同盟に参加したのです。


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 それなのにこれらのポリスは次第にデロス同盟とアテネに不満を持つようになるのです。


 でもこれ凄くわかりますよね?

 今の日本の左翼や韓国の文在寅政権の言い分を聞いていれば。


 デロス同盟は単なる軍事同盟ではなく、経済文化圏、それも自由貿易経済文化圏となっていきました。 そして現在でも同じですが、こうした自由貿易は圏内の経済や文化を発展させます。


 しかしこれまた現在でも同じですが、全ての国が平等に発展するわけではありません。

 また経済が発展しても全ての人が平等に豊になるわけでもありません。 

 そして経済発展に取り残された側にはより強い不満を持つようになってしまうのです。


 また安全保障が当然になると、その為のお金つまり分担金(アメリカとの同盟なら思いやり予算)を出したくないと思うようになってしまうのです。 


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 一方アテネ市民たちの側は、自分達達がデロス同盟諸国の安全保障しているのだから、加盟国はもっと分担金を出して当然と思うようになります。

 そしてこうした市民意識から、デロス同盟諸国に対して、まるで宗主国か支配者のようにふるまうようになるのです。


 なんかもう2500年前の話ではなく、今の国際情勢みたいじゃないですか?


 後にペロポネソス戦争が深刻化してから、スパルタはこうしたデロス同盟加盟国の不満に付け込んでその分断を図ります。


 そしてアテネはそれに苦慮することになるのです。


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 う~~ん、なんかまた凄く長くなちゃった。

 今日はペロポネソス戦争の勃発まで書きたかったんですが、残念だけれどここでやめます。

 続きはまた今度。

 

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2018-07-11 18:51

トゥキディデスの罠とペロポネソス戦争

 中国の台頭とそれにより生まれた米中の緊張関係の激化から、「トゥキディデスの罠」と言う言葉が聞かれるようになりました。


 「トゥキディデスの罠」とは古代ギリシャの歴史トゥキディデスの描いたペロポネソス戦争の教訓から、新興国の台頭が、従来の覇権国との間に緊張や摩擦を生み、戦争が不可避になる事を指します。 


 現在この言葉が米中関係に使われている事からこの新興国はスパルタと誤解しそうですが、しかしトゥキディデスの時代に台頭した新興国はスパルタではなくアテネです。

 古代ギリシャでは米中の場合と違って、民主主義国家アテネの台頭が、スパルタを中心としたペロポネソス同盟諸国との摩擦を招き、遂には27年にわたってギリシャ全土を巻き込むペロポネソス戦争に至ったのです。


 そしてこの戦争の果てにアテネはスパルタに無条件降伏しました。


 民主主義国家の台頭が何で?どのようにして、このような戦争に至り、惨敗して無条件降伏に至ったのか? 

 簡単に書いていきたいと思います。


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 まずアテネが「新興勢力」とされるのは意外でしょう? 何しろ我々のイメージでは古代ギリシャ=アテネのイメージですから。


 しかし以外なのですが、アテネと言う国(ポリス)が軍事的な大国として台頭したのは、実は第二次ペルシャ戦役以降です。


 アテネは古代ギリシャの諸ポリスの中でも特に古い歴史を持ち、また人口も多いポリスとして知られていてのですが、第二次ペルシャ戦役の頃までは軍事的には格別な強国ではありませんでした。 


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 軍事においてギリシャ最強のポリスは勿論スパルタです。 スパルタは文字通りスパルタ教育で鍛えたられたスパルタ軍を擁しており、ギリシャ最強の陸軍国でした。

 アテネは陸軍力ではスパルタには及びませんでした。


 そしてアテネには海軍はなかったのです。 アテネは富裕な商業国家ですから、商船は沢山持っていたのですが、軍船も海軍もなかったのです。


 但しペルシャ戦争に至る100年近く前から、着々と経済力を蓄え、人口も増加していたことから、他のギリシャ諸ポリスはアテネに対する警戒感は持ち始めていました。


 こうしたポリスがスパルタを盟主として、対アテネ防衛同盟として作ったのがペロポネソス同盟でした。

 しかしこれで即アテネとの緊張関係になったわけでもないし、戦争も起きていません。


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 この状況が変わったのは、第一次ペルシャ戦役が終わった後からです。

 第一次ペルシャ戦役は、ペルシャが支配地をギリシャ本土まで拡大しようと攻め込んできた事で起きました。


 元々中東の大国だったペルシャが、有能な王を得て一気に領土を拡大し、アナトリア半島と地中海の東岸を全て支配下に置きました。 それでもペルシャは満足せずに更にギリシャ北部ま支配下におさめたました。

 しかしペルシャは、更にアテネやスパルタなどのギリシャ全土を侵略するべく、アテネから40キロ余しか離れていないマラトンに上陸したのです。


 アテネは軍はこれを迎え撃ち、完璧なまでの勝利を収めました。

 

 そしてマラトンで惨敗したペルシャは軍を引き上げました。


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 このマラトンでの勝利でアテネは一息ついたのですが、しかしその後の対ペルシャ外交をめぐって、国内では対ペルシャ穏健派と強硬派の対立が起きます。


 なぜならマラトンでの惨敗は、ペルシャの国力を殆ど損なっておらず、ペルシャは以前強大な帝国として君臨していたからでです。


 そこで対ペルシャ穏健派は、ペルシャを刺激せず良好な関係を維持することで、ペルシャが再度ギリシャに侵攻することは防げると考えました。

 この対ペルシャ穏健派を支持したのが、アテネの最富裕層を中心とした勢力です。 そしてこれが当時のアテネの保守派であり主流派でした。


 これに対して対ペルシャ強硬派は、ペルシャの再度の侵攻は必至と考え、軍備の増強によるペルシャ防衛を主張したのです。


 この中心になったのが、テミストクレスです。

 アテネの政界では例外的な中産階級の出身で、しかもこれを唱えた頃はまだ30代の若手でした。


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 そのテミストクレスが唱えたのが、海軍の創設です。 しかも当時の軍船の中心であった三段櫂船200隻と言う規模の海軍です。


 これは大変な話です。 なぜなら前記のようにこのころまでアテネに海軍はなかったのです。

 当時のギリシャ世界で最強の海軍国はコリントですが、このコリント海軍の保有する三段櫂船はたったの40隻なのです。


 それなのにテミストクレスは200隻規模の海軍を作れと言うのです。


 普通に考えれば全く荒唐無稽で実現不能としか思えない話なのですが、しかしテミストクレスは等辺追放を駆使して対ペルシャ穏健派の重鎮を追い払い、政権を手中に収め、これを実現したのです。


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 テミストクレスはその一方で、天才的な外交手腕を発揮して、対ペルシャ防衛にギリシャ諸ポリスを結集します。 


 ギリシャ諸ポリスは元来、お互いに非常に仲が悪く、オリンピック期間中以外は殆ど恒常的に戦争をしているような有様なのですが、しかしテミストクレスは奇跡のような外交手腕を発揮して、これを対ペルシャ防衛の為に団結させたのです。 


 そしてテミストクレスの提唱による海軍が完成とギリシャの団結を待っていたかのようなタイミングで、ペルシャの侵攻が始まったのです。


 するとテミストクレスはアテネ海軍を中心とするギリシャ海軍を指揮して、サラミスの海戦でペルシャ海軍を壊滅させました。

 そして陸上に残ったペルシャ陸軍は、スパルタ王パウサニアスがプラタイアの戦いで屠りました。


 こうして海と陸で惨敗したペルシャは二度とギリシャと戦おうとはしなくなりました。


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 これでわかるでしょう?

 アテネの軍事大国として地位がこれで決定したのです。


 しかしテミストクレスはペルシャ戦役勝利後も、更にアテネの国防、そして経済発展の基盤を固めます。


 彼はアテネ市街とその外港であるピレウスをつなぐ通路、そしてピレウス港を完全に囲む城壁を建設するのです。


 アテネはギリシャ最大の最強の海軍を擁しています。 そしてライバルであるスパルタには海軍はありません。


 そこでピレウスとアテネ市街を囲む城壁を作れば、アテネは籠城戦になっても海外から幾らでも食料を得られるのです。 これでアテネの防衛は完璧になりました。


 この城壁建設にはスパルタが懸念を示し、建設途中から抗議を繰り返したのですが、テミストクレスはスパルタの使節団をまんまとはぐらかして、城壁を完成させてしまいました。


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 一方でテミストクレスはエーゲ海の制海権の確保によるアテネの商業権益の確保も図りました。


 ホント凄い男なんですよね、このテミストクレスって。

 結局コイツ一人で、でその後のアテネの黄金時代の基礎を全部作ってしまったのですから。


 マジに政治・軍事・経済のすべてに卓抜した天才政治家としか言いようがないのです。


 そしてこのテミストクレスのお陰で、アテネは政治・軍事・経済のすべてでギリシャ諸ポリスの中でも最大最強の地位を得たのです。


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 ペロポネソス戦役の話をすると言いながら、ペルシャ戦役で終わってしまいました。 

 しかしここまで見ればわかるように、このペルシャ戦役での勝利が、アテネのギリシャ最強の海軍国の地位を確定したのです。


 ワタシはここまで過程をみて、日露戦争後の日本を思い出します。


 日本も対露防衛の為に、陸海軍を増強し、そしてロシアの海軍に大勝利を収める事で、欧米列強に日本の軍事力を認識させました。


 しかしこれがその後、欧米諸国との軋轢を招き、第二次大戦の敗戦につながるのです。


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 アテネは日露戦争前後の日本と違い、元々経済大国でした。

 そのアテネがペルシャ戦争により、軍事大国になりました。


 そしてテミストクレスやそれに続いたアテネの政治家達は、この軍事力をさらに強化して、その軍事力をアテネの経済発展に活用しました。


 再度書きますが、元々ギリシャ諸ポリス同志は仲が悪く、オリンピック期間中以外は戦争をしているような状態なのです。

 このような状態で、アテネが経済力・軍事力で他のギリシャ諸ポリスを圧倒して、更なる勢力拡大を図るのですから、他のポリスが危機感を持つのは当然ではありませんか?


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 このアテネの拡大に対する恐怖と反発が、これらのポリスをしてアテネとの戦争に駆り立てるのです。


 こうして起きたのがペロポネソス戦争です。 


 ツゥキディデスはアテネ市民の一人として、この戦争を詳細に記述しました。 ただ事象を記述するだけでなく、なぜそのような事象が起きたかも冷静に分析しながら、この悲劇を描いたのです。

 

 このペロポネソス戦争を描いたトゥキディデスの「戦史」は、今も世界最高の史書としされます。


 そしてアテネの台頭がペロポネソス戦争を招いた事から、新興国の台頭がそれまでの覇権国との軋轢を生み、更には戦争を招くことが「トゥキディデスの罠」と呼ばれるようになったのです。


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 ここまでで随分長くなっちゃいました。


 だからペロポネソス勃発とその後については、またそのうち書きます。

 そしてこれを書くと、ずうっと前にさわりだけ書いて放り出していた「ソクラテスの恋人 梟雄アルキビアデス伝」の続きも書けると思います。

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