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2018-10-16 21:21

黒十字 Balkenkreuz

 韓国の旭日旗ヒステリーでいつも引き合いに出されるのが、ドイツ軍の国籍章黒十字(バルケンクロイツ)です。

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        ドイツ軍国籍章

 この黒十字は元々、ドイツ騎士団がマントに着けていた紋章です。

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 ドイツ騎士団は聖ヨハネ騎士団、テンプル騎士団と共に、十字軍で活躍した騎士団です。

 中世ヨーロッパには騎士団と呼ばれる団体は多数存在し、内実は様々でしたが、この3つの騎士団は、騎士修道会と言われる団体でした。

 騎士修道会とはその名の通り、騎士であり修道士である人々の修道会で、彼等は妻帯はせず修道士としての戒律に従い集団生活を送りながら、騎士として十字軍や巡礼の警護の為に戦う人々でした。

 一般の修道会で修道士になるには、身分は問われませんが、騎士修道会では騎士として戦う事が前提なので、入会できるのは騎士階級出身者に限られていました。

 これらの騎士団はパレスチナに本拠地を置いて、活動を続けたので十字軍の中で、中心勢力になって行きました。

 しかし12世紀末に十字軍がパレスチナを追われると、それぞれが違った運命をたどる事になりました。

 聖ヨハネ騎士団はロードス島に本拠地を移し、そこで暫くイスラム教徒の商船を相手に海賊行為を続けました。 しかしオスマントルコの攻撃でロードス島を追われると、今度はマルタ島に本拠地を移し、ナポレオン戦争時までそこでイスラム商船への海賊行為を続けました。

 ナポレオン軍のマルタ進攻で、聖ヨハネ騎士団はマルタを喪い、それと共に海賊行為も止めましたが、騎士団その物は現在も存続し、病院経営など慈善事業を続けています。

 テンプル騎士団は極めて悲劇的な運命をたどります。
 テンプル騎士団は第二の本拠地であるフランスに戻ったのですが、フランス国王が騎士団の潤沢な資産に目を付けます。
 
 そして法王庁と組んで、騎士団を異端として騎士達を焚刑にしたのです。 騎士団が異端された理由の一つが彼等が男色にふけったからだと言われます。
 これが事実であったとは誰も信じてはいません。 しかしキリスト教の理念では同性愛は、焚刑になる程の罪悪とされていたのです。

 こうして十字軍の中でも最高の武勇を誇った騎士団は崩壊し、騎士達は成すすべもなく焼き殺されたのです。

 一方ドイツ騎士団はドイツに戻り、その矛先を東方に向けます。 そして当時まだキリスト教化されていなかったプロイセンを領有したのを皮切りに、ドイツ民族の東方植民の先兵となって行きます。

 彼等はポーランドまで出向き、モンゴル軍の西進を防いだり、さらに現在のバルト三国を超えてロシアにまで進攻したりと、東欧全域で戦い続けました。

 15世紀に宗教改革が始まり、そしてドイツ30年戦争になると、その戦争の中でカソリックの騎士修道会である、そのどさくさの中で、ドイツ騎士団は自分達が開拓した土地であり、長く騎士団領であったプロイセンを喪いました。

 ドイツ騎士団に変わってプロイセンを領有したのが、ホーエンツォレルン家です。 これがのちのプロイセン王国そしてプロシャ王国、さらにドイツ統一戦争を経て、ドイツ王国になって行きます。

 しかし騎士団は今も存続して、宗教活動と医療などの慈善活動は続けています。

 ドイツ騎士団の戦いと支配は、東欧・ロシアの人々からは、極めて残忍な物と忌み嫌われています。 
 ロシアやポーランドの映画では、ドイツ騎士団は完全な悪役です。

 しかしドイツ人にとっては、信仰の為に厳しい戒律に従いながら戦い続ける彼等こそは、理想の騎士と思われいました。

 だからトーマス・マンやウェルナー・ハイゼンベルグのような人々でさへ、ドイツ騎士団をドイツ精神の理想として描いています。

 この為でしょう。 
 プロイセン王国が軍旗を定めた時に、ドイツ騎士団の紋章を軍旗に描き、またこの紋章を元にした勲章、鉄十字章を作りました。

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 プロイセン軍軍旗           プロイセン軍軍艦首旗

 そしてその後ドイツ帝国、さらにワイマール共和国、ナチスドイツの国防軍でも、この黒十字が軍旗に描かれています。

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 ドイツ帝国軍軍旗           ドイツ帝国軍軍艦首旗

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 ワイマール共和国軍旗         ワイマール共和国軍艦首旗

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 ドイツ国防軍軍旗(1938~1945年)

 また第一次大戦のころから、戦車や飛行機などに国籍章が描かれるようになると、黒十字がドイツ軍の国籍章になりました。



 第二次大戦後、ドイツはナチス時代に、国旗や軍旗に使われていたハーケンクロイツの意匠を全て使用禁止しました。
 そして軍旗のデザインも完全に変わり、黒十字は使われなくなりました。

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 ドイツ連邦軍軍艦首旗

 しかしドイツ軍の国籍章としては、相変わらず黒十字が使われています。


 だから黒十字を付けた戦車は相変わらずヨーロッパの大地を驀進し、黒十字を染めた飛行機はヨーロッパの空を飛んでいるのです。

 好きなんでしょうね。
 あのシンプルでストイックな感じが、ドイツ軍人精神にピッタリくるのでしょう。
 デザインとしても非常に美しいと思うし。

 ヨーロッパの軍隊の国籍章の中でも最高のデザインであるばかりか、欧米の商標などシンボルデザインの中でも最高傑作の一つでしょう?

 韓国人は「旭日旗を掲げて韓国に入るのは、ハーケンクロイツを掲げてポーランドに入るのと同じだ」なんて言いますが、しかし歴史を学べば、ポーランドや東欧諸国にとって黒十字はハーケンクロイツより遥かに凶悪です。

 だってハーケンクロイツは第二次大戦中だけの話ですが、黒十字がこれらの国々を蹂躙したのは12世紀からドイツ騎士団が衰退する15世紀までの300年間です。

 そして少し休みがあって、ドイツが近代国家になり、ドイツ軍が近代化するとまた黒十字の旗を立てて、ポーランド始め東欧諸国を圧迫し続けたのです。 そして第二次大戦中のドイツ軍もまたこの黒十字をつけて戦ったのです。

 でもポーランド人が黒十字の事でドイツ軍に文句を言ったという話は聞いた事がありません。

 ドイツとポーランドは歴史的に敵国同士でした。 しかし敵の紋章にまで文句を言うのは、騎士道としてあり得ません。 
 敵であっても武勇には敬意を払うのが騎士道です。

 そしてポーランドは古来騎士の国で、ポーランド騎兵はヨーロッパで知られた精兵なのです。

 しかし騎士道とか武士道と言ったモラルは韓国人には通用しません。
 だからこうした騎士道的儀礼も理解できないのでしょう。 
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2018-10-04 13:40

宗教秘密結社 紙・印刷機・インターネット

  夕べ寝る前にi-padを見ていたら、宮脇淳子先生が明の太宗の素性に関して、中国での宗教秘密結社についての話をしていました。

 中国史では黄巾の乱、白蓮教徒の乱、太平天国の乱など、宗教秘密結社による反乱が社会を転覆させてきました。
 
 だからこそ中国共産党は、法輪功やイスラム教やキリスト教などの宗教を必死で弾圧しています。

 

 宮脇先生によると、こうして中国の国家体制を脅かしてきた宗教秘密結社ですが、これが中国史上初めて出現したのは、起源182年黄巾の乱からだそうです。

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 それではなぜそれ以前には、宗教秘密結社がなかったのか?

 宮脇先生によると「それは紙がなかったから」だそうです。

 紙ができて初めて、一般人にも手紙のやり取りが可能になりました。 識字率も上がり始めました。 それで宗教教理を文書で広めたり、結社として必要な連絡も取れるようになったのです。
 そこで初めて庶民が秘密結社を作れるようになったのです。

 それまでは文書も手紙類も竹簡や木簡、或いは絹地に書くしかなく、こうした物を所有・使用できるのは、支配階級に限られていたというのです。

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 こうして生まれた宗教秘密結社では、信者たちは単に同じ宗教を信じるだけでなく、お互いに生活の面倒をみあう事で、実生活でも強く結束していくことになりました。

 そしてついには体制を脅かす程の力を持つようになるのです。

 だから中国共産党は、単なる理念や教理の問題ではなく、現実の力として宗教集団を恐れ、必死の弾圧をするというのです。

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 そこで思い出したのが、ヨーロッパの宗教改革と宗教戦争、そして現在のイスラム原理主義の台頭です。

 ヨーロッパの宗教改革は、グーテンベルグの印刷機の発明から始まりました。

 グーテンベルグが印刷機を発明して、真っ先に印刷出版したのが聖書でした。

 それによりそこそこの所得のある人なら、聖書を所有して座右の書として読めようになりました。

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 それまでの書物は筆写によるしかなかったので、非常に高価で、相当な金持ちでも個人で所有する事などできなかったのです。
 聖書が読めるのは、修道院の図書館などを使える聖職者か、王侯に限られていたのです。

 しかし印刷機の発明で、多少の余裕のある人ならば、聖書を手元に置いて、いつでも読めるようになったのです。 これにより聖職者でなかった人達の間でも、キリスト教の教理への理解が深まりました。
 
 けれどもそれによりそれまでキリスト教の教理の解釈を独占してきた法王庁の権威を揺るがせました。

 そしてついには宗教改革が起き、さらに酸鼻を極める宗教戦争に至ったのです。

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 さらにもう一つ思い出したのが、現在世界で起きているイスラム過激派の台頭です。

 飯野陽氏の「イスラム教の教理」によると、現在のイスラム過激派の台頭の原因の一つは、インターネットの普及だと言います。
 
 イスラム教の経典コーランは教理により翻訳が禁じられています。
 しかもアラビア語は非常に難しい言語です。

 またイスラム教の教理の理解には、コーランの他、膨大なシャリーア(イスラム法)とハディーズ(ムハンマドの言行録)も学ばねばなりません。

 こうなるとアラビア語圏の人でも、イスラム教の教理はなかなか理解できません。
 まして非アラビア語圏のイスラム教徒などには、全くわからないのです。

 それで一般の人達は、イスラム法の解釈などは、専門の学者に頼り、お祈りとか断食など信者の生活として定められた形式を守る事だけで満足してきたのです。

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 ところがインターネットの普及で、世界中殆どの言語でこうした教理の解説が殆どの言語で読めるようになりました。 難解だったイスラム法の解釈も問題を検索すれば、一発で答えがでるようになりました。

 こうしたイスラム教の解説サイトが、世界中の言語で、大量に作られているのです。

 飯野陽氏は、イスラム教は、教理が聖典に明文化されているので、インターネットとは非常に相性が良い宗教だと言います。

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 一方、イスラム圏での識字率もこの数十年の間に非常にあがりました。 また地中海をゴムボートで渡る自称難民だってスマホを持っているのです。

 だから文字通り、誰でも直接イスラム教の教理に触れて理解できるようになったのです。

 勿論イスラム穏健派と言われる人々もいます。 イヤ、むしろイスラム教の神学者や法学者として権威と言われる人々の殆どは穏健派なのです。
 
 なぜなら彼等は権威であるが故に、体制側であり、既得権益側でもあります。
 だから自分の国の政府とも折り合って、幾らコーランに書かれている事でも、余りに戦闘的で、欧米や自国内の異教徒と暴力沙汰になるような事は、広めないように慎んできました。

 ところがインターネットの普及で、そういう気遣いが無意味になってしまいました。

 そこで教祖ムハンマド自身が、軍隊を率いて戦っていた頃の言行にそのまま従う事こそが、「正しいイスラム教徒」の在り方として、強烈な説得力を持つようになってきたのです。

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 因みに信者同志が実生活でも助け合うという宗教結社の特徴は、イスラム過激派も持っています。
 
 イスラム過激派の一派ムスリム同胞団は、イスラム教徒なら無料で治療する病院を運営したり、企業経営を行い同胞団の仲間を優先的に雇用したりしています。

 だから貧しい人達には大変な影響力を持つようになっています。

 しかし怖いですね。

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 紙の発明 → 中国の宗教秘密結社 → 反乱と体制の転覆

 印刷機の発明 → ヨーロッパの宗教改革 → 宗教戦争

 インターネットの発明 → イスラム過激派の台頭 → ???

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 歴史を学ぶと、紙や印刷機など、本来人類に知識を与える物の発明は、しかし知識だけでなく悲惨な戦争(宗教絡みの戦争の陰惨さと無残さは単なる侵略戦争を遥かに超えますから)を産んでいるのですから。

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2018-09-25 12:12

世界征服はイスラム教徒の義務である イスラム教の教理

  先日ツィッターでこんな記事を拾いました。

イギリスとアイルランド国内のサブウェイの一部店舗(約1500店舗中185店舗)でイスラム教徒の要求に応えてメニューから豚肉を完全に排除ハラル対応にしました。個人的には宗教や神様は個人の食生活に介入するべきではないと思いますが、こういう事が世界で増え続けてしまうのは残念に思います。
 https://mobile.twitter.com/Eimi1003/status/1038720613420920832

 ワタシもこれ凄く違和感がありました。 このサブウェイと言う店はサンドイッチの店で、その種類が非常に多い事が特徴なのだそうです。

 だったらイスラム教徒は豚肉を使ったサンドイッチを注文しなければよいだけで、店のメニューから豚肉を排除する必要はないでしょう?

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宗教や神様は個人の食生活に介入するべきではないと思います
 
 ええ、ワタシもそう思います。

 そして宗教はあくまでそれを信仰する人の内面と個人生活の問題であって、自分の宗教を盾に他人の生活や、国家や社会の在り方に介入するべきではないのです。
 これは別にワタシ個人の感覚ではなく、民主主義国家での宗教の在り方の基本なのです。

 だからイスラム教を信じる人は、自分の生活をイスラム教の戒律で律するのは良いけれど、他人にその戒律を押し付けようしたりしてはいけないのです。

 しかし実際には、このアイルランドのサブウェイの件のように、イスラム教徒と言うのは、こうやって他人にイスラム教の戒律をごり押しするのが目立ちます。 

 一体何で彼等はこんな事をするのか?
 こんなごり押しをすると、嫌われるだけなのに・・・・・。

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 しかし飯田陽さんの「イスラム教の教理」を読んだら、この理由がよくわかりました。
 飯田陽さんの「イスラム教の教理」は題名の通り、イスラム教の教理をコーランやイスラム法など、イスラム教徒が教理の上で従わなくてはならないとされている聖典とその解釈を、単純明快に解説した本です。

 しかしこうして教理を読んでいくと、イスラム教と言う宗教の恐ろしがわかり慄然とします。
 以下、ここで書かれた事を、ワタシ自身の感想も交えながら、簡単に紹介していきたいと思います。

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 まずイスラム教の教理によれば、全ての人類はイスラム法に従わなければならないのです。 そしてイスラム教徒には、非イスラムをしてイスラム法に従わせるよう努力する義務があるのです。

 なぜならイスラム教では、イスラム教の聖典は全て、神様の意志を表した物で、人類は全て神の奴隷です。 だから問答無用で、神様が作った規則には従うしかないのです。
 
 だからサラミソーセージや生ハムが好きだなんて言う奴に配慮する必要はなく、神様が豚肉を食べるなと言った以上、全ての人類に豚肉を食べさせないようにするのがイスラム教徒の義務なのです。

 そしてイスラム教が唯一絶対の神に従う正しい宗教である以上、全人類が神の法で統治されなければならいのです。
 イスラム教徒はその為には世界征服をしなければならないのです。

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 そして実際に教祖ムハンマドは自身が軍隊を率いて、征服戦争をはじめアラビア半島とその周辺を支配下に置きました。 ムハンマドの死後は、その後継者つまりカリフ達がその征服戦争を続けて、現在の中東、北アフリカ、そしてスペインにまで及ぶサラセン帝国を築きました。

 この過程で生まれたのがコーランとハディーズとイスラム法です。

 コーランはムハンマドが聞いた神の言葉を記述しています。
 ムハンマドの業績と言行を記述したものがハディーズです。
 イスラム法はムハンマドが、自身が征服地を統治した時に制定施行した法律です。

 これらはいずれもムハンマドが代行した神の意志を表しています。 だからイスラム教徒だけでなく、全ての人類がこれに従わなければならないのです。

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 教祖自身が宗教戦争を指揮し、自身が宗教による統治をおこなったという点で、イスラム教はキリスト教や仏教とは全く違うのです。

 教祖自身が征服戦争と統治をしたことで、宗教による統治は教理にくみこまれているのです。

 そして宗教は精神生活の問題ではなく、現実の統治の問題なのです。

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 ムハンマド自身がイスラム教による征服戦争と被征服地の統治をしたのですから、こうした聖典には、その時に彼が行った虐殺も、圧迫は勿論、当時の戦争なら普通だった被征服地から略奪したものはどう分配するべきかと言う事まで事細かに描かれています。

 これによると征服戦争で従軍して得た略奪品の8割は略奪した兵士個人の物なり、2割は軍の物になります。 そしてその中には被征服者側の女性も含まれています。 被征服地の異教徒の女性は奴隷化されて、売買されるのです。

 イスラム国(ISIS)やボコハラムが、その占領地で女性を奴隷化したことに、日本人や欧米人は驚愕しましたが、しかし彼等にすれば聖典に従っているだけなのです。

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 イスラム国の目標は、イスラムの聖典に従った国家を作る事です。 つまりムハンマドの死後、その後継者であるカリフ達が行ってきたような、カリフがイスラム法によって統治する国家を作る事なのです。

 だからイスラム国の指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーは、自身をカリフであると宣言し、被支配地をイスラム法で統治していると宣伝していたのです。

 そしてサラセン帝国が行ったような、イスラムによる征服戦争を扇動したのです。

 だったらイスラム法に従って、被征服者側の女性を奴隷化して売買するのも当然ではありませんか?

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 このようにイスラム国は、完全にイスラムの聖典に従っているのです。
 
 そしてイスラム教の教理によれば、カリフがイスラム法に従って統治する政体こそが、正しい統治であって、それ以外の政体は全て間違っているのです。

 だから民主制も君主制もすべて間違いだし、またこうした政体により作られた法は無効です。

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 だから現在イスラム穏健派と言われるイスラム教の権威である神学者達も、彼等を「イスラムではない」とは言えないのです。 
 勿論、イスラム国のような過激派を「イスラム教徒ではない」と言う学者たちもいるのですが、これはあくまで西欧社会に対するポーズだそうです。 

 しかし、イスラム穏健派が間違っているかと言えば、そういうわけではありません。
 
 イスラム教にはローマ法王のような権威は存在しないのです。 それでイスラム教の聖典をどう解釈し、どのように守るかは、完全に個人の判断にゆだねられます。
 そしてその判断が間違っていた場合は、死後に神の罰を受けるのですが、人間が他人の解釈に文句を言う筋合いではないのです。

 しかしだからこそイスラム穏健派は、イスラム過激派を否定できないのです。

 そしてイスラム穏健派と過激派を比べれば、過激派の方がはるかに厳密に聖典を解釈し実行しているとしか言えないのですから、どちらがより敬虔で正しいイスラム教徒かと言えば、過激派の方に軍配が上がるのです。

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 勿論いくらイスラム教徒でも、こんな過激な連中には付き合えない、こんな連中が暴れまわったら社会が滅茶苦茶になると危惧する人々は沢山います。
 
 実際、エジプトではアラブの春の後、イスラム過激派の一派であるムスリム同胞団から大統領が出たのですが、しかしマトモな政治ができなかったので、国民が怒り、直ぐに退陣に追い込まれました。

 イスラム教徒の大多数はこうした狂信には反対なのです。

 しかしながらイスラム教徒である限り、彼等を否定できないのです。 だから大体どこの国や地域でも、イスラム教徒の4~5%はイスラム国などの過激派を支持しているのです。

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 4~5%とはどういう意味を持つのでしょうか?
 
 創価学会の公表する数字では、創価学会の信者は日本の総人口の5%ほどです。
 またローマ帝国がキリスト教を公認した時のキリスト教徒の割合も、総人口の5%程度だったと言われます。

 これを考えると、実際これだけテロを繰り返す過激派を支持する人が、5%いるというのは、容易な事ではないのがわかります。

 人口の5%を占める集団と言うのは、誰も身近に一人か二人は、その集団に属する人がいるという事です。
 だからワタシのように人付き合いの悪い人間でも、選挙の度に「公明党に投票して」と依頼してくる知り合いがいます。

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 自爆テロを賛美しているような人達から、こういうノリで何かを依頼されたら、どうしたらよいでしょうか? 
 こういう人達が人口の4~5%を占めれば、社会への影響力が大変なものでしょう?

 そこでエジプト政府など、現在イスラム教国家で世俗政権の国では、こうしたイスラム過激派は官憲がしょっ引くと方法で、何とかその影響力を押さえています。
 
 イスラム教徒が圧倒的に多数を占める国で、イスラム教の教理に厳格に従う人々を言論で説得する術はないので、ストレートに権力で抑え込むしかないのです。
 しかしこれはこれで問題がある事は言うまでもありません。

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 それにしても何でこんな過激派が台頭してきたのでしょうか?
 少なくとも第二次大戦後、イスラム諸国の主流だったのは、アラブ民族主義など西欧式の近代国家、宗教に寄らない強い国民国家を作ろうと言う主張だったのではありませんか?

 トルコのケマル・アタチュルクや、エジプトのナセルのように、国家の独立を守り、近代化を進めた人達が、英雄とされてきたではありませんか?
 
 実はワタシは昔から中東の話が好きで、イスラム諸国の旅行記等をよく読んでいましたが、そのころイスラム教がこのような形で過激化するとは夢にも思いませんでした。

 ナセルやケマル・アタチュルクだって想像もしなかったと思います。

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 この「イスラム教の教理」の中で、著者飯野陽さんはこのイスラム狂信化の理由としてインターネットの影響を指摘しています。

 イスラム過激派の台頭は、実はface book、you tube、ツィッターなどのサービスの開始と軌を一にしているのです。

 イスラム教は聖典が全て明文化されているので、インターネットとは大変相性が良いのです。
 
 元々イスラム教の聖典は全部アラビア語で書かれており、教理を学ぶにはまずアラビア語に習熟しなければなりませんでした。 
 また偶像崇拝や音楽を禁止したことから、キリスト教や仏教がしてきたように、絵画や宗教音楽で民衆に教理を理解させることもしてきませんでした。

 それがインターネットで一気に変わりました。
 自分が気になる問題についてイスラム法での解釈を知りたければ、誰もネット検索をすれば一発で回答が出てきます。 

 you tubeにはイスラム過激派が作った、非常にセンスのよい宣伝動画が大量に上がるようになりました。
 
 一方、今はアフリカからくる「難民」でさへ皆スマホを持っているのです。

 これでこれまではコーランを読むことも不可能だった一般イスラム教徒にまで、教理その物がストレートに広がったというのです。

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 勿論こうしたイスラム過激派によるテロの扇動や斬首動画の投稿には、you tubeやface bookの側も、動画やの削除やアカウント停止などで対応をしたのです。 しかし彼等は直ぐに、削除に対抗してアカウントを作り、投稿を続ける事ができるような体制を作ってしまいました。

 イスラム教徒の総人口は18億です。 その4~5%、9000万人弱の支持を得ればそういう事だってできるのです。

 現在、日本や欧米で、保守派の投稿やアカウントが停止や削除を受けるという嫌がらせに遭っています。 そしてそれに対する対応に苦労しています。

 しかしイスラム過激派は、とうの昔にこの問題をクリアしていたのです。

 そしてテロを扇動するアカウントや動画は削除できても、イスラム教の教理その物を解説するサイトの削除は、民主主義国家にも、またイスラム諸国にも絶対にできません。

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 こうして今もイスラム狂信化は、ドンドン進行しています。 そしてイスラム教徒の人口は増え続けています。
 
 現在、日本や欧州だけでなく、アジアの非イスラム諸国の出生率は2を割り込み、人口減に入りました。

 しかし中東やアフリカのイスラム諸国は、今も非常に高い出生率を維持しています。 それだけでなく欧州に移民したイスラム教徒達もまた、出生率は高いのです。

 だから今後の世界でイスラム教の影響は、さらに深刻化するでしょう。
 
 この「イスラム教の教理」と言う本は、そういう現実を正面から突き付けてくれました。
 この本を書いた飯野陽さんの勇気と学者としての良心には、心から敬意を捧げます。

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2018-09-03 11:17

特亜・西欧 ガリ勉文明・体育会文明

 韓国は今回のアジア大会での成績が振るわなかったようです。
 韓国のスポーツ界は現在ジリ貧路線をまっしぐらのようです。
 
 これについて我が尊敬するご隠居さんが、見事に解説してくださいました。

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 韓国のスポーツ事情は
 
 韓国の中学や高校では日本のような部活はなく、スポーツをするのは将来プロやオリンピック選手などを目指す極一部の子供だけです。
 他の子供達は体育の授業以外は、一切スポーツをせずひたすら受験勉強に励むという学生生活を送ります。

 韓国の高校大学の多くは、元々日韓併合時代に日本が作った旧制中学や実業学校で、その頃は朝鮮の学校でも日本同様の部活をやっていました。
 そしてその中からオリンピック選手なども生まれました。

 韓国独立後もこうした学校は残り、今は皆名門校として学校ランキング上位に君臨しているのです。

 学校だけではなく韓国の教育制度は、韓国の他の組織や制度と同様、日本の影響を今も強く残しています。
 
 高校や大学の受験制度だって、日本の制度をそのまま引き継いでいるのです。 

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 韓国は日本の残した物は何でも日帝残滓として破壊しているのです。
 だからそれでなくてもいろいろ弊害の多い日本式受験制度なんかさっさと廃止したらよいのです。

 そして例えばドイツやフランスのような大学入学資格試験制度でも取り入れれるべきはないでしょうか?
 しかしなぜかそれをやろうという話は聞いた事がありません。

 それなのになぜか部活だけは消滅して、全員ガリ勉受験生になる事を選んだのです。

 しかし部活がなく全員ガリ勉と言うのは、中国も同様ですから、これはシッカリ中華文明に回帰したと言うべきでしょう。

 つまり特亜文明はガリ勉文明なのです。

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 ご隠居さんは

朱子学の毒に染まったシナ朝鮮じゃ君子は身を労さないというのが当たり前ですからね。

 テニス?召使にやらせましょ、という方々だったんです。

 
 と解説していらっしゃいます。

 そうなるとガリ勉文明の根源は儒教なのでしょうか?
 
 ところで儒教と言うのは孔子が無から作った物ではありません。
 儒教は孔子が生きた時代には既に中国人の一般的になっていた社会規範や世界観を、孔子が中心になって整理整頓して体系化したものです。

 だからすんなりと受け入れられたのでしょう。
 
 そして現在までそれが中国人の基本理念とされてきたのは、結局彼等の本性に心底しっくりするからではないでしょうか?
 また韓国も同様だから今も儒教の民であることを誇るのではありませんか?

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 これに比べると西欧文明は、体育会文明です。
 
 西欧文明の源泉、ギリシャの教育ではスポーツが学問と同様に重視されました。
 
 古代のアテネでは、子供は午前中は学校や家庭教師について学問をし、午後はスポーツ教師についてのスポーツをする事になっていました。
 そしてその為のスポーツ施設が完備されていたのです。

 それでギリシャ人は成人してからも競技場に通いスポーツを楽しみました。
 
 ギリシャにはスポーツ競技を奉納する祭礼がいくつもあり、その最大最高の祭礼がオリンピックでした。
 ギリシャ人達はこうした競技会に熱狂したのです。
 
 ギリシャ人ってホントに体育会系なのです。

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 そしてこの教育法はローマでも同様でした。 
 古代ローマ帝国はギリシャを征服して属領にしたのですが、その文明はこよなく敬愛しました。

 だから古代ローマ貴族の子供達も、午前中は家庭教師について勉強、午後はスポーツに励んだのです。 
 
 その為古代ギリシャ・ローマ文明を崇拝し継承した西欧文化圏でも、スポーツ重視の教育も継承しました。

 イギリスのパブリックスクールの伝統教育では、午前中は教室で学問、午後は戸外でスポーツです。

 ドイツのギムナジウは大学進学を前提とした教育をする中等教育校です。 しかし勿論ここでもスポーツは重視されます。
 このギムナジウと言う名称は、古代ローマの子供達の為のスポーツ施設が語源なのですから。

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 ローマ帝国が崩壊したのは1500年以上昔の事です。 しかも崩壊させたのはドイツ人やイギリス人のご先祖様であるゲルマン人です。

 キリスト教などギリシャ・ローマ文明とは全く違う宗教も入り、大きな影響を与えました。

 それでも連中がことほど左様に古代ギリシャ・ローマ式教育法を尊重し、継承するのはやはりこれが西欧人の本性にしっくりするからではないでしょうか?

 コイツラも古代ギリシャ・ローマ人同様の体育会の人間で、ガリ勉はすきになれないのでしょう。

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 ガリ勉になるか? 体育会系になるか?

 これは個人で見れば家庭環境や教育だけではなく、当人の性格や資質が大きく影響しているのではありませんか?

 因みにワタシの兄弟は、兄と妹が体育会で、ワタシはガリ勉ではないけどスポーツは全くダメ子です。
 同じ親に育てられても、個人の資質が違うからこうなるのです。

 そして特亜と西欧の歴史を比べてみると、どちらも何度も戦乱や体制崩壊、異文化の流入を経験しているのに、どちらもガリ勉と体育会の伝統だけは英英と守り続けているのです。

 これを見るとこうした違いは民族の資質による物で、今後も簡単には変わらないと思うのです。

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 そしてワタシは、民主主義と言うのは実は体育会系の制度だと思うのです。
 
 なぜなら民主主義を産み育てた文明は、体育会文明であり、その文明を担った民族が体育会系の民族だからです。

 西欧世界で儒教に相当するのが、古代ギリシャ・ローマの哲学です。

 ソクラテスなど古代ギリシャの哲学は、当時の市民の精神の理想を明確に描いたの物です。
 そしてソクラテス自身がそうした理想の市民を体現していました。
 
 そのソクラテス自身も競技場へ通いスポーツを楽しむ人でした。 だから無類に頑健な肉体を持つ人でした。 
 それで市民の義務として兵役に就けば、最高の重装歩兵として活躍したのです。

 ギリシャ人の理想の市民がこのように体育会系だったという事は、民主主義は体育会系の人間により作られて、そういう人間が多数を占めるという事を前提に成り立つ制度だと考えるしかないのです。

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 ワタシは体育ダメ子なので、これはホントに哀しいです。 
 ワタシは民主主義大好きなのに・・・・・。

 しかしそれより厄介なのは特亜です。

 だって民主主義が体育会系の人間による制度なら、特亜にとって民主主義を受け入れるのは、大変難しいと考えざるを得ないではありませんか?
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2018-08-18 14:33

ペロポネソス戦争 その5 言論の自由

 エウリピデスの「トロイアの女達」は、トロイア陥落後の女達の運命を描いたもので、ギリシャ悲劇の最高傑作の一つです。

 この「トロイアの女達」が上演されたのはアテネによるメロス島陥落の翌年でした。

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 メロス島はエーゲ海のほぼ真ん中に浮かぶ小島で、人口も少なく、経済力もない小国でしたが、デロス同盟にもペロポネソス同盟にも加盟せずに中立を維持していました。

 ペロポネソス戦争勃発後10年程たったころ、アテネは突然このメロス島にデロス同盟加入迫り、メロス島が拒否すると攻撃したのです。

 小国メロス島は必死に抵抗しましたが、しかし大国アテネにかなうわけもなく、ほどなく陥落しました。
 
 するとアテネはメロス島の男は全部殺し、女子供は全員奴隷にして売り払いました。

 このような敗戦国処理は神話のころから古代ギリシャでは行われていました。 
 しかしペロポネソス戦争が始まるはるか前から、もうこのように残酷で野蛮な敗戦国処理は、むしろ例外的になっていました。

 ところがアテネは敢えてこれをやってしまったのです。

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 でも何のためにそこまで惨い事をする必要があるのか?
 そもそも何の為にメロス島を攻撃したのか?
 結局、これはペロポネソス戦争が膠着していることへの不満を、そらす為だけの無意味な蛮行ではないのか?

 アテネ市民の中にも、こうした疑念を持つ人々が沢山いたのです。
 
 そしてその疑念をそのまま表現したのが、当にこのエウリピデスの悲劇「トロイアの女達」でした。

 トロイア王プリモアスの王妃を中心に、トロイアの女達が訴える苦悩と絶望の声は、そのままメロス島の女達の声として、観客であるアテネ市民達に届いたでしょう。

 この悲劇が初めて上演されたのは、このメロス島陥落の翌年のディオニソス祭での悲劇コンクールだったのです。

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 アテネではこれに先立つ100年程前から、毎年ディオニソス祭と言う祭礼を催していました。 ディオニソス祭は農業神であり、また葡萄酒の神でもあるディオニソスを寿ぐ祭です。

 ギリシャの祭礼では、多くの場合スポーツ競技を奉納しました。 一番有名なのはオリンピアの神殿で行われるオリンピックですが、このほかにも同様にスポーツ競技を奉納する祭礼が沢山あったのです。

 しかしディオニソス祭では、スポーツではなく演劇や音楽や詩の朗誦などの芸術のコンクールが奉納されたのです。

 ところで演劇の上演には、当時でも現代同様、随分と経費が掛かりました。 この経費はアテネ政府が負担しました。 実質的にはアテネ政府の命令で富裕層が上演経費の負担を割り当てられるのですが、いずれにせよ政府の後援による上演なのです。

 こうして上演された「トロイアの女達」はこのコンクールで悲劇部門の二等賞を受賞しました。

 審査をするのは一般市民ですから、この結果を見ると、多くの市民がこの悲劇を受け入れたと考えるべきでしょうか?

 それとも現代にまで残るこのギリシャ悲劇の最高傑作の一つが、二等賞で終わったのは、この悲劇が自国を非難していると感じて不快感を感じたとみるべきでしょうか?

 いずれにせよアテネでは政府の経費で、政府の主催する演劇祭で、このように政府の政策を真っ向から非難するような演劇が上演されていたのです。

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 これだけでも驚きですが、しかしこれが喜劇となるともっと強烈です。

 古代ギリシャきっての喜劇作家アリストパネスの作品の殆どは、ペロポネソス戦争中に制作、上演されています。

 アリストパネスと言う人は、元々ペロポネソス戦争は勿論、アテネの民主制そのものに懐疑的な人で、開戦直後から「アカルナイの人々」のような、この戦争と政府への批判を明確にした作品を書いているのです。 
 
 そしてその後も「福の神」「女の平和」などこの戦争と、それを推進する人間たちの愚かを告発した作品を発表し続けました。

 勿論これらもアテネ政府の後援で、ディオニソス祭で上演されたのです。

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 ところでこれが何で「強烈」かと言うと、これらの作品では、当時の政治家や有名人が実名で登場して、嘲笑されるのです。

 だからギリシャ史の研究者から見ると、当時のアテネ市民の生活と、世論や政治家の人物評を知るには最高の資料です。 

 そして古代ギリシャ語が理解できて、当時のアテネの政治情勢に精通した人が読めば文字通り捧腹絶倒でしょう?

 アリストパネスの喜劇はワタシが読んでも結構面白いのですが、それでもそこは喜劇ですから、多様されてる洒落など翻訳ではわからないし、また登場人物の素性は注釈を見るしかないので、面白さは半減しちゃうのです。

 しかしそれにしても現役政治家を実名で登場させて嘲笑する演劇など、現代の日本や欧米先進国でも結構ヤバいと思うのですが、しかし当時は普通だったのです。

 因みによもちゃんは以前「平和を学ぶ世界の子供達」と言う戯曲を書いたのですが、これだって札幌市の施設で上演するとなると一悶着起きるのでは?

 そしてこれを見ると、当時のアテネは戦時中でも、完璧に言論の自由が保障されていたのがわかります。

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 それではここまで見事に保障された言論自由は、戦争の終結を早める役に立ったのでしょうか?

 いいえ。
 全然役に立ちませんでした。

 ペロポネソス戦争は第二次大戦のような短期決戦ではなく、27年も間続いた長期戦でした。 その間に何度も休戦をしています。

 そして敵国スパルタからも何度も、講和の申し入れがありました。

 アテネの指導層にはこれに応じる動きもみられましたが、しかし結局市民の反対で頓挫して、また戦争を続行しました。

 そして戦力のすべてを失い、抵抗不能になった挙句に無条件降伏に追い込まれたのです。

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 何度も休戦をしながらの長期戦とはいえ、ペロポネソス戦争は十分に過酷な戦争でした。

 古代なのだから第二次大戦のような総力戦にはならないから、大した事はないのでは?と言うわけにはいかないのです。

 まず開戦直後からアテネ市内での籠城戦になり、この籠城戦の最中に疫病がはやり、大量の市民が死亡しました。 正確な数はわかりませんが、例えばペリクレスは息子二人と妹を死なせていますし、ツゥキディテスは自分自身が疫病に罹り死にそうになりました。

 富裕層でこれですから、家族を喪わずに済んだ人はいなかったでしょう。
 しかも疫病はこの後、何度も波状的にアテネを襲いました。

 アテネがこのダメージから立ち直るには15年程もかかったのです。

 しかしその間も戦争は続いたのです。

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 そして何とか疫病のダメージから立ち直ると、今度はシケリア遠征を挙行しました。

 シケリア、現在イタリアのシチリア島なのですが、ここを征服しようと企てたのです。 
 
 しかしシチリア島はメロス島とは違い、巨大な島です。 
 アテネ領全てよりも広く、しかも豊で人口も多いのです。

 その為このシケリア遠征にはアテネ及びデロス同盟諸国から、総勢35000人の兵員、200隻の三段櫂船、他多数の輸送船が参戦しました。 文字通り海をうめく尽くすような大船団をシケリアに送り込んだのです。

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 35000人!!

 アテネの有権者数、つまり成人男性は総数6~6.5万人です。 アテネにはこの他にメトオイコイと呼ばれる市民権を持たない住民がいて、この人達にも兵役義務はあります。
 
 また前記のようにこの中にはアテネ以外のデロス同盟諸国の兵員も含まれています。
 
 それでもやはりこれは途方もない数です。

 そしてアテネの海軍の総力は元来三段櫂船200隻なのです。

 しかしシケリア遠征にはデロス同盟諸国の海軍を合わせたとはいえ200隻の三段櫂船を動員したのです。

 こうなるともう現代人の想像を絶するほどの総力戦としか言えません。

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 そして完敗しました。
 文字通りの完敗で、生きてアテネに戻れた兵士は一人もいなったのです。

 それでもアテネはその後10年余も戦い続けたのです。

 敗戦が重なり、犠牲者が増えれば増えるほど、ここで負けたら今までの苦労が無駄になると思うのか?
 
 スパルタから講和を申し込まれると、相手も弱っているのだからもう一押しと思うのか?

 敵愾心や復讐心と言った感情が理性を圧倒して、市民自身の手で講和のチャンスを潰していくのです。

 しかもその市民達は一方では、アリストパネスの喜劇に腹を抱えて笑い、エウリピデスの悲劇に涙したのです。
 そして誰一人「この非常時にこんな劇を演じるのは非国民だ!!」などとは言わなかったのです。

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 イヤ、ワタシはこの話は殆ど全部塩野七生さんの「ギリシャ人の物語Ⅱ」から丸パクリで書いているわけですが、しかしこうしてあの本を思い出すと、なんといったものやら・・・・・。

 だってワタシは物心ついたころから学校やテレビや新聞で「日本は戦前は言論の自由がなくて戦争に反対できなかった。 だから戦争になってしまった。 戦争を防ぐ為にも言論の自由を守らなくてはならない。」と言われ続けてきたのですから。

 でもこれを見たら言論の自由なんか幾らあっても戦争を防ぐどころじゃないでしょう?

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 でも考えてみれば、ワタシ自身も自分で目で同じ物もみているのです。

 それはフォークランド紛争の時です。
 あの時日本のテレビでは、ロンドンのフォークランド紛争反対デモの様子が放映されました。

 イギリス政府はこのデモを許可したし、圧倒的多数の戦争支持派(90%が戦争支持!!)も一切彼等の妨害はしないので、デモ隊は至って平穏に行進したのです。

 そしてそれ以前、ベトナム戦争時もそうでした。

 ベトナム戦争時も反戦を歌うフォークソングが大流行し、ベトナム戦争をそも物を舞台にして戦争の悲劇を描いた映画が次々と作られました。
 
 勿論反戦デモは日常的に行われていました。

 それでも戦争は続きました。

 つまりそれが民主主義国家の戦争なのです。

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 ペロポネソス戦争についてはいままで始まりからその4まで書きました。 それでホントは「その5」は「ついに開戦」となるはずでした。

 でもしばらくさぼっている間に終戦記念日が終わってしまいました。 そしてその間にまた朝日とか毎日とかが言論の自由について何やら言っていました。

 それで今回は開戦を飛ばして、ペロポネソス戦争時の言論の自由について書くことにしたのです。

 もしこれで皆様の暇つぶしになったら嬉しいです。
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