
なぜこうなったか?
ソ連崩壊後、北方領土から北海道に渡航するロシア人が増えたからです。
ソ連崩壊の頃、ワタシは小樽港の近くの会社でバイトをしていました。
ソ連崩壊後、小樽港にもソ連からの船が沢山くるようになり、ロシア人が沢山きました。
レーピンの絵から抜け出したような老婆や、トルストイの「美人」そのもののような白皙の美女が小樽の街中をうろうろと歩いているのは、なんとも不思議な光景でした。
この人達はただ外国に行けるようになった事が嬉しくて、とにかく来てみたという感じでした。
港の近辺には大量の中古車が置いてありました。
ロシア人達が中古車を買って、ソ連に持っていくのです。
埠頭にはソ連から来た船が沢山停泊していました。 皆、全長20~30mの中型船で、船体はボロボロに錆びて、殆ど何の手入れもされないまま、何十年も使い続たらしいオンボロ船ばかりでした。
これでホントにオホーツク海や日本海を渡ると思うとゾッとするような船ばかりでした。
ソ連物産展みたいなのが開かれた事もありました。
ワタシは喜んで見に行き、ロシア民芸のお盆とロシア漆器のゴブレットや小鉢、それに凄く甘いお菓子などを買いました。
民芸品を売っていた男は非常日本語がうまくて、ワタシが色々買ったので、小さなゴブレットをオマケにくれました。
お盆は黒い金属製で、一面にエナメルで美しい花が描いていありました。
ワタシは朝食のパンと紅茶はこのお盆で食べているのですが、花の絵は次第に色あせて今は真っ黒な無地のお盆になってしまいました。
それで前々からまた同じタイプのお盆を買いたいと思っていたのですが、こんな戦争になってしまいました。
でも当時、日本人は皆ソ連が崩壊した事を喜んでいました。 これでソ連の脅威はなくなると思ったからです。
そしてソ連崩壊後、ロシア人をできる限り助けていけば、ロシアはもう日本の脅威ではなくなると思ったのです。
実際ソ連の崩壊で軍事的な脅威は激減したので、北海道にあった自衛隊基地の多くで人員が削減されたし、廃止になった基地もあります。
基地が地元経済を支えていた自治体は必死に存続を訴えましたが、しかしダメでした。
札幌の真駒内基地でも人員が大幅に削減されて、師団から旅団から格下げになりました。
それで雪祭りの真駒内会場がなくなりました。
当時の札幌市長は民主党で極左でしたが「真駒内基地の人員削減やめてくれろ」「雪祭りの真駒内会場続けてくれろ」と頼み込んだのですが、勿論ダメでした。
雪祭りの真駒内会場って自衛隊真駒内基地なんですが、ここは地下鉄駅の真向かいで交通至便なのです。
それで雪祭りでは大通り会場より更に巨大な雪像が並び、それに滑り台などがついているので子供には大人気だったのです。
ソ連崩壊から一年余り経つと、小樽港に来るロシア人は減りました。 お婆さんや美女などただ外国へ来たかったという感じの人はいなくなり、中古車のブローカーなど仕事で来る人だけになりました。
それかで小樽で見かけるロシア人は人相の悪い男ばかりになりました。
で、コイツラは北海道に慣れると、銭湯に行くようになったのですが、サウナでお酒を飲んで騒ぐようになりました。
それで銭湯側が「外国人お断り」にすると、今度はロシア人以外の外国人が「差別反対」と騒ぎました。
でもこれを後で知ったのですが、ロシア人は仲間同士でサウナでお酒を飲んで楽しむ習慣があったのです。
サウナでウォッカをしこたま飲んで、冷たい水風呂に入り、冬なら雪の上を裸で転げまわって、体が冷えるとまたサウナに入りウォッカを飲む。
楽しそうだけれど、心筋梗塞や脳梗塞の危険が一杯です。
そしてそんなの日本の銭湯でやられたら大迷惑です。
ともあれロシア人とのトラブルはそれぐらいでした。
だからそれ以上ロシア人を忌避する必要はありません。
中古車のブローカーは、道内で中古車を買って埠頭まで運転していくのだから道路標識にロシア語があれば連中だって助かるでしょう?
それで稚内など特にロシア人の多く来る地域ではロシア語の標識ができたのです。
因みにロシア人、ロシア人と書きましたが、北方領土の住民の4割はウクライナ人なのだそうです。
昭和の大横綱大鵬関のお父さんもロシア人と言われていたのですが、実はウクライナ人です。
ソ連時代全ての人民が身分証明書の携帯義務があり、その身分証明書には民族名が記載されていました。 その記載が「ウクライナ人」になっていた人達です。
ウクライナの独立は1991年でソ連崩壊の2年後です。 だからそれまで「ウクライナ人」と言うのは民族名であって、国籍ではないのです。
今現在、北方領土に住む「ウクライナ人」は、ウクライナ国籍を取っているのか、それともロシア国籍を取得しているのかわかりません。
ソ連共産党政権は人口飢餓でウクライナ人を400万人も餓死させるようなことをしました。
しかし帝政ロシア時代から今回の戦争までは、ロシア人がウクライナ人を迫害したり差別したりした事はありません。
だからロシア人とウクライナ人の関係は良好でした。
だから戦後すぐに北方領土に移住したウクライナ人からすれば、敢えてウクライナに帰る必要も感じなかったのでしょう。
しかしこれからはどうなるのでしょうか?
ワタシはロシア語の標識はそのままで無問題だと思います。
この戦争でロシアは一段と国力を削がれるでしょうから、ロシア軍の上陸はまずありえないでしょう。
国防上問題なのは中国語やハングルの標識でしょう?
撤去するなら中国語とハングルの標識を先に撤去するべきです。
ワタシは今回のロシアのウクライナ侵攻は、ホントに絵に描いたような侵略戦争で、100%ロシアが悪いと思っています。
だから日本は民主主義国家の一員として、ウクライナを全面的に支援するべきだと思います。
しかしそれで標識の撤去など、意味のないことをやるのはみっともない限りだと思います。
まして在日ロシア人への嫌がらせとか最低です。
そもそもワタシ達日本人にはロシア人とウクライナ人を見分ける事もできません。
見分けても来ませんでした。
そのような立場でロシア人への嫌がらせなど、やっていいわけもないのです。