その通りです。
しかし「自己責任」を完全に放棄すると、最終的には「個人」なんていらないと言う話になります。
つまり個人の意思や人格と言う物を、完全に放棄して、全て国家が管理するべきと言う話になるのです。
だって国家が個人の問題の全てに責任を持たなければならないのですから、個人の意思で好きな事をさせておくわけには行きません。
飼い主がペットを管理するように、国家が国民個人個人の生活に全て干渉し、管理しなければならなくなります。
これは国家による人間の家畜化です。
子供やペットは責任を問われません。
犬が人を噛んでも、猫が他家の小鳥を襲っても、責任を問われません。
責任を問われるのは飼い主です。
だから飼い主としては、犬はつなぎ、猫も内飼いにして、勝手に出歩かないようにしなければなりません。
それで犬や猫がストレスを溜めないように、去勢や避妊も当然の義務になっています。
哀しいけれど、犬や猫であっても、その行動や安全に責任を持つとなると、彼等の自由を奪い、去勢や避妊までせざるを得ないのです。
その代わり、こうやって飼われる犬や猫は、野良犬や野良猫に比べて遥かに安全に長生きできます。
ワタシはこんなことは絶対に嫌なのですが、大変不思議な事ですが、所謂左翼と言われる人々は、これを切望するのです。
彼等はおそらく国家と言う優しい飼い主が、自分達を安全に快適に暮らせるように守ってくれる社会を夢見ているのでしょうね。
しかし人間が自由意志を放棄して、本当に幸せに暮らせるのでしょうか?
イラクの三馬鹿事件を思い出して下さい。
第二次湾岸戦争の直後、イラクの治安が非常に悪化していたので、日本政府はイラクへの渡航を禁止しました。
ところが三人の馬鹿が、その渡航禁止を無視してイラクに入国し、早速地元の武装勢力に捕まりました。
武装勢力は三馬鹿を人質に、日本政府に対して、イラクへの自衛隊派遣を中止するように求めました。
すると三馬鹿の親兄弟が、揃って日本政府に武装勢力の要請に従うように要求しました。
この時、多くの国民が「自己責任!!」と言ったのです。
政府の渡航禁止命令を無視してイラクに行ったのだから、安全確保は自己責任であると言うわけです。
ワタシもその通りだと思いました。
危険地域で活動するのは自由ですが、しかし日本政府には彼等の安全を確保する義務はありあせん。 自分の責任で安全を確保し、ダメなら自分の命を喪うしかないのです。
でも自己責任で行動する限り、政府に逆らって危険地域に入り行動することができます。
しかし政府の命令を無視して危険地域に入り、危険になれば政府が責任をもって助けろと言われたら、政府はどうしたら良いでしょうか?
外交は国家の安全を守る為に極めて重要です。
その外交上の約束を一部の馬鹿の為に、覆すようになれば、日本と言う国はもうマトモな外交ができなくなります。
だからどんな馬鹿がどんなに馬鹿な事をしても、国家がその安全に責任を持てと言う話になれば、国家としては最初から国民の海外渡航を厳しく制限して、馬鹿な事をやりそうな人間は絶対に国外に出さないようにするしかないのです。
つまり猫が事故に遭わない為に、内飼いにするのと同じことをやらなくてはならなくなります。
こんなこと、国民にとって良い事でしょうか?
そもそも自由と責任は磁石のプラスとマイナスのように、セットなのです。
自由意思を持つ、自分の意思で物事を決定できると言う事は、その決定の結果は自分が受け入れると言う事です。
好き放題やって、不味い事が起きたら、他人にしりぬぐいをしてもらうと言う訳にはいかないのです。
なるほど厳しい状態に追い込まれたときに自己責任を問われるのは辛い事です。
しかしそれを引き受ける事で自己の自由が保障されるのです。
だから自己責任を放棄してしまうと、自由も喪います。
自分の意思で物事を決めて、自分の意思で生きる事ができなくなるのです。
ところが左翼と言われる人々は、どうもこの理が理解できないのか?或いはそもそも家畜になりたいのか、ひたすら「自己責任」を忌避します。
彼等にとっては何でも国家が面倒を見てくれる社会が理想のようです。
だからワタシは彼等を家畜的な人間だと思っています。
奴隷根性の持ち主と言うが一般的な表現だとは思いますが、しかし奴隷の中にはイソップやエピクテトスのような人もいるので、左翼とは違う気がするのです。
来世は鶏にでも生まれて、ブロイラーとして一生ケージで暮らせると良いですね。 これなら飼い主が生涯、完全に平等と安全を確保してくれますから。