それでは何でこんな駄文を取り上げるかと言うと、この駄文に左翼の本質が表れているからです。
だからグダグダの駄文で読みたくない人の為に一応要約します。
「生活保護でもパチンコで遊ぶ権利はある」こうした主張に多くのサラリーマンが不快感を抱く根本原因 2023年6月15日 プレジデントオンライン
世界は等価交換と贈与交換でできている。
等価交換とは物の売買や労働契約のような、貨幣経済の通常の売買契約のような交換。
贈与交換とは親が子を扶養したり、子供が親を助けたりするような無償の贈与。
サラリーマンは等価交換の価値観だけに嵌ってしまい、贈与交換の価値観を忘れている。 だから生活保護受給者が労働と言う対価なしに保護費を得る事を納得できない。
>「この人たちが今、仕事ができない・収入がないのは、社会の責任でもあるわけだから、社会から贈与を受けてしかるべきだ」という考え方が生まれるはずです。しかし、そこへはなかなかたどりつかないのが現実です。
しかしこれだけの事で6ページにもなる長文になるのは、この話の前に労働に対する価値観が変わったと言う根拠不明の解説、この話の後にやはり長い長い差別や嫉妬に関す話がくっついているのです。
でもこの前後の駄文は面倒臭いのでパスします。
で「「生活保護でもパチンコで遊ぶ権利はある」こうした主張に多くのサラリーマンが不快感を抱く根本原因」についても著者の理論を読んで、まずワタシが思ったのは「この人今まで、人を助ける為に自分のお金を出した事はないだろう。」でした。
ワタシがこの等価交換と贈与交換の話を読んで思ったのは、この著者とは真逆の話でした。
つまり、サラリーマンが生活保護受給者がパチンコで遊ぶ事に憤るのは、それが正に贈与交換であるからです。
「病気等で生活に困っている」と言う理由で、贈与されたお金をパチンコなどで浪費するのがケシカランから憤るのです。
自分の労働や才覚で稼いだお金なら、その人がどう使おうと他人が文句を筋合いは全くないのですが、しかし贈与されたお金はそうはいきません。
だって人に物やお金を贈与した事があれば誰でも思います。
その贈与を受け取った人が、それに感謝して有効に使ってくれる事を期待します。
だから人から金品を贈与された場合は、それがどんなつまらない物でも、丁重に礼を言い貰った物を粗末に扱わないのが礼儀です。 それが結婚式の引き出物や葬式の香典返しのような極めて形式的な贈与であっても、貰った物は低調に礼を言って持ち帰り、使い道がなくても、長い間押し入れにしまって置いたりするのです。
贈与された物は贈与してくれた相手の気持ちを考えて、相手の気持ちに沿った扱いをするのが贈与交換の原則ではないですか?
これは親子でも同じです。
この著者はサラリーマンは等価交換の価値観に嵌り、贈与交換の価値観を忘れていると言うのですが、しかしそれはあり得ません。
サラリーマンの大多数は結婚して子供を扶養しているし、また親の介護をしたり、親に仕送りをしている人も少なくないのです。
サラリーマンの生活が苦しいのは、自分個人の生活の為ではなく、家族への贈与交換の為だからです。
勿論、それ以外にも親族や友人とは贈与交換を繰り返しているのです。
そしてそういう自分の日常の贈与交換では、贈与をした相手は、金銭や勤労はともかく精神的には自分の贈与に応えてくれるのです。
親が子供の学費を出してくれたら、子供は親に感謝して、親を愛し、子供なり努力して努力して親の期待に応えようとするのです。
そういう関係が切れてしまえば、いかに親兄弟と雖も、贈与交換は続きません。
苦労して学資として仕送りしたお金を子供がパチンコで浪費したら、どんな親でも怒り狂います。
そしてその状態が変わらないなら仕送りは止めてしまいます。
生活が苦しいと言うので親に仕送りしていたお金を、親がパチンコで浪費したら、子供は怒って仕送りを止めてしまいます。
まして困窮した友人を助ける為に金銭の援助をしたのに、その友人がパチンコ通いなどしたらもうそれで絶交でしょう?
生活保護も国家が一方的に受給者を助けると言う意味では贈与です。
とすればその国家の主権者たる国民、特に生活保護費の原資である税金を払っている納税者は、受給者に相応の生活態度や努力を期待するのは当然です。
勿論、病気や高齢で働けない人が、働けるようになるなど無理な事は期待していません。
しかし生活保護を受給しているなら、その保護費を与えてくれる国と納税者に感謝して、保護費は大切に使う事を心がけるのは当然でしょう?
それをパチンコに通うとは、どう考えてもオカシイ、許せないと思うのは当然です。
だってパチンコに通う体力があるなら働く事もできるはずです。 因みにパチンコで勝った場合は、その勝ち分は収入になりますから、本来その分の生活保護費は減額するべきです。
でも減額に応じる気がないから、パチンコをやるのでしょう?
こんなの許せるわけはないのです。
因みにワタシは生活保護自体は絶対必要な制度だと思っています。
ワタシは難病患者なのですが、難病(特定疾患)に限らず、長期療養を要する慢性病などを抱えた人にとって生活保護だけが唯一のセーフティネットです。
障害なら障害者年金など他のセーフティネットがあるのですが、働けないけれど、しかし障碍者認定の要件を満たさない場合は、そういうセーフティネットはないのです。
だからこの制度がない場合、こういう病気を抱え、これと言った資産もない人の生活は非常に悲惨な事になります。
そして現実に生活保護を受給している人達の多くは、こうした病人や高齢者なのです。 だから医療費が生活保護費の半分にもなると言うのは、実は生活保護制度が本来の目的を果たしていると言う事です。
病持の身で言えば、働けないから生活保護を受けるような状態で、何でパチンコに行く体力があるのだろうか? これはどう考えてもオカシイのです。
そして再度書きますが、これが自分で稼いだお金なら、どんな使い方をしても自由です。
でも贈与されたお金なら、贈与してくれた人達に対して精神的な責任を負うのです。
ところがこの著者は「贈与された物は俺の物。 だから俺が100%自由に使える。」と言う発想なのでしょうか?
ワタシはこの人程寛大ではないので、この考えには全然同意できません。
そして思うのです。
この人は人に贈り物をして、それが粗末に扱われても、腹が立たないのだろうか?
こんな結論を出す所を見たら、実はこの人は他人に贈り物をしたり、他人の為にお金を出したりした事がないのではないか?と。
で、実はこれは前々からこの著者のように、やたらに綺麗ごとを言いたがる人達に関してずうっと感じていた事です。
因みにこの記事は労働の意味がどうたら、差別や嫉妬がどうたらと言う駄文が延々と続き、最後は「綺麗ごとを言うのも必要だ」と言う結論に達しています。
しかしホントに他人を助ける為にお金を出す気はさらさらないのではないかとしか思えないのです。
だってホントに他人を助ける為にお金を出した経験があるなら、そのお金がパチンコのような事で浪費された時の憤りは理解できるでしょう?
自分のお金を出す気がないから、浪費されても平気なんじゃないですか?
左翼って皆そうですが綺麗ごと大好きなのです。 入管難民法反対でも、LGBTでもひたすら綺麗ごとを言って騒ぐのです。
そうですか?
そんなに不法滞在外国人がカワイソウですか?
だったら君たちが自費で彼等に仕送りしてあげたら良いではありませんか?
彼等は難民じゃないのです。 唯、日本での生活の方が安楽だから日本に居座るだけなのです。 だったら彼等が祖国で安楽に暮らせるだけのお金を君達が仕送りすれば済む話です。
でも、そういう事は絶対にしないのです。
自分のお金を出す気がないから、幾らでも綺麗ごとを言えるんです。
この記事はそういう左翼の本性を明確に表しています。 だから今回紹介する事にしたのです。