宗教
宗教の皮を被れば、どんな残虐な行為も妨げられることは無い、と言っても良いのではないのか。
被害者と言う名を得れば、何でも特権が与えられる韓国と似たようなものではないだろうか。
人口の数だけの思想が宗教ならば許されるのだろうか、人口の数だけ意見が許されるのだろうか?万人の万人による戦いが許される訳だ。合理的な考えの共産主義は宗教を制限したのも解る。
宗教弾圧と言う言葉に踊らされていないのだろうか。
国会議員だって収入は全て公開されている、宗教が全くの手つかずと言うのは納得いかない、無税という特権も許されるのだろうか?
オーム真理教が禁止されて人類の幸福が妨げられる可能性が何かあったとしても、明らかに不幸になった人の犠牲を許容できるのだろうか?
このコメントは反統一教会キャンペーンの中で多くの人が持たれるであろう疑問を上手く要約されていると思うので、コメントに返信するだけでなく、ここで改めてワタシの考えを述べさせていただきます。
宗教の皮を被れば、どんな残虐な行為も妨げられることは無い、と言っても良いのではないのか。
被害者と言う名を得れば、何でも特権が与えられる韓国と似たようなものではないだろうか。
まずこれはあり得ません。
統一教会についても過去に行った不正で強引な布教活動については違法と言う判決が出ていますし、同様に強要した献金にも返還命令が出ています。
そして統一教会側もそれに従っています。
例えば安倍総理暗殺犯の母親は1億5千万円の献金をしたのですが、これに暗殺犯の伯父が返還訴訟を起こして取り戻しています。
つまり違法な献金は返還させることができるし、統一教会側は裁判所の命令に従って返還したのです。
但しこの暗殺犯の母親はこのお金をまた統一教会に献金してしまいました。
彼女は今も健在で「信仰を守りたい」と言っています。
統一教会については多額の献金や家庭破壊を問題にされていますが、しかしこうした経緯を見る限り、明らかに献金も信仰も暗殺犯の母親の意思なのです。
勿論、親から受け継いだ膨大な遺産を献金し、家庭を捨てると言うのは、家族から見れば大変な災難だし、そういう事をすれば当人も大変不幸になる‥‥とは思います。
でも財産の使い方など、その持ち主以外が口を出す事などできないし、幸か不幸かなど当人の判断としか言いようがないのです。
人口の数だけの思想が宗教ならば許されるのだろうか、人口の数だけ意見が許されるのだろうか?万人の万人による戦いが許される訳だ。合理的な考えの共産主義は宗教を制限したのも解る。
人口の数だけ宗教は許されますし、人口の数だけ意見も許されます。
例えば統一教会はキリスト教を名乗ってるのですが、実はキリスト教には他に多数の宗派があって、その中にはカルトも多数あります。
本来一神教で聖書と言うコンパクトなマニュアルがあるのに、その聖書の解釈、そもそも聖書その物に対する評価などで、ドンドン宗派が増えているのです。
しかも同じ宗派の中でも、信仰の在り方は結局個人個人によって違うので、実質的にはキリスト教徒の数だけキリスト教の宗派があると言う事です。
しかし「万人の万人に対する戦い」にはなりません。
なぜならオウムのような一部のカルトを除いて、殆どの教団や宗派は他宗や異教徒との意見の違いで、暴力沙汰を起こそうとは思わないし、また暴力を使えば刑事事件として取り締まりの対象になります。
前記のように宗教の自由は、宗教の為ならどんな事で許されるわけではなく、一般の法律に違反すれば普通に罰せられるのです。
但し処罰の対象になるのは、その行為だけです。
これは個人でも一般の企業などと同様です。
一般の企業が違法操業や違法営業をしたら、その違法操業や違法営業は禁止されるし、それにかかわった経営者等は相応の処罰や罰金が科せられます。
でもそれで即企業の解散にはなりません。
宗教弾圧と言う言葉に踊らされていないのだろうか。
全然踊らされていません。
むしろ踊らされているのは、マスコミの扇動に乗っている人達だと思います。
今、テレビと新聞は、統一教会に入信したことで不幸になった人々を、その家族を取り上げて視聴者の感情を煽り、「だから統一教会を禁止しろ!!」「統一教会とズブズブだった安倍総理と自民党はケシカラン!!」「統一教会とズブズブだった安倍総理の国葬は許すな!!」と世論を作ろうといています。
カルトが問題である事は事実ですが、しかし宗教は内面の問題であり、その内面に国家が踏み込む事がどれほど危険かを考えているのでしょうか?
そもそも「宗教の自由」「宗教弾圧の禁止」と言う概念は、ヨーロッパの宗教戦争の過程で生まれました。
カソリックとプロテスタントがお互いに、自分を神、相手を悪魔として、徹底的に殺しあったのです。
しかしその結果の戦争が酸鼻を極め、いつまで続けても行き着く果てがなかったのです。 そこで認めたのが「宗教の自由」です。
そして宗教戦争が悲惨になるもう一つの理由は、宗教と言うの内面の問題だからです。
人の内面は夫婦や親兄弟にもわかりらないのです。
そこに国家が入り込もみ制限したり禁止したりしようとすれば、疑義を持たれた人を拷問にかけ、挙句に処刑と言う事になります。
宗教戦争はこれを際限もやりあったのです。
でも内面の問題ですから、どんなに多数の人を処刑しても、これで完全に消えたと言う保証はないのです。 だから延々と殺し続ける事になります。
だからもうそれはやらない。
絶対やらないと決めるしかないのです。
だから近代国家では思想・宗教・信条の自由、内面の自由は保障するのです。
因みにワタシはこのお盆に大枚5000円だして、よもさんのお葬式と火葬をお願いした神社で、お盆に儀式に参列しました。 神社でお盆とか凄くインチキ臭い話だとはわかっていたのですが、それでもよもさんの為に何かできる事が、ワタシの心の慰めになりました。
妹は呆れていましたが、それでもワタシの気持ちをわかってくれました。
日本には昔から願い事をするのに水垢離とか百度参りなどが行われています。
これも一種の宗教行為で肉体的に非常に過酷ですが、それで神社やお寺が利益を得るわけではありません。 だから神社やお寺が薦めるわけでもないのです。
勿論効果なんか全く期待できないのです。
それでもお百度参りをしたり水垢離をする人達は、何もできないよりも何かをやれるほうが良いから、何もできない事に耐えられないからやるのです。
宗教ってそういうモノじゃないですか?
そういうモノを簡単にカルトとマトモな宗教、騙されての献金と正常な献金に分けて、国家が干渉できるのでしょうか?
国会議員だって収入は全て公開されている、宗教が全くの手つかずと言うのは納得いかない、無税という特権も許されるのだろうか?
宗教法人も宗教活動に関係ない経済活動には課税されています。
因みにアメリカでは、非営利団体は非課税なのですが、非営利団体は政治活動を禁止されています。
多くの宗教団体も非営利団体として登録しているので非課税なのですが、その代わり政治活動はできません。
これは日本でも考えてよいと思います。
但し宗教団体への対応は、アメリカやフランスのようなわけにはいない面があります。
アメリカもフランスも革命により君主制を完全に廃止した国なのですが、イギリスなど君主制を残している国はそう簡単にはいきません。
君主が教会の権威と密接な関係があるからです。
これは日本も同じです。
天皇陛下と神道の関係を断ち切るのは不可能だし、そんな事をすればそもそも日本と言う国家のアイデンティティを否定することになります。
天皇陛下の御公務には神事た多数含まれているし、伊勢神宮の斎宮は皇族の女性が務める事になっています。
こういう状況で宗教と政治をバッサリと切り分けるのは、無理です。
だから宗教法人の扱いは非常に面倒になります。
オーム真理教が禁止されて人類の幸福が妨げられる可能性が何かあったとしても、明らかに不幸になった人の犠牲を許容できるのだろうか?
今回の反統一教会キャンペーンの旗振り役である紀藤弁護士は、実はオウムの破防法適用に反対していました。
統一教会にも色々な悪事を働いた事は事実ですが、しかしオウムのように多数の殺人を行ったわけではありません。
それなのにオウムの破防法適用を反対した人間が、統一教会は徹底的に弾圧しろと言っているのはなぜでしょうか?
どんな宗教でも違法行為があれば、それは処罰するべきです。
そして前記のように実際に処罰されています。
しかし「明らかに不幸になった人の犠牲」と言われても、人の幸と不幸は個人の主観です。
当人の主観でしかないのです。
例えばカソリックの修道院に入るには、多額の寄付金が必要で、しかも修道士・修道女になる場合、長上の人々への絶対服従を誓い、非常に過酷な規律を課せられます。
修験道や仏教の修行だって非常に過酷な物があります。
これは宗教心のない人間から見れば非常に不幸な生活、と言うより悲惨な生活です。
でも修道士や修行僧になる人は、その生活を望んでなるのです。 彼等にとってはそれが校風な生活なのです。
今現在伝統宗教として問題にされていない宗教、教団も実はその教祖の時代には、社会問題を起こしてカルト扱いされています。
実際、家族を捨てて入信する人々が続出したり、財産を捨てたりして、社会問題を起こしていたのです。
一遍宗なんて一遍上人の説く極楽浄土にあこがれて、一遍の説教に感動した人々が次々と入水自殺しています。
だから当時の幕府は一遍上人を流刑にしました。
今だってこんなことになれば、禁固刑を食らうでしょうね。
でも宗教を信仰する人がそれがその人にとって必要だから、信仰しているのです。
それを宗教に無関心な人から見れば馬鹿馬鹿しいとしか言えないのですが、しかしそれは全てその人の内面に由来する問題だから、他人が口を出す話ではありません。
そもそも統一教会が悪行を極めてのは、20年以上前教祖文鮮明の壮年期まででした。
しかしそのころは統一教会の悪行は散発的に報道されても、現在のような連日の反統一教会キャンペーンはありませんでした。
そして現在の統一教会は教祖も死後久しく、教団は分裂し信者は高齢化して、昔の勢力は見る影もなく、その為この10年来刑事事件も起こしていません。
それなのに何で今になって、こんな盛大な反統一教会キャンペーンになるのか?
その方が統一教会より余程不気味で恐ろしいです。
ワタシとすればカルトが多少の悪さをするより、国家がカルト禁止を盾に国民の内面に入り込む方がよほど恐ろしいです。