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2018-09-08 22:05

札幌大停電 その2

 9月6日の地震に伴う停電も、9月7日の夜には終わりました。
 結局停電していたのは40時間ほどでした。

 しかしこれだけの期間、街中で電気のない生活と言うのは、初めての体験なので、考えてみると色々興味深い事もありました。

 思い当たる事を少し書いてみます。

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 闇夜は明るい

 8日午前3時ごろ、よもちゃんがお外に遊びに出ました。 30分程しても帰らないので、ワタシは猫探知機を持って探しに行きました。
 7日午後8時ごろまでは、満天の星空だったのですが、その後雲が出たようです。 この時空には全く星はなく、月もないので、真の闇を想像しました。

 しかし実際に外に出てみると案外に明るく、懐中電灯なしでも、普通に道を歩くことができました。 遠景も近景もきっちり見えました。
 人間のワタシでこれですから、よもちゃんもには何の不自由もないわけです。

 お陰でよもちゃんは好き放題遊びまわっているのか、近所を一回りしてもなかなか見つからず閉口しました。

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 蝋燭は明るい

 夜、蝋燭を点けてみました。 この蝋燭はクリスマスに使った残りです。
 クリスマスにこれを点けた時は、明るいとは思わなかったのですが、しかし電灯と言う物が全くない状態では随分明るく思えました。
 蝋燭一本で、食事や食器洗いができました。
 なるほどこれなら昔の人も夜なべができたと納得しました。
 蝋燭の明かりで舞踏会を開く中世貴族の感覚も分かった気がします。
 
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交通整理

 6日未明から停止した信号の代わりに、警察官が交通整理をしていました。
 二人一組で主な通りの交差点に立ち、警笛と手信号で車をさばいていました。
 警察官もまたドライバーもこんな事には全く不慣れだと思ったのですが、しかし双方、早朝から見事に対応して、トラブルは起きませんでした。
 それでも6日夜になると、警官の手振りも一段と上達したのか、まるで切れの良い舞踏のようなカッコよさでやっていました。

 昨日、キラキラさんから頂いたコメントでは、薄野でも全く混乱はなかったそうです。
 地震による停電と言う事態でも、市民がみな冷静に対応したことは誇りに思ってよいでしょう。

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バーベキュー 
 
 6日には発寒川河原でバーベキューをしている一家を見かけましたが、7日の昼にはお隣一家がバーベキューをしていました。
 学校もお休み、お父さんもお休み、子供達はホントに楽しそうでした。 
 でも「夕べは真っ暗で子供達が怖がったのでは?」と聞いたら、子供達は8時過ぎには寝てしまったそうです。

 因みにツィッターを見たら、この二日間、バーベキューをした人は沢山いました。
 冷蔵庫が使えず肉は置けない。 家の中は暗いし換気扇も使えない。
 だったら外でバーベキューすればよい。
 皆考える事は同じですね。

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消費税
 
 スーパーやコンビニは停電中も頑張って営業していました。 しかしレジが使えない、銀行が休業中での営業なので、消費税の計算と釣り銭の確保は大変だったでしょう。 今度から災害中の営業は消費税を免除する事はできないでしょうか?

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泊原発

 ネットでNHKのニュースを見ると、今回の停電の原因は、苫小牧厚真発電所の停止だと言います。 厚真発電所が道内電力の半分を供給している状態で、この発電所が地震で停止したので、道内全域がブラックアウトしたというのです。
 そしてこのように一つの発電所に供給を集中する体制を組んだ北電を非難していました。

 しかしそもそも元来、道内電力の半分は泊原発が供給していたのです。 それをいきなり不法に停止させられたのですから、厚真発電所をフル稼働するしかなくなったのです。
 
 火力発電所でも新設するには10年余はかかるのです。 それなのにどやって厚真発電所への依存を減らして、道内電力供給ができるのでしょうか?

 だから泊原発を再稼働させない限り、今後もこの綱渡りが続くのです。

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 今回の停電は幸運にも最高な季節でした。 停電の間の気温は20~25℃で推移しました。 
 だから停電による肉体的苦痛はありませんでした。 これなら市民だって十二分に冷静でいられるでしょう。

 しかし冬はそうはいきません。 
 冬にこれが起きたら死人が出ます。

 北海道は10月になればもう冬の足音が聞こえます。 一刻も早く泊発原発を再稼働させるべきです。

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 停電の間、ワタシは外をうろつくほかは、読書をしていました。 古代ギリシャに関する本を読んでいたのですが、電気のない夜を経験したことで、古代の人々に少し近づけた気がしました。

 地震で大被害を受けた人達、停電で仕事のできなくなった人達の事を考えると大変不謹慎ではありますが、ワタシ個人にすれば非常に興味深い体験でした。

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 7日の午後遅く、散歩に出ると、家のすぐ近くの信号が動いていました。 そしてその信号のある通りに沿った店やマンションに明かりがついていました。
  
 ??

 いぶかしく思いながら進むと、同じ通り沿った所は、信号も電気もついていました。 しかし別な通りでは信号も電気もついていません。
 どうやら電線に沿って、順繰りに停電が回復しつつあるようでした。

 たった一日半の停電だったのに、電気の点いた窓はとてもシュールに思えました。

 そして電灯の店の一部は営業を始めていました。 但しスーパーでは生鮮食料品などの棚は見事にカラでした。
 それでも店の中に入ると楽しい気がしました。

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 7時前に帰宅した時は、我が家はまだ電気が点いていませんでした。

 そこでまた蝋燭の明かりで夕食を取り始めたのですが、食事中に突然電気が点きました。

 するとそれまで輝いていた蝋燭の光が色あせて、何か魔法が解けたような不思議さで日常世界が戻ってきました。

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 とりあえず停電の間、世の中では一体何が起きていたのだろうか?
 
 確認しようとネットを立ち上げると、妹から心配のメールが来ていました。 兵庫の兄からのメールもありました。
 妹のところは朝から電気が点いたようです。 
 
 そしてワタシのブログにも、ワタシとよもちゃんを気遣うコメントを沢山来ていました。
 本当にありがとうございました。

 今日も少し買い物にでましたが、まだスーパーの棚の多くは空のままです。 ここが埋まるのはまだしばらくかかるのでしょうね。

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 因みにこんな地震がなければ、この週末はワタシは妹や妹の友達のミリオタ氏達と苫小牧港へ南極観測船「しらせ」を見学に行く予定でした。
 でも「しらせ」の見学会は中止になりました。

 「しらせ」のクルーは今はこんな事をしているので、見学者の相手どころではないのです。
 
【北海道胆振東部地震に係る災害派遣】 9月7日、海上自衛隊 砕氷艦「しらせ」と掃海艇「いずしま」は、生活支援(給水、入浴、携帯電話等充電、医療相談)を行いました。 しらせ乗員は引き続き、おにぎり1000個を艦内で握り、むかわ町などに届けました。

 今、苫小牧に続々と支援の為の海上自衛隊の艦艇が続々と集結していて、お風呂に入れたり、携帯の充電を助けてくれたりしています。 
 
 また今回の最大被害を受けた苫小牧市や厚真町の近くの東千歳意市には、日本唯一の機甲師団第七師団も駐屯しているので、この第七師団も救援に入っているはずです。

 だから軍オタの皆様が涎を垂らすような豪華メンバーによる救援になっているでしょう。

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 いいな、いいな、ワタシも自衛艦のお風呂にはいってみたいな。

 こんな不謹慎な事を考える奴もいるのでは?
 
 自衛官の皆様ご苦労様です。
 こんな不謹慎奴はぶん殴っても構いませんから、どうか被災して困っている人達を助けてください。
  1. 個人的体験から
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2018-09-07 22:42

札幌大停電 その1

 今日(9月7日)夜7時過ぎ、停電が終わりました。
 パソコンを立ち上げると皆さまからご心配のコメントが沢山入っていました。 ありがとうございます。

 それで停電中、ネットが使えない状態でi-padに書いていた事を、少し整理してエントリーします。

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 9月6日 午前3時地震で目が覚めた。


 揺れが始った直後に停電し、電気が消えた。 


 ネットも使えないので震度は不明。 しかしこれまで体験した最大の揺れだから、震度5はあったのではないかと思う。


  その後、10分から20分程して余震があり、これは震度3程度。

  さらにまたその後10分から20分で再度同レベルの余震があった。


  4時前になり、よもさんが外へ出たいと言うので、一緒に外へ出た。 街路灯は全部消えて、真の闇。 気になって北一条通りまで出て見たら、信号も止まっており、市内完全停電のままらしい。


  6時に再度余震。 これは震度2程度。

 停電は続いたまま。


 深夜の停電とは言え、3時間も回復しないのは、尋常ではない。 


 我が家は棚の物が少し落ちただけで、被害はなく、また近所を見る限り、停電以外には何の異常もみられない。


 しかし通勤時間前に信号が回復しなければ、大混乱になるだろうから、本来なら北電側も必死で回復に努めているはずだし、また一見市街には被害らしき被害はがないところから見れば、電力関係施設にだけ大被害が出たとは考えられない。


 一体なぜこんなに停電がつづくのか?


 6時10分頃また余震。 震度1程。


 これで余震が4回。


 震源地が札幌の直ぐ近くなら、この地震は何の問題もない。 しかし震源地が遠くて、札幌がこの震度なら震源地付近では大変な惨事になっているはず。


 情報が全くない状態なので、大変気味がわるい。


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 7時前、また外に出たが、北一条通りでは警察官が、交通整理をしていた。


  通りかがりの人達に聞くと、震源地は苫小牧で、震度6.8だったと言う。


 火力発電所がやられたので、道内全域が停電し、信号も道内の1パーセント程しかうごいていないという。 そして夜まで回復できない可能性も高いらしい。


 こうなると今日はもう道内全て機能麻痺だろう。 病院等は自家発電でなんとかなるだろうけど、普通の会社は仕事にならなだろう。


 スマホは普通につかえるので、スマホのある人達はある程度情報を得ている。

 そして停電が長引きそうだという事で、コンビニでは既に乾電池などが売り切れになっているという。


 10時頃、妹、来訪。

 妹のマンションも停電でエレベーターが使えず大変だが、部屋に被害はないという。 


 しかし車に搭載されたテレビは使えるのでそれを見たら、凄い被害が報道されており、兄や四国叔母からも、安否確認の電話があったとの事。


 経済活動はやはり全部止まっているようで、妹の友人の会社も休業したとのこと。 電話もパソコンも使えず、玄関の電動シャッターも開けられない。

 ガソリンスタンドも全部休業しているので、車のガソリンも大事に使わないといけない。


 地下鉄も市バスも全部運休。


 11時、妹帰宅。


 それにしても空は晴れ、気温は25度弱か? 非常に快適。

なぜか非常に静かで、深刻な災害など嘘のよう。

 

 少し外出したいけど、停電が長引く事に備えて、自転車のバッテリーの無駄遣いは、避けるべき。


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 午後三時頃、それでもやっぱり気になって外へ出て見る。 自転車のバッテリーを気にしながら、琴似まで行って見た。 


 途中市の広報車に合う。 


 停電は回復に時間がかかるので、準備をして欲しいという。

 準備と言われても・・・・・。


 傍にいた人に聞くと、苫小牧の火力発電所被害を受けて、道内は殆ど全部停電とのこと。 今稼動できる発電所の電力だけでは、電圧が維持できず、ブラックアウトが起きるので、発電所が治るか、送電の調整をしなければならないのだろう。


 泊原発を稼動させて置けば、こんな事にはならかったのに。  

 安倍総理はこの際だから、泊原発の稼動をさせたらよい。


 そもそも泊原発は道内電力の過半を供給していた。 それを停止させたので老朽化して取り壊す予定だった火力発電所まで無理矢理稼働させてきた。 


 そうやって綱渡りの電力供給を続けてきた。 だから地震で簡単に転落した。

 泊原発さへ稼働していれば、こんな事にならなかった。


 泊原発を止めた馬鹿に心底腹が立つ。


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 公園の水道に行列ができていた。 聞いたらマンションの水道が出ないという。 給水タンクのないタイプのマンションは、皆水がとまっているらしい。


 因みに我が家はプロパンガスだし、水道も普段通り出るので、電気以外は全く困らない。


 琴似の近くで一か所だけ動いてる信号があった。 それが返って不思議で、青になっても暫くうごけなかった。


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 殆どの店は閉まっているけれど、お惣菜屋さんが営業していて、結構な行列ができている。


 考え見れ電磁調理器を使っている家や、水の出ない家は、沢山ある。 その上コンビニやスーパーも今日は調理食品を売っていないし、飲食店も全部休業中。

 行列ができるわけである。


  一方、店としては昨日仕入れた食材は調理して売った方が良いので、暗い店内で頑張って調理したのだろう。 


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  スーパーとコンビニには皆行列ができている。 電池、ロウソク、カセットコンロ、缶詰などを買う為らしい。 


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 琴似の八百屋で、葡萄とピーマンを買う。 ここも在庫を売り尽くすつもりらしい。 惣菜屋も八百屋も古い個人商店なので、店が暗い事を除けば、営業に差し支えない。


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 琴似の街は普段と変わらない人出、車も結構多い。 広告の騒音がないので、普段より静かで穏やかに思える。


 帰り道、発寒川の河原に椅子やテーブルを持ち出して、バーベキューをしている一家がいた。


 仕事は休み、晴天、爽やかな風。

 冷蔵庫が使えないのだから肉は早く食べてしまうに限る。

 賢明な人々である。


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 発寒川沿いのドコモ店の前を通ると、また行列。 携帯の充電をしてくれるらしい。 

 皆必死。


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 因みに公衆電話にも人が集っていた。 携帯を持っている人もいたのを見ると、携帯のトラブルも結構起きているらしい。


 5時前帰宅。


 少し読書。


 6時前に夕食を作る。 チャーハン。


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 7時、外へに出る。


 満天の星!!

 電線に邪魔されずに星空を見たいので、近所の小学校の校庭まで行った。


 昼間の雲は日没前には全部消えて、完全な晴天になていた。 停電で街の明かりが消えたら素晴らしい星空がみられると思ったけれど、その通りだった。


 8時過ぎ再度、星を見に出た。 今度は近くの公園。

 7時にはまだ残っていた太陽の残光が完全に消えて、代わり天の川が見えた。 


 札幌の市街地でこんな星空を見る事が出来るとは、思わなかった。 

 生涯一度の幸運。

 

 素晴らしい!!


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 この夜は蝋燭と懐中電灯だけで過ごしました。

 

 星空を見るよりほかには何もできないので、早く寝ました。


 道外ではこの地震について大変な映像が放映されていたようですが、こちらは停電の為一切情報が入らないので至って気楽でした。


 しかし気楽である故、電気の力を痛感させられました。


 因みに大阪の台風では、停電で冷房が止まり大変辛かったそうですが、しかしこちらは気温が20~25℃で、冷暖房なしでも素晴らしく快適でした。


 けれどももしこれが冬なら死人が出たでしょう?

 今の暖房器具の殆どは電気がないと動きませんから。


 早く泊原発を稼働させてください。

 今度の停電が夏とは限らないのですから。

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2018-09-01 20:39

「外国人に優しくしろ」と言う人々

 夕べこんなツィートを見かけました。

 悲しい。昨日乗ったバスの運転手がアジア人家族が降りるとき母親が両替に戸惑い困っているのにマイクで日本語わからないのに大声で何度も何度も両替は事前にお済ませください他のお客様の迷惑ですと連呼して焦らせるばかりで助けてあげなくてやっと払い終えたら手でしっしってして降ろした。 

 この顛末はShare News Japanと言うサイトがまとめていました。

 このツィートに対しては、多くの人がバスの運転手を非難していました。

 しかしワタシはすごく引っかかるのです。

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 確かにバスの運転手は不親切です。
 
 ではこのツィートをした人は、何をしていたのでしょうか?
 
 このツィートを読む限り、彼はこのアジア人の乗客の傍にいて運転手と彼女のやり取りの一部始終を見ていたとしか思えません。

 だったら何で自分で助けなかったのでしょうか?

 ワタシだったらこういう場合は、自分で手助けします。

 言葉は通じなくても両替の仕方ぐらいなら、身振りで教えられます。
 またバスの運転手があまりに酷いなら「言葉の分からない人に怒鳴っても仕方ないでしょう?」などと窘めます。

 しかしこれを読む限り、このツィート主もまた彼に賛同してバスの運転手を非難している人達も、そういう発想はないようです。

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 因みにワタシは正真正銘のネトウヨですが、外国人の旅行者などが困っているの見たらいつも手助けをすることにしています。

 ワタシは英語ダメ子ですが、でも一応は英検2級を持っているので、旅行者の手助けに必要な程度の会話はできます。
 また前期のように言葉が通じなくても、手助けできる事も多いのです。

 これは100%親切心だけではなく、とりあえず苦労して取った英検2級の元を取りたいという気持ちもあります。 
 実際助けてあげたら感謝されていい気分になれるので、少しは元を取り返す事ができるのです。

 但しそれは全部白人でした。

 アジア人はこれまで三回助けたけど、三度とも礼は言われませんでした。 それどころかそのうち二回は今思い出してもムカつきます。
 だから腹いせに書きますね。

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その1
 デパ地下で、中国人らしき女性の言う事が店員に通じなくて困っているようったので、通訳を買って出ました。
 彼女はワタシに和を掛けて英語が下手だったのですが、しかし少し話すと彼女の欲しがる商品はそこにはないとわかりました。
 そこでワタシは彼女にその旨を告げると、彼女はそのまま大剥れに剥れて行ってしまいました。
 自分の欲しい商品がなくて腹立たしいのはわかります。 でもそれはワタシの責任ではありません。 通訳してくれた事への礼ぐらい言うべきでしょう?

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その2
 2002年ヨーロッパ旅行中の事です。 インスブルックのホテルのエレベーターでインド人らしき一家と一緒になりました。 一家はチェックアウトする所だったのか、大量に荷物をもっていました。 幼児も3人ほど連れていました。 
 そのエレベーターは旧式なのか「開」状態でドアを固定できません。
 だからワタシは自分が降りた後、その一家が荷物と子供達を運び出すまで、ドアが閉まらないように、ドアを押さえてあげました。
 ところが彼等は会釈一つせず知らん顔を去っていきました。

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 ヨーロッパ旅行中は大勢の人達から随分親切にしてもらいました。 そしてワタシが僅かにその親切を返すと、皆丁重に礼を言ってくれました。
 だからこの時はホントに驚きました。

 一体コイツラ何なんだ?? 

 あのインド人一家も、またデパ地下の中国人も海外旅行をするぐらいだから、それ相応の所得のある人達で、祖国では下層民ではないでしょう?
 
 しかし逆に言えばそういう立場だからこそ、ふんぞり返って他人に感謝しない習慣なのかもしれません。 
 途上国の階級社会だとそういう親切をする人間は、チップを得る為にやっているという場合も多いですから。

 しかしそういう文化を持つ人達なら、バスの運転手がアジア人に親切にしないのもわかります。 おそらく彼は職業柄大勢のアジア人の客に接しており、腹に据えかねる思いを何度もさせられたのだでしょう。

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 いずれにせよワタシはあのバス運転手を責める人達に同調する気にはなれません。

 そもそも困っている人を助けなかったという点では、バスの運転手もこのツィート主も同罪ではありませんか?
 何でバスの運転手だけを責めるのですか?

 彼は職務上に必要な注意をしているだけでしょう?
 
 何より自分がする気のない親切を、他人がしないからかと言って非難する神経が理解できません。

 しかしこれが「外国人に優しい人々」の本性かもしれませんね。

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 因みにイタリアではこんなバスの運転手を見ました。

 ツバイ

 だから京都の運転手が酷いなんて全然思えませんし。 
 むしろこのイタリアの運転手の方が世界標準で、京都のバスの運転手はその世界標準にはまだまだ及ばないのです。


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2018-04-13 21:56

葬儀の後で聞いた話 学園浸透スパイ事件?

 先日から大師小さんが、学園浸透スパイ事件についてエントリーされていました。
 ワタシにはこの除勝等、在日コリアンの北朝鮮スパイ事件について、非常に気になっている話があります。

 大変古い話で、記憶も曖昧になっている部分もありますから、間違いもあるとは思いますが、記憶にある事を事を書いてみます。

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 それはワタシの父が死んで、葬儀も終わり火葬場から帰って一息ついていた時に聞いた話です。
 ワタシは叔父に従妹の消息を尋ねました。

 ワタシ達一家は昔大阪で暮らしていました。 叔父一家は我が家のすぐ近くで薬局を営んでいました。 叔父の三人の子供達と、ワタシの兄弟は同じ年頃なので、いつも一緒に遊んでいました。
 
 ワタシはその中でもワタシよりも一歳年上の従妹と特に仲良しでした。 しかし父の転勤で我が家が名古屋へ更に北海道へと引っ越した後は、全く疎遠になっていたのです。

 それでも従妹は地元の高校へ行き、そして地元の教育大学を卒業して教員になり、そして結婚したという事はしっていました。
 
 しかし叔父からその従妹の近況を聞いているうちに、いつの間にか従妹が学生時代に関わった同級生のスパイ事件の話になりました。

 それはホントに驚くような話でした。

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 従妹が大学に入学した年、従妹の高校時代の同級生が、韓国でスパイ容疑で逮捕されました。

 叔父一家、そしてワタシ達一家が住んでいた地域は、大阪でも特に在日コリアンが多い地域でした。 我が家の近所や小中学校のクラスで会ったことありません。 或いはワタシが子供だったので、そういう事はわからなかったのかもしれません。

 しかし従妹が進学した高校のクラスメートには在日コリアンの生徒が何人もいました。

 その中の一人が高校を卒業してから「祖国の大学で学びたい」として韓国の大学に進学したのですが、大学生活が始まって間もなくスパイ容疑で逮捕されたのです。

 このニュースは大阪では結構大きく報道されたようです。
 それによるとこのスパイ容疑と言うのは、この在日コリアンの学生は、韓国の大学に入学するまでの3年間北朝鮮でスパイ訓練を受けていたと言うものでした。

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 これには従妹等元同級生や教師達が仰天しました。
 だって彼は韓国の大学に進学するまでは、従妹達と一緒に毎日大阪の高校に通学していたのですから。

 そこで同級生や教師達が中心になって救出運動を始めたのです。
 従妹は彼とは特に親しかったわけではないのですが、しかし大変積極的で義侠心に強い性格だったこともあり、次第にこの活動にのめり込み、活動の中心になっていきました。

 そこで叔父も娘と一緒に活動を支援することになったのです。 叔父は元来、ゴリゴリの保守派で、株を上げてくれるので自民党が大好き言う人だったのですが、これは娘のやっている事が正しいと思ったのでしょう。

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 そして彼が起訴されて裁判が始まると、従妹は必ず証人として出廷し、彼が大阪の高校にいた事を証言しました。
 また高校の先生達も出席簿始め、彼が高校に通学していたことを示す様々の書類を持参して、証言をしました。

 出廷の為、従妹が初めて韓国に行った翌日の早朝、突然、ホテルのドアの外で鉄砲の音がしました。
 従妹の部屋のドアの外にKCIAの人間が二人いて、威嚇のために空砲を撃ったのです。

 従妹は肝を潰しました。
 日本人には想像もつかない世界だったのです。

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 そして以降韓国にいる間中、従妹にはKCIAの監視役が二人付いてくるようになりました。

 従妹は最初は大変恐ろしかったそうですが、しかし何度も韓国へ行くうちに監視役の二人と親しくなり、ソウルの街を案内してもらったりしたそうです。 そして彼等の人間性を垣間見る事になりました。

 ある日、従妹がお八つに食べようとホテル内の売店で梨を買った時のことです。 監視役が「アンタそれ食べるの?」と聞いたそうです。 
 従妹が「そうだ」というと彼は驚いて、その梨の値段は自分達の給料の3分の1程になるのだと言いました。

 当時の日韓の経済格差は今より遥かに大きかったのです。 
 
 従妹もこれには驚いて、梨の半分を相手に薦めると、彼は「親に食べさせたい」と言って大切に紙に包んだそうです。

 このころは儒教式の親孝行も徹底していたのでしょう。

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 しかしこういう韓国人の純朴さとは裏腹に裁判は無残な物でした。 

 判事は日本から駆け付けた証人達の話を、目をつぶって聞いていました。

 そして日本人の持参した証拠や証言を一切無視して、検察側の求刑通り懲役10年の有罪判決を下したのです。

 叔父はこれは韓国政府が北朝鮮の敵意を煽る為に仕組んだ裁判で、最初から何があろうと有罪にすることに決められていたのだと言っていました。

 こうして祖国の大学で学ぶ夢は、祖国の刑務所での10年となってしまたのです。

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 そして服役中に彼は結核を発症しました。 当時韓国の刑務所では医者は処方箋を出しても、薬は自分で調達しなければなりませんでした。
 
 それで薬は叔父が送りました。 叔父は薬剤師で家業が薬局ですから、抗結核剤の他、栄養補助剤も色々送ったそうです。 
 
 但し当時日本のマスコミでは韓国については、官憲の腐敗や汚職ばかりが報道されていたので、送った薬剤類がちゃんと本人に届くかは心配しました。

 叔父によるとこうした抗結核材などは、日本ではいたって安い物だったのですが、外貨不足の韓国では非常に高価で、貴重品扱いだったとそうです。 

 そこで叔父は薬剤類を送る時に、リストを作り、相手にも受け取った薬のリストを作るように要求しました。

 彼は結局こうして十年の刑期を一日も減刑されることなく務めて出獄すると日本に「帰り」ました。

 そして叔父と彼リストを突き合わせてみると、叔父が送った薬剤類は一つも漏れる事なく、全部届いていたことがわかりました。

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 それにしてもこんな話、他で聞いていたら絶対に信じなかったでしょう。
 しかし叔父は親戚の葬儀に来てほら話をするような人ではないので、信じるしかないのです。

 ところで従妹はワタシより一つ年上で、ストレートで大学に入っている事を考えると、従妹の同級生がスパイとして逮捕されたのは、1971年になります。

 大師小さんの学園浸透スパイ事件についてのエントリーによると、1971年に韓国で20人ほどの学生がスパイ容疑で逮捕されたというのです。

 それでは従妹が救出に関わった元クラスメイトもこの中の一人でしょうか?

 そしてこの事件で一番有名なのが除勝です。

 除勝の逮捕についての報道は、ワタシも70年代に読んだ記憶があります。 包帯でぐるぐる巻きになった写真が印象的でした。
 そしてその時の報道は無実の青年をスパイ容疑で逮捕する韓国を非難する物ばかりでした。

 それで叔父にこの話を聞いた時にすぐに頭の浮かんだのは、その包帯でぐるぐる巻きの除勝の写真だったのです。 
 
 そして叔父の話とこれをあわせたら、韓国と言う国は恐ろしい、全く信用のできない国と思えました。
 因みに父が死んだのは1984年です。

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 その後、韓国・北朝鮮関係では、大韓航空機爆破事件他、随分色々な事件が起こりました。

 そのたびに北朝鮮側は韓国のデッチアゲ説を出すのですが、ワタシは叔父の話が強烈だったので、この韓国のデッチアゲ説もあり得ると思い続けました。

 しかし2002年の拉致発覚で、やっぱり北朝鮮がオカシイと思うようになったのです。 そしてネットを始めてから除勝が実は本当に北朝鮮のスパイだったと知ったのです。

 そうなると従妹達が必死で助けようとしたあの同級生はどうだったのだろうか?と言う疑念も湧いてきます。

 3年間北朝鮮でスパイ訓練を受けていたというのは、勿論事実ではないでしょう。
 しかしそれ以外でやはり北朝鮮の為の活動をしていたのではないのか? この疑念が湧いてきます。

 叔父も10年以上前に他界し、従妹ともすっかり疎遠になっているので、彼女が今当時のことをどう思っているかも、またこの元同級生がどうしているのかもわからないのですが。

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2018-03-19 13:17

祖母の思い出

 先日ツィッターで卒業式の話を見て、祖母を思い出しました。

 実はワタシは大学の卒業式に出ていません。

 卒業式の前夜に実家から電話で、「祖母が死んだのですぐに帰れ」と言われたのです。 それでワタシは翌朝、一番の汽車で札幌の実家へ戻りました。

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 祖母は賢い人でした。
 父が七歳の時に、夫が事故死して以来、父を実家に預けて自分は女中奉公をしながら、父を旧制商業に進学させました。

 ワタシ達孫にとっては、大変愛情深い祖母でした。

 ワタシが物心ついた頃、祖母はお寺参りや手芸をする傍ら、病気で寝たきりになった友人の介護を無償で引き受けたり、ワタシ達兄弟の小学校の校庭の草むしりをしたりしていました。

 良いこと、正しいことと思ったら、誰にも言わずに自分自身が行う人だったのです。

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 しかし父の二度の転勤で少し様子がおかしくなりました。
 アルツハイマーを発症したのでしょう。

 元来、社交的な人だったのに、新しい土地に着て、友人がいなくなってしまったのが、大きなダメージだったのではないかと思います。

 ワタシが大学に進学する頃には、明らかな異常行動も多くなっていました。

 いつの間にか祖母が家で出たと思ったら、いつまで経っても帰宅しない。
 どこに行ったのか皆目見当もつかない。

 両親が心配して警察に届けようなどと相談していると、10時過ぎになって交番から保護したという連絡がくるのです。

 それが白石区とか東区とか、我が家から遥か彼方の交番です。

 直線距離でも30キロは離れているのですから、祖母がどれほどの距離を歩いたのかは想像もできません。

 普段歩きつけない人がこれほど歩けば、若く健康な人でも、疲労困憊し翌日にも響くと思うのですが、祖母はその夜一晩寝たら、翌日はまた元気一杯でした。

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 こんな事が何度もあり、介護の母は大変だったと思います。
 そしてあんなに賢かった人が、こんな風になったのを見るのは非常につらいことでした。

 しかし肉体的にすこぶる健康としか言えないのですから、家族のだれ一人祖母が死ぬ心配などしていませんでした。

 祖母が死んだ日も、朝から普段と全く変わった様子はなかったそうです。 
 それで母はいつもの通り午後から買い物に出かけ、帰宅して祖母の部屋を見たら、すでに祖母は死んでいました。

 医師からは「死因は老衰」「これは立派な大往生」と言われました。

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 それでも今思うと不思議なことがありました。

 祖母が死ぬ少し前から、ワタシは夜中に祖母が下宿のワタシの部屋のドアの所に立っているような気がして目が覚めるという事が何度もありました。

 夢だか何だかわからないのですが、とにかく「お祖母ちゃんが来ている」と思って目が覚めるのです。

 祖母が普段着でドアの外にいるのが見える気がしたのです。

 祖母は死期を悟って、ワタシにあいに来てくれたのでしょうか?
 ワタシのことが心配だったのでしょうか?

 ワタシは大学卒業前年辺りから体調を壊したり、いろいろトラブルを抱えての卒業でしたから。

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 祖母はワタシのことを大変可愛がってくれました。 ワタシ達三人兄弟の中では一番かわいがってもらったと思います。

 でもワタシが大学に入った頃には、祖母はもうアルツハイマーのために、ワタシが大学に入学したこと自体わからないようでした。

 でも祖母の魂はワタシのことを愛し、最後までワタシを守ろうとしてくれました。

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 夕べ久しぶりに髪を染めました。 安物の毛染め剤を使って自分で染めたのですが、綺麗に染まりました。

 そして髪を見ているとまた祖母を思い出しました。

 ワタシが子供の頃、祖母はいつもワタシの髪を褒めてくれました。 
 ワタシの髪は完全な漆黒の直毛でした。
 
 これは今は全く流行らないのですが、しかし祖母は若い頃は日本髪を結っていた人なので、その頃の基準で褒めてくれるのです。
 
 そして自分が尋常小学校を出て、東京へ女中奉公に出た時、他の女中さん達に自分の髪が茶髪で薄いの見られるのがイヤで、朝他の人が起きだす前に起きて、髪を結いあげたという話をするのです。

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 ワタシは祖母からその話を聞いた時は、何でそんなことを気にするのか?と不思議だったのですが、でも尋常小学校を出て女中奉公って今なら中学生です。

 中学生の年頃の子が、一人で親元を離れて遠い都会で、住み込みで女中奉公です。
 そういう事を苦にするのも当然でしょう?

 祖母はそれがよほど辛かったのか、漆黒で直毛という日本髪にピッタリのワタシの髪をいつも褒めてくれたのです。

 その為でしょうか?

 ワタシはその後、この流行にあわない髪を、内心自慢に思い続け、流行に合わせてパーマをかけるなどという事は全く考えませんでした。

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 その髪も今や大半は白髪になりました。
 そのうえ、難病の治療薬の副作用でごっそり抜けてスカスカに減ってしまいました。

 それで今は、やや茶髪系の白髪染めを使っているのです。
 けれども鏡の前で髪を見ていると、祖母が後ろで「ほんに、ええ髪してる」と褒めてくれるような気がするのです。

 それでワタシは今も、髪がスカスカに減ってしまったことも、白髪になったこともあまり悲観しないでいられます。

 祖母はそうやって今もワタシを励ましまし守ってくれているのです。
 
  1. 個人的体験から
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