2018-04-13 21:56

葬儀の後で聞いた話 学園浸透スパイ事件?

 先日から大師小さんが、学園浸透スパイ事件についてエントリーされていました。
 ワタシにはこの除勝等、在日コリアンの北朝鮮スパイ事件について、非常に気になっている話があります。

 大変古い話で、記憶も曖昧になっている部分もありますから、間違いもあるとは思いますが、記憶にある事を事を書いてみます。

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 それはワタシの父が死んで、葬儀も終わり火葬場から帰って一息ついていた時に聞いた話です。
 ワタシは叔父に従妹の消息を尋ねました。

 ワタシ達一家は昔大阪で暮らしていました。 叔父一家は我が家のすぐ近くで薬局を営んでいました。 叔父の三人の子供達と、ワタシの兄弟は同じ年頃なので、いつも一緒に遊んでいました。
 
 ワタシはその中でもワタシよりも一歳年上の従妹と特に仲良しでした。 しかし父の転勤で我が家が名古屋へ更に北海道へと引っ越した後は、全く疎遠になっていたのです。

 それでも従妹は地元の高校へ行き、そして地元の教育大学を卒業して教員になり、そして結婚したという事はしっていました。
 
 しかし叔父からその従妹の近況を聞いているうちに、いつの間にか従妹が学生時代に関わった同級生のスパイ事件の話になりました。

 それはホントに驚くような話でした。

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 従妹が大学に入学した年、従妹の高校時代の同級生が、韓国でスパイ容疑で逮捕されました。

 叔父一家、そしてワタシ達一家が住んでいた地域は、大阪でも特に在日コリアンが多い地域でした。 我が家の近所や小中学校のクラスで会ったことありません。 或いはワタシが子供だったので、そういう事はわからなかったのかもしれません。

 しかし従妹が進学した高校のクラスメートには在日コリアンの生徒が何人もいました。

 その中の一人が高校を卒業してから「祖国の大学で学びたい」として韓国の大学に進学したのですが、大学生活が始まって間もなくスパイ容疑で逮捕されたのです。

 このニュースは大阪では結構大きく報道されたようです。
 それによるとこのスパイ容疑と言うのは、この在日コリアンの学生は、韓国の大学に入学するまでの3年間北朝鮮でスパイ訓練を受けていたと言うものでした。

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 これには従妹等元同級生や教師達が仰天しました。
 だって彼は韓国の大学に進学するまでは、従妹達と一緒に毎日大阪の高校に通学していたのですから。

 そこで同級生や教師達が中心になって救出運動を始めたのです。
 従妹は彼とは特に親しかったわけではないのですが、しかし大変積極的で義侠心に強い性格だったこともあり、次第にこの活動にのめり込み、活動の中心になっていきました。

 そこで叔父も娘と一緒に活動を支援することになったのです。 叔父は元来、ゴリゴリの保守派で、株を上げてくれるので自民党が大好き言う人だったのですが、これは娘のやっている事が正しいと思ったのでしょう。

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 そして彼が起訴されて裁判が始まると、従妹は必ず証人として出廷し、彼が大阪の高校にいた事を証言しました。
 また高校の先生達も出席簿始め、彼が高校に通学していたことを示す様々の書類を持参して、証言をしました。

 出廷の為、従妹が初めて韓国に行った翌日の早朝、突然、ホテルのドアの外で鉄砲の音がしました。
 従妹の部屋のドアの外にKCIAの人間が二人いて、威嚇のために空砲を撃ったのです。

 従妹は肝を潰しました。
 日本人には想像もつかない世界だったのです。

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 そして以降韓国にいる間中、従妹にはKCIAの監視役が二人付いてくるようになりました。

 従妹は最初は大変恐ろしかったそうですが、しかし何度も韓国へ行くうちに監視役の二人と親しくなり、ソウルの街を案内してもらったりしたそうです。 そして彼等の人間性を垣間見る事になりました。

 ある日、従妹がお八つに食べようとホテル内の売店で梨を買った時のことです。 監視役が「アンタそれ食べるの?」と聞いたそうです。 
 従妹が「そうだ」というと彼は驚いて、その梨の値段は自分達の給料の3分の1程になるのだと言いました。

 当時の日韓の経済格差は今より遥かに大きかったのです。 
 
 従妹もこれには驚いて、梨の半分を相手に薦めると、彼は「親に食べさせたい」と言って大切に紙に包んだそうです。

 このころは儒教式の親孝行も徹底していたのでしょう。

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 しかしこういう韓国人の純朴さとは裏腹に裁判は無残な物でした。 

 判事は日本から駆け付けた証人達の話を、目をつぶって聞いていました。

 そして日本人の持参した証拠や証言を一切無視して、検察側の求刑通り懲役10年の有罪判決を下したのです。

 叔父はこれは韓国政府が北朝鮮の敵意を煽る為に仕組んだ裁判で、最初から何があろうと有罪にすることに決められていたのだと言っていました。

 こうして祖国の大学で学ぶ夢は、祖国の刑務所での10年となってしまたのです。

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 そして服役中に彼は結核を発症しました。 当時韓国の刑務所では医者は処方箋を出しても、薬は自分で調達しなければなりませんでした。
 
 それで薬は叔父が送りました。 叔父は薬剤師で家業が薬局ですから、抗結核剤の他、栄養補助剤も色々送ったそうです。 
 
 但し当時日本のマスコミでは韓国については、官憲の腐敗や汚職ばかりが報道されていたので、送った薬剤類がちゃんと本人に届くかは心配しました。

 叔父によるとこうした抗結核材などは、日本ではいたって安い物だったのですが、外貨不足の韓国では非常に高価で、貴重品扱いだったとそうです。 

 そこで叔父は薬剤類を送る時に、リストを作り、相手にも受け取った薬のリストを作るように要求しました。

 彼は結局こうして十年の刑期を一日も減刑されることなく務めて出獄すると日本に「帰り」ました。

 そして叔父と彼リストを突き合わせてみると、叔父が送った薬剤類は一つも漏れる事なく、全部届いていたことがわかりました。

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 それにしてもこんな話、他で聞いていたら絶対に信じなかったでしょう。
 しかし叔父は親戚の葬儀に来てほら話をするような人ではないので、信じるしかないのです。

 ところで従妹はワタシより一つ年上で、ストレートで大学に入っている事を考えると、従妹の同級生がスパイとして逮捕されたのは、1971年になります。

 大師小さんの学園浸透スパイ事件についてのエントリーによると、1971年に韓国で20人ほどの学生がスパイ容疑で逮捕されたというのです。

 それでは従妹が救出に関わった元クラスメイトもこの中の一人でしょうか?

 そしてこの事件で一番有名なのが除勝です。

 除勝の逮捕についての報道は、ワタシも70年代に読んだ記憶があります。 包帯でぐるぐる巻きになった写真が印象的でした。
 そしてその時の報道は無実の青年をスパイ容疑で逮捕する韓国を非難する物ばかりでした。

 それで叔父にこの話を聞いた時にすぐに頭の浮かんだのは、その包帯でぐるぐる巻きの除勝の写真だったのです。 
 
 そして叔父の話とこれをあわせたら、韓国と言う国は恐ろしい、全く信用のできない国と思えました。
 因みに父が死んだのは1984年です。

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 その後、韓国・北朝鮮関係では、大韓航空機爆破事件他、随分色々な事件が起こりました。

 そのたびに北朝鮮側は韓国のデッチアゲ説を出すのですが、ワタシは叔父の話が強烈だったので、この韓国のデッチアゲ説もあり得ると思い続けました。

 しかし2002年の拉致発覚で、やっぱり北朝鮮がオカシイと思うようになったのです。 そしてネットを始めてから除勝が実は本当に北朝鮮のスパイだったと知ったのです。

 そうなると従妹達が必死で助けようとしたあの同級生はどうだったのだろうか?と言う疑念も湧いてきます。

 3年間北朝鮮でスパイ訓練を受けていたというのは、勿論事実ではないでしょう。
 しかしそれ以外でやはり北朝鮮の為の活動をしていたのではないのか? この疑念が湧いてきます。

 叔父も10年以上前に他界し、従妹ともすっかり疎遠になっているので、彼女が今当時のことをどう思っているかも、またこの元同級生がどうしているのかもわからないのですが。

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2018-03-19 13:17

祖母の思い出

 先日ツィッターで卒業式の話を見て、祖母を思い出しました。

 実はワタシは大学の卒業式に出ていません。

 卒業式の前夜に実家から電話で、「祖母が死んだのですぐに帰れ」と言われたのです。 それでワタシは翌朝、一番の汽車で札幌の実家へ戻りました。

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 祖母は賢い人でした。
 父が七歳の時に、夫が事故死して以来、父を実家に預けて自分は女中奉公をしながら、父を旧制商業に進学させました。

 ワタシ達孫にとっては、大変愛情深い祖母でした。

 ワタシが物心ついた頃、祖母はお寺参りや手芸をする傍ら、病気で寝たきりになった友人の介護を無償で引き受けたり、ワタシ達兄弟の小学校の校庭の草むしりをしたりしていました。

 良いこと、正しいことと思ったら、誰にも言わずに自分自身が行う人だったのです。

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 しかし父の二度の転勤で少し様子がおかしくなりました。
 アルツハイマーを発症したのでしょう。

 元来、社交的な人だったのに、新しい土地に着て、友人がいなくなってしまったのが、大きなダメージだったのではないかと思います。

 ワタシが大学に進学する頃には、明らかな異常行動も多くなっていました。

 いつの間にか祖母が家で出たと思ったら、いつまで経っても帰宅しない。
 どこに行ったのか皆目見当もつかない。

 両親が心配して警察に届けようなどと相談していると、10時過ぎになって交番から保護したという連絡がくるのです。

 それが白石区とか東区とか、我が家から遥か彼方の交番です。

 直線距離でも30キロは離れているのですから、祖母がどれほどの距離を歩いたのかは想像もできません。

 普段歩きつけない人がこれほど歩けば、若く健康な人でも、疲労困憊し翌日にも響くと思うのですが、祖母はその夜一晩寝たら、翌日はまた元気一杯でした。

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 こんな事が何度もあり、介護の母は大変だったと思います。
 そしてあんなに賢かった人が、こんな風になったのを見るのは非常につらいことでした。

 しかし肉体的にすこぶる健康としか言えないのですから、家族のだれ一人祖母が死ぬ心配などしていませんでした。

 祖母が死んだ日も、朝から普段と全く変わった様子はなかったそうです。 
 それで母はいつもの通り午後から買い物に出かけ、帰宅して祖母の部屋を見たら、すでに祖母は死んでいました。

 医師からは「死因は老衰」「これは立派な大往生」と言われました。

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 それでも今思うと不思議なことがありました。

 祖母が死ぬ少し前から、ワタシは夜中に祖母が下宿のワタシの部屋のドアの所に立っているような気がして目が覚めるという事が何度もありました。

 夢だか何だかわからないのですが、とにかく「お祖母ちゃんが来ている」と思って目が覚めるのです。

 祖母が普段着でドアの外にいるのが見える気がしたのです。

 祖母は死期を悟って、ワタシにあいに来てくれたのでしょうか?
 ワタシのことが心配だったのでしょうか?

 ワタシは大学卒業前年辺りから体調を壊したり、いろいろトラブルを抱えての卒業でしたから。

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 祖母はワタシのことを大変可愛がってくれました。 ワタシ達三人兄弟の中では一番かわいがってもらったと思います。

 でもワタシが大学に入った頃には、祖母はもうアルツハイマーのために、ワタシが大学に入学したこと自体わからないようでした。

 でも祖母の魂はワタシのことを愛し、最後までワタシを守ろうとしてくれました。

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 夕べ久しぶりに髪を染めました。 安物の毛染め剤を使って自分で染めたのですが、綺麗に染まりました。

 そして髪を見ているとまた祖母を思い出しました。

 ワタシが子供の頃、祖母はいつもワタシの髪を褒めてくれました。 
 ワタシの髪は完全な漆黒の直毛でした。
 
 これは今は全く流行らないのですが、しかし祖母は若い頃は日本髪を結っていた人なので、その頃の基準で褒めてくれるのです。
 
 そして自分が尋常小学校を出て、東京へ女中奉公に出た時、他の女中さん達に自分の髪が茶髪で薄いの見られるのがイヤで、朝他の人が起きだす前に起きて、髪を結いあげたという話をするのです。

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 ワタシは祖母からその話を聞いた時は、何でそんなことを気にするのか?と不思議だったのですが、でも尋常小学校を出て女中奉公って今なら中学生です。

 中学生の年頃の子が、一人で親元を離れて遠い都会で、住み込みで女中奉公です。
 そういう事を苦にするのも当然でしょう?

 祖母はそれがよほど辛かったのか、漆黒で直毛という日本髪にピッタリのワタシの髪をいつも褒めてくれたのです。

 その為でしょうか?

 ワタシはその後、この流行にあわない髪を、内心自慢に思い続け、流行に合わせてパーマをかけるなどという事は全く考えませんでした。

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 その髪も今や大半は白髪になりました。
 そのうえ、難病の治療薬の副作用でごっそり抜けてスカスカに減ってしまいました。

 それで今は、やや茶髪系の白髪染めを使っているのです。
 けれども鏡の前で髪を見ていると、祖母が後ろで「ほんに、ええ髪してる」と褒めてくれるような気がするのです。

 それでワタシは今も、髪がスカスカに減ってしまったことも、白髪になったこともあまり悲観しないでいられます。

 祖母はそうやって今もワタシを励ましまし守ってくれているのです。
 
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2018-03-10 19:29

有難う御座いました

 一昨日からpetty Camera2のインストールの件で散々お騒がせしました。

 皆様のお助けのお陰で、たった今インストールに成功し、起動させることができました。

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 この通りちゃんと画像をとる事もできました。

 本当に有難うございました。

 お陰でよい勉強になりました。

 今度からなるだけお手数を掛けないように頑張ります。
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2018-03-09 21:29

助けて~~!! その2

 「助けて~~」に沢山のコメントありがとうございました。

 お陰でpetty Camera2をダウンロードして、その圧縮ファイルを展開するところまではできました。

 ところでこの説明書によれば、これでこれはインストールは完了のはずですよね?

 その場合、スタート画面に表示されるアプリの中にこのpetty Camera2も表示されると思うのですが、出ません。

 またpetty Camera2のショートカットを作り、それをタスクバーにドラッグしてピン止できたのですが、これをクリックしてもエクスプローラのファイルが出てくるだけで、全然petty Camera2として機能しません。

 
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2018-03-08 22:35

助けて~~!!

 petty Camera2 という画面撮影ツールをインストールして使いたいと思うのですが、どうも説明がよくわかりません。

 説明はこのサイトです。

 petty Camera2をダウンロードをした後どうすればよいかがわかりません。
 
 説明文ではこの圧縮ファイルをプロパティで、ブロックを解除して、適当なフォルダに展開すればよいとのことです。 それでインストールは完了とのことです。

 プロパティを開くとブロックの解除はわかりましたが、しかし適当なフォルダに展開するというのはどういう事でしょうか?
 
 「適当なフォルダ」とはどこなのでしょうか?

 圧縮フォルダを展開するには、展開するフォルダを決めなければならないようです。 だからあらかじめ展開するためのフォルダをちゃんと作っておかなければならないという事でしょうか?

 そしてそのフォルダを作るとしたら、どこにすればよいのでしょうか? 

 このpetty Camera2をダウロードすると、その圧縮ファイルが、PCに入ります。 そこに展開用のフォルダを作るべきでしょうか?
 それともディスクトップなど別な場所に作るべきなのでしょうか?

 このpetty Cameraの旧バージョンは前のパソコンで使っていて大変便利でした。 但し前のパソコンで使った時はネット上からインストールするだけで使えました。

 しかし今度は違うので困っています。
 誰かお暇な方、教えていただけませんか?
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