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2020-11-06 14:34

子供が怖い その3

 先日、2チャンネルでこんな記事を拾いました。


 10月3日 弁護士ドットコム

 「泣く7歳、助けない大人 『何とかしないと』小5が保護」と題した朝日新聞デジタル(10月20日)の記事が、話題になりました。

迷子になった女の子を、小学5年生の男の子が警察に連れていってあげたーー。「男の子は立派だ」という良い話で終わるのではなく、記事が注目されているのは、この事例が単なる美談ではなかったからです。

男の子が勇気ある行動をとった理由は「通りかかる大人は何もしなかったので自分が何とかしないといけないと思った」からだったといいます。

泣く子どもの横を大人たちが素通りした理由はわかりませんが、意外にも「通りかかった大人の気持ちもわかる」との同意も目立ちます。

●「助けないのが賢明」

ネットには、このような意見がみられます。

「冤罪であっても、女児誘拐のレッテルを張られてしまえば、人生が終わる」 「警察を呼ばれて、揉めているところを動画に撮られて拡散されたら…」 「最近は大人の男性だけではなく、女性でも、子どもに声をかけると警察にいろいろ聞かれる」

もはや、泣いている子どもを見かけても、“ことなかれ主義”を貫くことが「常識」となっているのでしょうか。

元警察官僚で、子どもの虐待ゼロを目指しているNPO法人「シンクキッズ」の代表理事を務める後藤啓二弁護士に聞きました。

●子どもを見つけたとき、どうすればよいか

ーー大人たちはどうして尻込むのでしょうか

自分の利害ばかり考え、自分とは関係のないことや、面倒なことにはかかわりたくないと考える。そんな大人が増えたということだと思います。

児童虐待がこれほどひどくなった現在でも、大人の怒鳴り声や子どもの泣き声を聞いても、虐待の疑いありとして通報する人はごく一部です。

ここで優先されているのは、虐待から子どもを救うという考えではなく、面倒なことにかかわりあいになりたくないという意識だと思います。

迷子で泣いている子どもを見て、無視するのもこれと同じだと思います。

そのほか、考えられる理由としては、家族、勤務先など最小限の範囲でしか付き合いがなくなり、見知らぬ人とは、それが困っている子どもであっても、どう対応していいか分からないという人が増えているのかなという気がします。

ーーそのうえで、迷子を見つけたとき、大人はどうすればよいのでしょう

せめて110番するか、近くにお店があれば、そのお店の人に頼むぐらいのことはしてほしいですね。

ーー助けてしまうことを「リスク」と捉える人がいるようです

困っている子どもを助けることにリスクがあるという考え方は理解できません。そんなふうに考える人が少なからずいるとすれば、現在の日本社会が歪んでいるのでしょうね。

後藤弁護士「誘拐犯と疑われるなんて、基本的に考えられません」

彼らが心配するのは、子どもの話を聞いて家に連れて帰ってあげている途中で、保護者、保護者から通報を受けた警察に会って、誘拐犯と疑われるということでしょうか。

ですが、基本的にそんなことは考えられません。事実をそのまま話せば、感謝されこそすれ、トラブルになることは通常はありません。

よほど常識のない保護者である場合には、トラブルになるかもしれませんが、そんなことがあるかもしれない、そんなことに巻き込まれるのはいやだと思って、困っている子どもを助けないことを正当化することなどできないと考えます。

それでも、どうしても心配だという人は、まず110番して、状況を説明して、今子どもを家まで送っているが、一緒に来てもらえないだろうかと伝えればいいと思います。

ーー行動に移す前に、通報するほうがよいのでは?

心配な人はそうしたらいいと思いますが、こんなことまで警察に頼らなければならないというのは、地域社会の在り方としてどうかと思いますね。 

  続く・・・・・。


 この記事は弁護士ドットコムからヤフーニュースに転載されているのですが、現時点でコメントが9333個ついています。  
 ワタシはこのコメントを最初の6ページ分程読んでみたのですが、しかしこの全てが以下の後藤弁護士の意見に否定的でした。

 後藤弁護士「誘拐犯と疑われるなんて、基本的に考えられません」

彼らが心配するのは、子どもの話を聞いて家に連れて帰ってあげている途中で、保護者、保護者から通報を受けた警察に会って、誘拐犯と疑われるということでしょうか。

ですが、基本的にそんなことは考えられません。事実をそのまま話せば、感謝されこそすれ、トラブルになることは通常はありません。

 しかもコメントの中には、自分自身が迷子の子供を助けようとして、誘拐犯や性犯罪者扱いされて非常に不愉快な思いをしたという実体験が多数ありました。

 それも男性ばかりではありません。
 また迷子を見つけた場所も、寂しい郊外など、犯罪を犯しても目撃されないような場所ばかりでもありません。

 女性がショッピングモールで迷子を見つけて、声を掛けたら、子供の親から不審者扱いされたなどと言う体験が沢山でているのです。

 こうした体験をした女性は「自分は普通のおばさんだから、警察は無実をわかってくれるだろうから、これからも迷子を見つけたら助けようと思う。 でも夫や息子には絶対に子供にかかわるなという。」と書いていました。

 ワタシは実は以前、迷子を助けるべきか?という問題について2回エントリーしています。



 最初の「子供が怖い」は、自分が百合ケ原公園で迷子を助けた時に、2008年にあった事件を思い出してエントリーしました。

 
 2008年の11月20歳の若者が一人でドライブ中に、6歳の女の子が迷子になっているを見つけました。

 彼はこの子に声をかけたところ、子供が「母親に叱られたので祖母の家に行きたい」と言ったので、自分の車に子供を乗せて祖母の家に向かいました。
 ところが子供のナビゲーションでは、祖母の家に行き着く事はできず、1時間余り彷徨った挙句諦めて交番に行ったのです。

 ところが警察は彼を不審者扱いした挙句、TBSは実名報道までしたのです。
 この記事は今も元記事が読めるのですが、しかしこれに対する弁護士のコメントがすごいです。


   もしわいせつなどの目的でなく、親切心から女児を連れ回したとしたら、容疑者の男は本当に逮捕に値するのか。

   テレビのコメンテーターとして知られる元検事の大澤孝征弁護士は、こう語る。

全然知らない子を車で1時間半も連れ回すなんて、疑われて当然で警察も疑いを持たないといけません。判断力が十分でない6歳の女の子なら、いたずらされることもよくある状況です。親切心からでも、家出した子を自分の家に連れて行って捕まったケースもあります。警察が身柄を確保したことは、必ずしも非難できませんね
   さらに、親の立場に立って考えることが必要と話す。

「親なら、1時間半も連れ回されたらその間に何かあったのでは、と考えると思います。未成年者誘拐の本質は、親権者の監護権を侵害してはならないということです。親の保護の範囲から逸脱するような行為は、誘拐になります」
   では、迷子の幼児を見つけた場合、どうすべきなのか。

   大澤弁護士は、「幼児をそのまま警察に連れて行くならいいと思います。直接行くなら、車に乗せてもいいでしょう。親切心は大事ですが、親のところに帰すのが本来するべきことです」と話す。

   容疑者の男が交番に寄ったことについては、大澤弁護士は、「確かに、交番に寄るなら犯罪の意図はないとの見方はあるかもしれません。しかし、客観的に見れば、誘拐状態の認識となるのは仕方がありません」と言う。

   容疑者の実名発表も、事件である以上仕方がないという。マスコミ各社では、TBSが実名報道したのに対し、朝日新聞、産経新聞などは匿名報道と対応が分かれた。事件報道は実名が原則とされるが、朝日では、「取材したところ、犯罪性などに疑問点もあったため、容疑者名は匿名とするのが妥当と判断しました」(広報部)としている。


 つまりあくまでこの若者が悪い!!という事です。
 
 因みに記事では「連れまわし」と書かれていますが、しかしこの若者は、子供を連れてウロウロしようと思ったわけではないのです。 
 彼は子供を祖母の家に連れて行こうしただけなのです。
 この子が若者に祖母の家の位置をどう説明したかはわかりません。

 若者としては直ぐに祖母の家が見つかると思ったのでしょう。
 保育士など常に幼児との会話に慣れている人ならともかく、日頃幼児とは接したこともない人間なら、幼児には大人のように合理的に車のナビゲーションは不可能などとは思い至らないのです。
 子供が歩いていく心算のところであれば、直ぐ近くだからすぐに見つかると思うのは当然でしょう?

 そして子供が案内して祖母の家が見つからないなら、親の家だって見つからないでしょう。
 因みに交番だってすぐに見つかるわけではないでしょう。
 この事件は2008年ですから、スマホもカーナビも持っている人は僅少です。

 こういう条件を考えると、もう子供を直ぐに親元に戻すのも、また交番に連れて行くのも無理です。

 それにしても親も弁護士も、もしこの若者が子供を助けてくれなかったら、この子がどうなっていたかは心配しないのでしょうか?

 そして弁護士は親の不注意は責めないのでしょうか?

 しかしこの弁護士はただひたすら若者だけを責めており、記事でも「容疑者」扱いなのです。 警察が事件性はないと判断しているにもかかわらずです。

 しかしワタシがこの件で大変ショックだったのは、これについてエントリーした時に、頂いたコメントの中に、この若者が絶対にこの子に性犯罪をやっていると確信した物があった事です。

 警察が事件性がないとしているにもかかわらず、それでもこの方は子供を車の乗せた事で性犯罪を犯したと確信してたのです。

 こういう方が少数でもいるとなるともう絶対絶命でしょう?

 だって性犯罪者、しかも幼児に対する性犯罪者であることを疑われては、今後どんな禍に遭うかわかりません。
 自分自身だけでなく親族にも大変な迷惑がかかるでしょう?

 親切心で他人の子供を助けようとしたら、社会的に抹殺されるかもしれない・・・・・。

 これではもう子供を見たら逃げだすしかないのです。

 しかもこの状況はあの事件以降ドンドンひどくなって、女性がショッピングモールで迷子を助けようとしても不審者扱いされるようにまでなってしまったのです。

 こうなると今後、善意で迷子を助ける人は全くいなくなるでしょう。
 迷子に声をかけるのは、本物の性犯罪者や誘拐魔だけになるでしょう。
 
 つまり子供にとって非常に危険な世の中になっていくのです。

 そしてこうした世相は少子化の一因だとも思うのです。
 
 だってこんなんでは子供を見て可愛いと思う事だって危険です。

 昔は幼児を見たら、全く見知らぬ人でも「かわいいね。」と声をかけていました。
 でも今の感覚だとそんな事をしたら変質者扱いされかねません。
 だからみんな子供にはかかわらないのです。
 
 こういう状況で自分の子供を欲しいと思う人が増えるはずもないのです。
 
  1. 個人的体験から
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2020-10-05 11:22

カワイソウ主義の行き着く先は? マラソンに順位をつけるな??

 フィンランドの学校では体育の時間にマラソンをしても順位はつけないのだそうです。
 順位をつけるとビリになった子供が運動嫌いになるからだそうです。

 【話題】『日本の小学校の運動会を見た フィンランドの学校校長の反応が真っ当すぎる…』

 

 確かにこの手の話はよく聞きます。
 体育の時間に徒競走や球技で負けて惨めな思いをして、体育の授業がある日は学校を休むという子さへいるようです。

 でもその逆の子だって沢山いるんじゃないですか?
 勉強はダメでもスポーツではクラスのトップなので、体育が大好き、学校が大好きになる子って多いでしょう?

 そもそもマラソン始め、スポーツって順位をつけるから、人と競うからスポーツなのです。
 
 走る、飛ぶ、重い物を持ちあげるなど、スポーツで行われる動作はそれ自体全然意味のない物で、順位を競う事もなく強制されるなら苦役か懲罰です。

 日本の学校でも順位をつけずに長距離を走らせる事はありますよ。
 「授業中に騒いだから校庭3周!!」とかね。
 しかしこれで走るのが好きになる子がいますか?

 古代ギリシャ人は元来、苦役は奴隷にやらせる事にしていたのですが、しかし苦役のような動作でも、それをこなす体力や技量を競う事は、高尚な楽しみだと考えたので、競技場を作り多くの市民が走ったり、飛んだり、格闘したりするようになったのではありませんか?

 そしてその競争を神に捧げる事からオリンピックが生まれたのではありませんか?

 順位をつけて人と競うからこそ、苦役や懲罰だった運動が楽しみとなり、生活の為に体を動かす必要のない上流階級の人々までが、運動を楽しむようになったのです。

 確かに負けるのは辛いけれど、でも負けるのが辛いからこそ、勝のが楽しく、そしてその勝敗に競技をする本人だけでなく、観戦する人々までがワクワクドキドキできるのです。

 だからこそオリンピック始め多くの競技会が、世界中で大人気なんじゃないですか?

 学校の体育というのは、子供達がそれを体験する一番良い機会だと思うのですが、そこで順位をつけないとなると、子供はどこで競技することの喜びを体験できるのでしょうか?

 負ける子がカワイソウだから、順位をつける事を否定するなら、算数始め他の学科はどうするのでしょうか?
 作文や工作の作品を公開することもやめるべきなのでしょうか?

 数学や英語の成績が悪いって、体育の成績が悪いよりはるかに深刻なのですよ。

 ワタシは実はスポーツは全然ダメでした。
 スポーツに限らず勝負事は全部苦手なので、ゲームの類も一切やりません。 
 オリンピック等のスポーツ観戦も全くやりません。

 それで学校の体育の時間も嫌いでした。

 しかしだからと言って、そういう子供の為に学校の体育で「順位をつける」ことをやめるべきだなんて思った事もありません。
 だってそれが楽しくて学校に行く子だって沢山いるんですから。

 実際、ワタシの兄も妹も所謂スポーツ万能タイプだったので体育大好きでした。

 ワタシは学習塾の講師をしていたけれど、むしろ殆どの子供、特に男の子は体育は大好きでした。 
 勿論大多数の子はスポーツで特に優秀な成績が取れるわけもないのです。
 それでも殆どの子供は、他の子供達と競技で競い合う事を楽しんでいるのです。

 それを一部の子供が「ビリになって辛い思いをするから、順位をつけるのはやめる」って、余りと言えば余りナンセンスではありませんか?

 一部の子供を救うためだけに、他の子どもの全員の喜びを奪うような教育って良いのでしょうか?

 ビリになって悲しむ子は、それじゃ学校の体育で順位をつけなくなったら、生涯競争から避けられるのでしょうか?
 そういうわけにはいかないでしょう?

 だったら学校でそれを体験することで、子供の間にビリの辛さを体験して、どうやったらそれを克服できるか?
 或いは自分はメンタルが弱いことを知ったうえで、競争を避けられる生き方を考える事ができるのはありませんか?

 実はワタシはこの話をネットで拾った時にすごくむかついたのです。
 
 自分の嫌いスポーツの話で何でむかついたかというと、要するにこれって無意味なセンチメンタリズムというか「カワイソウ主義」なんですよね。

 ひたすら「カワイソウな人」に焦点を当てて、その「カワイソウな人」を中心に社会を変えろという発想です。
 この発想が今の世界に横溢するポリコレを支える柱の一つです。
 
 そりゃ「カワイソウな人」をいたわる事自体は良い事で正義です。
 だからこれには反対しづらいです。

 でも少数の「カワイソウな人」の為に、大多数の普通の人がひたすら犠牲を払うべき、「カワイソウな人」の為には伝統文化だって破壊するべきっておかしくないですか?

 しかもその「カワイソウな人」の不利益って完全に精神的な話なのです。
 体育の時間にマラソンでビリになって惨めな思いをしても、その子がマラソンが嫌いになっても、それで別に経済的な損失を受けるわけでもないし、まして身体の損傷が及ぶわけでもないのです。

 それってただその子の気持ちの問題でしょう?
 それなのにその子の気持ちだけの為に、マラソンで頑張ろうと張り切っている他の子供全員からその喜びを奪おうというのです。

 こういう社会って本当に良い社会なんですか?
 
 こういう社会って優しい社会かもしれませんが、辛いこと悲しい事はない代わりに、喜びも楽しみもなく、活力も気力もない社会ないなるんじゃないですか?

 だからワタシはこういう話を聞くとすごく気分が悪くむかつくのです。
  1. 個人的体験から
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2020-09-22 13:59

反安倍保守について

 ワタシのブログでいつも安倍政権を罵倒するコメントを下さる方がいます。

 安倍政権罵倒があまりに酷いので、他の方々からは「パヨク」「工作員」と言われる事もあるのですが、しかしご本人は「保守」を自任していらっしゃるらしく先日も安倍政権の問題として「神武天皇の正統性を継ぐという点では現在の皇室と対等である旧宮家の皇族復帰が一向に議論されないこと、など問題が多い。」なんてコメントをくださいました。

 実際、ワタシもこの方は工作員ではなく、元来保守派だと思います。
 と言うのはこの方は第二次安倍政権成立よりかなり前からワタシのブログにコメントを下さっていたのですが、始めのころから第二次安倍政権成立後も暫くは、自民党支持・安倍政権支持だったのです。

 それが変わったのは第二次安倍政権が消費税を5%から8%に増税し、更に多くの保守派が期待したほどの財政出動をしない事がわかったころからです。

 そしてこのころからこの方だけではなく、それまで安倍政権を支持していた保守派の一部が、反安倍に回るようになりました。

 それも大変熱狂的な反安倍です。 
 つまりそれまでの安倍支持の姿勢を全面的に覆し、安倍政権のやる事なら外交防衛からコロナ対策まで何でも反対、徹底的に罵倒するという反安倍パヨク以上の熱烈な反安倍になったのです。

 しかし大変奇妙な事ですが、この人達の殆どは経済専門家ではありません。
 三橋貴明など例外を除いて経済への関心は元来低い人達がなのです。 だから経済問題に関する安倍批判は、結局経済評論家三橋貴明の意見に全面的に賛同する事になります。

 そもそも消費税増税反対、財政出動を増やすべきと言う意見は、リフレ派の経済学者達が提案した政策です。
 それをチャンネル桜など保守派言論人が支持し、安倍政権が受け入れたのです。
 しかし残念ながら安倍総理は期待されたほどの財政出動もできなかったし、消費税増税求められなかったのです。

 これに対してこの最初の提案者であるリフレ派経済学者達はむしろ極めて冷静です。
 彼等は増税や緊縮財政の継続による悪影響は問題にするけれど、しかし安倍政権が達成した金融緩和の効果もまた正当に評価しています。 
 そして増税の悪影響を緩和する為に必要な政策を提案し続けてきたのです。

 これはわかります。
 彼等は経済学者として、日本の経済を良くしようとして、持論を提案してきたのです。

 しかし当然ですが、彼等も大人ですから政治が単純に学問の真実だけに従えない事はわかっています。
 そもそも経済学者にも多様な学派があり、リフレ派は有力とは言えその一つにすぎないのですから「自分達の主張だけが絶対真実」として通用しない事ぐらいは学者としても理解しているのです。

 だから自分達の提案が採用されなかったからと言って憤怒激怒するようなことはせずに、冷静に学問的に現実に行われた政策を分析し、さらなる政策を提案するのです。

 そしてこれは安倍総理を支持をつづけた一般人もまた同様でしょう?

 しかしここで反安倍に回った保守派は違います。  
 彼等はこれを機会に、安倍政権の政策を外交防衛やコロナ対策まで全否定し、攻撃するようになったのです。

 それにしても経済学者でもなく、経済への関心さへ薄かった人間が、何で消費税増税や財政出動の不足という経済政策の一部だけを理由にここまで狂乱するのでしょうか?

 何より彼等はこうやって安倍政権を攻撃して、それで何を期待していたのでしょうか?

 ワタシだって消費税増税は反対だったし、財政出動ももっとしてほしかったです。
 藤井聡先生の国土強靭化も実行してほしかったです。

 また憲法改正その他、安倍政権に実行してほしかった政策の多くが、結局頓挫してしまった事は残念です。

 だからもし安倍さんよりもずうっと有能な政治家がいて、こうした政策を全部実行してくれるなら、ワタシは喜んで安倍さんを捨てて、そちらを支持する心算でした。
  
 しかし残念だけれど現在の日本にはそういう政治家はいなかったのです。
 それどころか安倍総理を引きずりおろせば、安倍政権など問題にならないレベルの緊縮売国路線に戻るのは必定としか思えなかったのです。

 だからワタシはこれまでブログでは全面的に安倍政権を擁護してきたのです。

 ところが反安倍保守氏はこれに噛みつくコメントをくださるのです。

 そこでワタシは何度もこれに問い返すコメントを返しました。

 だったら、誰が貴方の望む政策を実現してくれるとお考えですか?

 しかし何度、問い返してもついにお返事はくださいませんでした。

 ワタシは暇人特権で、頂いたコメントには全部返信をしています。 そして殆どはワタシが返信の中でコメント主に問いかけた事には返事を下します。
 けれどもこの方は一度もワタシの問いかけに応えてくださった事はありません。

 だからこの方は、そもそもワタシの返信は読んでおらず、書きっぱなしコメントに徹していらっしゃるのかもしれません。

 しかしこの方だけでなく反安倍に燃える保守派は皆同様で、安倍総理をひたすら憎悪し攻撃するのだけれど、代わりに誰が良いかという話をする人は皆無なのです。
 
 これじゃ同じ反安倍でもパヨクの方がマシでしょう? 
 だって連中はとにかく野党第一党との政権交代というプランは持っていたいたのですから。

 そうなると反安倍保守の人達にとっての政治って何なのでしょうね?

 ワタシはこの人達を見ていると、プロスポーツの観客を連想するのです。

 野球でもサッカーでも、プロスポーツの観客ってお金を払って観戦するので、何の義務もなくただ熱狂を楽しめばよいのです。

 で、贔屓の選手がミスをしたり、贔屓のチームが負けたりすると、徹底的に罵倒するのです。
 欧州には試合の後の大暴れを楽しむフーリガンなんて連中までいるぐらいです。

 でも選手もチームも商売なので、そんな事は気にもしないのです。
 選手やチームを罵倒することが目的であろうとも、入場料を払ってくれるなら、歓迎してくれるのです。

 反安倍保守も同じでしょう?
 安倍総理を攻撃しても、だからと言って自分で政治を良くしようというプランなんか全然ないし、そういうプランを持たなければならいとさへ思っていないのでしょう?

 だから自分の期待が裏切られたら、ひたすら憤激するだけなのです。 
 挙句に他人のブログに感情をぶつけたりするのです。

 彼等はただ欧州のフーリガン同様、自身の感情を爆発させることだけが目的なのです。
 サッカーの代わりに政治で感情の爆発を楽しんでいるのです。

 本当に日本の未来の為に政治を良くしたいのなら、自分なりに日本を浴する為のプランがあるのなら、他人のブログに噛みついないで、自民党で安倍さん以外に期待できる人を応援するとか、自民党がダメなら日本第一党でも何でも自分の支持政党を支援すればよいのです。
 
 そういう意思も能力もなくてもせめて自分でブログをはじめてそこで自分の意見を述べるぐらいのことをするべきでしょう?

 それなのにワタシのブログで噛みつくばかりでは、他家のテレビで野球やサッカーを観戦して、自分の贔屓のチームが負けるとその家の主人に噛みつくみたいな話ではありませんか?

 これでは安倍さんだって、他の政治家だってこういう人たちの意見なんか無視するのは当然でしょう?
 
 だって勝手に過大な期待をした挙句、それが叶わないとひたすら憤激するような連中には付き合いきれないでしょう?
 しかも連中は自分の手では何一つする気はないのですから。

 とはいえこの方が繰り返しワタシのブログにコメントを下さった事については、ワタシは感謝しています。

 ワタシは元来、非常に非社交的なうえ、病持ちで無職と言う身の上ですから、とても世間が狭いのです。
 だからこういう形でも自分とは全く違う意見を持つ方がいらっしゃること、そしてそういう方のお人柄に思い至る事が出来たのは大変ありがたく思っていますから。
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2019-12-05 12:14

中村哲医師への追悼を込めて

 ペシャワール会の中村医師がなくなりました。

 アフガニスタン内に留まって活動を続けたら、こういう事になるのも覚悟の上だったのでしょうが、それにしても人生の全てをアフガニスタンの貧しい人々の治療に尽くした末に、このような最期を迎えると言うのは、余りに無残です。
 
 現在のアフガニスタンと国際社会の厳しさを象徴するような最後になってしまいました。

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 実はワタシは90年代の初頭から9・11後のアメリカのアフガン侵攻の少し後ぐらいまで、ペシャワール会の会員でした。

 そのころはワタシも全然ネトウヨではなく、むしろ完全なリベラルでした。(ワタシ自身の認識では今も正統派リベラルですが)
 
 ペシャワール会に入会したのは、朝日新聞に掲載されていた中世ドイツ史の権威・阿部 謹也のエッセイを読んだからです。(我が家ではワタシが生まれる前から朝日新聞を購読していたので、慰安婦強制連行捏造を続けて愛想が尽きるまでは朝日新聞を読んでいました)

 そのエッセイで阿部 謹也は中世そのものの世界であるアフガニスタンで活動するペシャワール会の事に触れていたのです。
 阿部 謹也自身もまたペシャワール会の会員であり、会報にも寄稿しているそうでした。

 ワタシは中世の世界とアフガニスタンの非常に興味があったし、また自身が難病患者なので、医療を受ける事もできずに苦しむ人達を、少しは助けたいという気持ちもありました。

 そこでペシャワール会に入会し、年会費5000円を払い込み続け、また時々それとは別途に寄付もしました。 
 それで二か月に一度ぐらいの割合で来る会報を読む事ができるようになりました。
 また入会時に阿部 謹也の寄稿した記事が掲載されている過去の会報が欲しいと我が儘を言ったら、それも送ってくれました。

 当時はパソコンは結構普及していたけれど、ネットはまだ未発達なので、ペシャワール会に限らずこうした会で、会と会員を繋ぐ唯一の方法は会報の郵送でした。
 そしてこれは結構お金がかかるらしく、集めた会費の大半がこの会報の発行と郵送費に消えていたようです。

 しかしこの会報を通して、ワタシはマスコミでは絶対に知ることのできないアフガニスタンの現実と、途上国の生活の厳しさを知ることができました。
 そしてマスコミ報道と現実の乖離も感じる事ができました。

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 例えば当時からマスコミでは、日本がプロミン発見以降も長くハンセン氏病強制隔離政策を続けた事に対してひたすら非難一辺倒でした。

 けれどもペシャワール会ではこの強制隔離施設であるライ院の元職員だった人達が、ボランティアで検査技師など職務を行っていました。
 因みにペシャワール会は元々ハンセン氏病の治療を本業にしていました。 そしてペシャワールとその周辺にはまだ多数のハンセン氏病患者がいたのです。

 会報で中村医師はこうしたライ院の職員達を非常に高く評価していました。 
 彼等は皆定年退職者で高齢なのですが、しかし戦中・戦後の厳しい時代に勤務した経験があるので、アフガニスタンやパキスタンのトライバルエリアと言う非常に厳しい環境でも、自分達で工夫をして難しい仕事をこなしてくれるというのです。

 若いボランティアは最新機器を使えるのだけれど、停電や断水が日常と言う世界ではすぐにギブアップしてしまう、でも高齢のボランティア達はそんなことにはめげずに、何とかそれでも仕事を遂行できるように工夫するというのです。

 そしてこういう世界での医療の厳しさも知ることができました。
 ペシャワール会は原則として貧しい人々は無料で治療していました。

 しかしそれでも治療を受ける為に来院できない人が多数いるというのです。
 ペシャワール会の病院は当初は、パキスタンのペシャワールだけにしかありませんでした。

 すると少しペシャワールから離れた地域からくるには、バス等を使いその後しばらく入院しなければなりません。
 けれどもそのバス代(日本円で数百円)が出せない、仕事をしなければ生活ができない人は治療を受けに来ることができないのです。

 だから来院するのは「そこそこ裕福な家のご隠居さんのような人ばかり。 女性は一切来院できない。」と言うのです。

 医療だけでは済まない問題があるのです。
 そしてこうした問題は実は経済大国になるまでは、日本にもあったのです。 だから強制隔離政策をひたすら非難するマスコミには違和感ばかり感じるようになりました。

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 さらに職員として働く現地人とのトラブルについても結構書かれていました。
 そして中村医師は職員が、職務命令に従わなかったり、トラブルを起こせば、殆ど即座に解雇しました。
 それで会報には殆ど毎回職員を解雇した話が出ていました。

 それは日本でこれをやれば、左翼系の労働組合が騒ぎ、マスコミが便乗して非難囂々になるのは請け合いと言えるレベルの厳しさです。

 尤も現地人職員側も日本人には想像を絶するような奴がゾロゾロいるので、こうしないと管理不能になるのです。

 例えば若く非常に優秀な現地人医師の人格と能力を見込んで、病院を支える医師に育てようと会の費用でイギリスの熱帯学研究所に長期間留学させ、更に帰国後は最新機器の使用法も積極的に教え込んだところ、一通り学び終わるとさっさと退職して、自分で開業するなんて事があるのです。

 門番や掃除夫から医師まで、現地人はみな一筋縄ではいかない連中ばかりのようでした。

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 さらに厳しいのは患者の命を助ける事が、患者の幸せに繋がるとは限らないという現実です。

 福祉の全くない世界では、命が助かっても障害を抱え込んで働けなくなる、介護なしに生きられなくなるような状況になると、本人だけではなく家族全員の生活が破綻します。

 だから重い後遺症が残ると思われる場合や、治療を続ければ患者家族の生活が破綻すると判断した場合は、家族や本人には「もう手の施しようがない」と言って、あえて治療せず患者を死なせるような事も再々やっていました。

 メンタルの弱い人には絶対に耐えられない世界です。
 そしてこうした世界を知ることで、日本に生まれた事のありがたさを思い知りました。

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 それでも中村医師は頑張り続けて、会の組織も大きくなり、ペシャワールに自前の本院を持ったばかりか、アフガニスタンのカンダハール周辺などに幾つかの分院を持つまでになりました。

 その分院の一つは屋上に重機関銃を装備していたのだけれど、ある時、その機関銃をオーバーホールに出したら、直ぐに強盗団に襲われる自動車始め金目の物をすべて奪われるという事件がありました。

 しかし重機関銃が使えなくなったのを見澄まして襲ってきた事から、強盗団はこの分院の状況をよく知っている人間だと見当をつけて、犯人を捜しました。
 するとやはり犯人は近隣の集落の不良青年達でした。
 
 彼等は親族や近所の人達が、この分院で治療を受けたり、また働いていたりしたことから、機関銃が修理中で使えない事を知って襲ったのです。

 そこで中村医師は近隣の長老達と談判して「犯人を処罰して、奪われた物を返さなければ、分院は閉鎖する」と言ったところ、長老達は犯人達を処罰するととともに彼等が奪った物を返しました。
 そして中村医師の前で、今後二度と分院に危害が及ばないようにするとコーランに誓いました。

 近隣にはこの分院以外に一切医療機関がありません。 
 近隣の集落の住民は、集落ごとにそれぞれ部族や民族が違うのですが、しかし全員この分院の厄介になっていました。

 だから出ていかれては絶対に困るのです。
 そこでそれぞれの部落の長老達が皆で分院を守るとコーランに誓ったのです。
 部族や民族は違ってもこのコーランへの誓いだけは絶対に守られるのです。

IMG_0259

 中村医師がペシャワールで医療活動を始めた頃は、ソ連軍のアフガン侵攻中でした。
 アフガン人達はソ連軍さへ追い出せば、アフガニスタンが平和になると信じて戦ったのです。
 そして遂にソ連軍を追い出す事に成功し、更にその後まもなくソ連自体が崩壊しました。

 しかしアフガニスタンは平和にはなりませんでした。
 ソ連軍を追い出した後、アフガニスタンは完全な無政府状態の中で、アフガン人自身にも説明不能な勢力争いが深刻化して、ソ連侵攻時以上に悲惨な状況になりました。

 元々アフガニスタンは多民族国家で、阿部 謹也の言うようにドイツの中世初頭のような世界でした。
 だから中世に生きる人々がそうであったように、ソ連侵攻前から自由民の男性は常に武器を携帯していました。 因みに「不自由民」と言える奴隷か農奴に近い人々もいるのですが、そういう人達は武器を携帯できません。

 そして集落ごとに民族や部族が違い、その部族や集落間の間でもめ事が起きれば、当事者同士が武力行使を行う事も普通と言う世界でした。

 そういう世界で全ての人々に唯一共通した倫理がイスラムと言う宗教でした。
 司法制度が未整備では法は意味がないし、そもそも個々の部族全体を完全に支配できるような権力も存在しません。
 
 だからイスラムだけが、全ての人々に共通する倫理道徳であり、それにより最低限の社会秩序と人間性を確保する事ができたのです。

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 そういう世界に地雷やスティンガーロケットなど近代兵器が大量に流れ込み、争いが深刻化する中で、人々がより深く信仰にすがるようになったのは当然でしょう?

 しかし今度はそこにサウジアラビアやエジプトなどから、イスラム原理主義者が入り込み、イスラムそのものが戦争を深刻化させていくことになったのです。

 そして更にそれがアメリカの介入を招きました。
 こうなるともう無間地獄です。

 ワタシはソ連軍を追放してもアフガニスタンが平和にならず、その紛争に宗教が絡み始めた時に直ぐに連想したのが「ドイツ三十年戦争」です。

 「ドイツ三十年戦争」だけでなくヨーロッパの近世初頭に起きた宗教戦争は、どれも皆「酸鼻を極める」としか言いようもない無残な物になりました。 しかもそれが延々と続いたのです。

 「信仰の自由」「言論の自由」「個人の尊厳を認め、国家は人の心に入ってはイケナイ」などと言う現代の人権思想の基盤になるウェストファリア体制の発想は、この無間地獄を潜った西洋人達が「このままだと、オレタチは最後の一人になるまで殺し合う事になる。」と言うところまで追い込まれた末に行き着いた結論なのです。

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 しかしアフガニスタンが戦争状態になってから既に30年を遥かに超えているのです。
 そして三十年戦争の時代にはなかった地雷や機関銃が溢れているのです。

 アフガニスタンの人々が自身のウェストファリア体制を作るまでに、一体どれほどの人が死ななければならないのでしょうか?

 だからペシャワール会の組織がいくら大きくなり、資金も増えて活動の範囲が広がっても、現地の人々の救済には追い付きませんでした。

 それどころか戦争で現地の治安は悪化するばかりで、会の病院付近の長老達がいくら頑張っても、彼等にも病院の安全を保障できなくなったのです。

 そして遂にペシャワール会はアフガニスタンから日本人職員を引き上げざるを得なくなりました。
 
 しかしその後も尚状況は悪化し続けて、遂に中村医師殺害と言う事態に至ったのです。

 今後中村医師に代わってペシャワール会を率いていく人がいるのでしょうか?
 そしてアフガニスタンはどうなるのでしょうか?

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 因みにワタシがペシャワール会をやめたのは、アメリカのアフガン侵攻の少し後ぐらいです。

 9・11の後、アメリカはオサマ・ビン・ラディンを保護するタリバン政権と戦う為に、アフガニスタンに侵攻しました。
 
 実はペシャワール会は会の分院のある地域のタリバンとは良好な関係にありました。
 関係が悪ければ、とても活動できないのだから当然ですが、それ以前にペシャワール会はイデオロギー・宗教・政治の一切に関係なくただ現地の人々の医療だけに徹するという活動方針だったのです。

 だからしペシャワール会の病院では、タリバンの兵士とそれに敵対する勢力の戦闘員が、仲良く並んで診療の順番待ちをしているというのは、日常の光景でした。

 ワタシはそういう活動方針を非常に好ましく思っていました。
 だから当時、アルバイト程度の仕事しかなかった身には過分の寄付も喜んでしたのです。

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 しかし米軍のアフガン侵攻に対して、中村医師が明確に反対し、それを日本のマスコミが大々的に取り上げてから、会の性格がおかしくなっていったのです。

 ペシャワール会の活動状況から言っても、また米軍侵攻後のアフガニスタンを見ても、中村医師が米軍のアフガニスタン侵攻に反対したのは当然だし、実際アメリカにとっても大失敗だと思います。
 
 だからワタシも中村医師が、国会にまで行ってアメリカを非難した事自体は今も支持しています。

 しかしこの事でペシャワール会の名声は一気上がりました。
 そしてそれが「反戦左翼」を呼び込んだのです。

 そしてこれ以降、ペシャワール会の会報や中村医師の言動に、9条教徒の影がちらつくようになり、政治にも宗教にもイデオロギーにも関らないとしていた会の性格が変わっていったのです。

 ワタシがネトウヨになるのは2007年にパソコンを買ってからで、それまでは普通にリベラルだったのですが、しかしそれでも何だか違和感がありました。

 それで結局、会をやめました。

 会をやめる時に手紙で「ペシャワール会は何でこんな変な風に政治的なってしまったのですか?」と書いたら「政治的にはなっていません。」と言う返事がきました。

 でもその頃にはペシャワール会に「沖縄平和クリニック」なんて物ができていたのです。

 当時はワタシは沖縄の反基地活動なんて全く知らなかったのですが、それでも「なんでペシャワールに沖縄ナントカなんて命名した病院を作るの?」と凄くイヤな感じでした。

 だから止めたのです。
 尤もそのころには会も巨大化して資金も潤沢になっていたのですから、ワタシの寄付金なんて意味もないと思ったので、気は楽でした。(もともと意味があるほどの寄付金を出す資金力もないのですが)

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 ともあれ中村医師が純粋にひたすらアフガニスタンとパキスタンの辺境に暮らす貧しい人々を救おうとして生涯をささげた事実は変わりません。

 中村医師のご冥福を祈ります。
 中村医師はキリスト教徒だったので、確実に天国に行けるでしょう。

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2019-12-02 16:07

あんまりです!!

 神様、あんまりです。

 さっき書いた記事を保存しようとしたら、なぜか消えてしまいました。
 昼前から3時間近くかかって、長文を書いたのに、それが全部消えました。

 実は時々、こういう事があります。
 それも是非とも書きたいと思って、頑張って長文を書いている時に限っておきます。

 以前、小野寺信についてエントリーした時は、実は3回も保存に失敗して、その度に気を取り直して書き直したのです。

 尤もお陰で文章は最初の書いた物に比べて格段に良くなりました。

 だからひょっとして、あれは小野寺夫妻の霊魂が、「自分達の事をこんな下手くそな文章で書いては困る。」として書き直しをさせたのだと思っています。

 だとしたら今回もそれかもしれません。

 しかし今回、エントリーしようとした人物は、全員生きているので、生霊かもしれません。

 確かにアイツなら生霊になって祟るかも?

 だって目に狂気が宿っている奴なんだから。

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 立民・石垣氏から「ファシズム呼ばわり」 高橋教授が枝野代表の見解求める

 リンク先の産経新聞の記事の写真でも、怖い目をしているけれど、こいつが自分のツィッターのアイコンに漬かっているこの写真は、もっと怖い。
 
 何か禍々しい物が憑りついている、或いはこの女自身が悪霊としか思えません。
 
 ツィッターとかブログのアイコンに使う画像って凄く面白くて、そのアイコンを見ると何となくそいつの人格や思想信条がわかるのです。

 イヤな画像をアイコンにしている奴は、まず間違いなくイヤな奴だし、感じの良い画像をアイコンにしている人とは、殆ど皆気があいました。

 そしてコイツの場合は、狂気をアイコンにしているのです。

 ワタシは今まで見た人物写真の目で一番気持ちが悪いと思ったのはヒトラーの目だったのだけれど、しかしコイツの目はヒトラーの目の10倍不気味です。

 醜男のヒトラーと違って、顔かたちだけなら美女と言えるだけに、猶更狂気が際立つのかもしれませんが。

 このまま書き直すと、何度でも憑りついて、祟り続けるかもしれない・・・・・。

 でも、こういう狂気から日本を守りたいので、少し休んだらまた再度書き直してちゃんとエントリーします。
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