札幌市法務局が杉田水脈議員のブログについて「人権侵犯」の判定をしたことが、朝日新聞始め多くの新聞で報道されていたからです。
しかしワタシは低学歴なので、そもそも「人権侵犯」と言うのがどんなもので、誰がどのように判定するのかよくわかりません。
だから人権侵犯とはどのような物か?
人権侵犯とは誰がどのように判断するのか?
その法的根拠は何か?
など色々知りたい事があったのです。
実はワタシは前々からこの「人権」と言うのがよくわからなかったのです。 法務省の人権啓発のページなど見ると、法務省のキャラクター人形が「一人一人が尊重されて・・・・」とか大変美しい事が書いてあるのですが、余りと言えば余りに抽象的で、具体的・現実的には何を言っているか全然わかりません。
そして法務省の人権擁護局とか法務局とかの「人権」には凄く違和感があるのです。
例えば法務局の人権救済の事例を見る限り、個人が他の個人から言われたりされたりしたことについて「人権侵害」と判定して人権救済をしている事になっています。
杉田水脈議員の「人権侵犯」も、アイヌ協会の活動家が杉田水脈議員が議員になる前のブログで「コスプレおばさん」と言われた事を「差別だ」「人権侵害」だと札幌法務局に訴えて、法務局はこれを「人権侵犯」だと認定したと言うのです。
一方、日本国憲法では色々人権を保障しているんですが、実はこれらの人権は国家権力からの個人を守る為の規定で、個人同士の話ではありません。
これは低学歴でも少し考えたらわかります。
例えば家族や友人知人が創価学会やイスラム教に入信すると言い出せば、皆反対しますよね?
これは反対されている側からすれば凄く腹立たしく不愉快だろうし、宗教の自由の侵害と感じるでしょう?
でも家族や友人からすれば、当人の幸せを守るを為の助言ですから人権侵害と言われても困ります。
そもそもこんな風に個人同士の問題に国家機関が介入してくるのでは、国家機関が人権侵害をやりまくる事になります。
だったら法務局や人権擁護局は一体どんな基準で「人権侵犯」とか「人権侵害」とかを判断しているんでしょうか?
そういう判断の基準を決める法律などがあるのでしょうか?
と言う訳で色々聞きたくて、札幌市法務局に電話をしたのですが、札幌市法務局側は「杉田水脈議員」の名前を出した辺りで一方的に電話を切ってしまいました。
だから結局、法務局からは全く何の説明も聞けませんでした。
でも幸い桜内文城元衆議院議員がこの件で法務省に質問してくださいました。
桜内氏は元国会議員でしかも東大法学部卒、ハーバード大学ケネディスクール卒と言う超高額例なので、法務省も電話をガチャ切りして逃げるわけには行かなかったようです。
でこの超学歴の桜内氏が法務省に聞いたところ、この法務省の「人権侵犯」なる物の判定のもとになるべき法的な根拠はないと言うのです。
それどころか法務省の人権擁護局とか法務局とがやっている人権相談とか、その人権相談を受ける人権擁護委員会の仕事とかを活動自体に法的根拠はないと言うのです。
勿論、役所の仕事全てに法的な根拠があるわけじゃないです。
所謂「行政指導」など、役所だけの裁量で行う仕事もあります。
ところがこの人権擁護局の出す「人権侵犯」とか「人権侵害」は、この「行政指導」にも当たらないと言うのです。
だったら何?
桜内氏が法務省の話を聞いても、何だかよくわからないのです。
しかしこれは大変厄介な事です。 なぜから「行政指導」でもなければ法にもよらない為に、杉田水脈議員のように人権擁護局から「人権侵害」とか「人権侵犯」とか認定されても、これを不服として提訴できないのです。
そもそもこの「人権侵害」「人権侵犯」の判定は一方的な物です。
杉田議員の件を例にとると、アイヌ活動家の1人が杉田議員のブログの一節を札幌市法務局に持ち込んで「自分はこれで人権侵害された」と訴えると、人権擁護委員がこれを見て「人権侵犯」と判定したと言うだけです。
この判定の為に杉田議員側から事情を聴いたわけでもないし、勿論杉田議員からの反論はできません。
それどころかこのブログを「人権侵害」として札幌市法務局で検討されていた事は、杉田議員には知らされてもいなかったのです。
そして「人権侵犯」判定が下った事も杉田議員には知らされていなかったのです。
つまり自称被害者と人権擁護局だけで勝手に自己完結しているだけなのです。
尤もこの決定は非公開で、法務局や人権擁護委員などが、これを公開すれば公務員として守秘義務違反になります。
しかし自称被害者がマスコミに持ち込んで騒ぐ分には何の制限もありません。
因みにこの「人権侵犯」や「人権侵害」の判定を受けても、刑事罰などは下りません。
尤も人権侵犯判定を受けた側には、最初から最後まで何の連絡もないのですから、何もしようがありません。
しかし非公開原則の為、人権擁護委員が何を根拠に杉田議員のブログを「人権侵犯」と判断したかと言う理由も審査過程も全部非公開なのです。
これでは一旦「人権侵犯」のレッテルを貼られたら剥がしようがないのです。
今回の杉田水脈議員攻撃はまさに、杉田議員に「人権侵犯」のレッテルを貼る事により行われているのです。
これだとこうしたレッテルを貼った法務局の責任も重大でしょう?
ところがワタシがこの件を電話で言ったら、札幌市法務局はこの件については「マスコミの責任。 ウチには関係ない。」と明言しやがりました。
これじゃもう法務局が確信犯的に杉田議員の人権侵害を扇動したとしか思えません。
ワタシは人権と言うのは本来重要な概念だと思います。
人権と言うのは国家から個人を守る為に絶対必要な概念なのです。
しかし個人に対して個人を守る為の物じゃないです。
前記のように個人に対して個人の人権を守るなんて言い出したら、国家機関が個人の人間関係に関係に際限もなく介入して、一個人のブログまで監視するような社会になります。
これは正に反人権のディストピアです。
さらに言えば杉田議員の件では「差別」だから「人権侵犯」とされました。
しかし憲法で保障している平等は法の下の平等だけです。 個人に他人を平等に扱う事など強制しいません。
これも徹底しないと、やはり国家機関が恋愛や結婚など最もプライベートな問題にまで介入する事になり恐怖社会になります。
しかし法務省はこのような人権侵害の恐怖社会を作りたいようですから、国民全体で厳しく監視していく必要があります。