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2023-04-19 11:46

人権と差別と多様性 えり・アリフィヤ

 千葉5区の衆議院補欠選挙で自民党推薦の候補者えり・アリフィヤ氏が「自分の名前を選ぶのは、基本的人権」と仰っていますが、自分の名前を選ぶ権利って人権ですか?



 それだとワタシもワタシの兄も妹もずうっと人権を否定されていたことになります。
 だってワタシも兄も妹も、親の付けた名前をそのまま使っているのです。 自分の選んだ名前ではありません。 
 姓に至っては、恐らく明治の初年、農民や町人も姓を名乗る事になった時に、その頃の先祖が選んだ姓をそのまま受け継いでいます。 ワタシは独身なのでこのまま一生この姓を使うしかありません。

 名前は親からあまりに酷い名前をつけられたりしたときは、家裁に申し立てれば改名できます。 
 しかし姓は変えられません。 
 姓を変えるには結婚して配偶者の姓を名乗るか、養子に行くぐらいしか方法がありません。

 尤も夫婦別姓なら結婚しても変えらません。 何があっても先祖の姓を名乗るだけです。
 例えば東アジアの儒教圏、中国・朝鮮半島・ベトナムでは、元来夫婦別姓です。 儒教では姓は先祖からの血統を表す物です。 結婚で先祖が変わる事はないので、結婚しても姓は変わらないのです。
 尤も姓はそもそも存在しない国や民族は多数あります。

 名についてはどの民族でも国家でも全て子供が生まれた時に親か親の依頼で名付け親などがつけます。
 自分で名前を選ぶと言う民族と言うのは、聞いた事がありません。
 
 選択的夫婦別姓その物についてその是非はともかく、ここで「人権」を持ち出すのはあまりにナンセンスです。
 えり・アリフィヤ氏の発言を聞いていると、姓と名の意味も、また夫婦同姓や別姓の意味も、そして人権の意味も理解していないのではと思ってしまいます。
 なんでもいいから「人権」を振り回して、リベラルに迎合するのが正義と思っているような浅薄さに呆れます。

 ワタシは前にもえり・アリフィヤ氏についてエントリーしました。
 この時は「親戚が中国に居るが、日本と中国が戦争状態になった時に中国と戦うことはできますか?」と言う質問に、えり・アリフィヤ氏が「差別的な質問ですね!日本って多様性がないよね!」と答えた事を問題にしました。
 
 この件についてえり・アリフィヤ氏の支持者等が、「動画を切り取っている」「デマを拡散してえり・アリフィヤ氏を貶めている」と言う非難が上がってました。
 で、支持者達があげた元の動画を見ると、確かに動画の後半が切られていました。

 えり・アリフィヤ氏は「親戚が中国に居るが、日本と中国が戦争状態になった時に中国と戦うことはできますか?」と言う質問に、「差別的な質問ですね!日本って多様性がないよね!」と答えた後から、近親者は殆ど日本にいて、中国にいるのは「遠縁」の親戚だけだと答えています。 そして「中国と戦争になれば日本の為に戦う」と言っています。

 しかしワタシは凄く違和感があります。
 だって一般有権者はえり・アリフィヤ氏の親戚の居住地など知るわけはないのです。
 見るからに若い帰化一世となれば、常識的には親や祖父母など大切な近親者が出身国にいると思うのは当然です。
  
 一方、中国は中国在住の親族を人質にして、在外中国人にスパイ活動への協力を強要してます。 ケバブ屋とか日本語留学生など、権力にも機密情報にも全く無縁と思われるような人々が、この脅迫を受けて、中国への協力を強要されたのです。
 しかも中国はこれを日本だけでなく、世界中の在外中国人、或いは中国出身者に行っているのです。
 だから日本の国家権力や安全保障にかかわる人にとって、中国に親族がいるかどうかは、非常に重要な問題です。
 ところがえり・アリフィヤ氏はその質問にまず「差別的な質問ですね。 日本は多様性がないです。」と返したのです。

 もしアリフィヤ氏が「日本の為に戦う」つもりなら、この問題についての認識を問いたいです。
 他の中国出身者についてもこの質問をしたら「差別的」になるのでしょうか?
 中国出身者を自衛隊など防衛機密を扱う仕事から遠ざける、或いは厳格な身元調査をするのは差別でしょうか?

 しかしアリフィヤ氏の回答を見る限り、こうした安全保障上、情報防衛上の重要な問題への配慮は全く感じられません。
 これじゃもう戦わずして負ける事を期待しているとしか思えません。
 そういう悪意がないのであれば、この人は政治家はとにかく「差別」とか「多様性」とか振り回していれば良いと思っている非常にアタマの悪い人だとしか思えません。

 実際彼女の発言や政策を見ていると、全てがこの超愚かしく浅薄なポリコレのオンパレードです。
 そして日本と日本人を完全に見下しているとしか思えません。

 自分はアメリカの大学を出て国連でも働いていた超エリートなのだから、オマイラ下民に本場のポリコレを指導してやる。

 こんな感覚が見え見えで、しかもそれ以外の能力が全くなさそうなのです。
 それで何かと言えば「多様性」とか「差別」とか「人権」を振り回すのです。 それで日本人の言論を封殺する気満々なのです。
 でも最初の名前に関する発言を見ていてもわかるけれど、実は人権についてもまた人権が関わる問題についても全く理解できていないようです。
 
 「人権」って凄くありがたい呪文だから、アタシのようなエリートが使うのよ。
 オマイラ下民は黙れ。

 マジに自民党が何でこんな浅薄な屑を衆議院議員候補にしたのかわかりません。
 ホントは千葉の地元から選ぶはずが、党内派閥の関係でこの屑を押し込んだのだと言う説もあるそうですが、そんなの国民にはどうでもよい事です。
 一般国民から見れば屑は屑ですから。
 
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 ところで関係ないけれど、先日のテロに対する岸田総理の対応は100点満点でした。
 爆弾を投げられても予定を変えず選挙応援をこなし、さらに移動中にテロリストを取り押さえてくれた男性二人に直接電話をかけて礼を言ったそうです。
 これで総理がテロに一切動じなかった事がわかります。
 
 プーチンが同じ目に遭ったらそのままクレムリンの地下要塞に籠って寝込んでしまったでしょう。
 岸田総理の度胸を見せられて習近平も、色々計算が狂ったのではないかと思います。
 タカ派でもなく、お公家さんと言われた岸田総理でこれでは、武力で脅して日本を屈服させると言うプランは使えないと思うしかありません。

 と言うわけでワタシの中では岸田株はストップ高になっているのですが、しかしそれでもこんな屑を衆議院候補に出したのは残念です。
 尤も安倍総理だって随分屑を推薦していますから、政治って難しいですね。
 
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2023-04-15 13:22

女性として勤務する? トランスジェンダー

 某保守派の大先生が、トランスジェンダーの問題について、トイレやお風呂の問題を議論する保守を便所保守と呼んでいます。
 しかしトランスジェンダーについての問題は、トイレやお風呂など女性施設の問題でしかありません。
 少し長文ですが以下の記事を読めばわかります。

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「君は女ではないと言われているようで...」トランスジェンダー女性教諭が女子トイレを使えない理由とは
 2020年11月13日 松岡宗嗣

 記事の著者はLGBT活動家で、何としてもLGBT差別がある事にして、LGBT理解増進法を成立させようと頑張っている人です。
 しかしそのような人が書いた記事でも、トランス女性を名乗る人が、働くうえで問題になるのはトイレぐらいなのです。

 しかもこのトランス女性は女子トイレに物凄く執着しています。
 この人は中学の教諭なのですが、学校側も同僚の教諭達も、生徒や生徒の父兄もこの人が、トランスジェンダーとして女装して勤務する事を全く問題にしていません。

 但し校長は男子トイレか障碍者用トイレを使用するように申し渡しました。
 同僚の女性教諭達の圧倒的多数も、この方が女子トイレを使う事には強い抵抗があるようです。
 これについてこのトランス女性は大変不満なようです。

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一人だけ階段を上り下りして、多目的トイレを利用する際、『君は”男”ではないことはわかったけど、”女”ではない』と言われているようで、強い孤独感を感じていました

 なるほど・・・・、しかし他人からすれば、この人を女とは思えません。
 だってこの方は、結婚して妻子がいます。
 だから戸籍上も男性で、名前も正式に変えておらず学校では本名ではなく、女性名の通名を使用しています。

 妻子がいると言う事は、女性に性欲を持つと言う事でしょうか?
 記事には性適合手術については書かれていません。
 しかし奥様とは離婚もせず結婚生活を続けているのなら、男性としての性交渉も可能なのではと想像してしまいます。
 しかしこれで一体どこが女性なのでしょうか?
 これだと性犯罪等の危険性は、他の男性と全く変わりません。
 他人から見たらこの方はただの女装男です。

 女性教諭達にすれば、女装男でも男とトイレを共有するのは苦痛です。
 まして女生徒ならもっと抵抗があるでしょう。
 中学生なら思春期真っ盛りで、少女が性に関して最も敏感になる時期です。 この年齢だと自分の父親にさへ男性としての嫌悪感をもってしまい、それで父親との関係が滅茶苦茶になる子もいるぐらいです。 また自分の体が女になっていくのが不安で、拒食症になったりする子もいます。
 教諭ならそういう女生徒の気持ちだって配慮するべきじゃないのですか?

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 当人が自分を女性と思うのは、自由です。
 学校も他の教員も、生徒やその父兄も一切それは問題にしていません。
 だから女装での勤務も問題にしていません。
 現実問題として教員の仕事には、男女の区別はないので、本人が自分を女と思っても男と思っても関係ないのです。

 しかし女子トイレの使用は、「本人の気持ち」だけの問題ではありません。 他の教諭や女生徒の気持ちも同様に重要な問題なのです。
 ところがこの記事でもこの教諭の言動からも、他の女性教諭や女生徒達への気持ちの配慮は一切見られません。
 他の女性達が自分を女と思わない事への不満ばかりです。

 ??
 だったらこの方の奥様はこの方をどう思っているのでしょうね?
 自分の夫が「女性」だと思って結婚なさったのでしょうか?
 家庭では夫=男性として生活しながら、勤務先では同僚や生徒達に、トイレのような生理的な問題までも女性として扱う事を要求しているのですか?

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 因みにワタシは階の違うトイレを使うのがそれほどの苦痛だとは思えません。 実はワタシは工科大学卒なので、全学800人中女学生は10人と言う学生生活を送りました。
 ワタシの入学以前はもっと女子学生が少なかったので、学校の設計も女子学生の入学を想定していなかったようです。 それで女子トイレは女子事務員が勤務する学生課などの場所の近辺にしかありませんでした。
 だからトイレに行くために、長々学内を歩きまわった記憶があります。

 これは大学だけではなく、女性の少ない所では普通の事です。
 でもそれで女性達が文句を言う事もありませんでした。 だって不便だと言っても、健康な人間にとってトイレが多少遠いぐらいは大した問題ではありませんから。

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 ところがトランス女性なる人々は、なぜか女子トイレに入ろうとするのです。 しかも妻子がいたり、性適合手術を拒否したりと、女性に性欲があり、性交可能な人達が、女子トイレなど女性施設の使用を執拗に要求しています。
 その理由が「一人だけ階段を上り下りして、多目的トイレを利用する際、『君は”男”ではないことはわかったけど、”女”ではない』と言われているようで、強い孤独感を感じていました」など、本人の気持ちの問題です。
 それだけなのです。

 自分の気持ちの為に、同僚女性教諭や女生徒は、自分を女子トイレに受け入れろ!!と言うのです。
 それじゃ女性教諭や女生徒の気持ちは、どうなるのでしょうか?
 唯ひたすら不快感を我慢しろと言うのでしょうか?

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 因みに女性が男性に女子トイレに入って欲しくないと言う気持ちは、単純に防犯だけが理由ではありません。 
 女性は男性が女子トイレに入る事には、羞恥心や恐怖心などが絡んだ強い不快感を感じます。 これはワタシも合理的に説明できません。
 痛みとか不快感と言うのは、感覚の問題だから上手く言葉にならないのです。
 しかし強烈に感じる事は確かなのです。

 それなのになぜ女性はトランス女性の為に、この不快感を我慢しなければならないのでしょうか?
 トランス女性が女子トイレに入りたいと言うのも、トランス女性が入っては嫌と言うのも同じく気持ちだけの問題なのに、なぜ女性の側だけがその気持ちの我慢を強いられるのでしょうか?
 逆に聞くけど、トランス女性が女性だと言うなら、なぜこういう女性の気持ちや感覚を理解できないのでしょうか?

 都合の良いところだけ「女性」になってもらっても困ります。

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 そもそもトランス女性が女性だと言う事自体が、100%本人の気持ちの問題、心の問題なのです。
 ワタシはこの問題で一番理解できないのは、所謂「性自認」の問題です。
 自分の性別をどう思うかは自分の自由です。
 これは内面の問題ですから、国家や社会も他人もどうこう言えるわけもないのです。
 しかし自分で自分を女性だと思ったから、他人にも自分を女性と思わせる権利はどこから来るのでしょうか?

 この世にはトンデモナイ自認をしていた人間がいます。
 「幸福の科学」の教祖大川隆法は自分を地球最高神と自認していました。
 統一教会の教祖文鮮明は、自分をキリストの再来と自認していました。
 当人が自認したら、他人がその自認に従わなければならいのなら、全て国民は彼等の教団の信者にならなければならなかったはずです。

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 しかし勿論そんなバカな話はないのです。
 だったら男が自分を「女性」だと言っても、周りの人達には、彼を女性として扱う義務もないはずです。
 女装して歩くのは自由だし、仕事に差し支えなければ女装勤務も無問題です。 服装ぐらいなら完全に個人の自由の範疇ですから。
 でも女子トイレの使用など、女性の羞恥心や防犯に関わる問題は、そうはいきません。 
 同じトイレを使わなければならない女性達に、強烈な不快感や恐怖を与える問題なのですから。 
 トランス女性は他人から見れば女装男なのですから。

 ところが彼等は執拗に女性としての扱いを要求しており、その最終目的が女子トイレなど女性施設の使用なのです。
 ホントに背筋が冷たくなります。
 
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2023-04-05 13:20

ジョクジャカルタ原則と人権派の本質

 稲田朋美はLGBT理解増進法が成立しても、男性性器のついた男性が女湯に入る事はないと言い出しました。
 しかしこの話は全く信頼できません。
 なぜなら当の稲田朋美自身が、この問題について幾ら質問し続けても、今までずうっと誤魔化して回答を避け続けていたからです。

 そしてLGBT理解増進法を推進している活動家よだかれんは、「トランスジェンダーの中には、既にお風呂やトイレを利用している」と明言しています。
 この発言は多くの女性不安に陥れたし、そして既に性適合手術を受けて戸籍変更もしている性同一障碍者にとっては大変な脅威でした。

 よだかれん氏への抗議

 現実にはLGBT理解増進法などできる前から、女子トイレは勿論、女湯に入る自称トランス女性は多数いたのです。 そして彼等はそれを「権利」だと称していたのです。
 もしこれでこの法律ができて「理解増進」が国民に強制されたら、小規模な銭湯などがトランス女性の入浴を拒否する事は不可能になります。 

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 しかし海外ではこれで強姦犯が公判中に「自分を女性だ」と言い出して、女子刑務所に収監されるようになっています。
 強姦犯であっても本人の性自認で性別を変える事が、権利として法で認められているからです。 そしてそれで性別を変えたら、何人のこの強姦犯を男性として扱う事はゆるされないのです。

 この異常な事態が生まれた原因に2006年に起草されたジョクジャカルタ原則と言うのがあります。
 このジョクジャカルタ原則で、手術は勿論、医師の診断書なども一切必要とせず、性別を変更する事が権利として認められたのです。
 そして公共機関は勿論、個人もまた、その人間を変更した性別に従って扱うように定められています。

 以下のリンク先に、このジョクジャカルタ原則の制定の経緯から、問題点が書かれています。

 結構な長文ですが、しかし一読すると驚きます。

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 まずわかるのはジョクジャカルタ原則は弁護士・人権活動家・トランス活動家等に寄って起草され署名されたものだと言う事です。
 公的な機関は関わっていません。
 またこの制定には女性も関わっていません。
 女性の権利も考慮されていません。

 男性が肉体を一切変える事なく、自認だけで性別変更をして、女性とて扱われる事が権利となれば、男性性器そのままで女湯等に入り込む事が想定できます。
 これは女性にとっては、非常な脅威だし、防犯上も大問題です。
 
 女性として扱う事が権利になれば、必ず女性施設の使用権が不随するです。 
 一方女性施設と言うのは、防犯やセクハラなどを防止する為、男女で分けた事で生まれた施設なのです。
 だからそこに男性性器を持つ人間を入れる場合は、女性の安全や権利を考慮するべきなのです。
 
 しかしこのジョクジャカルタ原則を起草した人権活動家や弁護士やトランス活動家は、これを一切考慮しなかったと言うから驚きます。

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 実はこの会議には一応女性も参加していたのですが、しかしその女性は女性と言う言葉を使う事を拒否しました。

>この会議の女性共同議長であるブラジルの性的権利活動家ソニア・コレア(sexual rights activist Sonia Correa)は、人権に関する言説から男女間の不平等についての言及を排除したいと考えている。彼女がジョグジャカルタ原則を倣うべき模範としている理由は、「女性」という言葉に言及していないからだ。

>コレアは、「女性の権利」という言葉を使うことを拒否しているという。というのも、フェミニズムは女性の身体に関係するべきではなく、生物学的性別は19世紀の西洋の社会構造であると考えているからだ。
彼女の主張では、男女の生物学的差異が物質的に重要であるという見解は「原理主義者:fundamentalist」だ、ということなのだ。

 先日ワタシは「ジェンダー」と言う言葉についてエントリーしたのですが、その時に一部のフェミニストが性別を抹殺しようとしていると言う話を紹介しました。
 このフェミニスト達は男性と女性でジェンダーで分ける事で、身体の性別を抹殺しようと言うのです。 
 
 そして実際にこのジョクジャカルタ原則の起草に加わったのは、正にそのようなフェミニストだったのです。

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 一方、ジョクジャカルタ原則起草については、男性の体そのままの人間が、女性施設に入り込む事の問題について一切考えていなかったと言います。
 参加者の一人がこのように証言しています。

「トランスジェンダーの人たちが苦しんでおり、これこそ彼らが必要とすると示しているものだ…という感覚がありました。2006年当時、手術をしないことやセルフIDの意味合いは、私たちには理解できませんでした。なので、私の記憶では、手付かずの性器を持ったままの男性が女性の空間にアクセスするとは、誰も考えておりませんでした。

 これはまた非常に不思議な話です。
 日本では昔から女装痴漢が、女子トイレや女湯に入り込むと言う事件が時々起きています。
 欧米でも公衆トイレは防犯上非常に危険とされていて、防犯の為に日本以上の配慮がされています。
 しかも強姦など凶悪な性犯罪の発生率は日本より遥かに高いのです。

 そういう国々で「自分は女だ」と言えば女で通る事になれば、犯罪者達がこれを利用する事を想定できなかったと言うのは本当なのでしょうか?
 
 それ以前に「2006年当時、手術をしないことやセルフIDの意味合いは、私たちには理解できませんでした」と言うも呆れます。
 だったらこの人権活動家や弁護士達は、自分達には意味合いのわからない話をジョクジャカルタ宣言に書き込んでいたと言う事になります。

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 しかしアムネスティー・インターナショナルが、このジョクジャカルタ原則を全面的に支持しました。
 そして世界中の国々にこの原則に従うように圧力をかけるようになったのです。

 アムネスティー・インターナショナルは、女性の人権とトランスの人権の衝突の存在を認める事さえトランスフォビアだと言う見解を採用しています。 
 実は国連の女性の人権推しは気持ちの悪いレベルなのですが、しかし一方でこういう事をやっているのですから、ホントに気持ちが悪いです。

 なぜアムネスティーがこのジョクジャカルタ原則を支持しているのかわかりません。
 しかしアムネスティーがこれを支持し、国連加盟国に圧力をかけ続けた事が、このジョクジャカルタ原則が欧米先進国の多くに大きな影響力を与えた事は間違いないでしょう。
 
 そして勢いづいたトランス活動家達は2017年、ジョクジャカルタ原則に更に踏み込んだ内容の10項目を加えました。
 例えば「すべての国は出生証明から性別の登録を廃止しろ」と言うのです。

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 なるほどトランスの権利、トランスの人権だけを考えたら、ジョクジャカルタ原則は間違いではありません。
 そしてトランスジェンダーの人達の中には苦しんでいる人がいるのも事実です。

 しかし当然ですが、女性にも人権があるのです。
 また権利を付与すればそれを濫用したり悪用したりする人間が出るのも事実です。
 そもそもどんな場合でも人権を考える場合は、特定の人達の人権だけを極大化するのではなく、他の人達の人権とのバランスで考えていくしかないのです。
 ましてそれを法制化する場合には、濫用や悪用される事を前提で、その防止策を込みで法案を作るのです。

  ところがこのトランスジェンダーの問題については、こうした問題を全部吹き飛ばして、ひたすらトランスの権利の擁護だけが全てなのです。
 これは実に異様な話です。

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 トランスは大変でしょう。 しかしトランスの苦しみは、結局内面の問題であり、自分でで気持ちの持ち方を変えたら済む話なのです。

 そもそもジョクジャカルタ原則によれば、誰でもいつでも性別を変える権利があるのです。 そして国家も個人もその人間を望む性別の人間として扱う義務があります。
 だから強姦犯が逮捕後、「性自認は女性」と言い出しせば、司法は強姦魔を女性として扱い、強姦魔を女子刑務所に収容しなければならないのです。
 ジョクジャカルタ原則に従えば、強姦犯も、正真正銘のトランス女性です。
 では「彼女」達はトランスである事でどう苦しんでいたのでしょうか?

 ジョクジャカルタ原則を適用すれば、強姦魔もオートガイネフェリアと言われる女装趣味の変質者でも痴漢常習犯でも、痴漢常習者でも、女性になれるのです。 
 こうなるとトランスジェンダーを装った男性が、女子トイレや女湯に入り込んで性犯罪を犯すのではなく、こうした犯罪者は皆トランスジェンダーと言う事になります。

 実はこのようなジョクジャカルタ原則に一番危機感を持っているのは、本当に性別の問題で苦しみ続けた人々、つまりGIDの性同一障害の人達です。
 こんな状況になってしまえば社会の認識は、トランス女性=性犯罪者になります。 

 変質者や犯罪目的、女性への嫌がらせ目的での性別変更を行った男性達は、トランス女性の社会的評価が厳しくなれば、簡単に男性に戻るでしょう。
 しかしGIDの人達には、どんなに辛くても苦しくても、男性として生きられないのです。 その為、性犯罪者が作ったトランス女性の悪評は、GIDの人達が背負う嵌めになります。
 だからGIDの人達とすれば、性別変更の要件を厳密に定めて、性犯罪者の性別変更を阻止しないと自分達の立場がなくなります。

 手術要件の撤廃とは、特例法廃止のことである~「トランスジェンダー国会」を受けて~

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 一方この世には、本当に苦しんでいる人が多数います。
 トイレ一つとっても人工肛門や車いすに対応するトイレだてってまだ十分設置されているわけではありません。
 厄介な慢性病を抱え込んだ場合、経済的な救済策は生活保護しかなく、資産や支援してくれる家族のない人はホントに悲惨な事になります。
 しかし僅少な人が苦しむからと言って、社会全部をその人の為に変えるような事ができるわけはありません。
 
 ところがトランスジェンダーについては、国連や一部先進国がホントに僅少な人の為に男女の性別と言う人類が人類なる以前から人間の社会に存在した大原則を破壊しようとしているのです。

 ワタシはこれはもう狂気としか思えないし、またこういう狂気を生み出した弁護士や人権活動家の知性のお粗末には唖然としました。

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2023-04-04 12:52

「ジェンダー」という造語と性別の抹殺

 90年代ぐらいから所謂フェミニスト達が、「ジェンダー」と言葉を使うようになりました。 
 
 「ジェンダー」とは各人の性別に押しけられた、ないしは期待された社会的役割の事です。

 人間は女児や男児として生まれるのですが、しかしそれだけで女性や男性になるのではなく、生まれた国や地域、時代によって、男性・女性に期待される社会的役割を果たせるように教育されます。
 要するに女の子は女らしくなるように、男の子は男らしくなるように、親や学校、社会全体から言われて育つのです。

 この男女によるジェンダーの違いが、男性と女性の言動の違いに大きな影響を与えていると言うのです。

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 ワタシもここまでは十分理解できます。
 
 しかしその後、フェミニスト達はジェンダー重視を推し進めて、ジェンダーが性別に圧倒的に優越するようになり、更に過激なフェミニスト達は性別を抹殺していきました。

 今、LGBT理解増進法でトランスジェンダー、トランス女性と言われる「自分は女性」と名乗る男が女子トイレや女湯に入ってくる事が懸念されています。
 そしてLGBT差別が法で厳禁となった欧米では、トランス女性が女子スポーツに進出して、記録を塗り替えています。
 さらには強姦犯が「自分は女」だと言えば、女子刑務所に収監されて、そこで他の囚人を強姦すると言う事態になっています。

 これは女性にとって極めて深刻な人権侵害なのですが、しかし日頃「セクハラが~~!!」「キモイ!!」と喚きまくるフェミニスト達が、なぜかこの問題に無関心でした。
 それどことかむしろトランス女性を女性施設に入れる事を応援してきた観さえあります。

 これは大変不可解ですが、しかしフェミニストとして活動し来た女性達、特に学者など高学歴者がフェミニズムの理論の中心を「ジェンダー」に据えてしまい、性別を抹殺してきたの事を考えると当然の話です。
 彼女達の中では既に性別は消滅しているのです。

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 性別は肉体的な男女の違いですが、ジェンダーは社会的な男女の違いです。 
 肉体が男の人の性別は男性です。
 でも彼が女装して女らしく振舞えば、ジェンダーは女性です。
 だからジェンダーを性別に優先させてたら、彼は完全に女性なのです。

 だったらトイレでも女湯でも自由に入って当然ではありませんか?
 ジェンダーを性別に優先させる、性別を抹殺したら、トランス女性と生得的な女性を区別せず全て女性に含めるべきではありませんか? 

 勿論、これはあまりに馬鹿馬鹿しい空論なのですが、しかし90年代以降、女性学とかフェミニズムなどの学問に関する世界は、この理論で進んできたのです。
 それどころかこの理論が遂に現実の法として実現したのです。
 結果、ホントにトランス女性と自称すれば、「自分は女性」と言えば、男が女湯にはいっても処罰されないし、強姦犯が女子刑務所に収監されると言う社会が実現したのです。

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 ホントにこれでは女性は恐ろしくて暮らせないのですが、しかし過激派フェミニストにとっては大変満足な結果でしょう。
 
 これで法的には、「男女の差は全てジェンダーの差」と言う事になったのですから。
 男女の差が肉体の差であれば、これは天然自然の物ですから、フェミニスト等社会活動家が幾ら喚いても変えられません。
 しかしジェンダーは元来社会的、政治的に決まる物ですから、変えられるのです。

 だからジェンダーを優越させて性別を抹殺した後、男女のジェンダーを均一化すれば完全な平等社会になると信じているのでしょう。

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 この理論で頑張ったのはジュディス・バトラーと言う学者だそうです。
 因みに日本では東大教授の清水晶子と言うが、これで頑張っているようです。 
 この二人の書くものって凄く難解なのだそうです。 
 しかしその難解さが、こうした問題についての議論で勝ち進む為には有効なのでしょう。

 だって難解過ぎて何を言っているのかわからない論文では、簡単に否定できないのです。 しかも学者同志の議論で相手の論文がわからないなんて言えないのですから。 
 それで「ジェンダー」はドンドン性別に優越する概念となって、性別を抹殺してしまったのです。

 でもいくら学者の頭の中で性別を抹殺しても、現実に男性から男根や睾丸を消せるわけではないし、女性から子宮や卵巣を消す事はできないのです。 そしてその性別から来る体力の違いや、妊娠・出産・育児の問題がなくなるわけでもないのです。

 だからこの性別の抹殺は、実に愚劣な社会実験だったとしか言えません。
 それでもこの学説の教祖様は、未だに自説を曲げずに頑張っているようです。


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 しかしそれにしてもよくもこんな馬鹿馬鹿しい理論で、現実の社会の法まで変えられた物だと呆れるしかありません。

 ワタシはこの論文を読んでいて、これはもう人文科学とそれを取り巻く人間の欠陥だと思いました。

 自然科学では言葉や概念は極めて厳密に定義して、中学生も大数学者も、物理学者や化学者も全く同じ意味で使います。
 でも人文科学の場合は、最初から言葉の定義が最初から曖昧なので、学者同志議論をする場合でも、それぞれが自分の都合に合わせて中身をすり替えて使うのです。
 更に彼等を取り巻くジャーナリストや活動家が、意図的に言葉の意味を変質させて煽ります。
 それで程なく元の言葉とは全く違う意味になってしまいます。
 これだと学問としてフェミニズムを進歩させるなんて事は不可能でしょう。

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2023-03-09 12:22

社会が変わってしまう 同性婚

 立憲民主党が同性婚を認める為の民放改正案を出しました。

「できないのは差別だ」 立憲 “同性婚”認める民法の改正案を提出
 2023年3月6日 テレ朝

夫婦」「父母」→「婚姻の当事者」「親」に

LGBTなど性的少数者をめぐる議論が活発化するなか、立憲民主党は、同性婚を認める民法の改正案を国会に提出しました。

立憲・西村代表代行
「異性の間であれば、法律的な婚姻が認められているものが、同性間でできないということは私は差別だと思っています」

法案では、「異性又は同性の当事者間で婚姻が成立する」と明記し、同性婚の当事者も特別養子縁組などができるよう規定を整備するとしています。

また、これまでの「夫婦」や「父母」という言葉を、「婚姻の当事者」や「親」など、性的に中立な言葉に改正することが盛り込まれています

法制化に慎重な姿勢を示す政府・与党に対し、議論を前進させる狙いがあります。

 つまり立憲民主党は、同性婚を認める為に、民法の婚姻に対する規定その物を変えようとしているのです。
 そして「夫婦」「父母」など家族関係を表す用語自体を、同性婚にあわせて変更すると言うです。
 こうなると同性婚を認める為に、夫婦や親子など家族関係その物の概念を変得なければならない事になってしまいます。

 実はワタシは同性婚には反対でした。
 何で反対かは自分自身でも今一上手く説明できなかったのですが、しかしネット上で同性婚推進派の言動を見ていると、どうも彼等は同性カップルを幸せにするために、やっているのではなく、同性婚を梃に婚姻制度そのものを破壊したいのではないか?と思えたからです。

 と言うのも同性婚推進派は「婚姻こそが男尊女卑や個人の圧迫など諸悪の根源だけれど、憲法における平等権を守る為には同性婚を認めるべきだ」などと言っているのです。

 ??
 イヤ、婚姻制度がそれほど不幸なら、同性カップルにまで同じ不幸を押し付ける必要はないでしょう?
 せめて同性カップルぐらいは婚姻の不幸から守ってあげたら?

 こんな連中が推進するのだから、絶対良からぬ下心、同性婚を認める事で婚姻制度は破壊する魂胆なのだと思わざるを得ませんでした。
 しかし同性婚でどうやって婚姻制度を破壊するかはわかりませんでした。

 けれどもこの立憲民主党の民法改正案で、そのプランが見えてきました。
 つまり彼等は前記のように、同性婚を認める為と言う口実で、現行の婚姻制度を同性婚の都合に合わせて変更する、更に「夫婦」「父母」など家族を形作る概念を崩壊させる、こうやって婚姻制度を腐らせて破壊しようと言うのです。
 
 婚姻制度は非常に古く、文化人類学者によると、人類が人類になったころには、既にこの制度は確立していたのではないかと言います。
 そして婚姻制度は、男女が共同して子供を産み育てる為の制度です
 だからどんな時代でも、その機能を守る事を大前提に、法も宗教も社会習慣も作られてきました。

 しかし同性カップルの場合は子供ができません。
 カップル双方が同性ですから、その意味ではホントに対等だし、自由です。
 けれどもこのようなカップルの都合に合わせたルールをそのまま男女に適用すると、妊娠や出産などのハンディを抱えた妻や幼児を守る事ができるのでしょうか?
 このようなルールを男女に適用すれば、結局婚姻と言う物の意味がなくなるのではないでしょうか?

 つまり同性婚を認める事で世界は変わるのです。
 人類が人類になった時から、延々と守り続けた夫婦や親子の関係が崩壊し始めるのです。
 同性婚推進派はそれを熱望しているのです。
 その為の同性婚なのです。

 だからこそ推進派は、同性婚を認める為の民放改正と言うのです。
 もし彼等がホントに同性カップルの幸せの為にだけ、同性婚を推進しているのならこれは奇妙でしょう?

 だって「父母」や「夫婦」などと言う言葉を抹殺するような法案では、圧倒的多数の国民が違和感を持ちます。
 同性愛者の人達も、殆どの人は「父母」にも「夫婦」にも悪意は持っていません。 むしろ自分の両親は敬愛し感謝しているし、兄弟姉妹の結婚は祝福し、甥や姪を加輪がっています。 
 性愛の対象が同性と言うだけで、他の面では普通に善良な社会人なのです。
 
 それなのに何で態々こんな違和感のある法改正をするのでしょうか?
 もし同性カップルの関係を法的に保障するだけなら、現行の男女の婚姻制度には一切手を加えず、同性カップルの都合に合わせた同性婚制度を作れば良いではありませんか?

 例えば同性婚推進派は夫婦別姓にも非常に執着している人達なのですが、男女の婚姻とは別途に同性婚制度を作るなら、そっちは夫婦別姓でも構いません。
 夫婦別姓の問題は生まれた子供の姓をどうするかなど、子供の事を考えて起きる問題なのですが、同性婚なら子供は生まれないから無問題です。
 貞操義務なども、男女の夫婦のように厳しくする必要はないかもしれません。
 
 そもそも日本は伝統的に同性愛を差別したり迫害したりした歴史はなく、同性カップルが養子縁組で家族になって暮らすことも、普通に行われていました。
 だからホントに同性カップルの為なら、現在養子縁組をしているカップル始め、同性愛者の意見を聞いたうえで、より同性カップルに都合のよい養子縁組制度を作るなどの方法を取った方が、余程スムーズに事が進むはずです。

 しかし大変奇妙な事な、立憲民主党の民放改正法案を見れば、同性婚を認める為に、現行の男女間の婚姻制度を変更する、更には「父母」「夫婦」と言う用語を抹殺しすると言う、違和感超満載の改正案なのです。
 
 これではどう見ても、彼等の目的は同性カップルの幸福ではなく、婚姻制度の破壊、夫婦・親子関係の破壊、家族制度の破壊としか思えません。
 だからワタシは同性婚には断固反対します。

 同性カップルのカップル関係の法的保護には、反対はしません。 現在は養子制度が利用されていますが、これを同性カップルほ保護により都合の良いように改正した改正養子制度を作る事なら全面的に賛成します。

  1. シェベツニダ!!
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