65年目の夏 非戦の国であるために
連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」のモデル水木しげるさんの作品の一つに、漫画「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)がある。
何ともやり切れない物語だ。先の戦争で、南方のある島の守備隊が米軍の攻撃を持ちこたえられなくなり玉砕を命じられる。ところが戦場が混乱する中、80人余りが生き残ってしまう。
玉砕は全員戦死が大前提だ。免れるのは許されない。司令部は守備隊の指揮官に自決を、一般の兵士には再度の玉砕を命令する。泣く泣く従う兵士たち…。
水木さん自身の体験を元にしている。「90%は事実」だという。
<戦争への仕掛け>
生きて虜囚の辱めを受けず。先の戦争では多くの兵士が理不尽な戦陣訓に縛られ、なくさなくてすむ命をなくした。
家族も苦しめられた。ある日、召集令状が届く。嫌な顔をするのは許されない。隣近所からの「おめでとうございます」の声に、家族は気丈に応える。映画などによくでてくる光景である。
あんなことはもうこりごり-。戦争体験の風化がいわれる中でも、忌避する空気は国民の間に今なお根強い。
憲法9条は戦争放棄をうたっている。憲法は為政者の行為を縛るためのものだ。政府が国民を戦争に駆り立てることは、憲法によって禁じられている。
日本は今のところ「戦争ができない国」にどうにかとどまっている。そう判断していいだろう。
過ちを繰り返さないために、問題を反対の方向から考えてみたい。「戦争ができる国」とはどんな国なのか、政府が戦争を始めるにはどんな条件が必要か。
国防の義務を定める法律、軍事機密を特別に保護する規定、軍事法廷(軍法会議)…。制度的な仕掛けが幾つも挙がってくる。徴兵制はその最たるものだ。
10年ほど前、沖縄の米海兵隊を訪ねたときのことである。司令官が力説していた。
「この基地にいる兵士は全員、日本を守るために命を捨てる覚悟ができている」
本当なのか、と米国に詳しい友人に尋ねたら、「それは立て前」と一笑に付された。若者の多くは退役後の奨学金目当てで軍に志願している、日本のために死ぬなんてとてもとても、と。
貧しさゆえに、大勢の若者が軍の扉をたたく。米国の人々が「経済徴兵制」と呼ぶ仕組みである。
<従順と付和雷同と>
「戦争ができる国」になるために、制度的仕掛けに加えて欠かせないものがある。軍事に重きを置く価値観、言い換えれば「戦争の文化」とでも呼ぶべきものだ。生きて虜囚の、の戦陣訓や、戦死を名誉と受け止めさせる空気は、その一部である。
この戦争に何の意味がある、自分の死は犬死にではないのか-。
そんな疑問を抱きながら戦地に赴いた兵士は多かった。米国の若者も同じ問いをベトナムやイラクで繰り返した。
人間なら自然に抱くそうした疑問を無理やり抑えつけるところに、戦争の文化は成立する。
あの時代を振り返ると、日本が破局へ至った一因に大勢順応があったことが分かる。例えば映画評論家の佐藤忠男さんは「草の根の軍国主義」(平凡社)で、自分が「軍国少年」だったころを振り返る。「われわれはじつに従順であり、我慢づよく、さらには大いに付和雷同的でした」
戦争の文化はそうした精神構造にも支えられる。
「ぼくは戦記ものをかくと、わけのわからない怒りが込み上げてきて仕方がない」。水木さんは「総員玉砕せよ!」のあとがきで書いている。それは、戦争体制になすすべなく押し流されたことへの悔しさでもあるのだろう。
<芽は小さなうちに>
戦争の文化は過去のものと言えるだろうか。
2年前の出来事を思い出す。航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が、中国侵略や朝鮮半島の植民地支配を正当化する考えを論文で発表して更迭された。
大勢いる自衛隊員の中に特異な歴史観を持つ人が交じってくるのは避けられない。問題はそうした考えの人が隊内で評価され、トップに登り詰めたことにある。背中にひやりとしたものを感じた人は多いはずだ。
1999年、国旗国歌法が制定された。日の丸を国旗、君が代を国歌と定める法律である。
この法律は下手をすると、日本を「戦争ができる国」にする露払いになりかねない。私たちが法制定に反対した理由である。
有事における国、自治体の役割や国民の協力などを定める国民保護法は2004年に成立した。私たちは慎重に審議するよう国会に求めた。国民が持つ権利の制限に踏み込んでいたからだ。
65年目の夏に、あらためて考えたい。「戦争ができる国」へつながる動きに敏感であること、芽は小さなうちに摘むことを。
http://www.shinmai.co.jp/news/20100815/KT100814ETI090008000022.htm

これは8月15日に信濃毎日新聞に掲載された記事です。
ワタシは自分で新聞を読めるようになった頃から、毎年この手の記事を読んできました。
記事の内容はどのマスゴミでも同じです。 最初に戦争の悲劇を書き、戦争の悲劇を繰り返すなと書きます。 そして何か戦争に関連しそうなものがあれば、「芽は小さなうちに」と言う論法で絶対反対するのです。
戦争をするからと言って軍備に反対するのは勿論ですが、その軍備をするのは国家ですから国家その物にも反対します。
だから国家を象徴する国旗や国歌にも反対します。
考えてみれば戦後教育の目的と言うのは、唯戦争に反対する事だけを目的にしているのです。

勿論戦争は悲惨です。 だからそれを防ぐ事を目的の教育や報道は、それ自体オカシイわけではありません。
しかしオカシイのはここで言う戦争とは、太平洋戦争での日本の政権と日本軍の対応だけを問題にし、それ以外の戦争の可能性には、一切言及しない事です。
つまり日本のマスゴミの心配している戦争とは、日本に軍事政権ができて、それが宣戦布告して戦争を始める事以外の戦争を全く想定していないのです。
そしてそのパターンでの戦争だけを防げば、日本は一切戦争に関わらないで済むと信じて疑わないのです。
こんな馬鹿な事ってあるでしょうか?
いかに歴史は繰り返すと言っても、歴史の中で同じ事が、全く同じパターンで起きる事はありません。
戦争は日本が宣戦布告しなくても、相手から仕掛けられると言う可能性もあるのです。

いや歴史を学べば自分が宣戦布告しなければ戦争は起きない、軍備を減らして相手に脅威を与えなければ戦争は起きないなどと言う珍説はあり得ません。
そもそも過剰な軍備をしなければ戦争が起きないなら、自国側から宣戦布告しなければ戦争が起きないなら、日本軍がシナに侵攻したのは、シナが過剰な軍備をしてシナが宣戦布告をしたからと言う話になってしまいます。
これなら全然日本が反省するどころではありません。
日本に謝罪と反省をと喚き続けているマスゴミやその仲間の妄想平和主義者達の言い分だけで、お笑いの自己矛盾になります。
だからこんな珍説は世界の何処にも通用しません。
ドイツやイタリアなど日本と同様の枢軸国はこんな馬鹿話に付き合う気はありません。
そして第二次世界大戦後必死の独立戦争を戦って、独立を勝ち取ったアジアやアフリカの国々は、その独立を守るために、強い国家を作り強い軍隊を持とうと努力しているのです。

日本だけがこの珍説に嵌り、今もまだその珍説に沿った教育をし、そして恐ろしい事にその珍説を外交方針にしています。
そしてそれに多くの国民が疑念を抱いていません。
それには理由があります。
それは日本が絶海の孤島で、近代まで異民族や外国からの侵略を受けた事がなかったと言う事実です。
確かに近代以前なら日本のような孤島へ、軍隊を送り征服戦争を仕掛ける事は、どのような強国でも殆ど不可能でした。
しかしそのような時代は、ペリー来航と共に終わったことを、当時の人々は理解したのです。
だから富国強兵の政策を取ったのです。
ところが、今はこの歴史的な現実さへも無視して、明治維新自体を侵略戦争の始まりと位置づけるトンデモ史観を大真面目に唱える人が居ます。
それも立派な大学の教授だったりします。

戦争は悲惨です。 それは誰にもわかります。
だから戦争が終わった直後なら、感情的な厭戦気分、厭戦と反戦だけに嵌る気持ちはわかります。
しかし本来なら人間は、どんなに辛い目にあっても、時間が経てば冷静になって、その辛い体験を冷静に評価しなおして、現実を生き抜くために学ぶべきことを学ぶはずではありませんか?
けれどもこの記事に見られるような、現在日本で言われる「戦争への反省」はそのようなものではありません。
それは戦争の悲劇をひたすら感情的に訴え、それからの非現実的な過剰反応を求めているだけです。
言ってみれば車を右へ寄せすぎて、対向車線に飛び出して事故を起こした人が、今度はひたすらそれを恐れて左へ寄せる運転をせよと言っているような愚かさです。
車を運転してれば常に事故の可能性はあります。 だから車を運転するときは右側へも左側へも寄せすぎてはいけないのです。
これと同じで、国家が存続すれば戦争の危機は常にあるのです。
だからそれを防ぐためには、過剰な軍備もいけないけれど、過小な軍備はまた危険なのです。

世界の国々の圧倒的多数は、日本と違い何百年もの間、繰り返し戦争をしてきました。 自国が仕掛ける時もありましたが、相手から仕掛けられることもありました。
ドイツやフランスのような歴史的に強国だった国々も、敗戦や或いは他国の侵略による苦悩も体験しています。
まして小国、弱国と言われる国々の苦悩は言うまでもありません。
そしてそれらの国々は、その苦悩の歴史を通して、国家を守るための軍備を持ち、それを前提にした外交をしているのです。
ところが現在の日本はそれらの国々の優れた知恵を学ぶ事ができるにも関わらず、それを拒否して挙句に「9条を世界に」などと無知蒙昧をさらけ出している始末です。
ワタシは日本の戦後教育と、それによって育てられたインテリやそれを喧伝するマスゴミを見て思うのです。
彼らは現実を見ない努力をしている、そして日本はそれに釣られて、現実を見ない努力をしてきたと。
そしてその集大成が現在の民主党政権だと思うのです。