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2022-02-24 22:02

花に埋もれて

 前回のエントリー「薔薇色の雲」に沢山のコメントを頂いてありがとうございました。
 頂いたコメントには今後、必ず返信します。 
 
 今日は妹と二人で、ペット霊園に行ってよもちゃんのお葬式をし、火葬し、お骨を拾ってきました。
 それでよもちゃんは小さな骨壺に入って、ワタシの家に戻ってきました。
 そしてまたワタシの傍にいてくれます。

 昨日の14時半、よもちゃんが逝ってから、妹を待つ間、泣く事も悲しむ事もできず、ただただブログに自分の気持ちを書きました。
 そしてそれを読んだ皆様のお気持ちを考える事もなくアップしてしまいました。
 そのことで皆様にも大変辛い思いをさせた事を申し訳なく思います。

 でもそれで皆様がワタシの気持ちを受け止め、そしてよもちゃんを温かい言葉で送ってくださった事で、本当に慰められました。
 天国のよもちゃんもきっと大喜びしていると思います。

 あれからワタシは一人で薔薇色の雲が次第に色あせ、闇に沈んでいくのを眺めていました。
 窓の外が暗くなるころ、妹が来てくれました。
 昨日もう吹雪は収まっていたのですが、それでそれまでの降雪で道が狭まり、札幌市内の道路は、どこも大変な渋滞だったそうです。

 それでも来てくれたのですから、本当にありがたいです。
 妹は綺麗な花束と、お弁当やワインを持ってきてくれました。 それで二人でよもちゃんのお通夜をしました。

 それから沢山のお香典を持ってきてくれました。
 妹は獣医さんの往診をお願いしたときに「往診代は自分が出すから、元気になるまでずうっと往診をお願いして」と言ってくれたのですが、ホントに二月分の治療費が全部出るほどのお香典でした。
 そしてこの前のお見舞いと合わせると、よもちゃんの治療費も葬儀費用も大方妹が持ってくれたことになります。
 ワタシはありがたく頂きました。
 
 ベッドの上のよもちゃんは、ホントに可愛く、ワタシと妹がよもちゃんの話をしているのを聞いて、またニャーとなきそうでした。
 妹は何度もよもちゃんを優しくなでてくれました。
 
 よもちゃんと暮らし始めてから、ワタシは二度、入院しました。 最初の入院は10日ほどだったと思いますが、妹はその時は喜んでよもちゃんを預かってくれました。
 妹はワタシ同様大の猫好きですから、よもちゃんの事をホントに可愛がってくれました。 ところがよもちゃんは散々悪さをして妹をてこずらせたうえ、その後、妹が我が家に来るとベッドの下に隠れると言う忘恩ぶりでした。

 二度目は2016年です。 ワタシは自転車で転んで右足を骨折し、二か月も入院する羽目になりました。
 二か月!!
 しかも前に散々、迷惑を掛けられたのに!!
 それでも妹はワタシが退院するまで二カ月間、よもちゃんの面倒を見てくれました。
 よもちゃんは勿論その二か月間、外へ出たいとか好きな事を言って泣き喚き、妹を散々にてこずらせました。

 でも最近はよもちゃんも忘恩的な態度を改めました。 そして妹が来ても逃げずに大人しく抱っこされたりするようになりました。
 妹は以前の忘恩行為を責めるでもなく、よもちゃんをかわいがってくれました。

 だから妹と二人でのお通夜によもちゃんも満足してくれたと思います。

 こうやってお通夜の夜が明けると、ワタシは漸く霊園の予約を取る決心がつきました。
 ここはワタシが夏に野菜を買いに行く無人販売所の近くで、札幌の街を見下ろす高台の神社です。
 その神社が数年前からペット霊園を始めたのです。

 ワタシはそれでよもちゃんの万一の時にはここにお願いしようと決めていました。
 でもホントにその日が来てしまうと、一人では予約取る事ができなかったのです。

 それから獣医さんが往診についての電話をくださいました。 ホントは今日は休診日なのに、昨日から早朝の往診を申し出てくださっていたのです。
 ワタシはよもちゃんが昨日天国へ行ってしまった事を話て、往診をお断りしました。
 明日は改めて病院にこれまでのお礼を言いに行こうと思っています。

 こうやってよもちゃんを送る覚悟がついたので、ワタシは妹に留守を頼んでよもちゃんを送る花を買い足しに、近所の花屋さんに行きました。 
 久しぶりに外に出ると、とても明るく温かく、すっかり春の気配でした。
 気がつけば二月だってもうあと何日も残っていないのです。

 残念な事に花屋さんには、殆ど花がありませんでした。 ここは花束の配送などを本業にしている花屋さんらしく、切り花は殆ど置いていないのです。
 それで今度は妹が、さらに遠くの花屋さんまで行って、今度はとても愛らし花を沢山買ってきてくれました。

 こうやって二人午前中一杯よもちゃんを送る支度を続けました。
 よもちゃんはその間、静かに眠っているようでした。
 本当に愛らしくて、もう目を覚まさなくてもよいから、このままずうっといてほしいと思ってしまいました。
 それで愛撫せずにはいられないのですが、毛皮の下の体が次第に冷たくなるのがわかり悲しかったです。

 しかし午後1時過ぎ、霊園の車がお迎えに来てくれました。
 神社の霊園ですから、神主さんの司式の神道のお葬式でした。
 これはネコウヨだったよもちゃんにピッタリです。
 だからよもちゃんも満足だったと思います。

 そしてこれで最後のお別れになりました。 よもちゃんは妹が買ってきてくれた花に埋もれて旅立ちました。

 葬儀から骨拾いまで、妹にホントに助けて貰いました。
 ワタシは泣くばかりで役立たずでした。
 そもそもワタシ一人なら、哀しくてよもちゃんのお骨も拾えなかったと思います。

 火葬の間、外に出てみると、真っ白な手稲山が真正面に見えて、素晴らしい景観です。
 霊園ではよもちゃんの卒塔婆を用意して祭ってくれるとのことですから、少し落ち着いたらまたここに来て、よもちゃんと二人でこの景色を見ようと思います。

 よもちゃんはこうやって妹にも、またこのブログにアクセスしてくださった皆様にも、最後まで可愛がっていただきました。
 そして真っ白な山の上の青空のかなたへと旅立ちました。

 向こうではチコ様やミケちゃんやご隠居さん、パトカーさんや白様やモモちゃん達が待っていてくれます。 だからきっと淋しい事も辛い事もないと思います。

 西野神社の二度の大吉は恐ろしい結果になったけれど、でも神様には感謝しています。
 以前よもちゃんを自由にお外に出していた時、よもちゃんがなかなか帰ってこない時が何度もありました。
 そういう時、ワタシはいつも半泣きで「神様!! 仏様!! どうかワタシによもさんを返してください。 いつの日か必ずよもさんとはお別れしなければならないでしょうが、でもその時はちゃんとよもさんを看取らせてください!! こうやってどこに行ったかもいわからないままのお別れなんて絶対に嫌です!!」と言って探し回りました。

 すると神様はちゃんとよもちゃんを返してくれました。
 それでワタシはこうしてよもちゃんを見送る事ができました。 
 神様、本当にありがとうございました。

 そして最後にもう一度、皆様にお礼を言います。
 本当にありがとうございました。 
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2022-02-23 16:15

薔薇色の雲

 今日午後2時半よもちゃんは天国へ行きました。

 昨日の夜、先生が来てくださったときには、ご機嫌で、点滴の最中にゴロゴロ言っていました。
 これはさては一昨日の往診で点滴をしてもらった事で、気分が良くなったので、点滴をすれば楽になるとわかったのか?と、先生と一緒に喜びました。
 
 そして夜はいつものように一緒に眠りました。
 いつものように幸せな夜でした。

 今日はホントは病院は午前中だけの診療だったのですが、先生はそれでもまた診療時間の後ならと、昼過ぎに往診してくださいました。
 そしていつものように点滴とお注射をしてもらいました。

 よもちゃんは今日は昨日に比べて元気がなくて、肉球が妙に冷たいのが気になりましたが、それでも点滴も嫌がらずにゴロゴロ言っていました。

 明日は病院は休診日なのですが、先生はそれでも早朝なら往診してくださると仰ってくださいました。
 それでワタシもまた往診をお願いしました。

 先生が帰った後、よもちゃんはまた大量のオネショをしたので、ワタシはタオルを取り換えてあげました。 よもちゃんはぐったりしていたので心配でしたが、それでもあの「白い夜」だってそうだったので、大丈夫だろうと思いました。

 ワタシはよもちゃんのタオルを取り換えて、またよもちゃんをワタシのベッドに寝かせました。
 それから昼食を食べたり、ブログの下書きを書いたりしていました。

 2時前に妹がまたよもちゃんの事を心配して電話をくれました。
 ワタシは妹に状況を話すと、妹は「往診代は自分が持つから、よもちゃんが元気になるまで往診をお願いしろ」と言ってくれました。
 ホントにうれしかったです。

 それでワタシは妹に少し甘えて、月末にワタシが札幌医大へ診察を受けに行くときには、留守の間よもちゃんの面倒を見てほしいと頼みました。 
 妹は快諾してくれました。

 こうしてワタシも妹もよもちゃんはまだまだ頑張ってくれると思っていたのです。

 ワタシは電話を終えた後、よもちゃんの様子を見たら、また大量のオネショをしていました。 それでワタシはまたタオルを取り換えました。
 
 その直後、よもちゃんが急に苦しそうにあえぎ始めました。
 ワタシはびっくりしてよもちゃんの背中をさすりながら、どうしたらよいかと考えました。 今日の午後は病院は休診ですから、先生はもう病院にはいらっしゃらないでしょう。

 でもそうやって焦っていたのは数分、いや精々30秒ぐらいだったのではないでしょうか?
 よもちゃんは直ぐにあえぐのをやめて動かなくなりました。

 胸に耳を当てても心音は聞こえませんでした。
 
 全てが現実であって現実ではないように思えます。
  
 ワタシは少しボーっとした後、妹に電話をして、よもちゃんが天国へ行った事を伝えて、お別れに来てくれるように頼みました。
 そしてよもちゃんの体を綺麗に拭いて、元気な時はずうっとつけていた赤い紅絹のリボンをつけあげました。
 それからよもちゃんの為に綺麗な小さなお布団を作りました。

 あの「白い夜」の間、ワタシはよもちゃんが死んだら、綺麗なお布団で霊園に送ってあげようと思っていました。 それで薔薇の小花模様のプリント地でよもちゃんの為の布団を作りました。
 
 1月24日に発病したよもちゃんは、2月になってからは病状が悪化する一方でした。
 ワタシは以前からよもちゃんが病気になったら、絶対に苦しませないで行かせてあげなくてはならない、辛くても哀しくても助からないとわかれば安楽死させてあげようと覚悟していました。

 でも先生は希望を捨てないし、ワタシだって助かるモノならどんなことだってしたかったのです。
 それで頑張り続けたのですが、でも2月からは気を抜いたらすぐによもちゃんが死んだ後の事ばかり考えるようになっていました。

 なんかそういう事ばかり考えてしまうのです。
 そしてとうとうそれが現実になりました。

 よもちゃんはまだワタシのベッドにいます。
 赤いリボンを付けたよもちゃんは相変わらず可愛く、そのままニャ~と言って起きてくれそうに見えます。
 でもそういう事はもうないでしょう。

 今はよもちゃんと二人で、妹がお別れに来てくれるのを待っています。 
 
 皆様、本当に長い間よもちゃんをかわいがってくださってありがとうございました。
 よもちゃんはワタシの伴侶と言うより分身として、ワタシと皆様の気持ちをつないでくれました。
 
 だからワタシはよもちゃんには心から感謝しています。
 そしてよもちゃんをかわいがってくださって皆様にも心から感謝しています。

 本当にありがとうございました。

 窓の外の雲が薔薇色に染まり始めました。 
 よもちゃんはこれからあの雲の世界に行くのでしょう。

 
 
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2022-02-22 11:12

黄色い花

 昨日のエントリーでは皆様に随分ご心配頂きました。
 でも昨日の夕方からよもちゃんはまた持ち直しました。

 実は一昨夜、よもちゃんが自分のオネショで濡れた場所からも動けなくなっているを見たときは、よもちゃんはもう昨日のうちにでも死んでしまうのかもしれないと思い詰めました。

 そして自分の気持ちを整理する為に、ブログに書きました。
 でもブログに書いて、皆様から慰めのコメントを頂き、また昼には妹からの心配の電話も来て、話をするうちに何とか気持ちも落ち着きました。

 一方よもちゃんは夜が明けてからも、何度もオネショをしました。
 ワタシはよもちゃんのオネショが心配で、ペットシートを敷いていたのですが、それでもシーツやタオルがオシッコで濡れました。
 オシッコの量も随分多くて、こんな小さな体からどうやってこんなに大量のオシッコが出るのかいぶかしい程でした。

 よもちゃんの病気は胆管炎で、胆嚢のトラブルですから、所謂「黄疸」が出ていて、耳や皮膚や肉球まで黄色くなっています。
 そしてオシッコの色も異様に鮮やかな黄色です。
 それでシーツやタオルにはまるで黄色い花が咲いたような鮮やかな黄色いシミができるのです。

 ともあれブログを書き洗濯などの作業をしていると少し冷静になれたので、獣医さんに往診していただく事を思いつきました。
 妹に相談すると、是非そうしろいわれました。

 それでとても図々しいとは思ったのですがお願いしました。 すると先生は診療時間が終わった後に来てくださると仰いました。
 これでよもちゃんがバッグの中で吐く心配はなくなりました。

 外は凄い吹雪でした。 
 時々、吹き止みますが、しかしまた直ぐ真っ白になります。

 そうやってノロノロと時間がたつうち、午後4時過ぎになって、よもちゃんがヨタヨタと水飲み場に向かいました。
 実はよもちゃんが水を飲みに行くのは、5日ぶりぐらいです。
 毎日点滴をするようになってからは、点滴で水分が入るので、喉が渇かなかったようでした。
 でも昨日はあんなに大量のオシッコをしたのですから、水分が足りなくなったのでしょう。

 それでワタシはよもちゃんを水飲み場に連れて行いきました。
 しかし水の入った茶碗の前に来ても、よもちゃんは水を飲みませんでした。
 水の入った茶碗の前で、いかにも水を飲みたそうな姿勢で座るのですが、なぜか全然飲めないのです。
 それでワタシがシリンジで飲ませようとすると、嫌がって口を開けません。
 そしてまた茶碗の前に座るのです。
 よもちゃんは結局そうやって一時間余り、水の入った茶碗の前に座り込んでいました。

 水を飲みたいのに飲めない。
 これでは渇き地獄です。
 
 こうなったら点滴をしてもらうしかありません。
 ワタシは先生を待ち続けました。

 そして6時半の病院の診療時間が終わって間もなく先生が電話を下さり、その後直ぐに往診に来てくださいました。
 外は吹雪いていたので、先生の帽子もジャケットも雪で真っ白になっていました。
 病院からは徒歩で5分とかからないのですが、それでも真っ白になるような天候だったのです。

 家に入ると先生は直ぐよもちゃんに、いつもの点滴と注射をしてくださいました。 
 よもちゃんは嫌がりましたが、しかし直ぐに終わりました。
 そして「良かったら明日も往診する」と言ってくださいました。

 こうやって先生が帰るを玄関で見送り、居間に戻ると、なんとよもちゃんが綺麗な香箱を作ってご機嫌でゴロゴロ言っていました。
 
 点滴で渇きが一気癒されて、すっかり気分が良くなったようです。
 
 夕べも一昨夜と同様よもちゃんと寝ました。 夕べもよもちゃんはオネショをしましたが、しかし一昨夜と違って、オネショをした場所から移動していました。 一方ワタシは一昨夜の疲れで、よもちゃんのオネショでパジャマの袖が濡れたまま眠りこけていたのです。

 今日もよもちゃんは、昨日より大分元気です。 
 それでワタシも元気です。
 
 外は吹雪です。
 昨日の吹雪がまだ続いているのです。
 でもワタシは昨日と違う気持ちでこの白い景色を見ています。

 勿論、現在の状況でよもちゃんの回復の目途は立っていないのですが、しかし暫くは希望を持って頑張って行けそうです。
 皆様、本当にありがとうございました。




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2022-02-21 09:05

白い夜

 夕べ、12時前寝ようとしてベッドに入ると、外で大きな音がしました。
 不思議に思ってカーテンの隙間から外を見ましたが、何もありません。
 でも夜中にも何度か同じ音がして、やっとそれが雷鳴だとわかりました。 

 それから自分のパジャマの袖が濡れているのに気づきました。 傍で寝ているよもちゃんがオネショをしたのです。
 ワタシはパジャマを着替えて洗濯機に押し込み、それからよもちゃんの下に敷いていたタオルも取り換えて洗濯機に押し込みました。

 パジャマを換えを取りに行った時、また窓の外を見たら真っ白でした。
 天気予報では夜から吹雪くと言われていたのですが、あの雷鳴と共に吹雪が来たのです。

 ワタシはよもちゃんの下に敷いたタオルを取り換えた後、またよもちゃんを同じ場所に置きました。 よもちゃんは喜んでゴロゴロ言っていました。

 それから2時間程して、また目が覚めました。 
 するとよもちゃんはまたオネショをしていました。 今度はタオルだけでなく掛けていた羽根布団のシーツも濡れていました。
 それでワタシはまたタオルを取り換えました。
 でも夜中に羽根布団のシーツまで取り換えるのは大変なので、よもちゃんの体が濡れたシーツに触らないように、よもちゃんに薄いタオルをかけてあげました。

 そして自分がベッドに戻る前にまた外を見ました。
 外はやはり真っ白でした。

 そしてベッドに戻った時に、恐ろしい事に気づきました。
 よもちゃんは病気になって以来、頻繁にオネショをするようになりました。 でも昨日まではオネショをした後は、自分のオシッコで濡れた場所は気持ちが悪いのか、よもちゃんなりに決まりが悪いのか、オネショをした場所からはゴソゴソと移動していたのです。
 寝ていたよもちゃんが、ふいに寝場所を変えたな?と思ったら、オネショをしているという事が何度かありました。

 ところが夕べはオネショをしても全く動かないのです。
 ワタシが濡れたタオルを取り換えてあげると喜んでゴロゴロ言うのですが、自分では全く動かずまるでぬいぐるみのようにぐったりしているのです。

 よもちゃんが少し大人しすぎるし、ご飯も食べないのに気づいたのは1月24日です。
 でもそういう時も時々あったし、今まではそれで翌日になればまたご飯もバクバク食べるし、元気に遊びだすので、ワタシは一日様子を見ました。
 しかし一日経っても全然元気にならないので、翌26日に獣医さんに連れて行きました。
 それで胆管炎の診断を受けて、点滴と胆管炎治療の為の抗生物質の注射と、肝臓機能回復の為の注射をしてもらいました。

 以降、殆ど一日置きに点滴に通いました。
 それから無理にでもご飯を食べさせたほうが良いと言われたので、獣医さんでもらった高栄養食の缶詰やチュールの総合栄養などを、無理矢理食べさせました。

 そうやって頑張ったお陰か、2月9日には少し元気になって、伸びをしたり、ご飯が欲しい時のポーズを取ったりしました。
 ワタシが凄くうれしくなって、翌日西野神社へお礼参りに行きました。 それで御神籤を引くと、なんとまた大吉でした。
 年末から二回連続で大吉を引いたのです。 ワタシは少し怖くなりました。

 果たして、翌日からよもちゃんがまためっきり弱りました。
 10日には自分でベッドに上がったし、ベッドから降りる時も猫らしくふわりと降りていたのです。
 それなのに11日の朝から、歩くのもやっとなのです。 まるでスケートのできない人が、スケートリンクを歩いているような足取りで、踏ん張る事が全くできないようでした。

 ワタシはまた獣医さんに連れて行きました。 獣医さんはいつもの点滴と注射をしてくれて「点滴を二日しなかったのが不味かったのかも?」と言いました。 
 それまでは一日置きに点滴に通っていたのですが、9日と10日はよもちゃんの調子が良かったので、二日間点滴に行ってなかったのです。

 だからワタシはその時は、それなら点滴をしてもらえばまた元通りになると思いました。
 それでそれからは毎日点滴に通ったのです。 ご飯も頑張って食べさせました。
 その間に獣医さんの定休日や臨時休業の日もあったのですが、獣医さんはその間もよもちゃんの為に特別に点滴をしてくださいました。
 
 病院は我が家からすぐ近くで、居間の窓から見えるのです。 だから徒歩でも5分とかかりません。
 ワタシが引っ越しの時にこの家を選んだ理由の一つが、獣医さんが近くて安心だからでした。

 でも1月24日までよもちゃんはすこぶる元気で、病院には行く機会は全然なさそうでした。 その上、前の家のようによもちゃんが外に遊びに行くこともなくなったので、毎年受けていた予防注射もいりません。
 だからワタシは居間から病院を眺めながら、「せっかく獣医さんの近くに引っ越して来たけれど、このまま永遠に病院に行かないので済むのだろう。」と思っていたのです。

 しかしこうして毎日点滴に通う事になると、やはり病院の近くに越して来た事は大正解でした。 この寒空をよもちゃんを抱えて長く歩く事などできないし、そうかといってタクシーだってすぐに捕まるわけではありません。
 その上今年は大雪で、幹線道路以外の道路の道幅が一車線ギリギリになっているので、前の家のようなところなら、タクシーを呼んでも来てくれないでしょう。 

 でもそうやって点滴に通う事は、よもちゃんには辛い事のようでした。 
 4日ぐらい前から、よもちゃんが病院に行く途中や病院で吐くようになりました。
 よもちゃんは何を言いませんから、何で吐くかはわかりません。 病院へ行くときに抵抗した事もありません。 
 それでも必ず病院へ行くバッグの中で吐くと言うのは、タダの吐き気だけはない気がしました。

 先日温泉猫さんがコメントの中で、自分の病気治療での点滴の辛さを書いてくださり「でも自分は治療に必要だと思うから我慢できるけれど、よもちゃんには大変なストレスでは?」と心配してくださいました。
 その時はよもちゃんはまだ吐いてなかったので、ワタシはそう真剣に心配していませんでした。 でも、今となっては胸が痛みます。

 それに先日沓澤亮治先生の動画を見ていたら、やはり御自身の肺癌の治療の為の制癌剤の点滴に苦しさを語られ「こんな目に遭うのは、自分が獣医だった頃に、治療の為とは言え犬や猫に点滴を打ちまくった報いでは?と思ってしまう。」言っておられました。

 ワタシだって注射や点滴は嫌いです。
 でも今の状態ではよもちゃんは自力では十分な水を飲めないだろうし、既に脱水状態が続いているのです。 
 だから点滴をやめたらそのまま命が終わります。
 ワタシは一体どうしたら良いのでしょうか?

 1月24日によもちゃんが発病してから3週間余、よもちゃんの病状は一進一退が続きました。
 でも結局、病状はどんどん悪化しているのです。
 
 ワタシはこれまでよもちゃんがベッドに飛び乗ったとか、伸びをしたとか、朝起きたときにウニャーと言ったとか、ウンコをしたとか、少しでも元気になりそうな兆候があると、「さあこれからは回復に向かうぞ!!」と喜ぶのですが、でもその翌日にはそれまでよりも一段と弱ってしまうのです。

 もうこれ以上よもちゃんを苦しめるべきではないかもしれない・・・・。
 よもちゃんが嫌がるならご飯も病院通いもやめて、静かに逝かせてやるべきかもしれないと思うのですが、それでも少しよもちゃんの病状が良くなると、また回復を期待して無理にご飯を食べさせたり、病院に連れて行ったりしてしまいます。

 ワタシは人づきあいが苦手で、友達は殆どいないし、その上病持ちで一人暮らしです。
 でもよもちゃんと一緒だったので本当に幸福でした。
 夜、よもちゃんと二人でベッドに入り、枕元でよもちゃんがゴロゴロ言うのを聞いて思わずよもちゃんを抱きしめて「幸せだね!!」と言った事が何度もありました。

 よもちゃんが病気になってからも、よもちゃんと一緒に寝る時は幸せだと思いました。 
 夕べだって幸せだったのです。

 よもちゃんはこうやって18年余り、ワタシを幸福にしてくれたのです。 だからワタシにはこれ以上よもちゃんを苦しめる権利はありません。
 でもだからこそ、助かるモノならどんなことをしても助けたいです。

 妹もワタシに取ってよもちゃんがどれほど大切かを知っているので、前々から「よもさんにはできるだけ長生きしてほしい。 出来たら猫又になってほしい。」と言っていました。
 そしてよもちゃんが病気になってからは、心配して再々電話をくれました。
 またワタシがよもちゃんを置いて長時間家を空けられないのをわかっているので、食料の買い出しの時に車で誘いに来てくれました。 
 まて先日は多額お見舞金までくれました。 点滴や注射で一回にかかる金額も相当なモノなのでこれはホントに助かりました。

 今日は朝からまた吹雪いています。 
 よもちゃんの弱り具合を見ると、病院へ行くべきだとも思いますが、でもこんなにも弱っているよもちゃんを更に苦しめたくはない・・・・とも思います。

 白い夜が明けると白い朝になりました。
 そしてワタシの頭も真っ白です。

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2022-02-05 11:58

心折れそう

 今朝、ワタシのスマホに知らない番号からの電話がありました。
 不審に思いながらも出てみると、このところよもちゃんが通院している獣医さんでした。
 獣医さんはまずはよもちゃんの病状を聞いてくださった後、獣医さんの子供さんが通っている保育園でコロナ出た事、そして獣医さんの子供さんも今朝から熱が出たので、これから検査に行くとの事でした。
 それで病院は当分休業になるかも知れないけれど、来れば点滴等の対応はしてくださるとの事でした。

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 よもちゃんは先月の24日ぐらいから具合が悪くなりました。
 23日の夜中までは元気で、真夜中にワタシをたたき起こして、追いかけっこを強要したりしたのです。
 でも翌24日は妙におとなしく寝るばかりだし、全然ご飯を食べません。 それで少し心配になりました。
 でもこれまでもそういう事は時々ありました。 よもちゃんは1~2か月に一度、全然食べない日があるのです。 でもその翌日からはまたバクバク食べるようになるのです。
 だから少し様子を見る事にしました。

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 それで25日は、丸一日様子を見ました。
 ところがよもちゃんは全然元気になりません。 何も食べずに寝るばかりです。
 これは不味い!!
 ワタシは翌26日の朝一番で、近所の獣医さんに連れて行きました。

 幸い獣医さんはホントに近いのです。 よもちゃんをバッグに入れて徒歩で数分歩けば着くのです。
 去年、ここに引っ越した時に、ここに決めた理由の一つが獣医さんが近いと言う事でした。

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 獣医さんに着くと、コロナ対応の為、よもちゃんは待合室にいていいけれど、ワタシは待合室の外で待つように言われました。 
 それでワタシはよもちゃんを置いて外に出ました。 幸い待合室の窓の傍にベンチがあって、そこに座ると窓の中のよもちゃんが見えます。 だからワタシはそこで待ちました。 
 徒歩で数分なのできちんと防寒装備をしないで来てしまったので、寒かったけれど仕方ありません。
 車で来た人達は、勿論車の中で待っているようでした。

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 ともかく凍えながら暫く待っているとよもちゃんの順番が来ました。
 ワタシがわかるのはよもちゃんが大人しすぎる事と、ご飯を食べない事ぐらいなので、ちゃんと診断がつくのが非常に心配でしたが、でも先生は血液検査をして、その結果から肝臓のエコーを取って、胆管炎と診断しました。
 それで炎症を抑える注射、肝臓を治す注射、それから脱水状態という事で点滴をしてくださいました。
 これで21670円でした。

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 これはワタシの懐には甚大なダメージですが、しかしよもちゃんの為なら仕方ありません。 
 お金はこういう時にこそ使うのだ!!
 と腹を括って、よもちゃんが快癒するまで、病院代はケチらない覚悟を決めました。
 そもそも幾らワタシが節約しても、岸田首相が一言うたびに株が下がりワタシの資産が目減りしているのですから。

 ともあれ大枚21670円も出したからには、よもちゃんはどんどん良くなってくれる・・・・と信じ、ワタシはすっかり安心して帰宅しました。
 だってこれまでだってよもちゃんは何度か病気をして獣医さんの厄介になっていますが、これまでは早い時は獣医さんから戻てった当日中に、遅い時でも数日で元通り元気になったのですから。

 病気そのものである胆管炎の炎症を抑える注射は二週間ぐらい効き目がるとのことでした。 だからワタシは一週間もすれば、よもちゃんはドンドン良くなってくれるモノと思い込んでしまいました。
 でもそういうわけには行きませんでした。

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 病院に行った翌日になってもよもちゃんはご飯を食べませんでした。
 それでワタシはよもちゃんの口に合うモノをと思って、近所のドラッグストアに行って猫チュールとか猫お八つとか色々買い込んできました。
 でもよもちゃんは全然食べてくれませんでした。
 こんなに長い事食べないとそれだけでも弱ってしまいます。 実際よもちゃんはドンドン弱っていきました。

 29日、ワタシはたまりかねてまた獣医さんに行きました。 そしてまだご飯を食べない事を話しました。
 すると先生は「ご飯を食べないと肝臓に脂肪が溜まり、肝機能が落ちので無理にでも食べさせるように。」と言って、高栄養食の缶詰を出してくれました。

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 高栄養食って・・・・。
 ワタシは父の事を思い出しました。
 父が多発性骨髄腫で入院したときも、全く食欲がなくなって、高栄養食を出されたのです。
 それは牛乳のような白いドロリとした飲み物だったのですが、父はこれを飲むのが非常に辛そうでした。
 余程不味いのか・・・・・。
 意思も自制心も人一倍強い人が、小さなコップに半分程度の高栄養食を飲むのを辛がって飲み残していたのです。

 ワタシの父は65歳、母は74歳で死にました。
 だから二人とも死ぬまで知力も精神力も殆ど衰えていませんでした。 それで両親の看護をしている時は、非常に辛く悲しかったけれど、よく言えば二人の意思を尊重、ぶっちゃけて言えばワタシの方が精神的には二人に頼り続けていたのです。
 ワタシ達兄弟よりも強く賢い人の判断に、ワタシ達子供は従う事し考えませんでした。

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 でもよもちゃんは違います。
 最初から最後までワタシが守り続けるしかないのです。
 ご飯だって無理矢理食べさせるしかありません。 
 それでもワタシが先生に言われた通り、よもちゃんを捕まえて無理矢理ご飯を食べさせたのは、1月31日にもう一回病院に行って点滴を受けた後、先生から再度注意された後でした。

 そしてそれでも最初は高栄養食はカワイソウに思い、チュールの総合栄養食と言うのを4本食べさせました。
 よもちゃんは凄く怒って抵抗したのですが、それでも吐いたりするわけでもなく、むしろいつも美味しいモノを食べたときにやるように、口の周りをぺろぺろ舐めまわしていました。

 やったね!!
 ワタシは喜んで次の日(2月1日)は、チュールに加えて、高栄養食の缶詰の3分の1程を食べさせました。
 それによもちゃんは水もしっかり飲んで、お陰でこれまでかろうじて一日一回だったオシッコも二回したのです。
 よもちゃんが病気になってから初めて快方に向かっていると思えた日でした。

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 だからワタシは翌日(2日)もまた高栄養食を食べさせました。
 ところが食べてから3時間程で吐きました。
 そして夜になってまた吐いたのです。
 食べた分を全部吐いたわけではないでしょうが、でも非常に辛そうでした。 そしてこの日はオシッコもしませんでした。

 よもちゃんが病気のなる前日からワタシは縫物に嵌っていました。 家にあった布で前々から作ろうと思っていたバッグを作っていたのです。
 ところがそれが完成しても、よもちゃんが病気になって心配で家から出られなくなったので、その残り布でもう一つバッグを作りました。

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 でもよもちゃんの看護中にそれも完成したので、今度はよもちゃんの通院バッグを作る事にしました。
 よもちゃんの通院用のケージは先代のお古なのですが、蓋の蝶番が壊れて蓋ができなくなってしまったので、使えなくなってしまいました。
 それで通院には段ボール箱をバッグに入れて使っていました。
 でもこのバッグは大きすぎて使い辛いので、壊れたよもちゃんの通院用ケージが調度はいるぐらいのバッグを作る事にしました。 そうすれば蓋が壊れてもケージの身の部分を利用できます。
 よもちゃんを置いて外出できないので、ファスナー他、材料は皆家にあるモノを使いました。

 もしよもちゃんに万一の事があれば・・・・。
 もうこんな通院バッグなんかいらないのです。
 でもそれを考えたくないから、通院バッグを作り始めたのです。
 でも一昨日、このバッグの完成間近になって、このバッグによもちゃんを入れて、ペット霊園に行くところが頭に浮かんで、号泣してしまいました。

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 そして昨日(2月4日)、完成したバッグによもちゃんを入れてまた病院に行きました。
 先生は吐き気はこの病気の特徴だから仕方がない事と言って、これまでの点滴と肝臓の注射に加えて吐き気止めを注射してくれました。
 そして「この病気は吐き気が出るので、自分から食べられるようになるには、長い時間がかかるけれど、食べないとドンドン肝臓が弱るので、吐いても無理矢理食べさせなければならないので、飼い主は心折れるけれど、頑張ってください。」と言われました。

 ホントにワタシは心折れそうでした。
 それでなくてもよもちゃんは若くないのです。 先日もshowachoさんの愛猫めいちゃんの訃報を聞いたばかりです。 めいちゃんは後二か月で17歳だったそうです。
 猫の平均年齢は15歳ですから、めいちゃんは天寿を全うしたのです。
 
 一方よもちゃんは現在18歳、4月には19歳になるのです。
 これじゃもうダメ!!
 それでとうとう一昨日は号泣してしまったのです。
 一人暮らしはそういう点便利です。
 でもここでワタシが心折れてはダメなのです。
 だから頑張ります。

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 一方、病院の方では先生が用心に用心を重ねていたのに、子供さんの保育園からコロナが入り込みました。
 子供さんがコロナだと先生も濃厚接触者になるので、病院は休業しなければなりません。 そうなったらよもちゃんだけでなく先生を頼っている患者さんたちはどうなるのか・・・・。
 だから先生もこうやって朝から重症患者の所にその場合の連絡をくださったのです。
 
 みんな頑張っているのです。 
 だからワタシも心折れてはいられません。 
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