2020年11月2日 05時55分 東京新聞
フランスで2週間のうちに4人が殺害された2件のテロ事件を巡り、イスラム教の預言者ムハンマドを描いた風刺画を「表現の自由」として擁護したマクロン大統領らの姿勢とイスラム教徒の溝があらわとなっている。イスラム諸国の反仏感情が過熱し、新たなテロの連鎖が懸念される中、マクロン氏が強硬なまでに表現の自由にこだわるのはなぜか。
◆「第3共和制以来の権利」
一連のテロの発端とみられているのが、風刺週刊紙シャルリエブドの9月2日付の1面。同日始まった2015年の同紙本社襲撃事件の公判に合わせ、事件のきっかけになったムハンマドの風刺画を再掲載した。
仏テロ捜査当局は10月下旬の記者会見で「この日以降、インターネット上でイスラム過激派諸組織が報復を呼び掛けていた」と指摘した。
9月下旬、5年前の襲撃事件の現場前で男女2人が襲われる刺傷事件が発生。10月16日にはパリ郊外の中学校で同紙の風刺画を生徒に見せた男性教師が殺害された。捜査当局はいずれも実行犯は過激派による報復の呼び掛けに呼応したとの見方を示している。
マクロン氏はシャルリ紙による風刺画再掲載から一貫して表現の自由を擁護。理由として好んで使うのが「フランスには第3共和制以来、冒瀆 する権利がある」という言葉だ。
◆大統領選見据え
表現の自由はフランス革命の人権宣言に明記され、帝政を経て第3共和制に移行後の1881年に法制化。その象徴が、革命期に絶対王政への冒瀆を笑いに変えた風刺画だった。マクロン氏は、歴史的背景を踏まえ、表現の自由への思い入れが強い仏国民の世論を意識しているとみられる。
さらには右派の野党勢力から対策が甘いと批判されてきたマクロン氏は1年半後の次期大統領選を見据え新たなテロ対策法案を年内に提案予定。10月上旬にイスラム過激派への対決姿勢を表明した骨子を大々的に発表、その2週間後に教師殺害テロが起きた。
◆背景に右派の圧力か
「表現の自由の守護者」として一般市民では異例の国葬とされた教師への追悼の辞でマクロン氏が「フランスは風刺画をやめない」と発言。マクロン氏の発言について、仏メディアには右派の野党勢力の政治的圧力が背景にあったとの見方もある。 (パリ・谷悠己)
この記事どう読んでもマクロン大統領に批判的でしょう?
マクロン大統領は命がけで「冒瀆する権利」と「表現の自由」を守ろうとしているのです。 だってこれは民主主義の根幹だから当然です。
民主主義を守る為にはテロに屈するわけにはいかないのです。
しかし東京新聞はそれを単に右派からの政治的な圧力による物と捉えているのです。
だから「冒瀆する権利」「表現の自由」に固執などと言うタイトルをつけているのです。
この記事を読む限り東京新聞は、マクロン大統領はイスラム教徒の気持ちを考えてムハンマドを冒瀆するような表現は禁止するべきだと言いたいようです。
なるほど人を傷つけるのは悪いことです。
できたら人を傷つけるような表現は避けるべきです。
しかしだったら愛知トリエンナーレだって大問題でしょう?
愛知トリエンナーレでは昭和天皇や英霊を冒瀆する作品が展示されて問題になったのです。
現在日本で昭和天皇や英霊を崇拝する人はマイノリティです。
にもかかわらず愛知県側も文科省もこの人達が傷つく事を承知で、昭和天皇や英霊を冒瀆する作品の展示を許したのです。 しかもその展示は公費で行われたのです。
東京新聞がマクロン大統領が「表現の自由」「冒瀆する権利」に固執することが問題というなら、当然ですが愛知トリエンナーレについても「表現の自由」「冒瀆する権利」に固執している大村愛知県知事の態度も問題にするべきでしょう?
そしてこの件でもし津田大輔や大村知事が斬首されても、犯人を非難するべきではありません。
東京新聞理論によれば悪いのは昭和天皇を崇拝する人々を傷つけた彼等なのです。
そうでなければ完全なダブルスタンダードです。
なるほどシャルル・エブドの風刺画が悪趣味です。 あれはどう考えても人を傷つける事を楽しんでいるのです。
シャルル・エブドは福島第一原発の事故についても超悪趣味で、被災地の人々を傷つける風刺画を掲載したことがあり、日本政府も抗議したことがあります。
この他にもローマ法王他、多くの人々や事件が風刺の対象になり、風刺の対象になった人々や団体から再々抗議を受けています。
しかしイスラム教徒以外に、誰一人抗議以上のことはしませんでした。
だってこれは「表現の自由」という民主主義の根幹にかかわる問題です。
そりゃ誰だって他人に批判や非難をされたら傷つきます。
自分が崇拝する物を他人に冒瀆されたくはありません。
しかしそういう事への配慮から、「表現の自由」や「冒瀆する権利」に制限をされたら、言論の自由や学問の自由も大幅に制限される事になります。
だって誰でも自分の崇拝する人間を批判されたら「冒瀆するな!!」と言えば、相手の口を封じられるのですから、議会での議論さへできません。
なぜなら法の下の平等は民主主義の根幹ですから、イスラム教徒に配慮してムハンマドの冒瀆を禁止したら、昭和天皇を尊崇する人々に配慮して昭和天皇の冒瀆だって禁止するしかないのです。 創価学会の人にも配慮しなければならないので、池田大作や公明党への批判も禁止しなければならなくなります。
しかしこれだともう自由な言論などできなくなり、民主主義が崩壊します。
だから民主主義をを守る為には、「表現の自由」や「冒瀆する権利」は死守しなければならないのです。
ところが東京新聞は、自分が愛知トリエンナーレでは昭和天皇や英霊の冒瀆を「表現の自由」とすり替えてまで擁護しながら、イスラム教徒のテロリストには安易に賛同して「表現の自由」「冒瀆する権利」を守ろうとしているマクロン大統領を非難しているのです。
因みに正確さを期すために書いておきますが、愛知トリエンナーレに憤る人達は実は、「表現の自由」や「冒瀆する権利」を制限は求めていません。
彼等はしかし「芸術性が極めて怪しい、反日プロパガンダのような作品を公金を使って公共の美術館に展示するべきではない」と言っているのです。
こういう作品をシャルル・エブドのような純然たる民間誌に掲載したり、民間施設に展示したりするのは自由ですが、愛知県と名古屋市の公共事業として行われた愛知トリエンナーレのような場所に展示するのが問題だと言っているのです。
つまり彼等が問題にしているのは自治体が、公金を使って特定勢力のプロパガンダに協力した事なのです。
しかし東京新聞はこれまでそれを「表現の自由」にすり替えて擁護してきたのです。
愛知トリエンナーレは公金の使途の問題なのに、東京新聞はそれを敢えて「表現の自由」にすり替えて擁護、一方イスラム教徒のテロについては「表現の自由を制限しないマクロンが悪い」というのです。
ホントにすごいダブルスタンダードですね。
「表現の自由」「冒瀆する権利」は自由な表現空間、自由な言論空間を守り、民主主義を守る為には死活的に重要な権利です。
それをこのように安易で手前勝手なダブルスタンダードで論説するという事は、つまり東京新聞は民主主義を守る意思などないという事です。