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2019-02-16 14:46

2.4% 「女性は数学が嫌い」と言えば差別?

 2017年、アメリカでグーグルの社員が社内文書で女性を差別しとして解雇される事件がありました。

 Google社員解雇の事例には、「間接差別」が根底にあった?!

 実はグーグルは女性社員が非常に少ないのです。
 なぜならグーグルの社員と言うのは殆どIT技術者なのですが、しかし女性のIT技術者と言うのは非常に少ないのです。
 
 なぜ少ないかと言えば、IT技術者の多くは、大学で数学やコンピューター関連の学科を専攻した人です。
 グーグルはこうした専門教育を受けた人達の中でも、最高クラスの人を高給で採用するのですが、しかし女性でこういう学科を専攻する人は非常に少ないのです。
 だから必然的に女性社員が少なくなります。

 問題の社員はこうした事実を指摘したうえで、グーグル社に対して、「女性はIT関連の学科を好まないのだから、グーグルで女性社員を増やすためには、IT技術者以外での人員の採用を増やすべき」と提言した書類を提出したのです。

 ところが「女性は数学や、IT関連の学科を好まない」と言う指摘が、女性差別だとしてこの社員は解雇されてしまったのです。 
 
 そこで問題です。

 「女性は数学や、IT関連の学科を好まない」と言うのは差別でしょうか?

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 因みにワタシ自身は全ての女性が数学やIT関連学科を好まないとは思っていません。

 実際、女性が数学教育を受けるのが難しう環境であった時代でも、ソーニャ・コワレフスカヤのような女性数学者もでていますし、2014年にフィールズ賞を受賞したイラン女性マリアム・ミルザハニのような人もいます。

 かくいうワタシも、パソコンを使うのは全然ダメだけれど、実用数学検定一級を取っています。 因みにこれは完全に趣味で取ったのです。
 一緒に受験した連中は、北大の数学科卒だったりしたので、かなり気分がよかったです。

 だからワタシ自身も、この世の全ての女性が、数学に対する適性がないと言えな事の証明でしょう?(IT技術者はダメだろうけど)

 しかしそれで「女性は数学が嫌い」と言うのを「差別」と言えるのでしょうか?
 


 そもそも「女性は数学が嫌い」と言うのは事実なのでしょうか?

 それについて昨年末チョッとショッキングな体験がありました。

 実はワタシは昨年末からyou tubeで上のような動画を見るようになりました。
 ワタシ昨年末、また「差別発言」でツィッターのアカウントを停止されたので、代わりの暇つぶしに見始めたのです。
 
 大学受験問題を中心に、面白そうな数学の問題の解法を解説していく動画です。
 
 ところがこの動画の登録者の内、女性は現在2.4%しかいないというのです。 実は昨年末ワタシが初めて見た時は0.8%だったそうですが、その後年明けまでの間に三倍になって2.4%まで増えたのだそうです。

 ワタシもその頃に登録した1.6%の中の一人だったのです。
 それにしてもこの動画の女性登録者がここまで少ないとは思いませんでした。 ワタシは自分が女性だし、大学理系学科の女性の進学率からしても、最低でも2割は女性だと思っていたのです。
 マジにショックでした。

 手芸や格闘技など、男女で好みが偏りそうな趣味は多いのですが、ここまで差があるモノは少ないと思います。

 しかしこれを見るとホントに女性は数学が嫌いだと思わざるを得ません。
 そしてそうなると、男女の違いは肉体だけではないと考えざるを得ないのです。

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 なぜなら現在日本では数学は男女に一切関係なく、全ての学生が全く同じように教えられています。 高校入試でも大学入試でも非常に重要な学科です。
 現在の日本では数学と言うのは、男女も好き嫌いも関係なく、一定の学歴が欲しい人は、何が何で勉強しなくてはならない学科なのです。

 また数学と言うのは古来本と筆記用具さへあれば学べる学問なので、経済力や体力など女性に地位や生理的条件によるハンディが最も少ない学問でもあります。

 そしてこの動画について言えば、大学の入試問題を中心に解説している事から、受験生には極めて有益です。
 
 受験勉強の合間の暇つぶしにピッタリ!!!
 
 そ、それなのに2.4%!!!

 因みに大学の学部ごとの女子学生の比率を見ると、平成25年で以下のようになります。
 
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 図表2が、平成25年度時点での大学の学部での専攻分野別の女子学生比率(図中の丸印)と、学年別の女子学生数(図中の棒グラフ)を図示したものである。まず、女子学生比率をみると、人文科学(65.8%)、薬学(57.0%)、教育(59.1%)は女子学生が半数を超えているのに対し、農学(43.6%)や医・歯学(33.7%)では女子学生比率が30%から45%程度の水準となっている。さらに、理学は女子学生比率が26.2%、工学は12.3%と非常に低く、専攻分野によって女子学生比率が大きく異なっている。

 受験で数学の比率の高い学科、つまり理系で女性が多いのは、医学薬学など国家資格の取れる学科です。 一方理学部、工学部は少ないのです。
 そしてこれはは社会的理由で理解できます。

 現在でも女性の就職には相当のハンディがありますから、将来の生活を考えたら、可能ならばなるだ「食える資格」を取っておくべきなのです。
 
 しかしそれにしても最低の工学部でも12.3%は女子学生がいるわけです。

 そしてこうした理系学部に入る為には、男子と全く同等の数学力を要求されるのですから、合格したからには学力が男子の劣るわけではないのです。

 ところが上記に紹介した動画の登録者の男女比は、女子学生比率最低の工学部の5分の1の2.4%です。 

 これはどういう事でしょうか?

 これはつまり女性だって頑張って勉強すれば、ある程度までは数学でも男子に負けない学力を得る事は可能、しかし好きで数学を学ぶ人は男子に比べて非常に少ないという事ではありませんか?

 つまりこういう数字を見ると数学の好きな女性の比率は男性に比べてはるかに少なく、これは教育の結果とは考えられないという事です。

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 そしてこういう現実がある場合「女性は数学が嫌い」と言うのを「差別」と言えるのでしょうか?
 「差別」としてこうした発言を封殺するべきでしょうか?

 だってゼロではないにせよ、極めて僅少な例外の存在を元に、全体の傾向を全否定するというのは、どう考えても非科学的と言わざるを得ないのです。

 そもそもそういう僅少な例外を元に、全体の傾向を全否定してしまうと、マイノリティーに対する福祉政策のような物自体が差別になります。
 
 例えばどんな国でも母子家庭には、色々な面で特別な支援をしています。 日本でもしています。 
 なぜなら母子家庭には貧しい家庭の割合が高いからです。
 しかし勿論、全ての母子家庭が貧しいわけもなく、それどころか非常に裕福な母子家庭だって日本全体では万単位で実在します。

 そしてそういう裕福な母子家庭の人から見れば「母子家庭だから貧乏だと思われる」とのは非常に不愉快だし、差別と感じても当然でしょう?
 
 だから母子家庭への支援政策をやめて良いのですか?

 でも少数の例外を元に、全体の傾向をすべて否定するというのは、結局こういう事にしかならないのです。
 
 障碍者や難病患者への福祉政策だって同様でしょう?
 
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 最初に紹介したグーグルを解雇された人の話だってそうです。
 彼は女性のIT技術者が少ないという現実を元に、グーグルで女性の雇用を増やす方法提案しただけなのです。

 医師や建築士などとして必要な数学を学ぶ事のできる女性は、相当います。

 しかしyou tubeで数学の動画を楽しむ女性が非常に少ないという現実を見れば、数学そ物が好きな女性は僅少だと考えざるを得ません。
 そうなれば高度な数学が必要で、その派生物であるようなIT技術者を目指す女性が少ないのは当然ではありませんか?

 そういう現実を無視している限り、グーグルに女性社員が増えるわけもないのです。

 どんな集団でも例外はいるのですが、例外を基準に全体の傾向を否定する事などできないのです。
 
 このような現実を「差別禁止」と言う理念で否定する事が、現実を良くする事につながるのでしょうか?

 現在の所謂先進国では差別反対が絶対正義となっています。
 しかしこれホントに良い事でしょうか?

 現在の先進国の差別禁止は、結局「差別禁止」の理念の元に、現実に即した言論を封殺しているだけではありませんか?
 ホントにいつまでもこんな事を続けて良いのですか?
 こんな事を続けたらホントに差別がなくなるのでしょうか?

  1. 差別ニダ!!
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2019-02-01 11:57

人を差別する権利はあるのか?

 現在の欧米先進国や日本では、一部の自称リベラリスト達は「誰にも人を差別する自由などない」と考えているようです。

 しかしワタシは人には人を差別する権利があると考えています。
 なぜなら人間から差別する自由を奪えば、思想・宗教・信条の自由と言う基本的人権だけなく、好悪愛憎と言う人間の基本的な感情その物が否定される事になります。

 とりあえず思想信条宗教の自由だけを考えてみましょう。

 ワタシは「誰にも人を差別する自由はない」と言う人に聞きたいです。

 「では貴方は、イスラム教を禁止するべきだと思うのですか?」と。

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 イスラム教では一夫多妻、女性へのベールの着用の強制など女性差別的な教理が、知られています。 そして最近では教理を理由にしたLGBTへの迫害も起きています。

 しかしもっと深刻なのは、異教徒への差別です。
 
 イスラム教の教理は、イスラム教だけが唯一絶対に正しい信仰であり、他の宗教は劣っている、間違っているという事を基本にしています。

 これだけでも十二分に差別的な教理なのですが、問題はこの差別が単なる理念に留まらず、イスラム法の中で事細かに規定され、近代まではイスラム諸国で実践されてきたことです。

 具体的にはユダヤ教徒とキリスト教徒に対する差別ですが、ジズヤと呼ばれる非イスラム教徒のみを対象とした人頭税の課税から、教会や墓地の新築禁止、埋葬の場合の棺の使用禁止など、非常に屈辱的であるばかりか、実害も大きい差別規定がありました。

 でもそんなのは昔の話で、昔はどんな宗教でもどんな国でも、身分差別などの差別は一杯あったでしょう? 
 イスラム教だけを差別的と言うのはオカシイでしょう?

 ええ、昔はキリスト教だって仏教だって、身分差別や女性差別をしました。
 だから差別禁止を徹底すればこれらの宗教も禁止する事になるでしょう。
 但しこうした宗教では、差別が宗教上の法となっているわけではありません。

 けれどもイスラム教は違います。
 このような差別はイスラム法やコーランに明記されており、イスラム教徒であればこうしたイスラム法を字義通り守らなければならいのです。

 そしてイスラム法やコーランは神が定めた物ですから、人間が勝手に変える事はできません。
 
 またイスラム教徒には、全ての人類にイスラム法を強制する義務があるのです。
 
 だから欧米に移民したイスラム教徒達は、今もイスラム法を守り、移民先にイスラム法を強制しようと努めています。

 因みコーランには「多神教徒は見つけ次第殺せ」と明記されています。
 そして実際に教祖ムハンマドはその征服戦争(ジハード)の過程で、多神教徒を虐殺しています。

 それにしても「見つけ次第殺せ」って凄いヘイトスピーチではありませんか?
 (法務省は「ヘイトスピーチを許さない」と言うなら、こんなヘイト宗教は絶対禁止するべきなのです。 日本人の大多数は多神教徒なのですから、こんな恐ろしいヘイト宗教を放置すれば、国民の生命が危険にさらされます)
 
 「誰にも差別する権利はない」と言うなら、こんなヘイト宗教は絶対に禁止すようするべきではありませんか?

 イスラム教の論理については、以前エントリーしましたが、現代のリベラリズムから言えば慄然とする宗教です。

 
世界征服はイスラム教徒の義務である イスラム教の教理

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 しかし他の宗教だって問題はあります。
 
 例えばヒンズー教なんか身分差別であるカースト制度そのものが、教理に組み込まれています。

 それに差別の規定があるのは、宗教だけではありません。

 儒教でも身分差別と女性差別が規定されています。

 また近代以降でもショーペンハウエルのように、女性差別そのものの本を書いた人もいます。
 ショーペンハウエルの「女について」は今も、文庫本で出版されていますが、「誰も差別する自由はない」と言う人は、ショーペンハウエルにも差別する自由は認めず、彼の著書を焚書するつもりでしょうか?

 そう考えると「誰も差別する自由のない」社会と言うのは、恐ろしい社会です。
 思想信条宗教の自由が奪われ、言論出版の自由もなく、また文化はやせ細り不毛になる世界です。

 なぜならショーペンハウエルに限らず、ウーマンリブや公民権運動の成果が確立する以前
文学や演劇、映画などは、女性差別や人種差別が普通にある社会でした。

 だからその時代に作られた映画や演劇の殆どでは、こうした差別を敢えて否定していません。

 だから差別だ!! 
 許さない!!

 実際、最近はそういう人間達もワラワラ出てきました。

 それでアメリカでは「風と共に去りぬ」や「ハックルべり・フィンの冒険」などアメリカ文学の最高峰と言われた作品の排除が始まっています。
 また「メリークリスマス」と言えなくなっただけでなく、伝統的なクリスマスソングの歌詞の一部をとらえて「差別だ」として、放送されなくなっているようです。

 今はまだ一部の有名作品だけが、標的にされている状態ですが、しかしこれを続ければ、最終的には1980年代以前の文学作品や映画も排除する事になります。

 それではもう文化や伝統が消滅する事になります。

 こんな社会がマトモな社会なのでしょうか?
 自由で民主的な社会と言えるのでしょうか?

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 そもそも根源的な疑問ですが、「誰も差別する自由などない」と言うのは、一体何を根拠にしているのでしょうか?

 民主主義国家で差別禁止が、大きなポリティカルコレクトネスとなったのは、1970年代、ウーマン・リブや公民権運動で、女性差別や人種差別の撤廃が叫ばれた頃からです。
 そして最近になってLGBT差別禁止が加わりました。

 しかしなぜこうした差別禁止が叫ばれたのでしょうか?

 それは人種差別禁止を例にとれば、納税や徴兵などの義務を果たしているのに、黒人であるが故に公民権を制限されるというのは、「法の下の平等」と言う民主主義国家の基本原則に反する、憲法に反するからではありませんか?

 本来、民主主義国家で保障している平等に反するからでしょう?

 しかしこれは逆に言えば、民主主義国家が保障する平等は「法の下の平等」だけだという事ではありませんか?

 実際、日本国憲法を見ても、保障している平等は憲法14条での法の下の平等だけです。
 
 法以外での平等、つまり個人が他人を平等に扱う事や、結果平等など保障していないのです。

 なぜならこれまで書いてきた事でわかるように、個人に他人を平等に扱う事を強制すれば、思想・信条・宗教の自由などなくなってしまいます。
 言論出版の自由もなくなります。

 これは基本的人権が奪われるという事です。
 そして自由と平等は、相反する面があり、絶対的自由と絶対的平等が両立しない事は、昔からわかっていたのです。

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 それでも「差別を許さない」がポリティカルコレクトネスになり、現実に焚書やリンチ画を続ける原動力は、「差別は人を傷つける」「差別された人カワイソウ」と言うセンチメンタリズムだけでしょう?

 しかしそれを言うなら、差別的と言う事で焚書やリンチに遭った人達だって十分傷つくのですから、こんな物を理由に焚書やリンチをしていいわけがないのです。

 そしてセンチメンタリズムだけが原動力なので、「誰にも差別する自由はない」とまで言う人達だって「差別とは何か?」を定義する事もできないのです。

 だからこそイスラム教のように極めて差別的な宗教に対する批判が「差別!!」として封殺される一方で、キリスト教のようにイスラム教に比べればはるかに寛容な宗教行事が「差別」として迫害されるという倒錯的な状況になっているのではありませんか?

 しかし民主主義国家で保障できる平等は元来「法の下の平等」だけなのです。
 法ではない個人が他人を平等に扱う事など絶対に強制しできるわけもないのです。

 そして結果平等など保障するなら、資本主義と言う制度が破綻します。

 なるほど全ての人を平等に扱い、差別しないというのは美しい事です。
 だからこれを個人が自分の道徳規範するのは、大変結構な話です。

 しかし道徳的規範と法は違うのです。
 法は個人に他人を平等に扱う事は義務付けていません。

 自由で民主的な社会を守りたいなら、ワタシ達はこのことをしっかりとわきまえて、「差別する自由」については、法と道徳の違いをわきまえるべきでしょう?
 そして自分は差別をしなくても、他人の「差別する自由」は尊重するべきなのです。

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2018-09-15 10:44

広義の日本人?? ハフィントンポスト

 テニス全米オープンで優勝した大阪なおみさんへの日本のマスコミのインタビューは酷い物だったようです。

 特に酷かったのがハフィントンポスト日本語版の記者でした。

 ハフィントンポスト浜田記者「古い日本人像、日本人の間に生まれた人が日本人という古い価値観があるが、大坂選手の活躍でそれを変えようという動きが出ている」
大坂なおみ「自分のアイデンティティは深く考えることがなく私は私であるとしか思ってない」
 浜「もう一問だけ」
 司会者「いや結構です」

 https://www.youtube.com/watch?time_continue=1513&v=HGuqDa-MTtI

 この記者は一体何を聞きたかったのでしょうか?

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 これに対して、同じハフィントンポストの記者は、このように説明しています。

 会見でハフポストの記者が尋ねたことを誤解している人が多いようですが、大坂選手の活躍をきっかけに多様なルーツを持つ広義の「日本人」に対する、偏った見方があることを「アイデンティティ」につなげて聞いていたのでした。答えから、大坂選手がそこに縛られていないとわかり、嬉しかったのです。
20:07 - 2018年9月12日

 優勝以降の大坂選手をめぐる、日本での多様なルーツをもつを持つ人への偏見を取り上げている海外メディアの報道をご存じなら、あれは踏み絵じゃないとわかるはずです。とらわれていない、という発言を引き出すための質問です。
22:56 - 2018年9月12日

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 広義の「日本人」

 ??
 
 広義の「日本人」って何でしょうか?

 日本人に「広義」と「狭義」の区別があるのでしょうか?

 大阪なおみさんは現在アメリカと日本の二重国籍です。 しかし国籍法では国籍選択は22歳までにすればよいのです。 そして大阪さんはまだ20歳ですから、二重国籍でも完全に合法です。

 49歳まで違法に二重国籍を保持し続けて、そのことを日本国民に隠蔽したまま、国会議員や国務大臣まで続けた蓮舫の場合とは違うのです。

 大阪なおみさんが「広義の日本人」などと言われて、それ以外の日本人から区別されなければならない理由はあるのでしょうか?

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 そもそも日本人は戦前から日本国籍を持つ人は日本人、それ以外の人は外国人と言う区分をしてきました。
 それ以外の区分をしたことはありません。

 そして外国人に対してもどの国の国民であるかは、国籍によって決める、と言う原則を貫いていきました。

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 その為、ドイツと三国同盟を締結していた時は、ドイツ国籍やオーストリア国籍のユダヤ人は同盟国民として扱いました。
 
 当時、日本のクラッシク音楽界にはドイツやオーストリアでの迫害を恐れた、ユダヤ人が結構来ていて、指揮者や音楽大学の教授として活躍していました。
 
 ドイツ大使はこれに抗議したのですが、しかし日本政府もまたクラッシクファンも、姿勢を変えず、その為彼等はその地位にとどまり続けました。 

 例えば当時日本最高のオーケストラ新交響楽団(NHK交響楽団の前身)の首席指揮者だったローゼンスットクはドイツ国籍のユダヤ人で、ドイツに残っていた彼の娘は、その後アメリカに亡命しました。

 しかし日本政府もまた日本のクラッシクファンも、そんなことは全く問題にしなかったのです。 彼はドイツ大使を招待したコンサートでも、東京交響楽団を指揮したのです。

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 一方当時、日本領だった朝鮮半島や台湾の人達は、完全に日本人として扱いました。 だって彼等も日本国籍ですから。

 だから「朝鮮出身の帳場人の見た慰安婦の真実」などを読むと面白いです。
 この本は戦時中、マレー半島で慰安所の帳場人、つまり慰安所の会計その他の事務の仕事をしていた人の日記を読み解いた物です。

 この日記は一部の固有名詞や、彼が気取って引用した漢文などを除き、全て朝鮮語で書かれています。 そして日記を見ると彼がプライベートで付き合っていた友人や、ビジネス上の人脈で関係する人達は、全て彼と同じ朝鮮人であることがわかります。
 
 この日記の主朴さんは彼等とは勿論朝鮮語で会話をしていたのです。
 彼は高等小学校卒だし、日本本土には旅行した事もないので、日本語はそんなに上手くはなかったのでしょう。

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 しかしこの日記を読む限り、彼は明らかに自分を「日本人」であると考えて、その事に誇りを持ち、そして慰安所の帳場人と言う仕事を通して日本軍の役に立てる事もまた誇りに思っていたのがわかります。

 また当時の日本軍の軍人達も、現地の日本人達も、朴さんやその友人である朝鮮人を、完全に日本人として受け入れていた事がわかります。

 この日記の主、朴さんは当時40歳でした。 だから彼が物心ついた時には朝鮮半島は日本領でした。 それで彼も自分を「日本人」と考えていたし、本土出身の日本人達も彼を日本人と認識していたのです。

 だからこの日記を読み解き「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実」として出版した著者も朴さんを「朝鮮人の」ではなく「朝鮮出身の」としたのです。

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 それでは現在、在日コリアンが日本人として受け入れられていないのはなぜ?

 だって現在の在日コリアンは、日本国籍ではありません。 彼等は日本の敗戦と共に自分達の意志で日本人であることを止めて、その後も日本人になる事を拒否しているのです。

 自分の意志で外国籍になった人を、外国人として扱わないとすれば、それはその人の意志を無視している事になるので、人権侵害です。

 そして自分の意志で外国人でいる事を選んでいる人達が、都合の良い時だけ日本人として権利を主張して、受け入れられないのは仕方ありません。

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 また現在の日本では、ネトウヨと言われる人達でも、正規の手続きを踏んで日本に帰化した人達は、日本人として受け入れています。

 石平太郎氏や金美齢さんは彼等から尊敬されているし、在特会にさへ帰化した在日コリアンの会員がいます。

 自称リベラリスト達は、在特会を差別団体だと言っていますが、在特会が在日特権として糾弾しているのは、在日コリアンが韓国籍や朝鮮籍のまま、つまり外国人のまま、日本で不当な特権を得ている事です。

 日本人として生きる意思を持ち正規の手続きを踏んで帰化した人達について、彼等の親や祖父母がコリアンである事など一切問題にしていません。

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 むしろ驚くのは、極右団体に韓国籍、朝鮮籍の在日コリアンが多数いる事です。 それどころか在日コリアンがトップになっている極右団体も沢山あるのです。

 これは犯罪歴のある人は帰化ができない事と、これらの極右団体が暴力団と関係が深い事が理由でしょう。

 しかし民族主義その物であるはずの極右団体が在日コリアンを受け入れるというのは、日本人の民族差別意識がいかに少ないかと言う事の証明でしょう?

 そして何より一般日本人にとっては、それどころか暴力団関係者のような人々にとってさへ、日本人であることは日本を愛する事、天皇陛下を敬う事などであって、出身民族やルーツなどには関係ないのです。

 例えばアメリカ人やドイツ人の民族差別意識が日本人より少く、ルーツの違う人々に寛容ならば、黒人のKKKメンバーとか、ユダヤ人のネオナチ幹部などが存在するはずです。 

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 しかしこの逆に場合、つまり外国に帰化した日本人については、日本人は戦前から外国人として扱いました。

 日本がアメリカに宣戦布告した時、東条英機と松岡陽介はそれぞれアメリカ日系人の若者に手紙を送り「君たちはアメリカ人なのだから、心置きなくアメリカの為に戦いなさい」と励ましました。

 アメリカに生まれ正規のアメリカ国籍を持つ彼等を、そのルーツ故にアメリカ人と扱わず強制収容所にぶち込んだのは、アメリカ政府なのです。

 しかし日系人の若者達は、それでもアメリカに忠誠を尽くしてアメリカの為に戦いました。
 
 当時の日本政府はこれに相当するような差別的行為は一切していません。

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 つまり少なくとも歴史的に、一般の日本人の感覚には、ルーツを問題にして、日本人を「広義」と「狭義」に区分するという発想はありません。

 蓮舫が問題にされたのは、彼女が国会議員、そして国務大臣まで勤めながら国籍法に違反して、49歳までも二重国籍状態を維持し続けたからです。 
 しかも彼女が台湾国籍であることを利用して、日本での相続税の支払いをごまかした可能性が非常に高いのです。

 モリカケで安倍総理に散々説明責任を要求した彼女ですが、こうした自身の疑惑に関しては未だに一切説明責任を果たしていません。

 このような政治家を糾弾するのは、人種差別でも何でもないのです。
 彼女が問題にされているのは、何よりも彼女の違法行為と日本国民への背信行為なのですから。

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 因みに現在二重国籍を認めている国でも、政治家や高級官僚や外交官など、国家の重要問題の決定に関わり、重要な国家機密を取り扱う職務に就く人について、二重国籍を認めていません。

 なぜなら国籍を保持するという事は、その国への忠誠を誓うという意味があるのですが、二重国籍ではその忠誠がどちらの国になるかわからないからです。

 だから少し前にはオーストラリアで二重国籍が発覚した閣僚や国会議員が、大量に辞職させられると言う事件がありました。

 こうした国籍の管理に関わる法律は、むしろ外国人の流入が多い国ほど厳格です。 だって少人数なら問題が起きても規模は限られているけれど、人数が増えればそれに呼応して問題が大きくなるのは当然でしょう?

 だから今後、外国人の受け入れが増やせと言うなら、それに呼応してこうした国籍の管理は厳しくしていくしかないのです。

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 そして蓮舫についてもう一つ問題にされたのは、彼女がこれまで雑誌や新聞やテレビでの発言です。

 彼女は国会議員になる前、テレビや雑誌や新聞で「日本国籍はイヤだった」「日本国籍を保持するのは便宜為の為」「自分は日本人ではなく、自分のアイデンティは華人」などと公言してきたのです。

 現在蓮舫以外にも白真勲など同様の発言をしている帰化人は多数います。 
 
 つまり彼等は例えば戦時中は日系442部隊の兵士としアメリカの為に戦い、日米通商摩擦など日米の国益がぶつかる問題では、徹底してアメリカの国益の為に戦い続けた故ダニエル・イノウエ氏のうな政治家とは全く違うのです。

 外国に強いシンパシーを持ち、日本の国益を守る意思が全く感じられない政治家に対して国民が不信を抱くのは当然です。
 むしろそんな人間が当選する方が、異常なのです。

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 正規の帰化手続きを取っていれば彼等もまた法的には完全に日本人であり、実際に日本人としての権利を100%認められています。
 
 しかしこういう人達をホントに日本人と認めて良いものかどうかについては、考え込む人は沢山いるだろうし、ワタシも考え込んでしまいます。

 自分自身を日本人とは自認したくない人を、国籍上の理由から日本人と認めるのは、トランスジェンダーで戸籍は男性だけれど、性自認は女性だという人達を、男性として扱うのと同じでしょう?

 本人の意思と法的な地位のどちらを優先するべきについては、判断が難し場合があるのです。

 少なくとも個人同士の人間関係では、戸籍がどうあれ自分を女性と認識している人を、ただもう男性として扱うのは、相手の気持ちを踏みにじり、思いやりに欠ける対応でしょう?

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 そしてこれだけは言えます。

 トランスジェンダーの戸籍上の性別と違って、帰化人の日本国籍は自分の意志で取った物です。
 自分が日本人ではないと認識しながら、便宜の為に日本国籍を取ったというのは、自分の出身国にもまた日本に対しても完全に誠意に欠ける対応です。

 これは「オレはあんなババアは大嫌いだけれど、金の為に籍を入れたんだ。」と公言する人間と同じレベルですから。

 だからそういう事をするような人間が、国籍以前に人間として、問題にされるのは当然でしょう?

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 思うにハフィントンポスト始め、自称リベラリスト達は、実は非常に差別意識の強い人達ではないでしょうか?
 

 だから彼等としては「日本人は閉鎖的で、外国人を差別しているはずだ」と言う偏見にしがみつているのです。

 それで何とか日本人が差別をしている事にしたいのですが、しかし他の日本人が彼等の期待するような差別をしてくれないので、代わりに自分が頑張って差別するのです。

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 そして彼等が差別的であるもう一つの理由は、彼等自称リベラリスト達は、法と国家を尊重しない事です。
 
 日本人が国籍を尊重するのは、国家と法を尊重しているからです。

 しかし法も国家も尊重しないなら、日本人であることの定義はどうなるのでしょうか? 
 
 法や国家による国民の定義を無視するなら、外国人か自国民かは個人が完全に自分の感覚で決めるしかありません。
 
 そうなると外見や地縁・血縁、或いは宗教など、自分に近いか遠いかと言う事ぐらいしか判断基準がなくなります。 
 こうなると結局完全に恣意的に「あいつは日本人じゃない」と決めても構わない事になります。

 実際国家意識が曖昧で尊法精神が徹底しない国々では、部族や宗教や地縁が国籍を超えて重要問題になり、それが紛争の原意になっているのです。

 そして先進国でも、国家や法を尊重しない人達は、このハフィントンポストの記者のように、「大阪なおみは黒人だから日本人ではない。 せいぜい「広義」の日本人でしかない。」と言っているのです。

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 何とも醜悪な人々ではありませんか?

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2018-08-22 14:20

差別反対を叫ぶ人たちが差別主義者になる件について

 差別反対を叫ぶ人達は、実は非常な差別主義者だと言われます。
 ワタシもこれは事実だと思います。

 しかしなぜ差別反対を叫ぶ人達が差別主義者になるのでしょうか?

 ワタシはこれはこういうメカニズムだと思います。

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 差別反対を叫ぶ人達は、自分の被る不幸や不都合を、自分の属性のせいだと考えます。

 人間は生きていれば自分の思いどうりならない事や、イヤな事、辛い事が沢山あります。

 自分が就職したい会社に就職できない。
 周りの人間が自分を友人として受け入れてくれない。
 恋人や結婚相手が見つからない。

 などでです。

 そういう場合、差別反対を叫ぶ人達は、それは「自分が女だから」「自分がLGBTだから」「自分が朝鮮人だから」だと考えるのです。 そしてまた自分を拒絶した相手が「男性だから」「異性愛者だから」「日本人だから」と考えるのです。

 つまり人間が生きていく上必ず行き当たる人間関係の問題を、全て自分と相手の属性の問題として考えるのです。

 そもそも差別反対運動と言うのはそういう物なのです。
 
 だって問題が起きた時に、「自分の努力が足りなかったから」「自分の性格に問題があるから」、或いは「相手に人を評価する能力がなかったから」などと、自身や相手の個人の問題として捉えては、反差別運動になりません。

 全ての不幸や不正は、自身の属性や相手の属性の問題であることを徹底しないと反差別運動にはならないのです。

 だからこうした人々は、人を全て属性で評価することになります。
 あるいは最初から人を属性だけで評価する人達が、反差別活動をするのです。

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 ??

 で、でも、それって差別じゃん?
 
 そもそも差別反対と言うのは、例えばこういう事でしょう?

 私は女だけれど、体力もあるし一生を医療に捧げる覚悟があるのだから、男性医師と同様に扱ってほしい。

 自分はLGBTだけれど、他の人と全く変わりなく社会的ルールを守り、社会的責任も果たしている。 勿論性的指向は他の人とは違う。 しかし性生活と言うのは、異性愛者にとっても全くプライベートな問題。 だから社会生活では、特殊な人間のように扱わないでほしい。

 つまり差別反対の理想と言うのは、人が所属する属性に関係なく、個人の能力や人格を評価されるという事ではありませんか?

 つまり属性からの解放なのです。

 だから現実の社会では、差別されるといわれるマイノリティに属する人達にも、多くは差別反対活動には冷ややかです。

 なぜなら法の下の平等が徹底される以上、差別されているか否かは、個人対個人の問題であり、同じ目に遭っても差別されていると感じるかどうかはひとそれぞれです。
 
 そして自分の期待どうりに扱われないのが自分の属性による差別の結果なのか?それとも自分個人の努力不足や能力不足、或いは性格の問題なのかは判然としません。

 そこで多くの人達は、差別を言い立てて不毛な闘争をするよりも、自分が努力して能力を高める事や、他者とのコミュニケーションの方法を工夫することで問題を解決しようとするのです。 そしてまた多くの人がそれに成功するのです。

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 しかし差別反対運動自体を目的とする人達にすれば、この手の人達の存在は非常に困ります。

 だって反差別運動は、人が属性で評価される事に反対する運動です。
 だから運動が運動として成り立つ為には、人は全て属性で判断されているという現実がないと成立しないのです。

 あら、そんなことないわよ。
 アタシ女だけど、男の人達には大切にされて、仕事もうまく行って、とても幸せよ。
 アナタが差別されるとか不幸だとか言うのは、アナタの性格が悪すぎるからじゃない?

 こう言われたら絶対絶命ですよね?
 だから活動を正当化する為に彼等はこの現実を作るようになってしまうのです。

 つまり「マイノリティであるからには差別されており、不幸でなければならない。」と強硬に主張するようになるのです。
 
 挙句の果てに「差別されていない」「不幸ではない。」と言う人達をこんな風に呪うようになります。
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 あるいは「奴隷頭」などと罵倒するようになるのです。

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 こうなるともうこの手の人達には、最初から属性からの解放などと言う意図は吹き飛んでしまうのです。

 むしろ彼等のありようは実は過激な民族主義者や狂信的宗教勢力と同類ではないでしょうか?

 在日コリアンやイスラム教徒なども、やはり差別反対を叫んでいます。
 しかしワタシは彼等の言う差別反対とは、最終目的自体を属性から解放とする差別反対とは違うのだと思います。

 属性から解放が目的であれば、 そもそも在日コリアンが帰国する意思もないのに韓国籍や朝鮮籍に執着するのはおかしいのです。 
 外国人と自国民の法的権利に差をつける事は、人種差別撤廃条約でも認められている事なので、差別でも何でもないのです。

 それでもそれを「差別」と言って騒ぐのは、つまりは彼等が朝鮮民族主義者だからでしょう?

 実際彼等は二言目には「民族」を口にします。 そして「日本を火の海にする」と言う独裁者を絶対に非難しません。

 彼等は自分達は朝鮮民族であるが故に、日本人に優越すると考えており、日本人と平等などとは絶対に考えていないのです。

 だから在日コリアンによる差別反対運動は、本来の意味での差別反対ではなく、民族主義による日本侵略運動なのです。

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 イスラム教徒の場合も同様です。 今欧州のイスラム教徒は非常に原理主義化して、移民先の欧州諸国にイスラム教の教理を押し付けようとしています。
 そしてその為の口実が「差別反対」なのです。

 ベールをかぶる、路上で集団礼拝をするなど、イスラム教を理由に移民先の社会規範を破る事を平然とやりながら、それに抗議されると「宗教差別」だというのです。

 しかし彼等は自分達のコミュニティー内では、キリスト教など他宗教の人達への差別は勿論、テロの扇動まで平然とやっているのです。
 
 つまり彼等もまた移民先の人々との平等など望んではいないし、移民先の人々の文化を尊重する意思などさらにありません。
 
 彼等が作りたいのはイスラム教が支配する社会なのです。

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 つまりイスラム教徒にせよ在日コリアンにせよ、宗教原理主義或いは民族主義からマジョリティと敵対し、マジョリティを征服しようとしている人々なのです。

 彼等は最初からマジョリティとの平等など望んではいないのです。
 自分達は本来支配者として、マジョリティに優越するべき存在だと考えているのです。

 ところで民族や宗教などと言う属性を理由に、他者への優越を唱える人達を「差別主義者」と言うのではありませんか?

 だって彼等は結局白人至上主義者が白人であることを理由に有色人種に優越すると考えるのと同様に、イスラム教徒であるから、コリアンであるから、ドイツ人やフランス人に優越する、日本人に優越すると考えているのですから。
 
 だから彼等の言う差別反対に対してマジョリティ側がいくら譲歩しても、解決はしないのです。
 それどころかこのまま彼等の数が増えたら、宗教戦争や民族紛争に突入するでしょう。

 シリアなど中東諸国で起きている紛争と言うのは、まさにこれなのです。
 つまりお互いに民族や宗教と言う属性を理由に互いに排除し合い敵対し合うグループが衝突しているのです。

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 しかし女性差別反対や、LGBT差別反対を叫ぶ人達も、先鋭的な活動家は同様の感覚でしょう?

 つまり「女性であるが故に差別されている」と言う視点だけで社会の全てを見るようになってしまえば、男性とは敵対するしかないのです。
 
 同様に「LGBTである故に差別されている」として、反差別活動をしている人達も同様にLGBT以外の人達を敵視します。
 
 こうなると自分達と属性の違う人達との関係は極めて険悪になってします。
 
 それでも民族や宗教の違いなら、紛争になっても、居住地を分割するなどで最終解決を得られる場合があります。 
 しかし女性と男性や居住地を分割できるのでしょうか?

 そしてLGBTの居住地を分割するとなると、これは彼等を一種のゲットーに押し込める事になってしまいます。
 
 こうなると活動の結果は極めて不毛な物になります。

 しかしこれには実例があります。
 
 部落解放同盟は活動の末に「部落民以外は全て差別主義者」と言う結論を出しました。

 こうなるともう、部落差別がなくなるはずもないのです。
 これもまた民族主義者や狂信的宗教原理主義者と同様で、自分達自身で属性による城壁を建てて、自分達を囲い込んでいるのですから。

 その城壁の中には属性の違う人間は絶対入れない、しかし城壁の外に向かっては「差別するな!!」と叫ぶのです。

 けれどもこれが反差別運動の行き着く果てでしょう?

 だから差別はなくならないのです。

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 結局差別をするのも差別に反対するのは実は本質は同じで、どちらも自分達を特定の属性に分類することでしか成り立ちません。 だからこれは電気のプラスとマイナス、同じ土俵の力士の西方と東方なのです。
 
 つまり差別反対を叫ぶ事は、実は自身が差別主義者になる事の同義になってしまう危険をはらんでいるのです。 それに気づかず差別反対をわめき続けるのだから、差別主義者になってしまうのも当然でしょう?

 あるいは天性の差別主義者であるが故に差別反対を叫ぶのです。
 
  1. 差別ニダ!!
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2018-07-24 12:08

LGBTは生産性がない?

 「LGBTには生産性がない」と言ったとかで、杉田水脈参議院議員のツィッターが炎上したそうです。
 しかし「LGBT]に生産性がないというのは事実でしょう?

 ここで杉田議員が言う「生産性」とは、経済活動や文化活動についての話ではなく、子供を産み次世代を作ると言う意味での「生産性」です。
 そして杉田議員がこの「生産性」を持ち出したのは、LGBTカップルへの公的支援をするか否かと言う話の中です。

 現在の日本では正規の婚姻をしている夫婦には、扶養控除その他、幾ばくかの公的支援があります。
 また婚姻自体が法で守られている制度です。

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 しかしLGBTのカップルにはこうした支援はありません。
 そもそも現在の日本では、同性婚と言う制度がありません。

 そこでLGBT反差別活動家達が、同性カップルへの公的支援を要求し始めました。

 杉田議員の「LGBTは生産性がない」発言は、この公的支援に対する反対論の中で出てきた言葉です。

 杉田議員は「正規の婚姻をしている夫婦に公的支援をするのは、これらの夫婦が子供を産み育てる事を基本にしているから。 しかしLGBTカップルが子供を産むことはあり得ないので、公的支援の対象にならない。」と言っているのです。

 ワタシはこれは全くの正論だと思います。

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 ワタシの知人で、中年すぎてから恋人と同棲して事実上夫婦生活をしてるカップルがいますが、彼等は正規の婚姻ではないので、公的支援は全く得ていません。
 
 若いカップルでも正規で婚姻でない場合は、公的支援を得られません。
 
 理由は簡単です。
 婚姻届けが出ない限り、国も自治体も彼等がカップルとして暮らしているかどうか自体を把握できません。

 そして彼等が婚姻届けを出さないのは、殆どの場合、そもそも子供を作る意思がなく、その場合敢えて入籍するメリットはないからです。 
 公的支援なんて言っても微々たる物なので、入籍することで抱え込む義務を考えると、二人一緒に楽しく暮らすだけなら、ワザワザ入籍なんかする必要はないのです。

 それでは同性婚が制度として存在しない状況で、どうやったら公的に支援できるのでしょうか?
 そもそも何のために支援するのでしょうか?

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 婚姻とは元来、子孫を産み育てるのが目的なのです。 そして子孫ができないと社会は存続できません。
 だから古代から婚姻は尊重されたし、国家や社会がそれを支援してきました。
 けれどもそれと引き換えに、婚姻したカップルにはお互いの貞操義務や、扶養の義務など非常に重い義務も課してきたのです。 

 婚姻の尊重と支援は、こうした義務を伴うからこそ行われてきたものでもあるのです。

 しかし子供を産み育てると言う目的でないカップルには「生産性はない」ので、こうした支援はしてこなかったのです。

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 逆に言えば、LGBT反差別活動家が言うように、子供を作る目的ないカップルでも支援しろと言うなら、カップルだけを支援しろと言うのがオカシイのです。

 カップルを作らない独身者だって支援するべきではありませんか?
 例えばゲイの男性の中には、非常に性的にアクティブで、日常的に大勢の男性と性交渉を楽しむので、カップルなんか作っていられないという人も多いのです。

 LGBTカップルに公的支援がない事を差別と言うなら、上記のような理由で独身でいる人達に公的支援がないのも差別でしょう?
 
 そしてこの世にはLGBTでなくても独身でいる人が沢山います。(例 ワタシ) こうした独身者にも公的支援をしないのは差別になります。

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 そもそもGBT反差別活動家は何のためにLGBTカップルへの支援を要求しているのでしょうか?

 イヤそれ以前に彼等の言う差別ってなんでしょうか?
 
 少し前まで大騒ぎしていたLGBTトイレはどうなったのでしょうか?

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 マジにこの漫画の通りでしょう?

 実はワタシが行きつけの病院が、新築移転した時にLGBTトイレなるものを作ったのです。
 ある日その病院へ行ったとき、ワタシがそのトイレの傍を通りかかると、80過ぎと思えるお爺さんが出てきたのです。
 ワタシはそれを見て、一瞬「このお爺さんゲイ? それともバイセクシャル?」と思ってしまいました。

 考えてみればこのお爺さんは、LGBTの表示が何のこと知らなかっただけだと思うのです。 だから気楽に入ったのでしょう。
 しかし当事者ならこんなトイレに入るのは躊躇うでしょう?

 だってカミングアウトしている人達だって、病院や駅やスーパーなどで、見知らぬ人達の不作法な好奇の目にさらされるのは絶対いやでしょう?
 ましてLGBTであることを隠していたい人にすれば、こんなトイレに出入りするところを、知人に見られるのを想像したらそれだけで恐怖でしょう?

 因みにこのLGBTトイレは不評だったのか、その後この表示は外されました。

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 ところが彼等はこんなトイレを作れと言いながら、一方でアウティング(友人等がLGBTであることを知った場合、それを他の人に言う事)は人権侵害だ、アウティングで自殺者が出たと言って騒いでいるのです。

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 コイツラ一体何がしたいの?

 LGBTの人達にとって、LGBTであることを知られるのがそれほどの苦痛なら、こんなトイレを作って、トイレの出入りの度のアウティングを強制しようという神経がわかりません。

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 結局彼等はLGBT差別をネタに騒ぎたいだけではありませんか?
 1970年代のアメリカでの公民権運動やウーマンリブを皮切りに、現在の西欧先進国と日本では、差別反対が絶対正義になりました。

 そこでこうした反差別活動をビジネスとする人々や、それに集る政党政治家が生まれました。

 しかし本来民主主義国家で保障できる平等は法の下の平等だけです。
 そして女性や黒人への法の下の平等は、直ぐに達成されたのです。

 でもこれで困る人達が出てきました。 つまり反差別ビジネスパースン(ビジネスマンと言うと差別だと騒がれちゃいますから)やそれに集る政治家達です。
 そこで彼等は法の下の平等では満足せずに、結果平等や個人や他人を平等に扱う事を要求するようになりました。

 しかしそれだけでは足りず、人種差別や女性差別とは別な差別を取り上げる必要が出てきたのです。

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 それで目を付けたのがLGBTです。
 尤も欧米の場合は、キリスト教の教理から同性愛は罪とされたし、その為刑事罰もありました。 だからこうした刑事罰の廃止などは、実際に大きな意味があったのです。

 しかし問題はそれを直輸入した日本の活動家です。
 日本では古来同性愛など個人の性的な指向に国家や社会が干渉するという歴史はなく、同性愛者が迫害された歴史もないのです。

 ところが欧米式の反差別ビジネスをするには、日本でも欧米並みの差別や迫害があった事にしないと商売になりません。

 だから彼等は差別がある事にしようとするのです。 しかし元々なかったものを作るのですから、これは全くの無理筋で、その為やっている事は支離滅裂になるのです。

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 その為、トイレに出入りする度に、周りの人にアウティングを強制するLGBTトイレを作れと言う一方で、「アウティングは人権蹂躙だ~~!!」と喚くのです。

 こんな事をしていれば、この漫画の通り「世間の人達」は「LGBTってわけのわからない我儘ばかり言う厄介な連中」と認識するようになり、ホントに差別される事になってしまうでしょう?
 これはビジネス当事者以外のLGBTの人達には大迷惑でしょう?

 しかし相手はビジネスでこれをやるのですから、始末が悪いです。

 そしてビジネスの為だからこそ、この杉田議員「生産性」騒動のようなプロパガンダをやるのです。

 杉田議員はごく当たり前の話をしているだけなのですが、しかしこうしたビジネスパースン達は、全体の文脈を無視して一部の言葉だけを取り上げ、「差別だ~~!!」と騒ぐのです。
 彼等はこうした誹謗中傷プロパガンダのプロなので、こんな事をやりまくるのです。

 本当に始末が悪いですね。

  1. 差別ニダ!!
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  3. CM(6)