2018-04-08 21:26

差別って何? LGBT気持ち悪い

 4月12日号の週刊新潮にLGBT反差別運動の問題点を指摘する記事が掲載されました。 著者はジャック・Kさん、ジャックの談話室のブログ主です。

 ワタシもジャックさんのブログからこのLGBT活動家のことを知ったのですが、しかし彼等の言うLGBTへの差別とは何を指しているのか、全然意味がわかりませんでした。

 しかし先日朝日新聞記者が掲載した記事を見て大変驚きました。

 LGBTが気持ち悪い人の本音 「ポリコレ棒で葬られるの怖い」
 
「理解されることは、あきらめている」 あるゲイ男性の静かな絶望 

 この二つの記事はどちらも男性同性愛を中心に書いているのですが、しかしこれを読んで見ると、この記事を書いた記者にとって以下のことが同性愛者への差別になるのです。

 ① 同性愛を性的に気持ち悪いと思う事
 ② 同性愛者の恋愛や求愛を含めた性欲や性行動について理解できない
 ③ ①と②の理由から無意識のうちに、同性愛者を傷つけるような言動をしてしまう。

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 最初の記事に出てくるBさんと言う男性は「LGBTは気持ち悪い」と思う理由を、このように明言しているのです。

 例えばゲイの方について。僕は女性しか好きになったことがないので、男を好きになるというのがどうしても想像できなくて。『だって自分と同じ体をしているんだよ? それで興奮するの?』と

 「いや、頭ではわかっているんです。『同性を好きになる人がいるんだ』と頭では理解していても、心がついていけないんです。そういう衝動って、本能的なものじゃないですか。だから本能的に拒否してしまうんですよね」

 つまり彼が同性LGBTを気持ち悪いと思うのは、自分の性的な感覚では、男性とセックスする事が不快だと感じるからです。

 但し彼は仕事上で知り合ったゲイの男性を、ゲイだという理由で、忌避するようなことはしていません。 仕事で付き合う分には全く問題ないのです。

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 またもう一つの記事に出てくるゲイの男性が「理解されることをあきらめた」と嘆いているのですが、彼が理解してくれないと言っているのは、彼の性的な関心や行動に関する問題です。

 性的な問題と関係ないことで、彼が職場を追われたとか、或いは友人から排除されたという話は出てきません。
 彼をゲイと知っていても、親しく付き合っている友人はいるのです。
 
 彼が嘆くのはその友人が、彼の性的な関心や性的な行動原理を全く理解してくれないという事です。

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 しかし性的な感覚の相違からくる嫌悪感や、それを理解でない事を差別と言うべきなのでしょうか?

 なるほどこのように性に限定していえば、ワタシも同性愛者を差別しています。

 ワタシはレズビアンではないので、女性とセックスすることを想像するとゾッとします。 またレズビアンの人達の性的な感覚も全く理解できません。

 ゲイの人達については、セックスすること自体が完全に想定外になるので、ゾッとすることもないのですが、しかし彼等の性的な面は全く理解できません。 だからネットで山川純一の漫画を見た時は、ただ笑っちゃいました。

 これは全ての異性愛者も同様でしょう。
 
 だって異性愛者が異性愛者であるのは、同性愛のセックスが気持ち悪いと思うからです。 同性愛のセックスを気持ち良いと思えば、同性愛者になります。

 だから口に出すか出さないかは別として、異性愛は皆同性愛は気持ち悪いと思っています。

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 しかしそれを言うなら、ワタシは実は今の所、セックスの相手として男性全員気持ち悪いと思っています。 だから目下聖女様のような清らかな独身生活中なのです。
 
 しかしこれは他の女性も同様でしょう。
 ほとんどの女性は、恋人や夫と言った例外を除く男性とのセックスは気持ち悪いと思っているのです。

 上司や同僚、友人として受け入れられる男性でもセックスの相手とはお断り。
 それでもシツコク言い寄れってくればセクハラです。

 無差別に全ての異性とセックスできる人は淫乱症です。

 だからセックスを考えたら「気持ち悪い」と言う事を、差別と言われても困るのです。 

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 そもそもセックスの感覚って、非常に生理的なものでしょう?
 食べ物の好みや、病気の苦痛のような物で、体験しなければ絶対にわからないし、合理的な説明は不可能なのです。
 
 勿論他人の生理的な感覚など理解できるわけもないのです。 

 実際、異性愛者でも男女間では理解できない事は沢山あります。 
 だって男性の性的な欲望や快感は、男性性器に大きく支配されているようなのですが、でもワタシは女性ですからそんなものはついていません。
 
 だから男性の欲望や快感は全く理解できません。
 理解できない事を前提に付き合うしかないと思っています。

 でもこれは男性も同じでしょう?

 だから自分とは性的指向の違う人の性的な感覚や行動原理を理解できない事を差別と言われたら、ワタシは同性愛者だけでなく、全ての男性も差別しています。

 こんな事を差別と言うべきなのでしょうか?

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 そして性に関する感覚は、人間の極めて根源的な感覚であり感情です。 

 そのような感覚に「差別禁止」を名目で介入し、「同性愛を気持ち悪いと思うな」「同性愛者の性的行動を理解しろ」などと言のは、無茶苦茶です。

 また全く理解できない事への「気遣い」を強制されても困るのです。

 性と言うのは、人間が人間であるというより、むしろ動物である故にこそ存在するものです。
 そのような根源的な部分まで、特定の理念や道徳を強制されなければならないのでしょうか?
 
 人間は性に関しては気持ちの悪い物は気持ちが悪いと感じる自由があるはずです。
 
 もしその権利を否定するなら、同性愛者にも異性愛を気持ち悪い、不快と思う事を禁止するべきです。

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 人間には内面の自由があるし、まして性のような動物的内面は自身でもコントロール不能なものです。
 
 一方「差別」と言う問題は、本来社会の問題です。 つまり公的な生活での問題なのです。

 だから同性愛者への差別を問題にするべきなのは、セックスの関係のない事で忌避されたような場合だけです。

 つまり風俗業でもない一般の仕事なのに、同性愛者であることを理由に就職できないとか、仕事を断られたりするとか、或いは友達仲間から排除されたりした場合だけです。

 それではそのようなことがあったのでしょうか?
 
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 差別と言うのは極めて曖昧な言葉なので、差別を論じるときには、何が差別か?なせそれを差別かをまず考えなければなりません。

 ところがこの朝日新聞の記者は頭が悪いのか、意図的にか「LGBTへの差別はある」と言う事を前提に記事を書き始めたのです。

 そこで自分の意味する差別が何かわけもわからないまま、結局「セックスの相手として考えると気持ち悪い」と思う事を差別にしていまいました。 そして性的指向の異なる人の性的な関心事や行動が理解できない事を差別、更にそれに配慮できない事を差別として、差別を膨らませたわけです。

 それともこの記者は自身が淫乱症なので、日常的に誰とでも無差別にセックスしているのでしょうか?

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 しかしこれは大変恐ろしい話です。

 だって朝日新聞等は差別禁止の為には国家権力を介入させるべきと言っているのです。
 
 こうなると性と言う人間感情の根幹、プライバシー中のプライバシーにまで国家権力が介入することになります。
  
 だから今ではジャック・Kさんなど多くのLGBT当事者もこの活動には、非常に批判的になっているのです。

 すべてのLGBT当事者がこの仲間だと思われては、たまらないでしょう?

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 欧米などキリスト教世界では、宗教的理由から同性愛始めLGBTには、刑事罰を科すなど厳し差別がありました。 だからこれらの国々でこれに対する反差別運動が先鋭化するのは理解できます。

 ところが日本では歴史的にそのような差別や迫害はありませんでした。 それを無理やりアメリカからLGBT活動を輸入したので、差別とは何かもわからないまま活動しているのです。

 挙句に人間の感情の根幹に国家権力を介入させようとしているのです。
 こんな事はもういい加減にやめて欲しいです。
  1. 差別ニダ!!
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2018-04-06 13:25

多様な価値観の尊重って何? 大相撲の女性蔑視叩き

 先日、大相撲巡業中に土俵で倒れた市長の救急救命処置に対する相撲協会の対応で、自称リベラリスト達が相撲協会をリンチにかけています。
 
 更に宝塚市の女性市長を土俵上からの挨拶を拒否したことでも騒いでいます。

 ツィッターを見ていると自称リベラリストの連中が、ひたすら「女性蔑視」とか「女性差別」だと言って相撲協会を叩いているのです。

 しかもどうやらそれが世界的な規模になっているようです。

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土俵女性問題 米でも報道、日本の差別の象徴と批判

 毎日新聞
 京都府舞鶴市での大相撲春巡業で、土俵上で倒れた市長の救命処置を施した女性が土俵から下りるよう促された問題について、米主要メディアは5日、日本が抱える女性差別の問題を象徴する出来事だと批判的に報じた。

 有力紙ニューヨーク・タイムズ電子版は「男性の命救うためでも女性の土俵入り禁止」の見出しで報道。「日本で最も古く、最も神聖化されたスポーツの一つ」である相撲の「差別的な慣習が世間の厳しい目にさらされている」と解説した。

 ダボス会議で知られるスイスの「世界経済フォーラム」の2017年版「男女格差報告」で日本は144カ国中114位。(共同)

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  これを連中は大喜びしているのです。

 こんな感じです。

Women ordered off stage at sumo contest after trying to help stricken mayor 昨日の応急手当に駆けつけた女性に向けた相撲協会の女性ヘイトアナウンス,グローバルにも報道されてますね.これこそ末代までの恥すぎる…

 なるほど女性ヘイトですか?

 それにしても日本の恥と言いながら、喜びの溢れるツィートですね。

 実は昨日からこの手のツィートが一杯なのです。

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 しかし日本の恥を喜ぶ発想は別として、ワタシはこれ凄く違和感があるのです。

 だって相撲って丁髷の力士が戦い、それを烏帽子直垂の行司が裁くという世界です。 相撲がこの形式を取るようになったのは、実は結構新しくて明治以降だと言われます。

 しかしそれはそうとして、こうした形式は相撲の魅力なのです。 だから単なる格闘技であるなら必要のない力士の髷や、豪華絢爛な行司装束、化粧回し、土俵入り、弓取り式などが全体で、一つの美観を持った世界を作っているのです。

 土俵上の女人禁制もこうした美観と世界観を守る為の禁忌の一つではありませんか?

 そういう所にまで男女平等、女性差別禁止を強要する意味があるのでしょうか?

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 宝塚市の女性市長は、自分が土俵に上がって挨拶できない事を怒っているそうです。

 でもそれで相撲協会の土俵上の女人禁制が、男女平等に反して女性蔑視だというなら、宝塚市長は相撲巨魁に文句を言う前に、宝塚歌劇団に抗議するべきでしょう?

 だって宝塚歌劇団には男性は入れません。 劇中の男性役まですべて女性に演じさせているのです。

 これって男女平等に反して男性蔑視ですよね?

 でもこれも相撲と同様で興行の世界ですから、こんな所に短絡的な男女平等論を強要するのがナンセンスなのです。

 宝塚歌劇団も大相撲も、興行です。 興行の世界は、現実の社会から切り離された夢の世界の演出するのであり、観客はこの夢の世界を楽しみに見物に来るのです。 

 宝塚歌劇は、女性だけで演じる事で、相撲は女人禁制に徹する事で、現実とは違う世界を作っているのです。

 それに苦情を言うのは芸術や興行を理解しない人のすることです。

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 なるほど男女平等は、今は世界の民主主義国家の基本理念です。 ワタシも女性ですから、この理念に反対する意思は全くありません。

 しかし興行の世界で演出された架空世界にまで、この理念を強要する必要があるのでしょうか?

 そんなことをしたら伝統芸能や伝統行事、祭礼などの形式も守れなくなってしまいます。

 これがホントに良いことなのでしょうか?

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 そもそも何より違和感を感じるのは、今回相撲協会をリンチにかけている連中が、日頃「多様な価値観を尊重しろ」「多様性を尊重しろ」と言っていた連中だという事です。

 多様な価値観を尊重するなら、マジに相撲協会の価値観を尊重するべきではありませんか?

 なるほど相撲協会は女性蔑視で男女平等を無視しているのかもしれません。 しかしそれは相撲協会に所属する人々と、入場料を払って相撲観戦に行った人だけの問題です。

 こうした相撲協会の価値観が嫌いな人は、相撲観戦をしなければよいのです。

 何よりも相撲協会は違法行為を行っているわけではありません。

 また女性に対する相撲協会の価値観を社会に宣伝布教しようとさへ考えていません。

 唯自分達の興行中興行会場内では、この価値観を守りたいとしているだけなのです。

 そのような限定的な集団の更に限定的な範囲内での価値観の維持さへも認めず、フェミニズムを強要しなければ気が済まないのでしょうか?

 何でここまで不寛容なのでしょうか?

 これはもう多様な価値観を認めるどころか、完全なファシズムではありませんか?

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 ワタシは多様な価値観の尊重は、民主主義社会では自明だと思います。 

 なぜなら民主主義国家は思想・宗教・信条の自由を保障しています。 思想や宗教や信条が違えば当然、価値観は違ってくるのです。

 そして思想・宗教・信条によっては男女平等など問題外と言う場合もあり得ます。 それどころか伝統宗教や儒教などは完全に女性蔑視です。 また近代の哲学者でもショーペンハウエルのような人は一冊丸々女性蔑視みたいな本を書きました。

 しかし民主主義国家では、個々人や民間団体が、こうした思想・宗教・信条を保持することは認めているのです。

 なるほどこれはフェミニストには面白くないでしょう?

 でもこういう事をすべて許容するからこそ人は自由にものを考えて、自由にものをいう事ができるのではありませんか?

 そして多様な価値観を尊重する社会を維持できるのではありませんか?

 それなのに興行の世界の中にさへ男女平等を強要するのでは、多様性なんか消し飛んでしまうではありませんか?

 相撲協会をリンチにかけている自称リベラリスト達に聞きたいです。

 貴方たちの言う多様性の尊重って何ですか? 

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 因みに相撲協会は貴乃花親方の処遇や暴力事件への対応など、いろいろな問題を抱えています。 しかしワタシはこれらの件は良く知りません。

 そしてこの女性土俵問題はこれとは別問題だと思うので、完全に切り離して考えるべきだと思ってこれを書きました。

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2018-03-14 21:14

国籍って何?

 国籍って何ですか?

 この野川さんという人にとって国籍は一体なんなのでしょうか?

 3/12(月) 12:45配信

外国籍を取得したら、自動的に日本国籍を失うとする国籍法11条1項のルールは違憲だとして、スイス在住の男性ら計8人が、国を相手取り、日本国籍を有することの確認などをもとめて東京地裁に提訴した。提訴は3月9日付。原告側代理人によると、国籍法11条をめぐって争う訴訟は今回が初めて。

原告の1人、スイス在住の野川等さん(74)は1969年にスイスにわたり、現在は現地で貿易会社を経営している。スイス国籍がないと、どうしても入札できない仕事があり、2001年にスイス国籍を取得した。2013年末、大使館からパスポートの選択を求められたあと、2015年9月、日本のパスポートが使えなくなった。

野川さんは3月12日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開いて、「私は、両親ともに日本人。ある日、バサッと日本国籍が失くなり、2週間くらい力がでなかった。一方的にアイデンティティを奪われた」「日本が憎いのではなくて、良くするための訴訟だ。国籍法11条が間違っている」と訴えた。

●原告代理人「国と国民、双方にとって利益がある訴訟だ」

原告側代理人によると、野川さんのように国籍喪失で苦しむ国外在住者は少なくないという。会見に同席した仲晃生弁護士は「外国籍を取得することが、日本国籍を離脱する意思ということになっているが、まったく異なる意思だ。(国籍法11条1項は)重国籍の発生防止とされているが、今の社会情勢のもとで、本当に妥当なのか」と疑問を投げかけた。

また、椎名基晴弁護士は「(国籍法11条1項が無効となれば)外国籍の取得について、真剣に悩む国外在住の国民数十万人が、国籍喪失を気にせずに活躍できる。海外の日本人社会を活性化することができる。国と国民、双方にとって利益があるウィンウィン訴訟だ」と今回の訴訟の意義を強調した。

訴状などによると、原告は、野川さんを含めてのスイス在住の6名、リヒテンシュタイン在住の1名、フランス在住の1名。あくまで国籍法11条1項が「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」を定めた憲法22条などに違反することを争い、複数国籍を認めることではないという。

弁護士ドットコムニュース編集部

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 記事によるとこの国籍法11条の原告の野川さんは、スイスの公共事業を受注したいだけのためにスイス国籍を受注したそうです。

 つまり野川さんにとって国籍は、単なるビジネスのための方便です。

 だったら日本で仕事をしていない以上、日本国籍を失っても無問題のはずです。

 ところが野川さんは言うのです。

 「私は、両親ともに日本人。ある日、バサッと日本国籍が失くなり、2週間くらい力がでなかった。一方的にアイデンティティを奪われた

 ??

 だったら野川さんにとって国籍はアイデンティティなのでしょうか?

 それなら何でスイス国籍をとったのでしょうか?

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 国籍がアイデンティティというなら、スイス国籍をとったら、アイデンティティはスイス人になるのじゃないですか?

 スイス政府だってその心算で、野川さんの帰化申請を受け付け、スイス国籍を授与したのでしょう?

 そしてスイスが特定の公共事業の受注権をスイス人に限定しているのは、スイスという国家にとって重要な仕事だから、同胞でなければ任せられないと思うから、あるいは国家として自国民を助けたいと思うからでしょう?

 それなのにその仕事を受注しておいて「オレはスイス人じゃない!! オレの両親は日本人だから、オレのアイデンてぃていは日本人だ。 スイス国籍を取ったのは仕事を受注するためだ。」なんて公言するって、どういう心算でしょうか?

 スイス人がこれを見たらどう思うでしょうか?

 この人はスイスとスイス人を愚弄しているのでしょうか?
 スイスとスイス人は自分の金儲けのために利用すればよいとだけ思っているのでしょうか?

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 スイスという国は13世紀の建国以来、国民が一致団結して、近隣の大国から自由と平和を守り続けてきました。
 そのために今も厳しい徴兵制を維持しています。

 スイス人が先祖代々そうやって守ってきた国の国籍を授与されて、つまりスイス人達が「君もこれからは自分達の同胞だ」と認めてくれたのに、それを公共事業受注の方便だったと公言するなんて・・・・・。

 これはあんまりでしょう?

 スイス国籍を申請するなら、自分もまたスイス人だと確信し、スイスの危機には他のスイス人と一緒に銃を取って戦う覚悟を持つべきでしょう。

 それができず自分にとって日本国籍がアイデンティティなら、ビジネス上いくら不利でもスイス国籍は取るべきではなかったのです。

 それがスイスとスイス人に対する最低限の誠意というものです。

 逆に国籍は単なるビジネスの方便なら、日本国籍は放棄すれば済む話です。
 
 しかし日本国籍はアイデンティティだけれど、スイス国籍はビジネスの方便というのは、あまりと言えば余りに身勝手です。

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 こんな人がいるから帰化人が信用されなくなるのです。
 ワタシはスイスの人達に対してこんな人が元日本人であることを恥ずかしく思います。

 ワタシはこんな人達の為に二重国籍を認めなければならないとは全く思えません。

 勿論世界中には二重国籍を認めている国は沢山あります。 それは例えばできる限り沢山の移民を受け入れたいとか、その国の事情によります。 

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 しかし日本に着いていえば、二重国籍は安全保障上深刻な問題になります。

 なぜなら二重国籍でも、日本国籍を取得すれば参政権など日本人としての権利を100%保証されます。

 そして日本で二重国籍を認めたら、韓国・北朝鮮・中国と日本との二重国籍者が大量に生まれる事になります。

 韓国は日本の領土を不法占拠しているし、中国は日本の領土を侵略しようとしています。 
 そして北朝鮮は多数の日本人を拉致し、また現在日本を核ミサイルで恐喝しています。
 
 こういう状況で二重国籍を認めたら、この二重国籍者達が日本で得た参政権を、自分のもう一つの祖国の為に利用するのが自明だからです。

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 「二重国籍を認めるのは世界の趨勢云々」と言いますが、しかし世界中のどんな国でも、国籍法など国内法はまず自国の安全と国益を守る為に作るのが基本です。

 自国の安全を脅かす外国人の帰化を認める必要はないし、また二重国籍を認める必要もないのです。

 それを一部の不誠実な元日本人の便宜のために変える必要はありません。

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2018-03-07 20:39

レイハラ? ヘンなこと言いだして何がしたのだろうか?

 昨年秋からレイハラなんて物が出たそうです。
 裏の桜さんが紹介してくださったのですけどね。

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 大貫聡子

朝日新聞 2017年9月18日16時52分

 
  学校や職場で、自分のルーツや国籍に向けられた配慮のない言葉やふるまいに苦しんでいる人たちがいる。ヘイトスピーチ対策法で排外的なデモをなくす動きは進むが、身近なところで差別が置き去りにされていないか。海外で認識が定着している「レイシャルハラスメント」について考えてほしいと、大阪市のNPOが活動を広げている。

 京都府内の私立大に通う在日コリアン3世の女性(22)は、幼稚園から高校まで朝鮮学校に通い、本名を名乗る。

 「日本名の方がきれいなのに」「同じ日本人でしょ」。アルバイト先でこんな言葉をかけられる。「良かれと思って言っていることはわかる。でも自分を否定された気持ち。また傷つけられたらと思うと、心を開いて話をするのが怖い」

 大学の講義で、衝撃を受けたことがある。非常勤講師が「韓国は恥ずかしい国」「韓国は近代国家ではない」などと繰り返した。強い恐怖を感じ、教室にいてはいけないような気がして涙がとまらなくなった。

 ドイツ人の父と日本人の母を持…

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大学の講義で、衝撃を受けたことがある。非常勤講師が「韓国は恥ずかしい国」「韓国は近代国家ではない」などと繰り返した。強い恐怖を感じ、教室にいてはいけないような気がして涙がとまらなくなった。

 ??

 不思議ですね。

 朝日新聞によれば、個人と国家は関係ないんじゃないですか?

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 この記事の非常勤講師が何の講義でこれを言ったのかはわかりません。

 しかし学問上で外国の話をする場合、その国を褒めてばかりいるわけにはゆきません。 時には厳しい話が出るのは当然です。

 そしてこれは政治経済や国際問題の報道でも同様です。 

 例えば朝日新聞は戦後一貫して、アメリカのことを悪し様に書き続けたけれど、あれアメリカ人が読んだ凄く不愉快でしょう?

 それを差別だとかレイハラだとかいうなら、朝日新聞はこれまでの差別とレイハラの責任を取って、廃刊するべきでしょう。

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 それにしてもこのレイハラというのには違和感があります。

 80年代末にセクハラが登場して以降、パワハラ、アカハラなど、様々事を〇〇ハラと論われるようになりました。

 しかしそれは皆、職権を傘に来た人間が、悪意でやっていることを指していました。 悪意でやるからハラスメント=嫌がらせなのです。

 女性としては、好みのタイプでない男から交際を申し込まれれば迷惑ですが、それでも相手に全く悪意がなく、それどころから純愛から申し込んでいるような場合は、セクハラとは言いません。(ホントは純愛でも困るんだけれど)

 上司から叱られるのは不愉快ですが、しかし実際に自分に落ち度がある場合は、パワハラとは言いません。 また上司の誤解で叱ったとしても、それが誤解であるとわかれば、やっぱりパワハラとは言いません。

 悪意で相手の嫌がる事をやるから、嫌がらせ=ハラスメントなのです。

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 ところがこの朝日新聞の記事を読んでいると、悪意がなくても相手の外国人が不愉快になればレイハラ、つまり人種的嫌がらせになると言うのです。 

 例えばこの漫画なんかそうです。

 「韓国は恥ずかしい国」と言われ…〝30秒で泣ける漫画〟の作者が描く

 この漫画でも相手には何の悪意もないのです。

 しかし相手に悪意がなくても、外国人の気に障ればレイハラ=人種的嫌がらせという事なるのですね。

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 こうなると我々凡人は外国人様とは、関わりあいになるのをやめるしかありません。

 だって凡人は超能力でも授からない限り外国人様の心中など知るすべはありません。 だから外国人様とお話しをさせていただくと、いつ何時レイハラをやらかすかわかりません。

 だからレイハラを防ぐ為には、外国人様とは関わらないようにするしかないのです。

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 勿論、人間は皆、他人を思いやるべきだし、他人の気持ちを傷つけないように気を付けるべきです。

 しかしここは日本であり日本人の国です。 そこでひたすら外国人への気遣いを強制させられるというのは、自宅で常に他人への気遣いを強制されるのと同じことです。

 これでは自宅を持つ意味がありません。

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 そもそも前記のように大学の講義や報道で、外国への批判が出るのは当然の話です。 それを「差別」だとか「ハラスメント」だとか言う人々は一体何をしたいのでしょうか?

 こうやって次から次へとヘンな話を作る事で、社会を窒息させたいのでしょうか?

 

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2018-02-23 15:06

民族文化継承の理想と現実 アイヌ

 裏の桜さんも紹介されていましたが、アイヌ語を公用語にしろと言っている人がいるそうです。

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 で、これ現実的に可能なのでしょうか?

 アイヌ語を公用語にすると言う事は、法律や政令などの公文書等を全てアイヌ語で書き、申請書などもアイヌ語で受付可能と言う事です。

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 アイヌ語でそれができるのでしょうか?

 そもそもアイヌ語には独自の文字はなかったのです。 だから今はローマ字で記述しています。

 アイヌ民族は元々狩猟採集の民族で、小規模な集落に分かれて、獲物を追って移動しながら生活していました。 だから都市は勿論、固定した村と言う物もありませんでした。

 当然ですがそういう社会では、都市機能や国家や自治体の行政に関わる用語を使う機会はなく、だからアイヌ語にはそういう用語はありません。

 また文字がないので学問もなく、学問用語もありません。

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 言葉って現実にそれを使用する必要が出来て初めて生まれるのです。
 
 例えばコンピューター用語を見ればわかるでしょう?
 あれはコンピューターが発明されて初めて作られたのです。 
 そしてコンピューター或いはパソコンの普及で、一般人にも使われるようになりました。

 車の部品やその他カー用品の名前だって、車が発明されて普及して初めて一般的な言葉として定着したのです。

 当然ですが車のない社会に車関連の用語はありません。 またコンピューターのない時代にはコンピューター関連の用語はありません。

 だったら小さな集落単位で暮らす民族の言語に高度な行政に関わる用語があるのでしょうか?

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 例えばアイヌ語には民主主義を表す言葉はあるのでしょうか?

 現在欧米諸語では民主主義を表す言葉は、古代ギリシャ語で民主主義を表すデモクラツィアを借用して使っています。

 日本ではその意味から漢語に変換して表しています。 中国・韓国・台湾はその日本生まれの漢語を借用しています。

 民主主義は古代ギリシャ人の発明なので、ギリシャ語を借りる事は構いません。

 コンピューター用語や自動車用語も英語そのままで使っている物も沢山ありますから。

 しかし問題はその言葉が日本人に受け入れられて、日本語として定着しているかどうかです。

 そこで疑問なのですが、アイヌ語の中でこうした用語は定着しているのでしょうか?

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 歴史の本を読んでいると時々「言葉が成熟する」「言葉が成立する」と言う話が出てきます。 

 例えば英語が成立したのは16~17世紀、エリザベス朝の頃と言われます。
 
 ここでいる「英語が成立する」とはどういう事でしょうか?
 それじゃそれまでイギリス人は未熟な言葉を話していたのでしょうか?

 そういうわけでもないのです。

 そもそもここで言う「英語の成立」とか「英語の成熟」と言うのは、この時代になって英語にラテン語、フランス語などからの語彙が沢山入り英語化した事で、英語で高度な文学や哲学、法律や政治などに関する表記も可能になったと言う事なのです。

 逆に言えばこの頃になって漸くイギリス社会が発達して、こうした語彙を必要とするとようになったのです。 そこでフランス語やラテン語から借りてきた言葉が英語として定着したのです。

 それでシェークスピアのような人が現れて、これらの言葉を芝居の台詞に取り込んだのですが、それを一般民衆も十分理解してるので、芝居を楽しむ事ができたのです。

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 英語に限らずどんな言葉でも成熟の過程では、より進んだ言葉からこのように語彙を借りてくるのです。 

 例えばラテン語にはギリシャ語の語彙が沢山入っています。

 ローマは第一次ポエニ戦争で、シチリアを支援しました。 シチリアは元来ギリシャ人の植民地で、ギリシャは当時のローマから見れば大先進国でした。
 
 そこでローマ人はこの機会にギリシャの学問を学び、その為にギリシャ語を学び、それでラテン語の中にギリシャ語が入っていたのです。

 このラテン語の語彙がさらに現在の欧米諸語に入っているのです。

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 世界的に見れば100%オリジナルで言葉を完成させた民族などいないのです。

 その意味ではアイヌ語にない語彙を、日本語その他から幾ら借用しても構いません。

 しかし英語やラテン語の例を見ればわかるように、外国語から取り入れた語彙が、定着するには相応の時間と条件が必要です。

 現在総人口が6000人と言われるアイヌ人にそれができるのでしょうか?

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 言葉を守る事は民族を守る事。
 言葉は人類の遺産。

 それはその通りだろうし、大変美しい理念だと思います。

 しかし現実問題として、現代文明とは非常にかけ離れた生活をする少数民族が言葉を守ると言うのは、大変な事です。

 例えば「アイヌ人の子供達にはアイヌ語教育をしろ」と言う人達もいます。 アイヌ語を守る為には子供達がアイヌ語を学び、継承するしかないかのだから、それはわかります。

 ところでワタシは昔、出来の悪い中学生を相手に学習塾の講師をしていました。 そしてワタシ自身は語学ダメ子で、英語には散々泣かされました。

 その経験からすると、アイヌ人の子供にアイヌ語を強制したりすれば、アイヌ人は激減するでしょう。

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 語学の勉強は大変です。

 現実の生活に使う事もない言葉を学ぶ事で子供に余分な負担を負わせたくない、どうせなら英語を教えて欲しい。

 このように考える親が出るのは当然で、こうした親達はもう「ウチはアイヌじゃありません。」と言いだすでしょう。

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 イヤ実際にそういう事があったのです。 以前紹介したハプスブルグ帝国です。

 ハプスブルグ帝国では公用語はドイツ語でしたが、地域の言語は守り、公教育も地域の言語で行いました。
 
 しかし子供に大学教育を受けさせたいと思う親達は、皆「自分はドイツ人」と申請して、子供にドイツ語教育を受けさせたのです。

 だって第二次世界大戦までは学問におけるドイツ語の優位は絶大でした。

 第二次大戦までイギリスの大学でドイツ語なしで履修できるのは、英文学だけだったと言われます。 古代ギリシャなどの研究をするにも、ギリシャ語の教科書がドイツ語だったのです。

 ドイツ語なしでは大学教育を受けられないのです。

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 これじゃ財力もあり教育熱心でもある家庭は、子供にドイツ語教育を受けさせたいと思うのは当然でしょう?

 そしてこうなると知識階級は皆ドイツ語に流れ、民族の言語を守るのは初等教育しか受けない庶民ばかりと言う事になります。

 これに民族主義者達は憤激しました。

 でも個人の権利を尊重すれば、民族主義者達にこれを止める権利はないはずです。

 ハプスブルグ帝国崩壊には、こうした言語の問題が深くかかわってくるのです。

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 国連やユニセフは「少数言語を守れ」と言います。 そしてその理念は美しので誰も反対しません。

 しかし現実の問題として、少数言語を話す側、その言語を守る義務を負う当事者にとっては大変な事です。

 そもそもアイヌ文化が幾ら素晴らしいと言っても、狩猟採取の文化です。

 実は今、道内には羆の出没が増えて困っています。 しかも動物愛護から狩猟をする人がドンドン減っているので、羆が出ても駆除をしてくれるのは老人ばかりと言う状態です。

 だから北海道民としては、アイヌ人の人達が、アイヌ文化伝統の羆猟の技術を身に着けて羆退治をしてくれるととても助かります。

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 でも当人達にすればそんなのは大迷惑でしょう?

 イヤだよ!!
 オレ動物を殺すなんか大嫌いだよ。
 大体、オレはアウトドア派じゃないんだよ。
 アイヌ人だから羆猟を学べ?
 そんなの差別だ!!
 
 ではアイヌ伝統の羆猟は誰が護るのでしょうか? 
 狩猟はアイヌの伝統文化ではありませんか?
 民族の伝統を守る事は大切なのでしょう?

 それではアイヌ語は?

 イヤだよ!!
 オレ語学は嫌いなんだよ。
 英語だけでも閉口したのに、アイヌ語なんか沢山だよ!!
 そんなモノ一体何に使うんだ?
 オレの店にはアイヌ語使う客なんかこね~~よ!!

 民族文化継承の美し理想と、現実の間には大きな乖離があるのです。

 言語だって同様です。

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 日本語と日本文化の場合は簡単です。
 何しろ日本民族が大人口を抱えており、しかも先進国です。

 だから日本語だけで膨大な出版その他の言語文化維持が可能です。 
 また伝統文化は一部の専門家が継承すれば良いのですから。

 しかし少数民族の場合はそうはいきません。

 実はデンマークなど先進国でも人口小国の場合は結構大変なのです。 人口小国と言っても500万人なのでアイヌとは比較にもならにのですが。

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 この記事の先生はこういう現実と理想をどう整合させるつもりなのでしょうか?

 ワタシはそれを是非聞いてみたいです。

 この理想と現実の乖離を整合させる方法を示せないなら、この先生の言う事は唯の頓珍漢です。

  1. 差別ニダ!!
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