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2021-02-23 16:44

なぜ馬鹿フェミがトランスに負けるか?

 以前も書きましたが、バイデン政権が乱発した大統領令の中に、トランス女性を完全に女性として認めるというモノがありました。

 これはトランス女性、つまり体は完全に男なのに、当人が「自分は女」だと言い張る人間を、完全な女性として認め、スポーツでの女子競技には女子として出場する権利を認めるものです。
 こんな事をされては、本物の女性はもうトップアストリートとして活躍することはできなくなってしまいます。

 更に女子トイレや女子更衣室と言った、女性施設も利用する権利を認める、拒否したら「差別だ!!」として処罰されます。
 これでは大学など若い女性の集まる所の女子トイレや女子更衣室には、女装した痴漢が押し寄せるでしょう。

 これは女性の安全にかかわる重大事ですから、当然フェミニスト達は抗議しているはず・・・・・ですよね?
 また大阪なおみ等女子プロスポーツ選手等も、猛抗議するはず・・・・・・ですよね?
 だっていくら女子プロのトップでも、自分は女性だと言い張る男子選手と対戦させられたら惨敗して、プロとして生活できなくなりますから。

 しかし現実には、フェミニスト団体もまた有名女子プロ選手達も、これに対しては殆ど何も言えないようです。
 トランス女性の女子競技参加について、ナブラチロヴァのなど既に現役をしぞいた元選手等がかろうじて反対の声を上げているだけです。

 何でフェミニスト団体がトランスに抗議できないのでしょうか?
 彼女達全く些細な問題でも、女性差別だとか女性蔑視とか屁理屈をつけて、ピラニアのように襲い掛かって、徹底的に相手を追い詰めます。
 また女性への性犯罪については、民主主義国家では被疑者の人権を守る為に定められた最低限の規制も無視して、被害者を自称する女性の証言だけで、加害者とされた男性を犯人扱いして人権を蹂躙してきました。

 「女性の権利」を振り回してこうした蛮行を恣にするのであれば、本当に女性の権利を守る事は簡単にできるのではないのでしょうか?
 実際、女性を自称するだけで男性が、女子競技に出場したり、まして女子トイレや女子更衣室に入るなんて、ホントに女性人権問題なのですから。

 ところが「女性の人権」を盾に蛮行を恣にするフェミニスト団体(ワタシはコイツラを馬鹿フェミと呼んでいるのですが)は、トランス女性の権利を振り回すLGBT団体には何も言えないのです。

 なぜならトランス女性などLGBTに関して異議を唱えたり、批判したりすると

 差別主義者!!

 と言われてしまうからです。
 そして差別主義者と言われたら、社会から抹殺されるのです。
 
 他人を根拠も示さず「差別主義者」と決めつけて、ピラニアのように寄ってたかって攻め立てて抹殺する。

 馬鹿フェミ活動家達もまたこうしたキャンセルカルチャーを最大限利用して、利権をむしってきたのです。
 このようなキャンセルカルチャーは「差別は絶対悪なので、差別主義者の糾弾は絶対正義である」と認識により成り立ちます。

 「それでは何で差別が絶対悪なのか?」についての考察は拒否しています。
 
 本来なら差別が絶対悪として徹底的に糾弾するのであれば、そもそも「差別とは何か?」をきちんと定義して、それに従って法制化するべきでしょう?
 個人が勝手に差別を理由に他人をリンチにかけて良いわけがないのです。
 
 しかし実はこれを絶対やりたくないのが、馬鹿フェミ活動家など、反差別活動家なのです。

 彼等はむしろ「差別とは何か?」を定義する代わりに、ひたすらお涙頂戴のセンチメンタリズムで彼等の反差別ファシズムを推進したのです。

 つまり差別されている側を無辜でカワイソウな被害者、差別する側を悪意に満ちた強大な権力を持つ加害者に仕立てるのです。

 こうなると加害者にされた側は至って部が悪いのです。
 何しろ古今東西「弱い物苛め」は悪い何より悪い事とされています。
 
 今回の馬鹿フェミによる森元総理リンチなど典型ですね。
 森本総理は何しろ元総理ですから、弱者を名乗る人間から文句を言われると非常に反論しづらいのです。 
 
 馬鹿フェミ達はこのような森さんの立場を知って、森さんからの反撃がない事を前提に、徹底的に森さんを攻撃したのです。

 これは本来非常に卑劣な攻撃ですが、しかしこれに日本だけでなく欧米先進国のマスコミや自称言論人、そして反差別団体が賛同しました。
 つまりこうした言論人や反差別団体の中では「カワイソウな人」、弱者、被害者、差別されている側に回ってしまえば、強者、加害者、差別している側をいくらでも攻撃できるという構造なのです。

 馬鹿フェミ団体もまたこうした構造の構築に励み、それを最大限利用してきたのです。

 しかしそうなると彼等の中でもヒエラルキーができます。
 彼等の中ではより差別されて、より弱く、より大きな被害を受けている方がランクが高くて、ランクの低い方は高い方に何も言えないのです。

 それで女性とトランス女性を比べれば、どう考えても女性の方がランクが低いのです。

 だって普通の女性は女性であるという事で異常者と思われる事もないし、女子トイレも女子更衣室も自由に使え、女子スポーツで活躍することもできるのです。
 
 それに比べたらトランス女性は弱者です。
 女装をしているだけで「気持ち悪い」などと言われるし、トイレや更衣室の使用にも悩むのです。
  
 だから弱者競争、被害者競争、カワイソウ競争をしたら普通の女性がトランス女性に勝てるわけはないのです。

 そこでトランス女性活動家達は、弱者の立場を思いっきり利用して、女子トイレの使用を阻止しようとする女性達を「差別主義者」と罵るのです。
 そうなると馬鹿フェミ達は沈黙するしかないのです。

 どうしてもトランス女性の女子トイレ使用を拒否したいなら、「差別された!!」と泣きわめいたら何でも通るという現在のキャンセルカルチャーを壊すしかありません。
 
 「差別された」と泣きわめくヤツがいても、「差別した」側を直ぐにリンチするのはやめて、「差別した」側の話もちゃんと聞いて、冷静に対応する社会にしなければなりません。

 しかしそうなったら現在の馬鹿フェミも反差別団体も殆ど全部消滅するんじゃないでしょうか?

 1970年代、マーチン・ルーサー・キング牧師が、公民権運動を始めた時は、アメリカには本当に厳し人種差別があり、黒人には「法の下の平等」も保障されていませんでした。
 だから黒人には本来得られるはずの「公民権」もなかったのです。
 それでキング牧師は、その公民権を得る為に活動を始めたのです。

 19世紀にフェミニズム運動が起きたときも同じです。
 市民革命により民主主義を確立した国々でも、女性は無権利のままに置かれ、参政権ばかりか私有財産権の保証さへあやふやでした。
 だから女性達は権利獲得の為に活動を始めたのです。

 でもね、キング牧師もまた初期のフェミニスト達も、自分達を「カワイソウな弱者」にするために活動を恥じたのではありません。

 女性も黒人も、男性や白人に劣らない能力や社会や国家に対する責任感があるから、男性や白人と同様の権利を認める事を要求したのです。
 そして実際そういう能力を示して来たら、女性の社会進出も進んだし、アメリカでは黒人が軍の最高幹部や最高裁判事や大統領にまでなったのです。

 それなのに現在フェミニズムや人種差別反対の活動家を名乗っている連中は、自分達がいかに弱者で、いかに差別されており、いかにカワイソウかを競い合っているのです。

 こんな事をやっていては差別は続くばかりです。
 だって法の下の平等が保障されてから半世紀も経って、行政から様々な支援も受けて、それでも「自分達はカワイソウ」というなら「コイツラホントに無能なんだ」と思われて当然でしょう?

 自分の不幸を訴えて泣きわめく人間が尊敬されるわけはないのです。
 自分の不幸に泣き続ける人間は蔑視されて当然なのです。

 ところが現在の自称反差別活動家というのは、皆これをやっているのです。
 なぜなら法の下の平等が完全に達成された現在、それでも反差別を訴えて活動続けて生活するには、差別がある事にして金品をせびる以外に方法がないからです。
 でもこれじゃ乞食です。

 女性であることや黒人である事で、男性や白人の同情心に訴えて金品をせびる人間がいる限り、男性が白人が黒人や女性を馬鹿にするのは当然でしょう?

 差別解消を勝ち取ったのは、こんな連中ではないのです。

 もう何十年も前ですが、感動したので今も覚えている話があります。
 それは日本女性が初めて東京大学を受験した時の話です。
 
 東京大学は戦後初めて女性の入学を認めました。
 しかしその女子学生の大学受験制度を定めるに当たって議論がありました。
 この時、多くの男性が女子受験生には男子より低い点数での合格を提案しました。

 なぜなら当時は女子学生と男子学生では、教育システムが大きく違っていたからです。
 男子学生は旧制中学5年、旧制高校2年を卒業後、大学を受験するのですが、女子学生には女学校5年はあっても、旧制高校に当たる学校はなかったのです。

 これだと普通に受験したら女子学生が圧倒的に不利です。
 だから「女子受験生の点数を低くするべき」という意見が出たのです。

 ところがこれに猛反対したのが、当時のフェミニスト達でした。

 入試で女子学生に下駄なんかはかせたら、女性には男性と対等の能力はないと決めるようなモノだ。
 こんな事をしていたら女性は男性と対等になれない。
 
 これで最初から女性も男性と同じ点数での入学が決まったのです。
 そうです。
 こうした覚悟があったからこそ、戦後一貫して女性の地位が上がり続けたのです。

 ワタシはこの話を読んだ時に、こうやって頑張ってくれた当時の女性達に本当に感謝しました。
 本当に、差別をなくすために頑張り続けたのは、このような人々だったのです。
  1. 差別ニダ!!
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2021-02-09 16:31

女性蔑視かどうか以前に 森発言

 マスコミはまだまだ森発言で騒ぎ続ける気満々です。
 しかしそれは別として、あの発言で気になった事があります。

これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかりますこれもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。

 森JOC委員長はラグビー協会の会長でもあるのですが、「女性理事を4割というのは文科省がうるさくいう」のでラグビー協会にも女性理事が一人いるのです。

 で、この女性理事は大学教授なのですが、しかしラグビーには何の知識も関心もなかった人なので、理事会で初歩的な質問を繰り返したそうです。
 ご本人はこれについて

多分森さんは『基本的なことぐらい勉強してから会議に出なさいよ』と思っておられたと思う。でも私、わからないことはトコトン聞く主義なんです!
 
 と踏ん反り返っておられるそうです。
 まあ、他の理事からすれば文科省の圧力をかわすために、ラグビーへの無知無理解を承知で理事就任を頼み込んだわけですから、幾ら理事会で愚門を連発されても文句は言えないのでしょうが、内心ゲンナリしていたでしょう。
 ワタシもいくら何でも理事に就任したからには、初歩的な問題については自分で勉強するべきだと思います。

 それにしてもラグビーについて初歩的な知識もない人が「女性」だという理由でラグビー協会の理事になるって異常だと思いませんか?

 普通スポーツの協会の理事って、その競技に格別な愛着や理解のある人がなるんじゃないですか?
 だからラグビーなど純然たるアマチュア競技の場合は、往年の名選手や森さんのように有名選手でないにせよ若い時にプレーしていて、その後政財界の名士になった人などが理事になります。
 
 このような人選は、その協会に所属する人達から見ても、また一般国民から見ても至って正しく思えます。

 しかしポリティカルコレクトネスからは問題があります。
 競技に愛着や関心のある事を理事選出の条件にすると、ラグビーのような競技では理事になる女性がいないのです。

 だってラグビーなんて純然たる男のスポーツです。
 
 しかも日本ではラグビーは2019年日本で開催されたワールドカップ以前は、殆ど一般国民からも注目される事がなかったので、ラグビーの試合を観戦するのも過去にプレーした経験のある人や、出場選手関係者ぐらいという事で、観戦する人も殆どが男性でした。

 ところが文科省は女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうので、元総理であり今も自民党の重鎮である森さんでさえ、女性をラグビー協会の理事にしなければならなかったのです。

 そこで前出の女性つまりラグビーには何の知識もない大学教授に頼み込んで理事になってもらったのです。

 それにしても自分にとって何の興味も関心もない競技の協会の理事になる事が、女性にとって何の利益があるのでしょうか?

 そりゃ元々女性に人気のスポーツで女子選手も多く、女性が世界的に活躍しているのに女性が理事になれず協会の運営に携われないというのなら問題だと思いますよ。

 でも最初から女性には不人気で、観戦する女性さへ皆無というスポーツの協会で女性の理事がいなくても全く無問題ではありませんか?

 ところが現在の「ポリティカルコレクトネス」というのは、そういう内実に関係なく、一律に運営側の男女比を均一化させようとしているのです。
 
 自分に興味のない競技の協会の理事になれると、女性に何の得があるんでしょうね?
 一般女性にも理事になった女性本人にも、何の得にもならないとしか思えないのですが?

 これと似たような話で、「日本の国会議員に女性が少ない、女性差別ニダ!!」いうのがあります。
 しかしワタシはこれナンセンスだと思います。

 そもそも女性で国会議員に立候補したい人って、男性と同数いるんでしょうか?
 ワタシはこれまで「自分は女性なので党の公認候補になれなかった。」という例を見た事がありません。

 国会議員になりたい人が、女性だという理由で立候補できないなら問題ですが、しかしそもそも立候補したい女性が少ないなら、結果として議員が少なくなっても差別ではありません。

 現在のポリティカルコレクトネスは男女の違い、さらに言うと人種や民族などの違いは、この世に存在しない事を前提に、全く無意味な結果平等を強要しています。

 しかしこれは本来の意味での平等にはつながらないし、まして女性の幸福にもなりません。
 
 男と女には明らかに違いがあるのです。

 ワタシは実は数検一級を持っているのですが、初めてこの数検一級の試験を受けに行った時、大勢の年配女性が会場に詰め掛けているので驚きました。
 後で知ったのですが、実は彼女たちは公文の講師で、公文は講師には数検3級(中学卒業レベル)の取得を義務付けているのです。
 
 公文の講師って殆ど全部女性なんですよね。
 しかし話を聞いてみると、公文の講師をしている女性達にとっては数検3級って結構キツイようなのです。

 公文の講師をして毎日子供に数学のドリルをやらせていても、彼女たちは子供に教えるのが仕事で数学自体には興味はないのでしょう。
 だから数検3級は結構キツイらしいのです。

 一方、you tubeには大学入試の数学の問題を解説する動画が沢山あります。
 そういう動画を登録しているのは殆どが男性で女性は3%に満たないのです。

 2.4% 「女性は数学が嫌い」と言えば差別?

 数学のように現在の日本の教育制度では男女全く差別なく教えられている学科で、体力などハンディも一切ない学科でも、結局好き嫌いについては男女で好みに明確な差があるのです。

 だって仕方がありません。
 男女では生殖という生物にとって最も重要な役割について、明確な違いがあるのです。 
 だからそれが全ての面に影響しているのでしょう。

 その為少数の例外はあっても、女性全体、男性全体を比べれば明確な差が出てしまうのです。

 現在のポリティカルコレクトネスは、その違いを存在しない事にして、強権的に結果平等を強要しているのです。

 これは社会をゆがめるだけです。

 女性はラグビーは嫌いです。
 女性は数学は嫌いです。

 少数の例外はありますが、大多数はそうです。 
 この少数の例外の為に、国会議員の数やスポーツの協会の理事の数の結果平等を強要するのが正しいのですか?

 ポリティカルコレクトネスではこれを言うと差別主義者として糾弾されますが、しかしそれじゃそれを言っている連中は、ラグビーのプレイや数学の勉強を強制されたら幸せになれるというのでしょうか? 
 
 そもそもこうした結果平等を求める人達は、実は権力亡者、権威亡者で、職業差別、学歴差別に生きる人達ではないでしょうか?
 
 国会議員も、スポーツ競技の協会理事も、公文の講師も、大学の数学科教授も、専業主婦もそれぞれに社会に必要な役割を果たしている大切な人々だと思っていれば、

 女性の国家議員が少ない差別ニダ!!
 オリンピック競技の協会の女性理事が少ない差別ニダ!!

 なんて馬鹿な発想にならないでしょう?

 森発言が女性蔑視とかいう以前に、ラグビーに興味も関心もない女性が女性だというだけの理由で理事になっているという異常さを考え直すべきでしょう?

  1. 差別ニダ!!
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2020-12-04 16:39

なぜナイキは日本誹謗CMを放映したか?

 昨日ナイキの日本誹謗CMについてエントリーしたのですが、あれか思い出した事や気が付いた事からなぜナイキが、今このような日本誹謗CMを放映したかを書いてみます。
 但しこれはあくまでワタシの想像・憶測であって、事実かどうかはわかりません。
 また昔の話では記憶違いもあると思いますが、ご了承の上で読んでください。

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 ワタシの記憶では元来ナイキというのは、イメージ戦略が非常にうまい会社です。
 
 ワタシがナイキという企業をイメージ戦略を知ったのは1990年代です。
 別にワタシが研究したわけではなく、当時ナイキのイメージ戦略を描いたドキュメントがテレビ放映されたのです。

 当時ナイキはマイケル・ジョーダンの出演させて、彼の名前を冠したバスケットシューズのCMを盛んに放映していました。

 ワタシは完全なスポーツ音痴で日本のプロ野球のチーム名さへ巨人と阪神ぐらいしか知らない人間です。 
 そのワタシが、マイケル・ジョーダンの名前を知り、彼が偉大なバスケットボール選手だと知ったのも、ナイキのCMのおかげです。
 何しろワタシときたら最初にマイケル・ジョーダンの名前を聞いた時は冗談でなく「何の冗談?」と思ったぐらいなのです。

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 しかしナイキのCMやそれに関連する情報を連日何度も見せらる続けると、さすがのワタシもマイケル・ジョーダンというのはアメリカのプロのバスケットボールの選手だとわかるようになりました。
 
 そしてワタシがマイケル・ジョーダンを冗談ではないと分かった頃、前記のナイキのイメージ戦略に関するテレビ番組を見たのです。
 
 それによるとナイキはマイケル・ジョーダンが全く無名のころから、その才能に目をつけてスポンサーになって彼を一流選手に育てたのです。
 その見返りは勿論、マイケル・ジョーダンが広告についてナイキだけと長期の専属契約を続けるというモノでした。

 このナイキの戦略は成功しました。
 マイケル・ジョーダンは超一流プロバスケット選手になったばかりか、アメリカのスーパースターになったのです。
 するとナイキは彼の名前を冠したバスケットシューズを売り出し、彼がバスケットボールをしている映像を使ったCMを、世界中で繰り返し繰り替えし放映したのです。

 お陰で超スポーツ音痴のワタシさへ、マイケル・ジョーダンの名前とナイキのブランド名を知る事になったのです。

 これでマイケル・ジョーダンのイメージに重なったナイキのブランド名が、世界中に轟いたのです。

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 そしてこのころからナイキブランドの靴が、バスケットボールの選手だけではなく、バスケットボールなど一切しない人々にも売れ始めました。
 
 それどころかスポーツなど殆どしない人々が、ナイキの「マイケル・ジョーダン」を履くようになったのです。
 
 先日紹介した事件、つまりNYの貧しい黒人少年が、ナイキの靴欲しさにそれを履いていた人を地下鉄に突き落として殺すという事件が起きたのもこのころです。

 この時、殺人犯の母親は「息子は人殺しではない、良い物が欲しかっただけだ」と言いました。

 ワタシはこの発言に大変なショックを受けたのですが、しかし考えてみるとこの発言からすれば、殺人犯の少年はバスケットボールの選手でも何でもなかったのです。

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 ナイキは元来陸上短距離用の靴の製造メーカーとして出発し、その後、スポーツ用の靴の全般を製造で成功しました。
 ナイキの製品は安くはなかったけれど、しかしどの種目でも優れた機能を持っていたので、多くの一流選手に愛用されたようです。

 しかし幾ら優れた機能を持ち、それ故多くの選手に愛用されても、選手だけを相手にしていたら売り上げは限られているでしょう?

 そりゃバスケットシューズを普段履きにすると人は結構いますよ。 ワタシだって一時バスケットシューズをズック靴代わりに履いていた事があります。
 しかしそれは安物でした。
 だってバスケットボールの選手でもない人が、プロバスケットボール選手が使うような高価なモノを履く必要はないのです。

 そして例えば日本ではバスケットボールをする人の大多数は、中学や高校の部活が中心です。
 これじゃ選手と雖も高価なナイキを使えるのはごく少数でしょう?

 これはおそらく日本だけに限らないでしょう?
 スポーツに励む人のほとんどは若い人、特に学生です。
 だから幾らバスケットボールや陸上競技が好きでも、高価なナイキ製品を買うのは、その国の一流選手だけです。
 そして一流選手というのは、そもそも数が少ないから一流なのです。

 これではいくらナイキ製品が優れていても、売り上げは限られてしまうのです。

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 ところがこれがこの「マイケル・ジョーダン」のころからすっかり変わったのです。
 殆どスポーツをやらない人達までは、ナイキブランドに魅せられてナイキの靴を履くようになったのです。
 
 そしてバスケットシューズだけでなくジョギングシューズなどその他の靴も、ドンドン売れて行ったのです。
 
 スポーツなど一切やらなくても、お洒落な人なら普段履きの運動靴でも「高級スポーツブランドの靴でないと恥ずかしい」「ブランドでない靴では街を歩けない」と思うような雰囲気になってきました。

 こうなるとナイキの売り上げが激増したのは当然でしょう?

 つまりナイキってイメージ戦略一つで、人殺しまで起こす程に自社製品の魅力を高めたのです。
 そして売り上げと利益を激増させたのです。

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 しかしこうした成功とは裏腹に、このころ既にナイキには奴隷労働、悲惨な低賃金労働の影が付きまとっていました。
 但しマイケル・ジョーダンで売り出した頃(90年前後)は、その奴隷は新疆ではなくハイチかジャマイカだったと記憶しています。

 実はワタシが前記に黒人少年によるナイキ殺人を知った記事では「ナイキは奴隷労働で作った製品をイメージ戦略で高額で売り、その宣伝にのせられた貧しい少年が殺人を犯してしまった。 ナイキは非人道的な企業!!」となっていたのです。

 靴の縫製は完全な労働集約産業ですから労賃をできるだけ安く上げたいのは当然です。
 それでナイキはこのころから低賃金の途上国で製造していたのです。
 しかし人殺しが出るほど高価で魅力的な製品を作れるなら、相応の労賃を払うべきでしょう?

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 然しナイキはそうはせずに、得意のイメージ戦略でこのような非難をかわす事にしていったのでしょう。
 そして労賃を安く抑えるという方針は死守しました。

 だからあれから40年も経った今では、単なる低賃金労働者では満足せず、強制収容所のウィグル人を使用していたわけです。
 その一方で自称リベラリスト達が掲げるスローガンには全面的に賛同するCM等を作り、人権重視のヒューマニズムに溢れた企業のイメージを確立したわけです。

 そして実はこの種のヒューマニズムCMは他のグローバル企業も放映しているようです。 だから連中もナイキと同じ事をやっているのでしょうね。

 またこれは100%ワタシの推定ですが、こうしたグローバル企業はCMを放映するだけではなく、自称人権団体、自称反差別団体、そういう団体に支持されている政治家達にも相当の献金をしているのではないでしょうか?

 だって彼等は別に差別をなくしたいわけではない、人権にも関心はない、タダ差別と人権をネタに稼ぎたいだけなのです。
 だから自分達に金をくれる企業は非難しません。
 そしてそんな金はナイキのような大企業からすれば「目腐れ金」なのです。

 これは例えばサウジアラビアの王族が、自分が欧米で好き放題放蕩に耽りながら、イスラム原理主義団体に寄付するのと同じでしょう?

 こうした企業の金に育てられて、この数十年、反差別・人権活動が盛んになり、一般国民の言論を封殺できるまでになったのではありませんか?

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 で、今何でナイキが日本を誹謗するCMを放映したか?

 それは今、アメリカ政府が中国のウィグルでの人権弾圧を問題にし始めて、ウィグルでの強制労働を防止する為の法案を作るという話が出てきたからです。
 そしてナイキ、コカ・コーラ、アップルなどがこの法案を潰すためのロビー活動をやっていた事が明るみに出てきたからです。
 
 ナイキ等がウイグル人強制労働防止法案に「反対」 ロビー活動に米与野党落胆

 あららら!!
 せっかく人権重視で反差別の企業で売り込んできたのに、大ピンチです。

 ど、どうしよう??
 そうだ!!
 日本を叩けばよい!!

 ダイアモンドプリンセス号が横浜に入港した時、皆、日本たたきで大はしゃぎだったじゃないか?
 ヒューマンで反差別の連中は、実はジャップが大嫌いなんだよ。
 だから日本が災難を抱えたら嬉しくて嬉しくて仕方ないんだよ。
 ところが日本はまんまとコロナを抑え込んじまった!?

 これヒューマンで反差別の連中は内心、凄い不服だろうさ。
 
 だったらここで連中の大好物の差別で日本を叩いたら?
 勿論、連中はウィグル人のことなんか綺麗に忘れるんだよ。
 そもそもあんまり関心がなかったんだし。

 オマケに今、日本のテレビはCMの放映料は格安だよ。
 それにバイデンが北朝鮮への制裁を緩めてくれたら、ウィグル人の代わりに北朝鮮で奴隷をゲットできるし。

 実際、欧米ではこの日本誹謗CMで盛り上がっている人達が結構いるようです。
 さすがナイキ!!

 グローバル企業ってホントにすごいと思います。 
 単純に反日とか左翼とかそういう話ではありません。
 彼等は実に強かなのです。
  1. 差別ニダ!!
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  3. CM(60)

2020-12-03 12:37

封建社会に戻したい ナイキ

 ナイキのCMが問題になっています。
 ワタシも見ましたが大変不快でした。

 何で不快かというと、このCMは日本は在日コリアンや黒人が差別される国だという事を宣伝しているからです。
 そして日本人全員を「お前は差別する悪い人間だ」と非難しているからです。

 実際このCMとその反響を評論した記事では、以下のように書いています。

ただ、このCMで描かれているストーリーが「リアルな実体験に基づいたストーリー」であることは受け止めなければいけません。 「自分の知る範囲は起きていない」とナイキを批判したところで、いまも日本のどこかで起きている人種差別、国籍差別はなくならないから。
 
 このCMに書かれた事が事実だという証拠はありません。 
 このCMのモデルになった人が経験した話だとしても、その人は事実を語っているかどうかを検証したわけではないでしょう?
 在日コリアンのいう事が事実なら、北朝鮮による日本人拉致は存在せず、慰安婦強制連行は存在したことになります。

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 しかしこれが虚偽か事実かは別として、ワタシが違和感を感じるのは、このCMとこの記事の根本思想は「連座制」、或いは封建的身分差別思想だからです。

 江戸時代には親の罪で幼児まで含めた一家全員が処刑されるという連座制がありました。
 これは日本に限らず封建社会では世界中同じです。
 封建社会とは本人には責任の持ちようもない先祖の行動で社会秩序が成り立つ社会です。
 封建社会では先祖の栄光で子々孫々特権的な地位や身分が保証されるし、その逆で先祖の罪で子々孫々、最下層民として屈辱的な扱いを受け続けるのです。

 しかし近代合理主義の社会、民主主義の社会では、このような封建的な身分制は完全に否定されました。
 近代合理主義・民主主義の社会では個人が責任を問われるのは、自分自身の言動だけです。
 
 親の罪で処罰されるとか、先祖の功罪で身分が決まるなどと言う事はないのです。
 そして当然ですが、国家や民族の功罪で個人を責めてもいけない事になっています。

 しかししこのナイキのCMとこれを称賛する人々の発想は違います。

 それにしてもナイキによらず「反差別!!」を叫ぶ人たちって、ホントに封建的身分制度が大好きなのです。 だから中国・韓国・北朝鮮のような独裁国家や途上国が大好きです。

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「自分の知る範囲は起きていない」とナイキを批判したところで、いまも日本のどこかで起きている人種差別、国籍差別はなくならないから

 イヤイヤ、自分の知る範囲で起きてないという事は、自分はそういう差別に関係していないという事です。
 そういう事に責任はありません。
 そういう事で人を責めてはいけません。

 そして圧倒的多数の人が「自分の知る範囲で起きていない」というのであれば、その事実があったかどうかは疑ってかかるべきなのです。

 さらに言えば仮にこういう苛めがあったとしても、これが人種差別や国籍差別なのか、単なる子共のいじめなのかを判定するのは不可能でしょう?

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 そういうあやふやな話で一つの国、その国の国民全員を誹謗するようなCMを放映するって、それこそ日本人に対する差別そのものではありませんか?

 逆にこのナイキCMの理論なら、日本人がコリアンの一人ないし数名から差別されたり傷つけられたりしたのならコリアン全体、韓国や北朝鮮という国家を差別民族、差別国家として非難してもよいという事になります。

 ところでワタシは実はコリアンも黒人も差別したことはありません。 
 そもそもワタシの知人にはコリアンも黒人もいないのですから、差別なんかしようもないのです。

 しかしコリアンから差別された事は何度もあります。
 ヘイトスピーチを受けた事や、殺害予告までされています。

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 例えば駐日韓国大使は国会議員だった時代に「日本人の傍にいると気分が悪くなる」と公言していたのです。 
 ワタシは勿論これは非常に不愉快だったし、傷つきました。

 まして北朝鮮に至っては「日本を火の海にする」など、日本人全員に対する殺害を示唆する発言を繰り返しています。
 そして日本人拉致という国家犯罪を行いました。

 そしてナイキのCMに出てきた朝鮮学校は北朝鮮とその独裁者を礼賛する学校なのです。 日本人拉致の実行犯の一人は大阪朝鮮学校の校長です。

 因みに在日コリアンって韓国人もしくは、北朝鮮人です。
 特別永住許可があるからと言って、本国に暮らす韓国人や北朝鮮人と区別したら差別です。
 ナイキCMの論理なら、彼等には本国在住の同胞同様、本国での日本人差別や、国家犯罪に責任があるはずです。

 日本人に自分には全く経験のない「差別」についての反省を迫る事が無問題というなら、日本人が近所の在日コリアンを捕まえて「あの駐日韓国大使の発言について釈明してほしい」と小一時間問い詰めるのも、「韓国人がいると気分が悪くなる」というのも全然無問題で、差別にも何もならないはずです。

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 それにしてもナイキは何の為にこんなCMを放映したのでしょうか?
 ナイキがそんなに差別反対でヒューマニズムを重んじる会社なら、まずはウィグルでの強制労働をやめるべきでしょう?

 そもそもナイキは随分昔から超低賃金奴隷労働が問題にされていた会社です。
 靴の縫製は典型的な労働集約産業ですから、低賃金労働者が欲しいのはわかります。
 
 然しナイキの製品は非常に高価なのです。
 余りに高価なので、一般の若者は簡単に買えない値段なのです。
 それでも売れるのです。

 脱線しますが、ナイキがマイケル・ジョーダンを使ってナイキブランド売り出しに成功していたころの話です。
 NYで貧しい黒人の少年が、ナイキのバスケットシューズを欲しさに、それを履いていた白人少年を地下鉄に突き落として殺し、それを奪うという事件がありました。
 この時、この加害者の母親の言った言葉をワタシは今でも覚えています。

 息子は人殺しではない、良い物が欲しかっただけだ。

 ワタシはこれを聞いた時は絶句しました。
 だからもう何十年も前の話なのに今も鮮明に覚えているのです。
 そして高々靴の為に人が殺されるという事が大変ショックでした。
 更にこの時、大変奇妙な事に、人殺しの黒人少年よりもナイキが非難されました。

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 高価な靴欲しさに人殺しをする人間ではなく、高価な靴を作るの会社が非難されるというのは無茶苦茶だと思いました。

 しかしともかく人殺しを生むほど高価で魅力的な製品なのですから、それを作る労働者だって少しは大事にするべきしょう?
 それでなくてもナイキの製品は低賃金の途上国で作られてきたのです。 
 だったらそういう国でのマトモな賃金ぐらい出しても経営は成り立つはずではありませんか?

 それなのにナイキが労働者への賃金を惜しんで、ウィグル人の奴隷化に加担しているです。
 なるほどこれじゃ本物の人殺し企業です。

 然しナイキにすればイメージアップには、CMの製作費と放映料の方が、ウィグル人の奴隷化をやめるより遥かに安上がりだという計算でしょう。
 なにしろ現在日本のテレビ局はコロナで広告収入が減ってCMの放映料の激安なのですから。

 それにこのままではアメリカ政府の中国制裁が厳しくなったて、新疆の奴隷は使えなくなる可能性も高いです。
 だからナイキとすれば新しい奴隷獲得のために朝鮮総連にゴマをすったのかもしれませんね。

 これがグローバル企業の経営戦略なのですね。


  1. 差別ニダ!!
  2. TB(0)
  3. CM(32)

2020-10-27 13:08

多文化主義と寛容の行き着く果て パティさん国葬

 10月21日にパリで行われたサミュエル・パティさんの国葬は、実に盛大な物でした。
 彼の棺は儀仗兵によってソルボンヌ大学に運び込まれ、マクロン大統領は弔辞で彼を「静かな英雄」と称え、レジオンドヌールを授与しました。
   
 国葬というだけでもすごいのですが、フランス国民の故人への共感、世界的な影響も大変な物でした。

 しかしパティさんは例えば中曽根康弘のような大物政治家でもなければ、戦死者でもないのです。
 彼は高校の教師で、元来無名の人です。

 その彼が授業で生徒達に表現の自由を教える教材としてシャルル・エブドのムハンマドの風刺画を使ったところ、これに怒り狂ったイスラム教徒により殺害されて斬首されたのです。

 こんな事で殺されるなんてホントに酷い話で、パティさんとそのご遺族は大変気の毒だと思います。
 しかしそれで国葬になるというのは、日本人としては何とも違和感があります。

 日本でも狂信者に殺された人はいます。
 例えばオウム真理教の殺された坂本弁護士一家など典型です。

 坂本弁護士はまだオウムの問題が世間に注目されていなかったころから、信者の脱会などを助けていたので、オウムに目を点けられて一家全員(奥様とまだ一歳にもなっていなかった息子さんまで)が殺されたのです。

 狂信的なカルトと戦うという意味では、坂本弁護士の方がパティさんよりもっと積極的で、勇敢でした。
 
 しかし日本では坂本弁護士の死を悼みはしても、国葬にするとか、勲章を授与するなどと言う話は全く出ませんでした。

 同じく狂信者の犠牲者でありながらなぜパティさんは国葬になり、坂本弁護士はならなかったのか?
 なぜフランス政府はパティさんをレジオンドヌールを授与し、国葬にしたのか?
 
 それは結局、フランス共和国の危機感の故でしょう。
 パティさんの死は、フランス革命以降フランス共和国が守ってきた価値観、フランスの国体の危機を明確化したのです。

 フランスは元来カソリックの国で、カソリック教会の支配力の強い国でした。 
 しかしフランス革命により王権と共にこのカソリックの支配を打破しました。
 その為には粛清による大量殺人も膨大な文化破壊を行いました。
 フランス革命時、幾多の教会が破壊されて、フランスの守護聖人だった聖マルティンの教会もこの時完全に破壊されて道路になってしまいました。
 
 勿論こうした凄惨な革命で国内は混乱し、政権は不安定化して、フランスが安定した共和制になるまでには、苦しい試行錯誤と長い年月と多数の犠牲を要しました。

 しかしそういう犠牲を払ってフランスは宗教の支配を逃れて、理性の支配する自由な国となったのです。
 そして世界最高の先進国、文化国家として繁栄してきたのです。

 ところがパティさんの死で、そのフランスの国体が、危機的な状況にある事を明白になりました。

 だってパティさんは戦場に出たわけではないのです。
 元来とてもやさしい人柄で生徒にも人気のあった先生が、授業中にシャルル・エブドの風刺画を教材に使ったというだけで殺されてしまったのです。
 
 実はパティさんの生徒の一人の父親がイスラム教徒で、このことを憤り、この授業のことをネットで発信したのです。
 これがパティさん殺害に至った経緯は以下のリンク先で、飯山陽さんが詳しく解説しています。

 《パリ教師殺害》日本では報じられない事件の”真相”とフランス国民の本音

 これを超簡単に言うと、この父親の発信を見たイスラム法学者の一人が、パティさん殺害を示唆する「ファトワー」を出し、その「ファトワー」に従った犯人が、パティさんを殺したのです。

 因みに「ファトワー」というのは、イスラム法学者が出すイスラム教の教理からみての見解みたいなものです。
 するとイスラム教徒の中には、これに従って行動する人間が出てくるのです。

 尤も飯山さんも書いていますが、すべてのイスラム聖職者がパティさん殺害を示唆したわけではありません。 むしろ「イスラム教は殺人は認めない」としてこの殺人を非難している聖職者も多いのです。

 元来イスラム教にはカソリックにおける法王庁のような権威は存在しないので、イスラム法学者全部に統一した見解という物はないのです。
 だからイスラム法学者が出す「ファトワー」も、法学者それぞれによって全く違った物が出てくるのです。

 そしてイスラム教徒も法学者に絶対服従というわけではないのです。
 例えばある問題についてイスラム法学者に相談して、それでその法学者の話に納得がいかなければ、別の法学者に話を聞き、そうやって色々イスラム法学者ショッピングをやって自分が納得した意見に従えばよいというようなモノなのです。

 そういう意味では極めて反権威的であり、個人的な宗教なのですが、しかしこうなるとパティさん殺害のような極めて危険で過激な「ファトワー」を出す法学者がいても、それをイスラム教全体として防止する方法はないのです。
 
 またそういう危険な「ファトワー」に従う信者を止める方法はないのです。

 イスラム教では神と信者はあくまで一対一の関係で、どのように信仰し、どのように行動するのが正しいかを決めるのは神だけなのです。
 だからこうした過激で危険な「ファトワー」を出す法学者も、それに従う信者も、イスラム教徒から排除することはできないのです。

 そして大変厄介な事に、イスラム法やコーランを厳密に解釈すれば、イスラム教を冒瀆する人間を殺すべきという事になるのです。
 
 イスラム教の教祖ムハンマドは、自ら聖戦を戦ってイスラムの支配する国を作りました。 
 そしてその聖戦と支配地の統治の為の法を作ったのです。
 だから異教徒と戦う事も、異教徒を軍事力で支配する事も、教理では完全に認められているのです。
 この教理がコーランやイスラム法に明記されているのです。

 コーランやイスラム法が成立したのは7世紀前半ですから、聖戦を戦った戦士は捕虜を奴隷にできるなど、現代感覚ではあり得ない条項もあります。
  
 普通の法であればこういう時代錯誤の条項は改正されるべきでしょう。
 でもイスラム教ではイスラム法もコーランも、ムハンマドが神の啓示により定めた物、つまり神が定めた物ですから、幾ら時代が変わっても人間が勝手に変える事はできないのです。 
 そして神の法ですから、人間がすべてそれに従わなくてはならないのです。
 
 しかし現代社会で、7世紀初頭に聖戦の中で作られた教理を厳格に解釈して従うって、大変でしょう?
 だから全てのイスラム教徒が、厳格に教理に従っているわけではないのです。

 けれども飯山さんがご著書「イスラム教の論理」で指摘していましたが、イスラム教徒全体の5%程度は、このような厳格な解釈に従うべきだと考えている言うのです。
 こうした厳格なイスラム教徒、つまりイスラム原理主義者の一部が、パティさん殺害のようなテロを行っているのです。

 イスラム原理主義者がイスラム教徒の中の5%で、その中でも本当に殺人などのテロに走る人間は、1%にも満たないでしょう。

 しかし2015年現在でイスラム教徒は650万人、フランスの総人口の10%を占めるようになりました。 
 と、言う事は650万人の5%、32万人程はイスラム原理主義を信奉している事になります。 そしてその中で本当にテロをも辞さない人間が1%だったとしても、テロリストになる可能性のある人間は常時3000人ぐらいいる事になるのです。

 これは本当に怖いです。
 
 これだとイスラム教に批判的、イスラム教の教理からみて冒瀆と思われる事をすれば、殺される可能性はすごく高いのです。

 このままでは第二、第三のパティさんが出るでしょう・
 しかしフランス人がそれに怯えて、イスラム教徒を刺激するような言動を「自粛」するような事をしたら、イスラム原理主義者は益々行動をエスカレートさせるでしょう。

 つまりシャルル・エブドのような風刺画の禁止だけでは済まず、禁酒など他のイスラム法に順守を非イスラムのフランス人にもドンドン強制するようになるかもしれないのです。
 
 何でイスラム教徒でもない人が、イスラム法を守らなければならないのかと言えば、イスラム教ではイスラムの教えこそが、この世で唯一正しい教えなので、人類は全てイスラム法に従う義務があるのです。

 しかしテロリストの暴力に怯えて、全てフランス人がイスラム法に従わされる社会って、もう近代国家ではありません。
 これってもうフランス革命のずうっと前、中世の暗黒社会へ逆戻りです。

 でもフランスは今その瀬戸際に追い込まれているのです。
 
 だからこそマクロン大統領としては、パティさんにレジオンドヌールを授与し、更に国葬にすることで、フランスはこうしたテロリストには屈しない、フランスは宗教の国ではなく理性の国であり続けると宣言したのです。
 フランスの理性の為に命を落とした人は、国家の英雄であると宣言したのです。

 同じく狂信と戦った人でも、坂本弁護士を日本政府が国葬にしなかったし、日本人全体もそのような事は考えもしなかったのは、オウム真理教により日本の国体が脅かされるという危機感など、日本人の誰も持っていないからでしょう?

 それにしてもフランスは、何でこんな事になったのでしょうか?

 ワタシはこれは近年フランスなど欧米諸国が取り続けた多文化主義と寛容の結果だと思います。

 パティさんを殺した犯人はチェチェン出身の18歳の少年で、彼は難民としてフランスに来たのです。

 難民としてきたのですから、フランスに受け入れてもらっただけでなく、彼も彼の家族もこれまでフランスの国費から様々な福祉を受けていたのではありませんか? 
 そうやって世話になったのなら、フランスの習慣や伝統を尊重するのは当然だと思いますよね?

 でもそんな事はイスラム教徒には関係ないのです。
 イスラム教の場合はイスラム教だけが絶対に正しく他は間違ているというのが、ユークリッド幾何学での二項定理のような基本定理ですから、幾らフランスという国の世話になり、フランス人の払った税金で生きて居られても、そんな事に感謝してフランス人に遠慮するなんてありえないのです。

 どんな事があろうとも正しいのは自分だけ。
 他人は自分に従わなければならない。
 それで他人が反抗するなら殺すのが正義。

 これって多文化主義とか寛容とは、完璧な真逆な価値観です。
 多文化主義で寛容な社会というのは、色々違いがあっても、その違いを認めて相手の存在を容認することで成り立ちます。

 しかしそういう違いを認めず相手の存在を絶対に容認しない、暴力で抹殺するなどと言う人間が大量に入り込めば、寛容なんて言ってはいられないのです。

 けれどもこのような人間を大量に受け入れてしまったのも、つまりはフランスが多文化主義で寛容な社会だったからです。

 フランス国民の多くが「イスラム教徒も自分達が彼等の宗教を認めて、寛容に受け入れたら、彼等もフランスの価値観は尊重してくれる。」と信じてていたから、受け入れたのです。 

 しかしその善意は完全に裏切られました。

 でも多様性を認めるって、つまりは自分の存在を絶対認めない人間もいるという事を認める事でしょう?
 それなのに「自分達が善意で対応したのだから相手も自分達を理解して尊重してくれるはず」と考えていたのなら、結局それはそういう多様性は認めてなかったという事ではありませんか?

 日本も移民社会の入り口にいますから、パティさんの国葬は人事ではありません。
 ワタシは日本からパティさんを出したくないので、移民とイスラム教徒については慎重に考えていきたいと思っています。

  1. 差別ニダ!!
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