著者・宮口幸二氏は少年達は「境界児」と言われる知能の持ち主だと言います。
現在、知的障害者とされるのはIQ70以下の人達です。
しかし知的障碍者とそれ以外の人達の間に断絶があるわけではなく、多くの人達のIQを調べて分布を見ると、知的障碍者から天才と言われる非常に知能の高い人達まで、ほぼ綺麗な正規分布をします。
それで知的障害者ではないけれど、平均よりかなり知能の低い境界知能と言われる人達が、一定数いるのです。
上の表はNHKの特集記事「何をしても上手くいかなかった私、境界知能でした」から拾ったものですが、ここでは総人口の14%が境界知能だとしています。
因みに「ケーキを切れない非行少年達」の著者・宮口氏は10%前後を境界知能としています。
いずれにしてもこの境界知能の人達は、生まれついて与えられた知能が低い為に、生涯大変な苦労をすることになります。
先日、ツィッターで「四則計算できない高校生がいる日本の厳しい現実」と言う記事を拾ったのですが、これも高校進学率が95%を超える中で、境界知能の人が10~14%と考えれば至極当然のことだと思います。
高度成長期なら高校進学率も70%程度でしたから、境界知能の人が敢えて高校に進学することはなかったのですが、進学率が95%を超えるとそうもいきません。
ワタシは90年代までは、学習中塾の講師をしていたのですが、当時の札幌では、普通学級に通い、非行などのトラブルを起こしていない中学生は全部高校に進学していました。
境界児は普通学級に通いますから、当然高校に進学するし、そういう生徒を受け入れる高校もあるのです。
そして当時の経験から言えば、実際中学生になっても九九ができない子は結構いましたし、中学三年になってもアルファベットが書けない子もいました。
そういう子に歴史など社会科系の教科書を読ませると、一行に2つぐらい読めない漢字があるし、文章の意味も殆ど理解できないようです。
なんかワタシが英語でニューズウィークなど英米系の高級紙を読んでいるような感じなんですね。
ワタシは自分自身が小中学校時代、勉強はダメ子だったので、そういう子でも普通に勉強すれば、中学の課程ぐらいはちゃんと理解して、札幌市内の進学校に行ける程度の成績は取れるだろうと思っていたのですが、現実はそんなに甘くなかったです。
いくら何でも三年間中学校に真面目に通い、授業時間中、ちゃんと教室にいて、アルファベットが覚えられない子がいる事に驚愕しました。
でもそういう子供達と接して分かったのですが、この子達は怠けているわけでも、サボっているわけでもなく、授業中はちゃんと真面目に先生の話を聞いているのです。
むしろ頭のいい子の方が、退屈して怠けるのです。
でも理解できない。
授業中に教えられたことを、覚える事もできない。
一度頑張って覚えても、授業が進んでいる間に訳が分からなくなって忘れてしまう。
こういう状態が続いて、中学三年生になっても、アルファベットをきちんと書けないという状況になるのです。
しかしこういう子供達が、人間として劣っているとか、そういう事は全くありません。
実はワタシはそのころ、病気とか色々あったとはいえ、ホントにダメ人間になっていたこともありますが、少なくとも中学生でもワタシより人間ができている、人間として上と思える子の方が多かったです。
ワタシは小学校や中学生の前半は、勉強については全然マトモに努力をせず、当然成績は下位だったのですが、しかし高校受験が近づいて不味いと思って少し真面目に勉強し始めたら、速攻で札幌市内の進学校に楽々合格できる成績になりました。
だから凄く世の中を舐め、人を舐めていたのです。
それで「ワタシが、やる気出せばなんでもできる。」なんて思っていたのです。
それなのに難病なんか抱え込んで「こんなはずじゃなかった。」とばかり思って、世を恨み人を恨むという最低の状態に陥りました。
でもこの子達は努力しても努力しても報われない、努力を評価されないばかりか、努力してもその努力をしているとさえ思われない状態で、ずうっと生き続けていたのです。
それでも明るく振る舞い、毎日元気に学校に通い、ちゃんと高校受験にも挑戦していたのです。
なるほどワタシなんかより人間として遥かに上なのは当然でしょう。
そもそもIQで測られる知能は、記憶力・推論・演算など、パソコンの性能を測るのと全く同類同室の機能ですが、しかし人間の人格はそういうモノとは別なのですから。
それにしても神様は不公平で残忍だと思いました。
宮口氏は非行少年の中に境界児がいると言うのですが、しかしワタシが務めていた学習塾の生徒を見ると、明らかに頭のいい奴が、アタマをリーゼントにして学校をさぼったりしていました。
ある日、リーゼントの番長に、数学の問題を解説した所、中三の問題を楽々と解いたのです。
そいつは中一から立派にぐれていて、中三までマトモに登校していなかったのにです。
そいつだって根は悪い奴じゃないから、ワタシは「オマイはアタマが凄く良いんだから頑張れ!! オマイならこれから受験まで真面目に勉強したら、西高でも行けるから。」と励ましたんですけどね。
でもさ、ホントに不公平でしょう?
こんな奴がこれで札幌有数の進学校に入れて、あんなに真面目に勉強を続けて人柄も立派な子供達が、札幌最低の底辺校に入れるかどうかだなんて・・・・・。
しかしまた思ったのです。
優れた知能の恵まれても非行に走っている奴を「お前はアタマがいいんだから頑張れ」と励ますのは気楽なのですが、持って生まれた知能が低い為に、幾ら努力しても底辺校に入るのやっとだという子をどうすればよいのでしょうか?
「人間、努力すれば何でもできる!!」
と言う言葉は、逆に言えば結果的にできなければ、努力しなかった事になってしまいます。
知能の低い人に、勉強でひたすら努力を強いるなんて、心臓の弱い人に、長距離走の練習をさせて、記録が悪ければ「お前が努力しないからダメなんだ!!」と言うような話です。
これはあまりと言えば余りに残酷な話です。
しかし「お前は境界児で知能が低いのだから、無理な努力はしなくてもよい」と言うのもまた余りに残酷です。
心臓が弱い事なら本人も家族も、何とか受けれられますが、日常生活で特に問題もないのに「境界児だから、努力しても勉強はできない。」なんてことを受けれるのは容易ではないでしょう。
知能と言うのは、所詮脳の機能であり、脳は心臓や筋肉と同様臓器です。
だから心臓や筋力と同様、生まれつきである程度決まるし、またその能力が劣っていても、人間として劣っているわけではないはずです。
しかし現実の社会で、人間はそのようにすっきりと割り切れるわけではないのです。
でも神様は不公平で残酷で、天才を作る一方で、境界児と言われる人々も作り、彼等を苦悩させるのです。
そしてこれは社会全体でも深刻な問題です。
なにしろ総人口の10~14%がこのような人々であるなら、社会としてはこうした人々もまたちゃんと「人並」の生活を送れるような仕組みを考えいかなければならないからです。
こうした人々が「底辺」と蔑まれ、貧窮のままに放置されたら、国家とか社会全体がうまくいきません。
そもそも10~14%と言うのは、例えば最近左翼やたらに執着しているトランスジェンダーなんかを遥かに超える数で、社会の1割強の人が希望を持てない社会と言うのは、どう考えても健全な社会ではないからです。
そしてその意味では高校進学率、そして大学進学率が無暗に上がっている社会と言うのは、実は結構危機的な社会とも言えます。
しかし現在の所、知的障碍者へのサポートは結構進んでいるのですが、境界知能の人達へのサポートは全くありません。
小中学校で落ちこぼれても、そのまま放置されている状態です。
勉学のサポートも必要ですが、そもそも落ちこぼれた理由が知能が足りない事であれば、勉学だけ何とかサポートして将来的に困難が出るのは明らかです。
だから今後はこうした人達へのサポート、と言うよりこうした人々がちゃんと働けて、努力相応の給料をもらえる社会と言うのを考えていかなければなりません。
そして世界的に見ると更に問題が出てきます。
日本ではIQ70以下を知的障害者、70以上から85ぐらいを境界知能といているのですが、それは日本人のIQの平均が100強だからです。
実はこれは世界最高レベルです。
何種類かのランキングがあるのですが、どれを見ても日本は1~3位ぐらいに入っています。
でも実は世界にはIQの平均が70ぐらいの国もあるのです。
それでも国家として独立した以上は、自力で国家を運営していかなければならないのです。
そして移民国の場合は、こういう差がそのまま人種差別にならないように対応しなければなりません。
ホントに神様って酷い事をしますね。