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2022-11-13 12:28

神様は冷酷で残忍 境界児の思い出

 少し前にベストセラーになった本で「ケーキの切れない非行少年」と言うのがありました。 少年院の非行少年に円を三分割させると、普通の人がやるように中心から120度ずつ分割する事ができないというのです。
 著者・宮口幸二氏は少年達は「境界児」と言われる知能の持ち主だと言います。

 現在、知的障害者とされるのはIQ70以下の人達です。
 しかし知的障碍者とそれ以外の人達の間に断絶があるわけではなく、多くの人達のIQを調べて分布を見ると、知的障碍者から天才と言われる非常に知能の高い人達まで、ほぼ綺麗な正規分布をします。

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 それで知的障害者ではないけれど、平均よりかなり知能の低い境界知能と言われる人達が、一定数いるのです。
 上の表はNHKの特集記事「何をしても上手くいかなかった私、境界知能でした」から拾ったものですが、ここでは総人口の14%が境界知能だとしています。
 因みに「ケーキを切れない非行少年達」の著者・宮口氏は10%前後を境界知能としています。

 いずれにしてもこの境界知能の人達は、生まれついて与えられた知能が低い為に、生涯大変な苦労をすることになります。

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 先日、ツィッターで「四則計算できない高校生がいる日本の厳しい現実」と言う記事を拾ったのですが、これも高校進学率が95%を超える中で、境界知能の人が10~14%と考えれば至極当然のことだと思います。
 高度成長期なら高校進学率も70%程度でしたから、境界知能の人が敢えて高校に進学することはなかったのですが、進学率が95%を超えるとそうもいきません。

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 ワタシは90年代までは、学習中塾の講師をしていたのですが、当時の札幌では、普通学級に通い、非行などのトラブルを起こしていない中学生は全部高校に進学していました。
 境界児は普通学級に通いますから、当然高校に進学するし、そういう生徒を受け入れる高校もあるのです。

 そして当時の経験から言えば、実際中学生になっても九九ができない子は結構いましたし、中学三年になってもアルファベットが書けない子もいました。
 そういう子に歴史など社会科系の教科書を読ませると、一行に2つぐらい読めない漢字があるし、文章の意味も殆ど理解できないようです。
 なんかワタシが英語でニューズウィークなど英米系の高級紙を読んでいるような感じなんですね。

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 ワタシは自分自身が小中学校時代、勉強はダメ子だったので、そういう子でも普通に勉強すれば、中学の課程ぐらいはちゃんと理解して、札幌市内の進学校に行ける程度の成績は取れるだろうと思っていたのですが、現実はそんなに甘くなかったです。
 いくら何でも三年間中学校に真面目に通い、授業時間中、ちゃんと教室にいて、アルファベットが覚えられない子がいる事に驚愕しました。

 でもそういう子供達と接して分かったのですが、この子達は怠けているわけでも、サボっているわけでもなく、授業中はちゃんと真面目に先生の話を聞いているのです。
 むしろ頭のいい子の方が、退屈して怠けるのです。
 でも理解できない。
 授業中に教えられたことを、覚える事もできない。
 一度頑張って覚えても、授業が進んでいる間に訳が分からなくなって忘れてしまう。
 こういう状態が続いて、中学三年生になっても、アルファベットをきちんと書けないという状況になるのです。

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 しかしこういう子供達が、人間として劣っているとか、そういう事は全くありません。
 実はワタシはそのころ、病気とか色々あったとはいえ、ホントにダメ人間になっていたこともありますが、少なくとも中学生でもワタシより人間ができている、人間として上と思える子の方が多かったです。

 ワタシは小学校や中学生の前半は、勉強については全然マトモに努力をせず、当然成績は下位だったのですが、しかし高校受験が近づいて不味いと思って少し真面目に勉強し始めたら、速攻で札幌市内の進学校に楽々合格できる成績になりました。
 だから凄く世の中を舐め、人を舐めていたのです。
 それで「ワタシが、やる気出せばなんでもできる。」なんて思っていたのです。 
 それなのに難病なんか抱え込んで「こんなはずじゃなかった。」とばかり思って、世を恨み人を恨むという最低の状態に陥りました。

 でもこの子達は努力しても努力しても報われない、努力を評価されないばかりか、努力してもその努力をしているとさえ思われない状態で、ずうっと生き続けていたのです。
 それでも明るく振る舞い、毎日元気に学校に通い、ちゃんと高校受験にも挑戦していたのです。
 なるほどワタシなんかより人間として遥かに上なのは当然でしょう。

 そもそもIQで測られる知能は、記憶力・推論・演算など、パソコンの性能を測るのと全く同類同室の機能ですが、しかし人間の人格はそういうモノとは別なのですから。

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 それにしても神様は不公平で残忍だと思いました。
 宮口氏は非行少年の中に境界児がいると言うのですが、しかしワタシが務めていた学習塾の生徒を見ると、明らかに頭のいい奴が、アタマをリーゼントにして学校をさぼったりしていました。
 ある日、リーゼントの番長に、数学の問題を解説した所、中三の問題を楽々と解いたのです。
 そいつは中一から立派にぐれていて、中三までマトモに登校していなかったのにです。

 そいつだって根は悪い奴じゃないから、ワタシは「オマイはアタマが凄く良いんだから頑張れ!! オマイならこれから受験まで真面目に勉強したら、西高でも行けるから。」と励ましたんですけどね。
 
 でもさ、ホントに不公平でしょう?
 こんな奴がこれで札幌有数の進学校に入れて、あんなに真面目に勉強を続けて人柄も立派な子供達が、札幌最低の底辺校に入れるかどうかだなんて・・・・・。

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 しかしまた思ったのです。
 優れた知能の恵まれても非行に走っている奴を「お前はアタマがいいんだから頑張れ」と励ますのは気楽なのですが、持って生まれた知能が低い為に、幾ら努力しても底辺校に入るのやっとだという子をどうすればよいのでしょうか?

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 「人間、努力すれば何でもできる!!」
 と言う言葉は、逆に言えば結果的にできなければ、努力しなかった事になってしまいます。
 知能の低い人に、勉強でひたすら努力を強いるなんて、心臓の弱い人に、長距離走の練習をさせて、記録が悪ければ「お前が努力しないからダメなんだ!!」と言うような話です。
 これはあまりと言えば余りに残酷な話です。

 しかし「お前は境界児で知能が低いのだから、無理な努力はしなくてもよい」と言うのもまた余りに残酷です。
 心臓が弱い事なら本人も家族も、何とか受けれられますが、日常生活で特に問題もないのに「境界児だから、努力しても勉強はできない。」なんてことを受けれるのは容易ではないでしょう。

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 知能と言うのは、所詮脳の機能であり、脳は心臓や筋肉と同様臓器です。
 だから心臓や筋力と同様、生まれつきである程度決まるし、またその能力が劣っていても、人間として劣っているわけではないはずです。
 しかし現実の社会で、人間はそのようにすっきりと割り切れるわけではないのです。
 
 でも神様は不公平で残酷で、天才を作る一方で、境界児と言われる人々も作り、彼等を苦悩させるのです。

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 そしてこれは社会全体でも深刻な問題です。
 なにしろ総人口の10~14%がこのような人々であるなら、社会としてはこうした人々もまたちゃんと「人並」の生活を送れるような仕組みを考えいかなければならないからです。
 
 こうした人々が「底辺」と蔑まれ、貧窮のままに放置されたら、国家とか社会全体がうまくいきません。
 そもそも10~14%と言うのは、例えば最近左翼やたらに執着しているトランスジェンダーなんかを遥かに超える数で、社会の1割強の人が希望を持てない社会と言うのは、どう考えても健全な社会ではないからです。

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 そしてその意味では高校進学率、そして大学進学率が無暗に上がっている社会と言うのは、実は結構危機的な社会とも言えます。
 しかし現在の所、知的障碍者へのサポートは結構進んでいるのですが、境界知能の人達へのサポートは全くありません。
 小中学校で落ちこぼれても、そのまま放置されている状態です。

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 勉学のサポートも必要ですが、そもそも落ちこぼれた理由が知能が足りない事であれば、勉学だけ何とかサポートして将来的に困難が出るのは明らかです。
 だから今後はこうした人達へのサポート、と言うよりこうした人々がちゃんと働けて、努力相応の給料をもらえる社会と言うのを考えていかなければなりません。

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 そして世界的に見ると更に問題が出てきます。
 日本ではIQ70以下を知的障害者、70以上から85ぐらいを境界知能といているのですが、それは日本人のIQの平均が100強だからです。
 実はこれは世界最高レベルです。
 何種類かのランキングがあるのですが、どれを見ても日本は1~3位ぐらいに入っています。

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 でも実は世界にはIQの平均が70ぐらいの国もあるのです。
 それでも国家として独立した以上は、自力で国家を運営していかなければならないのです。
 そして移民国の場合は、こういう差がそのまま人種差別にならないように対応しなければなりません。

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 ホントに神様って酷い事をしますね。

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2021-06-01 11:31

奴隷の魂 選手村酒類持ち込みに怒る左翼

 「これは、怒りますよね」「オリンピックと名前がつけば、お酒を出していい、飲んでいいと。(それならば)もう日本中の居酒屋が『選手村』って名前を変えるんじゃないか」と →共産・小池書記局長 酒類持ち込み「日本中の居酒屋が選手村に名前変える
 https://twitter.com/amneris84/status/1399295017710067716

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 ??
 誰が何を怒るんでしょうね?
 わけわかりません。

 オリンピックの選手村に酒類の持ち込みは自由です。
 但しお酒を飲んでも良いのはプライベートスペースだけです。

 これってホテルや旅館の自室や自宅での飲酒と同じです。 これは今でも全く禁止されていません。 
 ワタシも夕べの夕食はスパゲッティだったので、ワインを飲みました。 

 因みに選手村での飲酒をプライベートスペースに限るのは、ホテルや旅館や自宅での飲酒と同様で、今回の特別処置でもないでしょう? 
 ホテルの自室で酒を飲むのは自由だけれど、廊下やロビーで飲んじゃダメでしょう?

 ロックダウンなど強烈な行動制限を課した国々でも、自宅内や宿泊先の室内での飲酒を禁止したという話はありません。

 禁止や制限があるのは、居酒屋など飲食店でお酒を出す事です。 なぜならこういう店では不特定多数の人が集まって、皆楽しく騒ぎながら飲むのですが、これが感染拡大の原因になるからです。

 ところが共産党の小池やその尻馬に乗った江川紹子は、選手村で選手役員が自室でお酒を飲む事と、居酒屋やキャバレーの開店を混同しているのです。

 アタマ、悪すぎ!!

 共産党小池に至っては医師免許を持っているのに・・・・・・。

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 因みにコンドーム配布も同じです。
 選手役員同士好きになった相手とセックスするだけです。
 選手村で風俗店を開業するわけではありません。
 
 選手役員の殆んどは成人です。 
 中学生の修学旅行じゃあるまいし、成人が自室にお酒を持ち込んで飲む事や、夫婦や恋人同士がセックスをするのを禁止できるわけないのです。
 だったらホスト国としては、コンドームの配布ぐらいのサービスはするべきです。

 しかしこのようなツィートや記事を見ると、どうやらパヨクは個人がプライベートにやる事と、風俗店や居酒屋のように商業として不特定多数の相手にやる事の区別がつかないのでしょうね。

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 左翼は「自己責任」が大嫌いなのですが、これはつまり自分の判断や責任で物事を決めたり、行ったりすることが大嫌いだという事です。
 なるほど自分の判断が間違っていて、災難に遭い辛い思いをしたときに、政府や国が責任を取ってくれると嬉しです。
 でもそんな事を期待していたら、自己決定権を放棄することになってしまいます。

 なるほど問題を起きたときに責任を課せられるのは辛いです。 
 でも決定権と決定者の責任というのは、セットなのです。
 だから自己責任を問われる事が多いという事は、それだけ自己決定権が保障されているという事だし、これは自由が保障されている事でもあります。

 小池や江川がこれをどこまで理解しているのかはわかりません。
 しかしこの小池の記事や江川のツィートを見ていると、自己責任の意味を全く理解していないのではないかと思います。

 だから個人がプライベートライフを楽しむ事と、商業施設の営業の違いも理解できないのです。
 
 商業施設の営業の場合は不特定多数の人間を相手にするので、コロナパンデミックなど関係なく、普段から保健所の検査など公衆衛生上の監視を受けているのです。
 幾ら営業の自由があると言っても、大勢の人の健康にかかわるのだから仕方ありません。
 今回の営業自粛もその延長です。

 それを100%選手のプライベートライフである、選手村の自室での飲酒や選手同士のセックスを混同するってありまえせん。
 反オリンピックの為のプロパガンダとしてもレベルが低すぎます。

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 それでもなおこういうナンセンスな混同をしている所を見ると、やっぱり左翼って個人の自由とか尊厳を理解できないのだと思うしかありません。
 
 実際左翼の要求や政府への不満を聞いていると、「政府にあれしてほしい、これしてほしい、でもやってくれないから許せない」というモノです。

 また裁判が大好きです。 そして裁判を行う場合は、同じ左翼仲間で大弁護団を組ん相手を威嚇します。

 例えば慰安婦強制連行捏造記者植村隆など典型ですが、最初から話し合いを拒否して裁判に訴えました。
 民事訴訟というのは本来当事者同士の話し合いがつかなかった場合には、国家権力が介入して解決を助けてくれるという事なのです。
 本当に反権力ならできる限り自分達で話し合って解決することを目指すべきなのです。 

 ところが植村等左翼側は、被告になった西岡力氏等は「お互い言論人なのだから、私の論文に問題があるというなら、まずはそれについて議論しよう」と言ったのに、話し合いを拒否して西岡氏を告訴しました。

 この時植村には400人の大弁護団が付きました。
 巨大弁護団をつけて告訴。 
 つまり植村等は裁判所という国家権力の「威」を借りて、相手を脅そうとしたのです。

 そして現在、左翼が成立を図っているLGBT法案も同じです。
 彼等はLGBTに不安を持つ人達と話し合ったり、自分達で説得したりすることを最初から放棄して、国家権力によって「差別」を禁止しようとするのです。

 彼等は性的指向への好悪という超プライベートで微妙な問題にまで、国家権力を持ち込み彼等の言う「差別」の問題を解決しようとしているのです。

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 こうしてみると、左翼ってホントに国家権力が好きです。
 
 ??
 だって左翼って反権力、反国家でしょう?

 違います。
 コイツラ反権力、反国家なんかじゃないです。
 彼等が反権力、反国家を叫ぶのは、国家や権力が彼等の思い通りにならないからです。
 国家や権力が彼等の期待することをしてくれないからです。
 一方彼等は何から何まで国家に自分の面倒を見てほしいのです。

 いい子、いい子、左翼ちゃんはなんて可愛いんでしょう。
 お菓子でも玩具でも、左翼ちゃんが欲しがるものは何でもあげるからね。
 エッ? 右翼ちゃんが左翼ちゃんの悪口を言ってるって?
 おおカワイソウに!!
 ママが右翼ちゃんを懲らしめてあげる。

 彼等は国家が大甘の母親か、ペットにメロメロの飼い主のように、扱ってほしいのです。
 しかしそんなバカな事はできるわけもないので、彼等は怒り狂うのです。

 幼児は我儘を言って親に叱られた時に「お母さんなんか死んでしまえ!!」とか、簡単に言いますよね?
 左翼の反権力ってあれと同じです。

 幼児やペットは問題を起こしても、幼児やペットは責任を問われません。 
 責任は親や飼い主が取ってくれます。  
 その代わり、幼児やペットには成人のような自由はありません。
 左翼はそういう立場になりたいのでしょうか?

 それにしても小動物のペットは可愛いからそれでよいのです。
 幼児は可愛いだけでなく、数年で幼児を卒業するから無問題です。

 しかし小池や江川のように初老になっても幼児のような我儘を言い続けて、自分が我儘を言っている事自体を自覚できないってどういう事でしょうか?

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 それは彼等の魂が「奴隷の魂」だからです。

 ??
 奴隷の魂って?
 奴隷って従順で、強い者には逆らわなないのでは?

 違います。
 ローマ人は奴隷を「自分の運命を決める事が出来ない人」としました。 
 「自分の運命を決める権利」つまり自己決定権をすべて剥奪されいるのが奴隷なのです。
 
 「自分の運命を決める」ってわかりますか?
 「自分の運命を決める」と言っても、人間はいくら気を付けても病気や事故などの災難を避ける事はできません。
 持って生まれた能力や財力によって、就ける職や住める場所だって限られています。 
 しかし奴隷でないなら、限られた選択肢の中から自分が選んだ事には、自身の責任を問われます。

 貧しく、そして特に才能に恵まれているわけでもない人間にとって、これは大変厳しい事です。

 しかしそれでも自分の選択に責任を持つ事で「自由」を得られるのです。
 その「自由」を守る事こそが、自由人の尊厳であり誇りなのです。

 この自由を生得的に持ちなら、敢えて放棄するのは、魂が奴隷のそれだからです。

 因みにソクラテスは「奴隷の魂と僭主の魂は同じ」だと言いました。
 奴隷には自己決定権はありません。
 だから自己責任はありません。 
 そうなると社会人としての義務なないし、後先考えずに言いたい放題言えるのです。
 勿論他人への配慮をする必要も全くありません。

 実際左翼の言動ってこの通りでしょう?
 これは僭つまり独裁者と同じです。

 そういえば左翼ってスターリンとか毛沢東とか金日成などの独裁者大好きじゃないですか?
 そして左翼が憧れる共産主義国家は全て国民は自由を奪われて、独裁者の奴隷になりました。

 こうした独裁者を崇拝し、独裁国家に憧れるのが左翼です。
 それはつまり彼等と左翼が同じ魂を持つからでしょう。

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 オマケ

 ここに貼った写真は昨日(5月31日)に撮りました。
 見ての通り素晴らしく爽やかな快晴だったのですが、寒くて閉口しました。
 だって帰宅した5時前には10℃!!
 もう6月だというのに、これじゃ11月と変わりません。 お陰ですっかり凍えてしまいました。
 あんまりです。

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2018-04-24 21:59

「福田にも人権がある」 リンチ大好き

 今回の財務省福田事務次官のセクハラ騒動で、ワタシの脳内に浮かんだ情景はこれです。

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 自称リベラリスト達は福田氏をリンチしたいのです。

 福田氏が善人であるか悪人であるか?
 福田氏が助平であるか、否か?

 それはワタシにはわかりません。
 しかし麻生財務相の言うように「福田にも人権がある」のです。

 例えばセクハラについてこのようにツィートしている人がいました。

セクハラがダメなのは「風潮」だからではなく、他人の人権を侵害するからです。殺人とか強姦とか窃盗とか痴漢が禁止されているのを「風潮」とは言わないのと同じ。

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 なるほど、それなら殺人や強姦や窃盗と同様に容疑者を処罰する前には、厳密な事実確認が必要です。
 
 そして事実確認が終わるまでは推定無罪の原則が適応されるべきです。
 これは容疑者の人権守る為には絶対必要な事です。

 ところが自称人権派は福田氏をリンチにかけたくて堪らないので、事実確認をさせまいとしているのです。
 
 これがマトモな人間でしょうか?
 こんな連中をリベラリストとか人権派とか呼べるのでしょうか?

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 それにしてもリンチが好きな人間多いですね。
 ワタシが今回の福田氏リンチで思い出したのが、2009年に起きた京都教育大学集団強姦事件です。 

 これは2009年4月、週刊文春が報道で始まりました。
 
 京都教育大学の男子学生6人が、コンパの最中に会場の居酒屋の一室で、女子学生一人を集団強姦したというのです。

 実はこれは2011年に、自称被害者の女性の狂言であったことが確定しています。

 しかしこの文春の「集団強姦」報道はですぐに大変な騒ぎになりました。

 そしてそれに便乗した新聞テレビでも、犯人とされた学生6人全員の実名と顔写真が報道されました。
 
 ワタシは実はこの時、どうもこの事件はオカシイのではないかと思いました。 しかし何よりも違和感を持ったのは、この事件の報道の仕方と、それに対する人々の反応でした。

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 実はこの事件が報道された時点では学生達は逮捕もされてなかったのです。 つまり厳密に言えば容疑者でさへないのです。 ところが全員実名で報道されたうえ写真までさらされたのです。

 すると驚いた事に多くの人々が、直ぐに彼等を強姦犯と決めつけて、彼等を退学処分にしない学長事で大学に抗議が殺到するなどの騒ぎになりました。

 常識を働かせれば大学が学生を退学させないのは当然だとすぐにわかるはずです。 なぜなら週刊誌報道が出た段階では、学生達は逮捕もされておらず、したがって容疑者でさへないのです。
 それを退学させるなんてできるはずもないのです。

 しかし群衆の脳内からはこうした常識は飛んでいました。
 彼等は大学側が彼等を退学させない事に憤激したのです。

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 ワタシはこの事件への疑念をブログに書いたのですが、すると自称人権派の方がコメントで「女性の人権が侵されたのに云々」と書いてきました。

 だからあ、女性の人権が侵されたというのは、彼等の有罪が確定したらの話でしょう?
 今の段階では彼等が犯人であるかどうかも、性交渉があったかどうかも、わからないんだよ!!
 もし冤罪だったらこの学生達が人権を侵害されていることになるんだよ、わかる?

 しかし全然わからないようでした。

 実はワタシはこの事件への疑問を、2ちゃんにも書いたのですが、そうすると2ちゃんでも袋叩きに遭いました。

 そしてなんと2ちゃんにワタシを非難する版ができていたのです。
 
 すごいね。 ワタシはこのころブログを始めてまだ一年目だったのですが、お陰でエライアクセスが増えたようです。

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 しかし実はこの事件に疑念を持っていたのはワタシだけではありませんでした。 犯人とされた学生の友人達、特に当日同じコンパに出ていた学生の多くが、容疑者の無実を信じていたのです。

 彼等は当日の自称被害者と容疑者達の様子から、集団強姦などあるはずがないと信じていたのです。

 ワタシはそうした学生の一人からも「容疑者とされた友人を助けたい」と言うコメントをもらいました。 

 彼等は他でも広くネット上で友人の無実を訴えていました。  

 すると今度は彼等が「被害者の人権を侵害する」として懲罰の対象にされました。

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 イヤ、判決がでるまでは容疑者は推定無罪だから、被害者も被害者と決まったわけではないはずです。
 それなのに何で容疑者の擁護をする側だけが、こうした懲罰の対象になるのでしょうか?

 そもそもこの事件で容疑者達を非難している連中は、容疑者も自称被害者も、全く知らないのです。
 まして事件当日のコンパに同席していたわけでもありません。

 だったら容疑者と自称被害者の双方を知る人たち、まして当日現場で同じコンパに出ていた人達の意見には謙虚に耳を傾けるべきではありませんか?

 ところが激高した人達は、謙虚に考え直すどころか、こうした学生達を黙らせようと躍起になったのです。

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 これを見ていると彼等はただ「集団強姦」という言葉に反応してまって、これが事実か否かを考えるという意思を完全に失っているようでした。

 そして週刊誌報道などいい加減な物で、過去何度も捏造報道や誤報で報道被害を出している事など全く思い浮かばないようでした。

 心理学によると、人間は感情に衝撃を受けると分析的に考える事ができなくなるのだそうです。

 なるほどこの事件での群衆の反応がまさにそれでした。
 
 彼等はただ「集団強姦」という言葉に衝撃を受けて、この事件に関する不自然さなのには一切思い至らなくなっていたのです。 そして感情のままに暴走する群衆に恐れをなした人々は、容疑者を庇おうとする学生達を処罰したのです。

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 最終的にこの事件は容疑者全員が無罪になりました。 そしてその後の民事訴訟で、この事件は自称被害者の狂言だったことが確定したのです。

 しかし今検索してみても、今もこの容疑者達を非難するブログが結構残っています。
 そして容疑者が無罪になったことを絶対に許せない人達がまだ結構いるようなのです。

 彼等はそもそもこの事件について、あの文春誌記事以外のことは一切知らないのです。 しかしそこで思考が停止して、それを疑うという事を全くできなくなっているのです。
 
 だから今もなおあの学生達をリンチにかけたいと思っているのです。  

 こういうのを見るとホントに世の中にはリンチ大好きな人が、ホントに沢山いるのだと思います。

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 そして今回の福田事務次官のセクハラ騒動もこの同類ではないかと思うのです。

 福田事務次官を非難している連中は、そもそも福田次官がセクハラをしたかどうかとの事実認定には最初から全く興味がないのです。

 セクハラという言葉に反応しているだけなのです。
 
 セクハラという言葉が週刊新潮で報道されただけで、そのセクハラがどういう物だったのか、またそもそもそれは事実なのかという事には、一切関心がなくなっているのです。

 だから「福田を吊るせ!」という話になっているのです。

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 しかもそれを大学教授や弁護士がやっているのです。
 そして呆れた事に本人達は自分は人権派、女性の人権を守る高潔の̪士だと信じているのです。

 そこで彼等はそろってこの福田氏を擁護する人々に対して「これではセクハラはなくならない」「日本は人権後進国だ」などと言う非難を浴びせています。

 イヤ、今後のセクハラ防止とか、日本の人権状況とかと、福田氏のセクハラが事実が同課は別問題だから。

 福田氏をセクハラで処分するなら、まずその前にセクハラがあったかどうかについて正確な事実確認をするべきだから。

 それをしないで福田氏を処分するってリンチだから。

 しかし高学歴人権派の人々は、冤罪防止のための最低限の原則に思い至らないようです。(中学公民で習うレベルなのに)
 
 彼等はもうなんとしても福田氏と麻生さんを吊るしたくてならないのです。

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 こういうのを見るとしみじみ民主主義を守るのって難しいと思います。 

 短絡的に感情に燃え上がるのは、知性にも教養にも関係なく、何か加減で火が付けばルサンチマンと共に燃え上がるのでしょう。

 だからこそこんな事で福田氏を暴徒の手にゆだね、リンチにかけさせてはならないのです。
 
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2015-12-21 22:22

共産主義について・・・・・

  長谷川熙著「崩壊 朝日新聞」によると、朝日新聞は戦前から日本を共産化するために工作活動を続けていたそうです。

 そして戦後も歴代社長は暴力革命こそは諦めたものの、マルクス主義者、親スターリン主義者、親中国共産党の人間が続き、共産主義の大義により記事を編集報道してたと言います

 この朝日新聞を我が家では、ワタシが生まれる前から購読していました。
 それでワタシが中学生になって、初めて読み始めた新聞は朝日新聞でその後も延々と読み続けました。
 
 その為でしょうか? ワタシは長い間、共産主義が特に悪い物とは思っていませんでした。

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 共産主義社会と言うのは、随分窮屈な鬱陶しい社会で、自分が住むのは絶対嫌だなあ・・・・・とは思いましたが、しかし貧しくともあんまり働かずにノンビリ暮らせるのだから、そういうの好きな人には好いだろうぐらいに思っていました。

 そして共産主義者については、現実的思考ができない困った人達ではあるけれど、理想主義的な善人だと思っていました。

 朝日の発行部数は長きにわたって世界一を保ってきたのですから、おそらく日本人の多くが共産主義について、当時のワタシと同様に考えていたのではないでしょうか?

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 そういう考えが根源的に変わったのは、東ドイツ崩壊後に出版された東ドイツについての二冊の本を読んでからです。

 一冊は東独崩壊以前はホーネッカーの後継者とも評された元東ドイツ共産党の幹部の書いた、東ドイツ崩壊に至る顛末を書いた本です。

 もう一冊は50年代に東ドイツの男性と結婚して、その後東ドイツ崩壊後も東ドイツで暮らし続けた共産主義者の日本人女性の書いた、東独時代とその後の生活に関する本です。

 どちらも共産主義者ですから、崩壊した東ドイツ共産党政権の弁明と言うべき本でした。

 この中で二人が共にベルリンの壁建設について、「東ドイツが蒙った経済的損出を防ぐ為には当然の処置。」と言っていたのです。 二人はこの経済的損出についてちゃんと数字を上げていました。(ワタシはこの数字は忘れましたが)

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 経済的損出?

 それはドイツの東西分断後、ベルリンの壁建設までの間に、東ドイツから西ドイツへ逃げだした人々の事です。

 第二次大戦でドイツはソ連とアメリカに分け取りされて、東西に分断されました。
 その直後から、ソ連に占領された東側から西側へ膨大な人々が逃げ出したのです。 それらの人々の多くが医師、弁護士、技術者など高度な専門職を持つ人々だったのです。

 この人々の東ドイツ脱出を、共産主義者達は「経済的損出」と言うのです。

 そこでその経済的損出の拡大を防ぐために、ベルリンに壁を築き、こうした人々が西側へ逃げられないようにした事を「経済的損出を防ぐためには当然の処置」と言うのです。

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 チョッと待って?

 そりゃ医者や技術者が根こそぎいなくなれば、東ドイツが国家として困るのはわかります。
 しかし医者も技術者も人間です。
 彼等には彼等の意思があり、彼等には彼等の人生があるのです。
 彼等には自分の運命を決める権利があるのです。
 
 そして彼等は共産主義国家は嫌いだから、身一つで東ドイツを逃げ出す事にしたのです。

 それを東ドイツの「経済的損出になる」からと、壁を作って囲い込むのが当然って?

 アンタ!! この人達はアンタの家畜じゃないんだよ!!
 自分達の国家建設に困るから、壁を作って絵囲い込むって?
 それ他人を自分の家畜かなんかとまちがっているんじゃない?

 つまり共産主義者は、他人をすべて自分達の奴隷だと思っているのでしょうか?

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 しかし実際にそう思っているからこそ、東ドイツから逃げ出した人々を「経済的損出」などと言う事ができるのです。 そして東ドイツ崩壊後になっても、そのことに何の疑念も疾しさも感じていないからこそ、東ドイツの弁明としてこれを言うのです。

 結局彼等にとって他人の人格も人生も、実は自分達の理想社会を作るための道具であり、自分達が権力を得たからには、それを失わないのように壁の中に押し込めるのは当然の権利と考えていたのです。

 彼等は子供が積み木で好きな建物を作るように、他人の人格と人生を使って自分達の好きな社会を作ろうとしたのです。

 それを知って、ワタシは共産主義と共産主義者への嫌悪が確定しました。

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 ワタシは54年生まれで学生運動真っ最中に高校時代を過ごしました。 この頃高校にも共産主義者或いは共産主義にシンパシーを持つ先生も多く、「資本主義社会では人間は疎外される」と教えられえました。

 「人間が疎外される」とは、「資本主義社会は市場原理で動くために、労働者は人間性を認められず物として扱われる」と言う話でした。

 しかし共産主義社会は嫌だから逃げ出す人々を「経済的損出」と見做すって?つまり共産主義社会では人間は全て人格権を否定されて、物と見做されているって事じゃないですか?

 人間を疎外しているのは共産主義者じゃないですか?

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 ベルリンの壁崩壊後間もないある日のことです。

 壁の東側の住宅街に5~6人の男達が現れ「お前達は騙されている!! お前達は資本家に搾取されたいのか? 壁を戻せ!」と大声で叫びながら練り歩き、人々を驚かせました。

 しかし男達の風体は、どう見ても東側のそれではなく、西側の人間にしか見えませんでした。

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 ソ連崩壊、そして共産圏が崩壊するまで、多くの人々が命懸けで共産圏から西側へ亡命しました。
 有名な音楽家や科学者、そしてオリンピックの度にメダリストが逃げていました。  勿論一般国民も多数逃げていました。

 一方当時は日本でも西ヨーロッパでも共産主義を政党は結構な支持を得ていたし、また共産主義者も沢山いました。

 しかし日本や西ヨーロッパから共産圏に亡命する人と言うのは殆どいませんでした。

 ワタシはその頃いつも不思議に思っていました。 

 そんなに共産主義が好きなら、日本や西ヨーロッパの国を共産化する事なんか考えずに、共産主義国家に亡命すれば良いのに。
 ソ連なんか恐ろしく広いんだから、共産主義を求める移民なんか幾らでも受け入れる事ができるだろうに。

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 しかし今は彼等がなぜ亡命しなかったかわかります。

 彼等は他人を物として扱える側に回りたくて、共産主義革命を夢見ていたのです。

 共産主義国家の労働者や農民になるぐらいなら、資本主義国家に居座って生活保護を受け方マシ!!
 刑務所にぶち込まれても、共産主義国家へ行くよりマシ!!

 そうわかってたのです。
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2014-06-14 01:04

人権活動家の子供の人権

 90年代、ワタシが学習塾の講師をしていた時の事です。 ある日小学校6年生の女の子二人が言いました。

 「先生、今私達のクラスが滅茶苦茶なの。 先生が悪いの。 5人の子が授業中に暴れるのに、先生が殴らないから、どうしようもないの。」

 ワタシは一瞬、凄いショックを受けました。

 子供が先生に他の子供を殴る事を望む!!

 しかし考えてみれば当然の事です。 当時は学級崩壊とか荒れる学校とかが問題になっており、ワタシが教えてる小学生や中学生の学校もこういう授業崩壊が結構あったのです。

 そしてそれは全クラスの生徒が騒ぐと言うよりも、数人の生徒が意図的に騒いで授業妨害をすることから起きているようでした。

 ワタシにこの話をした「先生が殴らないから悪い」と言った二人の女の子は、成績は中の下か下の上くらいでお世辞にも勉強好きとは言えませんでした。

 しかしそれでも毎日毎日学校へ行って、馬鹿騒ぎが続くのでは腹が立つのも当然です。

 何とかして教室に秩序を!!
 先生なら何としても悪い子は殴って、大人しくさせて自分達がちゃんと授業を受けられるようにしてほしい。

 そう考えるのは当然なのです。

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 でも勿論学校教育法では体罰は禁止です。 実はその頃凄い体罰をする教師も結構いましたが、とにかく彼女達の担任は学校教育法を守って体罰をしなかったので、代わりに毎日授業が滅茶苦茶になっていたのです。

 で、子供の人権と言う立場からすればどうなんでしょうか?

 彼女達にすれば、クラスの5人の為に毎日学習権を侵害されている状態なのです。

 彼女達には自分達の学習権を守る為に、この5人をクラスから追放する、或いはこのような狼藉を止めさせる為に担任に体罰等強力な措置を求める権利はないのでしょうか?

 ちなみに学習権を侵害されているのは、彼女達二人だけではありません。 暴れている5人を除くクラスの子供達全員が学習権を侵害されているのです。

 そしてこういう状況は当時、日本中の沢山の学校で起きており、多くの子供達が学習権を侵害されていたのです。

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 ところが当時この子達の学習権を守る為に、何か現実的は措置をすると言う話は全然出ませんでした。

 勿論荒れる学校や学級崩壊は随分問題になりました。

 しかし当時のマスゴミ報道を見ていると、「社会に歪を直さなければ・・・」「競争社会の問題・・・・」「詰め込み教育を止めろ」などと言う議論は随分ありました。

 一方暴れる子供を体罰で抑え込む、或いは他の子とは分けて、別の教室で勉強させるとか言う処置を取る学校や教師がいると、マスゴミが大問題にしました。

 体罰は勿論、そうやって問題のある子を安易に排除するようなやり方は、子供の人権を侵害するものだと言うのです。

 それでそういう事をする学校の話がニュースになるたびに、自称教育評論家とかとテレビのコメンテーターとかが、そういう学校や教師を人でなしなにかのように非難していました。

 そういわれると学校側は満足に反論することもせず、しかし陰では凄い体罰教師や、問題児の排除はしていたようです。

 ワタシはその頃、教え子達の想像を絶する学校生活の話を聞いていて、子供達の現実とマスゴミの唱える理想のギャップに呆れるばかりでした。

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 その後ワタシは講師の仕事を辞めましたが、社会の歪とか落ちこぼれとかは、その後20年あまり経ってもなくなるわけはないので、教室で暴れて授業妨害をする子はいなくならなかったようです。

問題児童らを隔離、「特別教室」で指導へ 大阪市教委案

  子どもの問題行動に対し、大阪市教育委員会がまとめた具体的な指導案の内容がわかった。一定レベルを超える悪質な問題行動を繰り返す児童・生徒を在籍する市立学校から引き離し、1カ所に集めて指導する「特別教室」を新たに設ける。10日に開く橋下徹市長との協議会で正式に示し、来春にも実施する方針。文部科学省によると、こうした対応は珍しいという。

 問題のある子どもの安易な「排除」につながるとの批判も予想され、議論を呼ぶとみられる。市教委事務局関係者によると、特別教室には、問題行動の対応に豊富な経験や心理学など専門的知識がある教職員らを配置。社会や学校でのルールの大切さを教え、他者を思いやる態度を育てることに重点を置く。

 対象となる行為は、校内暴力、非行、著しい授業妨害などを想定。具体的には、市教委が昨年9月に策定した問題行動の5段階の分類のうち、「レベル4」(激しい暴力など)と「レベル5」(極めて激しい暴力など)に該当する場合、特別教室で指導する。その際、出席停止や警察など関係機関へ連絡したうえで、行為の悪質さや周囲への影響の大きさなどを考慮して期間を定める。


 おお、ようやくちゃんと大阪府が正面からこの問題への対応をする事にしたのですね。

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 けれどやっぱり「問題のある子どもの安易な「排除」につながるとの批判も予想され、議論を呼ぶとみられる。」なんてことを言いたくてうずうずしている連中がいるのです。

 なるほど問題のある子達を排除せずに、他の子の学習権を確保する方法があるならそれが理想でしょう。

 でもそんな魔法みたいな方法があるんですか?

 確かに暴れる子供には色々な問題があると思います。

 ワタシの塾の生徒に塾に他の子や講師に嫌がらせに来ているとしたか思えないどうしようもない子がいました。 その子は中学2年で綺麗な顔立ちの女の子だったのですが、目つきが完全に娼婦の目と言うか、韓国の自称慰安婦みたいな卑しい目をしていました。

 しかしそれはその子のせいではありません。
 その子は父親がいなくて、水商売をしている母親が始終男を家に連れ込んでいたのです。 

 後で児童虐待に関する本で知ったのですが、そういう家庭に女の子がいれば、殆どの場合母親が連れ込んだ男が、その子に性的虐待をしているとのことです。

 だから彼女は中学2年の身で、普通の大人が一生知ることのない程の苦悩を抱えこんでいたのかも知れません。

 それを思えば彼女がわざわざ学習塾に、講師や他の子供に嫌がらせをしに来る気持ちもわからなくはありません。

 確かに本当に不幸な子なのです。

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 なるほどこういう不幸な子供をクラスから排除するのは冷酷であることはわかります。
 
 しかし彼女の苦悩には、他の子は責任はないのです。

 そしてこういう苦悩は簡単には取り除けないでしょう。 だから彼女も問題行動がいつ終わるかはわかりません。

 そこで子供の人権を叫ぶ人々に聞きたいのですが、彼女の人権を最大限重視し、彼女をクラスから排除するべきではないと言うなら、他の子供の学習権はどうするのですか?
 
 子供達は同じクラスの仲間なのだから、学習権の侵害に甘んじても、暴れる子供を受け入れるべきだと言うのでしょうか?

 クラス子供達がみんなで暴れる子供を受け入れて、その子を立ち直らせると言うのは映画かドラマなら理想です。

 しかし普通の子供にそんな義務があるのですか?

 たまたまクラスに不幸な生い立ちから、性格が破綻して他の子供の学習権を侵害する子がいれば、他の子供達は自分の学習権を犠牲にして、他の子供の更生を助ける義務があるのですか?

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 これを大人で考えればわかりますが、そんな義務はありません。

 大人の学校、例えば法科大学院とか英会話学校とかに、不幸な体験から精神的に破綻したクラスメートがいて、その人が授業中に騒いで授業がマトモに聞けなくなる、教室の物を壊す、などと言うことを続けたらどうしますか?

 法科大学院の学生ならみんな人権の大切さを理解しているので、クラス全員でその不幸な学生をケアして、何とか彼が自分達と一緒に卒業できるように頑張りますか?

 そんなことはあり得ないでしょう?

 「他の人の迷惑になる行為をするなら退学してください」で御仕舞じゃないですか?

 それなのに子供だったら「学習権を侵害する子をクラスに受け入れて、その子の迷惑行為を甘受するべきだ」と考えるのでしょうか?

 しかも小中学校は義務教育であり、ここで教わる事は基礎的な読み書き算数など、全ての子供が将来生きていくうえで死活的に必要な事なのに・・・・・・・。

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 ワタシは実はこの大阪府の話をno-risuさんの所で知りました。 そして学習塾の講師をしていた頃の話を思い出したのです。

 no-risuさんはこの「 問題のある子どもの安易な「排除」につながるとの批判も予想され、議論を呼ぶとみられる。」と言う朝日の報道を、人権屋の飯の種と批判しておられます。 

 ワタシはno-risuさんのこの意見を全面的に支持します。

 そしてこの人権屋と言う人達に限りなく不審を抱きます。

 所謂人権派弁護士や教育評論家もみなさんは、そんなに人権が大事なら、一部の問題児に学習権を侵害される他の数十人の子供達の人権はどうするつもりなのでしょう?

 そしてこの問題だけでなく人権を振り回す人々に限りなく不審を抱きます。

 人権は重要な概念です。 でも人権と喚きさえすれば正義なのは、中国や北朝鮮のように独裁政権が国民の人権を弾圧している国だけです。

 日本のような民主主義国家では、所謂人権活動家が喚く人権問題は、国家による人権弾圧なんかではなく、彼等の好きな人の人権が彼等の嫌いな人の人権とぶつかる場合に限られているからです。
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