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2020-06-19 20:18

マスク騒動から見える奴隷的思考回路 令和新選組支持者

 マスクについてなんとも面白い事を言っている人がいます。
 今回のコロナパンデミックについて、専門家の意見に従ってマスクをつけるのは自由の放棄だというのです。

 しかしワタシはこうした思考こそ奴隷的人間の典型だと思います。
 実はこの記事の元記事には、動画がついていて、記事の著者はこの動画に賛同して「マスクをつけるのは自由の放棄!!」と言っているのです。
 
 で、この動画でこれを言っているのは令和新鮮組の党員なのです。
 この動画のコメントを見ていると、まさに奴隷的人間とはどういうモノかがよくわかります。

 これはコロナ騒動ではなく、「マスク騒動」〜自由と責任
 2020年6月16日 ブロゴス

 今回の新型コロナ騒動に伴う「マスク問題」を、僕はコロナ問題の派生系として位置づけていたため、ここ数ヶ月自分でも混乱してしまった。
この問題は、指定感染症という政府による「指定」問題やそれに伴う医療問題などが5月までは当然大きかったのだが、強制自粛が終了後の6月以降は、「マスクをつけるかつけないか」に象徴される、「生活から自由が剥奪される」問題に切り替わっていることにようやく僕は気づいた。
感染症の専門家やそれより軽いテレビニュースなどに頼っていては肝心な点を見失ってしまう。
「欧米の1/100程度の被害」という点は重要だが、そこにとどまるとすぐに「専門家沼」議論(感染ルート・「マスクかフェイスガードか」という防止スキル・「第2波」とは何か議論等)にはまりこむ。
そして多くの人々はこの専門家沼での佇まいに集中し、そもそもの、「その沼にはまりこむことで我々は何を失っているか」という点を見失う。
我々は、そうした専門家沼に入り無条件にマスクをし続けること(感染防止にいろいろ理由をつけて暑さと熱中症の危険のなかそれを着け続ける)で、「自由」を失っている。
 ※※※
ここでは「ウィルスとは何か」という点には立ち入らない。それは下に添付した大西つねきさんが言及しているので参考にしてほしい。
この動画でも大西さんが言及するように、大切なのはウィルス専門家的専門家沼の議論ではなく、我々にとって「自由」とは何か、そしてその自由を選び取る責任とは何か、ということだ。
この選択の「決定」は、大西さんも言うように、まずは政治家の仕事になる。ほかには、哲学者のデリダが『法の力』で述べたように、法律家と哲学者の仕事にもなる。
ウィルス専門家にはこの「決定」はできない。決定することを託された、政治家と法律家と哲学者だけが、大きなシステム変更の際に人々が選ぶ生活スタイルについて決定することができる(別に職業的にそれら3者になる必要はなく、その3者を自認するものすべてにその決定の権利がある。僕であれば哲学者を自認している)。
ただしこれは、人生の最大の価値として「自由」を置く人々に課せられた問題系だ。自由に関心のない人はそれぞれマスクすればいいと思う。
大西さんや僕のように、人生の最大の価値として「自由」を置く者は、それぞれのギリギリの判断で決定し、それを表明していく責任がある
僕は、ウィルスの危険性が微弱であると概ね判断された現在、マスクで人生の自由を縛られたくない。それは僕自身が否定される重大事である。

人生の最大の価値として「自由」を置く人々に課せられた問題系だ。自由に関心のない人はそれぞれマスクすればいいと思う。
人生の最大の価値として「自由」を置く者は、それぞれのギリギリの判断で決定し、それを表明していく責任がある

 それにしても「マスクをつける事」って自由の放棄なんですか?
 「責任」というなら、自分が他人に感染させた場合の責任はどうするのでしょうか?

 このコロナウィルスの場合、感染源を特定するのが難しので、マスク拒否した人から感染した人が死んでも、それで感染させた側が責任を問われる事はまずないでしょう。 
 でもそれなら責任はないというのでしょうか?

 実はワタシも自由には最大な価値を置く人間です。
 しかしワタシは人前に出る時は必ずマスクをつけます。 

 ワタシはマスクは「自由」や「服従」の問題とは捉えていないからです。
 マスクをつけるか否かは、思いやりとマナーの問題だと思っているからです。
 そしてワタシも一応礼儀正しく思いやりのある人間でいたいので、他人の前に出る時にはマスクをつけるのです。

 この武漢肺炎ウィルス感染が厄介なのは、感染者を見分ける事が非常に難しい事です。 現在の研究では発症する3日ぐらい前の全く無症状の状態の人でも、他人への感染力がある事がわかってきました。
 更に感染初期で感染者を判別する唯一の手段であるPCR検査の精度は至って低く、感染していても検査で陽性にならない人が3割入るといわれます。

 こうなると医者も感染者自身も、自分が感染しているかどうか、そして他人に感染させるかどうかを判定することは不可能です。
 だから感染拡大を防ぐ為には常に自分自身が感染しているかもしれないと考えて行動するしかありません。
 そうは言っても永遠に自宅に閉じこもっているわけにもいきません。

 そこで外出時、特に人前に出る時、人と話をする事がある場所では、マスクをつけるのです。

 因みに風邪のコロナウィルスを用いた香港大学の実験では、マスクをつけた感染者から感染する人はゼロでした。 
 またオーストリアではマスク着用を義務付けてからは、感染率が90%も下がっています。

 オーストリアでマスク着用を義務化した結果、感染率が90%下がる

 さらに古い例ですが、スペイン風邪が流行した時に、マスクの着用を義務付けた町では、死者が一気に激減したという例があります。
 そもそもマスクってスペイン風邪流行時に発明されたものなのです。
 
 しかしこの時もマスク着用を嫌って「自由を奪うな!」と騒いだ人達はいました。

 アメリカのマスクを嫌う風潮はスペイン風邪龍興寺からあった。 1919年に結成された反マスク同盟(サンフランシスコ)

 少し脱線しましたが、とにかくマスクって結構な効果があるのです。
 しかもマスクを着けていて困るのは、飲み食いをするときぐらいです。
 
 だからマスクの着用で大幅に感染が防げるなら、外出禁止など経済活動や社会活動に深刻な影響のある感染防止策をとらなくても済むようになるのです。

 その為日本では多くの人が完全に自主的にマスクを着用するようになりました。 そして緊急事態宣言が解除された今も、多くの人がマスクの着用はやめていません。

 因みにこれはすべて個人の自由意思です。
 現在、世界中のかなり多くの国が、マスクの着用を義務付けていますが、しかし日本では国も自治体も一切マスクの着用は強制していません。

 だから自分が感染したり、他人が感染させたりすることに無頓着な人は、マスクをしなくても全然かまわないのです。
 そしてこのウィルスは健康な人が感染しても死ぬことは勿論、重症化することも稀なので、若くてこれと言った持病もない人なら、自分自身の命や健康の為に感染を恐れる理由はないのです。

 実はワタシ自身も自分が感染して死ぬ事は全然恐れていません。
 ワタシは若くもないし、また一応持病はあるのですが、しかし死者の統計を見ると80歳以上の人でさへ死ぬのは10%強なのです。 しかもこの年齢でも死者以外は殆ど軽症で済んでいるのです。

 これだと殆どの人は自分自身の命や健康の為に感染を恐れる理由はないのです。

 しかしこの世は若く健康な人だけでできているわけでははないのです。
 例えば札幌では国立癌センターで院内感染が起きました。 

 癌は現在は治る病気です。 また完治しなくても制癌剤等で癌を抑制しながら普通に生活している人達も沢山います。
 でも癌の治療中、或いは制癌剤使用中の人達は、免疫上非常に脆弱で、こうした人々が感染したら無事ではすみません。

 だから今回の院内感染で、入院患者や通院患者とその家族、そして病院スタッフの心労は想像を絶します。

 こうした人々がいる事を考えれば、自分が感染しない、そして他人に感染させないためには、マスクぐらいはつけようと思うのです。
 
 スーパーに行ってレジの順番待ちをしている時、ワタシの前や後ろの人が制癌剤使用中かもしれません。 また病院や介護施設の職員、或いは家族が入院中で何としても付き添いたい人かもしれないのです。

 そういう人達は絶対感染するわけにはいかないのです。
 しかしだから言ってスーパーに行かないわけにはいきません。
 
 そういう人たちにとってはマスクもせずに近づいてくる人間は恐怖でしょう?
 
 だから皆マスクをするのです。
 幸いワタシの行くスーパーや激安店では、殆どの客がマスクをしています。
 
 つまりマスクの着用は「自由と強制」の問題ではなく、思いやりとマナーの問題なのです。

 他人の命、他人の健康を気遣う人たちは、マスクをして他人を感染させないようにするのです。
 他人に感染の恐怖を与えないようにするのです。

 そして社会全体の感染率を低く抑える事により、癌センターのような重要な病院を守ろうとするのです。

 他人の生命や健康に配慮し、社会を守る為に自ら努力するというのは、民主主義社会の市民道徳の基盤であり、民主主義社会は多くの市民がこのような市民道徳を守る事を前提にして成り立っているのです。

 なぜなら人間が多数集まって都市や国家を作って生活するとなると、個人の好き放題にやっていては困る問題が沢山でてくるのです。
 都市や国家を作るほどの人がいれば、中には随分と変わった人もいるし、また集団同士での利害の対立もあります。

 だからそういう場合は、話し合いと多数決で規則を作り、皆がその規則に従う事で、秩序を守り混乱を避けるわけですが、しかしこれも市民の大多数は自主的にこの規則を守るという前提が必要です。

 感染症の抑制に対する対応などこの典型です。
 感染症の抑制、特に今回のコロナウィルスのようなタイプの感染症の抑制は、個人には不可能です。 
 
 だから一般市民がそれぞれ自分自身のできる事を最大限やる事で、感染防止に協力するしかありません。
 この為にはマスクの着用ばかりではなく、集団感染の原因になる商業施設の営業自粛など、当該施設にとっては大変な経済的な負担になる事もありました。

 しかし感染爆発でも起きれば、多くの人が死ぬことになります。
 だから自分自身にとって経済的な負担になっても営業は自粛するというのが、良心と善意があり、市民道徳をわきまえた人間です。

 日本はこのコロナパンデミックでの対応で、政府の強制なしに営業自粛やマスク着用を行い、感染爆発を阻止して、死者を最小限に抑えたのですから、世界に対して市民道徳の規範を示したと言えます。
 
 オレはこの規則には反対だったけれど、多数決で可決されてしまった。
 だったらこんな規則は守らない!!

 こんな事が常態化するのでは、規則が規則としての意味を持ちません。
 それでも規則を守らせようとすれば、強大な警察でも作り市民を監視するしかありません。 
 そしてそうなるともう民主主義国家とは言えなくなるのです。

 オレはコロナウィルスなんか怖くない!!
 オレは感染しても死なない!!
 だからマスクもつけないし、商売もやめない!!

 と、いう人たちばかりなら、感染を防止しようとすれば、中国のように政府が強権を発動して、警察とIT技術を駆使して、国民を徹底的に監視するしかないのです。

 つまり民主主義社会というのは、市民が好き放題できる社会ではなく、むしろ全く逆で市民が自ら自身を律して社会道徳を守る社会なのです。
 
 逆に言えば専制君主から奴隷的支配を受けているか、或いは本物の奴隷なら、自らを律する必要はありません。

 古代ローマでは奴隷は「自分の運命を決める権利を持たない人」と定義されていました。
 
 「自分の運命を決める」ってわかりますか?
 
 奴隷でない人、ローマ市民権を持つ人でも、何でも好きな事ができるわけではないのです。
 そもそもローマってすごい格差社会で、ローマ市民でも貧しい人は沢山いました。 
 そして誰でもが格別な才能に恵まれているわけでもありません。

 貧しくこれと言った才能のない人が「自分の運命を決める権利」を持っていたとしても、実際に「決められる」のはどんな仕事を選ぶか?どんな家を借りるかという事ぐらいです。 そしてどんな仕事を選んでも賃金は限られているし、どんな家を選んでも払える家賃を考えれば狭く汚い家であることにかわりはないのです。

 まして自分の判断だけで、病気や事故などの災難から逃れる事は難しいでしょう?

 しかし奴隷でなければ、市民であれば、自分の選択は自分の責任ですから、その選択に失敗してどんな不幸をこうむってもそれは自分自身の責任として受け止めるしかないのです。

 そして市民であればローマの国家と社会の為に貢献することが当然とされます。
 だから兵役だって市民だけに課せられたのです。

 貧しく弱い人にとってはこれは大変厳しい事です。
 しかしこの厳しさに耐える人だけが、人間の尊厳を保障されたのです。

 ワタシは古代ローマとかギリシャの話を読むの大好きなんです。
 古代ローマとギリシャって民主主義の原点で、実際ローマ人やギリシャ人も、民主主義を非常に重要視するのです。

 しかし現代人からみると大変奇妙ですが、この時代の人々は民主主義を語る時に「個人の自由」って殆ど問題にしないのです。

 でも少し考えたらわかります。
 この時代「自由である」というのは「奴隷でない」ことでした。

 この時代、奴隷は概念や修辞ではなく、現実に身の回りにいたのです。
 ソクラテスが仲間たちが饗宴で「奴隷の魂と僭主の魂は同一であり、最も卑しい魂である」などと語り合う時に彼等の傍らで、酒や料理の給仕をしていたのは奴隷なのです。

 少し脱線するけどこれ想像するとすごいですよね? 
 だってこれって現代でいえば、居酒屋で宴会をしている連中が、従業員に聞こえるに平気で「非正規の奴って最低だよね。」なんて言ってるみたいな状況ですから。

 でも奴隷というのがこうした存在だったからこそ、逆に言えば市民は自分が奴隷にならないためには、何よりも国家を守らなければならない、個人生活についての泣き言など言えないのです。

 しかしワタシはこれは民主主義国家における「自由」の原点だと思うのです。
 
 民主主義国家では市民は、国家や社会を守る為に自ら行動するという事を当然とするから自由に行動できるのです。

 こうした民主主義における「自由」の原点を考えると、上記の記事の著者が言う「自由」というのは、まさに奴隷の発想という事になります。

 奴隷は常に主人から圧迫され迫害されていると思うので、自分にとって不快な事はすべて主人の強制だと捉えてしまいます。
 また自分は常に圧迫されて迫害されているので非常に不幸な人間だと考えています。
 だから他人の命や、まして社会の問題などどうでもよいのです。

 そういう人間であれば、パンデミックなんか知ったことではないのです。
 自分さへ感染しなければ、感染しても自分が死ななないのであれば、感染防止に協力する事など一切考えないのです。

 そういう人間には、他人の命を思いやり、他人の命を守る為に自分からマスクをつけたり、営業を自粛したりする人間の心情は理解できません。
 そこで周りの人達がマスクをしていると「これは権力による強制だ!!」と思い込み、そして「マスクをすることは自由の放棄である」という珍説に行き着くのです。

 勿論現在の日本には奴隷制度はないので、この記事の著者もまたこの記事で著者が称賛する令和新選組の党員も奴隷ではありません。
 しかしながらソクラテスも言ったように奴隷でなくても奴隷の魂を持った人間というのはいるのです。

 それは正にこの記事の著者のように、市民として義務や道徳をわきまえずに、ひたすら自分の要求だけを主張する人間であり、そしてコイツラは正にソクラテスが言うように僭主になる事を切望しているのです。

 ワタシは実は前々からパヨクというのは、この奴隷人種だと思ってきました。
 しかしこういうのを見るとしみじみそれを実感します。
 
 今は欧米では南部同盟の指導者だけでなく、誰でも彼でも奴隷制度を容認した人の像を壊しまくる事が流行っているので、いずれソクラテスの像だって壊されるかもしれませんね。
 実際、彼が掲げた市民徳目から最も程遠いのが、今世界中で像や記念碑を壊しまくっている連中ですから。

 なんかすごく長くなっちゃったので、今日はここでやめて、夏用マスクを作ります。
 夕べは薄緑色のインド更紗のマスクを作ったのですが、今日はこれから青いジャワ更紗のマスクを作ります。

 誰に強制されたわけでもありません。 
 でもコロナパンデミックは夏中収まりそうもないし、そうなると夏らしく涼し気でおしゃれなマスクが欲しいですから。
  1. 戦後民主主義
  2. TB(0)
  3. CM(22)

2020-06-18 12:13

ヒトラー登場 山本太郎都知事選出馬

 山本太郎が都知事選に出馬しました。

 ところでその公約の最大の目玉は総額15兆の財政出動です。 
 そしてこの財源はすべて都債で賄うというのです。

 その都債を財源として全都民への10万円給付はじめ、都民や都内の中小企業や病院などに、直接お金を配るというのです。

 しかしこんな事をしては直ぐに東京都が財政破綻するのでは?

 けれども高橋洋一が検証したところによると、これですぐに財政破綻をするわけではないそうです。
 なぜなら東京都は莫大な都として莫大な資産を抱えているので、借金と資産のバランスシートを見ると、15兆程度のバラマキでは、直ぐには財政破綻する事はないのだと言います。


 日本人の多く、特に公務員やサラリーマンなど、堅実な生活を信条とする人々は「借金は絶対悪」「借金をして身の丈に合わない生活をしてはいけない」と信じています。

 しかしそういう人たちでもローンを組んで家やマンションを買うでしょう?
 貯金が数百万しかないのに、数千万のローンを組んで家を建てたり、マンションを買ったりするでしょう?
 
 そういう場合本人も周りの人も、借金をして危険な投機をしていると認識しないのではありませんか?
 むしろ「あの若さで家を建てるなんて将来をちゃんと考えて立派な事だ。」などと称賛するのではありませんか?

 でもローンって借金です。
 しかしローンを組んで収入の何倍もする家やマンションを買っても破綻しないのは、買った家やマンションがその人の「資産」になるので、自動的に資産と借金のバランスが取れるからです。

 資産とバランスの取れた借金というのは、危険な事ではないし、それ自体が危険な投機や無謀な浪費というわけではないのです。

 その意味では山本太郎の15兆、都債でバラマキという政策も、それ自体が直ぐに都財政破綻につながるわけではないのです。

 但しその政策が東京都の経済発展につながらず純然たる浪費に終われば、今後この返済が非常に苦しくなってくるでしょう。

 それにしても山本太郎がこれを言い始めたという事は、日本にとって非常に危険な話ではないでしょうか?
 
 山本太郎が民主主義と自由主義経済を尊重する政治家であれば、問題ありません。
 しかし彼のバックについているのは革マル派であり、どう考えても彼が民主主義や自由主義経済を尊重する人間とは思えません。

 そういう人間が一定の財政的合理性を持った盛大なバラマキ政策を打ち出したというのは、民主主義と自由主義経済を守る側からすれば大変な脅威と考えるべきではありませんか?

 そこで思い出すのがヒトラーとナチス党です。
 
 そもそもヒトラーという男は、門地門閥も、学歴もなく、それどころかマトモな職業経験もなく、その上ドイツ人でさへありませんでした。 
 もしもドイツが階級制の厳しいプロシャ帝国の体制を維持していたなら、こんな男は権力に近づく事さへなかったでしょう。

 しかしそのプロシャ帝国は第一次世界大戦の敗戦で崩壊しました。 
 その後に生まれたのがワイマール共和国です。

 ワイマール共和国は当時の世界では最も民主的と言われたワイマール憲法を擁する完全な民主主義国家でした。

 けれども民主主義では飯は食えないのです。

 ワイマール共和国は一旦は戦後の混乱を収め、今も「ハイパーインフレが!!」で有名な破滅的なインフレも収束させて、何とかドイツ経済を立て直す事に成功しました。

 しかし1929年世界大恐慌が起きると、その余波がドイツを襲いました。 やっとハイパーインフレから立ち直ったばかりの脆弱なドイツ経済はこれには一たまりもなく、悪化の一途をたどります。

 失業率は増加を続け、世界大恐慌の3年後には、なんと全ドイツの労働者の3分の1が失業するという事態に陥りました。
 
 破産して自宅や先祖伝来の商店を喪う人も続出し、公園にはこうした人々の為のテント村ができました。
 テント村の住民の多くは元来健全な市民で妻子持ちであったため、ホームレスになっても社会規範を守り非常に規律正しく生活していたと言います。

 しかしそのような人たちが妻子共々、ホームレスとして公園でテント生活をする辛さを想像すると、胸が潰れます。

 このような中で勢力を拡大したのがヒトラー率いるナチス党と共産党です。
 
 一方当時のドイツの政権政党は、このような経済状況に対してひたすらなる緊縮政策で対応しました。
  
 別に彼等が悪人だったからでも、無能だったからでもありません。
 不況で歳入が減れば、それに応じて歳出を減らし、国家の財政を健全に保つというのが、当時の財政政策の常識だったのです。
 
 だから日本の浜口雄幸とかアメリカのフーバー大統領も同じ事をやっています。
 因みにこの浜口雄幸については1980年に城山三郎が「男子の本懐」で描いていますが、彼はこの中で浜口雄幸の緊縮政策や金解禁など、現在の経済学者からみれば最悪の失政とされる政策を手放しで称賛しています。

 しかし人間としての浜口雄幸が極めて誠実で、しかも愛国者であったことは事実でしょう。

 彼は1931年11月、ロンドン軍縮条約に反対する国粋主義者に銃撃されて重傷を負い、その後容体は悪化する一方でした。
 けれども野党は彼の国会出席を要求し続けたため、彼は出席しました。

 妻と娘はこのような浜口の容態を心配して、徹夜で薄い布を縫って、スーツと靴を仕立てました。 浜口にはもう普通の紳士服や靴の重さに耐える体力はなかったのです。

 そしてこの国会出席後、浜口の容態は更に悪化して、首相職も辞任して死去します。

 ワタシは自分が洋裁が好きなので、この時の浜口の妻と娘の心情、そして紳士物のジャケットや靴に耐えられない程衰弱してもなお野党の要求に応えて国会に出席した浜口の誠意には、感動します。

 しかしながら現実は野党以上に残酷で、この浜口の誠意により貫いた政策こそが、日本社会を破滅的な不況に追い込み、その不況と絶望が極右と極右の皮をかぶった共産主義者を台頭させて、遂には日本を敗戦へと導いたのです。

 当時のドイツの首相ブリューリングもまた、浜口同様に誠実な人格者でした。
 彼は名門の生まれで、第一次大戦の英雄として知られた人で、しかも経済学博士という高学歴でした。
 
 そこでこの経済学博士は当時の経済学の常識に従い、財政均衡を維持する為に緊縮政策を続けたのです。  
 結果はドイツ経済の破綻と、失業率の増大、そして絶望した人々はナチス党や共産党を支持したのです。

 そして遂にヒトラー政権が生まれると、彼はこの緊縮政策を全面的に変えてしまいます。
 実はこのヒトラーの経済政策を実際に行っていたのは、ホーレス・グリーリ・シャハトでした。
 
 彼は大量の国債を発行してそれを原資に、大規模な公共事業や軍拡を行えるようにしました。 アウトバーンがヒトラーの時代に作られたのは有名ですが、その原資はシャハトが発行した国債だったのです。

 そうなると失業者はドンドン減っていきました。
 何しろ当時はまだ土木工事は機械化されておらず、アウトバーンのような大規模土木工事を行うとなると、それだけでも膨大な雇用が生まれます。

 このシャハトの政策で、ドイツ経済はそれまでの絶望的不況から、驚異の成長軌道へと転換したのです。

 そして間もなくドイツ国民の生活は不況前に戻り、更にそれを超える豊かな物になりました。
 
 自家用車の所有や、豪華船での海外旅行、或いは豪華リゾートホテルでの保養など、それまで労働者階級には手の届かなかった贅沢とされたことが、一般労働者でも可能になりました。

 数年前まで失業し、公園でのテント生活をしていた人が、仕事を得てちゃんとした家に住めるようになったばかりか、自家用車を買ったり、豪華船で旅行できたりするようなれば、そりゃヒトラー政権が絶大な支持を得るのは当然でしょう?

 こんな魔法のような政策を行える総統なら、世界征服だって十分可能だ!!

 そう信じる人達が出てくるのも当然ではありませんか?

 ワタシも戦後教育しか受けていない人間ですから、ヒトラーという人については物心ついてから悪い話しか聞いていません。
 しかしヒトラーの極悪ぶり聞かされるにつけても、不可解さが募りました。

 そんな極悪人が何で政権を取れたの?
 そんな極悪人が何でドイツ人から絶大な支持を得たの?
 ヒトラー政権誕生前のドイツって、世界一民主的な国だったんでしょう? 

 ワタシの好みから言えばあんなに見てくれの悪い男が、選挙で当選できることだけでも驚きなのに・・・・。

 しかし世界大恐慌以降のドイツ経済の悲惨さと、それを救ったナチス党の経済政策を知れば、ヒトラーを崇拝したドイツ人の気持ちもすぐに理解できました。

 だからこそヒトラーは怖いのです。
 ヒトラーが大不況の中でドイツ人の絶望に乗じて政権をとったとしても、ヒトラーが有効な経済政策を取れなければ、ヒトラー政権はそれで終わっていたでしょう。

 これは2009年の民主党政権を見ればわかりますよね?
 バブル崩壊以降延々と続いたデフレ政策で衰退した日本経済にリーマンショックが止めを刺し、それで絶望した日本人は民主党政権を選んだのですが、しかし民主党政権は日本経済を復活させるどころか更に悪化させたので、マスコミの全面的な応援にもかかわらず民主党政権は崩壊しました。
 そして民主党そのものも泡沫化の一途をたどっているのです。

 ところがヒトラー政権は違いました。
 ヒトラー政権下でドイツ経済は一気に蘇り、世界中が瞠目するような成長を果たしたのです。

 これでは「あんな浮浪者」「あんな低学歴の帰化人」などとヒトラーを馬鹿にしきっていた人たちだって、彼を支持するようになって当然ではありませんか?
 そして反ユダヤ主義などヒトラーの狂気には目をつぶるようになるのではありませんか?

 こうしたヒトラー政権誕生とその後の政策を思い出すと、山本太郎の「バラマキ」政策は怖いのです。

 バブル崩壊以降、日本はひたすら緊縮政策をとり続けてきました。
 それがデフレを生み、日本経済と日本人をジワジワと衰退させてきたのですが、しかし財務省はこの緊縮政策をさらに進行させる気でいるのです。

 だから世界大恐慌を超える事が確実な今回のコロナパンデミック不況でも消費税減税は拒否しています。
 そしてまだ多くの政治家がこの財務省に取り込まれているのです。

 なんでも不況下でも緊縮政策を続けなければならないのか?
 これには実は根拠はありません。
 
 実は財務省の官僚は法学士ばかりで、例えば厚生労働省のような医学や疫学の専門知識のある技官に相当する人たちはいないのです。
 それどころか国家の財政を仕切るのに、簿記もわからない人たちが「ウリは東大法学部卒ニダ」という事でふんぞり返っているのです。

 だから実は長い間、日本政府は国家のバランスシートも作ってこなかったのです。 というか法学士の皆さんは「バランスシートって何? それ旨いニカ?」という状態だったのです。

 これって厚生労働省に疫学の知識のある官僚がいなくて、法学士の官僚だけが、自分達の「常識」だけでコロナパンデミックに対応するような話でしょう?

 だからクルーグマンやスティグリッツのようなノーベル経済学賞受賞者がそろって呆れるような非常識そのものの増税政策を推進しているのです。

 こうやってコロナパンデミックで世界が大恐慌に向かう中、浜口雄幸の政策を踏襲するような財務省が頑張り続けるとどうなるのでしょうか?

 不況が深刻化して国民が絶望する中で、ヒトラー政権が誕生するのではありかせんか? 
 しかもそもヒトラー政権が経済政策で成功したら?

 想像するだに恐ろしいではありませんか?

 因みにヒトラー政権下で経済政策を担当したホーレス・グリーリ・シャハトは、実はもともとナチス党の人間はありませんでした。

 それどころか彼は元来超エリートで、ドイツ連銀の総裁としてあの有名なハイパーインフレを終息させた人なのです。
 そのような人が何でヒトラーに協力したのか?

 それは彼がブリューリング内閣の経済政策に絶望し、公園でテント生活を続ける人達を見捨てておけなかったからです。
 
 もしもブリューリング内閣がシャハトの提言を受け入れて、緊縮政策をやめていれば、ヒトラー政権なんてものはそもそも生まれるはずもなかったのです。

 このような歴史を思うと、今現在日本はヒトラー政権が生まれるか否かの瀬戸際にいるのだと思います。

 日本政府のバランスシートは東京都程はよくないのですが、世界的にみれば十分良いレベルです。 また国家は通貨発行権がありますから、いざとなれば自治体より遥かに強力な財政政策ができるのです。

 このような事実をきちんと考えれば、山本太郎のような過激派ではなく、普通の政党が普通に財政出動や金融緩和を中心した不況対策・雇用対策をとっていけるのです。
 
 世界大恐慌の後と違って現在では世界中の一流経済学者が、それを「なすべき政策」と言い、それどころか不況下での増税を「狂気の沙汰」とまで言っているのです。

 なんで普通の政党が「狂気の沙汰」の増税に執着し、極左過激派が経済学の常識に従った政策を公約として掲げるのでしょうか?

 ヒトラー登場を阻止する為には、普通の政党が普通の政策をとるべきではありませんか?

 
  1. 戦後民主主義
  2. TB(0)
  3. CM(28)

2020-05-26 12:24

先生に頼る学級委員 自称リベラリストの正体

 数日前、こんな記事を拾いました。
 4月23日のデイリー新潮の記事です。


リベラルこそ「国家」を信頼していたのかも(古市憲寿)

「緊急事態宣言」が発出された4月7日の夕方、フジテレビにいた。緊急特別番組に出演するためだ。僕は「コロナという名目で、堂々と他人と距離を取れて心地いい」と冷めた発言をしたのだが、共演した木村太郎さんは「宣言はウィルスに対する宣戦布告だ」と盛り上がっていた。
 毎日新聞の世論調査によれば、宣言が出されたことを「評価する」人は72%に上ったものの、時期が「遅すぎる」と考える人も70%いるという。要するに、この宣言を大半の国民が待ち望んでいたわけだ。
 しかし不思議なのは一部の「リベラル」や「左翼」だと思われていた人までが声高に「早く緊急事態宣言を出せ」とか「欧米のようにロックダウンをしろ」と主張していたことである。
 日本の「緊急事態宣言」が個人に対してできるのは自粛要請。しかし主権が部分的に侵害されるのは間違いない。たとえば千葉市長はツイッターで「夜のクラスター発生を防止するべく、県警に対してナイトクラブ等への一斉立ち入りなどの取り締まり強化を要請しています」と述べていた。この発想が一歩進めば、街を出歩く人々に対して警察が活動の「自粛」を求める、といった事態もあり得る。
 筋金入りの国家主義者がこうした統制を歓迎するのは理解可能だ。しかし「安倍総理はヒトラーだ」などと主張し、国家主義を警戒していた人までが「緊急事態宣言」や「ロックダウン」を待望するのはなぜなのか。
 もしかしたら、彼らこそ「国家」を信頼していたのかも知れない。過剰に安倍政権を警戒していた人には、「悪いやつら=実は賢いやつら=何でもできるやつら」という思い込みがあったのではないか。いざとなれば、安倍政権はすぐに戦争を起こしたり、徴兵を開始したり、国民を管理下に置くことができるとでも思っていたのではないか。
 その陰謀論を反転させれば、今のコロナを巡る状況も、「国家さえ動けば全て解決する」という楽観論になり得る。だから「国家よ、さっさと何とかしろ」となるわけだ。口先ではいいことを言うものの、結局は先生頼みの「学級委員」にどこか似ている。
 一連の騒動でわかったのは、日本はとても戦争など不可能な国であることだ。そして有事においては、大衆よりも政治家が抑制的であること、特に安倍総理は調整型のリーダーであることも確認された。疫病対策という大義名分があり、超法規的措置さえ許されそうな世論の中でも、多くの政治家や官僚は抑制的だった。「戦後民主主義」はしっかりと生きていたのだ。
 僕自身、そのことが確認できてよかったと思っている。自由をあきらめた独裁制は、いい独裁者に巡り会えない限りは最悪だ。
 もちろん「リベラル」や「左翼」も一枚岩ではない。きちんと「緊急事態宣言に異議あり」と首相官邸前でデモを行った人々もいたようだ。思想的に筋は通っているものの、疫学的にはとても支持できないのが悲しいところである。
古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。
「週刊新潮」2020年4月23日号 掲載

 
 ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、まったくその通りです。

 そもそも政府は緊急事態宣言を出すに当たって、法改正を行いました。 
 元来、日本国憲法ではこうした非常時に対応するための私権の制限等を規定した条文がなく、従ってそうした場合に政府の措置を正当化できる法もありませんでした。

 唯一存在するそれらしきモノは民主党政権時に定められたインフルエンザ等特別措置法でしが、これは名前の通りインフルエンザを想定した法なので、これをコロナウィルスに適用する為には、法改正が必要でした。

 しかし安倍総理が3月10日にこの法改正を行う事を閣議決定した時は、立憲民主党はじめ、元民主党とその支持者達はこぞって大反対をしました。

 コロナウィルス感染に理由にして私権の制限を行うのは許さない!!
 独裁だあ!!
 ヒトラーだ!!

 というのが理由です。
 再度書きますが、このインフルエンザ等特別措置法は、民主党政権が作った法案なのですが。
 
 しかし3月13日、この改正案は与党の賛成多数により成立しました。

 ところが4月7日に安倍政権が、この改正済みのインフルエンザ等特別措置法により、非常事態宣言を出した時は、この法改正に反対しのと全く同じ人達が、

 遅すぎる!!
 手遅れ!!
 2週間後にはNYになる!!

 と、騒ぎました。

 そしてNYなど欧米の厳しいロックダウンを例に出して、日本の対応は緩すぎる、外出規制等をもっと徹底しないと大変な事になると騒ぎ続けました。

 ええ、ワタシも4月7日以降の新規感染者数の推移をみると、もう一週間早い方がよかったとは思います。
 でもそれじゃ、私権はどうするの?
 許可証なしに外出した人に高額の罰金を科すような、大幅な私権の制限は日本国憲法下ではできなのだから、憲法を改正しろというの?

 しかし幸いそれでもNYのような感染爆発には至らず、予定よりは大分遅れたけれど、何とか感染も収束しました。

 終息じゃなくて、収束です。
 これでウィルスが消えたわけでも、感染力がなくなったわけでないけれど、とりあえず日々の新規神瀬者も激減し、病床にも余裕ができたので、当面医療崩壊のような事態は起きそうもないから、経済活動を再開しても大乗だろうという事です。

 で、そうなると今度はまた同じ面子が揃って「緊急事態宣言など必要なかった」と言い出しているのです。
 
 後手後手ってこういうの言うじゃないですか?

 安倍総理が3月に緊急事態宣言を出せるように法改正を行ったころは、日本国内での新規感染者数は僅少でした。
 これに先立って2月28日に北海道知事が、法的な強制力を一切持たない形で緊急事態宣言をしているのですが、しかしその後あっさりと新規感染者が減り解除したという事もありました。

 だから連中はコロナウィルスのことなんかまったく念頭になく、ひたすら「桜を見る会」に熱中していたのです。
 
 しかし3月になってから欧米では、武漢市の事態を遥かにしのぐような感染爆発が起きて、厳格なロックダウンが始まりました。
 
 医療費が完全に無料で人口比での医師の数が日本よりはるかに多いヨーロッパの福祉国家でも軒並み大量の死者が出てきました。
 さらにアメリカの死者が恐ろしい勢いで増えて、たちまち中国を抜きました。

 こういう状況であれば、日本でもいつ感染爆発が起きるかわからない、これを防ぐ為には緊急事態宣を出せるようする法改正は絶対に必要だったし、その法を施行する為には、それなりの準備が必要ですから、3月時点での法改正は来るべき危機への対応策として絶対に必要な対応でした。

 しかし自称リベラリストはこの時には、そもそも危機という認識さへなかったのです。

 ところが4月になって感染者数がドンドン増えてくると、にわかに怖くなって今度は「早く緊急事態宣言を出せ!!」と騒ぎだしたのです。
 
 そして緊急事態宣言による行動制限の効果で、感染者数が減ると、今度は「緊急事態宣言なんか必要なかった」と言いだしたのです。

 つまり連中は現在の状況から先の様子を見て対応することもできなければ、物事の原因と結果という因果関係の分析もできないのです。

 そして何より致命的なのは、最初に紹介した記事にあるように、この緊急事態宣言絡んで彼等が一枚看板としてきた「人権」をいとも簡単に放り出してしまったことです。

 私権の制限という政府による人権侵害について、一貫した対応ができないばかりか、そもそもその議論さへ暇もなく、感染状況によっていう事をコロコロと変えてしまいました。

 つまり頭空っぽ、最初から何も考えなくて、その感情でワ~ワ~騒ぐだけの連中だった事がまるわかりなってしまったのです。
 しかもホントに頭が空っぽなので、自分達の言動に整合性がなかった事に全く気が付いていないのです。

 連中が何でこんなに愚かしいのか?
 
 それはまさにこの最初の記事で著者の古市氏が指摘している通りです。
 連中は先生頼みの「学級委員なのであって、そもそもリベラリストなんかではないのです。

 本当のリベラリストであれば、首相と雖も所詮死すべき人間で、しかも政府の暴走を抑える為の様々な法に縛られる身なのですから、パンデミックのような天災に対して、現実にできる事は限られている事ぐらいは理解しているはずです。

 首相や政権への評価というのは、そういう人智と現行の国家制度や国力の限界の中で現実をできる事をどこまでできるか?を基準に考えていくしかありません。

 しかし自称リベラリストは違うのです。

 彼等は実は自分達は小学生、安倍首相は先生だと思っているのです。 だから教室で困った事があったら先生が全部何とかしてくれて当然と信じているのです。
 しかし先生が自分達の期待していることを、全部やってくれないと言って泣きわめいているのです。

 ワタシは前々から日本の自称リベラリストは、トコトン国家に甘えたい人々だと思ってきました。
 
 国家はまるで我が子を溺愛する両親か、ペットに大甘の飼い主みたいに、自分達の要求する事を何で聞いてくれて、何でも自分達の思い通りしてくれて当然だと思っているのです。

 ところが現実の民主主義国家はそのような物ではありません。
 現実の民主祝儀国家は、国家は親でも神様でも勿論先生でもなく、国家は国民自身が主権者として運営する共同体なので、国家の問題は主権者である国民自身が解決するしかないのです。

 そもそも一人前の大人をまるで可愛い子猫のように甘やかしてくれる人間がいるわけもなく、そういう事をいうやつは詐欺師と考えるしかないのです。

 しかしそういう詐欺師を信じて、崇拝してきたのが日本の自称リベラリストです。

 だって連中がリベラリストを名乗りだしたのはソ連崩壊後の話で、実はそれまでずうっとソ連や中国や北朝鮮を理想の国家し、スターリンや毛沢東や金日成を崇拝していた連中ですよ。

 でも人智を超えて物事を解決してくれるリーダーを理想とすれば、こういう詐欺師で悪党でも崇拝するしかないでしょう?
 
 因みに朝日新聞によれば今回のパンデミック対応で国民から一番高い評価を受けているのは習近平なのだそうです。
 そして一番低いのは安倍総理です。

 そりゃそうでしょうね。
 自称リベラリストの代表朝日新聞なら、そうなるのです。

 だって習近平は神のごとく、絶対的な立場から国民の行動を規制したのですから、頼りになる先生です。
 
 安倍総理はそうした立場はとらず国民に自粛を要請しただけです。 
 つまり最終的には「君たち、自分自身で考えて行動してね。」と言っただけです。
 でも自分自身で考えて行動したら、うまく行かなかった時はその責任を問われます。

 まずは自分自身の責任で物事を解決し、国家の強制は最小限にするべきというのは、元来リベラリズムの基本のはずですが、しかしこれが大嫌いなのが自称リベラリストなのですから、仕方ありません。 
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2020-05-19 14:40

中学生以下 反安倍馬鹿芸能人

 昨日も書きましたが、安倍総理は「検察庁改正法案」の本国会での成立を見送りました。
 それと共にこれとセットになっていた公務員法改正も見送りです。

 だってそもそも「検察庁改正法案」なんてものはなくて、これは公務員の定年延長の為の法改正で、検察官も公務員だからその改正もセットになっていただけです。

 それにしてもアッサリと見送ったものです。
 安倍内閣がこの法案をこんなにアッサリと見送るとは、あのツィッターのスパムデモに便乗していた芸能人はともかく立憲民主党にも、国民民主党にもそして自治労にも完全に想定外だったのでしょう。

 連中、今は茫然自失かも?

 だってこれで連中が切望していた公務員の定年延長がパ~~になったのです。
 
 年金の支払いが遅れる事に合わせて公務員の定年を延長するという話は、もう20年政府が計画してきて、少しずつその為の改革や改正を整備してきたのです。

 そして公務員の定年延長は誰よりも公務員自身の利益ですから、自治労やその支持政党である立憲民主党も全く反対してきませんでした。
 
 そしてこの法案審議日程も前々から決まっていたのです。

 前々から決まった審議日程に沿い、野党の反対もないなら、シャンシャンで国会を通過し、法案成立でしょう?
 だったらコロナ感染の非常時でも、この法案の審議・採決も無問題でしょう?

 だからこの法案が提出審議という事になったのですが、ところが突然あのツィッタースパムデモが起きて、それに便乗して野党が反対し始めたのです。

 だったらや~~めた!!

 そりゃ安倍総理にしたら当然ですよね?
 この非常時にこんな事でもめて時間を潰す必要は全くないのです。

 そ、そんなあ~~!!
 そんなことされたらウリの立場がないニダ!!
 これじゃ自治労から叱られるニダ!!
 自民党が頑張って強行採決してくれると思ったから、ウリはこの法案に反対したニダ!!

 枝野と自治労の幹部は今頃青ざめているでしょう。

 それにしても反安倍馬鹿芸能人って、中学生以下だったのですね。
 
 この「検察庁改正法案」なるもので反安倍パヨクが騒ぎ出した元々の発端は、政府が黒川弘務東京地検検事長なる人物の定年を特例で延長した事です。

 反安倍パヨクによると、

 この黒川弘務検事長は「安倍総理に近い極悪人」である。
 安倍総理はこの法案改正によりこの男を検事総長にして、検察庁が安倍総理の犯した犯罪の捜査をできないようにしたいのだ。
 
 このようにこの法案が通ると、内閣が検察庁の人事に介入して、検察庁を自分達の都合よく利用できるようになる。
 検察官が内閣に阿るようになる。

 だからこの法案が通ると、

 司法の独立がなくなる!!
 法治主義が破綻する!!

 と、大騒ぎしたのです。

 中学公民で習いますよね?
 検察庁って法務省傘下の行政機関であって司法機関ではありません。

 そして法務大臣は検察庁に指揮権を持っていて、法務大臣の判断で内閣の行政に不都合と判断される事件の捜査をやめさせる事ができます。

 だからもし本当に安倍総理が犯罪を犯しており、その捜査を検察庁にさせたくないら、指揮権を発動すれば済む話です。

 イヤ、実際に過去にはそういう事件もあったのですから。
 
 さらに言うと検事総長はじめ検察庁の人事権は内閣が持っているのです。
 だって行政機関の人事権は大臣が持っているのだから当然でしょう?

 ワタシは低学歴なので、この検察庁改正法案たらの内容は全く知りませんでした。
 だから最初にネットで、この法案の反対の騒ぎが起きた時は、ただ「なんのこっちゃ?」と思いました。

 しかし「司法の独立が侵される!!」「法治主義が破綻する!!」というカキコを見たら、さすがにオカシイと思いましたよ。

 ワタシは低学歴だけれど一時学習塾の講師をしていたので、中学公民の内容ぐらいならちゃんとわかるからです。

 ところがこの中学公民を理解できない連中が、これで騒いだわけです。
  
 アイドル歌手やお笑い芸人なら、それでもいいです。
 しかし劇作家とか小説家とかが、何も考えずにこれに便乗したって恥ずかしくないですか?
 
 中学生以下の人間が、ふんぞり返って「民主主義が~~!!」とか「憲法が~~~!!」と言ったら、中学生だって笑いますよね? 

 マジにこの騒ぎでコイツラの知性の浅さが証明された形です。
 
 ともあれ安倍総理は今頃腹を抱えて笑っていると思いますよ。
 だって公務員の定年延長なんて公務員以外の利益にならない話を、このパンデミックの最中にやる必要は何もなかったのです。

 しかし立憲民主党は本当に困っているでしょう。
 
 ただ困らせておくか?
 それともこの法案を再審議することと引き換えに、何かしら総理にとって重要な問題での譲歩を迫るか?

 鳴子百合さんたちが安倍総理の体調を心配していらっしゃいました。
 確かに総理はお疲れでしょう。

 だからもう総理再選は総理自身が望んでいないのではないかと思います。 こうなると政治家は普通レームダックなどと言われるのですが、しかし逆に考えれば再選を望まないなら、支持率を気にせず好き放題できるという事です。

 だから今回だって反安倍野党との妥協など考えずに、アッサリとこの法案を放りだしたのでしょう。

 総理にはこの調子で任期一杯やりたい放題やってもらいたいです。


オマケ

 世耕氏、公務員定年延長「仕事があるなら若者採用を」
 2020年5月19日 17時58分 朝日新聞

 自民党の世耕弘成参院幹事長(発言録)
(新型コロナウイルスの感染拡大で)これだけ経済が苦しく雇用環境が厳しくなっているなかで、国家公務員や地方公務員だけ給料も下がらないまま、5年も定年延長されて良いのか。それだけの仕事があるなら、いま雇用を失った若い人や就職氷河期のまま正社員に就業できていない人たちこそ、公務員として採用することも考えなければいけないと思っている。
 あえてこれまでは、閣議決定され、(自民党)総務会で私も了解した法案であったから言ってこなかったが、そもそも国家公務員、地方公務員の定年延長は人手不足の経済環境、雇用環境を前提に議論されてきたテーマだ。いまその前提条件が大きく変わった。
 今回、継続審議となったことを契機に、その点もしっかり議論し、国民の理解を得られるのか(考えるべきだ)。秋の(臨時)国会で議論と言われてるが、秋は新型コロナの影響を受けて雇用環境が本当に厳しくなっている時期。そういった時期に国家公務員の定年を5年も延長する、地方公務員の定年を延長する議論が本当に成り立つのか。しっかり考えていく必要がある。(19日の記者会見で)

 そうだ!!!
 その通りだ!!!

 この国会が公務員定年延長の最後のチャンスだったんだよ。
 
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2020-05-09 13:07

総理が国民に「ありがとう」を言わなかった? 誰の為の自粛

 ワタシは戦後民主主義は民主主義ではないと思っています。 
 それはいわゆる護憲派・戦後民主主義を守ろうという人たちを見て、前々から感じていた事ですが、今回のパンデミックに対する彼等の言動で、益々それが鮮明になりました。

 例えば先日の緊急事態解除に関する安倍総理の記者会見に対する批判がこれです。 

 自粛に努める国民に、安倍首相は一度も「ありがとう」とは言わなかった

 ??

 「ありがとう」って、安倍総理は何で国民に「ありがとう」を言わなければならないのでしょうか?

 そもそもこの緊急事態宣言下での自粛って誰の為にやっているのでしょうか?

 安倍総理の為の為にやっているのですか?

 違いますよね?
 
 この自粛は自分がコロナウィルスに感染しないために、
 大切な人を感染させないために、
 医療崩壊が起きて、自分や自分の大切な人が病気や怪我をしたときに、病院に行けないような事態を起こさないようにするために

 つまりは全部自分たち自身を守るためにやっていることです。

 自分や自分の家族の健康を守る為に努力するのは、一人前の大人なら当然のことです。
 だってそれは何より自分自身の為なのですから。

 それでダイエットや運動をしたりしている人も多いのですが、そのことで他人からの「ありがとう」を期待する人はいないでしょう。

 伝染病の場合は個人の努力だけでは感染防止はできません。
 そこで国家の政策としてこれを行うしかないのです。
 特に今回の新型コロナウィルスの場合は、人と人との接触を減らす以外に感染防止の方策がありません。

 それで欧米諸国では厳しい外出制限や都市封鎖を行い、それでも大量の死者を出してしまいました。
 また韓国など私権の制限が容易な体制の国々では、スマホの位置情報やクレジットカードの利用履歴を国家が監視することで、つまり国民からプライバシーを剥奪する形での感染者管理を行っています。

 いずれの方法も、国民には耐えがたい苦痛なのですが、それでも感染拡大を放置すれば更なる大量死を招くのですから、国民としてもそれを甘受するしかないのです。

 日本の場合はこうした国々に比べれば遥かに緩やかな「自粛」という方法で、感染爆発は阻止できたのですから、それを国民が自分たちの成功として喜ぶのはわかります。

 大成功!!
 オレたちエライ!!

 そしてこの作戦が政府によるものなら、

 オレたちの選択は正しかった!!
 オレタチ賢い!!

 と言って自分の賢明さを誇るのもわかります。
 勿論、成果に不満があり、政府の対応が間違っていると思うなら、

 ああ、失敗した!! 
 こんな政権じゃだめだ!!
 今度の選挙で政権を変えようと!!

 というのも構いません。

 しかし自分自身の生命を健康を守る為の努力をしたことについて、総理から「ありがとう」を言ってもらう事を期待するって一体何でしょうか?

 これはつまり自分の命と健康を守る為の努力を自分自身で行う必要がないという発想ではないでしょうか?
 
 そしてこの世には自分の生命や健康を守る努力をする義務のない人達がいます。
 それは幼児です。

 幼児の生命や健康を守る義務は本人ではなく親にあるので、幼児が病院へ行くのを嫌がって泣きわめいても親はなだめすかして連れて行きます。
 そして治療が終わると、ご褒美にお菓子やおもちゃを貰ったりします。 
 
 犬や猫も同様です。 
 ワタシは年に一度、予防注射の為によもちゃんを病院に連れて行くのですが、よもちゃんは嫌がって必死に抵抗をするのです。
 
 でも獣医さんに行くと、待合室には同様に診察を嫌がる犬や猫と、それをなだめすかしてる飼い主が、順番待ちをしているのです。
 そして診察の終わった犬に、ご褒美のおやつをあげる飼い主も見かけます。

 それでも犬や猫の生命と健康を守るのは飼い主の義務だから仕方ありません。

 つまり安倍総理の「ありがとう」の言葉を期待するこの記事の著者も、結局、犬・猫・幼児と同じ感覚なのでしょう。

 そもそも自分の身は自分自身で守らなければならないという発想がないのです。
 そして何もかも政府が面倒を見てくれて当然党う発想なのです。

 しかしこれはまさに民主主義国家の市民の在り方からは程遠い、というより真逆の発送です。
 
 そもそも民主主義というのは市民が専制君主の支配から自分自身を守る為に生まれたのです。
 支配者から自分自身を守るのですから、支配者が自分たちに行ってきた事のうち、自分の為に必要な事は自分でやらなくてはなりません。
 
 健康管理なんてまさにその典型でしょう?
 
 因みに古代ギリシャやローマで民主主義が生まれたころは、奴隷制がありましたが、奴隷は家畜と同じ立場ですから、奴隷の健康管理は主人の仕事です。
 
 そして一旦民主主義国家を作った以上は、その国家を守る事が、自分達の生命と財産を守る事ですから、必要とあれば自分達自身が国家を守る為に戦ったのです。
 
 つまり民主主義国家の市民というのは、完全に自立した人間であり、自分で自分を守るだけでなく幼弱者や奴隷の面倒も見て、国政にも責任ある立場から発言をする権利を持つ代わりに、自身もまた命を懸けて国家に奉仕するという人間なのです。

 ところがこの記事を見ればわかりますが、この記者は自分の生命と健康を守る事さえ自分の責任であると理解していません。
 国家が全部面倒を見てくれて当然だと信じているのでしょう。

 これってつまり幼児や家畜や奴隷の立場でいたいという事でしょう?
 しかしそういう人間が民主主義を担えるわけはないのです。

 ワタシが戦後民主主義は民主主義ではないというのは、戦後民主主義では国民はまずは自立した個人として自分自身と社会を支えなければならないという言ってみれば個人にとって厳しい一面を綺麗にネグレクトしているからです。

 そしてその代わりに、国家は国民の権利を何でも認めて、完全に国民の面倒を見るべきである、それが民主主義だとしたのです。

 つまり我儘な猫とその猫に大甘な飼い主みたいな関係こそが、民主主義における国民と国家の理想の関係であるとしたのです。

 そりゃね。
 猫と飼い主ならそういう関係は実現しますよ。

 うちのよもちゃんは夜中でも早朝でも、お構いなしに遊びに出かけて、帰りが遅くなるとワタシは探しに出なければならないのです。
 
 でもそういう関係は。よもちゃんが猫で、しかも格別に可愛いから成り立つわけで、人間同士でこんな関係が成り立つわけはないでしょう?

 そもそも政府に何から何まで面倒見てもらえるというのは、政府に生殺与奪を完全に握られているという事で、それこそ民主主義を全否定する発想でしょう? 
 
 ところが戦後民主主義では、民主主義は政府の助けなど必要としない、そのような助けを受ける事を潔しとしない自立した個人でなければ民主主義は成り立たないという、民主主義の根幹を完全に放棄しているのです。
 
 因みに犬も猫も、そして奴隷も主人に生殺与奪を握られているのです。

 しかし戦後民主主義の想定する「市民」というのは、そういう事を一切考えずに、ただもう主人に甘えるだけの犬や猫なのです。

 こんなものが民主主義であるはずもありません。

  1. 戦後民主主義
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