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2023-06-06 12:40

悪霊 浅間山荘事件の思い出

 昨日、ドストエフスキーの「悪霊」についてエントリーをしたら、温泉猫さんのコメントで「浅間山荘事件」を思い出しました。
 
 浅間山荘事件が起きた年、ワタシは大学一年生でした。
 昼休みに友達と学生食堂に行くと、食堂の入り口のロビーのテレビの前に分厚い人垣ができていました。
 どうやら浅間山荘に機動隊が突入しらしいのです。
 人垣から時々どよめきがおこりました。

 ワタシ達も大いに好奇心をそそられたのですが、しかし人垣はあまり厚く、テレビ画面は全く見る事ができません。
 それで諦めて食事を済ませて食堂を出ました。

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 昼休みの後は法学の講義でした。
 法学の教授は教室に入るなり、実に楽しそうに言いました。

 「みんな見たかい? 機動隊が突入したよ。 犯人がやられて喜んでいる人がいたね。 機動隊員がやられて喜んでいる人もいたけど♪」

 それで教室の中も笑いに包まれました。
 浅間山荘事件では機動隊から死者3名、重軽傷者27名が出ました。
 浅間山荘に立て籠っていた連合赤軍5人は全員無傷で逮捕されました。

 この教授は悪い人ではありません。 
 陽気で快活でそれに単位も簡単に取れるので学生には人気がありました。 ワタシもこの人は嫌いじゃなかったです。
 
 それにしても機動隊員が何十人も死傷しているのを知って法学の教授が楽しそうに笑うと言うのは実に異様で不道徳な話ですが、しかし当時の感覚ではこれが普通でした。

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 学生運動は1969年の安田講堂事件以降急速に凋落しました。 しかしそれでもまだその余波は全国に残っていました。 全国の大学で安田講堂事件を模した立てこもり事件が起きて、それが安田講堂事件同様に機動隊の突入で潰されました。
 ワタシの母校でも同様の立て籠りがあったようですが、これも機動隊に潰されてそうです。

 それでもまだその余波は日本中に残っていて、ワタシが入学した時も、学内に「〇〇粉砕」など描かれたベニヤ板の立て看板が残っていました。 また先輩の中には立て籠った活動家もいたのです。
 そして学生運動が機動隊の突入で崩壊しても、彼等の掲げた理念そのものは学生の常識として全くそのまま受け継がれていました。
 
 考えてみればそれは当然の話で、だって学生運動が盛り上がったのはワタシが中学から高校時代だったのですが、この頃ワタシ達の新聞やテレビを通じて見聞きする情報は、学生運動家達の理念を肯定するモノばかりでした。
 と、言うより浅間山荘で逮捕された連中は、この時代の新聞やテレビが世論として煽った「正義」を実行しようとして、殺人やテロを起こしたのです。
 
 だから学生運動が崩壊しても、この世論で育ったワタシ達には学生運動の「正義」に変わる「正義」など知る由もないのです。
 そして今にして思えば、あの法学教授だって実は結局同じ世論の中で、同じ「正義」を信じて育った人だったのです。

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 で、その「正義」と言うのは実に幼稚なモノで、とにかく現体制は悪、日本は悪、アメリカは悪、よって反体制が絶対正義、これらのモノを破壊すれば全てが解決すると言う発想です。
 それでも国家とか社会とかは巨大なモノですから、その気になって悪いところを探せば幾らでも出てくるし、そういう悪い所を糾弾する事が正義だと思って、糾弾し続けたら、幾らアタマの良い人でも、結局それでアタマが満杯になってそれ以外の事は考えられなくなるのかもしれません。

 そしてそういうアタマだから彼等が「正義」の実現の為に取った手段も、信じがたく幼稚なモノでした。 しかし幼稚ですまないのはこれで本当に何人もの人を殺した事です。
 ワタシは先日youtubeの朗読で数十年ぶりにドストエフスキーの「悪霊」を聴きました。 その時改めてピョートル等革命家達の革命計画の幼稚さと杜撰さに驚きました。 
 しかしその幼稚さや杜撰さを全く荒唐無稽に感じなかったのは、現実に見た革命家達の言動が小説「悪霊」と同レベルの幼稚さと杜撰さだったからでしょう。

 そして当時の日本社会もこの革命家達の幼稚さと杜撰さを見て、学生運動には辟易するようになりました。
 しかし学生運動のやり方に辟易しても、学生運動の「正義」を否定する為の正義はありませんでした。 と言うか新聞やテレビなどこの「正義」を煽り続けた人達からすれば、それをやれば完全な自己否定、自己批判を強いられる事になります。
 だから結局、いかに暴力的で幼稚であろうとも、学生運動家達は「正義の士」として持ち上げ続けたのです。

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 こういう状況だから新聞やテレビが作る世論からすれば、ゲバ棒をもって暴れまわる学生は正義の士だし、そういう学生を逮捕しようとする機動隊員は悪の手先です。
 だからその悪の手先が正義の士の反撃に倒されたら喝采するのです。
 
 そしてこの世論が機動隊側の死傷者を増やしたと言えます。
 本来ならあの状況なら最初からもっと重武装の隊員を突撃させて、犯人の射殺を前提に対応するべきでした。 しかし「世論」を考えれば犯人の射殺などありえず、それで機動隊員等が変わりに死ぬ嵌めになったのです。

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 それにしても時代の精神というか「世論」って怖いですね。
 悪霊の正体はこれかもしれません。

 フランス革命時、ルイ16世の姉妹達も処刑されました。 その時その中の一人の陰毛の生えた部分の皮を這いで、髭の代わりに口の周りに貼り付けて道化た男がいました。
 人々は彼を見て笑い喝采しました。
 
 フランス革命の中でも最も陰惨で下劣なエピソードですが、しかし考えてみれば時代の精神で、浅間山荘事件で機動隊員が殺害されたときに笑った学生達も、学生達の笑いを誘った法学教授もその時代の精神に支配されていただけなのでしょう。
 そしてそれを思えば、戦場で行われた残虐行為も、格別な事ではなく、残虐行為を行った兵士もそれを止めなかった兵士も全く普通の人間だったのだと思うのです。

  1. 個人的体験から
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コメント

>テレビの前にぶ厚い人垣ができて
>どうやら機動隊が突入したみたいです


その時のブログ主さんと、それから約四半世紀後の1995年3月に山梨県上九一色村のオウム真理教のサティアンへ強行捜査に入った警察の姿をテレビで見ていた自分の心情は同じでしょうかね?

何しろあの地下鉄サリン事件が発生した、まさにその時間、自分はあわや、その犠牲者の一人になるかもしれませんでした。
事件発生の午前8時頃、自分は事件発生場所のひとつの営団地下鉄(現・東京メトロ)の永田町駅の地上出口にちょうど出た時だったのです。
当時、自分の職場が永田町駅近辺にあったのですが、ほんの少し出勤が遅くなっていたら、自分の人生は30年に満たずに終わっていたかもしれないのですから、あんな事件は絶対忘れられません。

しかし、悲しいことに、あの事件さえも知らないという若者が現実に存在するのですな。
  1. 2023-06-06 20:15
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  3. 温泉猫 #-
  4. 編集

Re: タイトルなし

> >テレビの前にぶ厚い人垣ができて
> >どうやら機動隊が突入したみたいです
>
>
> その時のブログ主さんと、それから約四半世紀後の1995年3月に山梨県上九一色村のオウム真理教のサティアンへ強行捜査に入った警察の姿をテレビで見ていた自分の心情は同じでしょうかね?
>
> 何しろあの地下鉄サリン事件が発生した、まさにその時間、自分はあわや、その犠牲者の一人になるかもしれませんでした。
> 事件発生の午前8時頃、自分は事件発生場所のひとつの営団地下鉄(現・東京メトロ)の永田町駅の地上出口にちょうど出た時だったのです。
> 当時、自分の職場が永田町駅近辺にあったのですが、ほんの少し出勤が遅くなっていたら、自分の人生は30年に満たずに終わっていたかもしれないのですから、あんな事件は絶対忘れられません。
>
> しかし、悲しいことに、あの事件さえも知らないという若者が現実に存在するのですな。

 地下鉄サリン事件はホントに大変でしたね。
 でもあれ実はワタシは起きた直後にオウムだと思いました。 それでオウム事件はその後ずうっとその感覚で見ていました。
 だからサティアンに機動隊が突入した時は、ワタシの推理の正しさが証明されたと言う気分でした。 
 
 オウム事件通じてワタシはマスコミの能力に強烈な不信感を持つようになりました。 特に酷いのは松本サリン事件で第一発見者を容疑者扱いし続けた点でした。
 
 サリンの化学構造を見たら、とても個人が自宅で製造できるようなモノでない事がわかるはずなのに。
 
 だから浅間山荘事件とオウム事件とでは、感覚が凄く違います。
 ついでに言うと、浅間山荘事件の時は、ワタシも犯人達同様学生と言う立場でした。 一方オウム事件はあくまで異常なカルト集団と言う事で、興味はその組織やマスコミの報道姿勢だけでした。

 
  1. 2023-06-06 20:37
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  3. よもぎねこ #-
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妙義、浅間、迦葉山

赤軍派×○事件の現場は、私の住む地方です。
避暑地の軽井沢の気候です、池には氷が張り、地から冷える底冷えがして、雪の浅間山、谷川山岳添いに流れ込む冷たい北風の吹く地です。
軽い沢は夏は避暑地ですが、冬には住む所ではありません、ゴキブリも見ません。夏だけ郊外の橋の下に住むホームレスも、冬には関東の南に移住しています。
彼らが住んだ山岳拠点の雑木林は、冬には雪がうっすら残り地表は昼でも枯れ葉がじめじめと凍っています。
あのような場所なら、追い詰められ仲間どおしで苛めが行われ最後には○○される精神状態になるのでしょうか。
気の毒でなりません、社会を知らずして若くして思想に燃えるのは認知の暴走に過ぎません、暴走を止められなかった親の生き方?、保護者の責任でもあります、友人も大事でしょうか?
選挙権を18才だとか、被選挙権年齢を引き下げろとか言うのは、ここに書かれている共産主義者の妄想への悪魔の誘惑としか思えません。
  1. 2023-06-07 10:55
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  3. トラウマ #RWLNmTs6
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Re: 妙義、浅間、迦葉山

> 赤軍派×○事件の現場は、私の住む地方です。
> 避暑地の軽井沢の気候です、池には氷が張り、地から冷える底冷えがして、雪の浅間山、谷川山岳添いに流れ込む冷たい北風の吹く地です。
> 軽い沢は夏は避暑地ですが、冬には住む所ではありません、ゴキブリも見ません。夏だけ郊外の橋の下に住むホームレスも、冬には関東の南に移住しています。
> 彼らが住んだ山岳拠点の雑木林は、冬には雪がうっすら残り地表は昼でも枯れ葉がじめじめと凍っています。
> あのような場所なら、追い詰められ仲間どおしで苛めが行われ最後には○○される精神状態になるのでしょうか。
> 気の毒でなりません、社会を知らずして若くして思想に燃えるのは認知の暴走に過ぎません、暴走を止められなかった親の生き方?、保護者の責任でもあります、友人も大事でしょうか?
> 選挙権を18才だとか、被選挙権年齢を引き下げろとか言うのは、ここに書かれている共産主義者の妄想への悪魔の誘惑としか思えません。

 あの総括も無残でしたね。
 実はあの総括についても、この法学教授が「追い詰められた人達の気持ちを考えてみる必要がある」と言っていたのを思い出しました。

 しかし真面目に考えたら武装蜂起による国家転覆を企てたのなら、山岳地帯でのレインジャー訓練ぐらいしておくべきでした。 そういえばワタシが大学を卒業する頃ですか、真冬に犯罪者が知床近辺に逃げ込み、数カ月間、番屋の魚を盗んだりしながら生き延びると言う事件がありました。 マジ、コイツの方が余程根性と知恵があったのでは?と思ってしまいます。

 追い詰められて絶望すると言うのは同情するけれど、でもあれで追い詰められて正気をなくすような状態で、本気で国家転覆を考えていたのなら本気で呆れます。

 
  1. 2023-06-07 12:07
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  3. よもぎねこ #-
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更新が止まっている 「裏の桜」 さんのブログ 「裏の桜の雑文」 に 「1970年代までは日本でも極左によるテロが頻発していたのに、1980年代以降のテレビでは、そんなものは無かったかのように、全く触れなくなった」 と書いてありましたね。(たしか 「裏の桜」 さんって、地方のテレビ局のカメラマンだったんですよね?)

1980年代の世相といえば、バブル景気に校内暴力。私の住んでいた地方都市でも、夜中に暴走族が走りまわる音がよく聞こえました。また、団塊ジュニア世代が中高生だったので、受験戦争が熾烈を極める一方で、大学に入学してしまうと、特に文系の学生は全く勉強しなくなるので、「大学のレジャーランド化」 と言われましたね。(ただしこの世代が、いざ就職しようとした時にバブルが弾けて、就職氷河期、失われた10年、20年、30年へ・・・。)

当時の若者には、尾崎豊の 「盗んだバイクで走りだす~♪」 「夜の校舎、窓ガラスを壊してまわった~♪」 という歌が流行りましたが、今の若者に、この歌詞について訊くと 「かっこいい!!」 と答えるどころか 「気持ち悪い」 「ただの犯罪じゃん」 と答える若者が多いそうです。

学生運動も校内暴力も、後の時代の人間から見ると 「なんで、そんな事に熱くなってたの?」 という点では、何もかわらないという・・・。(「上の世代の対する反抗」 という点では、これらは共通しているような気もします。団塊世代には左翼が多いのに、団塊ジュニア世代には保守派が多いのも、上の世代に対する静かな反抗なのかな?と思ったり。)
  1. 2023-06-08 00:58
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  3. かんぱち #vF6NeGQU
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Re: タイトルなし

> 更新が止まっている 「裏の桜」 さんのブログ 「裏の桜の雑文」 に 「1970年代までは日本でも極左によるテロが頻発していたのに、1980年代以降のテレビでは、そんなものは無かったかのように、全く触れなくなった」 と書いてありましたね。(たしか 「裏の桜」 さんって、地方のテレビ局のカメラマンだったんですよね?)
>
> 1980年代の世相といえば、バブル景気に校内暴力。私の住んでいた地方都市でも、夜中に暴走族が走りまわる音がよく聞こえました。また、団塊ジュニア世代が中高生だったので、受験戦争が熾烈を極める一方で、大学に入学してしまうと、特に文系の学生は全く勉強しなくなるので、「大学のレジャーランド化」 と言われましたね。(ただしこの世代が、いざ就職しようとした時にバブルが弾けて、就職氷河期、失われた10年、20年、30年へ・・・。)
>
> 当時の若者には、尾崎豊の 「盗んだバイクで走りだす~♪」 「夜の校舎、窓ガラスを壊してまわった~♪」 という歌が流行りましたが、今の若者に、この歌詞について訊くと 「かっこいい!!」 と答えるどころか 「気持ち悪い」 「ただの犯罪じゃん」 と答える若者が多いそうです。
>
> 学生運動も校内暴力も、後の時代の人間から見ると 「なんで、そんな事に熱くなってたの?」 という点では、何もかわらないという・・・。(「上の世代の対する反抗」 という点では、これらは共通しているような気もします。団塊世代には左翼が多いのに、団塊ジュニア世代には保守派が多いのも、上の世代に対する静かな反抗なのかな?と思ったり。)

 ワタシも要するに若者は親に反抗するのだと思います。

 団塊世代の親と言うのは、戦中派、戦時中兵役に行ったり、兵役年齢を超えていたので兵役には行かなくてお、空襲など戦争を体験した世代です。 そして戦後復興を担った世代です。
 だから反戦平和や反資本主義も、結局親への反抗なのです。

 同様に団塊ジュニアからすれば、親の世代の作った社会で、就職氷河期などで辛酸をなめています。 だから親世代の青春物語なんかに同調できるわけもないのです。

 客観的に見れば、戦争をしてもその後の復興を担い高度成長の豊かな社会を作ってくれた親に反抗するのと、その豊かな社会をそれ以上発展させることができず、子供世代に辛酸を舐めさせた親に反抗するのを比べたら、後者の方が正当だと思います。
 だから今の若者が団塊世代に共感するわけはないのです。 

 
  1. 2023-06-08 10:30
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  3. よもぎねこ #-
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あさま山荘事件は、連合赤軍が山岳ベース事件を起こした後の事件なのに連合赤軍を正義と思う一般人はいたのですか?
普通に考えれば、機動隊の人の方が正義だと思います。
  1. 2023-06-08 16:05
  2. URL
  3. あいうえお #-
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ある意味では近年の左曲がり連中の狂騒もそれに近い状態になってるんじゃないかなと。
まあ、彼らだけが盛り上がってるだけで一般の方々は興味もない状態ですが。
今の人たちはある程度現実主義になってきてるんだと思いますよ。
  1. 2023-06-08 18:43
  2. URL
  3. 太朗 #cRy4jAvc
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Re: タイトルなし

> あさま山荘事件は、連合赤軍が山岳ベース事件を起こした後の事件なのに連合赤軍を正義と思う一般人はいたのですか?
> 普通に考えれば、機動隊の人の方が正義だと思います。

 ワタシの記憶では当時のマスコミは実は犯人達持ち上げていました。
 今でも重信房子を英雄視している連中がいるでしょう?
  1. 2023-06-08 22:09
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  3. よもぎねこ #-
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Re: タイトルなし

> ある意味では近年の左曲がり連中の狂騒もそれに近い状態になってるんじゃないかなと。
> まあ、彼らだけが盛り上がってるだけで一般の方々は興味もない状態ですが。
> 今の人たちはある程度現実主義になってきてるんだと思いますよ。

 そうでしょうね。

 入管難民法改正反対の悪あがきなど見ていると、もう一般国民の支持なんか全然期待していないのが明白じゃないですか?
 
  1. 2023-06-08 22:21
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  3. よもぎねこ #-
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>本来ならあの状況なら最初からもっと重武装の隊員を突撃させて、犯人の射殺を前提に対応するべきでした。 しかし「世論」を考えれば犯人の射殺などありえず、それで機動隊員等が変わりに死ぬ嵌めになったのです。

当時事件の指揮をとった警視庁警備課長(当時)の佐々淳行氏の著作によると、上司からの「上赤塚交番襲撃事件の柴野春彦のような殉教者を出すな」という指示の元、犯人の生け捕りを求められていたそうです。
  1. 2023-06-12 15:05
  2. URL
  3. あいうえお #-
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Re: タイトルなし

> >本来ならあの状況なら最初からもっと重武装の隊員を突撃させて、犯人の射殺を前提に対応するべきでした。 しかし「世論」を考えれば犯人の射殺などありえず、それで機動隊員等が変わりに死ぬ嵌めになったのです。
>
> 当時事件の指揮をとった警視庁警備課長(当時)の佐々淳行氏の著作によると、上司からの「上赤塚交番襲撃事件の柴野春彦のような殉教者を出すな」という指示の元、犯人の生け捕りを求められていたそうです。

 殉職者を出さずに犯人生け捕りができたらそれが理想ですが、しかし結局、3人もの方が殉職したのですから、結果的には無残でしたね。
  1. 2023-06-13 11:18
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  3. よもぎねこ #-
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