安倍総理の死を揶揄するぐらいなら、無礼・不作法ではありますが、まだ言論の自由の反中です。
民主主義は言論の自由なしには成立しないし、安倍総理を評価しない人、憎悪する人がいたのも事実ですから、そういう人々が総理の死を揶揄したければ、する権利は守るべきです。
しかし朝日新聞の川柳は明らかに「揶揄」の範囲を超えて、暗殺を歓喜し絶賛しているとしか思えない物でした。
還らない命・幸せ無限大(福岡県 桑原正彦)
これはどう見ても「安倍総理が死んで幸せ一杯」と言う意味でしょう?
因みにこれについては、東京地裁での東電経営陣への13兆円賠償金支払い判決を受けた句だと言う説を唱える人々がいます。
しかしそれなら猶更酷い話です。
福島第一原発事故では当時の菅直人内閣の事故処理の不手際、出鱈目な避難指示によって死ななくて良い人が2000人も死んでいます。
「還らない命」と言うのは、つまりこの命の事でしょうが、それで「幸せ無限大」とは・・・・。
朝日新聞やその支持者の視点に立てば「原発事故で2000人死んだけど、13兆円の損害賠償判決が出たから幸せ無限大」と言う事でしょうか?
安倍総理の暗殺でも言語道断ですが、それでも彼等が心底憎んできた相手ですから、仕方がないと考える事もできますが、しかし福岡県の桑原正彦氏は福島第一原発事故の避難指示の不手際で亡くなられた方達にどんな恨みがあったのでしょうか?
いずれにせよ朝日新聞とその支持者の他人の命に対する認識が良くわかる川柳でした。
因みに朝日新聞が暗殺を礼賛したのは、今回が初めてではありません。
226事件や515事件など、昭和大恐慌の後、政府要人に対する暗殺が相次いだ時、朝日新聞はこの暗殺者を絶賛しました。 そして当時の大手紙もそれに続きました。
曰く「暗殺は許されないが・・・・・、犯人の心情を思うと・・・・。」としていかに現在の政治が腐敗堕落し、国民が苦しんでいるかを説き、そしてその腐敗堕落の張本人を許せなかった犯人が、いかに国家と国民を思っているかを説き、結局、殺された方が悪い、殺した犯人は真の愛国者で正義の味方と世論を誘導しました。
これはもう暗殺の扇動です。
朝日新聞はこうやって右翼によるテロを扇動し、そのテロを批判する人達を「非国民!!」と非難したのです。
このように暗殺が推奨される社会では、冷静で合理的な議論などできるはずもなく、暗殺者の好まない言論は完全に封殺されるようになっていったのです。
そしてその結果が日本社会の際限もない右傾化、軍国主義化で、最後には第二次大戦参戦、無条件降伏でした。
この朝日新聞がこの暗殺扇動を行った意図は、わかりません。
ただそうやってセンセーショナルに報道すれば新聞が売れると思ったのでしょうか?
それとも朝日新聞が目指す敗戦革命の為に計画的に行ったのでしょうか?
因みにこの「敗戦革命」については、「崩壊 朝日新聞」で著者の長谷川熙氏が詳しく説明してます。
この本については以前ワタシもエントリーしました。
「崩壊 朝日新聞」 コミンテルンの陰謀の証明?
敗戦革命のプランを要約すれば以下の通りです。
朝日新聞内には共産主義者が多数いて、彼等は日本で革命を起こしたいと考えていた。
しかし現状では彼等には暴力革命を起こす力はない。
そこで日本を大戦争に追い込み、日本がボロボロにすれば、その敗戦の中で革命が可能だと考えて、ひたすら主戦論を煽り、日本を戦争に追い込んだ。
そして実際に朝日新聞は率先して戦争を煽り続け、実際に日本は戦争をして敗戦したのです。
勿論、日本の歴史が朝日新聞だけに操られていたわけではありませんから、朝日新聞がこのような事を意図していたとしても、現実にはどこまで朝日新聞の力でそうなったかの証明は不可能です。
しかしこういう朝日新聞の歴史を思い返せば、この朝日新聞の川柳は、単なる揶揄とか言論の自由の範囲とかの問題ではなく、その裏にあるもっと邪悪な意思を考えざるを得ません。
敗戦革命だけでなく、歴史的に朝日新聞は「革命」が大好きで、革命と名の付くものをひたすら礼賛してきました。
そして民主主義国家が大嫌いでした。
戦後はスターリンを大絶賛したし、ワタシが物心ついた60年代には金日成と北朝鮮を絶賛していました。
70年代になると文化大革命を絶賛し、ポルポト政権さへも「アジア的優しさに満ちた政権」と礼賛しました。
現実にはどれも大虐殺と大粛清、膨大な文化破壊と言論封殺だったのですが、しかし朝日新聞にとってはそれが素晴らしい政権・素晴らしい政策だったのです。
そして今でも本心そう思っているのでしょう。
なぜならこれらの革命については後日その恐ろしい現実が明らかになっても、朝日新聞はそれまでの礼賛報道について、一度も反省することなく、次が出るとまたまた同様の礼賛報道を続けるからです。
素晴らしい理想やスローガンを掲げて行った革命も、実は大粛清・大量殺人だった。 それがわかっても、また同じ理想を掲げる奴に賛同して礼賛する。
これを戦後もずうっと続けてきた。
こうなると朝日新聞が望んだ「敗戦革命」でやりたかった事も想像ができます。
これは朝日新聞だけでなく、ツィッターなどでパヨクの発言を見ていても思う事ですが、彼等は革命を望むけれど、実は革命後に作る社会については何のプランもないのだと思います。
でもただもう、現実の社会、自分の隣人、自分を取り巻く人々の全てを憎み、破壊したいのです。
その手段として「革命」を望んでいるのです。
こういう朝日新聞とその支持者を見ていれば、「還らない命・幸せ無限大」と言うのは、まさに彼等の魂の句ではないかと思います。
オマケ
「還らない命・幸せ無限大」の句について、川柳なので五・七・五で「還らない 命・幸せ 無限大」と読むべきあり、「・」は命と幸せが等価だと言う事を表すので、東電に賠償命令が下っても命と幸せが還らないのだと言う意味だと言う解釈をする人達がいます。
しかしこの解釈はオカシイです。
なぜなら「幸せ」は、内面の問題、主観の問題で計数不能ですから、福島第一原発事故で失われた幸せを無限大と表現することは可能です。
でも命は違います。
福島第一原発事故当時の菅直人政権の事故処理とりわけ避難誘導の失敗で亡くなら犠牲者、所謂原発事故関連死とされる方の人数は約2000人です。 この方たちは氏名も年齢も死因も明確な2000人なのです。
つまり「還らない命」は2000人であって、無限大ではないのです。
だから「還らない命・幸せ無限大」と句で「・」を等価と考えると、「還らない命」と「幸せ無限大」が等価と解釈するしかないのです。
そして「還らない命」とは、死者の事です。
そうなると「死者・幸せ無限大」ですから、人が死んで嬉しくてたまらないと言う意味にしかなりえません。
ホントに最低だよコイツラ!!