愛知トリエンナーレ再会に対する河村名古屋市長の座り込みでの抗議について、大村愛知県知事は極めて異常な発言をしています。
大村知事は河村市長の抗議を「ヘイト!!」「ヘイトまがい」と言い募るのです。
しかし大村知事は、河村市長の抗議中の発言の一体何を「ヘイト」「ヘイトまがい」と言うのでしょうか?
「ヘイト」所謂ヘイトスピーチと言うのは、民族や性的嗜好などによる特定の集団の差別を扇動する、或いは排除するスピーチと定義されています。
更に言えば現行のヘイトスピーチ解消法では、違法とされるのは、本邦外出身者に対するヘイトスピーチだけです。
これは朝日新聞官邸記者クラブもそれを確認するツィートをしていましたよね?
朝日新聞官邸クラブ
@asahi_kantei
●少女像の展示は日本人に対する一種のヘイトスピーチであり不適切では。
→そもそも、日本人に対するヘイトスピーチは日本の法律では違法ではない。また、ヘイトスピーチの一般的な捉え方に照らしても、少女像がそれに当たるとは言えない。
@asahi_kantei
●少女像の展示は日本人に対する一種のヘイトスピーチであり不適切では。
→そもそも、日本人に対するヘイトスピーチは日本の法律では違法ではない。また、ヘイトスピーチの一般的な捉え方に照らしても、少女像がそれに当たるとは言えない。
午前9:54 · 2019年9月26日·Twitter for Android
その通りなのです。
ヘイトスピーチ解消法では、ヘイトスピーチの対象となるのは「本邦外出身者」と限定しています。
だからアイヌや日本人のLGBTへのヘイトスピーチは違法ではありません。
何しろアイヌなんて弥生人が渡来するより前から、日本にいた事になっているのですから。
しかし大村知事は「本邦外出身者」なのですか?
何より河村市長の抗議は、愛知トリエンナーレの再開に関して、大村知事の独断専行に抗議しているだけで、民族や国籍、性的嗜好などで特定の集団に触れるような問題については一言も話していないのです。
さらに大村知事は河村市長の発言について、「事実ではない事を言った」と非難しているのですが、しかし河村市長がこの座り込みでの抗議で言った事は、実は河村市長が9月20日に公開質問状で大村知事に問い質した事です。
河村市長は大村知事に公開質問状を提出する前に、愛知トリエンナーレの内容と運営について、大村知事に質問をしています。
しかし大村知事はあれから1か月近く経つのに未だに回答をしていないのです。
愛知トリエンナーレの主催者は愛知トリエンナーレ実行委員会ですが、河村市長はこの実行委員会の会長代行です。
そして大村知事が会長です。
また名古屋市は愛知トリエンナーレに市の予算2億円余を出していますが、これは愛知県の出資の3分の1余に当たり第二位です。
河村市長には名古屋市長として、また愛知トリエンナーレ実行委員会会長代行として、当然この内容の問題と再会に関して、発言権もあるし、何よりそういう河村市長の抗議を無視して、質問にも答えずに再会を強行した愛知県側と大村知事に対して抗議をするのは当然でしょう?
それを「ヘイト」「ヘイトまがい」と言うのは、どういう事でしょうか?
それとも大村知事は実は本邦外出身者なので、自分に対する批判は全てヘイトと考えているのでしょうか?
ヘイトスピーチと言う言葉が使われ始めてから、これを津田大介等、これを愛用する特定勢力がドンドン解釈を拡大しているので、この大村知事のように自分に不都合な言論は全て「ヘイト」として、言論弾圧に使用する権力者が現れたのです。
知事が市長の抗議を「ヘイトスピーチ」として封殺するようになれば、県会議員や県知事の県政を批判する事もできなくなります。
こうなると自由な言論空間どころか、県議会や市議会の運営さへ不可能になります。
これはこの「ヘイトスピーチ」と言う概念が、民主主義にとっていかに有害かを証明する例でしょう。
こんな曖昧な概念を使って、「ヘイトスピーチは許さない」として言論や表現の自由を弾圧できるのでは、民主主義なんて成り立たないのです。
そもそも「ヘイトスピーチは許さない」と言うなら、愛知トリエンナーレこそは「ヘイトスピーチ」そのものでした。
例えばあれで問題になった昭和天皇の写真を燃やして踏みつける動画は、日本人への「ヘイト」そのものです。
だって日本国憲法1条を見てください。
第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
天皇は日本国と日本国民統合の象徴なのです。
それは主権の存する日本国民の総意なのです。
その天皇の写真を燃やして踏みつけるって、日本国と日本国民を燃やして踏みつけるという事でしょう?
これが日本と日本国民へのヘイトでなくて何ですか?
ヘイトスピーチ解消法からは日本と日本国民へのヘイトは違法ではありません。
だから無問題と言うなら、今後はLGBTやアイヌへのヘイトスピーチも問題にしてはいけません。
因みにワタシ個人としては、表現の自由はヘイトであろうとも守られるべきだと思います。
愛知トリエンナーレに関して「親の写真を燃やすのも表現の自由か?」と言う問いがありましたが、ワタシはこれは「表現の自由」だと思います。
だって例えば津田大介の父親は社会党議員の国会議員秘書で、左翼利権漁りに生きた男だったそうですが、それでは津田大介がその父親の写真を燃やして踏みつける動画を、you tubeにアップしたとしても、誰も問題にしないでしょう?
不道徳であっても不快であっても、それを不道徳、不快だからと言って禁止すると、大村知事のように本来正当な言論や表現までも「ヘイトスピーチ」だなどと理由をつけて、禁止する人間が出てくるのです。
これでは言論の自由も表現の自由も守れません。
それでは愛知トリエンナーレの福島県民侮辱作品や昭和天皇の写真焼却踏みつぶし作品は無問題なのでしょうか?
違います。
これらの作品を愛知トリエンナーレに展示する事の問題は、表現の自由の問題には何の関係もないのです。
これは河村市長の言う通りなのです。
日本国民統合の象徴の写真を燃やして踏みつける、日本国民へのヘイトのような作品を、愛知県や名古屋市や日本政府の予算で展示するのが問題なのです。
だってそれは愛知県や名古屋市や日本政府が、我々日本国民へのヘイトを認めている事になるのですから。
だから公費で行われる公的な展示会には出すべきではない!!
それだけなのです。
名古屋市民には名古屋市の予算を使って行われる事業の在り方を決める権利があるし、日本国民には日本政府の予算を使って行われる事業の在り方を決める権利があるのです。
だから公費を使って行われる展示会には、関係首長や政府が口を出すのは当然なのです。
それが嫌なら公費を使って行われる展示会なんかには出さなければよいのです。
そもそも愛知トリエンナーレの問題は、表現の自由なんかには何の関係もない芸術利権の問題なのです。
愛知トリエンナーレで問題になった昭和天皇の写真焼却踏みつぶし作品だって、福島県民侮辱作品だって動画ですから、大勢の人に見てもらいたいなら、you tubeかニコ動にでもアップすれば済む話でしょう?
そんなものなんでわざわざ、公費で製作費や謝礼を出して、公設展で展示する必要があるんですか?
公費を出すほど価値のある芸術なら、you tubeでドンドン再生されるから、十分収益が出るでしょう?
それなのに何でわざわざ公設展なんかに出すのですか?
でも例えばあの福島県民侮辱動画を見ればわかります。
あまりにつまらなくて入場料を払って愛知トリエンナーレを見に行った人達でも、あの動画を流しているモニターの前に1分余の間立ち止まって見る人は皆無だったのです。
だから1分半ごろから始まる福島県民侮辱発言にも、誰も気づかなかったのです。
これじゃyou tubeにアップしても再生されませんよね?
だから公費にたかるのです。
それどころかこんな物まで展示されていたんですね。
https://censorship.social/artists/ohashi-ai/
大橋藍 OHASHI Ai
アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から「オレ、中国のもの食わないから。」と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子
テキスト、蛋黄酥、ビニール袋 2018
1993年神奈川県生まれ
東京都拠点
1993年神奈川県生まれ
東京都拠点
長いタイトルを持つこの作品は二重構造を持っている。本来展示するはす゛た゛ったかたち、そして検閲て゛変容したかたちて゛ある。
検閲とは、2018年に開催された五美大展(国立新美術館)て゛のこと。腐敗の怖れありと箱の中の菓子か゛出品禁止とされたか゛、一年経った後も腐敗せす゛、個別包装菓子へのこの懸念はいかにも過剰た゛ったようた゛。むしろ、ここから民族問題の主題の拒否か゛根底にあるとも憶測された。
美術表現て゛は、作家の日常をあらわすため、行動の記録や関わったものなどの痕跡を呈示する手法か゛ある。これは言葉通り即物的て゛、作家の主観的解釈を含まないた゛けに社会環境そのものを客観的に示すことて゛きる。大橋には、他に米軍機か゛飛行する日常を捉えた映像作品《Birdwatching》か゛ある。
料理店の社長は日本人た゛か゛、香港人スタッフの好意を拒絶することて゛、異民族への眼差しか゛透けて見える。しかしこれは一つの解釈て゛しかなく、別の見方もあろう。ここに本作の多義性の長所か゛あり、見るもの自身の考えて゛差別について考えるよう誘う。同し゛ように、検閲のフ゜ロセスと作家のアクションの資料により、作家は私たちか゛と゛のような閉し゛た社会に生きているかも呈示する。
その答えは見るものの中にある。(アライ=ヒロユキ)
??
どこかで買ったか貰ったかした賞味期限切れの菓子に駄文をつければ芸術と言う事になって、作者?はこれで愛知県や名古屋市や国から製作費や謝礼を得られるのです。
大村知事は愛知トリエンナーレの作品を県が拒否する事を「憲法21条で禁じられた検閲」だというのですが、しかし考えてください。
愛知県内には絵や写真などを愛好する人は山ほどいます。
実はワタシも中学1年まで名古屋市に住んでいて、油絵を描いていました。
そういう人たちが自分の絵や写真を愛知県立美術館に持ち込めば、誰の作品でも展示してもらえて謝礼がもらえるのですか?
それだったら皆凄く喜びますよね?
賞味期限切れの菓子や1分余も見ていられないほどつまらない動画でも、愛知県立美術館に展示してくれるなら、ワタシだって中学生の時に描いた油絵を展示してもらえるはずでしょう?
でもそんなわけにはいかないのです。
県立美術館など公立の美術館で行われるような公設展に作品を展示してもらえるのは、公募展など特定の展示会のみで、その公募展に応募しても審査員の審査を受けて合格しないと展示はされないのです。
でもあらかじめ作品を見て、展示を拒否するのって、大村知事式に言えば検閲でしょう?
公募展の審査員も愛知トリエンナーレの芸術監督も、愛知県から権力を委託されて作品を審査して、展示を拒否する権力を持つ権力者なのですから。
しかしこの権力者側と通じていれば、賞味期限切れの菓子、誰も見ない動画のCGなど、明らかにゴミでしかない物でも「芸術」と言う事になって、愛知県や名古屋市の予算で、製作費や謝礼が支払われるのです。
これはもう完全な錬金術でしょう?
同じ芸術でも日本画や油絵など、古典美術やその延長にある場合はそうはいきません。 こういう物は昔から一定の評価基準が定まっているので、どんなに権威や権力を振り回して横車を押そうとも一定以上の技量のない作品は落選するのです。
ところが愛知トリエンナーレのような現代美術はナンデモアリーノの世界ですから、権威と権力に連なれば何でも芸術にして金にできるのです。
そこで左翼団体が持前の組織力と権威主義で、有名美術大学や文科省に食い込み、ゴミを「芸術」認定させて、公金を毟るという錬金術が行われていたのです。
酷い話です。
だからこそ大村知事とその仲間達が愛知トリエンナーレに執着するわけです。
もうこんな展覧会は全部やめるべきでは?
勿論、作者やそれに賛同する連中が自分達でお金を集めてやるのは良いですよ。
でもこんなのものに自治体や国が予算をつける必要はないでしょう?
本当に芸術として価値があるなら、それでもドンドン発展するんじゃないですか?
浮世絵だって歌舞伎だって、当時の幕府は応援するどころか、様々な規制をかけて潰そうとしたのです。
でも芸術として優れていたから発展し続けたのです。
だから芸術を国や自治体が応援する必要なんか全くないのです。
オマケ
なぜか我が家から愛知県庁に電話ができません。
どうやら着信拒否をしているようです。
愛知県庁は一度でも大村知事の気に入らない電話をした人からの電話は着信を拒否しているようです。
これだと愛知県民が他の用事で県庁への問い合わせもできなくなります。
ワタシだった嘗ては愛知県民だったわけで、愛知県在住当時の事で問い合わせ等をする可能性はあるのです。
こんな事をするなんて、もう愛知県は県庁としての職務を放棄しているとしか言えません。