「西洋の自死」はヨーロッパの移民問題を描いた本です。
この本で、著者のダグラス・マレーはヨーロッパに大量に入り込んだイスラム移民により、近い将来ヨーロッパのアイデンティーが消滅すると警告しています。
ワタシも現在のヨーロッパを見ていると、後半世紀もすればヨーロッパはイスラム化して、我々日本人が称賛するクラッシク音楽やルネサンスやバロックの美術品も全部破壊されて消滅するのではないかと心配です。
それでワタシはこの本を通して移民問題について考えた事を、幾つかエントリーしていこうと思うのですが、今回はこの本で著者が触れなかった事について書いていきたいと思います。
それはなぜ労働力として受け入れたはずの人々が、移民に変わったのかと言う問題です。
実はこれはドイツの問題ですが、ドイツは1970年代ぐらいまでイタリア人を中心に南欧からの労働者を受け入れていました。
ドイツは日本が高度経済成長に入る前から、経済的に成功して、高賃金で高福祉で労働力不足の国になっていました。
それで1950年代から早くも外国人を労働者を受け入れています。
その中には韓国人、そして何と日本人何とまでも含まれました。
当時のドイツの炭鉱は炭鉱夫が不足していたので、「研修生」と言う名目で日本人の炭鉱夫を招いたのです。
因みにこの「研修生」と言うのは、現在日本の外国人研修生同様、名目は研修でも、実質的には低賃金労働者の獲得を意図した制度だったようです。
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当時のドイツに比べて日本は遥かに遅れた国で、福祉も賃金水準も比べ物になりませんでした。
ドイツの炭鉱での日本人研修生の評価は非常に高く、そのままドイツに残るように要請される事も多かったそうです。
因みにこの「研修生」と言うのは、現在日本の外国人研修生同様、名目は研修でも、実質的には低賃金労働者の獲得を意図した制度だったようです。
ところが日本人の研修生の殆どは、ホントに真面目にドイツの採炭技術を研修し、そして研修期間が終わるとさっさと帰ってしまいました。
ドイツ人の奥さんを連れて帰ったヤツまでいます。
そしてその後間もなく日本は高度経済成長軌道に乗り、賃金水準も上がったので、日本人がこの種の「研修生」として招かれる事もなくなりました。
一方イタリアからの出稼ぎは続きました。
1960~70年代、ドイツの工場等でイタリア人の労働者が働いている話は、日本でも普通に知られていました。
ワタシはこのころから塩野七生さんのファンだったので、彼女のエッセイ等でもこの種の話をよく読みました。
塩野さんの御夫君はシチリアの貴族の家系のようですが、その実家の小作人などの話を読んでいると、当時の南イタリアの低所得層の男性は、ミラノなど北イタリアの工業地帯か、ドイツに出稼ぎ行く事が、常識になっているようでした。
現在でもイタリアからドイツやオーストリアなどのドイツ語圏への出稼ぎは普通に行われているようです。
だから2002年にワタシがヨーロッパ旅行中、ウィーンの教会でモーツアルトの「戴冠ミサ曲」を聞いた時は、司祭の説教がドイツ語とイタリア語の両方で行われていました。
イタリアなど南欧諸国は、リーマンショック後も現在も破滅的高失業率が続いているので、現在だってドイツ語圏に出稼ぎ行くイタリア人は多いでしょう。
しかしここまで読んで気づかれたでしょうか?
イタリア人はドイツ語圏に出稼ぎに行くのであって、移民はしないのです。
外国への出稼ぎと言うと凄く大変そうです。
でもドイツとイタリアって近いのです。
ドイツもイタリアの結構広いので地域にもよりますが、全体から言って北海道から首都圏や、近畿地方に出稼ぎに行くのと、そう変わらない感覚です。
1970年代には日本でも東北や北海道から首都圏や近畿地方に出稼ぎに行く人が多数いました。
イタリア人もその感覚でドイツで働いていたのです。
出稼ぎだから家族は帯同しないし、稼いだお金は家族に仕送りし、老後は勿論イタリアで暮らす心算で貯金するのです。
今現在、西欧諸国や日本の移民に関する議論では、労働者は受け入れるけれど、家族の帯同を認めず移民は受け入れないという事は、非常に非人道的であるという論調で語られています。
しかしこれ本当でしょうか?
だったら首都圏や近畿地方が、北海道や東北から出稼ぎを受け入れていたのは非人道的だったのですか?
違うでしょう?
出稼ぎする側には、家族ぐるみ東京や大阪に移住するより、家族は北海道に置いて出稼ぎをする方が、利益になったので、出稼ぎを続けただけなのです。
だって家族を連れて移住したら、家族全員の暮らせる家の賃貸料だけで大変な額になって、何の為に出稼ぎにきたのかわからないじゃないですか?
一方雇用者側もそれを見込んで、出稼ぎ者用の宿舎から賄いまで用意して、彼等が単身で働きやすいような体制を作ってやるのです。
ドイツに出稼ぎをしていたイタリアの労働者も同じでした。
当時はまだユーロと言う通貨はなく、ドイツではマルク、イタリアではリラが使われていました。
そしてドイツマルクは世界最強、イタリアリラはヨーロッパ最弱の通貨でした。
だからイタリア人がドイツに出稼ぎに行くと、賃金格差+通貨価値の格差で、非常なメリットがあったのです。
そこでドイツで稼げば家族に十分な生活費を仕送りをして、その上イタリアで家を建てるとか、十二分な老後資金を貯金する事が可能だったのです。
現在でもイタリア人に限らず単身で外国で働く人達には、同様のメリットを享楽している人が多数いますよね?
例えばフィリンピン人のメイドなんか典型でしょう?
メイドなど言葉の不自由な外国人でもできるような労働では、幾ら先進国でも最低生活をするのがやっとです。
特の女性ができるような軽労働では、単身なら何とか生活できても、家族を養う事など絶対不可能と言うレベルです。
しかし高賃金で強い通貨を持つ国で、住み込みのメイドとして働けば、稼ぎは殆ど本国の親族に仕送りできて、何人もの子供を大学に進学させるとか、家を建てるとか言う事が普通にできてしまいます。
だから労働者の側にしても、出稼ぎの方が移民より遥かに有利なのです。
そしてフィリンピンの場合は、国民の出稼ぎが国家の基幹産業になっているので、国を挙げて国民が外国で出稼ぎしやすいような体制を作っているのです。
嘗てのイタリアもそうでした。
イタリアも外貨不足に苦しみ続けていたので、出稼ぎ者のドイツから送金はなくてはならない外貨収入だったのです。
こうした出稼ぎ者のメリットを考えると「労働力の移入だけを考えるのは非人道的」と言う発想は、オカシイでしょう?
そもそもドイツはイタリア人を強制連行したわけじゃし、フィリンピン人メイドだって同じです。
高賃金で強い通貨を持つ国は、低賃金で弱い通貨の国から労働力を獲得する。
低賃金で通貨の弱い国の労働者は、高賃金で強い通貨を持つ国で働き、強い通貨で高賃金を受け取る。
この関係が続けば、幾ら外国人の労働者を受け入れても、少なくも国家のアイデンティティに関わるような事態にはならないでしょう?
勿論、労働者を受け入れる事が、福祉予算を圧迫するなどと言う事態も起きないはずです。
だって幾ら低賃金でも、労働者として来るからには、健康で職のある人間である事が前提ですから、福祉の厄介になる心配はないのです。
ところがドイツでその状況が変わったのは、80年代になってトルコ人の労働者を受け入れてからです。
なぜかトルコ人は家族を呼び寄せ、そのままドイツに居ついて、帰国しなくなったのです。
そして子供をドンドン生んで、子供手当などの福祉予算をドンドン食いつぶすようになったのです。
一方イスラム教をはじめ、トルコ人のアイデンティティには強く執着して、ドイツ文化には馴染まないのです。
食習慣その他の生活習慣を変えないなどは、全く無問題です。
そして宗教を変えない事だって、それだけなら問題にはなりません。
しかしトルコ人の場合は、イスラム法やイスラムの教理が、ドイツの法に優先すると考えており、トルコ人のコミュニティがドイツ国内で国中国になっていったのです。
しかも高い出生率により、その国中国がドンドン拡大しているのです。
そしてトルコのエルドアン首相は、欧州在住のトルコ人達に対して「欧州に留まれ、しかし欧州人にはなるな。」「欧州がトルコ人の同化を強いる事は人道に対する罪だ。」などと、トルコ人による欧州の人口侵略を煽動するような事を繰り返し公言しているのです。
これではドイツ側が危機感を持つのは当然でしょう?
そりゃイスラム教の女性隔離や女性蔑視をそのまま持ち込めば、男女同権のドイツ社会に馴染めるわけもないでしょう?
そもそもドイツはイスラム教の国じゃないのですから、イスラム教徒に都合の良い社会であるはずもないのです。
それなのに彼等は態々家族を呼び寄せて、ドイツに住み着いたのです。
そして住み着けば自動的に貧困層になって、社会への不満を募らせます。
だって最初から学歴も技能もなく、ドイツ語さへも満足にできない単純労働者としてきたのですから、いくら頑張って働いてもドイツの低所得層になるのは必定です。
それなのに家族を呼び寄せて、子供をドンドン作るのだから、生活が苦しくならないはずもないのです。
ドイツ人だって共稼ぎで、子供は一人か二人しか作らないのに、父親の稼ぎだけで、子供を5人も6人抱えている家庭が貧困化するのは当然でしょう?
別にドイツ人がトルコ人を嫌っているから、差別しているからトルコ人が貧困化したのではないのです。
トルコ人のライフスタイルを守ってればドイツでは豊かになれないのに、彼等がそれを拒否するから貧困化しているだけなのです。
こうして膨らむ福祉予算と、にも拘らずドイツ社会に不満と敵意を募らせるトルコ人を、ドイツ連邦銀行理事が見れば、ドイツの財政と社会の未来を憂いて「ドイツが消える」と言うのも当然でしょう?
勿論ドイツだってそれまで何度も、トルコ人を帰国させようと努力はしたのです。
トルコ人に帰国奨励金を出すとか、人権国家としてできる限りの事はしたのです。
しかしこうした努力は全部無駄になりました。
現在確実なのは、トルコ人は一旦ドイツに入ったら絶対に帰らない、そして絶対に自分達のアイデンティティは捨てず、ドイツの価値観や理念を受け入れる事は断固拒否するという事です。
しかもドイツが重視する人権に関しては、自分達の人権だけは徹底的に主張するのです。
ドイツが最初にトルコ人労働者を入れた時は、こういう事態は全く想定していなかったのではないかと思います。
それまでドイツが受け入れていたイタリア人など南欧人は、仕事が終わるとあっさりと帰ったのですから。
だからトルコ人だってドイツマルクを稼ぐだけ稼いだら、帰国するだろうと考えるのは当然でしょう?
因みにイタリアもトルコも、実はドイツからの距離はそうも違わないのです。
現在トルコードイツ間の飛行機のチケットは、日本円で5000円程度の物がいくらでもあります。
これは千歳ー羽田の格安チケットと同じぐらいです。
そしてトルコリラなんてユーロに比べれば、至って弱い通貨です。
だからトルコの物価はドイツに比べると遥かに安く、それでトルコはドイツ人お気に入りの休暇旅行先です。
だったらトルコ人がドイツに出稼ぎしても、時々帰国して家族に会い、しかもユーロをしっかり貯め込んで、子供を大学に行かせる、故郷に豪邸を建てるなどと言う事も十分可能なのです。
普通に考えたら、家族ぐるみドイツで貧困層になって、福祉の厄介になるより余程良いんじゃないかと思うのですが?
ところがトルコ人はドイツに居座ってドイツ人と文化摩擦を起こしながら、ドイツの福祉予算を食いつぶす方を選ぶのです。
ワタシはどうしてトルコ人がこのような選択をするのか、大変不思議なのです。
トルコ人とイタリア人は何が違うのか?
そして更に不思議なのは、トルコ人受け入れで失敗したにもかかわらず、ドイツがその後もイスラム圏からの「難民」や移民の受け入れを辞めないられない事です。
移民問題には、民族の性質に関わる深い闇が潜んでいるようです。
トルコ人移民の問題が深刻化して、ドイツ人は嘆きました。
「我々は労働力を受け入れた心算だったが、やってきたのは人間であり家族だった。」と。
でもイタリア人は労働力で終わったんですよね?
だから安心してトルコ人も受け入れたんでしょう?
何でイタリア人は労働力で終わり、トルコ人は家族になるのでしょうか?
フィリピン人なら女一人で外国人の家に住み込んで働く事もためらわないのに、なんでトルコ人の男は家族をゾロゾロ連れてくるのでしょうか?
これは民族性を考えないと答えが出ないと思うのですが、しかし今のドイツでこの答を探すと「人種差別主義者」「ナチ」と言われちゃうでしょうね。