それにしても今回に加計学園騒動で分かったのは、所謂反体制リベラルを気取る連中の本性です。
彼等が安倍総理の発言で発狂する理由は、単純に言えばこれです。
とんでもない話。「お友達」批判をかわすために他大学の参入をどんどん認めようというのだろうが、これでは獣医師業を自由競争にしてしまうことになる。
その先は医師、歯科医師の自由競争、そして自由診療… 誰でも同じ医療が受けられる時代が終わってしまう。
その先は医師、歯科医師の自由競争、そして自由診療… 誰でも同じ医療が受けられる時代が終わってしまう。
獣医師業が自由競争になって何が悪いのだろうか?
勿論、何でも自由競争が良いと言うわけではありません。
しかし文科省が、供給過剰による質の低下を阻止するために、需給を調整する為に、獣医学部の新設の許認可権を持っている言うならば、文科省は当然、常に獣医師の需給見通しを建てているべきだったのです。
ところが文科省はこれまでひたすら獣医師の需給関係を守る事を前提に、獣医学部新設を拒否しておきながら、しかしその需給見通しは全く示す事ができませんでした。
自分達では需給見通しを立てる事のできない官庁が、需給関係の調整するって滅茶苦茶でしょう?
日本は新自由主義の国ではないので、過剰競争を防ぐ為に生産調整をしている業界は幾らでもあるし、また日銀などは常に市場の資金需要を見ながら政策を決めています。
しかしそういう所は皆、その政策の下になる需要予想をきちんと示し、それが定期的に公に公表されているのです。
ところが文科省は、獣医師過剰を盾にこれまで獣医学部新設を拒否しておきながら、一度もそうした需給予想を出した事はないのです。
それどころか今回の加計学園の獣医学部新設の元になった国家戦略特区ワーキングループの話し合いで、2016年の3月31日までにその需給見通しを出すようにと言われても出せませんでした。
内閣府はそれならと9月16日まで待ってやったのですが、それでも出せませんでした。
何これ?
この件について高橋洋一が詳しく書いていますが、ホントに呆れます。
つまり文科省はそもそも獣医師の需給見通しを立てる能力など最初からなかったのです。
それどころか需給理由に獣医学部の新設を阻止する以上は、需給見通しを立て対応するべきだと言う発想さへなかったのです。
にも拘らず文科省はこの52年間、獣医学部新設を一切認めて来なかったのです。
本来、法律では大学の新設を申請されたら、文科省はそれを審査して、大学としての条件を満たしてれば認可しなければなりません。
ところが文科省は「告示」と言う、文科省内のお知らせで、医学部と獣医学部の新設申請は受け付けないと決めていたのです。
法律ではないから国会にも閣僚にも一切関係なく、文科省の官僚の都合だけで勝手に決めてしまうのです。
官僚が勝手にこんな事をして良いのでしょうか?
ところが加計学園騒動で分かったけれど、官僚はこの手の事を散々やってきたのです。
そしてこれこそが「岩盤規制」の正体だったのです。
本来日本は民主主義国家で、行政は国民から選ばれた国会議員から内閣を選んで行います。
また行政も法によって行われ、その法は国会で作ります。
ところが国会にも内閣に関係ない、従って国民の一切知らない所で、官僚が恣意的に規則を作り、それが獣医学部を52年!!も新設させないと言うような規制を作っているのです。
その規制が岩盤のように強固で、社会の実情に合わなくなっても官僚達の利権擁護の為に維持され続けている。
そしてこれを国民の代表である内閣総理大臣が、これを打破しようとすると、官僚とマスコミと野党が一丸となって必死に反対する。
だから岩盤規制なのです。
それを打破しようというのが国家戦略特区の役割です。
国家戦略特区内ではこうした「告示」など、官僚が勝手に作った規制は、無視して良い事になりました。
そしてこうして勝手に作った規制を外されては絶対困る場合は、その規制を作った官庁が、規制を作った理由をちゃんと説明するようにとの方針が出されました。
お蔭で国家戦略特区に指定された今治市と加計学園は、何とか獣医学部新設の申請を出せるようになりました。
一方文科省は獣医学部新設の申請を全て拒否すると言う告示を出した理由を説明できませんでした。
これで文科省の何処に理があり、加計学園の何処に非があるのでしょうか?
ところが現在、野党とマスコミはこうした事実関係に一切関係なく、ひたすら「加計学園理事長と安倍総理がお友達だから問題」と騒いでいるのです。
挙句に「安倍総理は李下に冠を正すような事はするべきではなかった。 親友の学校は認可するべきではなかった」などとしたり顔で言うのです。
加計学園と今治市・愛媛県は2007年から十年間、15回も獣医学部新設を申請し続けているのです。
そしてこの間に今治・愛媛・加計学園が一丸となって、学校建設についての詳細な計画を立ててきました。
京都産業大学が獣医学部新設を申請したのは、2016年10月です。
過去10年間、地元自治体と獣医学部新設の為の地道な努力を続けた大学と、昨年末になって漸く認可申請を出した大学のどちらを優先するべきでしょうか?
それをタダ安倍総理が「李下に冠を正しなくない」と言うだけで、加計学園を外すなら、それこそ権力の私物化する話です。
それにしても呆れるのです。
今回、加計学園騒動で必死になって疑惑、疑惑と騒いでいる連中は皆、自称リベラリスト、自称反体制です。
しかし彼等がやっているのは、自分達に与えられた許認可権を私物化して天下り先の確保に使ってきた官僚の言い分を丸のみにしての、官僚支配と既得権益の擁護です。
こうなると彼等の言う反体制とは何だったのか?
そもそも彼等は反体制なのか?
ワタシは彼等こそが既得権益者その物ではないかと思うのです。
彼等が典型でしょう?
彼等は高度成長時代の始めに育ち、大学進学率の低い時代に、たまたま裕福な家に生まれたお蔭で大学に進学できました。
そこでゲバ棒など振り回したのですが、しかし高度成長期は求人難だったので、経団連は「赤い林檎も一皮むけば白」と太っ腹な事を言って大卒なら誰でも雇ってくれました。
ワタシが中学生だった頃が学生運動全盛期で、高校入学の年に安田講堂事件が起きました。
この頃の中学・高校生に人気の青春ドラマで決まって出てくる台詞がこれでした。
「オレタチの運命は電車と同じだ。 決められた線路を決められた通り走って行くだけだ。」
つまりこの頃の男子高校生は、そこそこの大学を出れば、大企業か公務員として終身雇用が保障されていました。
そして青春ドラマの主人公達は、それがこの上もない不幸と嘆くのです。
だったら、大学へ行くなよ!!
高校辞めて働けよ!!
高校生が自分の終身雇用のサラリーマンになる運命を嘆いている頃、同年輩の少年少女は働いて家族に仕送りしていたのです。
彼等の職場は、大企業なら純然たる単純肉体労働、そうでなければ経営の不安定な零細企業でしたから、人生は電車どころではないのです。
けれどもそんな同年輩の若者の存在など眼中にない連中が、自分達の運命を電車に乗せる社会を憎悪して、ゲバ棒を振り回したのです。
しかしゲバ棒を振り回すだけで絶対に大学を中退する気はなく、結局喜んで電車に乗ったのです。
こうして快適な列車の旅を続けながら、しかし自分は反体制を気取り続けて老年に至った連中が、あのサンデーモーニングで「若者は安定を求めるな!」と言っているのです。
イヤ、安定がそんなに嫌いなら、君達、今の職場辞めて年金も辞退じて、ソマリアにでも南スーダンに行けよ!!
そしたら共謀罪もないし安倍政権に支配される心配もないんだから。
君達は結局体制に支えられて安楽な生活をし尽くしながら、その生活を支えている国家に文句を言居続けただけだろう?
快適な座席に座って「サービスが悪い!! こんな列車ぶっ壊してやる!!」と怒鳴り続けただけだろう?
オマエラ人間のクズだよ!!
そして遂に安倍総理はこう言いだしたのです。
幾らなんでもあの老人達、図々しいよね?
座れない人がいるのに、座席に荷物置いたりして。
これは止めさせようよ。
獣医師になりたい若者達は大勢いるのだから、獣医学部は増やすべきだし、そもそも文科省が根拠のない規制した挙句、大学に天下り、ソイツラのバカ高い給与や退職金を、若者達が授業料と言う形で払わせられる。
若者達がこんな体制を打破する安倍総理を支持するのは当然ではありませんか?
だからこそ既得権益の塊である老人達が怒り狂っているのです。
一枚の卒業証書をネタに一生美味しいポジションを占め、甘い汁を吸い尽くしながら、反体制の正義の味方を気取れるって理想ですよね?
彼等はこの特権を永遠に守りたいのです。
ところがこのような彼等を若者達が冷笑し始めた。
若者達は彼等の特権をはぎ取る政治家を支持している。
そこで彼等は怒り狂っているのではありませんか?
今回の加計学園騒動はこうした戦後既得権益者の本質を明確化したのではありませんか?
オマケ
前川喜平氏御用達のお店について解説です。