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2023-09-30 14:29

人を罵倒したいだけ人達 ダンボール授乳室

 ダンボール授乳室が騒ぎになっています。 

 9月30日 ABMA

 作りが粗末で、使用する母子の安全やプライバシーが保てないなど、不満の声が溢れているのです。
 実際、実物の画像を見ると随分貧相なモノで、ワタシが乳児を抱えた母親だとしても、できたら使いたくはないなあ・・・・・としか思えないモノでした。

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 しかし何とも違和感があります。
 このダンボール授乳室は「道の駅」に設置された物です。
 現在「道の駅」で授乳室があるのは4%程度しかないのですが、しかしこれまで授乳室の設置要請が出ていたという話は聞いた事がありません。
 ダンボール授乳室を「粗末だ!!」「女性の安全に配慮しない!!」と文句を言っている連中は、そもそもこれまで「道の駅」への授乳室の設置を要請してきたのでしょうか?

 自分達が要求もしてこなかった施設なのに、それができたら「粗末だ!!」「危険だ!!」と騒ぐ連中って一体なんでしょうね?

 しかもダンボール授乳室を設置したのは行政ではありません。 日本道路建設協会と言う民間団体が寄付した物です。 
 国土交通省は子育て支援の方針から、今後は「道の駅」の授乳室を増やし、設置率を50%ぐらいまで上げる予定だそうです。
 道路建設業界は国土交通省の傘下と言うか譜代の家来のような業界ですから、とりあえずそれを見越して試験的にダンボール授乳室を寄付したのかも知れません。

 寄付の経緯はどうあれ、他人が自発的に寄付してくれたものを、悪しざまに罵る連中ってなんでしょうね?

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 因みにダンボール授乳室は、実は市販されていました。 今回騒動の原因になっているタイプの他にも何種類かあり値段は一個5万前後です。
 どうやらイベント会場などで使われるようです。
 ダンボール製ですから、恒久的な施設であるはずもなく、イベント会場などで臨時に設置して、イベントが終われば処分すると言う使い方をされてきたのでしょう。
 
 使い捨ての授乳室だから、粗末である事も、また安全性その他の配慮が不十分な事も当然でしょう。
 で、これまた不思議なのですが、ダンボール授乳室が問題なら、これまでダンボール授乳室を用意したイベントで問題いなっていたはずなの、これまでダンボール製授乳室の使用が問題なったイベントと言うは聞いた事がありません。

 だから今回騒いでいる連中は、そもそもダンボール授乳室自体には何の興味もなかったのだと思います。
 それ以前に乳児連れの母親の授乳をどうするかについても、考えた事もなかったのでしょう。

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 それにしても使い捨てでも、粗末でも、これまで授乳室がなかった所に、授乳室ができたのは進歩ではありませんか?
 粗末で安全性が不十分でもないよりマシでしょう?
 少なくとも切実に授乳場所に困っている母親の立場なら、ひたすら文句を言い倒すような話ではないはずです。

 だからこの騒ぎ、つまり「道の駅」の段ボルール授乳室バッシングは実は、乳児を抱えた母親には全く関係のない人達によるバッシングの為のバッシングだと思っています。
 つまりコイツラ何でもよいから人を罵倒したり文句を言いたいだけなのです。

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 因みにこれまで「道の駅」に殆ど授乳室がなかったことについて、殆ど誰も苦情を言わなかった事は当然だと思います。
 だって「道の駅」って皆人里離れた場所にあって、周りにはコンビニもレストラン等の商店もありません。
 近隣にコンビニもレストランもないところを長時間走っているドライバーが、トイレ休憩をするための施設が「道の駅」なのです。

 だから「道の駅」は皆観光バスの襲来に備えて、駐車場からそのまま入れる大規模公衆トイレを設置しています。 「路の駅」で最重要機能がトイレだから当然です。
 で、トイレを済ませたついでに、少し体を伸ばして、お土産を買ったり、お八つを食べたりできるように、地元の特産品を並べたお店やレストランが設置されているんです。
 周辺の農家の野菜、海岸の場合は周辺の漁師が取った魚介類が売られているのも楽しいです。

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 因みに先週の土曜日、ワタシも「道の駅」に行きました。 妹が野幌の北海道博物館でやっていた縄文土器の展覧会に誘ってくれたのです。
 前々から一度見たかった火炎土器の実物など見れたので感激でした。

 で、その帰り栗山の「道の駅」によりました。 
 札幌の直ぐ近郊なのですが、それでも周りは見渡す限り畑で、気持ちの良い場所でした。
 ワタシはこの「道の駅」で野菜を沢山買い込みました。 それから近郊の養鶏場の鶏肉も。 
 「道の駅」で野菜や肉が買えると、帰りにスーパーとかに寄る必要がないので助かります。

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 それで授乳は?
 ワタシが乳児を抱えた母親なら、授乳は車の中で行います。
 だって授乳するには、乳首を消毒するなどの作業が必要で、その為の道具類は全部車に積んであるでしょう?
 それについでにおむつを替えたりその他の作業もするなら、その為の道具も必要です。 
 そういう道具類と赤ちゃんを抱えて車から降りて、「道の駅」の授乳室まで移動するより、車の中で授乳した方が楽でしょう?

 どうせ辺りは人家もなく、唯道路が一本走るだけの所です。
 路肩に車を止めて暫く授乳しても、誰からも見られないし文句も言われません。

 それにそもそも授乳が必要な乳児を抱えて長距離ドライブに行く事は余りないでしょう?
 だって授乳と言う問題がなくても、乳児を抱えての外出は大変です。 
 また乳児を人混みに晒すのも心配です。

 だから今まで「道の駅」に授乳室がない事なんて誰も問題にしなかったんじゃないですか?
 それを思うと国土交通省が「道の駅」の50%に乳児室を作ると言う話もなんだあなあ・・・・と思います。
 乳児室より、乳幼児連れ家族専用の駐車スペースを確保してあげた方が喜ばれるでは?

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 しかし国土交通省と日本道路建設協会の対応はともかく、やはりこのダンボール授乳室を罵倒している人間達には全く共感できません。
 結局この人達は、とにかく人を罵倒したいだけの屑でしょう?

  1. 馬鹿フェミ
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2023-09-29 12:14

クルド人→トルコ人 国家と民族

 7月に川口市立医療センターの前で乱闘を行って逮捕されたクルド人が全員不起訴になりました。

 クルド人の病院騒動発端の事件、7人全員を不起訴 埼玉・川口
9月25日 産経新聞

 この事件は逮捕された7人の他、100人余のクルド人が川口市立医療センターの前に集まって乱闘を続けた為、川口市立医療センターはこの乱闘中5時間救急患者を受け入れる事ができませんでした。
 川口市立医療センターは川口市他、隣接する二つの市の救急患者を引き受ける救急病院だったので、この乱闘は3つの市の住民の命を危険に晒した極めて悪質なモノでした。

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 これほど悪質な犯罪者達を検察が起訴できなかったのは、日本はクルド語の通訳を見つける事ができず、起訴や裁判に必要な調書や証言を取る事ができいからでしょう。
 因みにクルド語の通訳をできる人って、恐らく世界でも殆どいないのです。

 ところで最初に紹介したのは産経新聞の記事ですが、しかし他のマスコミでは殆どの場合、クルド人の犯罪は「トルコ人」「トルコ国籍」と報道しています。
 これを「マスコミはカワイソウな難民のクルド人を庇う為だ」と言っている人達がいます。 つまり在日コリアンの犯罪者を通名報道しているのと同じ感覚ですね。
 ワタシもこれは理由の一つだと思います。

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 しかしワタシはもう一つ大きな理由があると思います。
 それはトルコ国籍はパスポートで簡単に確認できるのですが、しかしそのトルコ人の民族を確認するのは非常に難しいからです。
 
 トルコにはトルコ民族やクルド人以外にも膨大な少数民族がいます。 アナトリア半島には元々多数の民族が混在していました。
 更にオスマン帝国が崩壊して、トルコ共和国が成立する過程で、東欧やギリシャなど嘗てのオスマン帝国領で「トルコ人」を自認していた人々が、多数トルコ共和国に移住しました。
 同時に現トルコ共和国の領土内にいたギリシャ人やアルメニア人などから、それぞれの民族の国家に移住した人もいました。 しかしそのままトルコ共和国内に住み続けた人も多いのです。

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 そもそもオスマントルコ帝国自体が、中央アジアの遊牧民が東進して、ビザンチン帝国を滅ぼして成立した国家です。
 この遊牧民が本来のトルコ人で、民族的には現在のトルキスタンなどと同じ民族です。
 因みにトルキスタンって「トルコ人の国」を意味するのです。
 
 トルキスタンなど中央アジアの遊牧民の国々は、17~19世紀の間にロシア帝国に征服されてロシア帝国領になり、その後ソ連領になり、ソ連崩壊後、トルキスタン、カザフスタンなどの独立国になっています。
 しかしこうした歴史から、現トルコ共和国とこれらの国々は、国民レベルでは随分と親密です。

 だから帝政ロシア時代もその後のソ連時代も、ロシアやソ連の迫害を受けた中央アジア諸国のイスラム教徒達の多くがトルコに亡命してます。
 勿論出稼ぎ等経済目的でトルコに行く人も多いのです。

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 さらに言えばトルコ共和国成立前後に、トルコの民族主義者達の中では、これら中央アジア諸国を含めてトルコ民族の国を作るべきと言う汎トルコ主義が盛んになり、現在のトルコ共和国領だけで独立しようと言う小トルコ主義者とは深刻な争いになりました。

 結果は小トルコ主義が勝ったので、現在のトルコ共和国があるわけですが、彼等は「トルコ語」を元々の民族の源流である中央アジアにトルコ語に求めたのです。
 と言うのもオスマントルコ帝国での公用語オスマンル語は、元々のトルコ語にアラビア語やペルシャ語の語彙を多数取り込んでおり、きちんと理解するにはアラビア語とペルシャ語の知識が必要と言う言葉だったからです。

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 イスラム世界では宗教用語はアラビア語です。 これはコーランがアラビア語で翻訳も禁止だから当然です。 
 それ以外の学問芸術のトップがペルシャなので、宗教以外の学問芸術用語はペルシャ語と言う事になっています。
 だからオスマントルコ帝国の公用語も、アラビア語とペルシャ語の語彙を大量に取り込んだのです。 因みに文字はアラビア文字を使っていました。

 しかしこんな言葉が通用したのは宮廷と政府高官ぐらいです。
 だからトルコ共和国建国後は、アラビア語表記を辞めて、アルファベットを使用し、更にトルコ語を純化して、ペルシャ語やアラビア語を語彙を排除したのです。

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 でもこれはこれで大変です。
 だってそもそも外国語の語彙を取り込むのは、殆どの場合、自国語にはその語彙に相当する言葉がない場合なのです。

 またトルコ語を純化すると言っても、トルコ民族が中央アジアを離れたのは何百年も前の話です。 トルコ民族は中央アジアを離れてから、何世紀もかけて現トルコ共和国にたどり着いたのです。 その間にいくつもの国を征服支配し、その制服支配した国が崩壊したりしているのです。
 言語だってその間にどれほど変わった事か?

 そういう長大で複雑な歴史の過程を無視して、近代になっていきなりトルコを純化し多言語なんて、一般トルコ人にとっても全くの新造語です。
 それに前記のようにトルコ共和国領内には、オスマントルコ帝国成立以前からギリシャ人他多数の民族が居住していたのです。 
 これらの人々にとっては「純化トルコ語」なんて、わかるわけないです。

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 しかし国家全体で統一した公用語もない状態では、統一国家は作れません。
 トルコ共和国建国の父ケマル・アタチュルクは、フランスをモデルにしてフランス式の国民国家を作りたかったようですが、言語一つとってもフランスとは条件が大違いなのです。

 それでもトルコ共和国建国の時代は、帝国主義の時代でもあり、イギリスの3C政策、ドイツの3B政策とか最初からトルコを侵略支配する事を当然とした政策プランを建てていたぐらいです。
 だからトルコの独立を守る為には、これら帝国主義国家に負けない強固な国民国家を作るしかなかったのです。

 その為、建国以降、トルコ共和国では国内の全ての民族に対して徹底したトルコ化政策を進めました。
 トルコ政府の建前では、トルコ国内の民族は全てトルコ民族で、クルド人など他の民族は存在しない事になっていました。

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 これがそのまま20世紀末まで続いたクルド弾圧政策に繋がったのです。
 しかしこういう建前だから、公教育でトルコ語以外の言語を使う事もありません。
 トルコ国内の民族の言語や文化の研究もされていません。
 そして身分証明書やパスポートに民族を表記する事もありません。

 そうなるとトルコ国籍を持った人を捕まえても、その人の属する民族が何かなんて簡単にはわかりません。
 日本の場合、トルコ国籍で日本に大量に来て、しかも暴力事件を盛大に起こしているのはクルド人だと言われるから、トルコ国籍の犯罪者がいれば皆「クルド人だろう!」と思います。

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 しかし前記のようにトルコにはクルド人以外にも多数の民族がいるし、クルド語以外にも殆ど研究されていない言語を使う民族も多数あるのです。
 因みにクルド語もそうですが、これらの民族の多くは文字がありません。 また抽象概念や学問用語、政治用語を表す語彙はないでしょう。

 元々山の中で原始的な遊牧や農業だけで生計を立てて、話相手も家族と同じ集落に住む数十人からその近隣集落も含めて数百人と言う生活なら、語彙も僅かで済むのです。
 勿論文字も必要ありません。

 だからこんな少数言語を学んだり研究したりするのは言語学者など特殊な人々だけです。

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 因みにクルド人に関するエントリーでは何度も書いていますが「クルド語」と言う単一の言語はありません。
 クルド人を自称する人達が使う言語はトルコ国内だけで6種類あり、インドヨーロッパ語族に属すると言う以外の共通点はありません。 だからクルド人同志でも山一つ越えると全く言葉通じないのです。

 共通の言葉がないのに一つの民族と言えるのか?
 でもクルド以外の人達が、「山奥に住む野蛮人」を纏めてクルド人と呼ぶから、「山奥に住む人達」も「自分はクルド人」と認識しているのです。
 しかしこれはクルド人だけではありません。 例えばアメリカインディアンだって、部族毎に言語や習慣も違うけれど、アメリカに入植した白人から見れば皆同じインディアンったから、単一の民族みたいに思う人もいるのです。

 トルコとクルド人の話を深堀すると、日本と状況が余りに違い、国家とは何か?民族とは何か?を根源から考え直す嵌めになります。

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 しかしそれはそれとして、こうなるとホントに警察も検察もお手上げですね。
 犯罪者を現行犯逮捕しても、その国籍がわかっても、言葉が通じない。 通訳の探しようもないと言う事になります。

 こうなると治安を維持するには、この手の外国人現行犯は、即時射殺するか、射殺がひど過ぎる場合はその場でボコボコに鉄拳制裁するしかありませんね。
 言葉が通じないのだから裁判なんてやりようがないのですから。 
 それができないもうこの種の外国人の入国は絶対拒否するしかありません。

 欧州の治安悪化が酷いのですが、ワタシはこれは欧州諸国が、民主主義や人権の建前と治安維持対策の折り合いをつけないままに、こうした外国人をドンドン受け入れた結果だと思います。
  1. シャベツニダ!!
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2023-09-28 09:25

花火

 夕べ、夕食の用意をしていると、外でバンバン花火みたいな音がしました。
 イヤ、花火みたいな音じゃなくて、どう考えても花火の音です。
 でもそれはないでしょう?
 だって夕べは水曜日だし、そもそももう花火の季節ではありません。

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 しかしどうにも気になったので、カーテンを開けて外を見ました。
 するとホントに花火でした。
 色々な種類の花火が次々と上がるのが見えます。
 随分と立派な花火大会です。

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 しかし不思議です。
 前記のように今はもう花火大会の季節ではありません。
 札幌で大規模な花火大会は、年に4回程ありますが、しかしこれは皆終わりました。
 最後の大会は9月2日のモエレ沼公園での花火大会でした。

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 この花火は我が家から見る事ができました。
 モエレ沼公園は我が家から遥か北東方向にあり、自転車なんかでは到底行けない場所ですが、居間とは反対向きの窓がある6畳の和室の窓から見えました。
 窓から見下ろす札幌の街の彼方、東の端から次々と花火が上がりました。
 でも余りに遠いので花火は極小さくしか見えず、音も聞こえませんでした。
 それでもワタシはこの花火を見た事で、大満足していました。

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 札幌でこうした大規模な花火大会以外に花火を見られるのは、盆踊りの頃です。 盆踊りは各町内会がそれぞれ主催します。 盆踊りはたいてい3日程続き、その最後の日に花火をあげるのです。
 但し町内会の盆踊り会場で揚げる花火ですから、精々10発程です。
 でもやはり美しいので、花火の音がすると、窓を開けて外を見ます。

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 しかし盆踊りなど8月中に全部終わりました。
 それに盆踊りも花火大会も、普通は週末に行います。 夕べのように水曜日に花火大会などやりません。

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 それにしても夕べの花火は一体どこで揚げていたのでしょうか?
 だって夕べの花火が見えたのは、南西方向でした。 この方角には住宅街が続くばかりで、あんな盛大な花火大会ができるような施設はありません。

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 夕べの花火は高く上がらないタイプの花火までシッカリ見えたし、花火も大きく見えたし、音もはっきりと聞こえました。 だからモエレ沼公園のような遥か彼方ではないのです。
 しかしワタシは散歩で夕べ花火が上がった方向にも行くけれど、あんな花火ができる場所は思い当たりません。
 グーグルマップで花火の揚がった方向を確認にしても、やはりあんな花火をあげられそうな場所は見つかりません。

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 実はワタシは去年もやはりウィークデーの夜に花火を見ました。 但しそれは7月で、方向も少し違いました。
 あれも不思議だったのですが、あれもどこで誰があげているのかはわからずじまいでした。

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 夕べの花火は一体どこで揚げたのでしょうか?
 誰が何のために、9月末のウィークデーの夜に盛大に花火を大会を行ったのでしょうか?
 非常に不思議です。
 それとも夕べの花火は幻だったのでしょうか?

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 昨日は昼間、発寒川の最上流で鮭を見たり、前々から欲しかったピッキング鋏を買えたりしたので、喜んでブログを更新して、そのことを書きました。
 でもそのことを書いているうちに花火の事は書き忘れました。
 けれども目が覚めてみるとやはり気になります。
 何とかあの花火の正体を知りたいです。
  1. 札幌の四季
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2023-09-27 21:41

鮭とピッキング鋏

 今日はしばらくぶりに野菜の直販店に行きました。
 以前もブログに書いたけれど、ワタシは9月15日にもこの直販店に野菜を買いに行き、その帰りに西野神社に参拝したところ、帰りに境内で転んで右手と右側の肋骨を酷く打ち付けました。

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 しかも9月7日にもやはり野菜の直販店の帰りに、西野神社に参拝して、やはり帰りに神社の出口で転んで酷い擦り傷を負ってます。
 だからワタシはもうこれは西野神社の「祟り」じゃないかと怖くなりました。

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 それで暫く野菜の直販店には行きませんでした。
 それに15日に買った野菜が残っていたし、その上、20日に家賃を払いに行くと大家さんがナスビを沢山下さったのです。
 凄く見事な美味しいナスビでした。

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 家賃は銀行振り込みでも良いけれど、大家さんの家はワタシのアパートの直ぐ近くなので、直接持っていても良いのです。
 ワタシは振り込み手数料の節約の為、直接持っていくのですが、そうすると夏の間は大家さんの菜園で取れた野菜を下さいます。

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 しかし遂に15日に買い込んだ野菜も、大家さんに貰ったナスビも尽きたので、やはり野菜が必要になったのです。
 それに15日に痛めた右手と肋骨も大分良くなりました。
 だからもう大丈夫だと思ったのです。
 でも、怖いから西野神社には参拝しない事にしました。

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 目当ての直販所は発寒川の上流にあります。
 だから我が家から、発寒川に沿ってひたすら登り続けました。 こんなの電動自転車でなければとても行けません。 
 歩くと一時間以上はかかるのですから。

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 そんなわけで気を付けながらペダルを漕いで直販所にたどり着くと、この前と同様、ズッキーニ、ピーマン、ナスビ、それにミニトマトが皆一山百円でした。
 ズッキーニはこの前より一段と大きくなり、ワタシの二の腕程もあります。
 こんなズッキーニを食べていると、スーパーで売っているズッキーニは発育不全で凄く不味そうに見えてしまいます。

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 こうして無事目的の野菜を獲得すると、ワタシはまた気を付けて発寒川に沿った路を下りました。
 ところが暫く下って途中の端の傍までくると、橋の上で2.3人の人が川面を見つめています。
 まさか、鮭?

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 そろそろ発寒川に鮭が来る季節です。
 スーパーには少し前からイクラが並んでいました。 
 ワタシはこの季節いつも、農試公園まで行って鮭を見ていました。 農試公園はここからは10キロ余り下流です。
 但し同じ発寒川ですから、ここまで来る鮭がいても不思議ではありません。

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 でもワタシはこれまで、農試公園より上流で鮭を見た事は殆どないのです。
 けれども橋の上から川面を見ると、ホントに鮭がいました。
 ここは農試公園の辺りに比べると、川も浅く、水も綺麗に澄み切っているので、今まで見た事もないほど綺麗に見えました。

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 しかも鮭は一匹ではありません。 
 何匹の鮭が橋の近辺にいるのです。
 この橋からもう数キロ登ると、滝があり、それから少し登ると発寒川は手稲山の山中のせせらぎに変わります。

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 だからここにいる鮭たちは、発寒川に来た鮭の中でも「最上流階級」なのでしょう?
 それかあらぬか皆見事な体格です。
 こんな鮭を見てワタシは大感激でした。
 ワタシは大喜びで暫く写真を撮り続けました。

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 しかしやがて日が陰り、川の中の鮭を上手く撮れなくなったので、橋を離れました。
 そして今度はこの近くにあるフリーマーケットへ行きました。 ここはどういう経営か知らないけれど、結構大きな店に色々なモノが一杯並んでいるので、ワタシは時々寄って楽しんでいました。

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 ワタシは貧乏性なのかフリーマーケットが大好きなんです。 あの何かわけもわからないモノがゾロゾロ並んでいる中から、気に言った物を探すのが凄く楽しいのです。
 でもお陰で要らないモノを買い込む事も多いのですが。

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 しかしこの日は大当たりでした。
 何とピッキング鋏があったのです。 しかも300円!!
 ピッキング鋏は切り口がギザギザに切れる鋏です。 切り口がギザギザだとほつれにくいので、洋裁にはあると便利です。

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 実は母がピッキング鋏を持っていたのですが、これは妹の所へ行きました。 妹は頼めばいつでも貸してくれるのですが、しかしやはり手元にあったらいいなあ・・・・と、思っていたのです。
 でもそうそう使う物ではないので、わざわざ買うのは躊躇っていました。 
 買えば結構高いし・・・・・。

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 しかし300円なら躊躇う必要はありません。 
 ワタシは今までこの店で随分と要らないモノを買ったけれど、このピッキング鋏一つで、それまでの無駄遣いのお釣りが出る勘定です。
 ワタシはすっかりご機嫌で店を出ました。

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 そしてまた発寒川沿いの遊歩道に戻り川を下りました。
 西野神社の近くの橋でまた川面を見ると、ここからも鮭が見えました。
 ここを通らないと、前に鮭を見た上流の橋まで行けないのですから、この辺りにも鮭がいて当然なのです。
 でも、ワタシはこれまでここから鮭を見た事は一度もなったのです。

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 今日は凄くついてる!!
 これって神様の御利益?
 参拝しないのに、こんな御利益を下さるのでしょうか?

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 しかしワタシは結局、予定通り参拝はしない事にして、そのまま家に向かいました。
 そしてさらに下流の橋でまた鮭を見ました。
 今年はホントに沢山鮭が来ているようです。
 これだと農試公園は凄いかも?

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 だからやっぱり近日中に農試公園にも行かなくてはなりません。
 しかしそれはそれとして、こんなに色々良い事があったのだから、やはり西野神社にはお礼参りに行くべきでしょうか?

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2023-09-27 12:19

えげつないアテネ スパルタの戦い その2

 少しサボっていましたが今日は「ペロポネソス戦争 スパルタの戦い」について書きます。
 前回「ツキディテスの罠」でも書いたのですが、ペロポネソス戦争の原因はアテネの台頭です。
 二度のペルシャ戦役で勝利したアテネが東地中海の覇者となったのですが、しかしその後アテネは益々国力を強め、そして更なる覇権を求めるようになったことが原因なのです。

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 二度のペルシャ戦役に勝利したことで、ペルシャの侵略の脅威は一旦収まりましたが、ペルシャは以前大国です。
 それで東地中海諸国はアテネを中心に対ペルシャ軍事同盟を作りました。 これが「デロス同盟」です。

 しかし軍事力だけでペルシャ帝国の侵略を防ぐ事は無理と思ったデロス同盟諸国は、ペルシャ帝国と外交交渉を行い「カリアスの平和」と呼ばれる、デロス同盟・ペルシャ不可侵条約を結びます。
 この条約はその後きっちりと機能して、以降ペルシャ側からギリシャ諸国への侵攻は起きませんでした。 つまりこれでペルシャ帝国とギリシャ諸国の国境の現状変更は不可能になったのです。

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 これは良い事ずくめと思うのですが、しかしこうなると更なる覇権を求めるアテネは、その矛先を西地中海に向けざるを得なくなりました。
 しかし西地中海はデーバイやコリントなどペロポネソス同盟諸国のテリトリーでした。
 アテネはそこに手を突っ込むのです。
 しかもそのやり方がえげつなくてね。

 このアテネの権益拡大の手法が塩野七生さんの「ギリシャ人の物語」に詳しく描かれているんですが、ホントに大阪弁で「えげつない」としか言いようのないやり方です。
 そしてこの「えげつない」権益拡大を推進したのは、ペリクレスなのです。
 しかしペリクレスは民主主義の英雄と言える人ですから、現代の中国や帝国主義華やかなりし頃の大英帝国に比べても遥かに洗練されたやり方を使います。

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 アテネはまずコリント湾の出口のナウパクソスに海軍基地を作ります。 コリント湾と言うのは口のつぼまった徳利みたいな形をしており、ペロポネソス同盟最大の最大の海軍国コリントはこの徳利の底にあるのです。
 それなのに徳利の口元にアテネの海軍基地を作られたのです。 
 当然、コリント側はアテネに猛抗議します。  
 またペロポネソス同盟の盟主であるスパルタにも、この問題を訴えて、アテネ基地撤去の支援を要求します。

 そこでスパルタはペロポネソス同盟の盟主として、この問題についての全ギリシャ会議を呼びかけました。 
 ところが結果は、アテネのナウパクソス領有と海軍基地の存在を追認する事になってしまいました。
 何でこんなことになったのか?

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 実はペリクレスは実はスパルタ王アルキモダスとは親友ともいえる間柄でした。 そして当時のスパルタは国内の隷属民ヘイロットの反乱に手を焼いていました。 
 アテネがナウパクソスを領有すると、そこにスパルタで反乱を起こしていたヘイロット1万人余りを受け入れたのです。
 これでスパルタでのヘイロットの反乱は収まり、アテネはスパルタの暗黙の了解のもとにナウパクソスを領有したと言うわけです。
 アテネとスパルタにとってはウィン・ウィンですが、こんなのコリントにとって許せるわけないでしょう?

 しかしコリントの怒りをよそに、ペリクレスはさらなるアテネの権益拡大に向かいます
 次にペリクレスが狙ったのは東地中海の北端、黒海に近いアンフィポリスでした。
 ペリクレスとしてはここを抑える事で、黒海貿易の基地にする他、後背地にある豊かな森林資源を確保できることが魅力でした。
 そしてそのアンフィポリス確保にも、前回のナウパクソスの時と同様、魔法のように見事な外交を駆使しました。

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 ペリクレスと言う人は、元来軍事的な才能は今一で、自分もそれを知っていたのか、直接的な軍事行動はあまり使いませんでした。
 しかし歴史的な雄弁家で「戦死者追悼演説」などは今も民主主義の精神を表す物として、ヨーロッパの諸国で教科書に掲載されているほどです。
 アテネの最高行政職であるストラテゴスに30期連続当選し続けた人です。
 
 ストラテゴスは一期一年、アテネを10個の選挙区にわけて、各選挙区から一人選ばれる役職です。 そして10人のストラテゴスの権限は完全に同等でした。
 ところがペリクレスは抜群の雄弁と能力で、30期連続当選を続けたので、経験でも実務能力でもペリクレスに対抗できる人がいませんでした。
 更に超長期政権の間に、スパルタ王アルキモダス始め、周辺諸国の政治指導者とも強い人脈を築きました。 お陰で彼は前記のような魔法のような外交ができたのです。

 だからツゥキディテスはこのペリクレスの30年を「民主主義と言いながら、実際は1人の男が支配した時代」と評しています。
 そしてソクラテスは「民主制は僭主制に至る」と言っていますが、政体や制度がどうであれ当時のペリクレスの実力は「僭主」つまり独裁者その物だったのです。

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 そしてこのペリクレスは自身の能力と権力をフルに生かして、アテネの権益拡大に務めたのです。
 つまり彼の雄弁と人脈をフルに生かして、周辺諸国を上手く丸め込んで、これと言った軍事行動もなしに、要衝をアテネの物にしてしまうのです。
 
 しかしこんなことを再々やられては、やられた方は怒りをため込み続けるのが当然ではありませんか?
 一方、アテネ側としては「侵略戦争したわけじゃないし」と言うので、全然この感情に配慮する事もなく、成功を重ねれば重ねる程、更なる権益獲得を求める事になるのです。
 これじゃいずれ爆発して当然でしょう?
 これがつまり「ツキディテスの罠」新興国の台頭が戦争の原因になると言う話です。

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 それにしても思うのですが、アテネの際限もない覇権主義は、正に民主主義の英雄ペリクレスの時代に最も顕著だったわけです。
 ワタシ達、戦後教育を受けた世代は学校教育その他では「民主主義=平和」「侵略戦争=独裁者」と教わっているのですが、このアテネの例を見ると、ワタシはこれ全然信用できません。

 イヤ、アテネだけではなく古代ローマでも領土拡張に励んだのは、共和制時代で帝政になってからは守勢にまわっています。
 ヨーロッパ列強が植民地獲得に励んだのも市民革命以降です。

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 そしてペリクレス時代のアテネも共和制ローマでも、また帝国主義全開だった当時のヨーロッパ諸国でも、国民世論が侵略戦争を支持しているのです。
 領土拡張を求める国民が、兵士となって戦うから民主主義国家の軍隊は非常に士気が高く強いのです。 だから侵略戦争に勝てるのです。
 
 こうした歴史を考えると、ワタシは「民主主義=平和」論は全然支持できません。
 
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