2018-07-19 14:53

トゥキディデスの罠とペロポネソス戦争 その4(アテネの拡大政策)

 ペルシャ戦役(紀元前499~449年)でペルシャを退け軍事大国の地位を確保したアテネは、この軍事力を背景に更なる権益拡大に乗り出します。

 それでもアテネも最初はまずエーゲ海周辺からペルシャの勢力を追い払い、次には黒海へと勢力を伸ばすという政策でした。 エーゲ海とその沿岸一円は既にデロス同盟を作っていましたし、黒海沿岸は元々ギリシャ世界ではなく、またペルシャ帝国の勢力も及ばない未開の地でした。

 だから暫くは無事に済みました。

 しかしこれらの地域を完全に勢力下においたアテネは、今度はペルシャ帝国の支配下にあったエジプトやフェニキアにも侵攻しました。
 けれどもこれは当時のアテネ軍の指揮官であってペリクレスに軍事的才能がなくて失敗しました。

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 このペリクレスの時代にアテネは黄金時代を迎えます。 そして内政ではトゥキディデスが「「民主制と言いながら実は一人の男が支配した時代」と言われる時代になるのです。

 文字通り「ペリクレス一強」の時代を迎えるのです。

 しかしペリクレスは前記のように軍事的な才能はありませんでした。 この当時のギリシャでは国家の指導者は、戦争になれば自分自身が軍隊を指揮して戦わなくてはなりません。
 
 ペリクレスにはしかし軍隊指揮官としての才能はあまりなかったし、彼自身もそれを自覚していたせいか、エジプト遠征で失敗してからは、極力軍事的手段は使わないようにしました。

 その意味ではペリクレスは平和外交に徹する努力をしていたのです。 

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 そして紀元前450年、ペリクレスはペルシャ帝国と恒久的な平和条約を締結しました。 紀元前480年ペルシャ海軍がサラミスの海戦で壊滅してから30年後のことです。
 これで長く続いたペルシャ帝国との戦争が完全に終結しました。
 
 これでペルシャとギリシャ諸国との間は平和になりましたが、しかしこれはアテネにすると、当時ペルシャ帝国の支配下にあった地中海の東側への進出が不可能なったという事です。 
 
 ところがアテネはそれで権益拡大を諦めませんでした。
 そこで今度はその矛先を西地中海に向けたのです。

 しかしそこは元々、デーバイやコリントなどペロポネソス同盟諸国が権益を持つ地域でした。 元来古代ギリシャ世界では、現在のギリシャ共和国を挟んで、東側はデロス同盟、西側はペロポネソス同盟が商業権益を持っていました。

 ところがペルシャ帝国との和平が成り立った事で、アテネはペロポネソス同盟諸国への権益に切り込むようになったのです。

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 ペリクレスはこれもできる限り平和的に、つまり直接武力に訴える事は出来るだけ避けてはいました。 
 けれどもそのやり方は実にえげつない物でした。

 その標的になったのがコリントです。 
 コリントは口が狭く細長い瓶のような形をしたコリント湾の一番奥にあります。 ところがペリクレスはこの瓶の口にあたるエウボイアを制圧します。 
  
 更に今度その対岸にあたる瓶の中ほどにあるナウパクソスも攻略するのです。

 これだとアテネはいつでもコリント湾を封鎖することができます。 
 これはもどう見てもアテネがコリントの商業圏を奪う心算だとしか思えません。
 
 コリントがこれに猛反発したのは当然でしょう?

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 それにしてもなんでもこんな事ができたのか? 

 ペリクレスには元々抜群の弁舌の才能があり、黒を白と言いくるめるのは朝飯前でした。 彼はこの弁舌の才でアテネの民意を思うままに操り、30年の長きにわたってアテネの政界でペリクレス一強を維持したほどの男なのです。

 そしてこうして長期政権を維持することで、ギリシャ世界全域とペルシャに広い人脈を持っていました。

 特ににスパルタ王アルキダモスとは長年の親友でした。 スパルタ王アルキダモスは毎年ペリクレスの別荘で一緒に過ごす間柄でした。

 ペリクレスはこうした人脈と弁舌を武器に、「平和外交」でペロポネソス同盟諸国の権益に切り込んでいったのです。

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 勿論スパルタ王もペリクレスとお友達だと言うだけで同盟国コリントを見捨てたわけではありません。 ペリクレスはスパルタにこれを認めさせる事で、スパルタ側に一定の利益が得られるようにしたからです。

 スパルタはこのころ奴隷階級であるへロットの反乱で苦労していました。 そしてこの反乱をしたヘイロット側との話し合いで、彼等がスパルタ領から立ち退く事を認める事でこの反乱を終わらせます。
 それではそのへロット達が立ち退いた先は?

 ナウパクソスです。

 スパルタとすればこれで漸く厄介払いができたし、アテネとすればナウパクソスへの入植者をゲットできました。
 スパルタとすればこれで十分なのです。
 
 スパルタはペロポネソス同盟の盟主ではありますが、自給自足の閉鎖経済の国家ですから、商業権益なんかどうでも良いのです。 
 
 まさにペリクレスならでは、魔法のような外交成果でした。

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 しかしコリントやデーバイなど他のペロポネソス同盟諸国は、アテネ同様の商業国家でした。 特にコリントはアテネ同様に海上交易で栄えた国です。
 
 コリントは元々三段櫂船40隻からなるギリシャ第二の海軍を持つ国でした。 そしてこれはアテネがペルシャ戦役に向けて200隻からなる巨大海軍を作る前は、ギリシャ最大最強の海軍だったのです。

 だからコリントはアテネが海軍を作ったころからアテネへの警戒心と嫉妬に燃えていました。 ところがそのアテネが自国に牙をむき始めたのです。

 それでもペロポネソス同盟の盟主スパルタがアテネと折り合った事で、一旦は引き下がりますが、しかしこれでコリントが納得するわけもないのです。

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 しかしペリクレスはこの後もこの手の「平和外交」による権益拡大を続けるのです。

 そしてついにギリシャ西岸の小都市エピダウロスの内紛をめぐって、アテネとコリントが衝突します。

 このエピダウロスの内紛は元々、貴族と言われる支配層と被支配層の確執でしたが、それが双方、アテネやコリントなど外国勢力を引き入れました。

 これはギリシャ人の悪弊ですが、ギリシャ人は同じポリス内でも激しい権力闘争をやり、しかもそうなると必ず外国に支援を求めるのです。 だからポリス内の権力闘争がそのまま外患誘致合戦になるのです。

 実はこれはローマ人は絶対にやらなかったのですが。

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 これで遂にアテネとコリントが衝突することになりました。 そしてこれがペロポネソス戦争の引き金になります。

 こうした辺境の小都市の内紛が、大戦争の引き金になるのは、サラエボが第一次大戦勃発の起点になったのと同様でしょう?

 新興国の台頭が周りとの軋轢や摩擦を生み、その摩擦熱が発火点にまで達していれば、思ぬ所から火が点くのです。

 だからこうした戦争の危険は、ペロポネソス戦争に倣って「トゥキディデスの罠」と呼ばれるのです。

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 ところで、当のエピダウロス内の内紛も際限もなくエスカレートします。 この経過をトゥキディデスは詳しく書いているのですが、読んでいるともう何が何だかわからないうちに、ドンドン殺し合いが酷くなって、女性や子供まで巻き込んで、最後には街が壊滅するような事態になってしまいます。

 当時のエピダウロスの人口はわかりません。 しかし超大国だったアテネでも10~15万と言うレベルです。 まして当時の小規模ポリスの人口なら1000人とか2000人とかいうレベルですから、エピダウロスだってそんな物でしょう?

 それが何でこんな無残な事になるのか?
 人口が数千人の小さな街なら、貴族だ平民だと言っても、殆どみんな知り合いで、先祖代々一緒に暮らしてきただろうに、何でこんな殺し合いになるのか?

 このエピダウロスの内紛は、ギリシャ人の性格に潜む暗黒面をそのまま見る思いです。

 ギリシャ神話を読んでいると、非常に明るく美しい話が沢山あって、だから今も世界中で愛されているのですが、でもあれよく読んでいると、実は非常に暗く陰惨な面が見えてきます。 

 ギリシャ神話には、精神病理学やギリシャ悲劇に描かれる暗黒世界が垣間見えるのです。

 このエピダウロスを巡る物語は正に、こうしたギリシャ人の暗黒面その物です。

 そしてこのエピダウロスを起点に、ギリシャ全土でギリシャ人の暗黒面を露呈するようになるのです。
 それがペロポネソス戦争です。
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2018-07-15 14:05

「総がかり」総数の変化に見るパヨクの衰亡

パヨクがまた反安倍「総がかり」とか」とかをやっているようです。

人命軽視の政権倒そう 総がかり行動
2018年7月13日(金)

 総がかり行動実行委員会は12日、改憲反対や安倍内閣の総辞職などを求めて毎週木曜日に取り組んでいる国会議員会館前抗議を行いました。国会議員や学者、弁護士らがスピーチし、西日本を中心に甚大な豪雨被害が発生しているにもかかわらず、延長国会で悪法の強行を続ける安倍政権を批判。「みんなの力で政治を変えよう」とコールしました。
 実行委員会を代表してあいさつした菱山南帆子さんは、安倍政権は豪雨被害への災害対応より悪法の審議・採決を優先していると批判し、「人命を軽視する政権をみんなの力で必ず打倒しましょう」と呼びかけました。
 安全保障関連法に反対する学者の会の堀尾輝久さん(東京大学名誉教授)など、さまざまな市民が訴え。野党から、立憲民主党の阿部知子衆院議員、日本共産党の井上哲士参院議員、社民党の福島瑞穂参院議員がスピーチしました。
 この日は600人(主催者発表)が参加。「国民の声を無視する安倍政権は許せない。できることは何でもやる」と毎週参加している東京都杉並区に住む女性(70)は「私たちがあきらめたら、安倍政権の思うつぼだと思います。声をあげ続けます」と話しました。

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 第二次安倍政権成立後、パヨクは安倍政権打倒の為の「総がかり行動」と言うのを何度も繰り返し来ました。
 直近では2018年4月14日(日)にやったモリカケデモです。

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 この時の参加者は主催者発表で3万人、警察発表では4000人でした。 

 そしてその前は2015年8月30日の反安保法制デモです。

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 この時の参加者は主催者側発表では12万人、警察発表では3万人でした。

 そしてその前は2013年に繰り返して行われた反原発デモです。 参加者数万人のデモが繰り返し行われました。

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  このパヨクの反安倍デモの参加者の減衰について、ワタシ以前二度エントリーしています。

 反安倍デモに見るパヨクの組織力の変化が、興味深かったからです。

 4・14モリカケデモに見るパヨクの衰亡

 4・14モリカケデモ パヨクの衰亡 その2

 ところが今回はそれがさらに衰亡して参加者が更に減りました。
 
 本当に参加者が主催発表の通り600人いるとしても、4月14日の警察発表4000人に比べて10分の1です。

 しかしこれまでも主催者発表の数字は、警察発表よりはるかに少ないのです。
 だから実数は100人割れていたのかもしれません。

そしてここまで減ると、誰にでも目視で凡その数がわかるので、さしものパヨクもあまりに水増しした数を発表できないのでしょう。
 これについてこれまでの反安倍デモは日曜日だったのに、今回は金曜日なので、参加者が集まり辛いのだと言えなくはありません。
 
 しかし前回のモリカケデモでは、数千万円の資金を出して首都圏の大手紙全部に広告を出しても、集まったデモ隊は4000人だったのです。

 これだと広告を見て参加した人は皆無で、パヨク組織のコアな支持者や組合による動員だけが参加したのでしょう?

 しかもその組合組織が弱って、動員をかけるのも、難しくなっています。
 また新聞広告を出す資金もなくなってきたのかも?

 そこで今回は最初から新聞広告は出さず、コアな支持者だけに声をかけてのデモになったのでしょう?
 それなら敢えて日曜日にする必要はありません。

 だってパヨクの主力は定年退職した高齢者ですから、毎日が日曜日です。

 この場合、日曜日に参加を依頼すると「日曜日は孫と遊園地に行く約束がある」とか「息子一家が家に来てくれる約束だから」と言って嫌がられるのでしょう?

 それにウィークデーにデモをすれば、人数が集まらなかった事は、「ウィークデーだったから」と言い訳です。

 デモの動員能力からみたパヨクの組織力は、この数か月でまた一桁減ったのです。
 
 今日の札幌は朝から雨が降り、陰気な日でした。 でもこういう明るニュースもあるのです。

 この状況に野党は大変な危機感を持ち、それがあのヒステリックな反安倍につながっているのでしょう?
 ワタシとしてはパヨクの皆様には、是非この路線で頑張り続けて、自滅して頂くことを切望しております。 
  1. 戦後民主主義
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2018-07-14 21:59

トゥキディテスの罠とペロポネソス戦争 その3(アテネ市民)

 二度にわたるペルシャ帝国の侵攻を退けたアテネは、以下の3つを得てギリシャの覇権国となりました。

 ギリシャ最大最強の海軍力
 アテネとピレウスを囲む長城による完全な防衛体制
 デロス同盟によるエーゲ海全域の軍事経済支配権の確立

 スパルタ始めとする多くのポリスがこれに懸念を抱くようになりましたが、しかしアテネはこれで満足することはなく、更なる発展を図ります。

 ペルシャ戦役後、まずデロス同盟の強化で、エーゲ海からペルシャ帝国の影響力を一掃します。

 またペルシャとの戦闘を通じて、黒海沿岸にまで進出し、後にこの黒海沿岸がアテネの主食である小麦の供給地になります。

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 ??
 アテネは食料を自給できなかったの?

 そうなのです。
 アテネはこの頃には食料を自給できませんでした。 
 
 アテネ領であるアテネの周辺地域は農業地域で、こうした農地で農業をする人々もまたアテネ市民でした。
 しかしアテネの周辺は土地がやせて山がちで穀倉地帯にはなりませんでした。

 そこでアテネ領内ではオリーブなど換金作物が作られており、主食の小麦はエジプトや、また上記のようにペルシャ戦役後は、黒海沿岸から輸入していたのです。

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 テミストクレスがアテネ市街と外港のピレウスを完全に囲う長城を建設したのもその為です。 強大な海軍で制海権を確保しているのですから、こうしておけば何年でも籠城できるはずでした。

 元々食料を自給できないのですから、シーレーンと港湾からの輸送路だけを確保すれば、食料を断たれる心配はないのです。

 実はこの方策が後にアテネの無条件降伏の原因になったのですが、しかしペロポネソス戦争末期まで、こんな事は誰も想像できなかったのです。

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 こうしてアテネは主食を輸入に頼る代わりに高級陶器など、当時のハイテク製品を輸出していました。 アテネの都市民の多くはこうした産業に従事していました。

 またアテネ人は古くからギリシャ北部の辺境地域や、イタリア半島などに植民して植民都市を作り、そこで鉱山開発などの事業を起こして、そこから得られる利益も莫大な物でした。

 因みにトゥキディテスの家も先祖代々ギリシャ北部トラキアに鉱山を持っていました。 彼が一生をかけて「戦史」を書いていられたのも、そこからの収入があったからです。

 アテネにはこのような「海外資産」を持つ富裕層が多数いました。

 またアテネ人は商業にも長けており、エーゲ海全域だけでなく、ペルシャやエジプトなど広い地域との交易をおこない大きな利益を得ていました。

 アテネ市民は古くからこうした経済活動には、非常に熱心で、ビジネスの為には危険を冒す事も厭わない人々だったのです。
 
 そして私有財産権の不可侵は、アテネ市民にとっては自明の原則でした。

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 つまりアテネは食料を輸入に頼りながら、商工業や投資により豊かな生活を手に入れた商工業国家であり、純然たる資本主義国家だったのです。

 ペロポネソス戦争が始まった最初の年、ペリクレスが行った「戦没者追悼演説」は今も欧米諸国の教科書に掲載されいます。

 ペリクレスはこの演説でアテネの国体と、そしてその国体を支えるアテネ市民の理想を謳いました。

 ペリクレスの謳う理想のアテネ市民とは、少年時代から自由にのびのびと育てられ、富を得る為に一生懸命働くのですが、しかし学問や芸術を愛し、また国家や社会に対しても強い責任感と愛情を持ち、その為に積極的に奉仕する人なのです。

 これってつまり現代の欧米や日本など民主主義国家の理想の市民と同じでしょう?
 だから今も欧米の教科書に掲載されているのです。

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 古代ギリシャ・ローマ世界が滅亡後、こういう市民意識がうまれるのは、この2200年も後の話です。

 キリスト教や仏教は富への執着を否定したし、また封建社会では支配階級以外は国家や社会への責任感云々などと言う話はありません。 
 学問や芸術も殆どの人には無縁でした。 

 しかし古代のアテネ市民は、富を得る事には極めて肯定的であり、学問や芸術に宗教の制約はありませんでした、
 そして政治にも強い関心と責任感を持っていたのです。
 
 彼等は宗教的な諦念などとは、全く無縁な人々で、何事にも極めて積極的で能動的であることを誇りました。

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 けれどもこのような人々が、強大な軍事力を得れば、それをそのまま活用して、ビジネスの拡大を図るのは当然ではありませんか?

 実際彼等はそのようにしたのです。
 そして社会が上り坂の時代と言うのは、どんな国でもそうなのでしょうが、ペリクレスのような政治家が現れて、長期安定政権が確立するのです。

 このペリクレスの政治については以前「ペリクレス一強」で書きました。
 だからペリクレスの政治とはどのような物だったかは、そちらで読んでください。

 ともかくペリクレスは30年もの間、アテネのリーダーとして君臨したのです。

 そしてその間、ペリクレスはアテネ国内の民主化を進め、ギリシャ芸術の集大成ともいうべきパルテノン神殿を建設したのですが、その一方でひたすらアテネの権益拡大に邁進しました。
 
 まさに自身が「戦没者追悼演説」で述べたアテネ市民の理想を、政治の上でも実現したのです。

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 しかしアテネ国内の民主化や、パルテノン神殿の建設はともかく、アテネの権益拡大は当然ですが、他のポリスにとっては、大変な脅威でした。

 その脅威に耐えきれなくなったデーバイやコリントがスパルタを焚きつけて、遂にペロポネソス戦争に至るのです。

 スパルタでは開戦のような重要事項は、スパルタ市民全員が参加する市民集会の議決で決まります。
 そこでスパルタに開戦を迫るデーバイやコリント、そして開戦に反対するアテネもその集会に代表を送り込んで、それぞれ意見を述べます。

 この演説はトゥキディデスの「戦史」に描かれていますが、コリント代表の演説を読んでいると、ワタシはTTP亡国論を思い出してしまいました。

 実はワタシも最初TTPには反対だったのですが、その時ワタシも含めて恐れたのはTTPにより貪欲なアメリカ資本が日本の農業や医療を食いつぶすのではないかと言う事です。

 際限もなくビジネスの拡大を続けるアメリカ資本に対する恐怖が、TTP亡国論の根源でした。

 しかしこのスパルタの市民集会で、スパルタ市民に開戦を迫るコリント代表の演説が、まさにこのアメリカ資本への恐怖と全く同類同質なのです。

 それは当然でしょう?

 だってペリクレスの描くアテネ市民の理想像は、そのままアメリカ人の理想像と一致するのですから。

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2018-07-13 14:30

朝鮮半島はなぜ統一できないか

 札幌オリンピックが始まる直前のことです。 
 一人のソウル在住の韓国人の男性が新聞で、北朝鮮選手団の役員名簿の中に朝鮮戦争で生き別れになった妹の名前を見つけました。

 彼はそれを知り合いの朝日新聞のソウル特派員に話しました。
 すると朝日新聞側は喜んで、彼と妹が札幌で感動の再開をできるようにお膳立てしました。

 しかし札幌で彼を待ち受けていたのは民潭が動員した在日コリアンの大群でした。 
 この大群は彼と妹との面会会場に着いてきて、彼を取り囲み「朝鮮選手団側が朝鮮戦争について謝罪しないと、この面会は認めない。」と言いました。

 一方、妹の側には総連が動員した在日コリアンの大群がついていました。 そしてこれもまた面会会場のホテルの入口に陣取って、「韓国が朝鮮戦争に謝罪しないと、妹には会わせない」と言い返したのです。

 こうして民潭、総連双方が動員した在日コリアンの大群がホテルの入り口で、罵りあって大騒動になりました。 しかし彼等はこれを札幌オリンピック閉会まで毎日続けたのです。

 その為この兄妹は、再会することはできませんでした。

 こうして再会の出来なかった兄妹も不幸ですが、しかしホテルの客と従業員は大迷惑だったでしょう。

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 在日コリアンも韓国も北朝鮮も、民族分断は「日本の植民地支配の為だ」と言います。
 しかしこれを見ればわかります。

 民族分断は朝鮮人が勝手にやっているのです。

 朝鮮戦争はそもそもソ連が朝鮮に傀儡政権を作ろうとしたことが原因です。 その点に着いていえば朝鮮は米ソ冷戦の犠牲者です。

 しかしその後朝鮮人はお互いが和解する努力をするどころか、こんな風にひたすら争いをエスカレートするようなことばかりやってきました。

 これはドイツとは全く違います。

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 実はワタシは語学コンプレックスを治したくて時々発作的にNHKのドイツ語講座を見ていました。

 NHKのドイツ語講座は、ドイツ、オーストリア、スイス、ベルギー、ルクセンブルグ、イタリアなど国内にドイツ語圏を抱える国々が後援しています。
 そして東西ドイツが分裂時代は、東ドイツ、西ドイツ双方が後援していました。

 それで当時このドイツ語講座の中での、ドイツ文化やドイツの国民生活紹介の中では、東ドイツの話も、西ドイツの話も等分煮出ていました。

 また同じく日本で行われるドイツ語検定も、やはり東西ドイツとドイツ語圏を抱える国々が一緒に後援していました。

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 冷戦下での東西ドイツの分裂は不可避だったし、またその後も東ドイツの共産党政府、西ドイツ政府共に譲れないところはあったでしょう。

 しかしこうした東西ドイツの対応を見ていれば、それでも双方がこれ以上余計な諍いをしないように、また政治に関係しない部分ではできる限り友好関係を維持しようと努力していたのがわかります。

 ところが韓国と北朝鮮は真逆でした。

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 ソウルオリンピックの数年前から、NHKは朝鮮語講座を放映しようとしました。
 ところがこれが放送開始前から大騒動になりました。
 
 つまり韓国は「朝鮮語講座と言う名前はケシカランニダ!! 韓国語講座にするニダ!!」と言い、これに対して北朝鮮は「朝鮮語講座で当然ニダ!! 韓国語講座なんて許さないニダ!!」と言うのです。

 そしてお決まりで民潭と総連が双方、在日コリアンを動員して大騒ぎです。

 結局NHKはどうしようなくなったのか、これを「ハングル講座」として放映しました。
 しかしハングルは文字の名前で言葉の名前ではありません。

 これって中国語講座を「漢字講座」、ロシア語講座を「キリル文字講座」と言うような変話ですが、しかしこれでとにかく総連、民潭がようやく騒ぐのをやめたのです。

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 だからソ連崩壊後、東西両ドイツは速やかに統一されましたが、朝鮮半島がそのままなのは実に尤もだと思いました。

 コイツラ、ホントに人と話し合ってお互いに譲れることは譲って協調していくことや、或いは我慢するべきところは我慢して社会のルールを守っていくという事ができないのです。

 代わりにどんな些細な事でも、一度諍いが始まると、一歩も譲らず諍いを続けるばかりかドンドンそれをエスカレートさせていくのです。

 共産主義と資本主義と言うイデオロギーの違い、そしてそれぞれの同盟国であるソ連やアメリカへの意思などは、どうにもなりません。
 しかしそれでも東西両ドイツは、文化や人道問題と言う、こうした政治力学の及ばないところでは、何とか良好な関係を築こうとしていました。

 ところが韓国と北朝鮮は、語学講座と言う純然たる文化問題まで、政治利用して諍いをはじめ、それに日本と日本人を巻き込むのです。
 そして双方一歩も譲らず延々と諍いを続けるのです。

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 これは竹島とか慰安婦強制連行捏造とか、旭日旗騒動とかも同じでしょう?

 韓国人が過去の歴史をどう思おうとも、それは韓国人の自由です。

 しかし既に日韓併合については完全に条約でけりがついているのです。 だから日本と正常で良好な関係を維持したいのであれば、日本に対する過去の感情を日本と日本人の前で吐き出す事は自制するべきなのです。

 ところが彼等はそういう知恵がありません。

 どんなつまらない事でも、そもそもネタがインチキであっても、きちんと整理することは勿論、「もうこんな事を言い続ても仕方ないからいい加減にやめよう」と言う事さへできず、際限もなく騒ぎ続けるのです。

 これでは統一なんかできるはずもないのです。
 南北統一だけでなく、過去のトラブルを乗り越えて未来に向かう事は不可能なのです。

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 ウリは正しい!!
 絶対に正しい!!
 だからどんな些細な事であっても一歩も譲らないニダ!!
 ウリが正しいのだから、正しくない方が完全にウリに従うニダ!!
 人道も糞もないニダ!!

 この感覚でどうやって他者と協調していけるのでしょうか?
 そしてこの感覚がある限り、条約も約束も守るわけもないのです。

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 昨日、こんなニュースが出ました。

 北朝鮮、米兵遺骨返還めぐる米朝協議に現れず

 6月12日米朝首脳会談で、金正恩はトランプ大統領に朝鮮戦争時米軍戦死者の遺骨を返還し、行方不明者の捜索にも応じると約束しました。

 しかし早速この約束を破り、遺骨返還に関する米朝協議をすっぽかしました。

 いかに北朝鮮らしいと言ってみればそれまでです。 
 北朝鮮側は非核化に対するアメリカ側の強硬な態度に不満があるようです。 だから遺骨を人質にごねようというのでしょう?

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 しかしこんな事を何になるのでしょうか?

 米兵の遺骨を返すと北朝鮮にどんな不都合があるのでしょうか?
 遺骨は拉致被害者と違って、北朝鮮の秘密をしゃべるわけでもないのに。
 
 こんな事をしてはトランプ大統領の面目は丸つぶれです。
 アメリカ議会やアメリカ国民も怒り狂うでしょう。

 そしてこれでまたアメリカが軍事攻撃をするハードルが大幅に下がります。
 これだと明日にでもトランプ大統領は、米韓合同演習を再開すると言い出すのでは?

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 そもそも遺骨の返還のような人道問題は、朝鮮戦争休戦後に速やかに済ませるべきことなのです。
 北朝鮮が朝鮮戦争休戦直後から、こうした人道問題をきちんと処理していれば、アメリカとの関係だてって全く違っていたのでは?

 人道問題をきちんと処理して信頼関係を築き、それを政治問題を話し合う基盤にしていく。

 北朝鮮にはこうした発想はないのです。

 でもこれはつまり上記で紹介した韓国との諍いと同じ発想で、どんな些細な事でも一歩も譲らない、そして際限もなく諍いをエスカレートさせていくという朝鮮民族の特質によるのでしょうか?

 こうした北朝鮮の対応を見ていると、ホントにこの国は理解不能で厄介な国だと思います。
 そしてこうした気質がある限り、話し合いでの統一など絶対不可能だと思います。

 それでも万一統一されたら?
 勿論、統一政権による大粛清が始まり、大量の人間が虐殺される事になるのです。

  1. 特亜
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2018-07-12 13:47

トゥキディデスの罠とペロポネソス戦争 その2(デロス同盟)

 昨日からトゥキディデスの罠とペロポネソス戦争について書き始めたのですが、しかしアテネが軍事強国として台頭するに至ったペルシャ戦役の勝利のところまで書いて終わってしまいました。


 だから今日はその続きを書きます。


 ペルシャ戦役を通じてアテネはギリシャ世界最大最強の海軍国になりました。 アテネ海軍が保有する三段櫂船は200隻、二位のコリントは40隻ですから、当時のアテネの海軍力は現在の世界でのアメリカ海軍に匹敵するでしょう。


 そしてペルシャ戦役を期に、アテネはアテネ市街と外港ピレウスを囲む長城を建設して、アテネの防衛体制を完璧にしました。


 しかしペルシャ戦役はアテネにもう一つの力を与えました。

 それはデロス同盟です。


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 デロス同盟はアテネを中心にした東地中海諸ポリスの対ペルシャ防衛同盟として発足しました。


 現在のギリシャ共和国はアナトリア半島には領土がありませんが、これは第一次世界大戦後にトルコ共和国との協定で決まった事で、それまではギリシャ人の世界はアナトリア半島の沿岸、更には黒海沿岸にまで広がっていました。


 トロイア始め古代ギリシャの遺跡がトルコに散在するのはその為です。


 こうしたアナトリア半島沿岸のポリス、そしてレスボス島やミレトス島などアナトリア半島の沿岸、更に東地中海の島嶼のポリスは、ペルシャの侵攻時にはペルシャの支配下に入りましたが、しかしアテネによるペルシャ戦役の勝利により、ペルシャの支配下から逃れる事ができました。


 そこでこれらのポリスは、再度のペルシャ侵攻に備えて、アテネを中心とする対ペルシャ防衛の為の同盟を作ったのです。


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 この同盟の本部はエーゲ海の中心にあり、アポロ神殿の聖域だったデロス島に置かれました。 それでこの同盟はデロス同盟と呼ばれました。


 そしてアテネがその盟主となったのです。


 アテネはこれ以降、デロス同盟加盟国をペルシャの脅威から守るだけなく、軍船でエーゲ海上をパトロールを行い、海賊行為まで取り締まるようになります。


 これはこの地域の交易の拡大し、地域全体の経済発展を促しました。 そしてデロス同盟は単なる軍事同盟と言うより、一大経済文化圏となっていきます。

 

 そして当然ですが、このデロス同盟により一番発展したのは、アテネなのです。


 デロス同盟の発足によりアテネはこの地域全体を自分の勢力下におくようになったのです。 そしてそれは全ギリシャ世界の半分を超える地域と経済と人がアテネの勢力下にはいったという事です。


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 そしてこれまた当然ですが、スパルタを中心としたペロポネソス同盟諸国は、益々アテネへの懸念を拡大させました。


 しかしそれだけではありません。

 実は後にデロス同盟内からアテネに対する不満が生まれてくるのです。


 ペロポネソス同盟は純然たる軍事同盟ですが、しかしこの同盟は軍事的危機にはお互いに助け合うというだけの物で、それも強制性はありませんでした。 そしてそれ以上の拘束もなかったのです。


 スパルタはこの同盟の盟主として、敬意を得られるだけで満足していました。


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 しかしデロス同盟は違いました。

 デロス同盟は有事には軍船を出して一緒に戦うとだけでなく、平時にもエーゲ海巡回などをやっています。


 デロス同盟加盟国でレスボスなど自前の海軍を持つポリスは、これに加わる事で同盟国として義務を果たしました。


 しかし自前の海軍が持てない弱小ポリスには、このコストを分担金と言う形で負担する義務がありました。


 この分担金がどのぐらいの額だったのかは、今も良くわからないのだそうです。 しかしペルシャ帝国の脅威が薄れるにつれ、アテネの経済発展が進み、アテネが強大化するにつれ、こうしたポリスは不満をためていくのです。


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 当時の軍船の主流である三段櫂船は一隻の建造費が1タラント、これは当時のアテネの一般勤労者の年収の6000倍程でした。

 そしてこの運航費とメンテナンスが費用が掛かります。


 当時のギリシャの弱小ポリスは人口が2000~3000人と言う所も多いのですから、到底こんな軍船は建造も運航もできないのです。 

 そしてこうした弱小ポリスにとってはペルシャ帝国だけでなく、海賊だって大変な脅威です。


 だから一定の分担金を出す事で、デロス同盟の海軍により安全保障を得られる事は大きなメリットがあるはずです。

 その為これらの弱小ポリスも自ら進んでデロス同盟に参加したのです。


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 それなのにこれらのポリスは次第にデロス同盟とアテネに不満を持つようになるのです。


 でもこれ凄くわかりますよね?

 今の日本の左翼や韓国の文在寅政権の言い分を聞いていれば。


 デロス同盟は単なる軍事同盟ではなく、経済文化圏、それも自由貿易経済文化圏となっていきました。 そして現在でも同じですが、こうした自由貿易は圏内の経済や文化を発展させます。


 しかしこれまた現在でも同じですが、全ての国が平等に発展するわけではありません。

 また経済が発展しても全ての人が平等に豊になるわけでもありません。 

 そして経済発展に取り残された側にはより強い不満を持つようになってしまうのです。


 また安全保障が当然になると、その為のお金つまり分担金(アメリカとの同盟なら思いやり予算)を出したくないと思うようになってしまうのです。 


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 一方アテネ市民たちの側は、自分達達がデロス同盟諸国の安全保障しているのだから、加盟国はもっと分担金を出して当然と思うようになります。

 そしてこうした市民意識から、デロス同盟諸国に対して、まるで宗主国か支配者のようにふるまうようになるのです。


 なんかもう2500年前の話ではなく、今の国際情勢みたいじゃないですか?


 後にペロポネソス戦争が深刻化してから、スパルタはこうしたデロス同盟加盟国の不満に付け込んでその分断を図ります。


 そしてアテネはそれに苦慮することになるのです。


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 う~~ん、なんかまた凄く長くなちゃった。

 今日はペロポネソス戦争の勃発まで書きたかったんですが、残念だけれどここでやめます。

 続きはまた今度。

 

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